中国研究所の中国研究月報1968年11月号によれば、この時点、つまり1968年11月の時点で、日中友好協会、後楽寮生及び財団法人善隣学生会館の間には、次のような裁判手続きが取られていたようです。

@ 1967年 3月 2日 日共「日中本部の占有妨害排除」の仮処分申請
A 3月13日 日共「二・三階の占有妨害排除」の仮処分申請
B 5月19日 日共「通行障害物撤去」の仮処分申請
C 5月30日 会館側、ニセ「日中」への「占有移転禁止」の仮処分申請
D 11月 2日 日共、寮生を「暴行罪」「家宅侵入罪」「脅迫罪」で告訴
E 11月11日 会館側、ニセ日中への「建物明渡し請求」提訴
F 12月 4日 日共「占有妨害禁止、障害物撤去」を本訴する
G 1968年 3月 3日 ニセ「日中」、任政光ら50数人を「傷害、暴力行為等処罰に関する法律違反、住居侵入未遂、窃盗、器物毀棄」等で東京地検に告訴
H 9月13日 ニセ「日中」、ニセ「日中」寮生らを東京地検に告訴
(注)この表では、資料としての中国研究月報の記述をそのまま転記しています。ニセ日中などという用語に含意はありません。


 さて、これらの裁判上の事件は、民事事件と刑事事件に分かれます。上記の表で言えば、@〜CとE、Fは民事訴訟であり、D、G、Hは刑事訴訟ということになると思います。東京地方裁判所で、記録を閲覧する場合にも、民事訴訟と刑事訴訟では係が全く異なるために、同時に閲覧することはできません。また、仮処分というのは本訴で争い結論が得られるまでの間に、訴訟の一方の当事者が重大な不利益を被ることを避けるためになされる決定であり、本訴を前提にしたものです。上記の表で言えば、@、A、Bの仮処分はFの訴訟の準備をするためのもの、Cの仮処分はEの提訴を前提にしたものであり、双方とも本訴によって確定した判断が問題になると思います。

 今回、東京地方裁判所に出向いて、まず民事関係の裁判の記録を入手しようと閲覧を請求しました。しかし、34年も前の事件であり、東京地方裁判所でも入手は簡単ではありません。記録の閲覧請求には事件番号が必要ですが、これが分からない場合には、東京地裁で保管している事件簿を調べて、事件番号を検索することができます。それには、提訴の行われた正確な日付が必要です。上記の表では、Eの提訴は日付が正確で、事件簿から見つけることができました。この訴訟は、1970年(昭和45年)7月に和解が成立し、同年9月に日中友好協会は善隣学生会館に賃借していた(と主張する)事務所等の建物を明渡しています。以下に紹介するのは、この事件についての、和解調書です。

 Fの事件については、提訴の日付が正しくないのでしょうか、事件簿からは検索することができませんでした。また、今回は刑事事件については、調査できませんでした。今後も、時間を見て、裁判資料の入手をはかっていきたいと思います。

2001年5月29日 猛獣文士


和解調書 昭和42年(ワ)12181号

昭和45年7月15日和解成立

裁判官 安井章、北山元章
裁判所書記官 粟野清

原告 財団法人善隣学生会館
被告 日本中国友好協会

1.被告は原告に対し、別紙物件目録記載の建物(以下本件建物という)に関する賃貸借契約が昭和45年7月15日限り、専ら原告の自己使用に基く解約により終了したことを認め、昭和45年9月末日限り、本件建物を明渡す。

 原告は、原告管理下の、善隣学生会館内でおきた暴力事件について、管理者として遺憾の意を表する。

2.原告は被告に対し、昭和42年3月1日以降本日までの賃料等一切の金員の支払を免除する。

3.原告は被告に対し、本日以降、昭和45年9月末日までの間、明渡猶予期間として、被告が本件建物を無料で使用占有することを認め、その間、被告が使用占有部分を平穏に使用できるよう、警備員を配置する等、会館内の平穏なる秩序維持に努める。

