日中友好協会(正統)本部機関紙「日本と中国」の3月13日号には、第1報と第2報の2つの版があります。このページでは、双方の版を併合して、新聞の第二面でえられる情報を、Web ページ上でも同じだけのものが得られるだけでなく、その雰囲気も同様になるように編集してみました。原本は国会図書館の所蔵です。 |
2000年9月10日 猛獣文士 |
1967年3月13日号第2面 |
血に染まった善隣学生会館の四日間 |
暴徒、会館を包囲 |
ニセ「日中友好協会」会館にバリケードを築く |
(上)28日夜の抗議集会(下)ドアの内側にバリケードをきずいたニセ「日中」事務所の廊下で日中友好勢力の「暴力団出ていけ」のシュプレヒコール」がおこなわれた。 |
「日共暴力団出ていけ!」各界の人びとの怒りをこめたシュプレヒコールが高らかにコダマする(1日夜の抗議集会で) |
二月二十八日 |
同夜、酒に酔ったニセ「日中友好協会」の事務局員が、中国人学生寮後楽寮自治会の壁新聞をひき破り、この不法行為に抗議した中国人学生彭君を村上糾事務局員が殴りつけた。中国人学生たちはただちに厳重な抗議をおこなった。ニセ「日中友好協会」本部事務局員小山慎平はこの事実を認め「私が事務局を代表して謝罪する」と謝罪文に署名した。ところが深夜、「日本共産党」「日本民主青年同盟」の自動車に分乗した反中国分子が侵入、これに抗議した中国人学生を襲って、暴力を加えた。
三月一日 |
中国人学生後楽寮自治会(邱獅君委員長)は、前夜からの事件を重視し、午後六時から抗議集会を同会館内で開いた。この抗議集会には、日中友好協会(正統)本部関係者、日中貿易関係者など約二百人が参加し、反中国分子の狂暴な犯罪行為に抗議するとともに、日中友好を破壊し、中国に反対するニセ「日中友好協会」はただちに同会館から退去するよう要求することを決議。ただちに日中友好協会(正統)本部代表と自治会代表がニセ「日中友好協会」に要求書を手渡そうとしたが、ニセ「日中友好協会」側は、入口のドアに鍵をおろし、内側に本棚、机、ふとんなどをつみあげてバリケードをつくり、ドアをあけようとしないため、入口前で「ニセ日中友好協会は出ていけ」と力強いシュプレヒコールをおこなった。そのあと日中友好協会(正統)中央本部三好一事務局長と中国人学生自治会代表が、要求書をたずさえて、ニセ「日中友好協会」会長笠間千鶴宅を訪れ、厳重に抗議。
午後八時、集会が閉会し、参加者が外に出ると、日共宮本派の党員と民青同盟員約五百人が同会館を包囲し、口ぐちに「中国人は中国へ帰れ」「人民の裏切者は毛沢東だ」と口ぎたなくののしり、宣伝カーをくりだしてわめきちらした。この集団脅迫は、松本善明代議士、党本部の橋本広蔵、中部地区委員会直接指揮にあたっていた。午前零時ごろ、機動隊二個中隊が現場に出動したがいっこうに脅迫集団を排除しようとせず、逆に「中国人学生によって日中友好協会本部事務局員が監禁されているといっている」と、後楽寮自治会側に疑いをかける始末。「監禁しているかどうか現場をみてくれ」と、ニセ「日中友好協会」の入口をみせバリケードが内側からきづかれている事実を確認すると、こんどは「中国人学生は全員二階へ上がってくれ。そうすれば外の連中も解散するから」といいだした。後楽寮自治会は「自分の家にいて、一階にいようと二階にいようと勝手ではないか。それよりなぜ、真夜中に会館を取り囲んで大声をあげて、われわれの学業生活をおびやかし、睡眠をさまたげる連中を排除しないのか」と強く要求した。その後、約一時間ほどして、会館を包囲した反中国分子たちはようやく解散した。
武装集団が狂悪テロ |
三たび襲撃し十数人が負傷 |
三月二日 |
朝六時半ごろ、突然約七十人の反中国暴力団が、会館守衛の制止にもかかわらず会館内に乱入し、玄関内で不寝番のあたっていた四人の中国人学生を袋だたきにし、急をきいてかけ下り、これを制止しようとした中国人学生にふたたび暴行を加え、そのため王俊英(19歳)王政明(18歳)の両君など数人が重軽傷をおった。中国人学生たちは少人数ながら水をかけて応戦、約十分間後に反中国暴力団はニセ「日中友好協会」本部事務所の中に入り、ふたたびドアを閉ざした。「赤旗」やマスコミが報じている負傷者森下幸雄(民青中央常任委員)は、水にぬれた廊下でみずからすべってころんだにすぎない。
