[521] 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/05/16(Thu) 19:44 <URL>
 少し責任感じて新論点提供させていただきます。れんだいこも注視しているところですが、分からない。今後中国はどう変貌するのでせう。一説には、超大国になるという視点もあります。一説には、いずれ現体制は空中分解するという説もあります。仮にこの場合その後はどうなるのでせう。中国のパワーは素晴らしい。この点では異存ありませんが、今後が分からない。米中と日中の絆はどちらが強まるかとか、どなたかご教示ください。というか、推定しあいませう。

[522] Re: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/05/17(Fri) 21:42
>  少し責任感じて新論点提供させていただきます。れんだいこも注視しているところですが、分からない。
> 今後中国はどう変貌するのでせう。一説には、超大国になるという視点もあります。一説には、いずれ現体制は
> 空中分解するという説もあります。仮にこの場合その後はどうなるのでせう。中国のパワーは素晴らしい。この
> 点では異存ありませんが、今後が分からない。米中と日中の絆はどちらが強まるかとか、どなたかご教示くだ
> さい。というか、推定しあいませう。

れんだいこさんに答える参加者も少ないので、私が貧しい知識からレスします。

[経済]
今後、経済的に中国が発展する余地はまだ非常に大きいと思います。経済発展のコースとしては、日本型の
開発独裁の前例があり、これにならって発展の道をすすめば、大きな障害もなく、経済発展を達成できる
と思います。日本が達成した経済発展の何割かを、中国の人口と国土全体に実現した場合、中国の経済規模
は非常に大きなものになります。

[民主化]
現在の中国の体制が、一党独裁であることは事実です。私自身としては、形式的な議会制民主主義を実現
することが、民主化のバロメーターになるのか否か確信を持っているわけではありませんが、将来的に
政治的な民主化の方向に向かうことになるのではないかと思います。

試論ですが、独裁的な政府によって支配されている国が民主的な制度を採用するパターンとして、台湾・韓国
型とフィリピン・インドネシア型を対比することができると思います。

独裁政府が、個人独裁者のレベルで腐敗しきり、硬直し、その政府自体を放逐する形で、民主化が実現する
場合と、比較的内発的に民主化が形成される場合です。中国共産党の政府が、硬直化し、どうしようもなく
腐敗し、民衆に転覆されるような形で崩壊して民主化が達成された場合(ソ連型ともいえるでしょうか?)、
中国の受けるダメージは大変大きなものになるので、私はそのような民主化の過程を望んでいません。また、
そのような可能性も大きいものではないと思います。

[少数民族問題]
特にチベットの問題など、中国が少数民族の問題を抱えていますが、チベットを含め、現在の中国の領土が
中国から分離独立するというような可能性は非常に少ないと思います。

[人権]
中国に人権の問題があることは事実であり、今後、改善の努力を必要とすると思いますが、日本にもアメリカ
にもイギリスにも人権の問題がないわけではないという意味の範囲内の話ではないでしょうか。

[523] Re^2: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/05/18(Sat) 01:27 <URL>
 猛獣文士さんちわぁ。既に酔い気と眠気がありますが、許されて。

> れんだいこさんに答える参加者も少ないので、私が貧しい知識からレスします。

 いやぁ私も知識は皆目ありませんのでどんどん教えてください。中国の経済発展のスピードは凄いらしいですね。まもなく、中国企業への就職を求めて我々の末裔が下級労働者身分で出向くことになりそうですね。これもしゃぁないね。問題は、そうなると中国の共産党独裁の支配体制がどうなるのかなんでせうね。『将来的に政治的な民主化の方向に向かうことになるのではないかと思います』ですが、やはりどっかで矛盾の飽和点に達するということは無いのでせうか。

> 独裁政府が、個人独裁者のレベルで腐敗しきり、硬直し、その政府自体を放逐する形で、民主化が実現する
> 場合と、比較的内発的に民主化が形成される場合です。中国共産党の政府が、硬直化し、どうしようもなく
> 腐敗し、民衆に転覆されるような形で崩壊して民主化が達成された場合(ソ連型ともいえるでしょうか?)、
> 中国の受けるダメージは大変大きなものになるので、私はそのような民主化の過程を望んでいません。また、
> そのような可能性も大きいものではないと思います。

 ある人曰く、必ず混乱が起こる。その時に乗じて昔のように列強で中国を分割統治するのだ。これほどおいしい話は無い、着々仕掛けが整いつつある、なんてことをマジに云っている人が居られました。れんだいこは、へぇぇと話をあわしておきましたが、少し気になっております。

 [少数民族問題]と [人権問題]はアキレス腱になっているようにも思います。これはれんだいこの独眼流ですが、中国も何とかしてルネサンスを経験しないと却って弱いのではないでせうか。一枚岩は強そうで弱い。アングロ・サクソンの強さは、歴史的にルネサンスを経由して国家体制に何らかの形で反映させているところにあるのではないでせうか。今現在がどういうのではなくて、歴史的に蓄積されたものとして気風があるように思います。それがないままに経済的繁栄一途で邁進しつつある中国は内実もろい面もあるのではないかと思うことがあります。この点どうなんでせうね。克服し得るのかな。

> 中国に人権の問題があることは事実であり、今後、改善の努力を必要とすると思いますが、日本にもアメリカ
> にもイギリスにも人権の問題がないわけではないという意味の範囲内の話ではないでしょうか。

 そういう意味の範囲内では無い弱さがあるような気がします。もっとも日本もルネサンスが育たない風土のような気がします。戦後憲法は日本にルネサンス気風を培う絶好の天の配合だったと思うけど、今や細りつつある事態を超えて壊死しつつあります。中国も日本も勧告も北朝鮮も台湾も、何とかして東洋的専制政治水準から脱皮せねばならないようにも思いますが、昨日今日明日ぐらいではどうにもならないようにも思います。

[524] Re^3: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/05/19(Sun) 00:57
>  いやぁ私も知識は皆目ありませんのでどんどん教えてください。中国の経済発展のスピードは凄いらしい
> ですね。まもなく、中国企業への就職を求めて我々の末裔が下級労働者身分で出向くことになりそうですね。
> これもしゃぁないね。

そうなるとしても、だいぶ先の話ですね。われわれが死んだあとでしょうか。

> 問題は、そうなると中国の共産党独裁の支配体制がどうなるのかなんでせうね。
> 『将来的に政治的な民主化の方向に向かうことになるのではないかと思います』ですが、やはりどっかで
> 矛盾の飽和点に達するということは無いのでせうか。

ううん。この辺がどうなのでしょうか。かつて、開発独裁で(日本に対してこのような用語を適用するのは
失礼でしょうか)経済発展の道をすすんでいた日本も、それに追随して経済発展を実現した台湾も韓国も、
民主主義、人権などの面でそうとう無理をしていたように思います。いつか、矛盾が飽和点に達し、政府が
根底的に転覆されるなどという見方をしていた人も多かったのですが、どの国の政府も、それなりに現在に
まで継承されています。

>  ある人曰く、必ず混乱が起こる。その時に乗じて昔のように列強で中国を分割統治するのだ。これほど
> おいしい話は無い、着々仕掛けが整いつつある、なんてことをマジに云っている人が居られました。
> れんだいこは、へぇぇと話をあわしておきましたが、少し気になっております。

混乱が起きて、中国が無政府状態になったり、分裂状態になることがあるかどうか。可能性がないとはいえない
でしょうが。しかし、その場合でも、列強が中国を分割統治する条件が整うでしょうか。
いろいろ、少ない可能性の事件が、すべてそろった場合にだけ、発生する仮説であると思います。

>  [少数民族問題]と [人権問題]はアキレス腱になっているようにも思います。これはれんだいこの独眼流
> ですが、中国も何とかしてルネサンスを経験しないと却って弱いのではないでせうか。

ルネサンスの意味が不明確ですが、何か中国に欠けているものがありそうだというのは事実だと思います。
それを中国がどのように獲得していくのか、いけないのか、しかし、このような問題の立て方では、あまりに
も漠然としていて、推論しようにもなにも出てきません。

> 一枚岩は強そうで弱い。

中国は、日本に比べると、非常に多様な国、社会だと思います。言語、民族、思想など。それを強力に統一
して、近代国家を建設しようとしてきたのが最近までの中国の政府の共通の目的でした。したがって、中国を
一枚岩とみるのは、どうでしょうか。むしろ、色、大きさ、硬さなどさまざまな性質の石が固まっている岩と
いったほうが正しいのではないでしょうか。

> アングロ・サクソンの強さは、歴史的にルネサンスを経由して国家体制に何らかの形で反映させているところ
> にあるのではないでせうか。

アングロ・サクソンの強さとはアメリカの強さということでしょうか。パレスチナやアフガンでのかれらの振る
舞いをみていると、強くても、好きにはなれないやつらですね。

> 今現在がどういうのではなくて、歴史的に蓄積されたものとして気風があるよう
> に思います。それがないままに経済的繁栄一途で邁進しつつある中国は内実もろい面もあるのではないかと
> 思うことがあります。この点どうなんでせうね。克服し得るのかな。

内実もろい面があるのはそう思いますが、これは、今に始まったことではありません。これを克服できるか
となると、やってみなければわからないという声が聞こえてきそうな話しです。難しいですね。

>  そういう意味の範囲内では無い弱さがあるような気がします。

確かに中国には中国の弱さがあります。それがどのように克服されるかについて、たとえば、アメリカの例が
先例として有効であるかどうかという問題になると、大きな疑問符がつくわけです。

> もっとも日本もルネサンスが育たない風土のような気がします。戦後憲法は日本にルネサンス気風を培う絶好
> の天の配合だったと思うけど、今や細りつつある事態を超えて壊死しつつあります。中国も日本も韓国も
> 北朝鮮も台湾も、何とかして東洋的専制政治水準から脱皮せねばならないようにも思いますが、昨日今日明日
> ぐらいではどうにもならないようにも思います。

東洋的政治水準と西洋的政治水準があって、前者は後者の初期の状態に該当するといえるかどうか。たしかに、
近代のさまざまな政治思想、市民革命、マルクス主義、社会主義などを生み出し、経験してきた西欧文化は
社会科学的にも先進的であるといえますが。

東洋の文化にこれからがんばってもらいたいものですね。

[525] Re^4: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/05/19(Sun) 23:16 <URL>
 猛獣文士さん皆さんちわぁ。

> そうなるとしても、だいぶ先の話ですね。われわれが死んだあとでしょうか。

 案外早いかも知れないよ。

> >  ある人曰く、必ず混乱が起こる。その時に乗じて昔のように列強で中国を分割統治するのだ。これほど
> > おいしい話は無い、着々仕掛けが整いつつある、なんてことをマジに云っている人が居られました。
> > れんだいこは、へぇぇと話をあわしておきましたが、少し気になっております。
>
> 混乱が起きて、中国が無政府状態になったり、分裂状態になることがあるかどうか。可能性がないとはいえない
> でしょうが。しかし、その場合でも、列強が中国を分割統治する条件が整うでしょうか。いろいろ、少ない可能性の事件が、すべてそろった場合にだけ、発生する仮説であると思います。

 海外の列強が、中国の封建割拠的なお国柄を利用するという二の舞にならない保障があれば良いのですけどね。
>
> ルネサンスの意味が不明確ですが、何か中国に欠けているものがありそうだというのは事実だと思います。
> それを中国がどのように獲得していくのか、いけないのか、しかし、このような問題の立て方では、あまりに
> も漠然としていて、推論しようにもなにも出てきません。

 このルネサンス観は目下論を発酵中ですので、「このような問題の立て方では、あまりにも漠然としていて、推論しようにもなにも出てきません」となるのだと思います。これは又後日文章にしたいと思います。
>

> 中国は、日本に比べると、非常に多様な国、社会だと思います。言語、民族、思想など。それを強力に統一
> して、近代国家を建設しようとしてきたのが最近までの中国の政府の共通の目的でした。したがって、中国を
> 一枚岩とみるのは、どうでしょうか。むしろ、色、大きさ、硬さなどさまざまな性質の石が固まっている岩と
> いったほうが正しいのではないでしょうか。

 マクロでの歴史的風土的にはそうでせうね。しかし、建国革命以来の中国は、共産党の一元化指導=一枚岩で歩んできているのではないでせうか。天安門事件、最近の気孔運動に対する弾圧、死処刑の容易さ等々から窺うのに、今ひとつ中共システムに違和感を覚えます。
>

> アングロ・サクソンの強さとはアメリカの強さということでしょうか。パレスチナやアフガンでのかれらの振る
> 舞いをみていると、強くても、好きにはなれないやつらですね。

 アングロ・サクソンとは、西欧系を例えて表現しております。イスラエルもこの系譜に入れてよいのかな。「強くても、好きにはなれないやつらです」が、逆になぜ彼らが強いのかも分析してみなくてはいけないと思っております。

> 確かに中国には中国の弱さがあります。それがどのように克服されるかについて、たとえば、アメリカの例が
> 先例として有効であるかどうかという問題になると、大きな疑問符がつくわけです。

 中国とアメリカは合衆国的な国土の広さと大国主義意識の点で、似すぎて反発しあう関係になるのかなとか思っております。日本が女房役で貴重な役割を握っていくことになれば良いとも思っておりますが、これは願望でして今後どうなるのでせうね。
>
> 東洋的政治水準と西洋的政治水準があって、前者は後者の初期の状態に該当するといえるかどうか。たしかに、
> 近代のさまざまな政治思想、市民革命、マルクス主義、社会主義などを生み出し、経験してきた西欧文化は
> 社会科学的にも先進的であるといえますが。東洋の文化にこれからがんばってもらいたいものですね。

 東洋の文化が一応の個の確立とか市民社会の創出を経験すれば良いのですけど、これがないままの国富の発展は、富める者と富めざる者の二局化を推進するだけではないかと、勝手に訝っております。もっとも、国際化時代は大衆消費社会を前提にせざるを得ないから、杞憂なのでせうかねぇ。

[526] Re^5: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/05/27(Mon) 19:59 <URL>
 猛獣文士さん皆さんちわぁ。もう一つお尋ねしたくなりました。李鵬さんの政治的地位は安定しているのですか。江沢民さんとの関係は良いのでせうか。暗闘しているのですか。中共現代史の気に掛かるところです。

[527] Re^6: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/05/28(Tue) 19:10
れんだいこさん、こんにちは、

どうなんでしょうか。李鵬は評判が悪く、評判がいいのは朱ようきで、江沢民は形式的には、現在、
毛沢東以上に権力が集中している。

小生は、こんくらいの印象があるとぃどです。もっとよく知っている人、教えてください。

[528] Re^7: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/05/30(Thu) 21:25 <URL>
 猛獣文士さん、こんにちは。
>
> どうなんでしょうか。李鵬は評判が悪く、評判がいいのは朱ようきで、江沢民は形式的には、現在、
> 毛沢東以上に権力が集中している。
>
> 小生は、こんくらいの印象があるとぃどです。もっとよく知っている人、教えてください。

 どなたも教えてくれないですねぇ。れんだいこは、中国の動きについては林彪が追放され、四人組が召し取られて以降知らないから本当に教えてもらいたいのですけどね。

 李鵬については、確か周恩来の系譜だと思います。れんだいこは周恩来を高く評価するから、李鵬さんにも好意的です。が、少し干されているという気がします。でもって、指導部も諸勢力とのバランスオブパワーの上に存立しているのではないか、と思っております。

[529] Re^8: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/06/01(Sat) 21:11
>  李鵬については、確か周恩来の系譜だと思います。れんだいこは周恩来を高く評価するから、李鵬さんにも好意的
> です。が、少し干されているという気がします。でもって、指導部も諸勢力とのバランスオブパワーの上に存立して
> いるのではないか、と思っております。

李鵬は「革命烈士」の孤児で、周恩来の養子になった人と聞いています。なんで評判が悪いんでしょうか。
評判をつくっている人は、都市の学生やインテリでしょうか?

[530] Re^9: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/06/07(Fri) 20:56 <URL>
 猛獣文士さんちわぁ。どなたか参戦してくれないかな。

> 李鵬は「革命烈士」の孤児で、周恩来の養子になった人と聞いています。なんで評判が悪いんでしょうか。
> 評判をつくっている人は、都市の学生やインテリでしょうか?

 李鵬支持勢力はやはり根強いのではないかと思っております。れんだいこは現政権をあまり評価しておりません。但し、何せ広いから日本的尺度では捉えられないないスケールなのかも知れません。

 れんだいこは常々林彪失脚経過を疑惑しております。但し資料が無いので判断できません。もっとも今日から思えば、毛沢東―林彪派は左派過ぎるのかも知れません。れんだいこに云わせればそれでも良いのですが、有効な経済政策を持たねばなりません。この点で、左派は今に至るも処方箋持って居ない気がしております。結局、イデオロギーでは食えない現実が露呈し、どんどん後退してきて今日にいたっている。仕方ない面もあるけど何か変調という気がしております。

[531] Re^10: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/06/12(Wed) 05:17
まことに、マイナーな掲示板でありまして、申し訳ありません。

>  李鵬支持勢力はやはり根強いのではないかと思っております。れんだいこは現政権をあまり評価しておりません。
> 但し、何せ広いから日本的尺度では捉えられないないスケールなのかも知れません。

 人権については、一概に否定できない批判が投げかけられています。しかし、人権について語るならば、現政権よりも、毛沢東当時の政権のほうがはるかに徹底的に、人権を認めない行為を行っていたと思います。人権について、現政権下で非常にゆっくりとではありますが、改善されており、今後も改善されていくだろうと考えています。
 西側の列強の支配からの政治的あるいは軍事的な独立の追及について言えば、毛沢東当時の政権は、ほとんどすべての力をその獲得の追求に投じていたと思います。私の見解では、当時の中国は非常に危険な状態にあり(弱小国の非常に多数の政権が、不可解な過程をたどって崩壊していくというシナリオは当時も現在も不変に存在しています)、政治的軍事的な独立の確保という課題を実現することは絶対的な急務でありました。どのようにそれを実現するのか。どこの国でも同様ですが、国民としてのアイデンティティーの確立、つまり他国に侵略されたときに国民としてその侵略に反撃できる常識の形成を最重視したのではないでしょうか。「武器は戦争の重要な要素だが、決定的な要素ではない。決定的な要素は物ではなく人間である。」という毛沢東の言葉は、そのような考え方をよく表していると思います。毛沢東はマルクスレーニン主義者であり、中国革命を世界革命の一部分であると位置づけています(たとえば新民主主義論)。しかし、かれがどこまで世界革命を信じていたのか、あるいはいつまでそれを信じていたのか、到底、私には分かりませんが、あの世に行ったときに直接聞いてみたいテーマではあります。なお、「他国に侵略されたときに国民としてその侵略に反撃できる常識の形成」については、同じような原理が日本にも当てはまるはずですが、そのことを日本人がいうのを聞くと、私はなんともいえない危うい気持ちになります。このような感覚をどのように評価し、対処すればよいのでしょうか。

>  れんだいこは常々林彪失脚経過を疑惑しております。但し資料が無いので判断できません。もっとも今日から
> 思えば、毛沢東―林彪派は左派過ぎるのかも知れません。れんだいこに云わせればそれでも良いのですが、有効
> な経済政策を持たねばなりません。この点で、左派は今に至るも処方箋持って居ない気がしております。結局、
> イデオロギーでは食えない現実が露呈し、どんどん後退してきて今日にいたっている。仕方ない面もあるけど何か
> 変調という気がしております。

 経済的な発展は、政治的な独立を前提にしなければ意味を持たないというのは、19世紀以降の中国の歴史的な経験から得られた真理であり、その意味で毛沢東当時の政権と現政権の国際的な地位を考慮せずに比較することは誤りだと思います。私は、現政権は毛沢東の政権を否定して成立した政権ではなく、それを継承している政権であると考えています。では、政治的な独立を犠牲にして経済的な発展を追及し、それに成功した戦後の日本をどう評価するのか、これも新しい課題として、研究する必要があるとは思います。
 林彪、四人組といった「左派勢力?」が敗北していった過程、理由については、よく分かりません。冷静に考えれば、たとえば「江青女史」はどうみてもスケープゴートととしか見えず、気の毒であるという印象を禁じ得ません。彼女の人生が正当に評価される時期が来るとしても、それは毛沢東や中国共産党の時代があらゆる意味で「歴史」となったときのことになるでしょう。
 孫文は、中国革命の完了までの過程を「軍政期、訓政期、民政期」という言葉で表現したと聞いています(出典は三民主義ではないでしょうか。申し訳ありませんが確認できません)。私は、中国革命が民政期を経て、完了していくことを望みます。それが達成されれば、その先に歴史がまた新しい課題が与えるでしょう。

[541] Re^11: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。 投稿者:傍観者(初代) 投稿日:02/07/26(Fri) 08:54
 たいへんご無沙汰してしまいました。この議論にも関心はあるのですが、相変わらず
仕事に追われ、なかなかまとまった書き込みができません。人減らし合理化の結果です
ね。

 大阪の人さんもまた現れたことだし、今日は議論の参考になるページを紹介します。
日本現代中国学会のホームページです。

http://homepage3.nifty.com/xiandaizhongguo/

 この学会は現代中国を研究している学者が作っているようです。五十年の歴史がある
とのことですが、ページができたのは最近らしく、私もついこの間知りました。リンク
集に入れてもいいのではないでしょうか。

[543] Re^12: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/07/26(Fri) 22:47
傍観者(初代)さん、

お久しぶりです。面白いホームページと学会を紹介してくださり、
有難うございます。今後、チェックしていきたいと思います。

本日はとりあえず、これで。

[533] Re^11: 今後中国はどうなるのか、自由討論でいきませう。 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/06/14(Fri) 20:43 <URL>
 猛獣文士さんちわぁ。

>人権については、一概に否定できない批判が投げかけられています。しかし、人権について語るならば、現政権よりも、毛沢東当時の政権のほうがはるかに徹底的に、人権を認めない行為を行っていたと思います。人権について、現政権下で非常にゆっくりとではありますが、改善されており、今後も改善されていくだろうと考えています。

 ここですが、れんだいこは次のように思う。社会主義政権である以上、ブルジョア民主主義よりもより実質的な民主主義が貫徹していて欲しい。こうならない社会は資本制市民社会よりも歴史的な後退ではないでせうか。毛沢東時代と今日の江沢民時代とを比較してみて、仮に漸次良化していたしてもお粗末だと思う。文革時の政敵追放あるいは旧ブルジョア勢力としてのレッテルを貼っての一掃運動もお粗末です、と思う。当然天安門事件の対応も首肯できません。目下の簡易死刑政策も容認できません。

 その点日本は、敗戦というショックが世界に冠たる新憲法を産み出し、それが仮に押し付けのものであっても、戦後市民社会を創り出した。これはまことに有り難いと思っております。今日どんどん空洞化しつつありますが、仕方ないやね、自ら崩しているのだから。

>毛沢東はマルクスレーニン主義者であり、中国革命を世界革命の一部分であると位置づけています(たとえば新民主主義論)。しかし、かれがどこまで世界革命を信じていたのか、あるいはいつまでそれを信じていたのか、到底、私には分かりませんが、あの世に言ったときに直接聞いてみたいテーマではあります。なお、「他国に侵略されたときに国民としてその侵略に反撃できる常識の形成」については、同じような原理が日本にも当てはまるはずですが、そのことを日本人がいうのを聞くと、私はなんともいえない危うい気持ちになります。このような感覚をどのように評価し、対処すればよいのでしょうか。

 れんだいこは、史上のマルクスレーニン主義運動の背後にはれっきとした民族主義の流れがあり、その威力は民族主義の方が強いのが実相だとみなしております。この点、国際主義を純粋系で真に受けていくと祖国を失う。人類はそこまで進歩成人化していないとみなしております。毛沢東も、民族主義の基盤に立って革命を指導しているのであり、その限りでの国際主義でしかなかった、それで良いのではないでせうか。

 当然日本左派運動も同じ理屈で、民族的利益を最優先する。その限りで国際主義をも追求する。この原理は資本制権力も同じではないでせうか。問題は、社会主義権力は資本制権力とは違う内実で国際主義を生み出すべきで、より強化するという本質を持つということではないでせうか。民族主義の観点を排斥した国際主義というのは絵に描いた餅のように思います。


> 私は、現政権は毛沢東の政権を否定して成立した政権ではなく、それを継承している政権であると考えています。

 詳しくは知らないのですが、れんだいこは逆に見ております。日共内で徳球系から宮顕系へ宮廷革命が発生したように、中共でも毛沢東系からケ小平系への奪権が勃発したと見なしております。そうなる必然として、毛沢東派は新中国の経済建設に失敗したからだと見なしております。マルクス主義イデオロギーでの経済建設の成功は、今や世界史的意義がある。これに道筋を見出さない限り、マルクス主義は机上論であったと総括せざるを得ないと考えております。

 目下の歴史的経験は、マルクス主義を半分以上棺おけの中に閉じ込めつつあります。一縷の望みで、どこかに成功体験が生まれないものかは。どこをどう改変すれば可能なのか、そんな希望を一縷つないでいるのがれんだいこ史観です。

> 孫文は、中国革命の完了までの過程を「軍政期、訓政期、民政期」という言葉で表現したと聞いています(出典は三民主義ではないでしょうか。申し訳ありませんが確認できません)。私は、中国革命が民政期を経て、完了していくことを望みます。それが達成されれば、その先に歴史がまた新しい課題が与えるでしょう。

 従いまして、れんだいこ史観に拠ればこうなります。目下の中国は国共内戦の成果を放棄し、当時の孫文―蒋介石ラインの国家像へ逆戻ししつつある。してみれば、自己否定過程に入っていると見なします。この移行を巧みに御しているのが現政権ではないでせうか。それというのもやはり経済政策の必要上で、社会主義的統制経済ではうまくいかない―どうしても停滞に陥るからだと思います。

[532] 訂正->軍政期、訓政期、憲政期 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/06/14(Fri) 08:36
>  孫文は、中国革命の完了までの過程を「軍政期、訓政期、民政期」

「軍政、訓政、憲政」でした。不勉強を露呈してしまった。

[498] 野坂参三と中国共産党 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/04/11(Thu) 10:42
備忘の意味も込めて投稿しておきます。

日本共産党中央委員会出版局『覇権主義との歴史的闘争』(上下)という論文集に、中国共産党への批判論文(確か「今日の毛澤東路線と国際共産主義運動」)が載っていたが、その中に次のような興味深い部分があった。

「毛澤東一派は、中国を訪問した日本共産党員に対して、日本共産党の最高指導部にはスパイが潜入しているとかの類の低劣なデマを吹き込んでいる....」(てもとにないので記憶に基づく引用 以下同じ)

という記述があった。中国側が誰をスパイ呼ばわりしたのか記されていないが、これは野坂参三に間違いない。というのは、袴田里見の証言があるからである。

「中国の同志は、野坂を全く信用していない。周恩来が空港で、『野坂には注意せよ』と述べた」云々と。

もちろん、当時の宮顕指導部は、これを袴田の「低劣なデマ」であり「反共毒素」であると一蹴した。しかし、袴田の主張が「低劣なデマ」でなかったことは、のちに宮顕自身が野坂を除名処分にしたことによって裏付けられている。

ここで興味があるのは、中国側がどのような根拠に基づいて野坂参三をスパイと判断したのか、それが問題である。

私は、ここに何か大きな闇がかくされているように思える。残念ながら日本共産党と復交した中国共産党が真実を明らかにする可能性は少ないが、どうにかして調べられないものか。

中国共産党が趙安博の証言を否定し、日本共産党との関係回復のために「臭いものに蓋」したことからも、真実の解明は難しそうだ.....

[514] 宮顕と中国共産党 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/05/06(Mon) 08:37
もう一つ備忘の意味を込めて投稿しておきます。

さて、60年代に日本共産党と中国共産党の関係が断絶しました。文革終了後、中国共産党は日本共産党との関係改善を摸索しましたが、宮顕が「『反党集団』と関係を断絶しない限り受け入れない」と強く拒否したため交渉は頓挫。宮顕引退後まで両党の関係は回復しませんでした。

この時に、どのようにして両党の交渉が頓挫したのかは、日本共産党側からは『日中両党会談始末記』という本が出ています。内容はつまらないですが、事実関係は一応網羅されていると思います。

この時の、宮顕が取った対応は、極めて異様なものでした。日本共産党以外の各党は、すでに破産した「一国一前衛党論」に固執せず、中国共産党に対して文革時代に生み出された党派との関係断絶を求めずに中国共産党と関係を回復しました。また、日本共産党自身が、「一国一前衛党論」を事実上放棄して、デンマーク社会主義人民党やノルウェー社会主義左翼党など(「チトー修正主義」に起源を持つ共産党からの分派)等と関係を結んでいます。

宮顕は、自分自身が事実上「一国一前衛党論」を放棄していながら、中国共産党に対しては日本共産党を「唯一の前衛党」と認めることを要求し、それが受け入れられないと交渉を放棄してしまうという極めて異様な対応に終始しました。これは、単なる宮顕の独善と見ることもできますが、それにとどまらないものを感じます。

また、中国側としては、日本共産党との関係回復交渉を開始した一因に、野坂参三が引退したことがあったかも知れません。袴田里見の証言に明らかなように、中国共産党は、日本共産党と良好な関係にあった時期ですら、野坂参三を疑惑の目で見ていました。野坂参三が党指導部にいる限り、関係を回復したくないと考えていたという可能性もあります。

周知のように、中国共産党と日本共産党の関係は、宮顕引退以後変化し、不破指導部は中国共産党との関係を回復しました。不破指導部は、日本労働党などの「反党集団」との関係回復を中国側に飲ませましたが、日本労働党が組織する「国民連合」や、日中友好協会(反代々木)との関係には目くじらを立てないという柔軟な対応でした。この対応の違いは、宮顕が頑固だったから、という解釈が普通でしょうが、それにとどまらないものを感じます。ひょっとして、中国側は宮顕に疑惑を抱いていたので、宮顕が引退するまで待ったのではないか。また、宮顕は何かまずいことがあり、そのために中国共産党との関係回復を渋ったのではないか。もしかすると、袴田問題か何かでまずいことが明らかになり、宮顕の権力が揺らぐということもあったのではないか。

まだ詳しく肉付けはできませんが、何か臭うということを述べておきます。
難しそうだ.....

[510] スパイに手心コスポリ氏 投稿者:大阪の人 投稿日:02/04/20(Sat) 22:07
re:498
つまらぬ備忘でありますが、ここだけ釘をさしておきます。

野坂スパイ説でありますが、野坂氏はソ連KGBの内通者でありました。
周恩来氏が何をどこで言ったか、コスポリ氏の論はいい加減なので
日時も明らかにされないので、答えようもないのですが
周恩来が指摘したのは警察のスパイという意味でしょうか。
それともアメリカのスパイだという意味でしょうか。
正鵠を射ぬいてKGBのスパイだとしたのでしょうか。
「全く信用していない」はいいとして、それはたとえば
中国にとり使えない、信用ならない、という範囲で述べただけの事で
ありまして、しかも同志的に通知したりしているのではなくて
敵たる日本共産党が全体として敵の手に落ちている、というような
デマを振りまきながらの【指摘の中の一つがまぐれ当たり】で
当たっていた、ということでありまして、この周恩来氏の指摘が
たまたま当たっていたとしても、その指摘の仕方がそもそも道理と
節度のないものでありますれば、日本の運動に対して何らの
資することもない、意味のない”忠告”であったわけです。

それより、周恩来氏は、1966年の宮本訪中団との両党合意を成立させて
乾杯音頭までとってその成立を祝したはずなのに、文革の中で
その合意成立の責任が周その人に及ぶのを怖がってか、そしらぬ
ふりをして劉少奇氏らに罪をなすりつけ、趙安博氏に「談話」を
させたり紅衛兵の壁新聞で書かせたり、ちょこざいな小細工をして
口をぬぐっていますね。

また、早くも1968年頃の事でありますが、「4つの敵」論の中で
あまりに日本の対外盲従分子が日本共産党攻撃ばかりに熱中して
その他の活動で見るべき成果を上げず、しだいに人民から浮き上がって
しまっているということで、「一つだけ敵でもよいがそれは対米に
すべきで、唯一の敵が日本共産党はよくない」といい始めた事も
ありましたが、それが問題となるとすぐさまそれを覆して、自分で
(日本共産党は呼ばれてもいない)”共産党はずし”の「3党党首」の
演説会における社会党浅沼氏のテロ事件を持ちだし、そこで殺された
のが野坂氏や宮本氏ではなく浅沼氏だからどうこう、などとまでデマって
日本の反共オールスターズ側を美化し、嫌らしい論難をしていたので
ありました。浅沼氏はテロで倒れたのはそもそも何年も前であったはず
でありまして、この発言自体が突然何年も前の事件を無理に持ちだした
日本共産党攻撃のためにする議論でしかなかったのであります。

周恩来氏というのは、かようにウソも平気な卑劣漢であります。

こうして、コスポリ氏は、1960年代中葉から、1980年代までの中国の
党と政府をごくごく瑣末な点をとらえてまで美化しているのでありますが
そんなマニアックな箇所でまぐれあたりしているから、といって
中国文革政府党の日本内政への干渉行為というのは、あらゆる意味で
容認できない誤り、許しがたい行為なのでありまして、そもそも日本
国民の固有の権利としての内政干渉行為への糾弾という権利を認めない
立場にあるコスポリ氏が何か気の利いたことを言おうとしても無駄で
あります。(そうそう、ソ連のスパイというのは、コスポリ氏に言わせ
るならば、内政干渉ではなく、”野坂氏も無罪”ということにさえなる
のではないのかな?)こうして、当方を「小林某と同等」だとか「天皇
主義」だとか「藤岡某と同等」だとか、「宮修」だとか「スターリニスト」
だとか、何でもかんでも投げつけて呼んでいるコスポリ氏の口の悪いのも
後からどれかが当たっていれば、それが正しい事になるとでもいうつもり
なのでしょうか。

だとすれば、当方もコスポリ氏に対して、何にも根拠もなく、いきなり
あらゆるそれぞれ関連もないデタラメなレッテルをはりつけて呼んで
おいて、コスポリ氏が後からどれかの腐敗、どれかの転落に該当した
からといって、この時の周恩来氏の名誉と同じ名誉を受けてもいいはず
であります。

[515] Re: スパイに手心大阪の人 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/05/06(Mon) 14:08 <URL>
 突然参加失礼します。何気なく散策しておりますと、小生の関心あるテーマで遣り取りされています。是非闖入させてください。大阪の人さん、コスモポリタンさん始めまして。さて、いきなりですが突っ込み入ります。

> しかも同志的に通知したりしているのではなくて
> 敵たる日本共産党が全体として敵の手に落ちている、というような
> デマを振りまきながらの【指摘の中の一つがまぐれ当たり】で
> 当たっていた、ということでありまして、この周恩来氏の指摘が
> たまたま当たっていたとしても、その指摘の仕方がそもそも道理と
> 節度のないものでありますれば、日本の運動に対して何らの
> 資することもない、意味のない”忠告”であったわけです。

 これはどういう意味でせう。今日野坂がソ連あるいは米国特務機関のエージェントであったことは確認されていますでせう。問題は、日本の特高特務機関との意思疎通性ですが、これから確認されてくるでせう。この見解はそろそろ公認されても良いのでは無いでせうか。

 周恩来の指摘を【まぐれ当たり】とみなす見識にむしろ感服します。その野坂変調指摘が、【日本の運動に対して何らの資することもない、意味のない”忠告”であった】とみなし、それ以上を詮索しないとはかなり安逸な方ですね。史実は、既に党に君臨していた宮顕にとって、六全協以来の盟友野坂のイカガワシサが明るみに出ることは、とりも直さず自身にも疑惑が及びことであり、それが為にも周恩来の指摘のひた隠しに努めた。その結果、【意味の無い忠告にされた】のではないのですか。

> 周恩来氏というのは、かようにウソも平気な卑劣漢であります。

 周恩来と宮顕を比較して、周の方を矮小姑息分子扱いするとは。例えて云えば、針小棒大のうち針のほうを大きく棒の方を針のように見なす逆転評価でせうね。どのように学べば、そういう見解が生まれるのでせう。見解は自由ですが、毛沢東-周ラインの評価を貶めれば宮顕のそれが上がるものではなく、実績と限界をそれぞれにおいて見ていくべきではないでせうか。

 もっとも滑稽なことに、れんだいこから見て、宮顕の場合評価されるべき実績が一つも無いのですが、大阪の人さんかくかくしかじかがあれば教えてくださいますか。これが聞きたくてレスさせていただいた訳ですが、宮顕が入党して以来何か一つでも人民大衆の為になるものがあれば聞かせてください。おとろしいことに、れんだいこには一つも見当たらないんですよ。

[516] Re^2: スパイに手心大阪の人 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/05/12(Sun) 11:25 <URL>
 管理人さん皆さん突然の闖入迷惑だったのでせうか。構わずどんどんやってくださいね。そういえば、まずは管理人さんに挨拶しておくべきでした。今後とも宜しくお願いいたします。

[517] はじめまして 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/05/13(Mon) 00:35
>  管理人さん皆さん突然の闖入迷惑だったのでせうか。構わずどんどんやってくださいね。そういえば、まずは管理人さんに挨拶しておくべきでした。今後とも宜しくお願いいたします。

れんだいこさん、はじめまして。さざなみ通信の記事や、ホームページを拝見しています。
この掲示板は、大変マイナーな掲示板で、ほぼ「大阪の人」さんと管理人たる私の掛け合い漫才の
ような状態がつづいていましたので、迷惑とかそのようなことは何もありません。

大阪の人さんは、コスモポリタンさんとの共産主義論争でダメージを受けたようで、返事がありませんが、
気にすることはありません。大阪の人さんが再度ねたを仕入れてきて、反論に立ち上がるのか、それとも
尻尾をまいてこのまま退散するのかは分かりませんが、れんだいこさんのせいではありません。私は、
大阪の人さんの性懲りもない復活を強く望んでいます(そうでないと、議論が成立しない)。

こちらこそ、よろしくお願いします。

[518] Re: はじめまして 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/05/13(Mon) 13:03 <URL>
 猛獣文士さんちわぁです。目を通せていませんが、結構貴重な情報がありますね。適宜使わせて欲しいのですがどうでせう。私のサイトはリンクも引用も転載もフリーにしていますが、それが一般的とは云えないようですので確認です。

> れんだいこさん、はじめまして。さざなみ通信の記事や、ホームページを拝見しています。

 有難うね。ここのサイトの関連をれんだいこ観点から云えば、中国の文革をどう見るのか、その過程での権力交代劇を的確に分析せぬばならぬなと考えております。特に林彪評価と五人組評価問題は依然未総括になっているのではないでせうか。ここが出来ていないから、大阪の人さんのみならず宮顕―不破論理の跋扈を許すようになっていると思います。意欲は有るのですが知識が乏しいのでこれ以上はコメントできません。

> 私は、大阪の人さんの性懲りもない復活を強く望んでいます(そうでないと、議論が成立しない)。

 そうですね。れんだいこは大阪の人さん自身の論理形成経過に興味があります。宮顕―不破ラインの見解をまともに支持し得るなぞは、正常感覚では為しえないことだと考えておりますので、得心したい気分です。それにしては知識をふんだんに持っており、それでなお且つそういう見解になれるところが天然記念物的であり、しゃしゃり出てこざるを得ませんでした。こちらこそよろしくね。

[519] リンク、引用等について 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/05/13(Mon) 16:39
>  猛獣文士さんちわぁです。目を通せていませんが、結構貴重な情報がありますね。適宜使わせて欲しいのですが
> どうでせう。私のサイトはリンクも引用も転載もフリーにしていますが、それが一般的とは云えないようですので
> 確認です。

特にそのようなことを明記していませんが、私のサイトもリンク、引用、転載はフリーです。そのようなことは、
あまり想定してもいませんでしたのですが。とにかくそうです。

