「外部勢力による干渉と暴行は許せない」は、1967年3月30日付けで発行された日中友好協会(日共系)のパンフレットです。現在では、なかなか入手困難となっているこのパンフレットを、見つけて譲っていただいた日中友好協会(社団法人でないほう)の方に、再度、感謝の意を表します。

 さて、このパンフレットは、日本共産党や日本共産党系の「民主団体」の「中国覇権主義」とのたたかいに関して言及している文献としては、もっとも古いものの一つと思われ、このパンフレットのなかに書かれている挿話のいくつかは、ずっと新しい同様の文献にも踏襲して語られつづけています。それには、たとえば、「ガラス一枚一万トン」のエピソードがあります。

 逆に、日中友好裏面史などで橋爪利次氏が語っている、正統本部へ去ったメンバーが一千万円の協会資金を持ち去ったという話は、このパンフレットでは触れられておらず、当時の協会が多額の負債を抱えていたという一見矛盾しているとも思える記述があります。

 このパンフレットで、私の興味を引く部分の一つは、2月28日から3月2日にかけて、日中友好協会(日共系)の事務局員が監禁されたかどうかという論争での主な論点である、事務所の裏口が封鎖されていたかどうかという問題について、裏口にさまざまな器物が置かれていて通行不能な状態になっているという3月28日付けの写真が掲載されている点です。この写真と、日中友好協会(正統)の機関紙「日本と中国」の4月3日号に掲載されている、3月1日時点で、日中友好協会(日共系)の関係者が裏口の通路にいる写真とを、どのように対照させればいいのでしょうか。今後の、調査の重要なポイントになると思われます。

2001年7月23日 猛獣文士

外部勢力による干渉と暴行は許せない
−日中友好協会本部襲撃事件の真相−


目  次
一、はじめに
一、組織的計画的なぐり込み
一、日中友好協会は反中国か
一、金に糸目はつけない
一、強盗の論理
一、警察はだれの見方か
一、孤立する無法者
一、ひろがる支援、真の日中友好へ
一、日誌


はじめに

 二月二十八日から三月二日にかけて、東京都文京区にある善隣学生会館で、華僑学生や日中友好協会を脱走した者たちが、日中友好協会を襲撃するという事件がおきました。

 かれらは日中友好協会の方が計画的組織的に華僑学生を襲ったといい、ショッキングな写真を使って大規模な宣伝を全国的にくりひろげています。

 事実はいったいどうなのでしょう。

 この事件はまず会館の三、四階にすむ華僑学生が去年の十一月から準備をすすめ、日中友好協会本部の事務所と文化資材を暴力で強奪するため、一階にある日中友好協会に対して不法監禁、暴行・傷害、器物破損などの犯罪行為をほしいままにしたものです。これに対して日中友好協会の側は事務所と財産をまもり、また監禁された人びとの生命と身体の安全をまもるために、自分たちの事務所の入口で正当防衛の権利にもとづいて、かれらの強盗行為を断固として撃退しました。

 この事件の本質は、外国勢力とこれに結びついた日本の対外盲従分子が暴力によって日本の民主勢力を破壊しようとしたものであり、かれらの直接のねらいは日中友好協会の事務所と財産を強奪することにありました。

 日中友好協会はこの問題を日本の全民主勢力の問題として、皆さんとともにたたかい、この攻撃を徹底的に粉砕します。皆さんのご支援をお願いいたします。


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組織的計画的なぐり込み

 華僑学生たちの言葉によると「日共修正主義グループ」なるものが、学生たちに反中国の暴行を加えたといっています。これは全くサギをカラスといいくるめようとするものです。

 事実は、会館の三階と四階に住む華僑学生たちが、一階の廊下の奥にある日中友好協会の事務所へおしかけて暴行をはたらいたのです。

 まず二月二十八日夜十一時ごろ、十数名の学生が協会事務所におしかけ、正面玄関にはってあるかれらの壁新聞が風に吹かれて破れていたのに、協会の事務局員が破ったと、街の暴力団そのままのいんねんをつけて、五人しかいない事務局員を脅迫しました。