この反中国暴力団の暴挙に激怒した会館管理者がただちに警察に連絡したところ、二十分以上もたってからパトロールカーが一台きた。ただちに暴力犯人の逮捕を要求すると「現行犯でないから、口述をとってからでなければ」といって、逆に中国人学生側に調書をとるから警察に出頭してくれといいだした。中国人学生たちは「それではまるでさかさまではないか。現実に犯人たちは室内にいるのだ。すぐに、被害者に首実検をさせて、犯人を逮捕してくれ」と強く要求しました。警官は「とにかく調べてみる」といってニセ「日中友好協会」内に入り、そのままいつまでたっても戻ってこない始末。
午前十時、会館内で、ふたたび抗議集会を開き、日中友好協会(正統)本部役員、会員 、日中友好関係者などがかけつけて、中国人学生たちの報告をきき、反中国暴力団の組織的犯行の連続に憤怒。警察の態度にも怒りをもやし「この事件は、単に中国人学生に加えられたテロ行為だけではない。日中両国人民の団結と友情を破壊しようとする重大な犯罪行為であり、われわれ日本人の問題として全力をあげて、狂暴な日共反中国暴力団を粉砕しなければならない。日中友好協会(正統)本部がこの闘争の先頭にたって徹底的に闘いぬかなければならない。同時に、この真相を日中友好を望む広はんな人びとに伝え、反中国暴力団の本質をあきらかにし、世論を大きくもりあげる中で、かれらを粉砕しなければならないことを誓い、ただちに“防衛闘争委員会“を結成し、正統本部役員をはじめ各団体から委員をえらびました。
この間に、同会館の外には、反中国分子がぞくぞく動員され、松本膳明、岩間正男代議士、そして「赤旗」紙上で「過剰防衛は微罪だから安心して闘え」と暴力行動を督戦する論文を発表した青柳盛男中央委員らが直接指導にあたった。
昼すぎ、暴力団は弁当のさし入れを要求、学生側は昨夜の約束とおり会館側をとおして入れるよう回答(前夜はその方法で会館管理者が玄関でうけとり、中にきちんとわたした)したところ、連中はこれを拒否、直接さし入れることを要求した。学生側がこれを拒否したところ、ニセ「日中友好協会」内から数十人の反中国暴力団が出てきて、挑発をおこない、これを阻止しようとスクラムを組んだ中国人学生と正統本部会員、友好商社員などにたいして竹竿や棍棒、備え付けの消火器をつかってあばれだし、このさい華僑総会職員劉道昌さんをはじめ五人の中国人学生と正統本部会員が重傷をおった。この暴行にたいして中国人学生と正統本部会員などのスクラムは素手で断固として反撃し、暴力団を室内に押しかえし、入口のドアの外に机や椅子を積みかさねて、かれらのさらに攻撃にでてくるのを防いだ。同時に正面玄関にも机、箱などを重ねて外部からの襲撃にそなえた。
午後三時ごろ、室内の暴力団は入口の戸びらを竹竿や角材、パイプなどをつかってこわし、さらに積んである机や椅子をこわしはじめた。中国人学生と日中友好協会正統本部会員、友好商社員たちはこれを防ぐため、水をかけ、机や椅子を補強し、一時間近くにわたって奮戦。しかし、午後四時ごろ暴力団は廊下にとびだした。かれらはヘルメットをかぶり、角材、五寸くぎを打ちこんだ棍棒などで武装しており、中国人学生と正統本部会員たちをめったうちに襲撃。中国人学生簡仁君など数人が頭部や顔面をはげしくなぐられ重傷。またしても善隣学生会館は染血にまみれた。
このときまで傍観していた警察はようやく双方の間に入って、両者をへだてた。しかし、目前の武装暴力団を検挙しようとしなかった。中国人学生と日中友好協会正統本部会員、友好商社員たちは、対峙しながら固くスクラムを組み「日共暴力団でていけ」「ニセ日中はでていけ」とシュプレヒコール。
やがて、警察の要求にしたがって、暴力団は一応、会館の外にでた。
党員たちが暴力を働らいている間、「日共」中央委員会幹部会員候補内野竹千代、同高原晋一、参議院岩間正男、衆議院松本膳明、東京都議会議員梅津四郎らはあいついで善隣会館付近に姿をみせていた。