>  有難うね。ここのサイトの関連をれんだいこ観点から云えば、中国の文革をどう見るのか、その過程での権力
> 交代劇を的確に分析せぬばならぬなと考えております。特に林彪評価と五人組評価問題は依然未総括になって
> いるのではないでせうか。ここが出来ていないから、大阪の人さんのみならず宮顕―不破論理の跋扈を許すよう
> になっていると思います。意欲は有るのですが知識が乏しいのでこれ以上はコメントできません。

中国の文化大革命の問題、その過程での権力交代、林彪、四人組の評価ですか。いずれも大変難しく、気の重い
課題です。そのような問題意識からの分析が与えられれば、それは、もちろん、歓迎できる情報です。

一般的には、これらはすべて現在の中国及び中国共産党の公式見解で否定的に評価し、清算しているものであり、
中国の政治経済的な安定にもとずく健全な意味での発展を望んでいる私としては、正面から検討するのが、つらい
分野ではあります。

>  そうですね。れんだいこは大阪の人さん自身の論理形成経過に興味があります。

この点は、私も同じように興味があります。

> 宮顕―不破ラインの見解を
> まともに支持し得るなぞは、正常感覚では為しえないことだと考えておりますので、得心したい気分です。

理屈以前の人間関係等による支持、共感が先に来ている場合、このようなことはありうると思います。

> それにしては知識をふんだんに持っており、それでなお且つそういう見解になれるところが天然記念物的であり、
> しゃしゃり出てこざるを得ませんでした。こちらこそよろしくね。

とにかく、大阪の人さんの性懲りもない復活を期待しています。

[520] Re: リンク、引用等について 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/05/13(Mon) 21:03 <URL>
 猛獣文士さん皆さんちわぁ。

> 特にそのようなことを明記していませんが、私のサイトもリンク、引用、転載はフリーです。そのようなことは、
> あまり想定してもいませんでしたのですが。とにかくそうです。

 ありがとうね。れんだいこも想定していなかったのですが、結構責められており一応確認させていただきました。
>
> 中国の文化大革命の問題、その過程での権力交代、林彪、四人組の評価ですか。いずれも大変難しく、気の重い
> 課題です。そのような問題意識からの分析が与えられれば、それは、もちろん、歓迎できる情報です。

 「気の重い」という言葉の行間に伝わってくるものがあります。れんだいこは軽軽しくは扱うつもりはありませんが、何やもやもやとしているのも事実です。しかし、判断できる資料が乏しく当分続きそうです。
>
> とにかく、大阪の人さんの性懲りもない復活を期待しています。

 れんだいこもむしろ大阪の人さんと話してみたいですね。コスモポリタンさんとの話の途中の腰を折ったかな。コスモポリタンさん申し訳ありませんが、何や呼び水お願いします。とか書いたら逆効果かいな。

[480] 日本共産党と中国共産党の関係回復について 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/04/03(Wed) 23:42
日本共産党と中国共産党の関係回復について、日本共産党は、党員に対して「日本共産党の立場が勝利した」とか説明していて、「大阪の人」などもそれを信じているようですが、実際にはそういったものではありません。

まず、歴史的経緯を説明します。日本共産党と中国共産党は「国際共産主義運動」の「兄弟党」でした。両党の関係は、日本共産党と中国共産党を含む81ヶ国共産党-労働者党会議(1960年)で採択された「モスクワ声明」に則り、「独立 平等 内部問題不干渉」のものとされていました。「大阪の人」はこれを歪曲して、あたかも国家間の関係と同じようなものであったかのように描き出そうとしていますが、この党間関係の原則は、あくまで「兄弟党は、お互いを強く支持しあっている」「国際共産主義運動」の内部規律であって、国家間の関係とは関係がありません。ソ連共産党が崩壊し、それを宮顕が「もろ手を挙げて歓迎(笑)」したころから、いつのまにか「国際共産主義運動」の内部規律が、「国家主権」とか「民族自決権(笑)」の問題にまで格上げされ、『日本共産党の70年』では、ソ連共産党と中国共産党の「干渉」は、「日本民族の民族自決権(笑)と国家主権(笑)への侵害」にまで格上げされてしまいました。(言うまでもありませんが、政党間の関係は「民族自決権」とか「国家主権」とは関係ありません。もしそうなら、日本共産党が「お互いを強く支持しあっている兄弟党」の関係を外国の党の結ぶことは、「日本の国家主権を侵害する」「売国行為(笑)」なのではないでしょうか。)

さて、1960年代に、中国共産党の毛澤東指導部は、文化大革命を発動し、日本共産党と関係が断絶...まあこのあたりは解説不要でしょう。文革終了後、中国共産党の側から日本共産党の側へ関係修復へ向けた一定の働きかけがありましたが、この時は、日本共産党側が「反党分派との関係断絶」を求め、それを中国共産党側が受け入れなかったため不首尾に終わりました。この問題を解説すると、日本共産党は、「国際共産主義運動」の「兄弟党」として、「一国一前衛党論」に基づいて、日本共産党が「反党分派」とみなす組織と関係を持つことは「干渉」であり「併党論」であると主張したわけです。(「併党論」という言葉の意味は私には良くわかりません。)これに対して、日本労働党は、まず「日本労働党は中国の干渉によって作られた」という虚構に対して事実をもって反駁しました。日本労働党が結成された時、中国共産党は日本共産党(左派)を支持しており、日本労働党を支持しなかったこと、中国共産党と日本労働党の関係が樹立されたのは文革終了後であり、中国側は「日本労働党に面識のある人はいなかったが、その後たたかいの中で結ばれた」と発言していたこと。この点については日本共産党の主張は事実として成り立たないことは明白です。次に日本労働党は、日本共産党自身が「併党論」を実践しているではないかと指摘しました。インド共産党から分裂した「反党分派」である「インド共産党(マルクス主義)」や、ノルウェー共産党やデンマーク共産党から分裂した「反党修正主義者集団」であるノルウェー社会主義左翼党とデンマーク社会主義人民党と関係を結んでいるのはどういう訳なのか。またアイルランド労働者党は、アイルランド共産党から分裂した組織ではないが、日本共産党はソ連共産党が日本社会党と関係を結んでいることを非難していることから考えると、アイルランド共産党の許可なしにそのような関係は結べないはずである。このように、日本共産党自身が「併党論」を実施しているのだから、中国共産党に向かって「反党集団と関係を切れ」と要求する権利などないのです。

さて、日本共産党と中国共産党の関係回復にあたって、これらの問題は言うまでもなく取り上げられませんでした。なぜなら、中国共産党も日本共産党ももはや「国際共産主義運動」に興味がないからです。中国共産党と日本共産党の合意文書のどこにも「国際共産主義運動」「兄弟党」「60年モスクワ声明」などの文字はなく、ただ「内部事務不干渉」などの一般的な原則が記されているだけです。これは、中国共産党が社民党や自民党など日本の他の政党と結んでいる関係と同質のものであり、「国際共産主義運動の兄弟党」関係ではありません。つまり、「中国共産党が非を認めた」という性質のものではなく、「国際共産主義運動」から脱却した両党が、「国際共産主義運動」時代の対立は過去のものとなったので実利主義的な関係を樹立した、というものでしかありません。そのことは不破自身が認めています(「日本の野党と中国の政権党の関係」)。中国共産党は、日本共産党との会談の場で、日本労働党との関係断絶について口頭で確約したようですが、そのことは「一国一前衛党」論に基づいて日本労働党を「反党分派」としたものでは無論なく、もはや、約一千名の党員の日本労働党と、「国際共産主義運動」時代の関係を続けていくことに利益がなくなったからにすぎません。つまり、宮顕時代の日本共産党の主張は何ら受け入れられておらず、ただ「時代が変わった」結果でしかないのです。

言うまでもありませんが、中国共産党員でない猛獣文士さんが、日本共産党と中国共産党の合意に何ら拘束されるものではありません。

[482] 机上で知るばかりの知識を振り回すコスポリ氏に 投稿者:大阪の人 投稿日:02/04/06(Sat) 02:22
re:480
革命きちがいコスポリ氏よ、こんにちわ

あなたも、理屈いいだけは、傍観者(初代)氏にまさるとも劣らない
なかなかの論客とみました。

しかしながら、論が外れる、外れる。相手の論を論ばくするためには
手段を選ばず、議論がどこへでも飛んでゆくのは、その自由さからみて
当方よりもお若い、あまりリアルタイムでこの中国の干渉に関係する
日本の運動の妨害にはかかわりのない、”へりくついい”のウェブの
住人の一人と見ました。

|日本共産党と中国共産党の関係回復について、日本共産党は、党員に対して

それでは中国共産党はどのように述べているのか。中国共産党の代弁者と
なって、テキトーに解説しているだけではないか。世界革命を妄想する者よ。

||まず、歴史的経緯を説明します。
|(略)
||「モスクワ声明」に則り、
|(略)
|「大阪の人」はこれを歪曲して
|(略)
||国家間の関係とは関係がありません。

これこれ。前の論を撤回してしまったのかな。まずコメレボ氏は前には
「国家間の関係とは関係がありません」とは言わなかったはずだ。
前の議論は撃沈されてしまったので、また新たな不審船をだしてきたの
かな。(今回は面倒なので、しつこく聞きたかったら、先に「社会主義
と民族自決権」佐々木一司・聴濤弘 著 新日本文庫1990年ぐらいは
読んできてね。

|それを宮顕が

コスポリ氏よ、ここに出てきてもいない宮本氏をこのような下品な呼称
で呼ぶのはやめたまえ。当方は自分としては”希代の笛吹き男”と思う
寺尾五郎氏であっても”氏”とつけてまともに呼んでいるのだ。
宮修だとかも同様。革命きちがいの、お下劣を真似していると、君の
将来も暗くなるというものだ。ウェブの外では、こんな口ぶりは口を
ぬぐって知らぬふりをして暮らしているのでありましょう。でもね
人間の習い性というものは、でてくるものです。いつかね。そのときに
なって後悔しても知らないよ。

|宮顕が「もろ手を挙げて歓迎(笑)」したころから、いつのまにか「国際共
|産主義運動」の内部規律が、「国家主権」とか「民族自決権(笑)」の問題
|にまで格上げされ、『日本共産党の70年』では、ソ連共産党と中国共産党
|の「干渉」は、「日本民族の民族自決権(笑)と国家主権(笑)への侵害」に
|まで格上げされてしまいました。(言うまでもありませんが、政党間の関係
|は「民族自決権」とか「国家主権」とは関係ありません。もしそうなら、
|日本共産党が「お互いを強く支持しあっている兄弟党」の関係を外国の党
|の結ぶことは、「日本の国家主権を侵害する」「売国行為(笑)」なのでは
|ないでしょうか。)

今後、国家関係として、重大問題にのぼるような両国の禍根になる事態に
させたい、というコスポリ氏の、特殊な野望でありましょうか。そして
インドネシアの9.30事件のような惨劇を引き起こし、日本共産党をも根絶
やしにしようとする策動でありましょうか。それから”(笑)”も効果的
に付ければまだしも、何に対して笑いなのか、一向に見えてこない場合に
は「ひとりで笑っている変なやつ」という印象を残すだけでありまして
これは「さむい」はなしであります。

||さて、1960年代に、中国共産党の毛澤東指導部は、文化大革命を発動し
|(略)
||文革終了後、中国共産党の側から
|(略)
||この問題を解説すると

文革を発動した毛沢東ら指導部が、文革終了後に言ってきたと。
なぜ終了したのか。成功したのか? 失敗して国が破綻に瀕して
瀬戸際で持ち直し、今度は無原則に徹して日本自民党政府にも
すりより、「日米安保条約はビンの蓋」だとしていた時期の事で
あります。文革が正しかったならば、終了しないで続行すればいい
ではないですか。なぜ続行しないで終了にさせちゃったのでしょうかね。

それから、「左派の党をきらない」という80年代の中国党政府の方針
は外国に手を伸ばし、他国にはそうした党を育成するということで
ありましたが、自国には「一党独裁」で外国どころかあらゆる異論の
党を作らせない方針でありました。これが正しいとするコスポリ氏で
あります。これは問題ないのかね。社会主義にとって自由と民主主義は
必要な空気だとは思わないのかね。

|これに対して、日本労働党は(略)虚構に対して事実をもって反駁しました。

ふ、どこかで労働党のウェブから拾ってきたのか。自分が思っても
いない意見をカッコでくくって紹介するときには、やはり自信のなさ
が漂うものだ。

|日本労働党が結成された時、中国共産党は日本共産党(左派)を支持しており

パラレルに支持団体を育成するのは中国のお得意であります。
また、”草”というのは、一本で根こそぎにされないように
相互に関係ない状態で育成されるものであります。志賀氏と
その仲間もソ連側から一本の線で釣られたのではなくて、それぞれ
複数のコースで釣られていました。

|この点については日本共産党の主張は事実として成り立たないことは明白です。

従いまして、この”アリバイ”は、あまりあてになりませんな。

|次に日本労働党は、

なるほど。コスポリ氏は日本労働党のウェブから探してきた理由づけ
だったのか。相手の党がどのように主張しているか、そんな事はお構い
なしに、日本労働党の主張であると盲従するコスポリ氏。あまり世界中
の事まで当方は詳しくはないが、先日、インドの党の大会があったそう
で日本共産党の代表が訪印したそうです。それもCPIMの大会もCPMの大会
も連チャンで行ったようです。そしてCPIM党の代表はCPM党大会に出席
していて、統一した組織を模索しているのだとか。いずれにせよインド
の国の発展や運動に妨害者として日本共産党が干渉したわけではないので
ありまして、中国共産党に直接育成された毛沢東主義の革命きちがいの
一部日本人の”党”が内政干渉の実行者として日本で法治体制を脅かす
のは許せないし、コスポリ氏や猛獣氏のように、内政干渉の個々の事件
を殊更に逆宣伝に取り上げ、これを美化し、再度日本への内政干渉をと
画策するなどという者には、しかるべき批判があるべきです。

|ノルウェー共産党やデンマーク共産党から分裂した

ああ、だいたいわかった。この「ノルウェー共産党」などの組織は
皆ソ連派の極小組織であります。外国の干渉に乗って、自ら自国の
政治に責任を負わない日本労働党とウリ二つのコスモポリタン党で
あります。こうした”党”にいちいち構っているヒマはないのよ。
そもそも「その国の首都に手を伸ばして、犬の頭を殴ってやる」等
とお下劣に騒いでいた文革当時の北京の紅衛兵どもとは違いまして
日本共産党は外国に手をのばして干渉したわけではない。中国の
内政干渉というのは、実行行為として「造反外交」「文革外交」と
言われるひどい内政干渉をふるっていたのであります。そのせいで
ほぼアルバニア以外の諸外国との外交関係が皆断絶してしまう程
の”成果”でありました。日本労働党やその論をあてにするコスポ
リ氏はこの時期の中国のように今の中国が世界各国から孤立するの
がいいと思っているわけだ。

|日本共産党自身が「併党論」を実施しているのだから、中国共産党
|に向かって「反党集団と関係を切れ」と要求する権利などないのです。

と、日本労働党が言っていて、それをコスポリ氏がオウムのように
口まねしているわけだ。外国の党に直接育成された内政干渉のための
特殊な”党”の主張をあてにするコスポリ氏。

|さて、日本共産党と中国共産党の関係回復にあたってこれらの問題
|は言うまでもなく取り上げられませんでした。

前に傍観者(初代)氏あてに当方が書いたのだけれど、このBBSの
記事は皆読んで暮れているのかな。80年代の交渉の時には認めな
かった内政干渉の時の育成された組織の件。これが中心的な課題で
ありました。コスポリ氏の議論は上っ面なめているだけです。

|中国共産党と日本共産党の合意文書のどこにも「国際共産主義運動」
|「兄弟党」「60年モスクワ声明」などの文字はなく、ただ「内部事
|務不干渉」などの一般的な原則が記されているだけです。

はれ?「内部事務」って何? さすが盲従組織日本労働党の口まね
しているコスポリ氏らしく、これは中国語のそのまま原語を出して
いるのでしょうか。日本語と中国語とは同じ漢字を使っているよう
でいて、別の意味も存在します。この「内部事務不干渉」というの
が内政不干渉の党の原則であります。そしていつぞやコスポリ氏が
無意味だとしていた当の原則そのものであります。

|これは、中国共産党が社民党や自民党など日本の他の政党と結んで
|いる関係と同質のもの

おりょりょ。自民党や社民党との間に、

||三、中国側は、六〇年代の国際環境と中国の「文化大革命」など
||の影響を受け、両党関係において、党間関係の四原則、とくに内
||部問題相互不干渉の原則にあいいれないやり方をとったことにつ
||いて真剣な総括と是正をおこなった。日本側は中国側の誠意ある
||態度を肯定的に評価した。
||
||四、双方は今回の会談により、両党間に存在した歴史問題が基本
||的に解決されたことを確認し、日本共産党と中国共産党との関係
||の正常化を実現することに合意した。

などという文言がどこにあるのか、日時と名称、その本文をあげて
教えてください。ちなみに「中国共産党の対外路線の検証」佐々木
陸海著新日本文庫では、あなたより詳しく、中国共産党が他国の党
とどのように関係を修復したのか、解明しています。中国党は非常
に気位が高い党であるようで、「過去は水に流して」だとか双方が
悪かったが前向きにというような関係改善の文書で再開したものは
多いが、この日本共産党との98年合意ほどのきっぱりとした真剣な
総括と是正をしたのは初めてであります。

|日本労働党を「反党分派」としたものでは無論なく、もはや、
|約一千名の党員の日本労働党と、「国際共産主義運動」時代
|の関係を続けていくことに利益がなくなったからにすぎません。

なぜ日本労働党は約一千名に落ちぶれ、人民の海に溺れてしまった
のでありましょうか。コスポリ氏はこの冷厳な事実からこの問題
を考慮してみる必要があったのかも知れません。しかしもはや
手遅れなのかな。日本労働党も、その他の新たな”党”もあらゆる
中国の手先、(ソ連の手先がまずいて、それに対抗するという大義
名分がそこはかとなく当時はたったりしていたはずですが、ソ連の
干渉も消えると、ますます中国の干渉ばかり浮き上がってきますし)
を新たに育成して、対日干渉することは、もはや無理です。日本共
産党も、1960年代当時と比して、誰がみても勢力が大きくなりました。
1960年代中葉の日本共産党は、歴史はあれどもなりは小さい、ニセ
左翼の”党派”と比べられても「どちらが本家か」などと言われる
程度であったということも今や過去でしかありません。

|つまり、宮顕時代の日本共産党の主張は何ら受け入れられておらず、
|ただ「時代が変わった」結果でしかないのです。

まだ宮本氏の事を「宮顕」と呼ぶか。不作法まるだし。山出しの
世間知らずですな。口ぶりもだんだん社会から閉ざされた穴蔵に篭る
テロリストらしくなってきている事に注目。さてさて、今度は
どうでてくるやら。どうして「時代がかわった」事を直視できない
ようになったのかな。時代は刻々と変わっているのであります。
1960年代中葉に、トロツキー氏の信奉というのも時代遅れであり
まして、「世界革命の百科全書」「世界をあまねく照らす革命の太陽
毛沢東主席」とするのも時代に適合しませんでした。まして緊要
な日米安保条約を廃棄して日本を平和で中立の国にするという課題
などは”世界革命家”コスポリ氏には眼中にはない。日本がダメに
なったら外国にでも逃げおおせ、どこでもいつでも「世界革命」だと
ホラばかり吹くのでありましょうか。

|言うまでもありませんが、中国共産党員でない猛獣文士さんが、日
|本共産党と中国共産党の合意に何ら拘束されるものではありません。

言うまでもありませんが、猛獣氏は、この1960年代後半からの対日干渉
中国共産党政府の謀略に加担して、青春を送ったということで、それ
を美化して、当時の”敵”を再び誹謗中傷するウェブを作ろうと思って
いたのでありました。当時「傷ついた」とも「恋愛に傷ついた」とも
どちらとも取れるようなあやふやな記述で、猛獣氏がどのようにこれに
関与したかは存じ上げませんが、簡氏は家だか店だかをガラス割りに
暴徒に襲われたとか、日本華僑の猛獣氏の知人にもそれなりに文革の
被害はある模様であります。ここがコスポリ氏と猛獣氏との違いで
ありまして、猛獣氏にとり、文革はまだいやされぬ傷であるとともに
どうしても美化したい青春の思い出でもあるというアンビバレンツな
関係であるようです。コスポリ氏はあまりに割り切りが良すぎるのでは
ないかな。観念的な腑分けというか。当方を相手にしての論難をウェブ
的に調子よく吹くだけでは猛獣氏の傷は癒えないのであります。それ
から、ボタンのつけそこないの発端が、党員でもない猛獣氏らを動員
した中国党政府の政策としての内政干渉「愛国華僑」路線であるのな
らば、猛獣氏らはこの「愛国華僑」路線を反省して出直しする所から
でなければこの問題に決着をつけることはできません。としますとまず
98年合意を尊重し、この趣旨を理解し、何を間違ってこんなに対立を
長引かせてしまったのか、どうしたら将来に渡って平和的に「日中の
架け橋」たる日本華僑となることができるのか、政治的発言を外国人
として今決められている以上にするのには日本国籍を取るなり、本国
に戻るなりすべき事など、その無原則路線からのリハビリが必要で
あります。そのために当方は1953年の廖承志の発言だとか、1954年の
紅十字会の訪日の際の華僑代表への挨拶の内容だとか、華僑の踏まえる
べき原則にも言及しているのであります。「心に国旗を」だとか「有利
有理、有節」だとか、重要な原則であります。

それから中国共産党は当時も今も中国の政権党でありまして、猛獣氏は
中国政府が全的に華僑学生を支持したのだとてっきり思い込んでいた
のでありまして、これは単なる党間の原則の話ではなく、猛獣氏の
ような存在そのもの(非党員の関与)こそが、単なる党間関係の「宣言」
の問題を大きく超えた、国家間の内政干渉であるという裏付けでもある
ということを申し添えておきます。

[484] Re: 机上で知るばかりの知識を振り回すコスポリ氏に 投稿者:革命きちがいのコスモポリタン 投稿日:02/04/06(Sat) 06:13
この人を相手にするのは退屈なのだが、余りに面白いので少し。

新日本文庫『社会主義と民族自決権』を勧められましたが、言うまでもなくこんな本はとっくに読んでいます。批判する価値もないゴミクズと言わざるを得ません。
そもそもマルクスとエンゲルスが「民族自決権を擁護していた」などという事実は、全くないのでありまして、彼らはヘーゲルから受け継いた「歴史的民族と非歴史的民族」を区別し、「非歴史的民族」には自決権を認めないという理論を持っていたのであります。(ただし、この立場を明らかにしている論文はいずれもエンゲルスの執筆であり、マルクスはこの立場を共有していなかったのではないかという議論はあります。)新日本文庫のクズ本を有り難がって読んでいるような水準の方にマルクス主義を説いても仕方がありませんのでこの本に対しての批判はしません。

ここでのテーマと関連する問題はただ一点です。つまり「政党」の関係と「民族自決」の関係は全く別であるということです。こんなことは小学生でもわかると思います。もし「政党の自主独立」と「民族自決権」が対応するものであれば、なぜコミンテルンが存在したのでしょうか? コミンテルンは言うまでもなく世界政党であって、「各国の自主独立」などは存在しえないものであります。また、ソ連国内においても、ソ連は「各共和国の連合体」であって、各共和国は「民族自決権」によって連邦から離脱することができたのでありまして(実態はともかく憲法上では)、もし「政党の自主独立」と「民族自決権」が対応するものなら、言うまでもなくソ連共産党も中央集権的ではなく各共和国共産党の(離脱の自由を伴う)連合体でなければならないはずです。実際、戦前の日本官憲は、日本共産党を、「国体の転覆をめざす存在」であるというだけでなく、「世界革命をめざす国際共産党に加盟しているから日本国の存在基盤をゆるがす」と非難していたのです。(だから佐野/鍋山のいわゆる転向声明は、最初の段階では共産主義の放棄まではまだうたっていませんでしたが、「コミンテルンからの脱退」を主張したことは支配階級から歓迎されたのです。ついでながら、立花隆『日本共産党の研究』では、この転向声明が引用され、佐野/鍋山の最初の立場(共産主義の完全放棄を声明する以前の立場)は、宮本共産党の「自主独立の立場」そのものであることを指摘していますが、同感です。宮顕はもし正直な人間であれば、「佐野/鍋山を再評価する」とはっきり言うべきでした。)

スターリン主義者はご存知ないでしょうが、初期のソヴェト政府は明白に「世界革命」の原則に立って活動していたのであって、海外の革命運動にたいする資金援助も公然と行なっていたのです。だからこそ諸外国政府がソヴェト政府をなかなか承認しなかったのです。これは、今日の日本共産党によれば、「民族自決権の侵害」とされることでありましょう。言うまでもなく新日本文庫のゴミ本はこのような事実に触れていません。「大阪の人」にしても、せめて自分で『コミンテルン資料集』やら『レーニン全集』に目を通していれば、新日本文庫のゴミクズ本にだまされることもなかっただろうに。

ソヴェト政府と資本主義諸政府が関係を正常化するに従って、ソヴェト政府自身が「世界革命」をよびかけることはなくなり、「世界革命」をめざす活動はコミンテルンに任されることになっていきましたが、コミンテルンという世界政党の存在自体を疑うような共産主義者はどこにも存在しなかったのです。(コミンテルンの路線に反対して分裂した共産主義組織はいくつかありますが、いずれも政策/政治路線に反対したのであって、世界政党の存在自体に反対したのではありません。彼らのうちの、ドイツ共産主義労働者党(KAPD)などは、「共産主義労働者インターナショナル(KAI)」という別の世界政党-短命に終わったが-を結成しました。)

また、スターリン主義者の基準に照らしてさえも、日本共産党の「民族自決権」論は異常です。60年モスクワ声明によれば、81ヶ国のマルクス=レーニン主義党は「かたく団結し、支持しあっている」ということです。日本共産党とソ連共産党が「かたく団結し、支持しあっている」のは日本の民族自決権の侵害なのではないでしょうか? 日本共産党以外の組織をソ連共産党が支持したら「民族自決権の侵害」なのに、日本共産党ならいいのでしょうか?

そもそも「民族自決権」というのは、マルクス主義の用語では、「被抑圧民族が分離独立する権利」のことなのですが、日本共産党の場合には「国家主権」の同義語となっているようです。まあそれはそれでいいですが、レーニンの文章を引用するならば、「レーニンの言う『民族自決権』とわが党のそれとは意味が違います」とちゃんと注釈すべきではないかな。それをしないのは「大阪の人」のような無知な党員を騙すためとしか考えられないですね。

>宮顕

という用語が「下劣」だというのは初めて聞きました。党員の間でも使われているはずですが。また上田耕一郎の場合も「上耕」というように、単なる略称であって、悪意をこめたものではないはずですが。不破哲三とか野坂参三とかは語呂が悪いので2文字に略されることはないが、徳田球一は「徳球」と呼ばれてたし、山本宣治は「山宣」、渡辺政之輔は「渡政」ですね。

>今後、国家関係として...

この段落は全く意味不明。すでに説明したように、「内政不干渉」というのは、ブルジョア国際法の概念であって、政党とはかかわりがありません。また、共産主義者にとって世界は一つであり、ブルジョアジーの「主権」とか「内政不干渉」とかには全く興味がありません。

ところで、「大阪の人」によれば、コミンテルンの存在は「内政干渉」であり、コミンテルン日本支部日本共産党の存在も「内政干渉」なのだろうか? 「内政不干渉」というブルジョア国際法の原則は、コミンテルン結成以前にすでに存在しているのだから、「今日とは情勢が違う」という言い逃れは通用しませんよ。まあ、日本共産党が、コミンテルン時代の歴史を否定し、完全な日本民族主義政党への転化を完了するのも時間の問題だろうが。

繰り返しますが、「大阪の人」の主張は、共産主義者同盟以来の共産主義運動の全歴史を否定するものです。

親切に講義してあげます。

最初の共産主義組織は、ドイツ人亡命者の「義人同盟」を改組した「共産主義者同盟」でしたが、この組織がすでに国際組織でした。「義人同盟」は「ドイツ人の組織」と規定していましたが、マルクス/エンゲルス(だけではないが)の理論的指導下で「共産主義者同盟」への転化を為し遂げるにあたって、「ドイツ人の組織」とうい規定は削除され、国際組織となりました。(実際にはドイツ人が多かったのは事実ですが。)『共産党宣言』は、この国際組織「共産主義者同盟」の綱領であり、「万国のプロレタリア団結せよ」の有名なスローガンは、抽象的な精神的連帯のことを言っているのではなく、まさしく国際組織としての「共産主義者同盟」に結集せよという意味にほかなりません。

また、いわゆる第一インターナショナル(国際労働者協会)は、その結成宣言に明らかなように、「労働者階級の経済的解放のためには、文明諸国の労働者階級の努力を結集することが不可欠である」という理由で結成されたものです。

このように、共産主義運動とはまさに単一の国際運動であって、「各国の自主的運動」ではありえないものなのです。「大阪の人」および日本共産党の主張は、まさに共産主義運動自体を完全に否定するものにほかなりません。

>文革を発動した....

この後の2段落は、全くの論点ずらしですが簡潔に答えましょう。

私はすでにここでの投稿で、毛澤東主義は「スターリン主義の一変種」であると規定しているのであって、私が文革を肯定するはずのないことは誰でもわかると思います。なぜ私に対してこんな無意味な問いかけをするのかわかりませんが、おそらく「日本共産党に反対するものはみんな文革支持者だ」と思っているのでしょうか。私の立場は、すでに述べた通り、

1)文革は支持しない。文革は「反官僚闘争」ではなく、スターリン主義体制の再編闘争。
2)国外に形成された毛澤東主義運動(日本のそれも含めて)は、スターリン主義の一変種であって、支持しない。しかし、それを支持した人々の多くは、毛澤東主義が「フルシチョフ修正主義」や「宮本修正主義」などにたいする革命的代案であると信じて支持したのであって、その点を理解する必要がある。(全否定の態度は取らない。)
3)また、日本共産党や「大阪の人」が言っている「干渉」云々の主張は全面的に退ける。階級闘争は国際的であるから、党派闘争もまた国際的である。毛澤東主義を支持すると否とにかかわらず、毛澤東主義派がその運動を国際的に形成しようとするのは当然であって、「干渉」云々は民族的偏狭と「自国」ブルジョアジーにたいする屈伏に過ぎない。日本共産党が毛澤東主義に反対するなら堂々と国際的党派闘争をすれば良い。

>日本労働党について

私が日本労働党支持者でないことは誰にでも分かるでしょうが、どの党派であれ理にかなった主張は支持します。これは当然の態度だと思います。
日本労働党が、日本共産党の「併党論」云々に反撃した際、日本共産党は一言もこれに反論することができなかったのは事実です。
また、日本共産党が「併党論」云々の主張をしていた時期でさえ、日本共産党は「一国一前衛党論」という「国際共産主義運動」の論理で中国共産党を批判していたのであって、「日本共産党への干渉は内政干渉」などという、政党間の関係と国家間の関係を混同するような主張はしていません。

科学的社会主義の原則と一国一前衛党論
http://www.interq.or.jp/hot/jcp-a/main/kokusai/ikoku.htm

この文章では、「わが国の運動の自主性を擁護したこのたたかいは、たんに日本共産党と日本の革命運動だけにかかわる問題ではなく、また国際共産主義運動内部の問題にとどまるものでもなく、日本の国と民族のこんごの自主的発展にとっても、民族自決権を擁護する国際的なたたかいにとっても、きわめて重大な意義をもつ」という宮顕独特の論理がすでに登場している(ただしはっきりとした「内政干渉」という規定はまだ登場していない)のですが、これがいつごろから登場するのか調べてみたいと思います。早くても70年代以降であることは確実でしょう。またこの論理は、60年モスクワ声明には当然ありませんから、日本共産党の勝手な主張ではあっても日本共産党と中国共産党の共通の了解事項では当然ありません。

>日本共産党はインドに干渉したわけではない

そうですが本当でしょうか。そもそも日本共産党によれば、正当な党(モスクワ声明に参加した党)から分裂した組織を支持すること自体が「干渉」であった筈であります。

>「ノルウェー共産党」などの組織は、ソ連派の極小組織であります

あれえ、そんなこと言っていいのかなあ。日本共産党によれば、「独立 平等 内部問題不干渉」の原則は、「政権を持つ党であるか、国が大きいか、党員が多いかといったこととは無関係」であって「各国の共産党はすべて平等」なのではなかったかなあ。モスクワ声明にも、「極小組織は無視していい」などとは書いてありませんね。また、「極小組織」と言っても、80年代のデンマーク共産党にしろノルウェー共産党にしろ、国政選挙で1%前後の得票を得る程度の勢力はあったのであって、日本共産党が関係を持っていた大ブリテン共産党やドイツ共産党(DKP)よりは人口比での勢力は大きかったと思いますがね。要するに、「ノルウェーやデンマークには、日本共産党と関係を持てる左翼社民の党が存在したから共産党を無視したが、大ブリテンやドイツには存在しなかったから共産党との関係を維持した」ということでしょ。日本共産党の「原則」なるものは、要するに徹底した御都合主義なのね。

また「ソ連派」であることが断交の理由になるということは、要するに党の路線を勝手に判断して関係を断ったり他の党と関係を樹立しても良いということです。これはきわめて常識的な判断だと思いますが、日本共産党にとっては困る話です。

ポルトガル共産党は、ソ連派の党でありましたが、日本共産党から分裂したソ連派を支持はせず、日本共産党との関係を保ちました。ポルトガル共産党は、「たとえ分裂した集団(志賀グループ)にわれわれが賛成しているとしても、外国から日本共産党を分裂させるような行動は支持できない」と主張し、この立場は日本共産党から称讃されました。ポルトガル共産党にくらべて、日本共産党の何と無原則なことか。

>こうした党にいちいち構っているヒマはない

そうですか、なら中国共産党も同じことを言う資格がありますね。

>自民党や社民党との間に、、、


自民党や社民党は「国際共産主義運動」の「兄弟党」ではありませんから、「国際共産主義運動」における「両党間の歴史問題」は、当然存在しません。それくらい、いくらあんたでもわかるでしょ。文革以前は国交すらなかったのに、自民党と関係があるわけないし。社会党(当時)とは関係があったが、「兄弟党」ではないから「干渉」などが問題になるような関係では、もともとなかった。ただし社会党内でも親中派を育成しようと努力はしているけど、日本共産党と違って「一枚岩」ではないから、それは「干渉」とはみなされなかったわけね。

>華僑の踏まえるべき原則.....