 翌一日には前夜のいざこざで協会事務局員が学生をなぐったといいがかりをつけ、午後六時から一階の玄関ホールで百数十名の「抗議集会」を開いて協会におしかけ、ドアのかぎをこわし、ドアの外にある電源スイッチを切ってまっくらにし、裏口のドアのガラスを破り、婦人も含む事務局員をまる一日、不法監禁して、食事もできず、便所にもいけない状態にし、脅迫をつづけたのです。

 二日の朝は正面玄関から協会事務所に行こうとした数名の支援の人たちにおそいかかり、また一人で便所に行こうとした協会の森下常任理事を玄関ホールで十数名がよってたかって暴行し、三週間の重傷を負わせました。

 二日の午後にはかれらは正面玄関のドアの内側と協会のドアの外側に厳重なバリケードをきずいて、一方では支援の人たちをさえぎりながら、協会事務局の不法監禁をますます強化したのです。かれらは玄関のバリケードに近づく人には水をあびせ、協会入口のバリケードからは棍棒、竹ヤリ、鉄棒などで協会員をなぐりつけ、椅子をぶつけ、ホースで水をあびせ、さらにバリケードを排除しようとする人びとに対して、長さ十メートル、切り口の直径ニ十数センチもある建築足場用の丸太を数人でかかえて突撃してきました。このような凶器じみた攻撃に対して、協会の人びとは自分たちの入口で断固として防衛し、正当防衛の権利にもとづいてかれらを撃退したのです。

 かれらは協会の人びとが「鉄兜」をかぶって素手の華僑学生をおそったといっていますが、これはかれらがバリケードの上から鉄棒や竹竿で頭をなぐるので、ヘルメットをかぶったものであり、華僑学生たちが素手であったかどうかは写真をご覧いただきましょう。


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日中友好協会は「反中国」か

 華僑学生が壁新聞やパンフレットで協会を攻撃しているおもないい分は、協会が中国のプロレタリア文化大革命を支持せず、「偉大な指導者毛沢東主席と無敵の毛沢東思想を攻撃するなどさまざまな罪悪にみちた反中国活動をおこなってきた」というものです。

 しかし、かれらは協会の「反中国活動」なるものについて一つも具体的に指摘することができません。ただ「反中国」「非友好」ということばをくりかえすだけです。

 かれらが昨年十一月から、協会にたいして壁新聞によるあくどい攻撃をつづけてきたのに対して、協会は反論する当然の権利すらおさえて、事をあらだてないために、会館理事者側を通じて不当な壁新聞の撤去を求めただけで、こちらが対抗してビラや壁新聞をはるというようなおとな気ない真似はしなかったのです。

 また毛沢東思想を攻撃し、プロレタリア文化大革命に反対しているといっていますが、協会はいつそんなことをしたというのでしょうか、ぜひききたいものです。

 協会は思想・信条・政派の別をこえて、日中友好と日中国交回復をねがう人々があつまっている団体です。保守党の人びとも宗教家も実業家もいます。この人たちにプロレタリア文化大革命を支持せよ、毛沢東思想を活動の指針とせよというのは、日中友好協会の基本的な性格に反する行為です。協会は数万の会員が十七年にわたる実践のなかでうちたてた規約と運動方針にしたがって行動するのです。

 外国の人たちが日本の大衆団体である協会の方針や運動に口出しするのは明らかに干渉です。協会はこのような干渉をうけつけないと同時に、中国の国内問題について干渉にわたることのないよう慎重な態度をとってきたのです。