4.原告は被告に対し、立退料及び示談金として、本日和解成立時に金110万円、及び前期第1項記載の明渡完了と同時に金100万円を各々支払うものとする。

5.原告は、前記第一項の趣旨に慮み、被告明渡後、本件建物を原告自ら行う事業に専ら使用することを表明する。

6.原告はその余の請求を放棄する。

7.原告・被告は互いに本和解条項以外に何らの債権債務のないことを確認する。

8.訴訟費用は各自弁。

以上

物件目録  略


[解説]

 付属書類の、財団法人善隣学生館提出の訴状と、上記の和解条項のみが記録として残されており、公判を通じてどのようなやりとりがあったのかは詳らかではありません。訴状で、原告、財団法人善隣学生会館が求めていた判決は、

1.日本中国友好協会は、本件建物を明渡す。

2.本件建物明渡しまでの間の賃料を、月90,500円の割合で支払う。

3.訴訟費用は被告負担。

というものでした。「本件建物」とは、善隣学生会館内の日中友好協会が占有していた部分を指します。この和解条項では、この第二項の被告の支払いを免除したばかりでなく、さらに立退き料と示談金として200万円以上の金額を日中友好協会に支払っているので、金銭面では善隣学生会館側が大きく譲歩しているようです。

 また、第5項

「原告は、前記第一項の趣旨に慮み、被告明渡後、本件建物を原告自ら行う事業に専ら使用することを表明する。」

という部分には、説明が必要です。財団法人善隣学生会館の建物明渡等請求の訴状では、当財団の成立までの経緯を説明した後、日本中国友好協会が賃借している(とする)事務所等の明渡しを請求する理由として、おおむね以下の項目を挙げています。

1.財団法人善隣学生館の寄付行為の規定により、財団法人善隣学生館の本来の目的である中国人学生寮および中国文化センターとして、この建物を使用すべきところ、さまざまな条件(原資の不足、中国との正式な学生交換がないことなど)のために、この本来の使用のために建物を使用できない状態が生じたため、一時的に当建物の一部を賃貸している。したがって、日中友好協会との賃貸借契約は、(仮に存在するとしても)財団法人善隣学生館が建物の本来の使用のために、この契約を解約する必要が生じた場合には、無条件にそれに応じるという特約の付された契約である。

2.日本中国友好協会が同建物を事務所として賃借するようになった経緯について触れた後、これは日中友好協会が分裂する前に同協会の申し出により承認されたもので、同協会が日中関係13団体を代表し、寮生の推薦と保証を行う東京華僑総会と協力して、中国文化センターとして運営するという目的で、善隣学生会館の部屋を賃借し、その運営にあたるというのが建物の賃貸借の主目的であり、日中友好協会の事務所としての使用は、主目的に付随する目的でしかない。

3.しかるに、1966年の日中友好協会分裂後、日中関係13団体のうち、4団体は解散し、残りの8団体は日中友好協会正統本部を支持するようになり、同協会は日中関係13団体の代表者であることができなくなっている。

4.また、東京華僑総会との関係についても、協力関係は不可能になっており、この結果、同協会はその賃貸借の主目的たる中国文化センターの運営を行うことはできなくなっている。

5.1967年2月28日以降の善隣学生会館流血事件以降、同協会は多数の部外者を、同会館内の占有している部屋に起居させ、昼間においても多数の部外者を室内に立ち入らせているが、これは、華僑学生との紛争の理由にかかわらず、使用目的たる中国文化センター及び付属事務所、倉庫、並びに事務所としての用法に著るしく違反している。

 つまり、上記の明渡請求の原因の中で、日中友好協会が認めたのは最初の理由だけで、それを確認するために、今後の財団法人善隣学生会館の部屋の使用について、原告自らが専ら使用することの表明を求め、会館側はこの要求をのんでこのような表明を行ったということです。

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