猛獣文士さんが共産主義者かどうかは知りませんが、私は共産主義者なので、国境とか国家主権を認めません。したがって「内政干渉」も当然存在しません。私は国籍や居住国による政治的権利の制限を認めません。(もちろん、戦術的考慮は行ないます。)共産主義者にとってはイロハに属することでしょうが、共産主義者はブルジョア国民国家ではなく、国境のない未来と、それを実現するための世界的運動に属しているのでありまして、ブルジョア国家の「主権」だの「内政不干渉」だのは当然認めないのであります。

以上。

[499] 騙し舟のような議論に見える 投稿者:大阪の人 投稿日:02/04/14(Sun) 03:39
#484
||>今後、国家関係として...
||この段落は全く意味不明。すでに説明したように、「内政不干渉」というのは、
||ブルジョア国際法の概念であって、政党とはかかわりがありません。また、
||共産主義者にとって世界は一つであり、ブルジョアジーの「主権」とか「内政
||不干渉」とかには全く興味がありません。

この段が一番問題あると思うので端的に指摘したい。

内政不干渉の原則は、中国共産党も明白に掲げている原則でありまして
日本共産党だけが勝手に述べているのではありません。そして98年合意
の核心はこの原則に「あいいれないやりかた」をとった中国共産党が
これを「総括し是正の措置をとった」事であります。もしも猛獣氏や
任氏、あるいは1967年春の反共オールスターズの面々の運動が中国共産党
の差し金でないといいはるのであれば、中国共産党はこんな話を合意に
書き込む必要はないのであります。政権党として、党の方針を、国家
機関の官僚組織と国家財政を投入して実行した、その中で寮生ら在外
邦人も(プロパンガンダに煽られた者も、国家資金が投入されるので
ありますから、さまざまな野望をもってこれを利用しにきた者もあった
でありましょう)動員されていたのであります。あらためて申しますが
任氏も、その他の友好商社も、(元正統)[社団]日中も、国貿促も
中国研究所も、どこもこの責任を取りうる立場にはないのです。独り
中国共産党がその責任をとって「あいいれないやりかた」をとったこと
に対して「総括し是正の措置をとった」のでありました。ただし国内的
には措置をとったかもしれないが、肝心かなめの手足に使われてしまった
在外邦人、この場合日本華僑の事ですが、ここには、あまりに無原則が
ひどくて、これを「原則にあいいれないやり方」だったので「総括し」
「是正の措置をとった」からと親切に説明はしていない、というだけ
の事でありまして、それは中国国内事情というべきであります。

それから「今後国家関係として」の意味が不明との事なので解説します。
||今後、国家関係として、重大問題にのぼるような両国の禍根になる事態に
||させたい、というコスポリ氏の、特殊な野望でありましょうか。そして
||インドネシアの9.30事件のような惨劇を引き起こし、日本共産党をも根絶
||やしにしようとする策動でありましょうか。

中国公民が、今新たに文革を賛美し、これから再び中国党政府の
意のままに日本国内に革命の輸出の政策に動員され、その手足として
日本政治を撹乱し、テロ行為をはたらくのが良い、とするコスポリ氏
でるとする指摘であります。
このような事態になれば、反革命側もインドネシアのスハルトクーデター
のように華僑ポグロムも日本共産党の全滅ということも、再現すると
いう可能性に言及しているのです。世界革命のための世界党というの
がコスポリ氏の理想でありましょうが、そうした机上の空論ではなく
現実の可能性の中の一番忌まわしい可能性について言及しているのです。
もっともコスポリ氏が思うほど、猛獣氏をはじめとした華僑は愚かで
はないし、今の中国党政府も文革の再発動はしないのですがね。

|>「ノルウェー共産党」などの組織は、ソ連派の極小組織であります
|あれえ、そんなこと言っていいのかなあ。

とにかくね。日本共産党が”ノルウェーに手を伸ばして、犬の頭をな
ぐる”なんてお下劣な言葉でノルウェーの党を攻撃したりはしないのです。
これはまさに文革当時の紅衛兵の対日内政干渉との違いであります。

|また「ソ連派」であることが断交の理由になるということは、要するに
|党の路線を勝手に判断して関係を断ったり他の党と関係を樹立しても良
|いということです。これはきわめて常識的な判断だと思いますが、日本
|共産党にとっては困る話です。

違います。自国に根のない、浮き草政党だという意味であります。
別に「ソ連派」が嫌だから「日本共産党派」を各国に育成してその国の
革命まで面倒見るとか、日本共産党を賛美する応援団にさせようなんて
方針をとったわけではないから。この点、まさに中国の文革当時は外国
に「中国盲従党」を育成して、それに自党賛美をやらせたり、その勢力
が政権を奪取したら、中国本国の米不足を補うために飢餓輸出させて
みたり(ポルポト派)していますが、これと一緒にしないで欲しい。

|ポルトガル共産党は、ソ連派の党でありましたが、日本共産党から分裂
|したソ連派を支持はせず、日本共産党との関係を保ちました。ポルトガ
|ル共産党は、「たとえ分裂した集団(志賀グループ)にわれわれが賛成し
|ているとしても、外国から日本共産党を分裂させるような行動は支持で
|きない」と主張し、この立場は日本共産党から称讃されました。ポルト
|ガル共産党にくらべて、日本共産党の何と無原則なことか。

ものはいいよう。中国の党よりは日本共産党の方がよいのです(きっぱり)
(この発言は、たしか不破氏の「内通と干渉の記録」にありましたね)。

|>こうした党にいちいち構っているヒマはない
|そうですか、なら中国共産党も同じことを言う資格がありますね。

あれ、【中国党と日本党との関係】でしたか。先程は政府間関係だから
猛獣氏は「革命無罪」だとか言っていたくせに。やはり責任とるのは
中国党だとお認めになるか。「ダマシ舟」のように帆柱と思って指摘
したらそれは「舳先」で、舳先だとして批判したら「帆柱」だと逃げる。

それから中国共産党は、当時、北京放送や北京周報など日本語の
宣伝機関をもっていて、これを全部利用しました。貿易関係も
その後数十年を経ても傷の癒えない、ひどい外交文書を締結して
恥を後々に曝しました。この中で述べられた「四つの敵」の規定
の最大の規定が日本共産党を現代修正主義だとする規定であります。
その頭目としていたソ連とは関係結び、アメリカともニクソンを迎えて
美化して関係を結び、日本の反動支配層の中でも中曽根氏や岸氏の
ような折り紙付きの旧内務官僚、海軍主計将校出の極右と手を結び
日本共産党だけを敵視して、30年居たのです。ちなみにコスポリ氏
の大好きな部落解放同盟の一時は委員長であった上田卓三氏はきっすい
の現代修正主義者として志賀義雄氏ら「日本の声」に連座して日本
共産党を除名されているばかりでなく、レフチェンコ氏に名指しで
ソ連のエージェントと指摘され、その後にリクルートコスモス社の
未公開株譲渡という、ブルジョア議会主義からも許しがたい疑惑で
政界を去ったのでありました。上田氏の秘書であった谷畑たかし氏
は今は自民党野中派で頑張っています。これらが日本共産党を除く
他の(早くから中国党が免罪した)「四つの敵」でありました。

|>自民党や社民党との間に、、、
|自民党や社民党は「国際共産主義運動」の「兄弟党」ではありませんから、
|「国際共産主義運動」における「両党間の歴史問題」は、当然存在しません。

「党間関係の4原則」というのは、中国共産党がすべての党と
の関係を律する4原則として掲げているのであります。従い自民党
とも社民党とも4原則で関係を結んでいるはずです。しかしながら
もっぱら中国党が、「原則にあいいれないやり方」をとった事に関して
「真剣な総括と是正の措置」をとった事に関して、両党関係確立に
たいして【その合意文書に盛り込むのか?】 ということであります。
ここにも尻抜け、だまし舟型のコスポリ氏の言い逃れがあります。
日本共産党にだけ、特段にひどい仕打ちをしたが、これは原則に
あいいれないやり方をとった、と認めて是正したり総括したりして
いるのであります。猛獣氏も中国党の立場の解釈のためにやっきと
なり、傍観者(初代)氏も同じく80年代中国共産党のスポークスマン
をかってでて、何やら述べておりましたが、コスポリ氏も何やら
いいたげであります。

ちなみに98年合意で日本共産党と中国共産党とが「特別な関係」を
締結したとは思いません。それでよいのです。これまでの文革以来
の関係が異常な関係であり、この異常さの根源が中国党の一方的な
干渉行為によるものであり、これを中国党が認め、今後はしないと
いう態度を明らかにするために、それが「原則にあいいれないやり方」
であったと書き込むだけでよいと不破氏らはしているのであります。

|私は共産主義者なので、

うそ。「自称共産主義者」って信用できないね。

|国境とか国家主権を認めません。したがって「内政干渉」も当然存在しません。
|私は国籍や居住国による政治的権利の制限を認めません。
|(もちろん、戦術的考慮は行ないます。

たんなる口先番長なのではないのか。それとも国際テロリストなのか。
”国家主権を認めない”のなら、中国の日本帝国主義支配からの独立闘争
というのも意味のないこととなってしまう。これは猛獣氏も死に物狂いで
反論されてもよいはずの、許しがたい議論であります。とりわけ日本人の
コスポリ氏が外国人の主催しているこのBBSの中でそのように国家主権を
ないがしろにする発言をするということは、これはコスポリ氏こそが
いつか「中国に手を伸ばして」氏の気に入らない人に「犬の頭を殴る」
事やガラス割る事などをしかけてくるという潜在的な可能性もあるという
事であります。これこそ羊の革を掲げて狗肉を売る、日本帝国主義の
手先の現代的な現れではないか? ちなみに当方は外国に行くときには、
けして内政干渉せずにおとなしく観光して、喰って、写真とって、できれ
ば友達つくってくるだけであります。わっはっは。

共産主義者というイメージは、コスポリ氏のごとき口悪い人では
なくて、誰にでも物腰やわらかく、親孝行で、働き者というような
印象を当方は持っていますが、コスポリ氏は親でも平気で殺しそうな
勢いであります。イデオロギーとしましては、労働者のものというより
没落しかかりの小ブルジョアジーのものでありましょう。

|)共産主義者にとってはイロハに属することでしょうが、共産主義者は
|ブルジョア国民国家ではなく、国境のない未来と、それを実現するため
|の世界的運動に属しているのでありまして、ブルジョア国家の「主権」
|だの「内政不干渉」だのは当然認めないのであります。

やはり【自分にとって国境はないも同然だから猛獣氏にも国境を超えて
平気で内政干渉をせよ】との意図からの発言でありました。コスポリ氏に
とり国境はないものであっても、華僑の猛獣氏にとり日本は外国であり
ます。騙し舟型の挑発者コスポリ氏へ。

[503] Re: 騙し舟のような議論に見える 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/04/15(Mon) 08:15
Re:No499

相手にするのがバカバカしいとは、まさにこうした御仁のことを言うのでありましょう。しかし「宿題」を出してあげた手前もあり、もうすこし相手してあげましょう。

>内政不干渉の原則...

だから何度も言うように、日本共産党と中国共産党の関係は「国際共産主義運動」の「兄弟党」の関係であったのであって、「内政不干渉」という国家間の関係とはかかわりのないことであります。また現在の中国共産党が「内政不干渉の原則」を"党間の"関係について述べているのは、中国共産党が「国際共産主義運動」から脱却しているからであります。1960年モスクワ声明でも、述べられているのは、あくまで各"党"の内部問題不干渉であって、「国際共産主義運動」が国家間の関係とは別の存在である以上、党間の関係と国家間の関係に同じ原則が通用するはずはないのであります。

69年モスクワ声明を見よ。国際共産主義運動の各党は、「かたく団結し」「お互いに支持しあっている」のであります。つまり中国共産党は日本共産党を強く支持し、日本共産党は中国共産党を強く支持していた(少なくとも関係断絶以前は)ということです。これは内政干渉ではないのでしょうか? はぐらかさずに答えてみよ。日本共産党を支持するのは内政干渉ではなく、日本共産党に反対するのは内政干渉だというのでありましょうか。

また、「大阪の人」は答えないようなので、もういちど質問しますが、コミンテルンは内政干渉組織ではないのでしょうか? だって、「大阪の人」によれば政党間の関係と国家間の関係は同じなのだから、国際政党などというものが存在すること自体が「内政干渉」の筈であり、それに加盟する者(国際共産党日本支部日本共産党)はまさに「売国奴」であり、弾圧されて当然ということになりませんか? 当時の日本共産党が、ソ同盟から活動資金をうけとり、「ソ同盟の防衛」を掲げていたことは周知の事実であってこれはまさしく「赤色ロシヤの手先」であって、日本国の独立を侵害する組織であったのであります。(念のため申し上げますが、これは私の主張ではなく、「大阪の人」の論理を適用すればこうなるということです。)

そもそも共産主義運動とはその創立いらい国際的な存在であって、それに「内政不干渉」などという原則が存在しようがないのであって....いやこんなことを説教しても仕方がない。

とりあえず、これだけ。

[506] 外国のおならもかぐわしいコスポリ氏 投稿者:大阪の人 投稿日:02/04/15(Mon) 14:52
|「ソ同盟の防衛」を掲げていたことは周知の事実であってこれは
|まさしく「赤色ロシヤの手先」であって、日本国の独立を侵害する
|組織であったのであります。(念のため申し上げますが、これは
|私の主張ではなく、「大阪の人」の論理を適用すればこうなると
|いうことです。)
|そもそも共産主義運動とはその創立いらい国際的な存在であって、
|それに「内政不干渉」などという原則が存在しようがないので
|あって....いやこんなことを説教しても仕方がない。
|とりあえず、これだけ。

日本共産党に結集している人はというと、世界党だとかソ連党の
ために活動するために集まっているのでありません。戦前の共産
党の活動は、日本の真の愛国主義と、中国朝鮮を始めとした諸国
の平和と独立を願う運動との連帯とを結合し野蛮な天皇制支配と
勇敢に闘い平和と主権在民を主張はしたわけでありますが、ここ
にコミンテルンのあれこれのスローガンが入っていたとしてもこ
れを打ち消すことはできません。

これは毛沢東氏らの中国共産党の独立の活動にもあてはまります。
また、コミンテルンが日本帝国主義に反対する勢力に資金提供
したり援助しているのは、蒋介石国民党にも援助しているわけ
であります。客観的にもうせば、日本帝国主義というのは世界の
反帝民主勢力の共同の敵であるばかりでなく、およそ平和の敵
反ファシズム統一戦線の結束した闘いの対象でありました。
但し、コミンテルンが「反ファッショ統一戦線」を主張する前
から日本共産党は苛烈な日本の現状の中で、それを実行していた
ということであります。

外国のいいなり、内政干渉のために、入りたくて宮本氏や市川
正一氏、小林多喜二氏、らが活動していたようにいうのは、まさしく
コスポリ氏自らの事大主義、他所の国ならオナラもかぐわしいと
いう発想であります。

ところで事務連絡:
猛獣さんが、前に教えてくださった林健太郎氏の著書
「ワイマル共和国」をやっとこ入手し、読みました。

林氏の意地の悪い記述でむしろ私はいろいろ勉強になりました。
特にドイツ共産党というのは、ソ連いいなりで、路線も左右されて
「資本主義の全般的危機」論の下に、「社民主要打撃論」に陥り
ナチスとともに、労組多数派を押さえて無理にストを決行したり
ナチスとともに国会解散に賛成したりしているのですな。

コスポリ氏なんかはまさしく「世界党」がお好きということで
この当時のドイツ共産党に似ている。「宮本修正主義」を打倒する
ためになら、どんな勢力とでも手を握る、というわけであります。
そしてドイツ社会民主党の弱点、つまり有効なナチスへの対抗策
を取りえなかったという箇所を林氏の意見に同意しつつ読みました。
ただし結論は林氏とはちと違うかもしれません。

[508] 愛国主義と国際主義 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/04/15(Mon) 20:44
1.業務連絡

大阪さんへ

> もう一回聞くよ。
>
>「政党の自主独立 = 民族自決」というあんたの論理では、コミンテルンはまさに「内政干渉」組織であり、それに加盟
> していた日本共産党は「日本人の主権を売り渡す売国政党」ということになるんじゃないかなあ。もういちど念を押す
> けど、これは私の主張ではなく、あんたの論理を適用すればそうなる、ということだよ。こんどははぐらかさずに答え
> なさいね。

> (管理人さん、「大阪の人」がこの質問をはぐらかして答えないようでしたら、「大阪の人」がきちんと回答するまで
> 投稿を禁止して下さい。)

という質問がコスモポリタンさんから来ています。これに対する回答を、私も熱望しています。

2.愛国主義と国際主義

|国際主義者である共産党員が、同時に愛国主義者でありうるか。われわれは、ありうるばかりでなく、そうあるべき
|だと考える。愛国主義の具体的内容は、いかなる歴史的条件のもとにあるかによって決まる。日本侵略者やヒトラー
|の「愛国主義」もあれば、われわれの愛国主義もある。日本侵略者やヒトラーのいわゆる「愛国主義」にたいしては、
|共産党は断固反対しなければならない。日本共産党員とドイツ共産党員は、かれらの国家の戦争にたいして敗北主義
|者である。あらゆる方法を用いて、日本侵略者とヒトラーの戦争を敗北に終わらせることが、日本人民とドイツ人民
|の利益である。敗北が徹底的であればあるほどよい。……なぜならば、日本侵略者とヒトラーの戦争は、世界の人民
|をそこなうばかりでなく、自国の人民をもそこなっている。中国の状況はちがう。中国は侵略されている国家である。
|したがって、中国共産党員は愛国主義と国際主義を結びつけなければならない。われわれは国際主義者であると同時
|に愛国主義者である。われわれのスローガンは、祖国をまもり侵略者に反対するために戦え、ということである。われ
|われにとって、敗北主義は罪悪であり、抗日の勝利をかちとる責務は、他人には依頼できない。なぜなら、祖国を
|まもるために戦ってこそ、侵略者をうちやぶることができ、民族の解放をかちとることができるからである。民族の
|解放をかちとってこそ、プロレタリア階級と勤労人民の解放が可能になる。中国が勝利するなら、中国を侵略して
|いる帝国主義者が打倒されるなら、それは同時に外国の人民を助けることになる。したがって、愛国主義は民族解放
|戦争における国際主義の実行である。
| 「民族戦争における中国共産党の地位」(一九三八年一〇月)

これは、紅衛兵の赤い本「毛主席語録」の「18.愛国主義と国際主義」の最初の節です。毛沢東は、このような
論理により、中国共産党員は「国際主義者」であると同時に「愛国主義者」でもありえるし、そうあるべきだと論じて
います。

ここで述べられている「日本侵略者」のカッコつきの「愛国主義」に対して、大阪の人さんは戦前の日本共産党員の
保持していた「真の愛国主義」というものがあるといっているように思えます。それは、どのようなものなのでしょ
うか。また、その真の愛国主義は、国際主義とどのようにつながっているのか、そのあたりについて、大阪の人
さんが考え方を明らかにしてくれると、議論が少しかみ合うのではないでしょうか。

[511] 心の旅路 投稿者:大阪の人 投稿日:02/04/21(Sun) 01:04
re:508
猛獣さん、こんにちわ

| 「民族戦争における中国共産党の地位」(一九三八年一〇月)

林彪氏が編集したという、例の毛沢東語録ですか。ふーん。
手にした事がないもので、初めて読むものです。

1938年の毛沢東氏の発言としては、正しい発言です。
言われていることは、本当です。
日本共産党は、全力を上げて日本帝国主義の侵略戦争に反対して
いました。したがってこの筋で述べられている”祖国敗北主義”
でありました。ここで毛沢東氏はその筋で日本共産党を正当に
評価しています。日本共産党の党史で指摘されている国際主義
というのはまさしくこうした点でありました。江沢民氏や朱秘書長
さんが重ね重ね日本共産党を戦前の闘いで評価しているのもここ
でありましょう。

(ただまあ、1967年とか70年とかの時点で、赤い表紙の「語録」
の中に述べられている、ということから見て、その前後の国際的
な位置関係が捨象されているのではないかと思います。そして
後の方の中国の愛国主義は正しい、という点が度外れに強調され
ているとするならば(現実のその赤い語録の運用の中ではそうし
た度外れな強調されていただろうと疑うにたる点は山盛りであり
ます)この戦中の日本共産党の国際主義に恩義を感じて戦友とし
て連帯し尊敬しあうという事でなく、超歴史的に日本人を見下し
て、唯我独尊で中国だけが偉いのだ、とする大国主義排外主義、
中国流の覇権主義の論の合理化に用いられていないか、という点
だけ危惧するものであります。これは片言隻句の寄せ集めにはし
ばしばともなう必然的な弱点というべきものであります。)

|毛沢東は、このような論理により、中国共産党員は「国際主義者」で
|あると同時に「愛国主義者」でもありえるし、そうあるべきだと論じ
|ています。
|ここで述べられている「日本侵略者」のカッコつきの「愛国主義」に
|対して、大阪の人さんは戦前の日本共産党員の保持していた「真の愛
|国主義」というものがあるといっているように思えます。それは、ど
|のようなものなのでしょうか。また、その真の愛国主義は、国際主義
|とどのようにつながっているのか、そのあたりについて、大阪の人さ
|んが考え方を明らかにしてくれると、議論が少しかみ合うのではない
|でしょうか。

端的に言って外国で鉄砲撃ったり、爆弾なげてはいけないのであります。
外国に居る手先にそそのかして、暴力闘争をたきつけてもいけないので
あります。日本帝国主義に屈服した日本社会党を戦後結成する西尾末広氏
などは「満蒙は日本の生命線」だと述べ、天皇制社会主義を標榜し、日本
の侵略戦争を合理化したのでありました。この西尾氏の論でいいますと
日本の侵略は革命行動だ(だから良い)という事にさえなってしまいます。
こういうときには、素朴に大づかみに、他国に行ってまで戦争する必然性
がどこにあるのか、という問いが必要なのであります。

私が何を解明すれば気に入って頂けるのかは不明でありまして、別に
気に入っていただけなくとも、当方には困らないのでありますが、今
の日本が戦争に向かってゆくのであるならそれを阻止せねばならない
と日本国民の公理の実現のために考えておりますし、歴史の枝には上
向きの枝もあれば下向きの枝(可能性)もあるわけで、まったく可能性
がないとは言えず、平和は眠りを許さない、という宮本百合子氏の指摘
もあるわけでありまして、外国のいいなりでなく、日本国民の苦難の
軽減のために自主的に平和を追求する日本共産党のファンなわけで
あります。客観的に今、あるいは当分、日本共産党以外に日本の平和と
民主主義の守り手は実質ないのであります。あと宮本氏の守った綱領路線
の上をまっとうに歩んできた不破氏であり志位氏でありますれば、ここ
に何か妙な断絶があるとするコスポリ氏の珍論は成り立たないので
あります。朝鮮戦争の原因の件のコスポリ氏のブレはあまりに見苦しい。
外国頼みでは、こうした自主的認識の深化は望めないのであります。

当方は文革をはじめとした中国党政府の大国主義には反対するものであり
その認識を(直接その手を汚した猛獣氏であるならば)きびしく氏にも問
いたいとは思っているわけでありますがしかし、いつでも、どこでも、ど
んな状況でも中国共産党は堕落した、もう大陸反攻で打倒するしかない、
ということを述べる積もりはありません。当方は今の中国共産党の98年合
意を尊重するという態度は評価するものです。あまりの誤りの深さに回復
するのに時間がかかるのだろうとこのウェブで対話していて、思っている
わけです。

コスポリ氏には、もう何を言えばいいのか、よくわからないな。とにかく
当方の主張をこのBBSで書き込む事を阻止したい、というのですな。
中国を祖国とするでなし、日本を祖国とするでなし、もしかして旧ソ連
を祖国とでもするのでありましょうか。そのわりには日本語がお上手。

事務連絡:
(オスマントルコ帝国支配下の南スラブ諸民族の民族自決への反対)と
いうのは、どこに書いてるのでありましょうか。マルクスは百科事典や
新聞コラムもよく頼まれて、沢山書いているはずでありますが、年代
やら全集(どの社の何年版の全集)の何巻、何ページというのは重要な
事であります。また、執筆した年次も重要です。マルクス自身が何か
完成した人格で完成した理論に基づいてあらゆる論を展開している、と
するのは教条主義にありがちな誤謬であります。

あと丸山敬一氏の「マルクス主義と民族自決権」は京都府立図書館では
みあたらず、大阪市立中央図書館では、検索にはヒットするのですが
当方が閉架式からのリクエストを出したら「あるべき棚になぜか今はない」
といわれて貸し出し不能でありました。お勉強は歓迎です。

また、これとは話題が違いますが、「ワイマル共和国」で林氏が高く
評価していたドイツの法学者ギュスタフ・ラートブルフの「心の旅路」
はあり借りてきました。

[513] Re: 511 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/05/05(Sun) 22:37

>端的に言って外国で鉄砲撃ったり、爆弾なげてはいけないのであります。外国にいる手先をそそのかして、暴力闘争をたきつけてもいけないのであります。

さてさて、ここで「大阪の人」が言っていることは、ブルジョア国家の「外患誘致罪」と全く同じものでありまして、まさに日帝協賛党にふさわしい戯言でありますが、自分で自分の首を絞めていることに気づかないのでありましょうか。

戦前、ソ連からの資金で暴力闘争をやっていたのは、まさに国際共産党日本支部日本共産党であります。それが日本の国家主権の侵害である、というのが当時の特高や、西尾末広などの右翼社民の主張でありまして、今日の藤岡信勝の主張でもあります。この矛盾をどう説明されるのか。

言うまでもなく、共産主義者にとっては、「外国」などというものは存在しないのでありますから、このような矛盾は存在しないのですが、日帝協賛党の「科学的社会主義」には国境が存在し、国家主権を尊重しなくてはならないようですので、戦前の国際共産党日本支部日本共産党の歴史を否定せざるをえないのです。

>ここに妙な断絶があるとするコスポリ氏の珍論

何を指しているのか明確にしないと何のことやら。戦前と戦後の断絶のことを言っているのでしょうか。

>朝鮮戦争の原因の件のコスポリ氏のブレはあまりに見苦しい。

私がいつ朝鮮戦争の原因について見解を変更しましたか。私は一貫して朝鮮戦争を正義の民族解放戦争であり、また開戦の火蓋を切ったのは北側であると認識しておりますが。私がいつ見解を「ブレ」させたのか証明しなさい。

>コスポリ氏には、もう何を言えばよいのか、よくわからない

私の質問は、誰にでも理解できるように、分かりやすくまとめてあげました。質問の意味が理解できたからこそ、必死で回答を避けているのでしょう。この問題に回答しない限り、あなたは討論に参加する資格がありません。

あと、図書館まで行って調べたようで、それは誉めてあげましょう。
「エンゲルス」「マジャール人」「汎スラブ(ヴ)主義」で検索してみれば、すぐわかるでしょう。

メーリング『ドイツ社会民主主義史(上下)』ミネルヴァ書房
良地力『向う岸からの世界史』筑摩書房
田中克彦『「スターリン言語学」精読』岩波現代文庫

などにも言及があります。最初の本は、およそマルクスとエンゲルスを学ぼうとするものなら一度は目を通しておくべき本でしょう。

広松渉/片岡啓治 編『マルクス主義革命論史 1巻 マルクス・エンゲルスの革命論』紀伊国屋書店
には、エンゲルスの「マジャール人の闘争」などが訳出されています。もちろん、大月書店の『マルクス エンゲルス全集』にも訳出されています。

だいたい、エンゲルスの「歴史なき民族」の理論は、マルクス主義と民族問題について触れた本であれば(日帝協賛党の「独修指定文献」を除いて)必ず言及されている筈のもので、それを知らないのはあなたが日帝協賛党の「独修指定文献」しか読まない代々木信徒だからです。

「教条主義にありがちな誤謬であります」とか言っていますが、私がいつマルクスが完成した理論を民族問題について述べたと言いましたか?(そもそも民族問題は、およそ「完成した理論」などというものを完成しようがない分野です。)むしろ、日帝協賛党の独修指定文献の『社会主義と民族自決権』こそそういう教条主義的な誤謬の典型でありまして、「科学的社会主義は最初から一貫して民族自決権を擁護していた」などという妄言を吐いているのです。

[512] Re: 心の旅路 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/05/02(Thu) 23:19
大阪さん、

あいかわらず論理をかみ合わせずにいいっぱなしのかき逃げですか。

> 1938年の毛沢東氏の発言としては、正しい発言です。
> 言われていることは、本当です。

大阪さんに正しいかどうか決めてもらうようなものではありません。

> 日本共産党は、全力を上げて日本帝国主義の侵略戦争に反対して
> いました。したがってこの筋で述べられている”祖国敗北主義”
> でありました。ここで毛沢東氏はその筋で日本共産党を正当に
> 評価しています。日本共産党の党史で指摘されている国際主義
> というのはまさしくこうした点でありました。江沢民氏や朱秘書長
> さんが重ね重ね日本共産党を戦前の闘いで評価しているのもここ
> でありましょう。

日本共産党を評価するのがこの節の本旨ではありません。ところで、文化大革命
について、いっぱしの発言をしたいのならば、毛主席語録や毛沢東選集を読んで
おく必要があると思います。

> (ただまあ、1967年とか70年とかの時点で、赤い表紙の「語録」
> の中に述べられている、ということから見て、その前後の国際的
> な位置関係が捨象されているのではないかと思います。

お定まりの「ただまあ」などという展開は、マンネリもはなはだしいというものです。

> そして
> 後の方の中国の愛国主義は正しい、という点が度外れに強調され
> ているとするならば(現実のその赤い語録の運用の中ではそうし
> た度外れな強調されていただろうと疑うにたる点は山盛りであり
> ます)この戦中の日本共産党の国際主義に恩義を感じて戦友とし
> て連帯し尊敬しあうという事でなく、超歴史的に日本人を見下し
> て、唯我独尊で中国だけが偉いのだ、とする大国主義排外主義、
> 中国流の覇権主義の論の合理化に用いられていないか、という点
> だけ危惧するものであります。

その後につづく展開も凡庸で、我田引水、説得力に欠けます。

> これは片言隻句の寄せ集めにはし
> ばしばともなう必然的な弱点というべきものであります。)

元の本を読んでいない人間が、片言隻句の寄せ集めなどという知ったような評価を語る
というのは、笑止されるものでしょうか。

> 端的に言って外国で鉄砲撃ったり、爆弾なげてはいけないのであります。

戦争では、そういうことをします。アメリカも、1945年の日本敗戦以後、数年をおかず、
ずっとそのようなことを続けてます。

> 外国に居る手先にそそのかして、暴力闘争をたきつけてもいけないので
> あります。

ところで、この部分、中国へのあてこすりでしょうか?つまり、中国が日本で鉄砲を撃ち、
爆弾を投げたということですか。あるいは、「手先」をそそのかして、暴力闘争をたきつけ
たとか。そのような意味でしたら、もっと厳密な立証をしてほしいものです。そうでなければ、
これは悪質なデマということになります。


> 日本帝国主義に屈服した日本社会党を戦後結成する西尾末広氏
> などは「満蒙は日本の生命線」だと述べ、天皇制社会主義を標榜し、日本
> の侵略戦争を合理化したのでありました。

日本共産党を「転向」した人も、このような発想に行き着きます。これは、社会党の弱点
ではなく、戦前の日本の左翼運動の弱点であったと考えるべきではないか。或いは、日本人
の弱点でしょうか。

> 私が何を解明すれば気に入って頂けるのかは不明でありまして、別に
> 気に入っていただけなくとも、当方には困らないのでありますが、今
> の日本が戦争に向かってゆくのであるならそれを阻止せねばならない
> と日本国民の公理の実現のために考えておりますし、歴史の枝には上
> 向きの枝もあれば下向きの枝(可能性)もあるわけで、まったく可能性
> がないとは言えず、平和は眠りを許さない、という宮本百合子氏の指摘
> もあるわけでありまして、外国のいいなりでなく、日本国民の苦難の
> 軽減のために自主的に平和を追求する日本共産党のファンなわけで
> あります。客観的に今、あるいは当分、日本共産党以外に日本の平和と
> 民主主義の守り手は実質ないのであります。あと宮本氏の守った綱領路線
> の上をまっとうに歩んできた不破氏であり志位氏でありますれば、ここ
> に何か妙な断絶があるとするコスポリ氏の珍論は成り立たないので
> あります。

切れ目のないだらだらとした長い文ですね。文の途中で論旨が変わっている。これでは、相方も
答えようもない。

> 朝鮮戦争の原因の件のコスポリ氏のブレはあまりに見苦しい。
> 外国頼みでは、こうした自主的認識の深化は望めないのであります。

小生、大阪の人さんの朝鮮戦争論「共産勢力がまったくの悪で、韓国が全面的な正義だった。
毛沢東も戦争をけしかけた」には、到底、賛同できない。しかも、大阪さんは、その論点
の根拠を示していない。「よく知らないけど、そうらしい」という程度。見苦しさで他人を
論評できる立場にいるとも思えません。

> 当方は文革をはじめとした中国党政府の大国主義には反対するものであり

当方は善隣学生会館事件を始めとする日本共産党の理不尽な行動に反対するものであり

> その認識を(直接その手を汚した猛獣氏であるならば)きびしく氏にも問
> いたいとは思っているわけでありますが

同党のそのような体質をきびしく問いたいと思っています。ところで、私が手を汚したなどという
ふざけた発言には、我慢する気力がなくなりましたので、こんごこのようなたわごとをくり返す場合、
管理者権限を行使することにします。

> しかし、いつでも、どこでも、ど
> んな状況でも中国共産党は堕落した、もう大陸反攻で打倒するしかない、
> ということを述べる積もりはありません。

いつでもどこでも「大陸反攻」するのではないが、ある条件下では、大陸反攻したいということですか。
ところで、大陸反攻というのは元は大陸に根があった国民党の用語です。日本人たる大阪さんがいう
場合には、「中国侵略」ということになるのでしょうか。

日本共産党を転向した人の一部は、中国の当時の政権を「反動的」な政権と称し、日本の中国侵略を合理化する
ような発言を積極的にするようになります。現在の日本共産党では、転向しなくても同様な発想をできるようです。

> 当方は今の中国共産党の98年合
> 意を尊重するという態度は評価するものです。あまりの誤りの深さに回復
> するのに時間がかかるのだろうとこのウェブで対話していて、思っている
> わけです。

大阪さんと私の意見の相違を対話で埋めることが出来るものか、疑問ですね。

> コスポリ氏には、もう何を言えばいいのか、よくわからないな。とにかく
> 当方の主張をこのBBSで書き込む事を阻止したい、というのですな。
> 中国を祖国とするでなし、日本を祖国とするでなし、もしかして旧ソ連
> を祖国とでもするのでありましょうか。そのわりには日本語がお上手。

コスポリ氏の質問にきちんと答えない場合、管理者権限で発言を禁止することになります。


> 事務連絡:
> (オスマントルコ帝国支配下の南スラブ諸民族の民族自決への反対)と
> いうのは、どこに書いてるのでありましょうか。マルクスは百科事典や
> 新聞コラムもよく頼まれて、沢山書いているはずでありますが、年代
> やら全集(どの社の何年版の全集)の何巻、何ページというのは重要な
> 事であります。また、執筆した年次も重要です。マルクス自身が何か
> 完成した人格で完成した理論に基づいてあらゆる論を展開している、と
> するのは教条主義にありがちな誤謬であります。

事務連絡をするのは結構ですが、後ろに知ったような評論をつけるのはやめてください。見苦しい
ですよ。

> あと丸山敬一氏の「マルクス主義と民族自決権」は京都府立図書館では
> みあたらず、大阪市立中央図書館では、検索にはヒットするのですが
> 当方が閉架式からのリクエストを出したら「あるべき棚になぜか今はない」
> といわれて貸し出し不能でありました。

ここまでだけならば結構です。

> お勉強は歓迎です。

この部分が見苦しいんだな。

> また、これとは話題が違いますが、「ワイマル共和国」で林氏が高く
> 評価していたドイツの法学者ギュスタフ・ラートブルフの「心の旅路」
> はあり借りてきました。

お互いに勉強して、高い水準の議論をしましょう。

[507] 「真の愛国主義」(笑) 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/04/15(Mon) 18:09
Re:No506

「大阪の人」くんは、自分の論理を適用すれば日本共産党の歴史を否定しなくてはならないことに気付き、なんとか話をそらそうと必死であります。わっはっは。

>戦前の共産党の活動は、日本の真の愛国主義と

さて、「真の愛国主義」という宮顕独特のスローガンが登場しましたが、戦前の日本共産党はこの宮顕独特のスローガンを掲げていたのでしょうか? 戦前の「赤旗」(せっき)を読みましたが、「プロレタリア国際主義」「ソ同盟の防衛」などのスローガンはあっても「真の愛国主義」などという言葉は一度も見。。

>中国朝鮮をはじめ(中略)コミンテルンのあれこれのスローガンが入っていたとしてもこれを打ち消すことはできません。

誰も打ち消そうとなんかしてないって(笑)。あんたの論理を適用すれば、打ち消さざるを得なくなる、と指摘しているだけですが。

「コミンテルンのあれこれのスローガン」ってどういうことですか? 日本共産党がコミンテルンのスローガンとたまたま一致する政策を掲げていたということですか? 冗談もほどほどにしなさい。日本共産党は「コミンテルン日本支部」であり、コミンテルン国際執行委員会の指導の下に活動していたのであります。いくら厚顔無恥(ついでに無知)なあんたでもこれは否定できますまい。

>コミンテルンが日本帝国主義に反対する勢力に資金提供したり援助

おいおい、いいかげんにしろよ。日本共産党はコミンテルンから「援助」されてたのではなく、「コミンテルンの一部」だったの。

さらに厚顔無恥な歴史歪曲は続く。

>コミンテルンが「反ファッショ統一戦線」を主張する前から日本共産党は苛烈な日本の現状の中で、それを実行していた

いいかげんにしなさい(怒)!
日本共産党が、コミンテルン指導部(スターリン、マヌイルスキー)の「社会ファシズム論」を忠実に実行していたことは、誰でも知っています。コミンテルン幹部会員の偉大な野坂参三同志(笑)が「日本の共産主義者への手紙」を出して路線転換を指示したのは、日本共産党が事実上壊滅したあとでした。

>外国のいいなり、内政干渉のために.....

あのねえ。私は戦前の日本共産党の国際主義を誉めてあげてるんだけどね。堕落したスターリン主義のコミンテルンであったとはいえ、戦前の日本共産党員たちは、それが世界革命の世界党であると信じて活動していたわけよ。私はそこに、すっかり堕落した民族主義の日帝協賛党とは違うものを感じるわけね。

小林多喜二の小説にこういう一節があるね。

「なあ、日本共産党は、世界の6分の1を占めるプロレタリアだけの国にあるコミンテルンの一支部なんだ。そのことを考えると、たとえ日本の同志がみんな検挙されて、最後の一人になってしまったとしても、ちっとも、クヨクヨしたりすることが要らなくなるんだ。」(記憶に基づく引用なので細部は違うかも知れません。)

これが当時の日本共産党員の心情だよ。これが小林多喜二だけでなかったことは、当時の「赤旗(せっき)」を読んでみればすぐにわかる。

「外国のいいなり、内政干渉」というのは、私がそう主張しているのではなく、あんたの論理を適用すればそうなるということなんだけどね。言ってる意味、わからない?

もう一回聞くよ。

「政党の自主独立 = 民族自決」というあんたの論理では、コミンテルンはまさに「内政干渉」組織であり、それに加盟していた日本共産党は「日本人の主権を売り渡す売国政党」ということになるんじゃないかなあ。もういちど念を押すけど、これは私の主張ではなく、あんたの論理を適用すればそうなる、ということだよ。こんどははぐらかさずに答えなさいね。

(管理人さん、「大阪の人」がこの質問をはぐらかして答えないようでしたら、「大阪の人」がきちんと回答するまで投稿を禁止して下さい。)


>ドイツ共産党というのは、ソ連いいなりで、、、、

あのねえ。当時の日本共産党も、ドイツ共産党と全く同じ「社会ファシズム論」に基づいて活動していたんだけどねえ。それくらい、いくらあんたでも知ってるでしょ。トロツキーを先頭とする左翼反対派(ボリシェヴィキ=レーニン主義派)は、社会ファシズム論の帰結を警告し、ナチスの台頭に対して労働者政党と労働者諸組織の統一戦線が必要だと主張し続けたが、破局を防止することはできなかった。社会ファシズム論の結果がドイツプロレタリアートの完全な敗北だった。コミンテルンは、偉大な野坂参三同志(笑)を含めて、破局の責任を認めず、「社会ファシズム論は正しかった」と総括した。チェコスロバキア共産党の一部を除いて、これに反発した党はなかった。トロツキーはこれを見て、「コミンテルンは死んだ」と総括したのでした。ちょっとは勉強しなさいよ。

[509] 連絡事項 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/04/16(Tue) 08:32
多忙のため5月初旬まで書き込めない可能性があります。それまでに宿題と「日本共産党=内政干渉政党(笑)」
問題の真摯な回答を期待します。

[489] 民族問題を無視するコスモポリタン氏に 投稿者:大阪の人 投稿日:02/04/07(Sun) 12:07
re:484
コスポリ氏は、今度は自分の名乗りを変えてきた。
曰く「革命きちがいのコスモポリタン」というのであります。
自分の名をこうして匿名性の故に軽んじている所も自己の発言に
何の責任もなく、おそらく明日、別の人に、当方の議論をコピーして
嘲笑と冷笑のタネとして流用するぐらいはしそうな勢いだと思う。
つまり、言葉遊びとして、論理を操作しているだけであります。

|この人を相手にするのは退屈なのだが、余りに面白いので少し。

この、面白がりのノリのままで暴力行為も平気でおこなっていた
のが70年前後の学生運動の特徴でありましょう。コスポリ氏がこの
当時学生だったかどうかは知らない。もしかしたら当方より若い
今学生か何かではないかとも思うが、こうした遊技としての言論活動
を面白がるうちに、だんだん一般人の常識から離れてきているに違いない。

|新日本文庫『社会主義と民族自決権』を勧められましたが、
|言うまでもなくこんな本はとっくに読んでいます。批判す
|る価値もないゴミクズと言わざるを得ません。

「言うまでもなく」と来ましたね。おどろき。読んでいるのなら
まあそれはよろしい。ただそれを何に向けて読んでいるのか、疑問
であります。

|そもそもマルクスとエンゲルスが「民族自決権を擁護していた」など
|という事実は、全くないのでありまして、彼らはヘーゲルから受け継
|いた「歴史的民族と非歴史的民族」を区別し、「非歴史的民族」には
|自決権を認めないという理論を持っていたのであります。(ただし、
|この立場を明らかにしている論文はいずれもエンゲルスの執筆であり、
|マルクスはこの立場を共有していなかったのではないかという議論は
|あります。

エンゲルスがヘーゲル流の”「歴史的民族と非歴史的民族」を区別”
という考え方を示した文献というのは、具体的にどれですか。たしか
にヘーゲルは民族差別を正当化していた学者でありますがエンゲルス
のそうした言辞は見たことがありませんな。

|新日本文庫のクズ本を有り難がって読んでいるような水準の方にマル
|クス主義を説いても仕方がありませんのでこの本に対しての批判はし
|ません。

これは驚き。本当は読んでないのではないか。「面白い」から説明を
と言い出して、まだ数行であります。冒頭でカッコイイ事を述べて
それが段々と晦渋な文章になり、冒頭の語を否定するかのようなニュ
アンスがでてきて、最後に言い訳するというのは寺尾五郎氏や「日本
と中国」紙(但し1966年9月以降)の特徴であります。またこのコス
ポリ氏の反共ゴタクが決着ついたらこれを明らかにしてみたい。

|ここでのテーマと関連する問題はただ一点です。つまり「政党」の関
|係と「民族自決」の関係は全く別であるということです。

なるほど。前の98年合意の件では、どうしても言い負けるから、この
件は「政党の関係」であり、「民族自決の件」とは別とするのか。でも
おかしいね。政権党であった中国共産党でありました。そして非党員で
あった海外在住の猛獣氏らに宣伝文句を伝達したのが中国政府系マスコミ
(人民日報、北京周報、華僑報、紅旗青年?)でありまして、猛獣氏も
認めているように、彼ら北京派華僑はがんじがらめに政治に操られていて
その中で引き起こした後楽の事件でありました。政権党の見解や指図
(猛獣氏自身が後楽寮内に中国共産党の指導ルートがあっただろうと
認めています)がそのまんま彼ら寮生の主張となり、自分自身にふり
かかってきたわけでない貿易方面の(それもデマでありますが)事件を
取り上げたり、日本共産党の党内で毛沢東個人崇拝を助長する肖像画
をはずしたということを言い立てているのであります。

|こんなことは小学生でもわかると思います。

小学生にはこの手の込んだレトリックによるコスポリ氏の中傷と挑発は
わからないだろうなあ。

|もし「政党の自主独立」と「民族自決権」が対応するものであれば、
|なぜコミンテルンが存在したのでしょうか?