梅津四郎は会館玄関のそばで、商業新聞記者その他の人びとの前で公然と、警察の責任者に向って全く事実と反対に、華僑学生と日中友好協会(正統)の会員が善隣会館への人の出入を妨害していると称して「会館への出入は自由である。これを妨害するものは排除せよ」と要求した。ちょうどこのとき、廖承志弁時処駐東京連絡事務所の孫平化首席代表とその他の代表が負傷した華僑学生を見舞いに訪れたのをみて梅津は、「ここは日本の領土だ。廖事務所の誰がこようと遠慮することはない。排除せよ」と警察に要求した。
夜に入って、警察隊の人垣にかくれるようにして、暴力団は手勢をあらたにして「事務局員」といつわり、どんどん入室した。室内の「事務局員」は、はじめから数人にすぎず大部分は、党と民青から派遣された暴徒であった。
中国人学生と正統本部会員、友好商社員たちは、夜を徹して対峙し、再度の襲撃にそなえた。
再襲撃準備すすめる暴力団 |
粉砕の決意固める日中友好勢力 |
あいつぐ暴力。そのたびに救急車にはこばれる中国人学生、正統本部会員の数はふえていった。 |
姿をあらわした日共暴力団。だが警察は暴徒に背をむけたまま―。この直後テロがおこなわれた。中央の白シャツの人が岸良君。左端が任政光君でいずれも重傷をおった。 |
三月三日 |
この日もまたニセ「日中友好協会」と「日共」反中国暴力団は、早朝からニセ「日中友好協会」事務所と会館外で、ひたすらに暴力行為の準備をすすめている。彼らの手によって華僑と中国人学生が血を流された場所で、さらに多くの人たちの血と生命を奪うため、棍棒、ヘルメットなど、暴力団の姿をいっそう露骨にあらわし、いまかいまかと襲撃の時期をねらっている。しかも彼らの真の友人である警官隊は、公然と彼らの行動を容認し、これに抗議する日中友好を願う人々に耳をかさず、彼らの手助けをしている。
暴力団の準備行動、および警官隊などの行動を具体的にあげてみると、三日未明、会館ちかくの巣窟に陣どっていた、約百人の暴力団は、解散するようにみせかけ、四人あるいは五人づつ組んで、国電飯田橋、水道橋、地下鉄後楽園の各駅を結ぶ円内をぐるぐるまわりはじめた。それに呼応して、日本共産党宮本派の動員命令にしたがった党員、「民主青年同盟(民青)」員などが電車やタクシーでかけつけ、さきの暴力団よりさらに会館にちかいところをうろつきはじめた。午前七時半、反中国暴力団の宣伝カーが数しれないほどのヘルメット、棍棒などを積載して会館正面に横づけしてきた。しかし正面玄関に勇然とたつ日中友好勢力の姿をみて、いったん宣伝カーはひきあげた。しかしその後十分もたたないうちに、こんどは“取材“すると称する「赤旗」記者が会館にはいりこみ、ひきつづき、異様にふくれあがった一見して暴力団とわかる十数人の集団がドヤドヤと入館し、ニセ「日中友好協会」事務所にはいった彼らの異様な服装の下には、ヘルメット、武器がかくされていることを警官隊がしらないわけはない。彼らの入館に目をつむり、すでに巣喰っている暴力団と合流させたことはまたもや反中国暴力団と警官隊の“陰の結託”をくっきりとあらわした。こうして、すでにニセ「日中友好協会」事務所には、完全に武装された暴力団が二百人前後滞処し、いまかいまかと襲撃の機をねらっている。
わが日中友好勢力は、反中国暴力団を絶滅し、中国人留学生を断固として守り、日中友好を守りぬくために、日中友好協会(正統)本部、中国人学生、華僑その他友好商社などが団結して、いつでもどこからでも、どんな手段にでも反中国暴力団がやってこようともこれと闘う体制をかまえている。会館内では、整然と隊伍をくみおもに日中友好貿易青年連絡会と中国人留学生、華僑、日中友好協会(正統)本部の人びとが交互にピケをはり不眠不休で頑張っている。刻々と変化する事態を敏感に察知し、昨日結成された闘争委員会は中国人学生自治会と一体になり、文字どおり日中両国人民が一丸となって勝利をめざして奮闘している。会館外においても、日中友好を願う人びとの暴力団「日本共産党」の残虐な反中国テロ行為に対する怒りは燃えあがり、それぞれが決意をかためて日中友好を守る闘争に参加してきている。