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金に糸目はつけない

 三月七日の夜九時すぎ、かれらが四〇〇万枚の新聞を作って各新聞への折込みをするという情報が入りました。その最初の部分はある折込広告者を通じて三〇万枚入れるということが分かり、協会役員は即座に行動を開始しました。その結果、都内に四〇〇万枚のデマ新聞を折込み配布するという計画が事実であるということがわかりましたが、各新聞社や折込広告社は一方に偏したチラシは規定に反するので折込みをしないということを自主的に決めました。

 この四〇〇万枚は印刷と折込料で二〇〇〇万円ちかくかかり、しかもこれが第一回で今後も何回か出すというのです。その内容は日中友好協会のことにはほとんどふれず「日共修正主義集団のテロ行為……」という露骨な反共文書です。こういったものを東京都知事選と全国一斉地方選挙に向けて数千万枚ばらまこうというのです。その金額は億と名のつくものでしょう。いったいどこからそんな金が出てくるのでしょうか。

 日中貿易促進運動の中心となって活動してきた日中貿易促進会という団体がありました。去年の八月のすえ、中国展の展覧団の中国人幹部が促進会の幹部を名ざしで攻撃して日本側の展覧会協力会事務局から排除するという暴挙を行なったのをきっかけに、促進会は加盟していた独占資本の手によって偽装解散されました。これに対して労働組合は退職金を要求して事務所にがんばってたたかいましたが、この事務所へ一月二十八日に突然なぐり込みがかけられました。その先頭に立ったのは日中友好協会の三代前の事務局長であった長谷川敏三です。かれらはまず電話線を切って外部との連絡ができないようにしてなぐり込みましたが、そのとき長谷川はドアのガラスを棍棒でたたきわり、暴行の先頭に立ちました。ところがそのあと何日もたたない新聞には、長谷川が社長をしている呉山貿易という会社が中国から製鉄用原料炭一万トンの輸入わりあてをもらったと発表されました。呉山貿易は従来原料炭などあつかったことはないのですが、その権利を大手商社にまわすだけで、三〇〇〜四〇〇万円の利益がころげ込むわけです。いま業界では「ガラス一枚一万トン」ということばがはやっています。

 数千万円あるいは億をこえる反共・分裂資金がどうして出てくるか、また貿易会社の幹部や脱走分子がなぜ目の色を変えて分裂と暴力行為に走りまわるか、大体想像がつくというものです。


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強盗の論理

 華僑学生が十一月から会館の事務所にはりだした壁新聞の内容は、協会を「反中国」ときめつけ、この会館から「とっとと出てうせろ」というものです。

 一方、一月には、日中友好協会を脱走した連中(かれらはおこがましくも「正統」派と称しています)のなかに「造反団」がうまれました。名まえまで中国そのままのこのグループは「造反団ニュース」を発行し、協会事務所と文化資材を強奪せよと次のように幹部をつきあげています。

 「……なぜ文化資材の貴重な武器を放棄したのか、……君たちは座視していて日中八億人民に顔向けができると思っているのか……。君たちが放棄した会館が、日中友好の妨害者に占拠され……在日華僑青年は、同会館をとりもどすために立上がっている。君たちは何をしているのか。大胆に会員と人民大衆に訴え、奪還闘争になぜ立てないのか……」

 もともと、協会を脱走した連中には、協会の事務所についてなんの発言権もありません。

 かれらは昨年十月二十五日の日中友好協会第十三回常任理事回の途中から脱走し、直ちに記者会見をして「残った者たちとはいっしょにやっていけない。きっぱりとたもとをわかつ。われわれは新組織をつくる。新事務所は新宿のみよしビルに用意してある」と発表し、かれらが計画的に協会と関係をたったことを明らかにしたのです。さらに、その後、事務所の契約、預金通帳、第三種郵便物などの名義はもとの事務局長三好一から和田一夫事務局長の名義に書き換えられました。これはかれらがもう協会には関係ないからと、印鑑を返したからです。もちろんかれらは協会がかかえている莫大な負債とも「きっぱりたもとをわかつ」つもりだったのですが、いずれにしても自ら協会と無関係であることを宣言したのです。だからこそ、かれらはバッジや旗まで、新らしい、別のものをつくったのです。