日本共産党はたしかにコミンテルン日本支部として結成されました。
中国共産党もそうです。コミンテルンの指導と援助が日本の運動に
寄与した事実もあります。しかしコミンテルンは解散しました。それ
は世界の革命運動を一元的に指導するなどということは現実には不可能
だし、ソ連の手先として動かされそのために苦労した各国の運動の負の
歴史もあり、ソ連自身の都合もあって解散となったのでありました。

|コミンテルンは言うまでもなく世界政党であって、「各国の自主独立」
|などは存在しえないものであります。

ほうほう。コスポリ氏はこうして世界党=世界革命の指導党を欲する
のであります。比較的一貫してコスポリ氏が主張しているのはこの件
だけと申せましょう。そして世界党による世界統一革命という課題を
以下宣伝しているのであります。

---また、ソ連国内においても
---もし「政党の自主独立」と「民族自決権」が対応するものなら
---言うまでもなくソ連共産党も

はあはあ。ソ連がどうしたというのでしょうか。ソ連がコミンテルン
を解散したのは、どうしても惜しかった、とおっしゃる。当方はそん
なことはどうでもいいんです。おそらく猛獣氏もそんな所はどうでも
いいと思っているだろうし、1967年春の事件には何の関係もない。

|日本共産党を、「国体の転覆をめざす存在」であるというだけでなく、
|「世界革命をめざす国際共産党に加盟しているから日本国の存在基盤
|をゆるがす」と非難していたのです。

コスポリ氏は、何か褒めているのか? 褒めているふりをして攻撃
しているのか。「ほめごろし」という言葉がありますが、世界党の
一員だとした日本権力の弾圧を擁護し、奇妙に日本共産党をほめごろし
しているのであります。実際は「男女同権」だとか「8(7時間という
話もある)時間労働制」だとか「中国からの撤兵」だとか「朝鮮や台湾
や満蒙の植民地の解放」を訴えていたのであります。世界党による
世界革命などという課題は日本共産党の運動にはでてこないのであります。
それを警察資料によって「ほめごろし」の材料にするとは。手の込んだ
お話。

|「コミンテルンからの脱退」を主張したことは支配階級から歓迎された
|のです。

寺尾五郎氏が、志賀義雄氏を例にとって林彪氏を嫌う人、として話を
歪曲した事例を思いだします。それにしてもコミンテルンは佐野鍋山
両氏の「声明」によって解散したのではありませんので、そこの所は
押さえておくように。それから、やはりコスポリ氏はコミンテルンが
恋しいのですなあ。

|宮顕はもし正直な人間であれば、「佐野/鍋山を再評価する」とはっき
|り言うべきでした。

非転向で弾圧とたたかった民主活動家をこのように貶めるのは日本の
ニセ左翼の特徴づけであります。不破氏はグラムシ氏の論を時の構造
改革派が援用する事を、ファシズムと闘い獄中にあったグラムシが
そんな(構造改革派のような)闘いを放棄した立場ではないのです、と
どこかで述べていたが。まさに言葉の操作でどのようにでも人を貶める
コスポリ氏らしいやり方であります。

|スターリン主義者はご存知ないでしょうが、初期のソヴェト政府は明
|白に「世界革命」の原則に立って活動していたのであって

この「スターリン主義者」というのは、おそらく氏の脳内では当方に
あてて投げつけられているレッテルでありましょう。しかしまさに
コミンテルンは世界革命を目指して結成された組織でありました。そし
てこのコミンテルンの解散を残念に思い、今まさに世界革命のために
コミンテルンのような世界党を結成し、活動するのだというのがコス
ポリ氏の論であります。すると世界革命の指導者はスターリンだとし
ていたコミンテルンの(レーニン死後20年ほどコミンテルンはまさ
にスターリンの指導のもとに活動している)衣鉢を継ぐコスポリ氏こ
そ「スターリン主義」というのに相応しいのではないか。当方は自慢
にはならないがスターリンの著作を読んだこともありませんな。

|これは、今日の日本共産党によれば、「民族自決権の侵害」とされる
|ことでありましょう。

ファシズム打倒の世界の平和民主勢力の中で、スターリン麾下のソ連
も一定の役割を果たしました。先程の”佐野鍋山氏再評価説”といい
この”民族自決権の侵害説”といい、時代と状況を切り離し上手に
トリミングしたりモンタージュすれば、奇怪でグロテスクな暴論も
自在に無限に生みだせる、という見本のようなお話であります。
これを観念操作という。「革命きちがいのコスモポリタン」氏はやはり
論客であるということだけは認めざるを得ません。

|言うまでもなく新日本文庫のゴミ本はこのような事実に触れていません。

コスポリ氏の脳内で勝手に組み合わせて作った現実に問題となって
はいない架空の問題に適合しない、言及していない、ということを
もって「ゴミ本、ゴミ本」とするのは、賛成できないな。

|せめて自分で『コミンテルン資料集』やら『レーニン全集』に目を通
|していれば、新日本文庫のゴミクズ本にだまされることもなかっただろうに。

お勉強競争は、このウェブの本旨ではありませんが、一概に否定する
ものではありません。しかし「社会主義と民族自決権」はそんなに
「ゴミクズ本」などと呼ばれるいわれはありません。コスポリ氏が
やっきとなればなるほど、本の価値がうきぼりになるというものだ。

---ソヴェト政府と資本主義諸政府が
ここはそのとおり。しかしコミンテルンはソ連の機関でありました。
戦後、野坂参三が中国からの帰国の前にソ連にたちより、ソ連の指示
を秘密に仰いで(党にもその後除名直前まで伏せて)いるのですが
その時にKGBかソ連外務省かの課長におさまっていたのがデミトロフ
氏でありました。

|コミンテルンという世界政党の存在自体を疑うような共産主義者は
|どこにも存在しなかったのです。

当時はソ連絶対でありました。ソ連国内の状況は戦争の悲惨さの影で
見えなかったのでありましょう。

---(コミンテルンの路線に反対して
すみません。こんな話題は全然ついていけません。そしてこの件は
ここのウェブではあまり関係ないと思うが。自党の宣伝か。

|また、スターリン主義者の基準に照らしてさえも、日本共産党の「民族自
|決権」論は異常です。60年モスクワ声明によれば、81ヶ国のマルクス=レー
|ニン主義党は「かたく団結し、支持しあっている」ということです。日本
|共産党とソ連共産党が「かたく団結し、支持しあっている」のは日本の民
|族自決権の侵害なのではないでしょうか? 日本共産党以外の組織をソ連共
|産党が支持したら「民族自決権の侵害」なのに、日本共産党ならいいので
|しょうか?

第一、スターリン主義の基準に照らさなくてもいいです(きっぱり)。
何が「スターリン主義者の基準に照らして」だ。外国に手を伸ばして
「犬の頭を殴ってやる」などとするのが「かたく団結」なのか。言葉
だけを組み合わせているだけですな。

|そもそも「民族自決権」というのは、マルクス主義の用語では、「被抑
|圧民族が分離独立する権利」のことなのですが、日本共産党の場合には
|「国家主権」の同義語となっているようです。

植民地が世界を覆っていた当時にはおっしゃるとおり、第一に分離独立の
権利ということが重要で主要な課題でありました。しかし「マルクス主義
の用語では」という氏の論に着目。つまりコスポリ氏自身はこの原則なん
てどうでもいいのです。そしてコスポリ氏の独自の、「マルクス主義」に
とって「原則」に合致しているか、どうかという議論を展開している。
それから社会主義を標榜する政権が樹立され、この政権が資本主義国で
活動する運動を妨害干渉するなどという事は、それ以前に活動していた
マルクスには想像もつかない事であったろうとは思いますが、それでも
国家主権(氏はこれにカッコをつけて、自身では否定したいようなそぶ
りでありますな)の確立なしには、どうして分離独立も保持できるので
ありましょうか。平和的安定的に個々の独立国家が他国に侵害されずに
発展する権利として以外に民族自決権を定義しなおすことはできません。

ここまで第一弾。後は、また今度。

[502] 新日本文庫『社会主義と民族自決権』について 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/04/14(Sun) 11:20
さて、自分で本を読むことを知らないくせに、私に知識で対抗できると思っている身の程知らずな「大阪の人」ちゃんに宿題を出してあげます。

マルクスとエンゲルスが「オスマントルコ帝国」についてどういう立場を取っていたか調べなさい。これを調べれば、新日本文庫『社会主義と民族自決権』がでたらめであることは分かるでしょう。面倒なら丸山敬一『マルクス主義と民族自決権』(信山社)の第1章を読みなさい。

ちょっと解説。
新日本文庫『社会主義と民族自決権』というのは、まともな研究書ではなく、日帝協賛党の指定文献がいつもそうであるように、マルクスやエンゲルスの理論をきちんと研究するかわりに、日帝協賛党に都合のいい文章をマルクスやエンゲルスからぬきだしてきているだけの本です。マルクスやエンゲルスがポーランドやアイルランドの独立を支持していることを、「民族自決権」への支持として引用するのですが、それに相反する例(オスマントルコ帝国支配下の南スラブ諸民族の民族自決への反対)については都合が悪いから触れない、というわけです。実際には、マルクスとエンゲルスは決して「民族自決権」を支持していたわけではなく、当時の国際情勢から個々の民族問題を判断していたのです。マルクスとエンゲルスが最も重視したのは、「反動の城塞」としてのロシヤ(ツァーリズム)であって、これを封じ込めるという観点から彼らはポーランド独立(再興)を支持し、またオスマントルコ帝国の維持を主張したのです。

では「大阪の人」ちゃんに宿題をもう一つ。

私が先程引用した「併党論」批判の論文にある「民族自決 = 自主独立」の理論がいつごろから唱えられているか、『日本共産党国際問題重要論文集』で調べなさい。

まあ、これは面倒くさいので(笑)「大阪の人」に調べさせるのが本意ではあるが、挙証責任は明らかに「大阪の人」のほうにあるから。

私の予想では、「民族自決 = 自主独立」論が登場したのは80年代に入ってからのはず。私が読んだ『覇権主義との歴史的闘争』では、60年代のソ連共産党や中国共産党との論争はいずれも「国際共産主義運動」の枠内で書かれており、「民族自決 = 自主独立」論はまったく存在しませんでした。要するに宮顕が勝手にでっち上げた論であり、60年モスクワ声明になく、従って「国際共産主義運動」の共通の了解事項ではないのです。

[497] 「社会主義と民族自決権」 投稿者:革命きちがいのコスモポリタン 投稿日:02/04/09(Tue) 09:34
やっと、「民族自決権」をめぐる日帝協賛党の妄論を検討できる段階に入りました。議論の礼儀をわきまえない人物相手では、本筋に入るだけでも大変なのです。

ここでの問題は、「民族自決権」と「民族自決権」ないし「国家主権」の関係をめぐる問題である。つまり前に引用した、

「国際関係を律するもっとも根本的な原則の一つとして、国と民族の進路は、それぞれの国の人民自身が決定するという民族自決権を一貫して擁護することと、国際共産主義運動において各国共産党の自主独立の立場を堅持することとは、現代の世界では、不可分の関連をもつ問題であります。わが党は、これまで国際共産主義運動のなかで自主、同権、内部問題不干渉の原則を擁護し、わが国の革命運動や民主運動にたいするいかなる外国の干渉も許さず、こういう干渉のたくらみやその実行にたいしては断固としてたたかってきました。自主独立の立場を堅持し、わが国の運動の自主性を擁護したこのたたかいは、たんに日本共産党と日本の革命運動だけにかかわる問題ではなく、また国際共産主義運動内部の問題にとどまるものでもなく、日本の国と民族のこんごの自主的発展にとっても、民族自決権を擁護する国際的なたたかいにとっても、きわめて重大な意義をもつ闘争だったことを、指摘しなければなりません」

http://www.interq.or.jp/hot/jcp-a/main/kokusai/ikoku.htm

という宮顕独特の論理である。

まず第一に、このような立場は、60年モスクワ声明にはなく、宮顕が勝手に主張しているだけである。このような立場が登場したのがいつごろかは、調べてみないとわからないが、80年代であることは確かであろう。日本共産党中央委員会出版局『覇権主義との歴史的闘争 世界の共産主義運動と日本共産党の立場』(上下)という本があり、60年代のソ連共産党との対立にはじまり、宮顕の「覇権主義との歴史的闘争」という脳内闘争における偉大な勝利(笑)が記録されているのであるが、この本を見ても、上記の「自主独立=民族自決」の論理は登場していない。60年代におけるソ連共産党との対立においても、中国共産党との対立においても、あくまで「国際共産主義運動」の内部問題という形で述べられ、「自主独立=民族自決」の論理は発見できない。ということで、『日本共産党国際問題重要論文集』を調べれば、この論理がいつごろ登場したのかはわかるだろうが、さしあたり、60年代にはそんな論理は無かったことを確認すれば充分であろう。

第二に、この立場は、共産主義運動自身の自己否定となることである。宮顕は、日るが、「自主独立=民族自決」論は、コミンテルン日本支部として結成された日本共産党を自己否定することになるのである。「自主独立=民族自決」論によれば、国際政党の存在それ自体が、「民族自決権の否定」とならざるを得ないことは明らかであろうからである。この点を尋ねても、日帝協賛党員は決して返答せず、問題をそらすばかりである。いわく、「コミンテルン解散以後は、各国の共産党の自主独立が原則」(「大阪の人」の発言)。しかし、コミンテルンを解散するかどうかは、コミンテルンという政治結社の参加者が決定することであって、その有無が「民族自決権」に影響するというのは奇妙である。「コミンテルンが存在した時期は、国際政党が存在しても民族自決権の侵害とはならないが、コミンテルン解散以後は、国際政党の存在は民族自決権の侵害となるのだ」という奇妙な論理を、誰が承認するだろうか。
(続く)

[490] Re: 民族問題を無視するコスモポリタン氏に 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/04/08(Mon) 01:59
> 政権党であった中国共産党でありました。そして非党員で
> あった海外在住の猛獣氏らに宣伝文句を伝達したのが中国政府系マスコミ
> (人民日報、北京周報、華僑報、紅旗青年?)でありまして、猛獣氏も
> 認めているように、彼ら北京派華僑はがんじがらめに政治に操られていて
> その中で引き起こした後楽の事件でありました。政権党の見解や指図
> (猛獣氏自身が後楽寮内に中国共産党の指導ルートがあっただろうと
> 認めています)がそのまんま彼ら寮生の主張となり、自分自身にふり
> かかってきたわけでない貿易方面の(それもデマでありますが)事件を
> 取り上げたり、日本共産党の党内で毛沢東個人崇拝を助長する肖像画
> をはずしたということを言い立てているのであります。


このところ、私が何を認めているのかよく分かりませんが、同意できません。

華僑青年運動について、北京の政府の指導があっただろうという推測は、しています。しかし、私は、ブッシュ米大統領のいうような意味で当時の中国が「ならずもの国家」と考えているわけではないので、当時の中国が海外の「公民」(中国側で中国籍を保持した華僑をそのように定義しています)に対して、自国の思想や政策を教育したり、宣伝したりする行為が否定的なものであるとは考えていません。「北京派華僑」が善隣学生会館で事件を引き起こしたとも考えていません。

また、マルクス主義の理論的な問題について、私は多く語るものを持っておりませんが、コスモポリタン氏の
解説はすっきりしていた分かりやすく、大阪の人さんの解説ないし反論は、込み入っていて、分かりにくい
という感想を述べておきます。

[494] Re^2: 民族問題を無視するコスモポリタン氏に 投稿者:革命きちがいのコスモポリタン 投稿日:02/04/09(Tue) 09:19

>大阪の人さんの反論ないし解説は、込み入っていて、分かりにくい

『大阪の人』は、わざと話を混乱させているだけです。この前の投稿を見ても、都合の悪いところはすべて関係ないところに話をそらせているだけ。これが代々木流の「議論のしかた」というものです。

[504] 2周年(正統)主張 投稿者:大阪の人 投稿日:02/04/15(Mon) 14:13
次に御紹介するのは、(正統)日中の「日本と中国」の紙面です。
論評というには行動提起があるし、路線の発表とするには指示が
細かすぎるし、行動提起というには構えがもったいぶっていすぎる
という傾向がありますが、「檄」と呼ぶのが適当なのか。とにかく
後楽の事件は「三・二記念日」ということで、前年(68年)は大掛
かりな暴力事件を引き起こし、何人もの負傷者を友好協会側に与え
たものの、逮捕者をオールスターズ側もだし、正面から昨年のよう
に「記念集会」を善隣学生会館内で開催することは、訴訟指揮の上
からもマズいと考えたか、全国でそれぞれやれ、という行動提起を
しているようであります。

原文は新聞の紙面でありまして、縦組みなのですが、OCRしたまま
改行を改めずにアップしてみました。”【】”でくるんだ箇所は
当方があれ? と気になった部分の引用であります。

【同会館学生寮の壁新聞を破り】
張り出されたのは、1階ではないのか? いつのまにやら学生寮内
にうちうちに貼っていたものになっている。学生寮と呼べるのは
34階だけのはずであります。

【反安保をめざす各分野の闘い】
もともと張り紙のヤブれに関して口論、殴打したとかしないとか
いう偶発的事件のはずでありますが、この解決というのは、寮生
の主張をそのまま認めたとしても「非友好的な会館内の事務所の
退去」だけの話のはずですが、いつのまにやら「各分野の闘い」
とひっくるめられていますな。

【「暴力」や「武装」は、人民を解放するためのものではなく?】
これは注意をして見るべき点であります。暴力闘争を是とし暴力革命
に狂奔していたのはまさに中国文革でありまして、文革の内外政策
の一体性から対日干渉に乗りだし、その暴力革命唯一論を押し付けて
いた中国党政府でありますが、ここには「人民を解放するため」の
武装を注意深く批判の対象から除外しているわけであります。この
「人民を解放するため」という大義名分を(中国党政府から)認め
られた側の「暴力」「武装」はまったく正しく、日本国内の法秩序は
無視して構わない、ということであります。これは当方のあてこす
りではありません。あさま山荘事件なり、ハイジャック事件なり
羽田、新宿と続く騒乱、武装闘争を褒め称えていた中国文革党政府
の特徴でありました。

【わゎわれは、さらに第二、第三の善隣闘争を、全国でまきおこし】
なぜ「われわれ」が主導しているのでしょうか。事件を彼ら寮生や
反共オールスターズの見方、35氏声明の見方で言えば、日本共産党
が主導して引き起こした事件だということのはずです。これを第二第三
と引き起こしてどうする。二度と引き起こされないために退去という
のが事務所明け渡しの民事訴訟の中心争点だったはずですが、そこは
もはや投げ捨てられているわけであります。

【日中友好運動の分野に限らず】
【全面的な、全人民的な闘いに発展し】
ま、暴力的闘争だとか、事務所を追い出しにかかるだとかいうのは
そもそも「日中友好」などというスローガンにしてはひどい実際行動で
ありまして、彼らの主張を全部正当と見なしたとしても、本来的には
ごくごく例外的な部分的な問題解決のはずでありますが、この善隣闘争
というのを、むしろテコにして、日中友好運動以外の分野、すなわち
暴力闘争の各分野の課題に流し込むだとか、安保反対の闘争にもぐり
こむだとかいう事をさしているようであります。「全面的な、全人民的」
な闘争というのは、革命闘争の事以外をさして表現すべき事でないわけ
で、しかも内戦などの状態をさす用語であるはずです。現実には内戦の
状態はなかったのではありますが、あさま山荘だとか、新宿羽田、成田
などのテロ騒動は頻発していたわけであります。

【修警合作の本性】
独特の用語であります。「修正主義」と「警察弾圧機関」との協力関係
というのであります。60年安保闘争の頃のブンド(ML派の源流)などは
たしかに警察幹部と会合を秘かに繰り返し、妄動を通牒しあっていたり
したのですが、この「合作」というのは、そうした事実とは違うわけで
(正統)日中が日本国内において、警察権力を直接の敵として、あるい
は警察権力に代表される日本国家を敵とする、反政府運動に連帯する
あるいは主導するという立場から述べられた発言と解するべきであり
ましょう。市民の安寧秩序を脅かしているのは日本共産党ではなくて
(正統)日中の側、反共オールスターズの側、一部の愛国華僑寮生の側
ということになりますな。

【法廷闘争にさえも勝利の確信を失ない】
わっはっは。この69年にはまだ(正統)日中側は威勢がいい。
1970年には、多額の解決金まで支払って、(支払ったり、遺憾の意を
表明したことは内部に伏せて)和解に応じたというのに。

【大衆団体としての本来の性格は完全に崩壊】
(正統)のこの発言を読むかぎり、もう数年もせぬうちに分裂したり
”修警合作”でありますから日本権力に「人民の海でおぼれ死ぬ」の
を救助してもらったりするのは友好協会側、日本共産党側ということに
なりますが、事実はどうだったのでしょうか? わっはっは。

【善隣闘争を出発点にした】
これは暴力排除のための、そして本格的な日中の「友好」のための
運動ではないのか。そうではなくて、善隣闘争を出発点として、その
暴力闘争路線をおしすすめてゆくことが目的だと?

【ソ連を修正主義といい、日中友好の敵とすることには理解
できないという人もいる】
これは、まだ確証ないのですが、1970年代に入り、部落解放同盟が
この(正統)日中に接近してきます。解放同盟は60年代中葉に、
(正統)日中とは逆に、ソ連現代修正主義者の盲従として日本共産党
を除名された志賀義雄氏らの組織「日本のこえ」と関係を深め
その中で暴力闘争を推進していたのであります。その線のソ連派の
取り込みの具体的な指示ではないか、と見ることができます。
「ソ連修正主義の下僕」というのが日本共産党に投げつけられた
最大の罪状でありました。それが「ソ連は修正主義じゃない」と思う
人士に「日本共産党攻撃」という課題で連帯しようというのであります。
これは「四つの敵」とは、いったい何をさしているのでありましょう。

【中心工作】
これは何でしょうか? そもそも「政治工作員」だとかの用語は
中国語のような印象があるのですが、どのような中国党政府の
命を受けた工作なのでしょうか。

【必ず善隣会館を奪還】
あれあれ。やはり奪還ですか。平和的に寮生が暮らす、というのは
35氏声明の時だけの口実ですか。やはり謀略であります。

あと
|四、在日愛国華僑は、いま全国的に、組織的、思想
| 的大連合、大団結をめざして前進している。三・
| 二全国統一行動を機に、在日愛国華僑との連帯、
| 団結をいっそう強化しよう。
なんて言っていますが。

事実が示すように、華僑内部で、悶着や騒動もおこりまして
「愛国華僑」(外国居住の本国愛国主義者という意味か)を
団結の相手として、「日中友好の分野に限らず」闘争をする
というのでありますから、これは中国本国の党政府の指示の
もとで、なるたけ沢山の華僑を政治闘争に巻き込むという事
でありましょうな。そして「悪人」と名指しした華僑の家だ
とかお店だとかはガラス割りしにきたりすると。

[505] 本文 投稿者:大阪の人 投稿日:02/04/15(Mon) 14:14
週刊「日本と中国」復刊 第113号
1969年3月3日P1
全国の反修闘争は前進する
3月2日善隣闘争二周年
三・二を全国統一行動日に
修正主義者の本性てってい暴露を

 三月二日は、善隣闘争二周年の日である。
一九六七年三月、内田吐夢、滝沢修、千田是也氏
ら署名文化人三十五氏が発表した声明は、事件の概
要をつぎのとおり記している。「さる二月二八日の
夜、東京都文京区の善隣学生会館のl階に事務所を
おく『日中友好協会』の職員が、同会館学生寮の壁
新聞を破り、これに抗議した中国人学生のひとりを【同会館学生寮の壁新聞を破り】
殴打するという事件か起りました。
 これがきっかけとなって、同夜おそく日本共産党
日本民主青年同盟の自動車を先頭に七十名ばかりが
押しかけ暴行をはたらき、三月1日夜、数百名が会
館を包囲しました。
 二日には早朝から午後四時にかけて『日本共産
党』中央幹部の指導の下に、数百名が会館を包囲し
鉄カブトとこん棒で武装したl隊がなだれこんで、
これを阻止しようとした中国人学生と日本人や華備
のひとびとにおそいかかり、重傷者七名をふくむ多
数の負傷者を出すという不祥事件にまで発展しまし
た」

 三・二善隣事件は、まさしく宮本修正主義集団が
よろいの下に羽織った衣を公然と脱ぎすてて、反中
国、反人民の本性をむきだしにした事件である。
 いまでは日中友好運動の上で、また労働運動や学
生運動、反安保をめざす各分野の闘いのなかで、宮【反安保をめざす各分野の闘い】
本修正主義集団が、米日反動と野合し、機動隊の別
動隊となって、ヘルメット、棍棒その他で武装し、
こともあろうに、安保体制粉砕をめざして闘う人民
に襲いかかることば、もはや闘う人びとにとって常
識となっている。

 宮本修正主義集団の「暴力」や「武装」は、人民【「暴力」や「武装」は、人民を解放するためのものではなく】
を解放するためのものではなく、機動隊と一緒にな
っていや機動隊では果せない役割をになって、人
民弾圧のために野蛮にもふりまわされていることは
周知の事実となっている。

 三・ニ善隣闘争は、今日おこっている宮本修正主
義集団の反人民の本性を、あますところなくバクロ
したその「記念」すべき出発点である。これはまた
ソ連修正主義指導部の、チェコにたいする暴力的軍
事弾圧、また国内における反修正主義の闘いにたい
す暴力的弾圧事件と本質的に同じものである。

 三・ニ善隣闘争にバクロされた宮本修正主義集団
の本性は、全人民の前にバクロされ、いま彼らは
ますます孤立化し、凶暴化し、全人民に襲いかかっ
てきている。

   二
 われわれは、三・ニ善隣闘争がひきおこされるや
まだ宮本修正主義の本性について全人民がよく理解
していない状況のなかで、現地での闘いを堅持する
とともに、全国的な一大宣伝戦に決起した。

 わが協会(正統)は、当時まだ現在にくらべて組
織人員も少なく、組織も整備されていない状況にあ
ったが、全国の会員は、この一大宣伝戦に決然と立
ちあがり、かつては想像もできなかったようなエネ
ルギーを発揮して、宮本修正主義集団と真っ向から
闘った。勝利はつねに真理の側にある。

 一大宣伝戦に勝利したわゎわれは、さらに第二、
第三の善隣闘争を、全国でまきおこし、反修闘争は【わゎわれは、さらに第二、第三の善隣闘争を、全国でまきおこし】
全国的にひろがっていた。

 われわれが闘えば、必らず彼らは妨害し、彼らが
妨害すれば、必らすわれわれはより多くの人びとを
結集して反撃し、勝利してきた。

 いまや反修の具体的な闘いは、善隣闘争を出発点
に、全国に大海のうねりのようにひろがっている。

 日中友好運動の分野に限らず、各分野の闘いのな【日中友好運動の分野に限らず】
かて反修の闘いは前進してきている。これは二年
前の三月二日の善隣闘争のときには、予想もできな
かったような全面的な、全人民的な闘いに発展して【全面的な、全人民的な闘いに発展し】
きている。

 このなかで宮本修正主義集団は、ますます孤立し
孤立すればするほど凶暴化し、その修警合作の本性【修警合作の本性】
をバクロしてきている。

 このように二年間のあいだに発展した全国的な、
全面的な反修闘争の高まりは、同時に善隣学生会館
に居坐ろうとする修正主義者ども、ニセ「日中」の
心胆をさむからしめ、彼ら日に日に確信を失ない
いまでは彼らがもっとも得意として、勝利を豪語し
それのみに勝利の夢を託していた法廷闘争にさえも
勝利の確信を失ない、戦闘性を失ない、動揺をふか【法廷闘争にさえも勝利の確信を失ない】
めている。ニセ「日中」は、大衆団体としての本来【大衆団体としての本来の性格は完全に崩壊】
の性格は完全に崩壊し、いまや宮本修正主義集団そ
のものの小集団として、わずかにその名をのこすに
とどまっている。

 われわれの、善隣闘争を出発点にした二年間の、【善隣闘争を出発点にした】
全国的な反修闘争は、大いに勝利をおさめ、前進し
ている。

      三
 このように勝利しつつある反修闘争の高まりのな
かで迎えた三・ニ善隣闘争二周年を、われわれはど
のようにむかえるべきか。

 第二回全国理事会は、この日を、さらに全国的な
反修闘争を発展させる全国統一行動日として設定し
た。

 善隣闘争を、二年間の歴史的な発展をふまえ、さ
らに全国的な反修闘争をまきおこしていく、あらた
な出発点として、全国統一行動を、よびかけている。

 われわれは、このよぴかけにこたえ、われわれの
根本的な方針であり、当面の活動の基調となる第十
七回全国大会の方針と、それを実践的に前進させた
第二回全国理事会決定の基調を、この三・ニ全国統
一行動日のなかで苑属発展させよう。

 われわれは、具体的につぎのようによぴかける。
一、われわれは、第二回全国理事会の決定を実践す
 るという立場にたって、各府県本部を中心に、各
 級組織で可能な限り、全国統一行動のよびかけに
 応えた活動をおこそう。
ニ、各府県本部や各級組級が、現在しっかり握って
 いる中心工作、とりわけ職場、農村、地域、学園
 を基礎に、活動を強化し、組織を強化ずることを
 前進させるという視点にたって、三・二を記念す
 る創意ある活動をおこそう。
三、全国統一行勅に呼応する活動の形態はさまぎま
 であろう。
(1)会員のなかには、まだ宮本修正主義集団を反
 中国集団なら理解できるが、修正主義という規
 定では理解できないという人もいる。また宮本
 修正義集団を日中友好の敵とすることは理解で
 きるが、ソ連を修正主義といい、日中友好の敵と【ソ連を修正主義といい、日中友好の敵とすることには理解できないという人もいる】
 することには理解できないという人もいる。日中
 友好をねがう各界各層の人びとが結集しているわ
 が協会(正統)としては、このことは当然ありう
 ることである。われわれは、三・ニ全国統一行動
 のよぴかけを契機に、この人びとの疑問にこたえ
 る学習会、講演会をひらこう。なぜ宮本修正主義
 集団が、善隣会館を襲撃したのか。ニ年たったい
 ま、なぜ安保粉砕をめざす人びとに「武装」して
 立ちはだかるのか。ソ連はなぜ戦車で、チェコ人
 民を押しっぶそうとするのか。
(3)会員外の人びとにいたっては、疑問はまだまだ多
 い。宮本修正主義集団が反中国であることは理解
 できるが、なぜ反中国になったのか。ある労働者
 はいう、日中友好連動ではたしかに敵だが、労働
 運動の面ではやはり意見の異なる味方の一部では
 ないか。それらの疑問にこたえる学習会、研究会
 をひらこう。ソ連はいまや、修正主義指導部によ
 って社会帝国主義に変質している。ソ連は社会主
 義ではないという見方にも、疑問は少なくな
 い。
(3)わかった人だけが集まって気勢をあげるのではな
 く、労働者、農民を中心に「わからない」人はた
 くさんいる。三・ニ全国統一行動のよびかけを契
 機に、一人ひとりの会員を中心に、職場、農村、
 地域、学園で、「わからない」人、しかし日中友
 好をねがっている人たちを組織しよう。
(4)基地闘争や物産展、その他労働者工作などさまざ
 まな角度から、府県本部や各地域組織が、当面中
 心工作の対象としてとりくんでいる課題がある。
 それらの課題を成功させるという立場にたって、
 三・ニのよぴかけにこたえた活動を計画しよう。
 三・ニのよぴかけにこたえた活動をおこすことに
 よって、あらためて反修の嵐をまきおこし、中心【中心工作】
 工作を前進させよう。
四、在日愛国華僑は、いま全国的に、組織的、思想
 的大連合、大団結をめざして前進している。三・
 二全国統一行動を機に、在日愛国華僑との連帯、
 団結をいっそう強化しよう。
五、第二回全国理事会は、三・ニ全国統一行動をよ
 びかけた。たいせつなことは、機械的に統一行動
 をおこすことではない。機械的に全国で集会をひ
 らくことではない。それぞれ各地での具体的条件
 にあわせて、また各地がそれぞれ中心工作を定め
 ていればその中心工作を発展させるという観点に
 たって、全国的な統一行動にこたえて、全国運動
 を発展させるということである。この機関紙をよ
 んだ一人ひとりの会員が、自分にできることはな
 にかを考え、まだ修正主義集団の尻尾について思
 い悩んでいる友人に、葉書一本かくことも、この
 統一行動のよぴかけにこたえた立派な活動という
 ことができる。

 三・ニ善隣闘争二周年をむかえ、一人ひとりの会
員、各級組織、各府県本部は、第二回全国理事会の
決定、よぴかけにこたえて、行動をおこそう!反修
闘争で敵を包囲し、必ず善隣会館を奪還しよう!【必ず善隣会館を奪還】

[500] おちゆくさき 投稿者:大阪の人 投稿日:02/04/14(Sun) 03:41
次に紹介するのは、連合赤軍あさま山荘事件の後に
(正統)日中の「日本と中国」が書いた泣き言であります。

片方で、連合赤軍を擁護しつつ、片方で連合赤軍こそが
日本共産党の”子”で、日本共産党が浮気娘(差別発言)
でその子を知らぬふりしている、というのです。

あと、「反中国」(日本共産党は結党以来一度も反中国になった
事はないのであります)には怒りを発する(正統)日中でありますが
人殺しに関しては、驚くべきことに何も否定しない。間接的には
殺人を否定しているかにとれる表現もありますが、ここでは連合
赤軍が人殺しをしたのか、日本共産党が人殺しをしたのかさえも
わからないほど、日本共産党非難に論を費やしています。人が何人も
現に殺害されているのであります。また、無辜の市民が人質に
されて生命が脅かされているのであります。ここに何も非難を
むけないというのは、まさに殺人を革命行動として美化し賛美
していた革命きちがいの仲間である証拠ではないでしょうか。

このころ周恩来が「やり方がまずい」とか、日本のニセ左翼に
対して口を挟んでいます。もっとうまく日本では活動できないか
というのであります。しかし日本共産党を修正主義として否定し
ては、日本に日本オリジナルの地にあしつけた党ができるわけが
ないのであります。

ニクソン訪中をしきりにニクソンが負けて白旗をあげて訪中して
来ただとか言いだしたのもこの頃であります。あまりの路線転換に
付いてゆけず福田派はこのころから次第にアルバニア盲従になって
ゆくはずであります。

そうそう。当時「赤旗」は当時も(今も)数十万部、百数十万部
といった所でありまして、日本のブルジョアマスコミの普及している
のの比して、それほどでかい部数影響力ではないのでありますが
なぜか「赤旗」の報道に悔しがって、いかにも「負けた」ように
書いていると読めるのは当方の偏見でありましょうか。最後の言葉
”歴史からとり残され、没落してゆくものの悲鳴----宮本一派よ、
いまのうち精々ほえておくがよい。”というのは、どちらかという
と、「いまのうちに精々」というフレーズがある故か、むしろ
負けているのが(正統)日中であるかに私には読めるのであります。
ま、「日本と中国」は赤旗よりもまだ部数が少ないのですがね。
道理の力と申しましょうか、道理がない故に行き詰まりに陥った
(正統)日中と申しましょうか。

[501] Re: おちゆくさき 投稿者:大阪の人 投稿日:02/04/14(Sun) 03:42
「週刊日本と中国」
復刊第248号 1972年2月28日(P4)
同  249号 1972年3月 6日(P4)

宮本一派の反中国・反毛沢東のおちゆくさき
「赤旗」の”連合赤軍”の記事を評す
保田弘二

ベトナム、中国、アメリカ人民を先頭にする全世界人民の反米闘争の偉大な前進によって包囲され、孤立化し、ぼつ落の淵に立たされたアメリカ帝国主義の頭目ニクソンが自ら中国を訪問せざるを得なくなっている世界史の激動のなかで、いまわが日本の国内では、世にも奇妙な事件がおこっている。

連日にわたってブルジョア・マスコミをにぎわしている「軽井沢の連合赤軍」事件がそれである。かれらは、「一人の主婦の”人質”」、「その夫の悲痛な姿」、「”犯人”の母の涙の訴え」などをセンセーショナルにとりあげ、この事件の政治的な本質の追求を、「日本人の人情」、「人間性」をくすぐることにすりかえ、その衣のもとで、「反中国」、「反毛沢東」の世論をつくりあげようとしている。かれらは、この事件を大きく報導することによって、米日反動の日本軍国主義強化の「四次防」問題のバクロをわき道にそらしてしまった。こうして、かれらは、日本軍国主義に反対する強力な闘争に立ち上がろうとする日本人民のたたかいに先制攻撃をかけてきたのである。

ブルジョア・マスコミは、公安情報をもとにして、「連合赤軍」を毛沢東思想に結びつける報道をひかえめに、---たとえば「”毛理論”とは無縁の盲信」など---しかし人びとの思想にしみこむように流しこんでいる。

「ニクソン訪中」を前にしておこなわれた警視庁の「連合赤軍狩り」、ブルジョア・マスコミのこの報道ぶりは、この事件に対する米日反動のねらいがどこにあるのかを、はっきりとものがたっている。そして、このねらいを米日反動に代弁者としてもっとも露骨に、大胆にバクロしたのが「革命の党」を名のる---もっともいまでは、自らはこれを否定している---宮本一派の機関誌「赤旗」であった。

こうしていま、日本では、「小市民的ヒューマニズム」を主題にして、世にも奇妙なものがたりがくりひろげられているのである。
-----------------------------
警視庁官報の役割はたす「赤旗」
-----------------------------
宮本一派の機関誌「赤旗」は二月十八日の最初の報導から、連日にわたって、三面から一面トップへ、さらに解説、主張、トップ記事など大々的にこの事件をとりあつかっている。しかも、この報道は、公安情報をもとに、見出しには必ず「毛沢東盲従”連合赤軍”」、「毛思想で蛮行にあけくれ」「毛盲従暴力集団」など、敵意にみちた反毛沢東の意図がつらぬかれている。こうして、かれらは、治安当局の代弁者として、これら「暴力、殺人、強盗集団の教祖」が毛沢東であり、中国共産党であるかのような印象を、労働者をはじめとする広範な日本人民に流しこみ、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想を日本人民からきりはなすことに全力をあげている。そして、もっとも重要なことは、このような世論準備をしたうえにたって、二月二十二日の「赤旗」で、「暴力集団をもてはやす中国の干渉者」という特集をおこなうことによって、かれらのこの気狂いじみた報導のねらいがどこにあるのかという本心をむきだしにしたことにある。かれらは、このなかで、人民日報などの記事をぬきがきするというような「ブルジョア学者」的手法をつかっているが、これがまた全くいいかげんなもので、かれらの「修正主義--日本人民への裏切り」を批判されたということへの「怒り」と弁明の資料でしかない。

ここには、かれらの毛沢東思想にたいする無知とだんな的理解がさらけだされているにすぎず、マルクス・レーニン主義からの裏切りの思想を明らかにしめしている以外の何ものも見られない。そればかりか、かれらの報導と「資料」解説の手法は、公安当局の証こしらべと同じ思考方法によってつらぬかれている。

まさに「赤旗」編集者のこの事件を利用しての最大限の「反中国」「反毛沢東」宣伝は、吉田内閣が「松川事件」や「白鳥事件」などを最大限の「反共」宣伝に利用したのと、寸分ちがわない、うでききの法務官僚のやり口である。
--------------------------------------------
佐野・鍋山の転落の道をたどる宮本一派のあがき
--------------------------------------------
かつて、天皇制権力が日本人民を凶暴に弾圧し、中国侵略を開始したとき、日本共産党の当時の「指導者」、佐野・鍋山一味は、天皇制権力の苛烈な弾圧に屈服し、いわゆる「転向時代」をつくりだした。このときの佐野・鍋山一味の言い分は、「日本の特殊性を理解しないコミンテルンのマルクス・レーニン主義の”一般論”のおしつけによる日本の革命運動の破かい」に反対するということであり「このコミンテルンに”盲従”する日本共産党と三二年テーゼ」に反対し、「日本のプロレタリアの自主的立場に立ち」「”すぐれた生産性”と”自主独立の歴史”をもつ日本社会の特殊性をふまえた」「皇室を上にいただく”一国社会主義の理論”」なるものであった。

