2004年11月9日、36歳のアイリス・チャンの死体が発見された。中国系アメリカ人の女性ジャーナリストで著述家の彼女は、日中戦争における南京大虐殺事件をあつかった初めての英語の系統的な書物である"The Rape of Nanking: The Forgotten Holocaust of World War II"の著者として、日本でも知られている。

四トロ同窓会三次会という掲示板で、私は大石英司という作家が、次のようなを自らのホームページに掲載していることを知った。

※ 「レイプ・オブ・ナンキン」の著者、自殺か

 私、鬼じゃありません(~_~;)。そう礼儀知らずでもないつもりですが、アラファトの死に関しては、日本人の税金でたんまりと貯め込んだ男が晩節を汚して死んだという印象しかないし、アイリス・チャンが死んだという第一報に接した時は、疲れもふっ飛び、とても晴れやかな気分になったことは白状せざるを得ない。

 この記事を四トロ同窓会の掲示板で紹介した人物によると、「大石英司氏とは時々酒を酌み交わすが、時事問題でもとてもバランス感覚のある持ち主であり、美味い酒が飲める相手でもある(^^;」という。私には、このような記事を公表する大石という人物が、酒をうまくするかどうかは別にして、時事問題でバランス感覚があるとは思えなかったが、何よりもこの嘲笑的な書き込みは私を深く憤慨させ、また落胆させ、傷つけた。私にはアイリス・チャンとの面識など、人的なつながりは皆無であるが、彼女の著作が日本における南京大虐殺の論争に一石を投じ、日本の「まぼろし派」が彼女を反論の標的にしていることは知っていた。しかし、大西という人物の上記の感想は、そのような論争の経過からは類推できない性質のものである。

 不思議なことに、アメリカでベストセラーになったという彼女の著作は日本では翻訳が出版されず、その著作の「誤り」を指摘するという文献が出版され、ネット上にも氾濫しているようである。私は、彼女の研究が完全に正しいかどうかは分からないし、些細な幾つかの誤りを含んでいる可能性も考慮していた。しかし、この著作がまったく価値のないものであると思い込みたがっているかのような多数の日本の識者の態度には、薄気味の悪さを感じる。

 そもそも、日本における南京大虐殺論争とはどのようなものなのか、私はチャンの著書を読み返し、その目から見た日本の論争により、それを整理することができた。とともに、これを私のホームページで引用し、公開することで、私なりのアイリスチャン氏への追悼としたい。以下に紹介するのは、同書の第三部10章"The Forgotten Holocaust:Second Rape"の一節"Debates on the Nanking Massacre"の拙訳である。

2004年11月21日 猛獣文士


南京大虐殺をめぐる論争

 南京大虐殺に関する書物を著した勇気ある日本人は、しばしば容赦ない攻撃に向き合いことになる。洞富雄と本多勝一の例を挙げてみよう。早稲田大学の日本史の教授である洞富雄は1966年に中国における日本のおこなった虐殺を調査するために中国を訪れた。後に彼は、南京大虐殺に関する彼の研究を数冊の著作にして出版した。朝日新聞社の著名なジャーナリストだった本多勝一は、1970年代と1980年代に中国本土に行って南京大虐殺の生存者にインタビューし、日本の出版界で南京大虐殺を議論するというタブーを破った。最初、彼の調査は朝日新聞に連載され、後に増補されて一冊の書物になった。洞および本多はいずれも、日本軍の兵士は1937年から1938年にかけて三十万人前後の人々を殺害したという結論に達した。

 両者はいずれも、日本で強暴な反動にさらされた。洞と本多に対するもっとも激しい批判者の一人は超保守派の論客鈴木明で、彼は「南京大虐殺のまぼろし」と称する論文によって二人の調査に挑戦した。本多や洞の書物のいくつかの部分は捏造であり、南京大虐殺を実証する基本的な資料が存在しないから、南京大虐殺は「まぼろし」であると、鈴木は主張した。彼の論文をもとにして出版された本は、文芸春秋ノンフィクション賞を受賞し、文芸批評家は彼の「すぐれた勇気」を絶賛した。洞が鈴木に対する反論を連載するやいなや、日本の幾人かの有名な著述家が鈴木を擁護すべく立ち上がった。

 もう一人の論者は松井石根の庇護を受けた(protege)と自称する田中正明である。1984年に彼は本多に対抗するために、松井の陣中日記を資料とした「南京大虐殺の虚構」という本を出版した。田中は、本多を「敵のプロパガンダ」を吹聴したと非難し、ヨーロッパや中国とは異なり、「日本の全歴史において、計画的、組織的な殺人の例を見つけることはできない」と主張した。その理由は、彼によれば、日本人が西欧人や中国人とは異なる価値観をもっているからである。多くの歴史修正論者が田中の後に殺到し、本多と洞への攻撃に参加した。田中よりも前に同様の本を書いていた右翼の論客渡部昇一も、本多は「日本軍の士官や当時の人々だけでなく、子々孫々までのすべての日本人に対して罪がある」と喝破した。

 やがて、二つの陣営間での激しい論争が沸き起こった。一方の陣営は洞、本多およびその支持者からなるリベラルな「虐殺派」で、もう一方は鈴木と田中が率いる保守の「まぼろし派」である。リベラル陣営はその調査結果を朝日新聞やその他の雑誌に公表し、保守派は文芸春秋、諸君!、正論といった右翼的な出版物に寄稿した。リベラル派は日本政府に中国での戦争犯罪の謝罪を要求したが、保守派はそのような謝罪は兵士たちへの侮辱であり、外国の日本への内政干渉であると考えた。

 皮肉なことに、歴史修正論者が南京大虐殺を否定するために、「虐殺派」に対する反証として始めた調査の資料が、彼ら自身の議論を反駁することになった。たとえば、1980年代に旧陸軍将校の親睦・研究団体である偕行社は、南京大虐殺を否定するため、一万八千人の会員に証言を求めた。結果は「まぼろし派」を狼狽させるものであり、多くの偕行社の会員は南京大虐殺の詳細を確認し、虐殺の内容を証言したが、それは日本の強硬な保守論者でもぞっとするようなものであった。松井の配下にいた一人の将校は、参謀将校の命令による捕虜の殺害を120,000人前後と見積もった。しかし、後に彼はそれを「数万人を下らない」という数に変更した。これが圧力を受けてのものであることは疑問の余地がない。しかし、その証言はこの調査の本来の目的を無効にし、偕行社の雑誌の連載のまとめの部分で、編集者は「この大量の不法処理には弁解の言葉はない。旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫(わ)びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった」と書いた。

 しかし、やがてさらに驚くべき事件が起こった。1985年、大衆歴史雑誌「歴史と人物」は、新たに刊行された松井の陣中日記に九百箇所もの誤りがあるのを発見した。そのほとんどは、一次資料への意図的な改竄であり、この露見は日本中の歴史家を憤慨させた。それ以上に驚くべきことは、それらの改竄を行なった人物が、歴史の歪曲について強固な批判を論じていた田中正明その人であったことである。

(Iris Chang "The Rape of Nanking", Penguine Books, 1998, pp.211-213, First published in the United States of America by Basic Books, a subsidiary of Perseus Books, L.L.C. 1997)

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