日中出版刊「中国研究」80号(1977年3・4月合併号)の「日中友好協会本部襲撃事件の経過(一九六六年九月〜一九六七年三月三十一日)」は、この事件の経過を時系列に細かくつづっています。いままで、日本共産党側の資料と、華僑学生側の資料で、確認できていなかった対応関係は、この経過表を照合することで、ほぼつき合わせることができるようになったと思います。たとえば、後楽寮自治会が貼り出した壁新聞の内容についての一記述「本館(善隣学生会館)は中日友好と文化交流を目的にしており、中日友好を妨害するものが、この会館にいることはまったく道理に反している」は、光岡玄氏の論文「善隣学生会館流血事件の意味するもの」の「本館は中日友好と文化交流を目的にしており、中日友好を妨害するものが、この会館にいることは道理に反する」という紹介とほぼ正確に対応しています。今後、反日共側の経過表と照らし合わせ、双方の資料を比較し、あるいは同じ立場に立った複数の資料間で矛盾がないかどうかを検証することで、事実に近いものが浮かび上がってくるのではないかと期待します。

 ところで、個人名についてですが、この経過表でも西村郁子さんなどの個人名が、実名で記述されています。このホームページでは、これまで、資料によって、実名をイニシャルに置き換えるような処理をしていましたが、当時の資料で何度も実名が出ているのをイニシャルなどに置き換えるのも合理的でないように思えるし、また事件が30年以上も前のことであることなどから、そのような資料の修正は一切行わないことにしました。この観点から、これまで実名部分を伏せていた資料については、原資料の状態に戻すことにします。

2002年4月6日 猛獣文士

日中友好協会本部襲撃事件の経過
(一九六六年九月〜六七年三月三十一日)


◇ 一九六六年

九月二十六日 ○「内外の危機に際し再び国民に訴える」とのいわゆる「三十二氏の声明」が発表される。

九月二十八日 ○柏木日中友好協会福岡県連副会長は記者会見で小林重光同県連事務局長、梶原允同理事長らを「悪質幹部」として「追放」したという「声明」を発表。

 ○趙安博中日友好協会秘書長は訪中経済友好視察団にたいして「現在の日中友好協会のなかの一部は、反中国である」と語る。

九月三十日 ○廖承志事務所主催の中華人民共和国創立十七周年記念レセプショ<ンで孫平化同事務所東京駐在首席代表は「日中友好がこれまで発展したのも毛沢東思想の<みちびきによる」と語る。

十月三日 ○北京での中日友好協会創立三周年記念レセプションで廖承志同会長は演説し、その中で、「中日友好を破壊する分子を足げにし、けとばしてしまえ」とのべる。

十月五日 ○「三十二氏の声明」を支持する「中国各界、各大衆団体代表五十二氏の声明」北京で発表。

 ○日中友好協会福岡県連合会声明「日中友好協会福岡県連合にたいする悪質な分裂策動を断固粉砕しよう」

 ○日中友好協会東京連合会第四回常任理事会、「統一と団結を守り、日中友好運動を発展させる決議」を発表

 ○『赤旗』主張「日中友好協会をめぐる分裂策動を粉砕し、組織の統一を守ろう」

 ○北京で中日友好促進の大集会で廖承志中日友好協会会長は「最近、一部の人たちは、口先では中日友好をとなえながら、行動のうえでは、米帝国主義、ソ連現代修正主義、日本反動派とグルになって、中日友好にやっきになって反対している。これらの人びとは、実際には中日友好に反対する隊列に参加している」とのべた。

十月十二日 ○日中友好協会と中日友好協会北京で「共同声明」調印

十月二十日 ○『人民日報』、「中日友好協会の各地の指導者は、日中両国の友好協会の共同声明を熱烈に歓迎している」として、「一切の障碍をとりのぞき、日中友好運動は大きな発展をとげるだろう」と報道。

十月二十三日 ○『赤旗』主張「日中友好運動と日中友好協会の分裂に反対し、その統一と団結を守りぬこう」

十月二十四日 ○『赤旗』主張「真の国際友好とはなにか、だれがこれを阻害しているか」

十月二十五日 ○日中友好協会第十三回常任理事会。会議なかばで「共同声明を支持できないものとは一緒にできない」と、黒田寿男副会長、宮崎世民理事長、三好一事務局長ら脱走。