こうして、佐野・鍋山一味は、マルクス・レーニン主義を裏切り、天皇制権力の手中で動かされる人形となりさがった。そしてこのことは、多くの転向者を生みだし、中国侵略戦争に反対して英雄的に闘っていた日本共産党に大きな打撃をあたえた。

それから四十年の歳月がすぎたいま、世界は、アメリカ帝国主義の腐朽と衰退の深化のなかで、帝国主義が全国的に崩壊に向い、社会主義が全世界で勝利の向う時代の重大な段階にさしかかっている。戦後の日本資本主義も、六〇年代の米日反動派がつくりだした奇型的な「高度経済成長」による一時的相対的安定の時期を終り、戦争と革命の重大な危機に直面している。この世界の激動の時代、嵐の時代の国際政治の中心に、マルクス・レーニン主義を堅持し、毛沢東思想によって武装された社会主義中 がたっている。ソ連における現代修正主義の生成発展の歴史的教訓をきそにしておこなわれたプロレタリア文化大革命の勝利をかちとった社会主義中国は、いま、国際政治におけるもっとも激烈な階級闘争の舞台にのりだしている。

そして、いっさいの改良主義、修正主義の崩壊は、この歴史的時代の本質と固く結びあっている。

このような歴史的時代の本質のなかにこそ宮本修正主義集団が、「連合赤軍」事件を大々的にとりあげ、「反中国」「反毛沢東」の大宣伝を全力をあげてくりひろげていることの政治的本質、政治的ねらいが明らかにされている。

かれらは、米日反動派の六〇年代「高度成長」の産物として、「議会主義、合法政党、経済主義」の「あめ」を権力からなめさせられ、「平和の時期」に豚のように飼い育てられてきた。こうして、かれらは革命という「いのししのきば」をぬかれてきたのであるが「日本共産党の五十年の伝統」をうけついでいると称するからには、権力の屈服、「転向」の「理論的口実」を日本人民に示さなければならなかった。

このかれらの思考方法は、戦争の時代と「平和の時代」の手口のちがいはあるが、佐野・鍋山の衣はつをうけつぐものであり本質的にはマルクス・レーニン主義の普遍的真理の「おしつけ」に反対するということで、それをなげすて「日本的社会主義」の道へつきすすむ「転向」の思想であったかれらは、直接には、一九六五年のインドネシア共産党の反革命の「血の弾圧」にふるえあがったのであるが、それを「毛沢東一派の人民戦争論のおしつけ」、「大国主義的干渉」という「伝説」をつくりあげることで、これを口実にして、マルクス・レーニン主義をなげすて、佐野・鍋山の道をつきすすんできたのである。

このようなかれらにとって、いまや、もっとも恐ろしく、憎むべきものは、マルクス・レーニン主義、毛沢東党思想を堅持し、労働者階級を中心としてアメリカ帝国主義日本軍国主義に反対する闘いの道に立ち上がってきつつある革命的日本人民であり、それにたいしてプロレタリア国際主義の精神で支持・激励している中国共産党と毛沢東主席である。

こうして、かれらの攻撃のほこさきはいまや毛沢東思想に集中されてきたのである。このことはまた、ソ連現代修正主義--社会帝国主義の意向でもある。

「赤旗」の政治的本質はまさにここにあるし、これはいま米日反動、治安当局の「連合赤軍」事件の一大ショーのねらいでもある。

佐野・鍋山にしろ、宮本一派にしろプロレタリア国際主義をそう失し、マルクス・レーニン主義をうらぎったもののおちゆく必然的な結末はこのようなものであり、これは歴史の法則である。
----------------------------------------------
日本のトロツキズムは宮本集団が生みだした鬼ッ子
----------------------------------------------
宮本修正主義一派は「連合赤軍」という自分がうみおとした子供を「毛沢東盲従集団」などとがなりたてて、その責任を他人におしつけようとしているが、これは”無責任”な”現代浮気娘”の常とう手段である。革命をうらぎって米日反動派に屈服したかれらは、こうして自分の生みおとした子供を街頭におっぽりだし、他人のような顔をしてその子に攻撃を集中することによって、権力からの”免罪符”を手にいれようとする自らのみじめな姿をバクロしているにすぎない。

1956年二月の「ソ連共産党二〇回大会」におけるフルシチョフの「スターリン批判」は、いまでは誰の眼にも明らかなように、ソ連現代修正主義集団のプロレタリア独裁の放棄宣言であり、レーニンの党の破かい---資本主義復活の道をつきすすむのろしであった。こうしてまた、「スターリン批判」は、トロッキーの「復権」を叫ぶ国際的な一部の活をあたえ、それを激励し、よみがえらせた。

「ソ連共産党二〇回大会」とフルシチョフの「スターリン批判」は、この国際的な流れのなかで日本においても、二つの潮流を生みだした。一つは、戦後の「平和革命路線」を底流とし、「五〇年”極左冒険主義”の誤りの転換」という名目で、このフルシチョフ路線にとびついた宮本修正主義の流れであった。もう一つは、このフルシチョフ=宮本一派の現代修正主義に反ぱつし---ことに六〇年安保闘争における宮本一派の議会主義、合法主義のわく内に日本人民の闘争をおしこめようとした指導に反ぱつし、これに機械的に対立するものとして生みだされてきたトロッキズムの潮流であった。

六〇年代の米国反動派がつくりだした「高度経済成長」による戦後日本資本主義の「一時的相対的安定の時期」をまえにして生みだされたこの二つの潮流は、たがいに補完しあって、日本人民をマルクス・レーニン主義、毛沢東主義からきりはなし、六〇年代における日本人民の闘争の方向を見失わせる役割をはたした。宮本修正主義の潮流は、ブルジョア民主主義に拝跪し、「議会の道」をつっぱしることによって、日本人民の革命性と戦闘性を去勢することに血道をあげ、トロツキズムの潮流は、から文句としての「世界革命」「武装闘争」などの小児病的「革命ごっこ」に熱中し、日本人民の革命性と戦闘性を袋小路にとじこめることに熱狂してきた。

こうして、この二つの潮流は、「人民こそが歴史の創造者」であるというマルクス・レーニン主義、毛沢東思想基本観点とは全く無えんの存在であり、大衆追従と大衆軽視という「人民の力への不信」を共通の本質としてもっていることを、日本人民は、この十年余にわたる闘争を通じて、見きわめてきたのである。

いま、ニクソン「訪中」と中米共同声明に象徴的にしめされているように、アメリカ帝国主義の全面的敗北へのすう勢、そのなかでの日本資本主義の全般的危機の嵐の時代にのぞんで、この二つの潮流は、日本の労働者階級を先頭にする日本人民の闘いの前進によってうちやぶられ、見すてられ、没落と瓦解の淵にたたされている。

「自主独立」「高度に発達した日本資本主義」「人民的議会主義」の思想的パターンをたての糸とし、「反ファシズム統一戦線」「反戦平和」の思想系列を横糸としてつらぬいてる宮本修正主義一派にはいまや、七〇年代の歴史的時代の本質、怒とうのような人民の闘争を見る眼は、とっくの昔にそう失してしまっている。そればかりか、かれらは、この激動の時代にあわてふためき、なすすべもなく、自己の分身であるトロッキズムに気狂いじみた攻撃を集中することだけに浮き身をやつしているのである。かれらは、こうして、日本人民から見はなされ、孤立してゆく運命を何かくいとめようと必死のあがきをこころみている。さらに、悪質なのは、米日反動になりかわって、この攻撃のほこさき、自らのあがきのほこさきを反中国、反毛沢東に集中していることである。

「赤旗」の連日にわたる「連合赤軍」についての報導と記事の大キャンペーンのねらいと本質はここにある。しかし、この大合唱のひびきは、亡びゆく平家の悲哀をひめた無常の鐘のひびきににており、むなしい絶叫として自らにはねかえっているにすぎない。歴史のなかでほろびゆくののの姿のなんとあわれなことであるか!
----------------------------------------
労働者階級、人民こそが歴史の創造者である
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宮本修正主義一派の「連合赤軍」にたいする攻撃の内容は、「毛沢東盲従暴力集団」---「中国の大国主義干渉者のおしつけ」---「毛沢東の”人民戦争”論の具体化」という図式をでっちあげ(この図式のがい念は公安当局の借りもの)、このきゅう局のねらいは、「鉄砲から政権が生まれる」という毛沢東思想への攻撃とその全面的否定へ焦点をあてている。かれらは、こうして、毛沢東思想を戯画化し、マルクス・レーニン主義の暴力革命の原則、普遍性を否認し、放棄することに全力をあげている。ここにあるのは、「連合赤軍」攻撃に名を借りたマルクス・レーニン主義からの自己の裏切りの合理化と弁ご以外の何ものでもない。

このようなかれらには、「人民戦争論」を批判したり、ましてや毛沢東思想を云々する一かけらの資格もない。

「ほんとうの金城鉄壁とはなにか。それは大衆である。まごころから革命を支持する何百何千万の大衆である。これが、どのような力にもうちやぶられない、まったくうちやぶられることのない、ほんとうの金城鉄壁である。反革命はわれわれをうちやぶることはできないが、われわれは反革命をうちやぶらなければならない。革命政府のまわりに何百何千万の大衆を結集して、われわれの革命戦争を発展させたなら、われわれはすべての反革命を消滅することができ、全中国を奪取することができる。」これが毛沢東の人民戦争にたいする根本思想であり基本的観点である。

レーニンもまた、この根本思想を、「労働者・農民・兵士・および赤軍代表ソビエト第五回全ロシア大会(全集、第二十七巻)でつぎのようにのべている。

「われわれは、偉大な革命は民衆自身の奥底からもりあがってくるものであり、それには、年月を要するものだということを知っている。そしてわれわれは、エス・エル左派の党(筆者注・・小ブルジョアジーの、”狂信的革命性”につらぬかれたテロリズト集団)が革命の期間に、信じがたいほどの動揺を経験したことに驚くものではない。

われわれは、革命とは経験と実践によって研究されるものであり、幾千万の人々が一致して衝撃的に、一体となって立ちあがるときに、はじめて革命が、革命となるものだということを知っている。・・」

労働者階級をはじめとする人民大衆の力への無限の信頼と確信、人民大衆に依きょし、その力を最大限に発揮してたたかいをおしすすめる--レーニンと毛沢東のこの思想は「これまでの人類のすべての歴史は働くものによってつくりあげられてきたのだ」というマルクス主義の歴史観によってつらぬかれているからこそ、確固不動としており、偉大な人民革命の勝利をかちとってきているのである。

国民党反動派の凶暴な「そうとう作戦」のなかで中国人民革命の勝利のあゆみをふみだした井岡山の闘争のはじめから、八億人民を魂のおくそこから発動し、プロレタリア独裁を堅持、発展させ、資本主義復活の動きを打ち砕いたプロレタリア文化大革命にいたるまで、この思想、この歴史観が一貫してつらぬかれている----ここに毛沢東思想にみちびかれた中国人民の偉大な勝利の源泉がある。毛沢東思想の偉大さは、この「人民、ただ人民のみが世界の歴史を創造する原動力である」という思想、マルクス主義の歴史観が、中国八億人民の一人ひとりの深い思想にしつかりとうちたてられていることにある。

こんどのニクソン「訪中」と「中米共同声明」のなかでも、社会主義中国は、この思想と歴史観を堅持し、一貫してかわることなくつらぬいているのである。

この思想、この歴史観を全くもちあわせないか、全く喪失してしまっている宮本修正主義集団とトロッキズムの集団が、「中米会談」に反対し、否定的評価をくだし、反中国、反毛沢東に狂ほんしていることはしごく当然のなりゆきであり、ここに、かれらの分身、肉親としての共通の本質が路程されている。

ソ連現代修正主義社会帝国主義の生成、発展という人類歴史の悲痛な教訓をふまえて展開された中国プロレタリア文化大革命の勝利のうえにかちとられた中国の国連代表権の回復、ニクソン「訪中」、中米共同声明に象徴される世界人民の闘争の嵐のような前進とアメリカ帝国主義をはじめとする資本主義世界の全般的危機の深化という現在の世界情勢の激動のなかで、”浅間山荘”「連合赤軍」の大捕物劇は終った。この捕もの劇のなかでは、日本軍国主義強化人民弾圧の権力機構の強化を狙う警視庁機動隊と、それに奉仕する忠実な役割を果たした宮本修正主義集団と「赤旗」、毛沢東思想とは縁もゆかりもない「革命の起爆剤」を自任した「連合赤軍」という主役がいまの歴史的時代の本質を日本人民におおいかくすために、それぞれの役割をみごとに演出した。

しかし七〇年代闘争と日本のこんごの運命をきりひらく真の主役は、いま、戦後日本資本主義のもっとも深こくな危機にのぞんで、自らの解放と日本人民全体の解放を自己の歴史的使命として、春闘のはげしい闘争に立ち上がろうとしている日本の労働者階級である。いま、日本の人民闘争は、このような捕もの劇とは全く無関係に、うねりをおこして前進しようとしている。

中米共同声明につらぬかれた毛沢東思想と社会主義中国の世界革命のとりでとしての役割、現代世界の歴史的時代の本質は、宮本一派がいかにわめこうとも、日本の労働者階級をはじめとする広範な人民のなかに、いま、地下水のごとくしみとおりはじめているのである。

歴史からとり残され、没落してゆくものの悲鳴----宮本一派よ、いまのうち精々ほえておくがよい。

[450] もう相手をするのは止めましょう 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/03/04(Mon) 23:32
こんにちは。
この「大阪の人」というのは本当に共産党員なんでしょうか。もし本当に共産党員なら、日本共産党は本当に終わってる、としか言いようがありません。

この人物の主張は、日帝入管当局や産経新聞と大差ないものであって、「外国人のくせに日本のことをごちゃごちゃ言うな」とか「日本が嫌ならチョーセンに帰れ」と言っている連中と何の差異もありません。「コスモポリタン」という差別語も使っていますが、これはユダヤ人に対する差別語であると同時に、右翼が共産主義者に常に投げつける言葉でもあります。共産主義者であるならば、ブルジョア国家主権を否定してプロレタリア国際主義を追求する筈で、日本共産党も国際共産党(コミンテルン)の日本支部として創立されたのであり、日本共産党もかつては「コスモポリタン」であったのです。日本共産党が「自」国帝国主義に屈伏し、排外主義を扇動するようになって久しいのですが、ここまで堕落した党員がいるというのは一つの驚きです。

私は毛澤東主義をスターリン主義の一変種と考えており、毛澤東主義派の運動(日本のそれを含めて)には批判的ですが、当時の華僑学生たちが日本共産党(宮本一派)に対して投げかけた非難の大部分が正当であったことを、この堕落した党員の存在そのものが示しています。帝国主義本国の国民は、自らの帝国主義国民としての存在を自覚的に問うことをやめれば、不可避的に現在の日本共産党のような排外主義/国民主義に転落するのであり、だからこそ組織論的にも共産主義運動は「自主独立」ではなく単一世界党でなくてはならないのです。(注記すると、毛澤東主義もスターリン主義の一変種であり、「世界革命」はお題目であって、実際にはスターリンや「フルシチョフ修正主義」と同様の外交政策を進めていたのですが。)

猛獣文士さんはこのような人物と時間を浪費するのをやめて、調査活動を進めることを勧めます。私は何も手助けできませんが応援しています。

[451] そうかな〜? 投稿者:逆井永年 投稿日:02/03/09(Sat) 21:42
 何を根拠に「大阪の人」の主張を日帝や産経と同列と決め付けているのかまったく理解できません。もう一度読み直し
てみては如何でしょうか。「大阪の人」さんがヒロヒトのひ孫に賀詞を送ったグループの一員であるか否かは個々の論議
とはあまり関係ないように思えるんですが・・・。
 あなたが毛沢東主義をどう考えようと自由ですが、日本の運動
に不当な干渉をしたのは事実です。当時学生生活を送ったものの一人として干渉した大国側の正式見解を是非伺いたいと
思っているものです。
 

[465] Re: そうかな〜? 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/03/19(Tue) 20:34
>  何を根拠に「大阪の人」の主張を日帝や産経と同列と決め付けているのかまったく理解できません。もう一度読み直し
> てみては如何でしょうか。「大阪の人」さんがヒロヒトのひ孫に賀詞を送ったグループの一員であるか否かは個々の論議
> とはあまり関係ないように思えるんですが・・・。
>  あなたが毛沢東主義をどう考えようと自由ですが、日本の運動
> に不当な干渉をしたのは事実です。当時学生生活を送ったものの一人として干渉した大国側の正式見解を是非伺いたいと
> 思っているものです。

逆井永年さんへ

「大阪の人」が属する政党が日帝ピロピトの曾孫に賀詞を送ったことは、別に議題と無関係のものではありません。「大阪の人」の主張は、このいわゆる「共産党」(もうすぐ改称するのかな)の排外主義的本質を明らかにしており、善隣会館事件の本質に関して、華僑青年側の主張への傍証となるものです。

次にあなたの誤りについて明らかにします。

まず中国を「大国」としていますが、今日はともかく当時の中国は大国なのでしょうか。当時の中国は、米日帝の反中国政策によって、多くの国と国交すら持てない状態であり、とても大国とは言えませんでした。また日帝はかつての中国侵略に対して何らの謝罪も補償も行なっていなかったのです。(現在、日帝が中国に対して償いをすませたと主張するわけではありません。)日本のほうがよほど「大国」であり、日本人が当時の中国を「大国」と呼ぶこと自体、無意識の帝国主義的心性を感じさせます。日本のいわゆる左翼も、南京ではなく「ヒロシマ ナガサキ」を取り上げることによって、日本人があたかも被害者であるように歴史を改竄していたのであり、このようないわゆる左翼から、「大阪の人」や藤岡信勝が生まれてきたのは必然であったと言えます。

「日本の運動への不当な干渉」とは何でしょうか。日「共」(以下、宮修)と中国共産党の関係は、両党間の関係に過ぎません。宮修は、中国共産党の「干渉」についてわめきたてましたが、それはせいぜい「61年モスクワ声明に違反する」というだけの話です。61年モスクワ声明(81国共産党/労働者党会議)は、確かに各国共産党の「独立 平等 内部問題不干渉」を定めており、中国共産党の「干渉」はそれに違反しているとは言えます。しかし、中国共産党の側は、「国際共産主義運動」がすでに分裂し、宮修は共産党ではないと認識していたのだから、61年モスクワ声明の原則を宮修に対して適用しないことは当然と言えるでしょう。61年モスクワ声明は、あくまで「国際共産主義運動」の原則を定めたものですから、中国共産党が「宮修は国際共産主義運動の一部でない」という認識に転換した以上、中国共産党が宮修に対してそれを尊重しないことは当然と言えるでしょう。

だいたい、「独立 平等 内部問題不干渉」などという原則自体がナンセンスなものです。第二インターナショナルは、各国の党が自主独立の立場でそれぞれの国の支配階級を支持したために瓦解しました。その教訓の上に立って、ロシヤ共産党を先頭とする第三インターナショナルは、「各国の自主独立」を認めない単一の世界党として結成されたのです。ところがスターリン主義は、「一国社会主義」を掲げ、世界党を解体してしまいました。その結果、「自」国のブルジョアジーに忠勤を尽くす宮修のような連中が発生することになったのです。


 

[472] そもそも存在しない問題? 投稿者:大阪の人 投稿日:02/03/22(Fri) 22:33
コスポリ氏は、そもそも暴力主義を認めているのか。いないのか。

|「大阪の人」が属する政党が日帝ピロピトの曾孫に賀詞を送ったことは、別
|に議題と無関係のものではありません。「大阪の人」の主張は、このいわゆ
|る「共産党」(もうすぐ改称するのかな)の排外主義的本質を明らかにしており、
|善隣会館事件の本質に関して、華僑青年側の主張への傍証となるものです。

赤ん坊の誕生に「お祝い」の談話を発しただけで、そうしたものいいに
なる、というのは、少し異常なんじゃないのかな。赤ん坊というのは
今後どのような人物になるかもわからない。悪人の孫、ひまごであれば
すべて悪人というのは、コスポリ氏もそれから逆井氏も、どこかまだ
「黒五類」だとか「紅五類」だとかいって3代前まで遡ってその血統を
差別の根拠とする「自称共産主義」の抑圧体制の遺髪をついでいる故の
発言としては、まあ典型であります。北朝鮮でも、「核心階層」だとか
「敵対階層」だとか言って、未だに食料の配給まで差別しているという
ではありませんか。こうした社会が未来の日本として果たして望ましい
社会であるというのでしょうか。くだんの「あいこちゃん」でありますが
彼女が”国民”になるかも知れず、彼女の子がそうなるかもしれず、その
時になって、「私が生まれた時にこの政党は祖父が悪人だったといって
私の誕生も祝ってくださいませんでした」と言われるのもなんだかで
ありまして、また、それこそ男尊女卑と天皇制絶対化する勢力の方こそ
その新生児が”女児”であるというだけで、まるでクジのスカでも扱う
かのように「次」の「男児誕生」までうんぬんしていた日本の後進性の
中にあって、「子の誕生をことほぐ」という事は、むしろ社会の公理を
実現する、社会の今かかえている根本的な国民的苦難を軽減する、という
立場からは今こそ必要であります。

|次にあなたの誤りについて明らかにします。
|まず中国を「大国」としていますが、今日はともかく当時の中国は大国な
|のでしょうか。当時の中国は、米日帝の反中国政策によって、多くの国と
|国交すら持てない状態であり、とても大国とは言えませんでした。また日
|帝はかつての中国侵略に対して何らの謝罪も補償も行なっていなかったの
|です。

「大国か大国でないか」というよりも覇権主義であったかどうか、そして
革命の輸出の政策をとり、暴力革命唯一論の立場から日本にも工作して
いたいたかどうか、ということであります。実は寺尾五郎氏も、猛獣氏
も「一般的に」は共産主義とは暴力革命の事だと、また当時の中国共産党
自身も暴力革命、「鉄砲から政権が生まれる」という教条に固執していた
ということに関しては認めていることであります。コスポリ氏もどうやら
この立場、むしろ日本共産党には暴力革命の思想が足りない、欠如している
という立場であると見てよいわけですな。そうしますと、当方の議論
まさしく暴力革命唯一論の立場からの革命の輸出の外交政策の下に外国
在住の自国国民を党員でもないのに動員して、プロパガンダのデマ宣伝も
使った謀略を中華人民共和国の政権党が党と政府をあげてしかけてきた
ということになるのではないでしょうか。ここで「大国だったかどうか」と
いうことを議論するのであるならば、今後の中国の方がよほど「大国」で
ありますが、単に「大国」というだけであるならば、それは、それだけでは
何の悪い意味も持ちません。日本を「島国」だというのと同じことです。

|(現在、日帝が中国に対して償いをすませたと主張するわけではありません。)

日本に「償い」をというのは、国際的な外交慣例をまったく踏みにじった
話であるということもさることながら、中国に償い、という時にはコスポリ
氏が日本の国家を認めるばかりでなく中国の国家を認めているということをも
表しておりまして、ここに「コスモポリタン」と自称するこの人士のメンタル
の深刻な分裂を感じてしまいますな。そして条約がどうとかいうことは別と
して、たとえば中国に残してきたBC兵器の毒物などは今後長くかけて日本
が無毒化、安全化せねばならない課題であります。米軍が日本を含む多くの
国で演習に用いた劣化ウラン弾やら、戦争に用いた枯れ葉剤や劣化ウラン等
を含む多くの毒物と不発弾の処理の根本的義務を負うのと同罪であります。
ところでコスポリ氏はこうした行為はアメリカの方が大規模にしているはず
でありますが、アメリカには何か文句を言ったことはあるのでしょうか。
日本にいながら、日本語を用いて暮らしながら、日本人の悲願である所の
日本の真の独立のために米国の覇権主義とたたかい、日米安保条約を廃棄し
て真の平和条約に代えるという課題などの具体的な手だてとして、この人士
には何か手段と闘争の道筋はついているのでありましょうか。「相手にするな」
等といいながら、噛みついているのは日本人の当方が日本に干渉行為をはたら
いた中華人民共和国の公民の当事者の人士と対話していることにはちょっかい
をだし、自分が相手にせねばならぬはずの最大の敵、アメリカには「相手に
しない」で問題を先送り、棚上げしているのではないかな。具体的な手だて
として日本の独立を掲げるのを回避して、”世界革命”なる課題に解消して
日本人の悲願を無限の彼方においやる空想的共産主義の悪しき典型ではないかな。

|日本のほうがよほど「大国」であり、日本人が当時の中国を「大国」と呼
|ぶこと自体、無意識の帝国主義的心性を感じさせます。

話はいよいよ”意識”の問題に入ってまいりました。この人士も解放同盟
流の”意識”を問題にするのですな。「意識が悪い」「意識が残っている
間は深刻な差別が再生産、拡大深化してゆく」だと。それからここでは氏
はおっかなびっくり比較論に話をすり替えています。「日本の方がよほど」
というわけです。ということは中華人民共和国にも(氏の認識としては日本
ほど大きくはないものの)中国なりの覇権主義、大国主義があったという
事を認めざるを得ない、ということにもなりますな。

|日本のいわゆる左
|翼も、南京ではなく「ヒロシマ ナガサキ」を取り上げることによって、
|日本人があたかも被害者であるように歴史を改竄していたのであり、この
|ようないわゆる左翼から、「大阪の人」や藤岡信勝が生まれてきたのは必
|然であったと言えます。

藤岡だれ? 私と藤岡氏とを比べて何かいうのは、レッテル張りとしても
低劣なグレードのレッテル張りではないかな。根拠もなければ問題を深め
る気があるとも思えない。まあ「意識の問題」として氏の意識の中では
何かの区分けがあり、その区分の中で当方をどこに区分するかという件
はコスポリ氏の勝手ではありますが、67年の後楽の事件がどのように暴力
であったか、暴力は一切なかったのかということには無関係であります。
猛獣氏よ、この人士のものいいは、猛獣氏のHPの趣旨とはどのように
合致しているというのか。

|「日本の運動への不当な干渉」とは何でしょうか。

このコスポリ氏にしてみたら、そもそも日本への内政干渉という事件は
始めから【存在しない】のではないかな。これは、事実について認識が
当方と猛獣氏に違いがあり、議論しているわけでありますが、コスポリ
氏に言わせれば、中国党が日本に口出しするのは【当然】だと。【何の
問題もない】と。【当然の行為】だと、このコスポリ氏は中国の政権党
を、その個々の政策をしきりに擁護しつつ述べるわけです。

猛獣氏は「内政干渉してはならない」ということに関して、実は当初は
あまりご認識されてなかった傾向を見て取ったのでありますが、その後
次第にこの内政不干渉の原則の存在に気が付き、少なくとも当時の中国
党政府がそうであっても、それと自分たちの運動とは関連ない、だとか
「革命の輸出」が問題ではなくて、先に日本共産党側が暴力を振るった
から「日本共産党は暴力集団だ」という暴力にたいする抵抗と平和的に
暮らす生存権の課題なのだという争点にされていたところであります。
この猛獣氏の認識の(当方は正しい一歩前進であると思いますが)変化
を逆転して、「内政干渉なんてどこが問題なのか、そもそも共産主義者
であるなら構わない、そもそも世界革命のためには当然の事」だという
混ぜっ返し、議論の積み上げを御破算にさせようという話の横車という
事でありましょうか。

|日「共」(以下、宮修)
|と中国共産党の関係は、両党間の関係に過ぎません。宮修は、中国共産党
|の「干渉」についてわめきたてましたが、それはせいぜい「61年モスクワ
|声明に違反する」というだけの話です。61年モスクワ声明(81国共産党/労
|働者党会議)は、確かに各国共産党の「独立 平等 内部問題不干渉」を定
|めており、中国共産党の「干渉」はそれに違反しているとは言えます。

なるほど。日本人の主権を踏みにじった事はいつしか会議の「声明」の
無視、逸脱ということだけに矮小されてしまい、中国の政権党の個別の
政策が無条件に擁護される。しかもその中国党自身が「原則にあいいれない
事」とすでにしている件を。

|しかし、中国共産党の側は、「国際共産主義運動」がすでに分裂し、宮修
|は共産党ではないと認識していたのだから、61年モスクワ声明の原則を宮
|修に対して適用しないことは当然と言えるでしょう。

「革命無罪」だと「一分かれて二となる」と。「すでに修正主義」だと
「共産党でない」なら打倒だと、「東京に手を伸ばして犬の頭を殴って
やる」と。猛獣氏もここまであけすけには語らなかった事の本質がだいぶ
でてきました。

|61年モスクワ声明は、
|あくまで「国際共産主義運動」の原則を定めたものですから、中国共産党
|が「宮修は国際共産主義運動の一部でない」という認識に転換した以上、
|中国共産党が宮修に対してそれを尊重しないことは当然と言えるでしょう。

ここでも「意識」が問題になります。中国党が「意識」として国際共産主義
運動の一部でない、と意識すれば「それを尊重しない」つまり内政干渉して
も構わないという外国政権党擁護の提灯もち発言であります。しかし先にも
申しましたが今の中国政権側はこのような提灯持ちは必要なのでしょうか。
党間関係の四原則、とくに内部問題相互不干渉の原則にあいいれないやり方
をとったことについて真剣な総括と是正をおこなった、とした中国共産党の
合意内容を恥知らずに無視している。こうした自党の公文書を独断で無視し
てしまう人士に妙な肩もちしてもらっても、うれしかろうとは思えないが。

|だいたい、「独立 平等 内部問題不干渉」などという原則自体がナンセン
|スなものです。

なるほど。中国共産党の対外関係の4原則にも書き込まれている原則で
あり日本共産党の党間関係の3原則にも述べられているものであります
がこの両党ともにコスポリ氏の眼中にないと。それでは猛獣氏も認めた
この両党の対立を発端としたこの事件に対してどのようなとっかかりと
問題を具体的に解明する気があるというのでしょうか。

|第二インターナショナルは、各国の党が自主独立の立場で
|それぞれの国の支配階級を支持したために瓦解しました。その教訓の上に
|立って、ロシヤ共産党を先頭とする第三インターナショナルは、「各国の
|自主独立」を認めない単一の世界党として結成されたのです。

二十世紀初頭にね。そしてコミンテルンの結成をこのコスポリ氏は擁護
しており、さも自分が国際共産主義者であるという看板にしているわけ
でありますが、私なんかはふと思うのだけど、この頃レーニンは普通に
言われていた「社会民主主義」という用語が地に落ちてしまった、と
古色蒼然としていた「共産主義」という語を殊更に持ちだし主張した、と
いう経過がたしかあったはずであります。そしてね、コスポリ氏のこの
ような議論を聞いていましてね、国際共産主義者だとかトロツキー信奉
というような語に時代の中で、多少は含まれていたかもしれない積極的
な意味が、彼のどうしようもない振る舞いによって、地に落ちて踏み
にじられているのではないか、という事であります。

|ところが
|スターリン主義は、「一国社会主義」を掲げ、世界党を解体してしまいま
|した。その結果、「自」国のブルジョアジーに忠勤を尽くす宮修のような
|連中が発生することになったのです。

つまり、スターリン万歳だと。”蛇にも頭がある”と。わっはっは。
(全体私の書き込みの方が長いので、一行レスもあるが御容赦)

[467] Re^2: そうかな〜? 投稿者:逆井永年 投稿日:02/03/20(Wed) 22:23
>このいわゆる「共産党」(もうすぐ改称するのかな)
 党名の先頭に『大』がついて、党章のしたには菊の台座が入るかも?

> まず中国を「大国」としていますが、今日はともかく当時の中国は大国なのでしょうか。
 66,67年当時の中国は小国だったんでしょうか?多くの国と国交を持っていることが大国の基準ですか?
 
>南京ではなく「ヒロシマ ナガサキ」を取り上げることによって、
 確かに9.18や7.7ではなく12.8に意図的に注意を仕向けている嫌いはあります。これは同感です。

> 中国共産党が宮修に対してそれを尊重しないことは当然と言えるでしょう。
 自分たちか勝手に、一方的にそう認識しさえすれば相手に何をしてもいいんですか?私たちの基準に照らしてみると 君たちは友人に値しない、世界に冠たる毛沢東思想を崇拝しない、だから攻撃の対象とする、破壊の対象とする、こ れって許されるんですか?

> だいたい、「独立 平等 内部問題不干渉」などという原則自体がナンセンスなものです。
 だったら当時の日本も自分たちの頭で考えるのではなく毛沢東に指導してもらえばよかったんですか?例えばインド ネシアの共産党やポルポトのように。例えば大菩薩峠や浅間山で事件を起こした犯罪者のように!ですか?
 

[469] Re^3: そうかな〜? 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/03/21(Thu) 19:58
逆井永年さんへ


>当時の中国が「大国」だったかどうか

日本のような国では、世界中の国と外交関係を持っていることは当たり前ですが、中国は分断国家であるので、外交関係を持つ国の数は国力を示す一つの指標です。(これは中国や朝鮮のような分断国家だけでなく、パレスチナのような「国ごと奪われた国」にもあてはまるかも知れませんね。)

また、当時の中国は、日本より経済的にも軍事的にもはるかに弱体でした。中国は、結局日帝の侵略に対する賠償請求を放棄せざるを得ませんでした。(その責任の一部は、中国政府の誤った反ソ親米政策がもたらしたものとはいえ)


>日本共産党(宮修)と中国共産党の関係について

問題の根本をわかっておられないようですね。
日本共産党と中国共産党の「対等 平等 内部問題不干渉」というのは、61年モスクワ声明(81ヶ国共産党-労働者党会議)の決定に基づく、「国際共産主義運動」の内部規定です。従って、この規定は、「国際共産主義運動」の外部にあるものとの関係には適用されません。中国共産党は、日本共産党が堕落し、「国際共産主義運動」の一部ではなくなったと判断したのですから、モスクワ声明の規定を日本共産党に対して適用しないことは当然です。

例を挙げるなら、夫婦関係は夫婦間の合意に基づくものです。夫婦のどちらか一方が、不貞などにより夫婦関係を破壊し、夫婦のもう一方が「もはや夫婦の実態はなくなった」と判断すれば、夫婦間の約束ごとなどはもはや存在しなくなります。もっとも法律的には、正式に夫婦関係が解消(離婚)するまで何らかの義務はあるかも知れませんが、共産党/労働者党国際会議は別に法律に基づくものではないから、中国共産党が「日本共産党との合意は消滅した」と判断すれば、それで消滅したことになります。

言ってる意味わかりますよね?


>だったら毛澤東に指導してもらえばよかったんですか?