 また華僑学生はこの会館の所有者ではなく、財団法人善隣学生会館が家主さんなのです。

 かれらは法律的に見ても、日本の常識から考えても協会に事務所を出てゆけという資格も権利もありません。道理がないからこそ暴力で追い出そうとしたのです。

 壁新聞や造反団ニュースは、どちらがどちらを攻撃したかということの動かせない証拠です。相手方の正当防衛で負傷した強盗が被害者であって、生命・身体の安全と財産を守るために、正当防衛をつかったものが加害者であるという理くつは、絶対になりたちません。


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警察はだれの味方か

 華僑学生たちの出している宣伝物は協会が警察とぐるになったといっています。よくもこんな嘘がつけるものです。

 三月一日の夜、協会本部の事務局員が監禁されていることを知って支援にかけつけた人々は、警視庁の第五機動隊によって会館に近よることを妨害され、せっかく持って来た食物を入れるのにも学生や脱走分子によって正面玄関で妨害され、三十分近いおし問答の結果、やっと管理人を通じて入れるありさまでした。機動隊はこれを見ながら不法監禁を排除しようともせず、「会館内のことは民事に関することで、警察は関知しない」といい、逆に支援にあつまっている人びとに対して、「無届け集会」「道路交通法違反」で解散を命じ、さらに逮捕すると宣言して数百名で包囲するという行動をとったのです。そのとき、機動隊のうしろにいた華僑学生は「フレー、フレー、機動隊」と叫んでいました。

 二日の午後には支援の人びとが会館のすばにスクラムを組んでいるのをゴボウ抜きして解散させました。

 また、八日の夜十時ごろ、協会本部から二〇〇メートルほど離れたところを歩いていた三人の協会員たちが、覆面の男をまじえた十数名の暴漢におそわれ、一人が二週間の傷を負い、一人が華僑学生や脱走分子の本拠になっている会館内の倉石中国語講習会の101番教室に連れ込まれ三〇分間にわたってなぐる蹴るの暴行を受けましたが、このときも協会のほうからの強硬な要求にもかかわらず犯人をさがそうとはせず、二〇分もすぎてからやっと腰をあげ、さらに101番教室から暴行をうけた原田君が出てくると「犯人を目撃していないから現行犯で逮捕することはできない」といって逆に原田君を富坂署に連行して供述書をとろうとしました。

 警察が暴力で協会の事務所と財産を奪取しようとする強盗行為にたいして、しかるべき措置をとっていれば、今度の事件はずっと小さくてすんだのです。


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孤立する無法者

 東京地方裁判所は「日中友好協会事務所の占有使用の妨害排除」の仮処分申請を認め、事務所や便所への通行を実力で妨害してはならないという決定を三日と四日に、学生側と会館理事会へそれぞれ送達しました。

 また十三日には二階にある協会の会議室と倉庫および地下室への通行と使用を実力及びバリケードによって妨害してはならないという仮処分の決定が出されました。紛争が起こって以来、協会は正規の家賃を払って借りているこれらの倉庫や会議室へも行けず、ただ一階の事務所と便所の間を通行しているだけでした。これだけとってみても協会の側が学生を襲撃したなどということがどれほどインチキであるかよくわかります。

 なお、この仮処分に対しても三月十八日現在、学生たちは二階や地下への通行をバリケードで妨害し、協会としては倉庫がどうなっているか確認することさえできないのです。会館の理事たちは、協会から会議室や倉庫を見に行きたいから同行してほしいと申し入れると、「とてもあぶなくて行けません」というだけです。