 ○黒田、宮崎、三好ら記者会見し、「妨害者と完全に関係を断絶し、新組織をつくる。事務所はすでに東京新宿のみよしビルに用意してある」と。さらに今後「日中友好協会(正統)本部」と名のることを公表。

十月二十六日 ○第四回全国理事会で「統一と団結の決議」を満場一致決定。

 ○脱走派〔日中友好協会(正統)本部〕、「理事(正統)懇談会、今後の方針を決定」

十月二十七日 ○中日友好協会趙安博秘書長脱走派を「断固支持」すると声明。

十月三十一日 ○『人民日報』「日中友好を破壊するものはだれであろうとはきすてられる」と報道。

十一月二日 ○『人民日報』論評「中日人民の友好の勢いを押し止めることはできない」

十一月初め ○善隣学生会館内に壁新聞(大字報)出現。趙安博中日友好協会秘書長電報など。

十一月二十一日 ○和田一夫日中友好協会事務局長談話「統一と団結の旗をかかげ分裂策動を粉砕しましょう」

十一月下旬日 ○華僑学生、善隣学生会館内に壁新聞「本館(善隣学生会館)は中日友好と文化交流を目的にしており、中日友好を妨害するものが、この会館にいることはまったく道理に反している」

◇ 一九六七年

一月一日 ○「日中友好新聞」論評で「いわゆる(正統派)は日中友好運動の破壊者である。

一月十日 ○「共同声明」に調印した日中友好協会代表団の一員であった橋本信一氏「『共同声明』の調印は誤りであった」という手記を公表。

一月中旬 ○華僑学生の壁新聞、善隣学生会館内に大量に貼り出される。その一部、「妨害『日中友好』とっとと立ち去れ、反中国宮本集団の出先機関すぐ出ろ、三誌を読まない日中友好協会の者ども、友好の意味を知れ」「字引で『友好』という意味を引いてみろ」「反中国分子の犬の頭をたたき割れ!!」「ニセ日中出ていけ」

一月十六日 ○善隣学生会館の日中友好協会本部事務所内で「日中関係労働者のつどい」にたいして、協会入口の壁にも日中友好協会を誹謗する壁新聞。「つどい案内」の矢印を逆の方向へ向けるなどの妨害。

一月十八日 ○在日華僑発行の中国語新聞「大地報」、善隣学生会館の後楽寮の華僑学生がはり出した壁新聞「(日中友好協会を)きっと会館内からたたき出さなければならない」を賞賛する記事

一月二十五日 ○日中友好協会(正統)内部で宮崎、三好らの官僚主義を批判し、彼らを「実権派」と攻撃する「造反団」誕生

一月二十九日 ○「長周新聞」前掲「大地報」を転載。

一月三十日 ○日中友好協会脱走分子ら二十人、擬装解散、不当解雇反対闘争中の日中貿易促進会労働組合事務所を襲う。

一月三十一日 ○対外盲従分子、日中友好協会脱走分子ら六十人、前日に続き日中貿促労組事務所を襲う。

 ○第二組合の対外盲従分子ら二十人、不当解雇反対闘争中の亜細亜通信労組員に暴力をふるう。

二月一日 ○「造反団ニュース」第一号発行。このなかで、華僑学生は善隣学生会館内の日中友好協会本部事務所"奪還"を掲げている。「君たち(正統本部)は何をしているのか。大胆に会員と人民大衆に訴え、奪還闘争の先頭になぜ立てないのか」と主張。

二月五日 ○華僑学生ら新たな壁新聞。「ニセ日中は出ていけ」「宮本修正主義はアメ帝ジョンソンとソ修コスイギン・日本反動と手をむすんで反中国活動に血なまこになっている」

 ○(正統)支部の倉石班、同日中学院支部が、日中友好協会を誹謗するビラをまく。

二月十日 ○劇団「はぐるま座」の「紅衛兵」「造反団」を自称する対外盲従分子ら十一名、同劇団争議事務所を襲撃、争議団員を暴行。

二月十五日 ○対外盲従分子十五人、日中貿易事務所を襲撃。

二月二十二日 ○対外盲従分子、亜細亜通信労組員を襲い、暴行

二月二十四日 ○日中友好協会会議室で中国映画(「農奴」)鑑賞会開かれる。この入口に華僑学生が「中国人入るべからず」の壁新聞をはっているところを、協会員が発見、追及したところ、「いわれてやった」と述べる。