あまりに馬鹿らしい質問で、「大阪の人」と同程度の知性の持ち主なのかと疑わせるものです。

私が書いたことをちゃと読めば、私の主著はわかるはずです。もう一度書きます。

第二インターナショナルは、各国の党がそれぞれ「自主独立の立場」(笑)で自国ブルジョアジーを支持したため、第一次世界大戦の勃発とともに瓦解しました。

それに対して、ロシヤ共産党を先頭とする革命的潮流は、国際プロレタリア革命の党として第三インターナショナル(コミンテルン)を結成しました。

しかし、ソ連がスターリン主義に簒奪され、スターリン主義は「一国社会主義」を政策として世界革命を放棄し、コミンテルンを解散しました。

中国共産党は、一時は「世界革命」を主張し、「フルシチョフ修正主義」の平和共存政策を非難しましたが、根本的には中国共産党も一国社会主義論者であり、「世界革命」はお題目にすぎませんでした。

日本共産党の「自主独立の立場」もスターリン一国社会主義論の日本版であり、「自」国のブルジョアジーに屈伏するものでしかありませんでした。

従って、スターリン一国社会主義論に基づく「自主独立の立場」ではなく、スターリン主義化する以前のコミンテルンの革命的原則に立脚する世界共産党を建設することが共産主義者の課題です。

これを読んでも、私の立場が「毛澤東に指導してもらう」というものだと言うのであれば、あなたも「大阪の人」と同程度の知性の持ち主であると判断し、あなたとの議論は無駄なので無視します。

[470] 追加 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/03/21(Thu) 19:59
81カ国共産党・労働者党会議による「モスクワ声明」は、1961年ではなく1960年でした。お詫びして訂正します。

ついでに言うと、日本共産党自身がこの「モスクワ声明」を無視して、アイルランド共産党、ノルウェー共産党、デンマーク共産党に対して「不当な干渉」(笑)を行なっています。また日本共産党は、「モスクワ声明」が「修正主義者」と断罪しているユーゴスラヴィア共産主義者同盟と関係を結んでいます。従って、日本共産党が、「中国共産党の不当な干渉」を非難するのは自己矛盾です。

[471] 自主独立と内政不干渉を否定する奇妙さ 投稿者:大阪の人 投稿日:02/03/22(Fri) 15:45
国際共産主義者コスポリ氏よ、こんにちわ

|アイルランド共産党、ノルウェー共産党、デンマーク共産党
|に対して「不当な干渉」(笑)

これは何年ごろ、どのように起りましたか。その党というのは
今党首は誰で、当時誰が指導部を代表していた党なのか。当方
は知らないので教えていただければ話が噛合わないのを多少な
りとも防止できる。

【上半分】
|また日本共産党は、「モスクワ声明」が「修正主義者」と断罪して
|いるユーゴスラヴィア共産主義者同盟と関係を結んでいます。

【下半分】
|従って、日本共産党
|が、「中国共産党の不当な干渉」を非難するのは自己矛盾です。

コスポリ氏よ、それでは「モスクワ声明」がユーゴ党を非難した
ということは正しかったのか、誤りであったのか。日本共産党は
50年代、60年代初頭とまだ自主的な認識を確立する過程であり
まして、認識が深まってユーゴ非難に(声明のこの箇所に無批判
だっただけであり、非難を受け売りで述べただけでありまして、
ユーゴに空爆したり、スパイを送り込み破壊活動したわけでは
ないという事はおわかりになりますな)賛同したことを改め、
反省して後にチトー氏らのユーゴと関係を修復したのです。
そして【下半分】にようく注目あれ。コスポリ氏のいいぐさは、
要するに「日本共産党にも不見識があったであろう、だから中
国共産党にも不見識があったということを、許せ」という文革
時の中国政権党の無原則の擁護の泣き言という意味の他にはユーゴ
のためにも日本のためにも何の意味もない枝葉の議論であります。

そして98年に合意するまで、中国は85年の交渉でも不誠実な態度
でありました。70年代に日本共産党は独自にユーゴと関係を修復
してその自己の不見識をおわびしたのでありました。そして中国
の党政府は江沢民指導部は日本共産党に率直に「おわびする」
(張香山氏の発言)ようになったけれど、日本の一部の中国派の
残党とそれに与する猛獣氏あるいは国際共産主義者の誰かさんは
このように時間と空間をねじ曲げて中傷にやっきとなっている
わけです。そして空爆こそしなかったものの、中国党政府の文革
当時のやり方は暴力闘争とプロパガンダ、スパイを相手党に潜入
させて分裂策動するという「一種の社会的戦争」でありました。
それが猛獣氏なり東京華僑総会の一定の部分には残存している
ということであります。中国は日本共産党非難に「無批判に賛同」
したなどという生易しいものではなくて「東京に手を伸ばして
犬の頭を殴ってやる」ということでまさに暴力闘争を日本の地に
おいて実践したのでありました。これは大変な事であります。
日本共産党はこんな行為はしていないのであります。

(蛇足ですが、81カ国会議の「モスクワ宣言」に中国共産党が
賛成したかどうかは存じませんが、中国党自身もこのころには
ユーゴ批判はしていたはずでありまして、スターリンの長女で
あったはずであります)。

81カ国党会議において、それこそ日本共産党こそが先駆的に
世界の共産党は対等平等であり「オヤジ党」だとか「蛇の頭」
などは不要だとフランス党やイタリア党などの”忠告”も
振り切って述べたのだと「日本共産党の70年」には述べて
います(ソ連本家論を拒否して-81カ国会議と日本共産党の項)。

コスポリ氏は中国共産党が日本共産党攻撃をやめて、党間関係
を結んだということ、また中国共産党が対等平等、内部問題相互
不干渉を自党の「対外関係を律する四原則」だとしている事を
もって、中国党も堕落した証拠だというようなニュアンスにも
読めるのだが、そもそもこの四原則のうち、対等平等、内部
問題不干渉という事は、コミンテルン解散当時からの常識で
ありまして、文革当時の中国がたまさかこの「原則にあいいれ
ない」政策をとっちゃったからといって、コスポリ氏が独り
笛を吹いても、世界の常識とはかけはなれていると思いますが
これは当方が世間を知らない故の管見でありましょうか。

蛇足:
「日本共産党の70年」の「宮本委員長のユーゴ、ルーマニア
訪問」という項目で1978年に初めてユーゴに日本共産党代表が
訪問をしています。その時まさにチトー指導部と話あわれた内容が
関係修復と、ソ連、中国ともどもに発生した大国主義覇権主義
の害悪に反対して、「たがいの自主独立路線を良く知っている
同士の友好」を交流しこのとき「共同声明」もだされていますな。
そしてコスポリ氏のこの件を持ちだした主旨とは正反対ですが(笑)
「各党間の自主独立、内部問題不干渉の原則」などが、この
ユーゴとの共同声明の骨子でありますことも、付け加えて
申し添えたいと思います。わっはっは。

[455] Re: そうでしょ 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/03/16(Sat) 02:15
>  何を根拠に「大阪の人」の主張を日帝や産経と同列と決め付けているのかまったく理解できません。もう一度読み直し
> てみては如何でしょうか。「大阪の人」さんがヒロヒトのひ孫に賀詞を送ったグループの一員であるか否かは個々の論議
> とはあまり関係ないように思えるんですが・・・。
>  あなたが毛沢東主義をどう考えようと自由ですが、日本の運動
> に不当な干渉をしたのは事実です。当時学生生活を送ったものの一人として干渉した大国側の正式見解を是非伺いたいと
> 思っているものです。
>

正式見解を誰に伺いたいのですか?コスモポリタンさんに聞くとしたら、お門違いではありませんか。

なお、大阪の人さんは、在日外国人の生活や権利について、「日本国民」の承認の制限下におくような発言をなんども行っていますが、コスモポリタンさんはそれが右翼などの主張と同じだといっているのです。賛同するかどうかは別として、理解はできるのではないでしょうか。 

[457] Re^2: そうでしょ 投稿者:逆井永年 投稿日:02/03/17(Sun) 03:51
> 正式見解を誰に伺いたいのですか?コスモポリタンさんに聞くとしたら、お門違いではありませんか。
 「コスモポリタンさん」にではなく先日の全人代でひな壇に座っていた方々に伺いたかったんです。
> なお、大阪の人さんは、在日外国人の生活や権利について、「日本国民」の承認の制限下におくような発言をなんども行っていますが、コスモポリタンさんはそれが右翼などの主張と同じだといっているのです。賛同するかどうかは別として、理解はできるのではないでしょうか。 
 どこが日帝や産経の主張と同じなんですか?滞在国の共産党と出身国の政権党と意見が違うからといって滞在国の運動に分裂を持ち込んだり、破壊にかかったりする自由も権利もない、と言っておられるように読めるんですが。「日本国民」の承認の制限下におくように主張されているとは思えません。

[456] ジュディオング氏と同世代ですか? 投稿者:大阪の人 投稿日:02/03/17(Sun) 00:25
猛獣氏よ、お久しぶり。

|正式見解を誰に伺いたいのですか?コスモポリタンさんに
|聞くとしたら、お門違いではありませんか。

これは、この筋からはそのとおり。しかし逆井氏の問いは
もっと別なのでは。しかし責任持って発言するというと
それは中国共産党中央委員会政治局常務委員の人士なり、
中央対外連絡部の(引退していなければ)当時の部員なり
それぐらいじゃないですかね。そして、それはまさに
張香山氏の97年の朝日新聞シンポジウムでの発言であり
江沢民氏の指導の下に、戴ケイ国部長が西口部長と合意
した所謂「98年合意」、その延長線としての不破氏の同年
の訪中、江沢民氏との握手や会見でありましょう。とすると
猛獣氏はどのような責任を取れるのか? 御自分は責任を
取ることもできないくせに、無責任に放言を続けて事実を
直視することを避けている穴蔵の住人であります。

||三、中国側は、六〇年代の国際環境と中国の「文化大革命」
||などの影響を受け、両党関係において、党間関係の四原則、
||とくに内部問題相互不干渉の原則にあいいれないやり方を
||とったことについて真剣な総括と是正をおこなった。日本側
||は中国側の誠意ある態度を肯定的に評価した。
||
||四、双方は今回の会談により、両党間に存在した歴史問題
||が基本的に解決されたことを確認し、日本共産党と中国共
||産党との関係の正常化を実現することに合意した。

日本に居た人士というと、いかなる「オールスターズ」の
面々も、いささか役不足でありまして。(左派)の人士
労働者党の人士、ML派の人士、労働党の人士、東京華僑
総会の人士、華青闘の人士、だれが責任もって発言できる
というのでしょうか。寮生代表としましては任光政氏が
有名でありますが、彼のその後のブルジョアとしての成功
に関して、当方が発掘して取り上げたところ、なぜか猛獣氏
は”醜い個人攻撃だ”なりと指摘していました。ということは
彼も役不足であるということでありましょう。

|なお、大阪の人さんは、在日外国人の生活や権利について、
|「日本国民」の承認の制限下におくような発言をなんども
|行っていますが、コスモポリタンさんはそれが右翼などの
|主張と同じだといっているのです。

これは、70年代の革命きちがいの相貌としてはまさに典型であります。

どこに目がついているのか。逆井氏も指摘し、たびたび当方も
同じ件ばかりしつこく猛獣氏から(ひっかけて”差別発言”に
したてあげようという意図でしょう)訊かれた件でありますが
当方は明確に以下のように答えております。たとえば#448

|||参考にしたいので、外国公民が日本人に対して日本語で述べる言葉として
|||適切なものと不適切なものを解説してください。例示でも結構です。
||
||そうですな、北京で日本人が許される範囲と相似形ということでは
||どうでしょうか。日本人とみたら「犬ころ、はってあるけ」なんて
||中国では許されたという事なんて、ベトナムで許される範囲、フィリ
||ピンで許される範囲、韓国で許される範囲としたほうがいいかな。

どうでしょうか。何か新たに華僑の人士に、国法以上の、あるいは
国際的儀礼の相互主義以上の何か屋上屋を架す制限を加えるなどと
いう議論をしているでしょうか。異常な執念をもって猛獣氏は当方
を”差別者”にしたてあげて、自分たちは抑圧された側だ(差別に
抗してこうした暴力闘争をするほかに表現手段はなかった、だから
許せ)というような対等な立場での論証を諦めて、弱気を内包した
”差別された側”には無限の糾弾権があるとの議論と言えましょう。

外国の来訪者はホスト国の主権にはかかわらない、立ち入らない
無論一定の制限を受けて政治的行動をせざるをえない、ということは
あたりまえであります。私が国外にいたらば、やはりそれには従い
ますよ。外国でも威張るなどというのは、戦争中の日本軍だとか
今日本に居座り、婦女暴行ばかりする米兵だとかと同然であります。
いかなる国の侵略や干渉にも主権を守らなければなりませんし、とり
わけ日本人は先の大戦の反省から外国に軍を出したり、国外で威張った
りしてはならない、と自主的に戒めるばかりであります。中国公民たる
猛獣氏もベトナムへの79年の侵攻やら朝鮮戦争をイケイケで後押しした
中華人民共和国の国民として、少しは対外干渉行為にたいして自己を
振り返って自主的に反省されたらどうか?

|賛同するかどうかは別として、理解はできるのではないでしょうか。 

猛獣氏の下に、このコスポリ氏やらコメレボ氏のごとき国際共産主義
の国際援助をしにくるトロツキー信奉者が集う、というこの事実が
いわゆる猛獣氏の半生の来歴を物語っているのではないかな。類は友を
よぶと。それが実は猛獣氏のこのウェブの論争になっている議論の
中心問題としましては、いささか猛獣氏には邪魔になっていたりもする
のでありましょう。ここが”賛同するかどうかは別として”という
つけたしのフレーズに感じられるのは当方のうがちすぎでありましょうか。

なにしろ暴力闘争を一切否定しない、まだスターリンが、トロツキーが
というような人士たちでありますれば、よど号30周年、あさま山荘30周年
というこの節目の時節に、雪山に埋められて殺された内ゲバの死屍累々の
様相などもリアルに蘇ってくるのでありまして、これがまさに寮生・猛獣氏
らの姿であったと。こうした見方を裏書して、身に寸鉄もおびざる
平和的に暮らしていた学生に襲いかかった反中国の修正主義の下僕、という
図が全体大カッコにくるまれて、”ああ、ゲバ学生のヨタかあ”と、むしろ
嘘らしさを増すわけであります。それ故にこのコスポリ氏のごとき書き込み
は当方は大歓迎であります。

蛇足:最近読んだ本
『中国人民に告ぐ!』金文学著 祥伝社 2000/6/25
『同和利権の真相 別冊宝島Real 029
マスメディアが黙殺してきた戦後史最大のタブー!』
寺園敦史、一ノ宮美成、グループ・K21[編著]
宝島社 2002/4/1

金文学氏は、文革時に中国にいて、嫌というほど文革の惨状を
まのあたりにしたのか、なにかにつけて文革が引きあいに出て
きますね。それから氏は朝鮮族であったそうで、中国国内に
あってまさに文革時に少数民族差別を受けたということも記して
います。地上の天国、中国国籍ある青年学生は毛沢東氏の胸で
皆抱いてもらってありがたや、と寮生たちは嬉しげに手紙に
記しておりますが、内実はかようなマイノリティ差別さえ増幅
していて、中国こそ排外主義と差別が根深いということを示して
いますな。

別冊宝島の方は、コンパクトにまとめられた部落解放同盟の
暗黒の歴史であります。前に善隣学生会館事件の一年前の相似形
と当方が紹介した京都の文化厚生会館事件の件などが扱われて
います。暴力と利権の一番最初は日本共産党や民主団体の分裂
から始まって、日本共産党と敵対することによって権力に取り入り
あるいは暴力闘争を警察に泳がせてもらっているうちに行政や
教育への恫喝が広まり、自浄能力を失った革命きちがいになる
という図はまさに相似形であります。

特記:これらは猛獣氏が自分で解明する、調べる、と言明し
事実が明らかになるのが「楽しみです」と述べた刑事事件の調べの
公表までのあいだの、一時の座興でありまして、こうした余興に
向かって議論を枝葉に広げるばかりで太く前むきに進める気が
かなり失せている猛獣氏でありますれば、本論と逸れた個所に
意味ない駄レスばかりして紛らせている事にも注意を向けて
せめて公約を果たせ、と、単なる非難中傷にならないように
気をつけつつ見守る態度であります。忘れないで頂きたい。

[468] Re: ジュディオング氏と同世代ですか? 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/03/21(Thu) 01:29
大阪さんは、相手にできないほどのひどい偏った考え方の持主で、相手にするのをやめよう
という忠告ももっともであるが、一つ、この忠告には弱点がある。

大阪さんの発想は多くの日本人の共有するところであり、この人を相手にしないようにする
ことを徹底すると、日本のかなりの部分の人たちを無視して暮らさなければならなくなる。
これもなかなか困難なので、ちょっと、相手をしてみたい。


> |||参考にしたいので、外国公民が日本人に対して日本語で述べる言葉として
> |||適切なものと不適切なものを解説してください。例示でも結構です。
> ||
> ||そうですな、北京で日本人が許される範囲と相似形ということでは
> ||どうでしょうか。日本人とみたら「犬ころ、はってあるけ」なんて
> ||中国では許されたという事なんて、ベトナムで許される範囲、フィリ
> ||ピンで許される範囲、韓国で許される範囲としたほうがいいかな。

自分で、こんなおかしな発言をわざわざ持ち出してきて、大阪さんは大丈夫かな。
日本の法律で定められている在日外国人の権利について、中国、ベトナム、韓国、
フィリピンとか、そこでの外国人の権利と相似形にしろ?あなたは、これらの国
における外国人の実態とか、権利とかどの程度知っているのかな。私は、よく知ら
ない。少なくとも、日本における法の規定のほうが私はよく知っている。したがって、
これは、答えになっていない。

> どうでしょうか。何か新たに華僑の人士に、国法以上の、あるいは
> 国際的儀礼の相互主義以上の何か屋上屋を架す制限を加えるなどと
> いう議論をしているでしょうか。

少なくとも、私がこの掲示板で大阪さんに対して書き込んでいる内容の発言が、日本の
法に触れる性格のものではない。それを、大阪さんは、外国人がこのようなことをいって
どうのこうのと非難しているわけだ。

> 異常な執念をもって猛獣氏は当方
> を”差別者”にしたてあげて、自分たちは抑圧された側だ(差別に
> 抗してこうした暴力闘争をするほかに表現手段はなかった、だから
> 許せ)というような対等な立場での論証を諦めて、弱気を内包した
> ”差別された側”には無限の糾弾権があるとの議論と言えましょう。

誰がいつ、無限の糾弾をしたのか。無責任な発言は控えたまえ。そこまで差別がどうこう言う
のならば逆に、大阪さんは、いわゆる差別とか、そのような問題について、どのように
考えているのか、示すべきではないか。はたして、大阪さんが問われてもいないのに繰り
返し語ってきた部落問題や在日朝鮮人韓国人の、あるいは中国人台湾人に対する日本人の
差別というような問題は彼ら「自称被差別者」の妄想とでっち上げなのか。何もないところ
で、「被差別者」が自己の利益を得るために、騒いだだけだというのか。お答え願いたい。

> 外国の来訪者はホスト国の主権にはかかわらない、立ち入らない
> 無論一定の制限を受けて政治的行動をせざるをえない、ということは
> あたりまえであります。私が国外にいたらば、やはりそれには従い
> ますよ。

あなたが外国に行ったら、したがえばよいでしょう。私がそれに従うかどうか、そのような
ことは、私の問題で、あなたにとやかく言われることはない。それが許せないのならば刑事
告訴でも密告でもしたらどうかな。最後の判断場所は裁判所と考えているようだから、法廷
で争ったらどうかな。

> 外国でも威張るなどというのは、戦争中の日本軍だとか
> 今日本に居座り、婦女暴行ばかりする米兵だとかと同然であります。

日中戦争時に中国に対して威張っていたのは、日本軍だけか?日本国民は威張らなかったのか?
また、日本軍は、日本国民ではなかったのか。
日本軍は中国で威張っただけなのか?そのほかに何をしたのか。これらの行為を日本国民はどの
ように清算したのか。これについて、答えてほしい。

> いかなる国の侵略や干渉にも主権を守らなければなりませんし、とり
> わけ日本人は先の大戦の反省から外国に軍を出したり、国外で威張った
> りしてはならない、と自主的に戒めるばかりであります。中国公民たる
> 猛獣氏もベトナムへの79年の侵攻やら朝鮮戦争をイケイケで後押しした
> 中華人民共和国の国民として、少しは対外干渉行為にたいして自己を
> 振り返って自主的に反省されたらどうか?

先の大戦とは、なんと他人事のような表現だろう。これが、あなたの15年戦争に対する評価なのか。

朝鮮戦争をイケイケで後押ししたとはどういう意味か?

> 蛇足:最近読んだ本
> 『中国人民に告ぐ!』金文学著 祥伝社 2000/6/25
> 『同和利権の真相 別冊宝島Real 029
> マスメディアが黙殺してきた戦後史最大のタブー!』
> 寺園敦史、一ノ宮美成、グループ・K21[編著]
> 宝島社 2002/4/1
> > 金文学氏は、文革時に中国にいて、嫌というほど文革の惨状を
> まのあたりにしたのか、なにかにつけて文革が引きあいに出て
> きますね。それから氏は朝鮮族であったそうで、中国国内に
> あってまさに文革時に少数民族差別を受けたということも記して
> います。地上の天国、中国国籍ある青年学生は毛沢東氏の胸で
> 皆抱いてもらってありがたや、と寮生たちは嬉しげに手紙に
> 記しておりますが、内実はかようなマイノリティ差別さえ増幅
> していて、中国こそ排外主義と差別が根深いということを示して
> いますな。

中国の社会問題をことさらに持ち出して、日本の社会問題に目をつぶろうというわけか。
在日中国人は、中国が完璧な楽園になるまで、日本の社会問題を批判することができないと
いうわけか。

この下の妄言には、答える価値もなし。

ところで、ジュディイオングの話は、どこに消えたのか。

[475] 話を逸らされた 投稿者:大阪の人 投稿日:02/03/31(Sun) 19:33
re:468
読者の皆さん、上手に話をそらされて、あやうく本題を
忘れる所でした。

猛獣氏はBBS書き込み#468番において、当方の書き込み#456番を
相手にレスをしているわけです。ところが、当方の書き込みの中で
もっと重要な箇所は巧妙に外している。そして、どうでもいいような
箇所にしつこくレスを暮れているわけであります。これはBBSの
書き込みシステム、あるいは文章の流れを追うという過程においては
論者がはぐらかしの手法としてとれば、そこから読者にはそれたツリー
が何が逸れているのか、つかめない、という弱点を悪用したものと
いうことができます。

で、#456で当方が何を書いていてか、改めて読み直してみました。
||正式見解を誰に伺いたいのですか?コスモポリタンさんに
||聞くとしたら、お門違いではありませんか。
|
|これは、この筋からはそのとおり。しかし逆井氏の問いは
|もっと別なのでは。しかし責任持って発言するというと
|それは中国共産党中央委員会政治局常務委員の人士なり、
|中央対外連絡部の(引退していなければ)当時の部員なり
|それぐらいじゃないですかね。そして、それはまさに
|張香山氏の97年の朝日新聞シンポジウムでの発言であり
|江沢民氏の指導の下に、戴ケイ国部長が西口部長と合意
|した所謂「98年合意」、その延長線としての不破氏の同年
|の訪中、江沢民氏との握手や会見でありましょう。とすると
|猛獣氏はどのような責任を取れるのか? 御自分は責任を
|取ることもできないくせに、無責任に放言を続けて事実を
|直視することを避けている穴蔵の住人であります。
|
|||三、中国側は、六〇年代の国際環境と中国の「文化大革命」
|||などの影響を受け、両党関係において、党間関係の四原則、
|||とくに内部問題相互不干渉の原則にあいいれないやり方を
|||とったことについて真剣な総括と是正をおこなった。日本側
|||は中国側の誠意ある態度を肯定的に評価した。
|||
|||四、双方は今回の会談により、両党間に存在した歴史問題
|||が基本的に解決されたことを確認し、日本共産党と中国共
|||産党との関係の正常化を実現することに合意した。
|
|日本に居た人士というと、いかなる「オールスターズ」の
|面々も、いささか役不足でありまして。(左派)の人士
|労働者党の人士、ML派の人士、労働党の人士、東京華僑
|総会の人士、華青闘の人士、だれが責任もって発言できる
|というのでしょうか。寮生代表としましては任光政氏が
|有名でありますが、彼のその後のブルジョアとしての成功
|に関して、当方が発掘して取り上げたところ、なぜか猛獣氏
|は”醜い個人攻撃だ”なりと指摘していました。ということは
|彼も役不足であるということでありましょう。

いかがでしょうか。これは前半部分です。猛獣氏の逆井氏への
レスの中にあった、軽いいなしのような箇所が、意外にも重要な
本質であるという議題であります。猛獣氏の当初の図式であれば
「寮生vs日本共産党」という対決だと、こうして無力で平和的で
学問に専念していて、前途ある青年学生、寸鉄もおびざる方々に
一方的に暴力を振るった日本共産党だと(とりわけ1967年の選挙
の時分には)何百万枚ものビラにして、愛国華僑なり愛中国な?
当時の日本社会党なりが反共デマを宣伝するのに用いたのであり
ました。【いったい誰が責任とれるというのか】との当方の指摘
は非常に重要な指摘であります。猛獣氏の#468番書き込みでは
この箇所がすっぽりと、何事も言われなかったかのように消えて
いるのです。

猛獣氏は言うわけです。「どちらが真実なのか」と。
よろしい。日本共産党が暴力主義で排外主義で修正主義の下僕で
あったとして、それは元指導者の宮本氏なり不破氏なり、現指導者
の志位氏なりが責任もって言うことができる話であります。同様
に中国共産党と中国政府を代表して述べることができる責任と権利
ある人は毛沢東氏なきあと、その継承者であるところの関係者
すなわち江沢民国家主席兼総書記その人か、次期総書記兼国家主席
とされる胡錦濤氏などを無視して語ることはできないはずであります。
それから中国共産党中央対外連絡部の当時の官僚であった張香山氏
なども責任の一端を担っていた人士であります。彼が語る「我に
あやまり」というのは大きな大きな責任論であります。

猛獣氏は「四つの敵」論が、何が何でも1967年3月以降に言われだした
課題であるとしています。しかも「四つの敵」に日本共産党を数え上げ
た直接の責任をこの後楽の事件に置こうというのです。当方は指摘し
ました。中国党政府はそのような在外邦人の身柄の確保なんて課題で
これまでまともに人権外交を展開したことは一度もないはずだという
事。そればかりか国内でも少数民族の子が差別迫害されていたり、原水爆
もハリコのトラだから何百万人死のうがまた数年で数は元に戻る等と
人命も軽視した暴力革命唯一論に固執して、まさにその鉄砲政権論を
日本に持ち込むための策動をしていた時期の事であります。大きな
流れで日米両国に無原則に迎合し、北爆のさ中に世界一の悪人として
口を極めて非難していたニクソン米大統領を北京に招き入れるための
大きな迂回策、指桑罵槐の術策であったということも指摘しました。

また、具体的には、1967年春の事態よりも、より多くの在日華僑人士が
日本共産党には無関係な各種の事件を引き起こし、なかでは数十人規模
の大規模な負傷者、時には重傷者も現出しているわけであります。これは
この時期以後頻繁になってまいります。当方が調べて指摘した通りです。
これまた文革のパターンでありました。負傷者人数だけで数え上げるなら
この衝突の方が事件はより大きいはずであります。しかしこれは「四つの
敵」に数え上がられることはありませんでした。なぜか。ニクソン訪中に
は邪魔にならないからです。暴力集団各派こそ中国党政府の直接の差し金
で育成された【身内】であったからです。中国共産党のいうままに動く
連中と、自主的認識で動く日本共産党とでは、特段に扱いが違うわけです。
この日本共産党だけを特別に差別し、たとえ「下僕」と名指しした「上部」
のはずの「米帝」「ソ修」「日本反動派」のすべてと和睦を結んでも日本
共産党との関係修復が進まなかった、1998年をまたなければならなかった
ということこそがこの事態の中国共産党政府の無原則さの深刻さの度合い
を示しているということです。

それとも何か? 不破氏は1967年4月29日論文「極左日和見主義者の中傷と
挑発」や1967年10月10日論文「今日の毛沢東路線と国際共産主義運動」の
主な執筆者であり、頑強な最大の敵指導者であったわけですが、この人士を
北京に招き入れ、握手をしたということで江沢民総書記兼国家主席自身が
「現代修正主義の下僕の代表者と握手」する「下僕の下僕」になりさがった
ということでありましょうか。そうしてその「下僕の下僕」が指導する一党
独裁の国家組織に盲従する猛獣文士氏は「下僕の下僕のそのまた海外下僕」
ということになるのでありましょうか。はたまた猛獣文士党をうちたてて
大陸反攻をしかけて、この「下僕の下僕」(ひどい言い方だが猛獣氏の論だて
に沿うならこうとでも表現するしかない)を駆逐して新たな新新中国を樹立
して、新たなプロレタリア文化大革命を引き起こして、猛獣文士氏こそが
世界革命の新たな百科全書となり、赤い赤い中国国民のもっとももっとも敬愛
する心の太陽となるのだということでありましょうか。世界革命の号令をかけ、
アジアを始めとした全世界の華僑に号令をかけて、新たに愛国華僑戦術を行使
し、山に篭り武装闘争を開始せよとでもいう積もりでありましょうか。論理的
必然性から申せば、猛獣氏の論はこのようなお話に帰結せざるを得ません。

しかし、ナンボ妄想癖ある猛獣氏でも、ここまであけすけにはよう言えない
ということで、わざと議論を逸らしているのでありましょうか。何れにせよ
この箇所が抜けています。枝ツリーのようで枝ではない。非常に重要な箇所
です。

[474] ジュデイさんは当時華僑三宝と言われて 投稿者:大阪の人 投稿日:02/03/31(Sun) 01:54
re:468
猛獣氏よ、こんにちわ

|大阪さんは、相手にできないほどのひどい偏った考え方の持主で、
|相手にするのをやめようという忠告ももっともであるが、一つ、こ
|の忠告には弱点がある。大阪さんの発想は多くの日本人の共有する
|ところであり、この人を相手にしないようにすることを徹底すると、
|日本のかなりの部分の人たちを無視して暮らさなければならなくなる。
|これもなかなか困難なので、ちょっと、相手をしてみたい。

この項のキモは「偏った考え方」が日本人に多い、とする猛獣氏の
認識であります。相手にできない程の偏った考え方の持ち主だと
するコスポリ氏の発言をそのまま「忠告」として肯定しつつ、嫌
ごとを述べるわけでありますが、これは当方への嫌ごとであるか
に見えて、実はそうではありません。「在日」であることが日本人
に反省を迫る何かの徴だと、そのような一方的な差別性の糾弾権
を自己にありとする異常なメンタルであります。猛獣氏の眼前には
パレスチナの惨状が展開しているのでありましょうか。本来自分
たちの土地であるパレスチナにあってイスラエルに攻撃されている
我々、と華僑である猛獣氏は日本の東京に置いて日本人をイスラエル
人に擬して思い描くわけだ。もはや革命闘争しかない、と。差別され
ている者の気持ちは差別している者にはわからへん、俺たちの踏み
にじられた人権をどうしてくれるんや?(こうした恫喝にはなぜか
河内の関西弁がTPOが合います)というわけだ。

|こんなおかしな発言をわざわざ持ち出してきて、大阪さんは大丈夫かな。

何? おかしな発言とは心外な。「犬ころ、はって歩け」などと
当時の日本人紅衛兵は図に乗って言っているわけであります。これは
猛獣氏の当時の味方の側の不作法さであります。まだ猛獣氏はこの
中国共産党自身が1985年当時すでに非道さにおいて弁解のしようもない
としていた北京空港事件さえ、「おかしな発言」と黙殺するのか。

|日本の法律で定められている在日外国人の権利について、中国、ベトナ
|ム、韓国、フィリピンとか、そこでの外国人の権利と相似形にしろ?
|あなたは、これらの国における外国人の実態とか、権利とかどの程度
|知っているのかな。私は、よく知らない。少なくとも、日本における
|法の規定のほうが私はよく知っている。したがって、これは、答えに
|なっていない。

はっはっは。どこの国でも通用する普通の事をすれば守られ安全に
暮らすことができようものだ、と述べ、逆に、1960年代中葉の中国
政権党と政府の「革命外交」「造反外交」の手足となって在住の国
の国法を踏みにじって毛沢東思想を奉じて暴力革命に狂奔した華僑は
どこでも軒並み弾圧されている、という事でありますよ。猛獣氏は
「知らない」だとか述べています。国際法や国際的儀礼を尊重する
ということは海外に在留する外国人としては当然知るべきであります。
日本人も海外にあれば、国際法や国際儀礼を守ってホスト国の政治
に関わったりしてはなりません。この当然の道理を述べているのです。
答えになってないのは猛獣氏の方だ。それとも何か? 日本人が
これから中国にいって中国の国法を乱したり、日本の流儀を無理に
通用させ、暴力闘争を扇動したり暴力闘争を褒め上げ、挑発しても
いいとでもいうのか。

|少なくとも、私がこの掲示板で大阪さんに対して書き込んでいる内容
|の発言が、日本の法に触れる性格のものではない。それを、大阪さんは、
|外国人がこのようなことをいってどうのこうのと非難しているわけだ。

これは、多少の注釈が要ります。猛獣氏は1960年代中葉の具体的には
中国国内で引き起こされた動乱、プロレタリア文化大革命の当時の
中国党政府の外交方針、対外方針(の崩れ、乱れ、とした方がいいのか)
を真に受けて、それを実行した側を今の(2000年から2002年)時点で
擁護する発言をさして、「これを再現する意図があるならその発言は
内政干渉を再度復活させようとする野望」だとしているのであります。
当時の寮生の主張、それを擁護していた北京周報や北京放送の内容
北京などの紅衛兵の壁新聞やビラ、また日本にあって寮生らを擁護して
ともに闘った「オールスターズ」の面々の主張、具体的には笛吹き男
寺尾五郎氏などを代表とする「日本と中国」などに登場する面々中国
研究所の強盗男光岡玄氏らの面々を美化し、「歴史家」だとか「思想
家」だとか褒め上げる発言に、革命きちがいの片鱗を見るわけです。
これは不穏当であります。是非とも日本滞在中におかれましてはこの
ような内政干渉発言は慎んで頂きたいものであります。もしも研究
するというのでありましたら「日共vs寮生」などというわけのわから
ない対決図式からの一方的なデマ宣伝からではなくて、学術的にも
批判に耐えうるような形で学問的になされるのがよいでしょう。

|> 異常な執念をもって猛獣氏は当方
|> を”差別者”にしたてあげて、自分たちは抑圧された側
|誰がいつ、無限の糾弾をしたのか。無責任な発言は控えたまえ。

中国人差別がこのウェブの重要な議題だなりと勝手にしていた
猛獣氏であります。そして当方の指摘したように、まさしく
何度も何度も当方に対して「チャンコロという語はどう思うか」
だとか「解説してください」だとか、自分は聖域、絶対的な弱者
の側に置いて、相手をつるし上げる糾弾闘争の路線で詰問している
のであります。

|そこまで差別がどうこう言うのならば逆に、大阪さんは、いわゆる
|差別とか、そのような問題について、どのように考えているのか、
|示すべきではないか。

ほら。「差別について、どう思ってんねん、答えてみ」とね。
「おれら差別されてきた者の苦しみがわかるか、わからんやろう」
「ボクの足を踏んでみ、かまへん、踏んでみ、どうや? 踏んだ
気分は? 踏んでいる人間には踏まれているにんげんの気持ちは
わからんやろ?」ってね。

|はたして、大阪さんが問われてもいないのに繰り返し語ってきた部落
|問題や在日朝鮮人韓国人の、あるいは中国人台湾人に対する日本人の
|差別というような問題は彼ら「自称被差別者」の妄想とでっち上げな
|のか。何もないところで、「被差別者」が自己の利益を得るために、
|騒いだだけだというのか。お答え願いたい。

端的に述べさせてもらいますと、過去の歴史をダシにして、火のない
所にも「差別」を発見して、なければ自分でトイレに落書きしてでも
捏造して「差別は深化している」として脅迫と恫喝を繰り返して
行政に癒着していった部落解放同盟の糾弾闘争路線は多くの犠牲者を
だし、日本の政治革新の運動を(大きくはその名誉を傷つけた)(小さ
くは運動体を分裂させた)壊した張本人だと思っています。

|あなたが外国に行ったら、したがえばよいでしょう。私がそれに
|従うかどうか、そのようなことは、私の問題で、あなたにとやかく
|言われることはない。

それでは中国に今度当方がいく際には従いましょう。しかし日本人
には当方とは異なった考えの者もいます。それはあの戦争を反省しない
人士であります。彼らが中国にいって、好きなことを放言し、好きな
事を画策し、何やら反中国な組織活動をしようと構わない、するか
しないかはそれぞれ当人の勝手だというのでしょうか。また猛獣氏
が何か当方のいいなりに従う必要は一切ないと思います。しかしまた
猛獣氏がどのように無法を働き、その無法な行為によって両国関係
を傷つけたり中国の面汚しになっても構わない、という意味ではない
わけでありまして、そうした場面ではしかるべき反撃をするのは
日本の国法に則り、また国際的儀礼に則り、当然の自衛というべき
でありまして、あなたの生命、財産、信用、安全と権利はこの
国際的儀礼や常識と相互主義によりなりたっているのだということ
だけは老婆心ながら指摘させて頂きます。

|それが許せないのならば刑事告訴でも密告でもしたらどうかな。最後の
|判断場所は裁判所と考えているようだから、法廷で争ったらどうかな。

許せる時と許せない時とがありますが、ここは猛獣さんの
おっしゃるとおり。

|日中戦争時に中国に対して威張っていたのは、日本軍だけか?日本国民は
|威張らなかったのか?
|また、日本軍は、日本国民ではなかったのか。
|日本軍は中国で威張っただけなのか?そのほかに何をしたのか。これらの
|行為を日本国民はどのように清算したのか。これについて、答えてほしい。

戦争は1945年に終結し、ポツダム宣言を日本は受諾したわけであります。
当方はナンボ中年でも戦後世代でありまして、実はあまり戦争責任などと
言われても、正直わからないのですよ。それよりも98年に不破氏が訪中した
際に胡副主席や江主席に率先して述べた日中関係の五原則、その第一と
第二の原則、すなわち「過去の侵略戦争に対して日本は反省する」具体的
には朝鮮半島や中国に軍隊を入れない、およそ海外派兵をしない国にする
また「1つの中国の原則を守る」具体的には台湾問題に関して過去に台湾
を植民地にした歴史に鑑みて植民地の政治に関与するような発言を慎み
中国が平和的に統一する邪魔をしない、ということを国際的な課題と
して掲げて、実行するという以外には何も中国の事で、あるいは未精算
の「貸し借り」があってという話は、聞いていません。また不破氏がこの
指摘をした時に「足りない」だとか「もっと他にもあるだろう」とは
中国党政府の代表の両氏である彼らは、おっしゃらなかったはずであります。

|先の大戦とは、なんと他人事のような表現だろう。これが、あなたの15
|年戦争に対する評価なのか。

先の大戦は先の大戦じゃないのか。今は戦争してないから平和条約もある。
道義的責任を述べ立てて、道徳的に”弱者”として絶対的優位にたって
恫喝したり攻め立てたり、あるいは糾弾したりするスタイルは全くもって
お笑いであります。そしてこれは【いいがかり】であるばかりでなくて
【言い返しのへ理屈】でさえあります。1960年代中葉の中華人民共和国の
対外路線の造反外交、愛国華僑を鼓舞する政策による革命の輸出路線に
まんまと乗ぜられて暴力闘争にのめり込んでいった日本華僑の人士が
その暴力闘争の路線を具体的に証明された際に、弁明に極まって、これ
には一言も返さないで、代わりの【言い返し】として1945年に終結した
戦争をもちだして(あなたの年齢からしても生まれる前の事だね)これを
タネに居直っているわけです。

|朝鮮戦争をイケイケで後押ししたとはどういう意味か?

萩原遼氏の「朝鮮戦争」(文春文庫)
Aトルクノフ氏の「朝鮮戦争の謎と真実」
などをお読みください。朱建栄氏などとは違って、彼らは
実に具体的かつ多面的に朝鮮戦争を描いていますよ。
金日成氏の謀略であった事。その後ろ盾として前々から
毛沢東氏とスターリン氏には相談があったこと。そのうえ
スターリンさえ最初は躊躇していたこの戦争を、毛沢東ら
はまさにイケイケで応援すると約束して、人民解放軍の
朝鮮族部隊を3万人も軍装つきで朝鮮軍に配置替えして
準備しています。これが朝鮮半島を往復ビンタで無茶苦茶に
してしまった戦争の直接の原因であります。

|中国の社会問題をことさらに持ち出して、日本の社会問題に目をつぶ
|ろうというわけか。

日本の社会問題には、目をつぶるどころか、今日ただいま
具体的にはここでは触れませんが、取り組んでいます。
でも猛獣氏は、あまり日本の社会問題にクチバシを入れる
よりも先に祖国の現状を憂いて、もっとブルジョアらしく
チャリティしたり国債をかって上げたり、もしくは本国に
帰って愛国的に働いたらどうなのかな。

|在日中国人は、中国が完璧な楽園になるまで、日本の社会問題を
|批判することができないというわけか。

中国が楽園になっても、それを日本には押し付けないで頂きたい。

|この下の妄言には、答える価値もなし。
|ところで、ジュディイオングの話は、どこに消えたのか。

少なくともジュディオング氏は日中友好のシンボルとして
”華僑三宝”として中国人の誇りであり日本で多く愛された
アイドルであったということです。こないだテレビで見たのです。
丁度1966年に16歳ぐらいだったとか。

[476] 質問 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/04/01(Mon) 22:53
T.大阪さんの発言を要約する。

1.日本における差別というような社会現象は、歴史的なものとしてしか存在していない。
2.日本の国家的な戦争責任は、1945年のポツダム宣言の受諾で、消滅した。
3.戦後世代は、「先の大戦」について、なんら責任を負うべき立場にいない。
4.このような、単なる歴史的な現象でしかない戦争や差別なるものを現代(何年くらいからを言うのか不明だが)にことさら指摘するものは、「異常な執念」の人格の持ち主である。

この要約は、正しいか、正しくないか、明白にご返事をください。

U.先の戦争を反省する人と反省しない人がいるそうですが、単に他人事として、過去の日本人(自分とは関係ない)が悪いことをしたと述べる人と、その行為を擁護しようとする人と、実際にはどの程度の差異があるのか。前者は後者よりも正しい人と言えるか。その悪いことをした日本人は、どこにいったのですか。みんな死んだか?