そして闘争委員会は、これまでの闘争のなかから、われわれの闘争を正しく伝え、反中国暴力団のみにくい姿を大衆的に暴露する活動がいかに重要であるかを指摘し、午後十二時、闘争宣伝部を設立、ただちに宣伝活動にとりかかった。
一方、財団法人善隣学生会館(管理人、守島伍郎氏)は、午後十時から緊急理事会を招集したが、これに対して闘争委員会、中国人学生自治会は「理事会が反中国暴力団に加わり中国人および日中友好勢力に暴力をくわえるのか、真の日中友好をおしすすめるわれわれの立場にたって反中国暴力団と徹底的に闘かうのか、立場をあきらかにすること。理事会としてはかならずや反中国暴力団と闘うという方針をとッていただきたいという旨の要請書を提出した。また、昨日、暴力団にニセ「日中友好協会」事務所にひきづりこまれ瀕死の重傷をおわされ、生命をあやぶまれている任政光氏の同僚中華書店からもこの理事会に、事件の経過を説明し「この事実をよく認識し、われわれの闘争を支持するように」との申し入れをおこなった。
これらの事態の進行のなかで、午後六時から、日中友好勢力は、闘争の勝利をかちとるという決意にみちた大衆集会が、地階集会場でひらかれた。
怒りをこめて抗議 東京の華僑総会が声明 |
反中国暴力団かならず粉砕 |
3日夜、日中友好勢力の集会で誓う |
三日午後六時から会館地階でひらかれた日中友好勢力の集会には、約二百数十人が参加し、これからのたたかいについて大衆的な討議がくりひろげられた。そして今後も新しく選任された闘争委員会の指揮にしたがって反中国暴力団を粉砕する決意が各界の代表からのべられた。また暴力団の手によって重軽傷をおわされた人へのカンパもある代表から提案され、たちまちまわしたいれものがいっぱいになるほどだった。
なお四時間にわたる真剣な討議のあと集会はつぎのことをきめた。
四日午後二時から会館屋上で大集会をひらき、さらに多くの人々に真相を知らせ、ともに闘争に加われるよう訴える。
闘争委員会宣伝部の出す真相ニュースを街頭で配布する。
六日午後二時半、都市センターホールで真相発表会をおこない、市外の日中友好勢力に訴える。
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日本友人の共闘に敬意 |
廖承志事務所首席代表孫平化氏が演説 |
このたび日本のひとにぎりの修正主義分子が暴徒を指図して連日学生を襲撃したことにたいする英雄的な闘いのなかで、広はんな日本の友人は中国の青年学生とおなじ側に立ち、この闘いを自分たち自身の闘いと見なし、ともに敵がい心をいだき、ともに難にあたるという態度をしめして闘われましたが、このような崇高な国際主義の精神および敢然と闘い、敢然と勝利を闘いとる何をもおそれぬ英雄的な気持ちは、私たちの胸を強くうち、心から敬服いたしております。
われわれの偉大な指導者毛主席が自ら発動し、指導して嵐のような勢いで発展している中国のプロレタリア文化大革命に全世界が揺り動かされている今日、ひとにぎりの日本修正主義分子は公然と暴徒をかきあつめて中国人の青年学生に迫害をくわえ、由々しい流血の事件をひきおこしました。これは帝国主義、現代修正主義、反動派が連合して反中国活動をおこなっているその一構成部分をなしております。日本のこれら一握りの修正主義はもはや完全に日本人民を裏切ってソ連現代修正主義の手先になり、国際共産主義運動の恥ずべき裏切り者になりさがっております。ひとにぎりの日本修正主義分子が一手にひきおこしたこのたびの華僑迫害のゆゆしい流血の事件は組織的であり、計画的なものであり、また、かねてから企まれていたものであることが大量に事実によって明らかにされています。