 会館の外に「日共修正主義グループの殺人行為を糾弾する」などという横幕をはりめぐらし、玄関ホールから外にまで壁新聞をはり、正面に毛沢東の肖像をかざり、そのわきには共産党の宮本書記長の大きな似顔絵を描いてそれに「凶悪犯人」などと書き込んだこのうえない挑発行為をつづけ、さらに二階に事務所をもつ会社の社員やお客さんまで検問するというかれらのあくどいやりかたは、会館内で完全に孤立しています。

 会館二階の商社は会館理事会に外の横幕と中の壁新聞を直ちに撤去させ、また二階への上り口の検問所は三階にうつさせよと強く要求しています。


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ひろがる支援、真の日中友好へ

 「協会に対する攻撃は日本の全民主勢力への攻撃だ」米日反動派とのきびしいたたかいをつづけている労働者や民主団体の人びとは、協会本部襲撃の真相を知ったとき、その本質をはっきりと見抜きました。

 三月二日、安保破棄・諸要求貫徹中央実行委員会は緊急幹事会をひらき、その晩には「緊急民主団体代表者会議」を開いて真相をきき、一日おいて四日には文京区礫川公園で「日中友好協会支援、日本の民主運動に対する暴力と不当干渉抗議、対外盲従分子粉砕全都集会」が三五〇〇名の参加をえてひらかれ、デモのあと直ちに「日中友好協会支援共闘連絡会議」が結成されました。

 このような支援の動きはいま急速に全国に広がっています。

 一方、今度の事件の背景にはきわめて大きな国際的な力がはたらいており、華僑学生や盲従分子はあくまで日中友好協会をはじめ民主的諸団体を破壊し、さらに本来のねらいである日本共産党破壊をたくらんでいます。莫大な資金をもち国際的なバックをもつ者たちは、毛沢東思想を世界の最高のものとして日本人民におしつけ、長期にわたって破壊活動をつづけるでしょう。

 しかし、日中友好協会はこうした困難があっても、真の日中友好運動を強力におしすすめてゆかねばなりません。

 特にアメリカ帝国主義がベトナム侵略をますます拡大し、日本の軍国主義化が急速にすすんでいるなかで、協会はその設立の本来の精神である「中国とは再び戦わない」「日本軍国主義の中国再侵略を許さない」というかたい決意をあらたにして、日中国交回復と日中友好の道を通じて平和のために全力をあげるとともに、中国とのあいだに本当にお互いに平等であり、相手の立場を尊重しあい、またお互いの内部には干渉しないという原則に立って、正しい友好を実現するために努力しています。

 また、日中友好はなによりも、日本人民が自分自身の責任においてすすめる運動です。この立場を誤り、これに攻撃をしかける者は一人のこらずうちくだき、真の友好をうち立てる決意です。


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日誌
66・ 10・25 日中友好協会の一部役員、協会を脱走
11下旬 協会本部のある善隣学生会館に、華僑学生が壁新聞をはり出す
67・ 1下旬 日中友好協会脱走派のなかに「造反団」がうまれ、協会事務所と財産強奪をよびかける
2・24 華僑学生、壁新聞以外にステッカーをはりだす
2・25 日中友好協会全国大会
2・26 日中友好協会全国大会華僑学生“抗議”にくる
2・28 壁新聞を破ったといいがかりをつけ、最初の襲撃はじまる
3・1 “抗議集会”をひらいて大規模襲撃
3・2 朝、森下常任理事重傷
午後、バリケード排除に正当防衛の闘争
3・3 事務所の占有使用の妨害排除仮処分、学生へ送達
3・4 日中支援全都集会とデモ、日中支援共闘結成
3・7 400万枚のデマ新聞の折込み失敗
3・8 覆面の暴漢、協会員らを傷害、拉致
3・18 写真撮影にいんねんをつけ協会員に傷害
3・19 華僑学生、支援の人たちに暴行、傷害


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(外部勢力による干渉と暴行は許せない−日中友好協会本部襲撃事件の真相−、日本中国友好協会、1967年3月30日)

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