V.朝鮮戦争について、多数の著書があるのだが、大阪さんが最近読んだという2冊の本が、もっとも正しい歴史の記述であると判断する根拠は何か。

蛇足だが、ジュディーさんは、台湾出身の中国人で、親台湾派(当時の)的な政治色の濃い人です。当時、親中共派の中国人が日本の芸能界などで活躍できる可能性はなかった。日中友好という言葉を、このHPで使用している用語としての日中友好として理解するとしたら、ジュディーさんは日中友好の象徴のような人とはいえないだろう。だから、ジュディーオングをどうこう評価するわけではないが。

[481] 枝の話題の詰問に答える 投稿者:大阪の人 投稿日:02/04/06(Sat) 00:33
re:476
猛獣氏よ、こんにちわ

|大阪さんの発言を要約する。

【枝】の話題に要約して頂いて、御丁寧な事です。
本旨の筋には前進がない事が、大変不満ですが。

|1.日本における差別というような社会現象は、歴史的なもの
|  としてしか存在していない。

「差別」というのは、さまざまな意味がありますが。所謂
部落差別というのは、少なくとも行政がするべきことは何も
なくなりました。行政がする、というのは、ハコもの作ったり
個人給付の付与したりすることです。法的にもこの3月末で
特別措置法が消滅しました。

|2.日本の国家的な戦争責任は、1945年のポツダム宣言の
   受諾で、消滅した。

ポツダム宣言を受諾して、それを厳正実施すれば、それで
何も問題ないと思うが、あとから、あとから、ポツダム宣言に
述べられてもいない項目を、グチグチと持ちだすのは外交慣例の
中では禁じ手なのではないかな。ところで猛獣氏は何を
足りないとし、何を今後日本に糾弾しようとしているのか。
そもそも戦争当時生きてもいなかった猛獣氏が。

|3.戦後世代は、「先の大戦」について、なんら責任を負う
  べき立場にいない。

戦後世代に関しては、何も言うことはありませんね。3世代前の
話でとやかく言う。しかも言う側も2世代も前の話を。
やはり「紅五類」だとか「黒五類」だとか「核心階層」「敵対階層」
というやり方を日本の将来に持ち込みたいわけでありましょうか。
アジアですなあ。

ポツダム宣言の完全実施、ということの中に、たとえば平和国家
の建設と軍国主義の除去という課題もあって、これは今後の日本
も目指さねばならない重要な課題でありますが、中国への贖罪から
目指すべき課題ということではありません。ましてや「安保条約は
ビンの蓋だ」とか自衛隊増強をもっとすべきだとか、当の中国の
政府や軍の関係者が一時は宣ったものでありまして、この日本人
の平和国家建設の運動の妨害者であった事もあるわけであります。

これは当方も猛獣氏も存命中の出来事であります。猛獣氏は生きて
居るかぎり、この日本人民の平和への希求を妨害した中国の覇権
主義を中国国民として厳正に歴史を直視し反省して頂きたいものだ。

|4.このような、単なる歴史的な現象でしかない戦争や差別なる
|  ものを現代(何年くらいからを言うのか不明だが)にことさら
|  指摘するものは、「異常な執念」の人格の持ち主である。

ちがう。
「異常な執念をもって」と当方が指摘したのは、猛獣氏のフレーズ
で当方を「差別者」としようとする議論の持っていき方の方です。
差別者だと。この差別者には、どのような攻撃をしても構わないと
いうのが、だいたい1960年代中葉からでてきた日本におけるニセ左翼
の暴力主義の発端です。プロパガンダと申しましょうか、相手に
どのような攻撃を投げつけても構わない、というモラルのたがが
外れて暴走する思考装置がこの糾弾闘争路線であります。事実として
当方は、1967年春のこのウェブの事件を事実を見ましょうという
立場で資料を集め、猛獣氏の議論を反ばくしているだけであるので
ありますが、この当方にも侵略戦争の在り方やら1960年代の東京の
猛獣氏の体験の中の中国人差別に関して認識を問うという事を何度
も何度もしつこく猛獣氏は当方に「うかがう」と詰問しました。
当方は、ある程度この事件について歴史事実として興味と知識が
あるからまだ議論に参加しているわけでありますが、当方よりも
ここを読んでいる、これから訪問するであろう日本人はというと
もっと無関係でありまして、この新たな人士がここでコメントを
しようとするときに、必ず回答をなどと、自分に責任もない話を
踏み絵に詰問されるなどという事では、「猛獣氏という人士は怖い」
「中国人は怖い」と不可触にされるのがオチであります。この
「怖い」という観念を利用して、利益を得ようとしているのか?

|この要約は、正しいか、正しくないか、明白にご返事をください。

また詰問であります。でもある程度これは答えになったと思います。

|先の戦争を反省する人と反省しない人がいるそうですが、単に他人
|事として、過去の日本人(自分とは関係ない)が悪いことをしたと
|述べる人と、その行為を擁護しようとする人と、実際にはどの程度
|の差異があるのか。

あなたの脳内でどのように区分けするか、それはあなたの自由。
どのような差なのかは、当方がどのように思っていても、あなたが
一言「違う」と言えば、少なくともあなたの脳内では「違う」。
たしかにそのとおり。

|前者は後者よりも正しい人と言えるか。その悪いことをした日本人は、
|どこにいったのですか。みんな死んだか?

中曽根康弘氏はまだ存命中のはずであります。岸昌氏も。たとえば
侵略戦争に反対して12年も投獄され、その間不転向でたたかった
1960年代の日本共産党の党首宮本氏を「犬」よばわりしていた中国人
が何をいうか。今後死ぬまで逆立ちして暮らしたらどうか。

|朝鮮戦争について、多数の著書があるのだが、大阪さんが最近読んだ
|という2冊の本が、もっとも正しい歴史の記述であると判断する根拠は
|何か。

あまり確かな情報ではありませんが、韓国と中国とは現在国交があって
中韓友好ということで、いろいろ交流しているなかで、朝鮮戦争に
関する歴史認識も議論になって、韓国側から猛烈な批判があったという
事であります。それで、テキトーに朝鮮戦争を礼賛していた当時の中国
の国定教科書などを、しぶしぶ改定して、韓国を悪鬼のように描いて
いたプロパガンダを本国ではやめたということです。韓国にしてみたら
中国における台湾香港の問題のようなもので、死んでも歴史の偽造を
許さないと怒るのは当然であります。それより、猛獣氏は、この2者の
本を読んだのか。これを誤りとする根拠の具体的な本や事実をあげて
当方に示す努力をとるべきではないか。寺尾五郎氏の「朝鮮問題入門」
なんかはもういいので却下(笑)。

|親台湾派(当時の)的な政治色の濃い人です。

こないだのTVでは、親戚や親が大変な金持ちだという話はでていた
けれど、これまでジュディさんに政治色を感じたことはなかったが。
そしてアピールする自らの努力で日本にファンをかちえたという事は
同世代のこの人の方が猛獣氏よりも強かったということでありますな。

むしろアグネスチャンさんが、何かで、ピオニールの子が貰う赤い
ネッカチーフがかわいくて欲しかったのだけれど、差別されて、自分は
貰えなかった、というような子ども時代の怨みを述べているのを読んだ
事がありましたね。氏は日本で小金を溜めたあとカナダに留学して博士号
とカナダ国籍をとったと。あと、政治色があるとは知らなかったが、本国
ではつとに親国民党的な人だったと「知ってるつもり」か何かでしていた
のがパリかどこかで客死した(えーとどなたでしたっけ? 「愛人」とか
「つぐない」とか歌っていた)人。この二人よりも政治色はついてないと
思ったが。

|親中共派の中国人が日本の芸能界などで活躍できる可能性はなかった。

軍服きて、カラシニコフをかざして、勇ましく踊るのでしょうか?
重信氏のように、笑顔をふりまいて近づいてくるのでしょうか。
本人が努力すれば、北朝鮮籍であろうと、中国籍であろうと
芸能界や芸術の場で出られないということはなかったはずです。
ま、圧倒的多数の無辜の華僑さんは別でありますが、一部文革派の
”愛国華僑”の皆さんは、日本人に愛されようなんて思いもしない
で高飛車に構えていたのではないかな。

|日中友好という言葉を、このHPで使用している用語としての日中友好
|として理解するとしたら、ジュディーさんは日中友好の象徴のような人
|とはいえないだろう。

だとしたら猛獣氏のいう「日中友好」という語が特殊な、一般の日本
国民には相手にならない、通用しない、空想の用語なのではないかな。

|だから、ジュディーオングをどうこう評価するわけではないが。

ま、松浦あやさんのように萌えているわけではありませんが(汗)。

[485] Re: 枝の話題の詰問に答える 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/04/06(Sat) 11:27
> 【枝】の話題に要約して頂いて、御丁寧な事です。
> 本旨の筋には前進がない事が、大変不満ですが。

葉寺さんから資料をもらいまして、少々進展しそうです。ご期待のほどを。

> |1.日本における差別というような社会現象は、歴史的なもの
> |  としてしか存在していない。
>
> 「差別」というのは、さまざまな意味がありますが。所謂
> 部落差別というのは、少なくとも行政がするべきことは何も
> なくなりました。行政がする、というのは、ハコもの作ったり
> 個人給付の付与したりすることです。法的にもこの3月末で
> 特別措置法が消滅しました。

まるで、答えになっていません。私は行政の担当者ではありません。行政がすることがどうのこうのかかれても、意味のないことです。まあ、行政が所謂部落差別について、これまでさまざまな対策を行ってきたことは、それ自体を評価するべきではあると思うが。大阪さんがこんな答えしかできないので、一応質問を繰り返すことになるが「特別措置法が消滅しました」というのは、その部落差別が消滅したという意味なのか?消滅したのは、その法律が消滅するのと機を一にしているとすると、この3月までは部落差別が存在し、4月からは消滅するということか?

>
> |2.日本の国家的な戦争責任は、1945年のポツダム宣言の
>    受諾で、消滅した。
>
> ポツダム宣言を受諾して、それを厳正実施すれば、それで
> 何も問題ないと思うが、あとから、あとから、ポツダム宣言に
> 述べられてもいない項目を、グチグチと持ちだすのは外交慣例の
> 中では禁じ手なのではないかな。

あとからあとから、故意またはその他の理由で隠されていた事実が発覚した場合に、それを指摘するのは禁じ手というわけですか。731部隊の行為、中国人朝鮮人の強制連行、従軍慰安婦などの問題が、1970年代になってからクローズアップされてきたのですが、たとえば花岡事件や従軍慰安婦などについて、正当な補償を行おうと提起された多くの運動は、グチグチとした禁じ手だったというわけですね。

もう一度確認しますが、それでよろしいですね。

> ところで猛獣氏は何を
> 足りないとし、何を今後日本に糾弾しようとしているのか。
> そもそも戦争当時生きてもいなかった猛獣氏が。

大阪の人さんの記述が非常に分かりづらいので要約したまでです。糾弾とかいうレベルの問題ではありません。しかし、大阪の人さんの考え方が、いわゆる自由主義史観とか、日本の政府高官がくり返している「妄言」のような類のものであるとすれば、その点について議論する余地はあると思いますが。

> |3.戦後世代は、「先の大戦」について、なんら責任を負う
>   べき立場にいない。
>
> 戦後世代に関しては、何も言うことはありませんね。3世代前の
> 話でとやかく言う。しかも言う側も2世代も前の話を。
> やはり「紅五類」だとか「黒五類」だとか「核心階層」「敵対階層」
> というやり方を日本の将来に持ち込みたいわけでありましょうか。
> アジアですなあ。

戦後世代が戦争責任について、どのような立場にいるか、私自身もそれほどはっきりした考えを持っているわけではありませんが、最近読んだ家永三郎「戦争責任」によれば、法人としての日本国の構成員であるのだから、(戦争責任が正当に清算されていない以上)戦後世代も日本の侵略戦争の責任から完全に無関係とはいえないと書いています。その点を踏まえて、大阪の人さんの見解を確認したまでです。とにかく、大阪の人さんの考え方は「ご立派な」考え方です。

家永三郎さんはアジアですか?私の世代の人間ならば誰でもが知っている教科書裁判の当事者ですが、大阪の人さんは「進歩的文化人」全般を否定し去って、家永さんもゴミ箱に捨てたのでしょうか。

> ポツダム宣言の完全実施、ということの中に、たとえば平和国家
> の建設と軍国主義の除去という課題もあって、これは今後の日本
> も目指さねばならない重要な課題でありますが、中国への贖罪から
> 目指すべき課題ということではありません。ましてや「安保条約は
> ビンの蓋だ」とか自衛隊増強をもっとすべきだとか、当の中国の
> 政府や軍の関係者が一時は宣ったものでありまして、この日本人
> の平和国家建設の運動の妨害者であった事もあるわけであります。

日本の行為が被害を与えた人々に対する補償については、どのようにお考えか?ドイツでは積極的に補償を行っているという話は、不勉強な大阪さんでも知っていると思うのだが。

ところで、大阪の人さんは「非武装中立」派ではありますまい。とすれば、日本が自前の軍隊を持つことは否定しないでしょう。中国が自衛隊増強をけしかけたなどという話はしらないが、中国が、国家として日本が自前の軍隊を持つことを容認したとすれば、それは道理のないこととは思えない。日本国憲法9条の問題は、日本国内だけの問題で、他国の人間には意味がなく理解も困難なものでしょう。実際に日本は「自衛隊」という軍隊をずっと以前からもっていて、軍事費の水準からいえば、中国の軍隊よりもはるかに大きなものになっているでしょう。そのような現状を見て、中国の指導者が普通の発言をした場合に、日本国内でしか通じない特殊な「平和国家論」でこれを評すれば、大阪の人さんのようなおかしな結論を捏造できるのではないか。

とにかく、中国の関係者が述べたという発言の出典とその詳細な内容を示すよう望みたいですね。

> これは当方も猛獣氏も存命中の出来事であります。猛獣氏は生きて
> 居るかぎり、この日本人民の平和への希求を妨害した中国の覇権
> 主義を中国国民として厳正に歴史を直視し反省して頂きたいものだ。

中国の関係者の発言と、侵略戦争が同レベルですか。これは都合にい話だ。何か失言をさがせば、それまでの犯罪行為はすべてチャラにできるというようなことか。なるほど、最近も公設秘書の給与の問題などを騒ぎ立てて、本来の問題をうやむやにしようなどという事件があったと聞きますが、それと同様のやりかたですか?

> |4.このような、単なる歴史的な現象でしかない戦争や差別なる
> |  ものを現代(何年くらいからを言うのか不明だが)にことさら
> |  指摘するものは、「異常な執念」の人格の持ち主である。
>
> ちがう。
> 「異常な執念をもって」と当方が指摘したのは、猛獣氏のフレーズ
> で当方を「差別者」としようとする議論の持っていき方の方です。
> 差別者だと。

第一に、私は差別者という言葉を使った覚えはない。また、議論のもっていき方がどうのこうのいうのは、問題のすり替えだ。問題があるのならば、どのようなもって行き方であろうと議論はしなければならないだろうし、それに答えられなければ、納得は得られないでしょう。しかし、大阪の人さんのお答えは、とにかく、「ちがう」ということですな。

> この差別者には、どのような攻撃をしても構わないと
> いうのが、だいたい1960年代中葉からでてきた日本におけるニセ左翼
> の暴力主義の発端です。プロパガンダと申しましょうか、相手に
> どのような攻撃を投げつけても構わない、というモラルのたがが
> 外れて暴走する思考装置がこの糾弾闘争路線であります。

1960年代末ごろからではないか。

> 事実として
> 当方は、1967年春のこのウェブの事件を事実を見ましょうという
> 立場で資料を集め、猛獣氏の議論を反ばくしているだけであるので
> ありますが、この当方にも侵略戦争の在り方やら1960年代の東京の
> 猛獣氏の体験の中の中国人差別に関して認識を問うという事を何度
> も何度もしつこく猛獣氏は当方に「うかがう」と詰問しました。

大阪の人さんは、質問するというに行為自体を否定しているのかな。とすれば、掲示板で対話をする意味はないのだから、掲示板ではなく自分の主張を別のHPなどで公開すればいいのではないでしょうか。

あるいは、質問のしかたが乱暴だとか礼を失しているのいうなかな。そうであれば、そんな失礼な聞き方をしたとは思えないので、どの部分が礼を失しているかお教え願いたいものです。

あるいは、内容によっては、質問をすることがよくないといっているのか。質問の内容を回答者が取捨選択するのではやはり、対話にはならない。

> 当方は、ある程度この事件について歴史事実として興味と知識が
> あるからまだ議論に参加しているわけでありますが、当方よりも
> ここを読んでいる、これから訪問するであろう日本人はというと
> もっと無関係でありまして、この新たな人士がここでコメントを
> しようとするときに、必ず回答をなどと、自分に責任もない話を
> 踏み絵に詰問されるなどという事では、「猛獣氏という人士は怖い」
> 「中国人は怖い」と不可触にされるのがオチであります。この
> 「怖い」という観念を利用して、利益を得ようとしているのか?

中国人と日本人では、15年戦争などの歴史について、まったく異なる考え方を持っているようです。日本で教育を受けた私は日本人の歴史観に近い考え方をもったまま、1960年代中葉くらいまでを過ごしたのですが(このあたりは自己紹介を参照されたい)それとはまったく異なる観点を持つ多くの人びとがいて、しかもそのような観点が重大な真理を含んでいるとをいう認識を持つにいたったのは、1970年代初めごろですね。

それは、私の周りの普通の日本人にとっても、多く同じようなことであったようで、その後、戦後処理とか歴史認識とか、差別などというようなテーマが日本社会で重要な意味を持つようになっていったと考えるのが、私の実体験からの認識であります。

これらの問題(全部をひっくるめて、これらの問題というのも不適当とは思いますが)の処理において、確かに、大阪の人さんが指摘するような、不合理な事件が発生したかも知れない。しかし、これらの問題が実際に存在し(特別措置法などがあったということだから、存在したのは確かでしょうね)、しかも解決が非常に難しい問題であるとすれば、その問題を指摘しようとするときに、その問題の解決の過程で、「被差別者」の側の行為に問題があったという個別的な事実を述べて反論するのは、議論のすり替えではないか。

さらに、これらの問題が解決したのかどうか、私はそれが知りたいのです。

> |この要約は、正しいか、正しくないか、明白にご返事をください。
>
> また詰問であります。でもある程度これは答えになったと思います。

詰問だなんだというのは質問を拒否したいということですか?「査問」ではありません。

まあ、これがある程度くらいしか、答えになっていないことは、大阪さんも自覚しているようです。

>
> |先の戦争を反省する人と反省しない人がいるそうですが、単に他人
> |事として、過去の日本人(自分とは関係ない)が悪いことをしたと
> |述べる人と、その行為を擁護しようとする人と、実際にはどの程度
> |の差異があるのか。
>
> あなたの脳内でどのように区分けするか、それはあなたの自由。
> どのような差なのかは、当方がどのように思っていても、あなたが
> 一言「違う」と言えば、少なくともあなたの脳内では「違う」。
> たしかにそのとおり。

「逃げてばかりいる大阪さん」とでもいいたくなる。逃げないで、現実をちゃんとみてください!!???

>
> |前者は後者よりも正しい人と言えるか。その悪いことをした日本人は、
> |どこにいったのですか。みんな死んだか?
>
> 中曽根康弘氏はまだ存命中のはずであります。岸昌氏も。たとえば
> 侵略戦争に反対して12年も投獄され、その間不転向でたたかった
> 1960年代の日本共産党の党首宮本氏を「犬」よばわりしていた中国人
> が何をいうか。今後死ぬまで逆立ちして暮らしたらどうか。

ずいぶん感情的ですね。怒りがこみ上げてきたのでしょうか(ワラ)。しかし、とにかくこの書き込みを見れば大阪さんが宮顕氏をいかに尊敬し、敬愛しているかは理解できます。ところで、大阪さんは、日本共産党の人びとが、善隣学生会館事件当時、華僑学生が毛沢東主席をどれほそ敬愛していたのか、理解していたと思いますか?

> |親台湾派(当時の)的な政治色の濃い人です。
>
> こないだのTVでは、親戚や親が大変な金持ちだという話はでていた
> けれど、これまでジュディさんに政治色を感じたことはなかったが。
> そしてアピールする自らの努力で日本にファンをかちえたという事は
> 同世代のこの人の方が猛獣氏よりも強かったということでありますな。

私は芸能人でもないから、そこで比較されても困るのだが。どちらかといえば、私の好みは范文雀(芸能人だから親愛をこめて敬称略にします)だったね。彼女は政治色のない芸能人といえるでしょう。日本生まれの華僑だからでしょうか。

ジュディーオングが1960年代か1970年代初めかですが、双十節という中華民国の建国記念日の日本での式典に、出席して挨拶したのを見たことがあります。どういうわけか、私も同じ会場にいて、客席からそれを見ていたのですが。かわいかったことは事実ですよ。ところで、彼女は、かなり前に帰化しています。また、アメリカの保守的な有力者との深い人脈があるというような話をしていました。ま、とにかく、彼女の芸能活動には台湾の当局の後押しが大きかったことは、ちょっと調べれば分かると思いますよ。

> むしろアグネスチャンさんが、何かで、ピオニールの子が貰う赤い
> ネッカチーフがかわいくて欲しかったのだけれど、差別されて、自分は
> 貰えなかった、というような子ども時代の怨みを述べているのを読んだ
> 事がありましたね。氏は日本で小金を溜めたあとカナダに留学して博士号
> とカナダ国籍をとったと。

アグネスチャンは、大陸でコンサートをするということで、「台湾のファンを失うことになってもどうしても大陸でコンサートをしたい」というような発言をしたことがあったはずです。それ以来、彼女は政治色的には中国派になったのでしょうか。

中国人というのは、大阪の人さんのような不勉強な日本人は想像もできないでしょうが、芸能活動をする場合でも、政治の問題から無縁ではありえないのであります。

> あと、政治色があるとは知らなかったが、本国
> ではつとに親国民党的な人だったと「知ってるつもり」か何かでしていた
> のがパリかどこかで客死した(えーとどなたでしたっけ? 「愛人」とか
> 「つぐない」とか歌っていた)人。この二人よりも政治色はついてないと
> 思ったが。

テレサテン。芸能人がこのんで政治に関与するというよりは、影響力の大きい人を、政治のほうで利用したがるということかもしれませんが。

>
> |親中共派の中国人が日本の芸能界などで活躍できる可能性はなかった。
>
> 軍服きて、カラシニコフをかざして、勇ましく踊るのでしょうか?
> 重信氏のように、笑顔をふりまいて近づいてくるのでしょうか。

再度念を押します。中国人というのは、大阪の人さんのような不勉強な日本人は想像もできないでしょうが、芸能活動をする場合でも、政治の問題から無縁ではありえないのであります。

ところで、確かに文革期の中国の演劇や映画には、そういうのがありましたが。あれはあれで、芸術的に評価できるとは思っていますが。

> 本人が努力すれば、北朝鮮籍であろうと、中国籍であろうと
> 芸能界や芸術の場で出られないということはなかったはずです。

中国籍であるかとかそういう問題ではありません。それに別に、中共支持の芸能人がなかったから文句を言っているわけでもない。事実を述べたまでですが、大阪さん、飲酒しているのですか?からみますね。

> ま、圧倒的多数の無辜の華僑さんは別でありますが、一部文革派の
> ”愛国華僑”の皆さんは、日本人に愛されようなんて思いもしない
> で高飛車に構えていたのではないかな。

酒を飲んでいるのでしょう。しらふのときに議論してください。

> |日中友好という言葉を、このHPで使用している用語としての日中友好
> |として理解するとしたら、ジュディーさんは日中友好の象徴のような人
> |とはいえないだろう。
>
> だとしたら猛獣氏のいう「日中友好」という語が特殊な、一般の日本
> 国民には相手にならない、通用しない、空想の用語なのではないかな。

日中友好協会の目的には、日台条約の破棄などがありましたのをご存じないのかな。日中友好運動というのは、単に中国系の人と日本人とが仲良くすればいいいう運動ではなかったでしょ。大陸の中国との関係を語ること自体が、当時の日本では反政府的な思想とみなされていたのではなかったか?

大丈夫かなこの人は?


> |だから、ジュディーオングをどうこう評価するわけではないが。
>
> ま、松浦あやさんのように萌えているわけではありませんが(汗)。

松浦あやさんとは誰ですか?

[492] 【枝】北風と太陽 投稿者:大阪の人 投稿日:02/04/08(Mon) 14:22
re:485
猛獣さん、こんにちわ

|大阪さん、飲酒しているのですか?

飲酒のくせはないので、しらふで書いています。ただし
> 【枝】の話題に要約して頂いて、御丁寧な事です。
> 本旨の筋には前進がない事が、大変不満ですが。
という事がありましたので、芸能ねたに振ってみたわけです。

|アグネスチャンは、大陸でコンサートをするということで、「台湾の
|ファンを失うことになってもどうしても大陸でコンサートをしたい」
|というような発言をしたことがあったはずです。それ以来、彼女は政
|治色的には中国派になったのでしょうか。

アグネスチャンは、赤旗にもインタビューなどにでていたはずであり
ます。先のネッカチーフの件は別のところで読んだか聞いたかした
ように思います(徹子の部屋のような番組)。ということはアグネス
さんは、1)幼児体験として中国国内の差別に直面している。2)赤旗で
あろうと、来るもの拒まずで機嫌よく(プロとして)コメントする。
3)国籍はカナダ籍にしっかり移している(日本に居着いているけれど
日本籍にもしなかった)。4)中国国内で芸能活動をしたい、そのため
に台湾内の中国敵視する風潮に抗してでも、とも発言している。
なかなか脱イデオロギーで、賢明な態度であります。ちなみに(正統)
日中の「日本と中国」にも2)と同時期にコメントを寄せたりしてい
ます。いずれも他愛ない普通の話題で、プロ根性ある人だと思います。

|私は芸能人でもないから、そこで比較されても困るのだが。(略)
|ジュディーオングが1960年代か1970年代初めかですが、双十節という
|中華民国の建国記念日の日本での式典に、出席して挨拶したのを見た
|ことがあります。どういうわけか、私も同じ会場にいて、客席からそ
|れを見ていたのですが。かわいかったことは事実ですよ。ところで、
|彼女は、かなり前に帰化しています。また、アメリカの保守的な有力
|者との深い人脈があるというような話をしていました。ま、とにかく、
|彼女の芸能活動には台湾の当局の後押しが大きかったことは、ちょっと
|調べれば分かると思いますよ。

|中国人というのは、(略)芸能活動をする場合でも、政治の問題から
|無縁ではありえないのであります。

ここではいくつか、興味深い議論があると思います。
1)政治とは無関係でいられない
2)なぜか猛獣氏は中華民国側の政治色ばりばりの式典に行っている
3)日本籍を取得した、ということを何か蔑視しているようだが・・
4)人脈があるとか親戚が大ブルジョアだという以外に具体的に
  何か猛獣氏のいつもいう「反中国」な行動や言動をジュディさん
  はとったのか。悪人として対決せねばならない理由はないと思うが。

もしも政治色ばりばりの集会にでた、ということを問題にするので
あるならば、猛獣氏も同罪の「反中国」ということになりますな。
人脈がある、ということになりますと、当方と猛獣氏とも有る意味で
知りあいでありまして、「どういう関係だ?」といいたてれば、これは
猛獣氏は「反中国のスパイ、漢奸」ということになりかねません。今ま
さにコスポリ氏は猛獣氏をこの漢奸ということで非を難じているのですが。
こういう意味で、政治とは無関係でいられない、がんじがらめの自縄自縛
の状態にあって、周囲を敵ばかりと認識していて、日本人を蔑視して
いたのではないでしょうか。ま、これは1967年当時の状況ということで。

|ところで、確かに文革期の中国の演劇や映画には、そういうのがありまし
|たが。あれはあれで、芸術的に評価できるとは思っていますが。

既存の芸能人、とりわけ民俗芸能の京劇役者さんを迫害したりしなければ、
一種のイロモノとして、芸術的に評価することにやぶさかではありません。
ま軍服きて勇ましく踊るのも役者さんでありまして、そうした演目を演じない
と自分の命があぶない、沈黙して別の職業で生きるよりは、何の演目であれ
それで舞台にたてて、ライトを浴びる事ができるならばと、こうした役者さん
も必死で演じていたのでしょうが。それか、心底「赤い赤い心の太陽毛主席」
に捧げるために、と自分の芸術を打ち消して、言われるままではあるけれど
それが「国のため、人民のためになる」と信じていたのでありましょうか。
そうした観点から見ますと、♪おっかのうえひっなげしのはぁなでぇー♪
なんて歌っていたアグネスさんのこうした政治色のなさかげんというのは
逆に政治的迫害に抗していたのかも知れず、芸能プロとしての尊厳を矜持
していたのかも知れず、奥深いものがありますなあ。

【前】
|親中共派の中国人が日本の芸能界などで活躍できる可能性はなかった。
【今回】
|中国籍であるかとかそういう問題ではありません。それに別に、
|中共支持の芸能人がなかったから文句を言っているわけでもない。

それでは、主に中共支持派の華僑がいなかった原因は、まさに当方の
指摘のとおりに、中国籍であるかどうかという事ではなく、主には
本人の自己規制か周囲の中共支持派の目が気になるか、あるいは日本
人の前で笑顔と魅力をふりまく行為というのが政治的に悪とされて、
やはり高飛車に日本人を敵視、蔑視していたのではないのか。「北風
と太陽」のたとえではないが、自らの努力で中国好きを増やすという
方向ではなくて、悪の日本だと、日本人は敵だと、東京に手をのばし
て犬の頭を殴ってやるというのが正しいのだという方向に陥っていた
のではないのか。これこそまさに悪しき政治主導の「北風」であります。
ジュディオング氏も、アグネスチャン氏も、こうした「北風」型は
とらなかったという一点において任氏や猛獣氏とは一線を画したまと
もな華僑であったということができます。多くの普通の華僑はたとえば
中華料理屋さんであったりして、ごくごく普通に日本人と接していた。
日本人からも、そうしたまともな華僑からも、文革派は遊離していた
ということが言えるのではないでしょうか。たとえて言えば、こないだ
のニューヨークのテロ事件にかかわったというアルカイダの学生。
彼らはアメリカ人を敵として、アメリカ人をバカにして、高飛車に
暮らしていたり、潜伏していたり、飛行機操縦をならったりするだけ
だったわけでありまして、近隣の人からも鼻摘み、せめて「私には
悪い人だとは信じられなかった」などと言われる事もなく、「あいつ
は愛想悪かった」と言われてしまう手合だったとか。文革礼賛派の
革命きちがいの寮生も「ひとを納得させること」ができる人物では
なかったということではないのか。

今回は、たくさんあった猛獣氏の質問にはおこたえしていません。
一つは聞かれている内容が不快であること、もう一つは知らない件
が多いこと、またこないだコスポリ氏が述べた件で一つだけ正しい
と書いたわけでありますが、当方の勉強不足もありまして応急的で
はありますが、ネタを補充中であります。

[493] Re: 【枝】北風と太陽 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/04/08(Mon) 20:02
大阪さん今日は

> ここではいくつか、興味深い議論があると思います。
> 1)政治とは無関係でいられない

厳密に言えば、誰でも政治と無関係でいられる人がいるはずはありません。この意味で、「外国にいる中国人は
政治に一切関与しない」などという立場を強制するのは、非常識で非人間的な要求です。しかも、日本人にくらべ
政治的な判断を好むと好まざるとにかかわらずしなければならないことになる機会が多いのであるということを
いいたかったまでです。

> 2)なぜか猛獣氏は中華民国側の政治色ばりばりの式典に行っている

私が華僑のどのような集いに出かけようとも、大阪の人さん以外に、文句を言う人はいません。

> 3)日本籍を取得した、ということを何か蔑視しているようだが・・

これは大阪さんのつくりごとです。あるいは誤解、希望でしょうか。私が、教条的な国粋主義者であってほしい。
そうすれば、いろいろな大阪さんの疑問が、綺麗に説明できるということでしょうか。

> 4)人脈があるとか親戚が大ブルジョアだという以外に具体的に
>   何か猛獣氏のいつもいう「反中国」な行動や言動をジュディさん
>   はとったのか。悪人として対決せねばならない理由はないと思うが。

悪人といっているのは、大阪の人さんだけです。

どうも大阪さんは、コスモポリタン氏にこんな人を相手にしても仕方がないといわれるだけあって、まったく議論の
ルールを無視しますね。私は、ジュディーオングが日中友好運動の象徴としてはふさわしくないといったのです。
日中国交回復時に、日本は台湾の国民党政府との外交関係を一方的に破棄しました。日中友好運動とは、実際にこの
ような政治的な結末を実現することを求める運動であり(結果的にそれが実現したのは中米関係の変化ゆえですが)、
当然、台湾の国民党の政府高官のみならず、ほとんどの台湾の人たちにとって、そのような結末は歓迎すべきものでも
なく、そのような運動には賛同できなかったのでした。

その後、台湾では、政治的な民主化が実現し、20年前には非合法組織でその指導者の多くが死刑判決を受けていた
(高雄事件での死刑判決は実際には実施されませんでした)台湾独立運動の立場の政党である民主進歩党が政権を
握っています。この民主化は、故蒋経国総統(蒋介石総統の長男)によってはじめられたものです。現在、台湾では、
自分たちは中国人ではなく台湾人だというような主張が有力な世論のひとつとなっているというように聞いています。

なお、日中関係でもうひとつ気になる話題ですが、日本は1952年にサンフランシスコ講和条約を締結するころに、
台湾の中華民国政府と条約を結び、15年戦争に関する政治的な決着をつけたという認識をしていました。しかし、
このときすでに、国民党の中華民国政府は中国大陸を統治する政府でなくなっており、中華人民共和国政府はこの
条約を15年戦争を終結される条約とは認めていないので(当然のことだと思います)、1972年の日中国交回復のとき
に中国側は、日本はその時点でまだ中国との間で戦争継続状態(法的に)であるという認識を明らかにしたわけです。
この認識からいえば、1967年当時、日本はあらゆる意味で、15年戦争の戦争責任を清算していないということに
なります。しかも、この認識は、妥当な認識であると思います。
大阪の人さんは、このような中国側の認識よりも、日本側の屁理屈(台湾の政府と条約を結んだからすべて終わって
いる)のほうが正しいと思いますか。

なお、日本が植民地として支配した朝鮮との間に外交関係(正確には外交関係の一部というべきでしょうが)を曲がり
なりにも結んだのは1965年の日韓条約です。北朝鮮(朝鮮民主主義共和国)との関係は今でも正常化しておらず、大阪の
人さんを初めとする多くの普通の日本人は、北朝鮮が悪の枢軸であるというようなアメリカ大統領の妄言と同程度の
認識を共用しています。それはおくとして、日本の朝鮮に対する戦争責任の清算も、いかなる意味でも1965年以前には
完結しておらず、日韓条約の締結でそれが完結したとも到底いえないので、1967年という時点では、それらの問題が
日本の側から一方的に頬かむりされていたという状況であったと言えます。

コスモポリタン氏と認識を共有するのですが、日本がこれらの問題を、今日においても十分に清算しているかどうか、
私は疑問であると考えます。

1970年に華僑青年闘争委員会の代表が新左翼に対して決別宣言をつきつけた(結果的に糾弾というふうに取られたかも
しれない)背景には、このような事情があったのであり、これらの状況はみな中国人や朝鮮人韓国人にはよく見える
政治的な現実であり、また、「平和国家」論、経済成長、「民主主義」、戦争での被害者意識などに埋没して、政治的な
判断を忘却していた普通の日本人の目から巧妙に隠蔽されていた事実だったわけです。

ある在日朝鮮人の女性の文化人が、「私たち在日朝鮮人は日本人にはない目を持っている。また、私は女性として、
さらにもうひとつの目を持っている」という話をしたのを最初に集会で聞いたとき、私は、何を言っているのだろう
この人はと思いました。私が、その意味を理解したのは、かなりあとになってからです。あるいは、今でも本当は
理解していないのかもしれません。

日本が長期間にわたり、国内で隠蔽していた事実を、日中国交回復というような「開国」によって、隠蔽できなくなった
ときに、戦争責任の問題がクローズアップされてきたのは当然のことだと思います。

1945年のポツダム宣言の受諾で、戦争の問題のすべてが解消されたなどという考え方は、およそ社会とか政治とかその
ような現象を少しでもまともに認識し、考えている人の許容できるものではありません。

> もしも政治色ばりばりの集会にでた、ということを問題にするので
> あるならば、猛獣氏も同罪の「反中国」ということになりますな。

この大阪の人さんの誤解については、前の書き込みで説明できていると思いますが、これが理解できないとなると
日中友好協会の分裂にかかわる事件を検証するという行為の基本的な適性を疑うことになります。

> 人脈がある、ということになりますと、当方と猛獣氏とも有る意味で
> 知りあいでありまして、「どういう関係だ?」といいたてれば、これは
> 猛獣氏は「反中国のスパイ、漢奸」ということになりかねません。

人脈があるというのは、本人がアメリカの社交界でバースデーパーティーだかなにかのパーティーを開いてもらった
などという話を、伸介(大阪のタレント)としていたのをTVで見たということです。伸介が、あなたは私たちの常識
から考えられないような世界に住んでいる人だというようなことを言っていました。

> 今ま
> さにコスポリ氏は猛獣氏をこの漢奸ということで非を難じているのですが。

そのようなことはありません。多分ないとおもいますが。

非を難じられているのは大阪の人さんです。がんばって、反論してください。

> こういう意味で、政治とは無関係でいられない、がんじがらめの自縄自縛
> の状態にあって、周囲を敵ばかりと認識していて、日本人を蔑視して
> いたのではないでしょうか。ま、これは1967年当時の状況ということで。

周囲の敵ばかりを認識して。このような精神状態があったことは認めます。それが本人の被害妄想であったとも
いえないでしょう。

> |ところで、確かに文革期の中国の演劇や映画には、そういうのがありまし
> |たが。あれはあれで、芸術的に評価できるとは思っていますが。
> > 既存の芸能人、とりわけ民俗芸能の京劇役者さんを迫害したりしなければ、
> 一種のイロモノとして、芸術的に評価することにやぶさかではありません。

京劇の俳優などが迫害されたという話もありました。そのような話は、文化大革命の被害譚のひとつですが、それ
とは別に、あれはあれで気迫に満ちた芸術家が精一杯追求したものであるというのが、私の前言の意味です。

すべて、文革期の物だから価値がないというような画一的な判断を、私は支持しません。

> ま軍服きて勇ましく踊るのも役者さんでありまして、そうした演目を演じない
> と自分の命があぶない、沈黙して別の職業で生きるよりは、何の演目であれ
> それで舞台にたてて、ライトを浴びる事ができるならばと、こうした役者さん
> も必死で演じていたのでしょうが。

そのような人もいたかもしれません。

> それか、心底「赤い赤い心の太陽毛主席」
> に捧げるために、と自分の芸術を打ち消して、言われるままではあるけれど
> それが「国のため、人民のためになる」と信じていたのでありましょうか。

そのような人もいたと思います。

> そうした観点から見ますと、♪おっかのうえひっなげしのはぁなでぇー♪
> なんて歌っていたアグネスさんのこうした政治色のなさかげんというのは
> 逆に政治的迫害に抗していたのかも知れず、芸能プロとしての尊厳を矜持
> していたのかも知れず、奥深いものがありますなあ。

これは何を言っているのか、理解できません。

ところで、アグネスチャンが中国国内の差別を経験しているというのは、もう少し情報がほしいですね。
私の認識しているかぎり、彼女は香港の出身であり、日本で歌手デビューしたときは14歳でした。日本
デビューの前に、すでに香港で歌手として人気があったということですから、中国国内で差別を体験する
暇があったのかと思ってしまいます。

> 今回は、たくさんあった猛獣氏の質問にはおこたえしていません。
> 一つは聞かれている内容が不快であること、

不快だから、質問を無視できれば、国会議員も楽でしょうね。

> もう一つは知らない件
> が多いこと、またこないだコスポリ氏が述べた件で一つだけ正しい
> と書いたわけでありますが、当方の勉強不足もありまして応急的で
> はありますが、ネタを補充中であります。

ちゃんと勉強してください。

[487] ジュディーオングをみたのは、別の集会だったかも 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/04/06(Sat) 23:54
> ジュディーオングが1960年代か1970年代初めかですが、双十節という中華民国の建国記念日の日本での式典に、
> 出席して挨拶したのを見たことがあります。どういうわけか、私も同じ会場にいて、客席からそれを見ていたの
> ですが。かわいかったことは事実ですよ。ところで、彼女は、かなり前に帰化しています。また、アメリカの
> 保守的な有力者との深い人脈があるというような話をしていました。ま、とにかく、彼女の芸能活動には台湾の
> 当局の後押しが大きかったことは、ちょっと調べれば分かると思いますよ。

ジュディーオングがきたのは、別の中国人の懇親会のようなところだったかもしれない。記憶が定かでない。台湾系の政治色がついた集いであることは確かとは思うが。

> アグネスチャンは、大陸でコンサートをするということで、「台湾のファンを失うことになってもどうしても大陸
> でコンサートをしたい」というような発言をしたことがあったはずです。それ以来、彼女は政治色的には中国派に
> なったのでしょうか。

アグネスチャンが台湾のファンをすてても、というようなことをいい、現実に大陸での芸能活動をしたのは、事実ですが、それがコンサートだったかどうかは、定かでない。

あとで、うそを言ったなどといわれたくないので、この二点追記しておきます。

[483] 何度も言うけど 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/04/06(Sat) 06:07
何度も言いますが、こんな人を相手にしても仕方がありません。(ひょっとしたら、他の参加者が少ないので、こんな人でも相手にせざるを得ないということかな?)まあ極めて不快ではありますが、このいわゆる「共産党」(日帝協賛党)の本質を暴露するという点では、この「大阪の人」なる人物は極めて貴重な論客です。このような党員が多く存在するのなら、藤岡信勝が登場しても何の不思議もありません。第二、第三の藤岡信勝が必ず登場するでしょう。いやそれより党自体が藤岡信勝化しつつあるけど(笑)

また、部落差別が解消したという日帝協賛党の悪質なデマは、部落民であれば誰でもウソだと知っているものです。部落民であればいわゆる一流大学を出てもいわゆる一流企業には就職できない、また警察官には当然採用されない。今でも結婚相手の部落民であるかどうかの血筋調査は、興信所の業務の重要な部分を占めている。部落民であれば、何度引越ししても「部落民」という噂が立つ。(警察が噂を流しているのです。)これらのことは部落民であれば常識でしょう。また「2ちゃんねる」という掲示板を見れば、部落差別や朝鮮差別の書き込みがこれでもかこれでもかというくらい続けられています。無実の石川さんも、まだ強姦殺人犯の濡れ衣を着せられたままです。そういえば日帝協賛党は、「狭山事件はえん罪ではない」と言って狭山闘争に敵対しましたね。大阪府や京都府では、選挙のたびに日帝協賛党反革命集団の候補者は部落攻撃をがなりたて、それで票をかすめとっています。そういえば八鹿高校で部落解放同盟員を襲撃した事件もありましたね。「解同が襲ってきた」という白を黒といいくるめるデマ宣伝は、善隣会館事件と全く同じです。日帝協賛党はとことん腐った差別者集団であり、完全に粉砕しつくし、この汚物をあらゆるところから完全に一掃しなくてはならないのです。

また、猛獣文士さんの質問の趣旨は、「ポツダム宣言を受諾しても、日本と中国は国交回復もしておらず、在日中国人は入管の抑圧下におかれ云々」ということを言いたいのかな? それもそうですが、今日では「戦争は平和条約を結んだらおわり」という考え方自体が批判され、人権の国家への優越性の視点が導入されています。いわゆる「従軍慰安婦」(日帝性奴隷)などの賠償要求も、これに基づいたもので、連合国の人権小委員会でも、日帝と被侵略国の国家間の条約は「慰安婦」などへの賠償責任を消滅させるものではないという勧告が出されました。

また、部落差別者集団で天皇制支持の日帝協賛党員の「大阪の人」は「アジアですなあ。」と書いていますが、これはあきらかに「日本はアジアではない。日本はアジアのような後進地域とは違うのだ。」という意味であり、このような差別的暴言を発する人間の心性はコヴァと何らかわりありません。日帝協賛党は天皇制支持のコヴァ集団です。

また、「差別者に対しては、どのような攻撃をしても構わない」という主張を私は聞いたことがありません。これも日帝協賛党おとくいの歪曲論法ですね。部落解放運動は、その開始以来、「徹底的差別糾弾」を路線としてきました(1960年代までは、日帝協賛党もそれを支持していました)が、「どのような攻撃をしても構わない」などという路線が決定されたことも実行されたこともありません。

また宮本顕治が12年間投獄されたのは、治安維持法違反も入っていますが、「不法監禁致傷、不法監禁致死、不法監禁、傷害致死、死体遺棄」という一般刑事事件が主であって、要するに宮顕は犯罪者なのです。私はブルジョア法を絶対視するものではありませんから、非合法下で弾圧されていた共産党が、スパイを殺害したとしてもそれを非難するものではありません。また「銃砲火薬取締法施行規則違反」については、この規則自体が不当なものですから、宮顕を擁護します。大泉はスパイであったことが明らかですから、大泉にたいする「不法監禁致傷、不法監禁」に対しては、宮顕を擁護します。しかし、小畑達夫がスパイでなかったことは明らかであると思われます。少なくとも小畑がスパイであったという説得力ある証拠は何ら提出されていません。また、小畑を「傷害致死」したことは明らかであって、戦後宮顕が再審を請求していないという事実自体が真実を物語っていると思います。

また、戦前の日本共産党の壊滅への状況、また戦後の日本共産党で宮顕が果たした役割を見るに、宮顕こそがスパイではなかったのかという疑惑が強く沸き起こるのを止めることができません。そもそも宮顕は日本共産党の発展に何か貢献したのでしょうか。まったく0なのです。戦前、非合法下で宮顕がなしたのは、最後に残った有能な労働者幹部だった小畑を殺し、査問と疑心暗鬼で党を壊滅に追いこんだだけでした。戦後はどうでしょうか? 理論もなし、大衆闘争の指導もなし、ただ党内権力闘争に長けていただけではないでしょうか?