しかも、いっそう破廉恥なことは、ひと握りの日本修正主義者はこともあろうにいわゆる「安保破棄・諸要求貫徹中央実行委員会」という組織による反中国集会をひらき、これまで安保反対を標榜してきた反中国の煽動に用いているということです。この事実は、日本修正主義者のみにくい正体をあますところなくさらけだしています。また、このことはかれらが口にしている「反米」はまったくのニセものであり、彼らはアメリカ帝国主義に反対しないばかりか、攻撃のほこ先を社会主義の中国にむけていることを、徹底的に暴露しています。このことは、帝国主義に反対するにはどうしても現代修正主義に反対しなければならないということをわたしたちにかさねて教えてくれます。
われわれは暴虐に抗する華僑の青年学生の英雄的な闘いを断固指示し、在日中国人青年学生のかかげた一切の正当な要求を全面的に支持することを厳粛な態度をもってかさねて表明するものであります。すなわち日本政府はこの流血事件をひき起こした犯人をただちに懲罰し、華僑の一切の合法的権利と正当な権益を保護すべきであります。
(三月六日の真相報告会における演説の要旨)
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わたしは目撃した |
日本人女子 学生の手記 |
◇◇◇「日共」の中国人学生襲撃現場から◇◇◇
三月二日、善隣学生会館の「日共」暴徒による中国人学生襲撃事件の現場に居あわせた中国語研修学校学生はそのときのもようを以下のように語って「日共」への激しい怒りを訴えている。これらの手記は「赤旗」の記事が全く事実に反していることを証明している。
窓から凶器を差し入れ |
人間性忘れた若者に驚く |
東京 R子 |
私たちが到着した三十分後、とつぜんニセ「日中友好協会」の人たちが騒ぎ出し、入口から出てきてスクラムを組みスローガンを叫び出した。
これに対抗して私たちもスクラムをくみ、たがいに押し合っているうちに乱闘となった。その間、私たちは玄関も守らなければならなかったが、危険になったのでバリケードを作った。そして彼らがやっと静かになると最先端にいた人びとは、みな頭から真っ白、一人の女性は消化剤のために酔ってフラフラになっていた。みなそのままにしておくと目を痛めるので、急いで水道で顔や目、頭を洗った。ニセ「日中」の入口にも守備のためバリケードを作った。
その後、彼らを応援に来ていた外部の人たちは、彼らにヘルメット、コン棒、五寸釘を打ちつけた一米あまりのバット状の棒、角材はては手袋まで窓から差し入れた。
警官はこれを黙ってみていた。そしてかれらは、これで身をかため、再び騒ぎ出し、バリケードはだんだんと崩されていった。私たちはそれを防ぐために四階に椅子を取りに行った時、顔面赤インクでもかぶせられたように、身を支えながら負傷者が入って来た。よく見ると、その人は同級生の一人ではないか。驚いて看護室に入ると、その中にもう一人仲間が頭を割られ、血に顔をそめて意識不明のまま倒れており、手当てをうけていた。看護にあたっている女性の手も、五本の指の間から血が幾筋ともなって流れ、こびりついている。
すでに二人が救急車で運ばれたのに続き、いままた四人の重傷者を出し、計六人の応急手当を扱って救急車で運ばれ、私たちが会館を離れたのは六時半頃だった。私は飯田橋から新宿に向って中央線に乗った。私に続いて背の高い、体格のよい男性と中背の男性が乗ってきた。そして私はここで次のような話を聞いたのである。
かれらはちょうど当会館の闘争に参加した帰りであった。かれらは、一度なぐられて倒れたものを、逃がさずに集中して襲いかかり、めった打ちにしてさっさと逃げてしまったのだ。かれらはこの闘争をまるでスポーツか遊びのように考えている。私たちの学友が二人までもかれらの手で頭を割られ、血だらけになって病院に運びこまれたことを、かれらはどのように考えているのかと、私はつくづくとかれら二人の顔を見つめてしまった。なんと情ない人たちだろう!あなた方がいま、この電車の中でさもおもしろそうに語っているいまでも、私たちの同級生二人は一秒一秒を苦しみにたえているのだ。あなた方は、ヘルメット、コン棒、その他によって素手の私達に襲いかかったのだ。この事実をどう捉えているのだろうか。
初めて見た恐ろしい場面 |