 ○華僑学生ら「本会館を反中国の目的に使うな!」「日中友好の旗を掲げて日中友好に反対する破壊分子は出て行け!」などのスローガンをはり出す。

二月二十六日 ○日中友好協会第十六回全国大会が東京千代田公会堂で開かる。

 ○華僑学生十数人が同大会に「抗議文」をもって押しかける。また同抗議文を壁新聞にして善隣学生会館にはり出す。

二月二十八日 ○午後十位時すぎ、華僑学生十数人が善隣会館一階の日中友好協会におしよせ、壁新聞を協会の事務局員がはがしたと因縁をつけドアをたたき、こじあけ、事務局内におし入ろうとし、残務整理でいあわせた五人の事務局員が必死で侵入を防ぐ。午前一時すぎには華僑総会の勤務員も姿を現し再び侵入をはかり、協会員がこれを撃退。しかし十人ほどでストーブ、イスをもちだし、翌朝まで玄関ホールにすわりこんで便所にいくにも監視し、午後二時頃には、交通妨害の写真をとろうとした会員を多数で襲い写真機をこわした。

三月一日 ○日中友好協会声明「真の友好を破壊する暴挙は断じて許せぬ

 ○午前十時すぎ、華僑学生らは日中友好協会に「われわれはいのちをかけてたたかい、きみたちを会館からかならず追い出す」という脅迫電話。午後六時すぎ、日中友好協会の脱走分子、華僑学生、華僑などおよそ百人が善隣学生会館玄関ホールで「決起集会」をひらき再び日中友好協会を襲撃。

 暴徒となったかれらは事務室の電源を切り、丸太や鉄棒で事務所に長時間はげしい攻撃をかける。この間、都内の会員、労組員、学生、民青同盟員が数百人会館のまわりに支援につめかけた。警視庁の機動隊が出動したが会館内華僑学生の暴行を目の前に、支援隊を解散させるために実力を行使しようとした。

三月二日 ○朝七時ごろ、かれらは再び協会事務所に襲いかかり、防衛にあたっていた会員たちになぐる、ける、水をかけるの暴行をはたらく。七時二十分ごろ便所に行こうとした森下常任理事に襲いかかり、全治三週間の重傷を負わせる。こうして協会事務局は完全に監禁状態になる。

 午後二時ごろ、弁当の差し入れを要求して事務所入口の廊下に集まった会員や支援労組員らに再び襲いかかり、ホースで水をかけ、棒で殴りかかり、ついには日中学院教室などからベンチ、ついたてなどを持ちだし、事務所入口前の廊下に長いバリケードをきずき、事務所はまったく封鎖される。

 これに対して支援隊は、午後四時前、暴徒のきずいたバリケードを撤去し、協会から玄関、便所への通行を確保した。

 東京地裁は「日中友好協会の占有使用妨害排除」の仮処分を決定。

三月三日 ○全学連中央執行委員会声明「日中友好協会を支援する。華僑学生らの許せない侮辱と挑戦」

 ○日中友好協会(正統)本部声明「善隣学生会館における反中国暴力団の狂暴なテロ行為についての声明

三月四日 ○安保破棄諸要求貫徹中央実行委員会主催「日中友好協会支援、日本の民主運動に対する暴力と不当干渉抗議、対外盲従分子粉砕全都集会」三千五百人集まる。

 ○同集会で「日本国民の皆さんに訴える」「中国留日学生後楽寮自治会にたいする抗議文」などの決議採択。

 ○同集会で全日自労など三十三団体が「日中友好協会を暴力と不当干渉から守る共闘連絡会議(略称「日中支援共闘」)を結成。

 ○『赤旗』主張「暴力による攻撃にたいしては、毅然として正当防衛権を行使し、日本の民主運動を徹底的にまもろう」

 ○東京地裁、善隣学生会館を使用している日中友好協会本部の占有使用を妨害してはならないという仮処分。

 ○日本民主青年同盟中央常任委員会声明「在日華僑学生と対外盲従分子などの暴力行為を粉砕しよう」

 ○日本A・A連帯委員会第三回全国理事会決議「日中友好協会にたいする一部在日華僑学生と盲従主義者の暴力行為排除のたたかいを全面的に支持し、激励する」

三月五日 ○華僑学生は会館玄関にはり出した等身大の毛沢東肖像のそばで毛沢東語録を唱和し、事務局員の田中則雄氏に白ペンキをなげつけるなど挑発。

 ○日中友好協会声明「デマと中傷によって真実をおおいかくすことはできない」

三月六日 ○善隣学生会館内に事務所をもつ二十商社、壁新聞などの撤去を同会館理事会に要請。http://maoist.netfirms.com/jpn/ajcp003.htm