憤りにことばも出ず |
東京 T子 |
三月二日午後四時十分、ちょうど私が帰ろうとして時計を見た時だった。警察の責任者を入れて話し合いをすすめるとのことで警戒の手を抜いた私たちは、突然ニセ「日中」の方に築いていた机と椅子のバリケードの上に白のヘルメットと角材をもった若者の姿を見た。その数はみるみるうちに増して私たち武器を持たないものをなぐり出した。私はこんな場面は生まれてはじめて見ることで、瞬間どうすればよいのか……とても恐ろしかった。
かれらは何かを叫びつつなぐりつけている。何の武器もない私達の側は、こうなれば逃げる以外にみちはなく後退した。
かれらの暴行が始まってまもなく、私は同級生のAさんが血まみれの顔でふらふらと支えられてくるのに出会った。私は職業意識(看護婦)からすぐそれに同行して看護室に指定されている三階へ跳び上がって行った。早速、先生(華僑の医者)に看護婦であることを申し出て救急処置にあたった。そのあと一人また一人と負傷者は続いた。みな後頭部を割られている骨髄に達する裂傷でいずれも長さ八〜九センチはある。また一人の同級生Bさんは連れて来られるとそのまま意識を失ってしまった。
私は憤りでことばもでなかった。
真相報告会開く |
各界著名士が決意表明 |
善隣学生会館でおこった日共反中国暴徒による中国人学生襲撃事件の真相報告会が三月六日午後二時から東京都市センターホールでひらかれた。会は、国際貿易促進協会、日中文化交流協会、日中友好協会(正統)本部の三団体の主催でおこなわれ、政界、文化界、スポーツ界、経済界、労働組合関係などの著名人二百五十人が出席した。会は前半を日中友好協会正統本部理事長宮崎世民氏、後半をアジア・アフリカ人民連帯日本委員会理事長坂本徳松氏の司会ですすめられ、まず最初に日中友好協会正統本部常任理事長谷川敏三氏、善隣学生会館後楽寮自治会石信明氏、華僑総会陳文貴氏が事件の経過を報告。つづいて各界の代表がこもごも立って日共反中国暴徒による暴行に激しく抗議し、闘う決意を表明した。
各単産に真相を訴える |
総評副議長 兼田富太郎 |
総評には六十四単産、四百六十万人の労働者が組織されている。これらの組合はぜんぶいままで日中友好の旗をかかげている。しかし日共代々木派は変色し、日中友好の旗をおろしてしまった。
このたび一番おどろくのは「中国人出て行け」という反中国統一行動を安保破棄・諸要求貫徹中央実行委員会の名でおこなったことだ。われわれはいままで日共とも統一行動をくんで来た。しかし、反中国の旗のもとにかれらと統一行動をくんだことはかってないし今後もぜったいにくんでゆくことはできない。
日中友好協会(正統)本部の出している“日本と中国”を単産に配布し、労働者が反中国と闘うことに力を注ぎたい。
怒りをもち日共に抗議 京都大学教授 井上清 |
日本共産の反中国は国際的陰謀 |
自民党議員 宇都宮徳馬 |
日共の暴力団が日本に住む中国人学生に暴行を加えたことはまことに遺憾にたえない。とくにその暴行が日共の指揮のもとに行われたとは、奇っ怪至極であるというほかない。日本のなかで、圧倒的な力の相違のもとにかれらが暴行を加えたのは卑きょうをきわめている。中国に対する国際的逆宣伝の高まりを背景にして日共がこのような暴挙に出たことはまったく悪質で卑劣きわまる。わたしは現在の反中国宣伝に怒りを覚えるものであるが、日共はこのような国際的逆宣伝の高まりがあってこそ、このたびの卑きょうな行動に出る勇気をもったのだと考えるものである。
日本と中国の問題は理窟の問題でなく、魂の問題である。日共は日中両国の友情を魂のものとしてつかんでいないからこのような問題を犯したのである。
わたくしは政府与党の代議士であるが、華僑の方にたいし、一部の日本人がこのような暴挙をおこなったことにたいし謝罪する。同時に政府を督励し、全力をあげて華僑の合法的権利をまもるようにさせるから安心していただきたい。
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(日本と中国1967年3月13日第2面)