 ○善隣学生会館襲撃事件真相報告の集い「反中国暴行を糾弾する決議」

三月七日 ○中日友好協会声明「日共修正主義の反中国暴行のなかで負傷した日本の戦友の皆さんへ」

三月八日 ○午後十時二十分ごろ、会員の原田宏威と民青同盟員川原崎剛氏ら三人にたいして、十数人の覆面をした暴力団が襲撃。

 ○北京放送、善隣学生会館事件についての論評

三月九日 ○橋爪利次日中友好協会事務局長は、協会本部で記者会見をおこない、公然と暴力が加えられた経過と、在日華僑学生と対外盲従分子が本部を襲撃したさいに用いた凶器(五十六物件、百六十三点)をはじめて公開。

三月十一日 ○『赤旗』主張「在日華僑学生らの暴行は依然としてやまず、かれらはいっそう大がかりな襲撃の機会をねらっている」

 ○『人民日報』「日本共産党修正主義分子の反中国の暴行に厳重に抗議する」

 ○日中学院(倉石武四郎院長)学生は三日間にわたる全学討議のうえ、十一日文京区湯島聖堂で学生自治会緊急集会を開き、教室占拠をやめよという声明を発表

三月十三日 ○東京地裁は、財団法人善隣学生会館(守島伍郎理事長)と中国留日学生後楽寮自治会(邱獅君委員長)にたいし、同会館内の日中友好協会本部が賃貸契約を結んで使用している二階会議室、二階と地階の倉庫の占有使用を妨害してはならないという仮処分を出す。

 ○文化界三十五氏の声明「驚きと憤激にたえない、世論により裁け

三月十五日 ○日中友好協会は、在日華僑学生らが公共の場所に挑発してかかげているポスター、カベ新聞、横幕などの撤去を、守島伍郎会館理事長に要求。

 ○「三十五人の声明」に名をつらねている東山千栄子さんは「私はこの『声明』なるものについては全然関知していません」と言明

 ○『赤旗』無署名論文「在日華僑学生らの襲撃事件について、北京放送などのわが党と日中友好運動にたいする攻撃に反論する

 ○国家公務員労働組合共闘会議(略称国交(ママ)共闘)評議会、「日中友好協会激励」の決議。

三月十八日 ○午後十時、華僑学生らは会館を出ようとしていた日中本部の柳瀬宣久、西村郁子両氏を捕え約二時間監禁状態におき殴るけるの暴行。柳瀬氏は全治一週間、西村氏は手と足に軽傷。

三月十九日 ○全学連第七回中央委員会が代表を派遣、協会への激励と、善隣学生会館理事会、中国留日学生後楽寮自治会とにたいする要請、抗議行動をおこす。

 ○『赤旗』無署名論文「『人民日報』その他のわが党にたいする不当な攻撃・干渉に反対する」。

 ○日中友好協会(正統)本部声明で共産党を「日中関係の断絶を企む」と攻撃。

三月二十日 ○日中友好協会支援共闘会議は、二十五日に二回集会をひらくことを決め支援資金として三百万円募金をよびかけることを決定。

三月二十一日 ○日本民主主義文学同盟第二回大会決議「日本の民主運動と文化運動の自主性を守ろう」

三月二十二日 ○午前零時三十分ごろ華僑学生らは、本部事務局員大内田武志氏らを襲撃。大内田氏の後頭部をなぐり足をけとばすなどの暴行をはたらく。協会本部は警察官の眼の前で行われたこの行為にたいして、会館事務局と、警備にあたっている富坂署の現場責任者に厳重に抗議。

三月二十五日 ○自由法曹団現地調査。

 ○「外国の不当干渉と暴力から日中友好協会を守る全都集会」二千二百人集まる。

 ○「日共反中国暴力団の中国人学生襲撃事件を糾弾し、日中関係断絶の陰謀を粉砕する中央決起集会」三百数十名。

 ○日中友好協会のそれまで妨害されつづけてきた地下の倉庫に事務用品をとりにいこうとしたところ、華僑学生ら通行を暴力で阻止。二人負傷。

三月二十八日 ○午後十時、華僑学生ら七十余名が日中友好協会本部入口に押しかける。

(日中出版「1977年3・4月合併号中国研究80号」71ページ)

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