朝鮮戦争についてですが、この「大阪の人」は完全に転向し、ソウルの立場に一致しているようですね。日帝協賛党指導部ですらそこまで言っていないようですが。

朝鮮戦争が「北の侵略」であったという反北史観は、当の韓国内部ですでに進歩的歴史学者は反帝統一運動の努力によってすでに克服されています。韓国の進歩勢力の間では、朝鮮戦争の原因が米帝による分断選挙の強行であったことが共通認識でありまして、これを逆転させようとする一部の反北論者の妄言は全く通用しないのです。

[488] 【枝】北侵説はスターリン流です 投稿者:大阪の人 投稿日:02/04/07(Sun) 03:14
re:483
コスポリ氏よ、いい加減にしておきたまえ。

第一。こういうBBSにて日本共産党の公式コメントを取れると勘違い
しているのであれば、おあいにくさま。当方は党ファンとして参加
しているのでありまして、公式コメントは党のウェブか赤旗販売所
へでも言ってきけばいい。繰り返し、党員がどうこう、という話に
しているのは、誤読というより、プロパガンダ戦術というべきですな。
日本共産党の声明や論文は、中国共産党とは違って、国民に広く
アクセスできるところに資料がたーんとあります。従ってこれを
集めて検討して、論考する事はやる気があれば日本にいれば可能です。
でも、逆に、悪意をもって、言い返しばかりを画策すれば、自ら
返ってこない気楽な批判さえも誰でも無限に可能であります。

ところで、このプロパガンダ戦術は、他にも山もりであります。

|「共産党」(日帝協賛党)

こういうフレーズを重ねながら何かを「暴露する」というのは大変
勇ましいわけでありますが、マユにツバつけて読むべしであります。

|藤岡信勝が登場しても何の不思議もありません。第二、第三の藤岡信勝が
|必ず登場するでしょう。いやそれより党自体が藤岡信勝化しつつあるけど(笑)

これも、プロパガンダの類い。藤岡氏は、離党か除名かされているはず
であります。

|部落差別が解消したという日帝協賛党の悪質なデマ

まず、当方は日本共産党の公式声明を述べる立場ではありません。
次に、部落差別が、その全体像が消滅解消したとはどこにも書いていません。
次に、このメンタルは寺尾氏五郎氏や井上清氏らの引き写しということで
いわば60年代をそのまんま引きずっていることに御注目あれ。

|部落民であれば誰でもウソだと知っているものです。

どこに”部落民”がいるのですか。「俺は部落民」なんてコスポリ氏は
威張っているようですけれども。

1)部落民であればいわゆる一流大学を出てもいわゆる一流企業には就職できない、
2)また警察官には当然採用されない。
3)今でも結婚相手の部落民であるかどうかの血筋調査は、興信所の業務の重要な
  部分を占めている。
4)部落民であれば、何度引越ししても「部落民」という噂が立つ。(警察が噂を
  流しているのです。)
5)これらのことは部落民であれば常識でしょう。

番号は当方がふりました。あなたは匿名を条件とするこのようなBBSで
よくもまあこんな差別発言ができるものだ。血も涙もない。観念的に
情報を操作すればかような文章ができるという見本であります。
1)は、今はない。
2)もない。
3)は、遅れた意識の国民がまだいますから、まだあるだろうな。
4)は、ない。
5)誰が部落民ですか? でたらめを言うな。

|また「2ちゃんねる」という掲示板を見れば、部落差別や朝鮮差別の
|書き込みがこれでもかこれでもかというくらい続けられています。

残念ながら本当。でもね、部落解放同盟の教育介入によってはじめて
「部落差別なるものを知った」という子ども、子ども時分を経た大人
というのが多いのよ。教育における不当な暴力介入のおかげで、むしろ
育成肥育された、新手の差別感というモメントが強いと思うが。
もはやコスポリ氏に諭しても仕方ないので、読者に訴えておきます。

|無実の石川さんも、まだ強姦殺人犯の濡れ衣を着せられたままです。

アプリオリに”無実”として、裁判そのものを差別として暴力闘争の
大きな看板に掲げたのが部落解放同盟でありました。刑事裁判という
のはこのコスポリ氏のように語ってはいけないのであります。

|そういえば日帝協賛党は、「狭山事件はえん罪ではない」と言って狭山
|闘争に敵対しましたね。

ウソです。京都の部落問題研究所の研究資料の本がどさっと何十冊も
でていますからご覧になることですな。「えん罪の可能性が高い」
という事で狭山裁判には当初日本共産党も部落問題研究所もかかわって
いました。「”狭山裁判は冤罪”だとしてかかわる事は、そもそも裁判
という制度を認める事だから差別だ」、などと、当時の解放同盟が
いいたてて、日本共産党は差別者だとか部落問題研究所は差別者の研究所
だとか攻撃を始めたのでありました。この狂った解放同盟の論理は
たとえば「大学解体」だとか「大学を革命の拠点へ」だとか言い立てた70年
前後の狂った学生運動の論理とウリ二つでありまして、エスカレーションと
いうものの狂気を感じて、おどろくばかりであります。ようく当時の
文章を見直してごらん。全く逆だから。ほんに悪質だね。

|大阪府や京都府では、選挙のたびに日帝協賛党反革命集団の候補者は
|部落攻撃をがなりたて、それで票をかすめとって

これもコスポリ氏のデマ。暴力利権あさりの部落解放同盟を批判する
勇気のある勢力は日本共産党をおいてありませんでした。暴力を肯定
する無法者を仲間とし「知人」として、「お肉のおみやげ」を貰って
帰ってきた今の大阪府知事大田氏は、この件で減給処分の憂き目に
あいました。オール与党の元通産官僚の知事であります。

|そういえば八鹿高校で部落解放同盟員を襲撃した事件もありましたね。

何年何月何時何分にあったの。これも全部デマ。八鹿高校の教員を
部落解放同盟の丸尾某らに率いられた部落解放同盟員たちの動員部隊
が学校に襲撃して、暴行しまくった事件がありました。この事件は
すべて裁判で部落解放同盟側に暴行の有罪判決が確定しました。
解放同盟員は一人も暴行されていません。ほんに悪意ある中傷と捏造。
解放同盟員たちが暴行うけたかどうかなんて、裁判にもなってない。
彼らは告訴もしていません。どこで聴いたのかそんなデマ。
そもそもコスポリ氏の発言はどこにも根拠を示す出典がないのが特徴。

|「解同が襲ってきた」という白を黒といいくるめるデマ宣伝は、善隣
|会館事件と全く同じです。

白か黒かは、今、後楽の事件では、当方と猛獣氏が探査中であります。
八鹿の事件では最高裁の判決で確定しました。解放同盟が暴力犯です。
これは兵庫県北部の町村一帯を覆っていた大きなタブーでありました。
このタブーを打ち破った事が住民に受け入れられて、圧倒的な支持で
八鹿町の町長に当時革新統一の人がなったりしました。住民があまり
の解放同盟の暴力に救って暮れるなら誰でもよい、と田舎らしい
反共風土も強い土地でありましたが、託されたのであります。訴訟
では有罪確定、選挙でも住民の目に審判がくだりました。完勝です。

|日帝協賛党はとことん腐った差別者集団であり、完全に粉砕しつくし、
|この汚物をあらゆるところから完全に一掃しなくてはならないのです。

私は見に行ったことはないのだけれど、これって2ちゃんねるとか
往時のニフティのBBSのメンタルなんでしょうか。

|今日では「戦争は平和条約を結んだらおわり」という考え方自体が批判
|され、人権の国家への優越性の視点が導入されています。いわゆる「従
|軍慰安婦」(日帝性奴隷)などの賠償要求も、これに基づいたもので、連
|合国の人権小委員会でも、日帝と被侵略国の国家間の条約は「慰安婦」
|などへの賠償責任を消滅させるものではないという勧告が出されました。

他の部分のデマとは違い、ここだけは本当。読む者の利便のためには
できれば原典の出所を明示するのがよいでしょう。飯に砂を混ぜると
いう話があるが、デマに本当の事を混ぜているのがコスポリ氏の陰湿
な所であります。本当の話がこうしてゴミに埋まって汚れてしまう。

|部落差別者集団で天皇制支持の日帝協賛党員の「大阪の人」は

またバカが始まっている。

|これはあきらかに「日本はアジアではない。日本はアジアのような後進
|地域とは違うのだ。」という意味で

寺尾五郎氏の本には、そのまんま、コスポリ氏のフレーズが書いて
ある「林彪の作戦」の冒頭。わっはっは、そのまんま。

|このような差別的暴言を発する人間の心性はコヴァと何らかわりありません。

”コヴァ”って誰? 小林よしのりか?「心性」というのはどこに
あるのか。それもとコスポリ氏の脳内での勝手な”区分け”なのか。

|日帝協賛党は天皇制支持のコヴァ集団です。

デマ・・・なんだろうなあ。でも意味不明。もうしわけない。
フォローできませんわ(汗)。

|これも日帝協賛党おとくいの歪曲論法ですね。

当方は、猛獣氏の言ってない事を述べているという点では本当で
あります。しかし当方は”日帝協賛党”ではないし、コスポリ氏
の歪曲論法も、五十歩百歩。目くそ鼻くそであります。

|部落解放運動は、その開始以来、「徹底的差別糾弾」を路線としてきま
|した(1960年代までは、日帝協賛党もそれを支持していました)が、「ど
|のような攻撃をしても構わない」などという路線が決定されたことも実
|行されたこともありません。

僕ちゃん、なんでもよく御存知ですねえ。日本共産党も一時までは
この徹底的差別糾弾闘争路線をとっていました。差別の悪循環も
悲惨な物理的条件があったということもあります。しかし条件が著しく
緩和されてきているのに、むしろ徹底的差別糾弾路線をエスカレート
させていったのは、現代修正主義者として日本共産党を除名された志賀
義雄氏らに接近していった60年代中葉、あるいは70年代、80年代の
解放同盟の特徴でありました。彼らは「被差別部落民」という徴をたて
にして(そんな徴なんてないのに)行政を恫喝し、教育に介入し、暴力
闘争で利権あさりをし、一般民衆に反発をかい、そもそも地区住民の中
で解放同盟に従わない者に暴行、行政の個人給付などの権利からの排除
脅迫などを加えたのでありました。牛の首を市長の自宅に投げ込んだり
教員を脅迫したり、やり放題でありまして、これはまさしく「どのよう
な攻撃をしても構わない」という路線でありました。解放同盟を排除さ
れた住民たちや日本共産党はこの糾弾闘争路線を自己批判して、そこ
から離れていったのでありました。いつぞや猛獣氏と別の件で話して
いたときに(学生運動の件だったかな?)猛獣氏は言ったものです。
日本共産党は暴力に飲み込まれてエスカレーションしなかった、と。
これは、ちゃんとものを見れば誰にでもわかることであります。

|宮本顕治が

まだ不作法コスポリ氏は、このウェブで発言もしてない宮本氏を
敬称もつけずに呼び捨てしている。粗忽者というか。

|宮本顕治が12年間投獄されたのは

治安維持法が主とした罪状でありました。治安維持法は、何より
天皇制の「国体」に反する、つまり民主主義を掲げた勢力を罰する
という弾圧法規でありました。社会主義共産主義を弾圧するという
条項は、後から「私有財産の否定」ということで付け加えられました
が、これは死刑のない条項です。「国体」を護持する、その否定を
するものを死刑を含む重罪に処するというところが肝心かなめで
あります。

|「不法監禁致傷、不法監禁致死、不法監禁、傷害致死、死体遺棄」
|という一般刑事事件

まず不法監禁でない旨公判で宮本氏は述べています。そのた公判記録
が本になってでています。世の中でこんなに中傷のために使われた
弾圧事件も空前絶後でありますが、コスポリ氏はやはりここでは
反共の闘志らしく特高警察側にたって検討しているわけであります。

|私はブルジョア法を絶対視するものではありませんから

あのね、ブルジョア法規としてもこの法規はおかしいものであったの
ですよ。それからね、この項でつまらぬ項目を同情したふりして
「免罪」しつつ、

|大泉はスパイであったことが明らかですから、大泉にたいする「不法
|監禁致傷、不法監禁」に対しては、宮顕を擁護します。

というのは、みかけは擁護しているかに見せて、やはり警察史観
でものを見ていて、単に裏返しに手の込んだレトリックにしている
だけであります。大泉氏も小畑氏も党員という自覚的規律の下に
あってはしてはならない現実のスパイ行為をはたらいて、それで
調査におびえて逃げようとしていただけであります。党の最大の
処分は、コスポリ氏の大好きな日本赤軍のような”ソウカツ”で
はありませんで除名であり、その処分の全党への周知であります。
当時の共産党が「連合赤軍」のごとき異常集団であれば、小畑氏
が突然死しただけで、調査を中止したりはしないで、むしろ疑心
暗鬼が高じて相互に殺し合いしていたでありましょう。

|戦後宮顕が再審を請求していないという事実自体が真実を物語って
|いると思います。

これはまいった。「刑の言い渡し」を無効とする、というポツダム
勅令をもって解放された宮本氏が、再審を求めなかったということ
をもって氏の「真実をものがたっている」などという国際共産主義者
が世の中にいたものだ。はっ! 卑劣というよりなさけなさが先に来る。

|また、戦前の日本共産党の壊滅への状況、また戦後の日本共産党で宮顕
|が果たした役割を見るに、宮顕こそがスパイではなかったのかという疑
|惑が強く沸き起こるのを止めることができません。そもそも宮顕は日本
|共産党の発展に何か貢献したのでしょうか。まったく0なのです。

日本の民主主義と平和のためにたたかった党の最高指導者をどのように
見るかということであります。これはコスポリ氏の独創か?
かわいそうな宮本氏。こんなへ理屈だけで、スパイとまで言われて
しまって。ところで猛獣氏よ、当方が宮本氏の呼び捨てなどの件で
コスポリ氏に注意を与えた件で、毛沢東氏への日本共産党のひぼう
中傷と同等だとしていた件でありますが、宮本氏らは日本軍国主義
の中国からの撤兵と台湾朝鮮の独立をも掲げていたのであります。
これは動かしがたい事実であります。宮本氏を「犬」よばわり
していた紅衛兵の革命きちがいは、この戦前の闘争を完全に無視し
て「犬」よばわりしていた不作法でありました。ところで毛沢東氏
は「犬」とまで呼ばれたのか? 同等のようにいうのはひどい話だ。
それからね、当時の赤旗をどこを探してもいいけれど、毛沢東氏を
このコスポリ氏や「犬よばわり」している紅衛兵のごとき表現で
描いているフレーズはどこにあるのか。まったく非対称的です。

|戦前、非合法下で宮顕がなしたのは、最後に残った有能な労働者幹部
|だった小畑を殺し、査問と疑心暗鬼で党を壊滅に追いこんだだけでした。

いつから「小畑盲従礼賛派」になったのか。小畑氏の著書でも
読んだのか。生まれる前に死去した人士の評価を軽々に、しかも
宮本氏を貶めるためだけに、そんな言い方をするのは見苦しいね。

|戦後はどうでしょうか? 理論もなし、大衆闘争の指導もなし、ただ
|党内権力闘争に長けていただけではないでしょうか?

コスポリ氏よ。批判というのは自らに帰ってくるものです。
御自分は何をしているのか。ウェブで口先番長しているだけで。

|ソウルの立場に一致しているようですね。

北京もソウルも友好的におつきあいしたいものであります。間違い
を正してよい路線になるのに何を憚ることがありましょうや。
とりわけ日本の運動は、朝鮮戦争の原因に関してスターリン流
のデマを真に受けて、大きな被害を受けています。韓国の国是と
しては中国にはきっちりもの申しているはずであります。韓国で
どのような政権になろうと、北の南進説が覆るということはまず
ありますまい。日本社会党も50年代、60年代と南進説でありました。

|朝鮮戦争が「北の侵略」であったという反北史観は、当の韓国内部ですで
|に進歩的歴史学者は反帝統一運動の努力によってすでに克服されています。

これは、どのような文献によるのでありましょうか。枝ツリーで
ありますが、詳しく教えて貰いたいものであります。ちなみに
トルクノフ氏は旧ソ連の人のはずで、ソウルに何も気がねする
必要はないはずであります。

|韓国の進歩勢力の間では、朝鮮戦争の原因が米帝による分断選挙の強行

まずはコスポリ氏のいう「韓国の進歩勢力」というのがどんな
”進歩勢力”なのかが、重要な課題であります。日本共産党を
”宮修”と呼ぶ革命きちがいの国際共産主義者コスポリ氏の言で
あります。ただし、韓国に一部は妙な革命きちがいもいたと
しても、それはそれで仕方ない。どこにもごく少数はいるもの。

|一部の反北論者の妄言は全く通用しないのです。

どこで「通用しない」のかな。具体的な名前や本がでてこない
ということがコスポリ氏の苦しい所であります。あと「反北論者」
というのは、新手の用語であります。「妄言」は「全く通用しない」
とまでは猛獣氏も言及してないわけでありまして、これはコスポリ
氏が単独で形式上は「北擁護論者」となったということを表している
わけでありますが、実際のところどうなのでしょう。インターネット
の上では天動説の方が優勢だという話も聞きますし。実社会では
このような発言は口をぬぐって、平気で日本で暮らしている単なる
悪意ある物好き、口達者さんなのではないかという思いだけが強く
印象に残る読後感であります。全体をとおして、中国人にも日本
共産党の人にも痛苦の歴史であったものを、言葉としてもてあそん
でいるという感がなぜか強く感じられるのです。

[496] 朝鮮戦争について 投稿者:革命きちがいのコスモポリタン 投稿日:02/04/09(Tue) 09:29
これも本筋から離れるので、手短に。

「大阪の人」の言う「北の南侵」というのは、おそらく「朝鮮戦争の第一発はどちらからか」というものだろう。この点に関しては、北側から朝鮮戦争の火蓋が切られたことは一致している。

問題は、朝鮮戦争の性格規定である。「北の侵略」史観というのは、正統政権である大韓民国を、ソ連の傀儡の共産政権が武力統一するために起こした戦争と見る史観である。私が「韓国の進歩勢力の間ですでに克服された」と言っているのは、この史観のことである。

韓国の進歩勢力の史観というのは、朝鮮戦争の原因を、何よりも米国による分断強行に求めるものである。また南北の間では軍事衝突は何度も起こっており、開戦はいずれにせよ不可避だったのだから、「北の侵略」を非難するのは意味がない。朝鮮戦争はあくまで内戦であって、その真の責任は米国にある。というものです。だからこそ、韓国の進歩勢力は、常に祖国統一と米軍撤退を結びつけて提起し、反北反共勢力の「北の侵略」史観を批判してきたのです。

根本的な問題は、戦争の全体的な性格であって、どちらの側から開戦されたかではないのです。北側が開戦したから「北の侵略」だ、などというのは、「盧溝橋事件」を云々する日帝右翼勢力の主張と変わらないのです。このような反共反北史観は、繰り返しますがすでに克服されたものですが、文春文士で日帝協賛党員の萩原遼などの馬鹿がこれを依然として宣伝しています。

[495] 宮顕の「復権」 投稿者:革命きちがいのコスモポリタン 投稿日:02/04/09(Tue) 09:26
さて、本筋とは関係ないし、もうすぐ宮顕が死んだら、党史も書き換えられるだろうから、何も知らない「大阪の人」を相手にしてもあまり意味がないのだが、要点だけ。

1)宮顕の公判陳述

宮顕は、なぜか分離公判を認められ、党の路線等々を長々と陳述しているのだが、核心部分(査問リンチ)についてはそれほど述べていない。述べてもボロが出るだけだったろうが。資料を客観的に見る限り、宮顕を含む査問者が小畑に暴行し、死に至らしめたことは否定のしようがないだろう。「れんだいこ」さんの分析が参考になる。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron.htm

2)宮顕の「復権証明書」

GHQは、治安維持法による受刑者の釈放を指令し、これによって徳田、志賀をはじめとする革命戦士が出獄してきた。(余談だが、もう少し早ければ、獄死した戸坂潤の命が救われていたかもと残念でならない。戸坂は日本マルクス主義が生んだ最大の哲学者であって、彼がいれば戦後の左翼理論戦線は一変したかも知れない。)

しかし宮顕は、一般刑事犯(監禁致死)であったため、これには該当しなかった。しかし、ピンピンしていたのにもかかわらず、「病気出獄」という形で釈放された。(私は、ここに何らかの権力との取り引きがあったと見ている。)

これだけならまだしも、その後、「刑の執行を受けざりしものとみなす」という「復権証明書」を受けている。

まず第一に、これは、戦後のドサクサの中で非合法に出されたものであって、無効である。次に、この復権とは、政治的権利(選挙権、被選挙権など)の復権に関するものであって、判決を取り消すものではない。判決そのものは、生きているのである。

宮顕の釈放、復権は違法であり無効であったが、刑の執行は未了ながら時効になっている(起訴だけでなく、刑の執行にも時効があるらしい)ので、宮顕がもう一度獄中に戻らなくてはならないことはないが、あくまで判決そのものは生きている。宮顕がもし無実だと主張するなら、当然再審請求をすべきである。もちろん、宮顕が小畑を殺したという事実が再確認されてしまうだけだろうが。

3)小畑はスパイだったか

「大阪の人」は、何の根拠もあげずに小畑中央委員をスパイ呼ばわりしているが、証拠はあるのか。立花論文以来の論議で浮き彫りになったのは、日本共産党側が小畑スパイ説を立証するもっともらしい証拠を何一つ挙げることができないということだった。「大阪の人」は、何か根拠を持っているのだろうか。

[491] 革命きちがいのコスモポリタンより 投稿者:革命きちがいのコスモポリタン 投稿日:02/04/08(Mon) 08:50
「大阪の人」が日帝協賛党員かどうか、確認する手段はありませんが、彼の主張はいずれにせよ日帝協賛党の公式見解をうけうりしているだけのものです。一部に、日帝協賛党がはっきりと公言はしないような反動的排外主義的発言や、朝鮮戦争にかんする反動的見解もありますが、それも日帝協賛党の公式見解を「さきどり」したものでありましょう。従って彼の反動的主張を暴露することは、日帝協賛党の反動的本質をも暴露するものであります。(もっとも、日帝協賛党の反動的/民族主義的本質の現れと、特殊宮顕的なものとは区別しなくてはなりません。ここで議論している問題などは、「特殊宮顕的」な偏執狂的民族主義から起こった問題であり、ポスト宮顕の不破/志位指導部はおそらく忘却の彼方に追いやりたいものでしょう。『日本共産党の80年』が発行されないことや、中国共産党との関係回復の時に、合意文書では「過去の問題」について抽象的な表現ですませたことは、その現れでありましょう。)

>藤岡信勝氏は、離党か除名されているはずであります。

藤岡信勝が93年前後に離党したことは、誰でも知っています。私が述べていることは、「藤岡信勝の右翼的言動は、日帝協賛党の民族主義の結果であって、日帝協賛党の体質や右翼的路線と関係がある」と主張しているのであって、「藤岡信勝は日帝協賛党の代弁者だ」などと言っているわけではありません。その程度のことも理解できないような読解力/思考力しかないから、日帝協賛党なんかに騙されて、いまだに宮顕が小畑を殺していないとか信じ込んでいるのです。


>部落差別

日帝協賛党は、「部落差別が完全に解消した」とは確かに明言していません。しかし、全国で日帝協賛党は、「もはや部落差別は解消したから同和予算は必要ない」と主張していますし、日帝協賛党の指導下にある「全解連」は、近い将来に解散する予定です。日帝協賛党や「全解連」の機関紙には、部落差別を糾弾する記事は全くなく、逆に「部落差別はない」「部落差別対策は解同の利権あさり」という許しがたいデマばかりが載っています。明言しなくても、「部落差別が完全に解消した」という認識であることは明らかです。

>血も涙もない差別発言

事実を明らかにすることの何が差別発言なのか。部落民であれば、私が述べたことが真実であると知っている。何度転居しても部落民であると噂を立てられるというのは、部落解放運動に参加していない部落出身者から聞いたものです。また、一部上場企業が採用選考者の身元調査を行ない、部落出身者を採用しないことも、広く知れ渡っている常識でありまして、大阪に住んでいるらしい「大阪の人」であれば、部落解放同盟の事務所を訪ねるなどして簡単に確認できることです。おそらく、日帝協賛党差別者集団の党員であるがゆえに、部落民から嫌われ避けられているので、「大阪でも部落民なんて見かけない」とかほざくのでしょう。

「部落差別は前資本主義的差別の残りカスであるか資本主義の発展によって解決される」という「国民融合」理論は、不況の中で完全に破綻しました。高度成長時代には、確かに「目に見えて」部落差別が減少していくように見え、日帝協賛党の主張にも一定の根拠があるように見えました。しかしその幻想は今日では完全に破綻したと言えるでしょう。バブル崩壊と失業の増加によって、部落差別は急激に復活しています。日帝協賛党の差別扇動によって、「部落のせいで予算が圧迫されている」などの意識が広範に存在し、陰湿な差別が拡大増加の一途を辿っているのが現状なのです。資本主義を打倒するまで、部落差別の解消は--部分的な改善はともかく--ありえないのです。

「教育にたいする不当な暴力介入」なるデマも、日帝協賛党がまきちらしてきた薄汚いデマです。解放同盟が頑張っている広島県では、日帝協賛党差別者集団が当局と一緒になって、日の丸君が代に反対し解放教育を実践する教育労働者を弾圧しているのでありまして、そのために宮沢元首相が国会で日帝協賛党反革命差別者集団を称讃したほどなのです。部落解放闘争と連帯する労働者階級人民は、日帝協賛党反革命差別者集団を絶対に許さず、徹底的に粉砕しつくすでありましょう。

>狭山闘争

日帝協賛党は、1974年頃に、機関紙ウソハタに「一般刑事事件と民主的救援運動」という差別文書を発表し、『わが党は狭山事件を「えん罪」と規定したことはない』と公然と言い放ったのでした。このことは縮刷版を調べれば簡単に確認できるのです。(わからない人のために説明しますと、日帝協賛党は、狭山事件にたいして「公正裁判要求運動」という誤った立場を取っていました。この立場は、狭山裁判そのものの差別性を認めず、単なる「えん罪」事件にわい小化するものとして、部落解放同盟などから批判されました。しかし、「公正裁判要求運動」という誤った立場ですら、石川被告が「えん罪」であること自体は認めていました。しかし、この差別文書で、日帝協賛党差別者集団は、「えん罪であると認めていない」と言い放ったのです。)

また、「裁判という制度を認めることになる」云々は意味不明で、誰もそんな主張はしていません。部落解放同盟が日帝協賛党を批判したのは、狭山裁判の(裁判制度自体の、ではない)差別性を認めず、「公正裁判要求」という幻想をふりまく主張をしているということでした。

日帝協賛党 -- 公正裁判要求
部落解放同盟 -- 差別裁判粉砕、無罪奪還

という違いが(前述の差別文書がウソハタに載るまでは)あったのです。
とりあえずここで切ります。

[486] Re: 何度も言うけど 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/04/06(Sat) 12:03
> 何度も言いますが、こんな人を相手にしても仕方がありません。(ひょっとしたら、他の参加者が少ないので、
> こんな人でも相手にせざるを得ないということかな?)

あたらずといえども遠からずです。しかし、大阪さんの書き込みは、じっくり読んでみると面白いので、捨てがたいところもありますね。

この点だけ。お答えします。

[452] 一日前 投稿者:大阪の人 投稿日:02/03/13(Wed) 01:49
少し前の記事になりますが、「”友好貿易”の変質と中国の容喙 」と題して
BBS#382からのツリーでご紹介申し上げました貿易文書と関連ある文書を新たに
念を押すために掲載します。

勿論、2002年の現代の中華人民共和国に於ては、この文書は、とりわけ文革
用語を多用しすぎた、ということで、1980年代より否定的に扱われているはず
であります(「戦後中日関係史」林代昭著 邦訳柏書店1997年P190あたり参照)
が、もう一方で、結ばれた1967年度のみならず、68年69年度と続く
両国の貿易交流の一般的な、そして基礎となる重要な議題も塗りこめられてい
るために(むしろこちらだけが本来あるべき文書の課題のはずですが、まさに
文革中国の対日干渉路線・革命輸出路線からは、どんな文書であれ必ずこれら
文革用語をまぶし、書き込まれるしきたりであったわけで)つぶさに検討致し
ますと、馬鹿正直なほどにこれら日本の貿易業界が急転換して革命きちがい派
に変身している様が日にちを追って見て取れます。

・日中貿易促進会友好代表団と
  中国国際貿易促進委員会との共同声明(1966.1.22)
(#383にて掲載)
で日中貿易促進会代表団と交わしたはずの約束、北九州と名古屋の見本市を

・日本国際貿易促進協会経済友好代表団と
  中日国際貿易促進委員会との会談要録(1966.9.18)
(#384にて掲載)
で日本国際貿易促進協会側に突如お墨付きをあたえて実施させ
その貿易展での中国いいなりでの働き(日本共産党員とおぼしき業者やら
中国党政府のいいなりにならない人士を攻撃する)ぶりを褒め
あげている箇所なども注目されます。

また、この日本のブルジョアたちとの友好交流というときに、交わされた
言葉の中に、党内闘争(これは中国国内の、それも中国共産党固有の任務
のはずの党内粛正に関する議題)が書き込まれていたり、します。本来的
にはこれは日本側は立ち入るべき課題ではないはずでありますが、こうした
箇所にブルジョア業者たちがあたかも熱心そうに声を合わせているのは
まさにこの「議定書」が、中国のいいなりに書かれた、中国の意を酌むべく
お先棒担ぎに書かれた忠誠のあかし、一方的な土下座貿易の傾向であって
対等平等互恵という自由貿易(しかも”友好貿易”と名付けられた関係な
のに)の原則からいかに遠いものだったかということをみて取る事は容易で
ありましょう。

「議定書」は述べています。
”全世界のますます多くの人々は、日ましに認識を深めつつある。
毛沢東思想は帝国主義と現代修正主義に打ち勝つ強大な武器であり、
偉大な毛沢東思想の輝かしい光りは諸国人民の解放の道を照らして
いる”と。そして”現在、全世界の被抑圧人民の帝国主義、現代
修正主義に反対し、各国反動派に反対する闘争は素晴らしい情勢を
作り出している。全世界規模で各種の政治勢力が大激動、大分化、
大再編の局面をへている。諸国人民の力は日ましに大きくなっている”と。

「世界の人々」が「毛沢東思想」こそ「諸国人民の解放」を
「照らしている光」だということを「認識を深め」ると。
そして「光」を認識した諸国人民がする「闘争」ということは
すべての国の運動が毛沢東思想の指導のもとに「素晴らしい」
情勢を作り出すのだと。これを日本ブルジョアジーたちに認め
させたということであります。奇妙ですよね。

また、日本国際貿易促進協議会とは元々ソ連東欧との貿易と中国との
貿易の両方のために作られた日本ブルジョアの機関なのですが、ここで
用もないのにソ連批判を書き込ませている。ソ連は貿易で競合する面も
あったかも知れませんが、(美化したり肩を持つつもりはありませんが)
どうしてソ連との闘いが日本ブルジョアジーに課される課題なのかは
ちっともわかりません。

そして最後に、この日付であります。67年2月27日といいますと、これは
このウェブの課題であった後楽の事件の前日であります。おそらく北京放送
では28日夜ぐらいに麗々しく「ニセの日中友好を掲げた敵と、真の日中友好
を掲げた日本の友人と」と放送されたことでありましょう。そうしてこれが
寮生たちにゴーサインを発したと。寮生たちをサポートする”友好人士たち”
も忠誠を誓ってくれたと、いざ出陣! という事になったのではないか、と
当方は思う、傍証の一つであります。

”双方は今日までの中日友好と貿易の発展過程を回顧し、中日関係の政治三
原則、貿易三原則と、政治・経済不可分の原則を必ず堅持し、米帝国主義、
日本の反動派、ソ連現代修正主義およびそのさまざまの新旧追随者の陰謀と
破壊活動に断固反対しなければならないという貴重な経験を得た”と。

これは添谷芳秀氏が「日本外交と中国1945-1972」慶應通信 刊で
||これら「議定書」と「共同声明」、および国貿促代表団が帰国後に
||まとめた百頁以上にも及ぶ「報告書」はいずれも文化大革命と毛沢
||東思想を最大級に称賛した。(略)
(P141)
||こうした友好貿易の再編は、中国における文化大革命の発動と重な
||り、中国の友好商社認定の基準も急進化した。今や中国は三つの
||「原則」に加えて1967年2月27日の日本国際貿易促進協会と中国国
||際貿易促進委員会との間に締結された(第二次)「議定書」に明記
||された「四つの敵」との闘争を求められるようになった。
||友好商社にとっての最初の試練は、1967年4月から5月にかけて開催
||された広州交易会においてやってきた。中国側は、1966年に北九州
||と名古屋で開催された中国展でどれだけ中国に協力的であったか、
||1967年春の善隣学生会館事件の際にどれだけ「日共の修正主義者」
||と戦ったかを基準にして友好商社をランクづけしたのである。
(P143)
と述べている通りです。

少なくとも、寮生の”加勢”に加わった貿易商社の人士たちは
現実の28日以降の友好協会の行動をみて後義憤にかられて平和的
な生活を寮生に取り戻すために、平和的に活動したということは
言えないのではないか。毛沢東思想にカブれて(光を認識して)
世界革命やら日本の文革化(ポルポトカンボジアのような衛星国
にする)のために活躍した、という建前でなければおかしい。

[454] 大阪の人さんの読み違いですね。 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/03/16(Sat) 01:57
渋谷氏の「日本外交と中国」では、

「一九六七年二月二七日の日本国際貿易促進協会と中国国際貿易促進協会との間に締結された(第二次)「議定書」に明記された「四つの敵」との闘争を求めるようになった。」143ページ

と記述している。この記述は、四つの敵の語源に関する決定的な確証ではないかと考え、早速、資料でこの文献を入手した。大阪さんが、この掲示板で紹介している文書である。

しかし、確かに渋谷氏の表現は間違いとはいえないかもしれないが、この文書は私が求めていた四つの敵と善隣学生会館事件との前後関係を立証するものではなかった。渋谷氏の著書の141ページには、同議定書と、もうひとつ同年3月17日付けの「日中国際貿易促進協会訪中貿易代表団・中国国際貿易促進委員会共同声明」の二つの資料がならべて紹介されていて、ここで、「四つの敵」を明文化しているとしている。しかし、両文書は、善隣学生会館事件の前後で、論調が異なっている。2月27日の文書では、日本共産党を名指しせず、米帝、日本反動派、ソ修に対する段落とは別に、ひとにぎりの修正主義者を述べているのだが、3月17日の声明では、善隣学生会館事件を具体的に指摘して、日本共産党を名指しで非難している。日本共産党を他の三つの敵と同列に取り扱うにいたるのは、この後の声明等からであり、やはり、四つの敵という定義を確定させた原因が善隣学生会館事件であったという私の最初の着想が正しいようである。これは、中日共産党の対立がそれ以前になかったということでは、勿論ない。すでに、1966年10月に日中友好協会が分裂しており、中日共産党の対立が始まっていたことは、誰でも知っていた。そのような状況のなかで、善隣学生会館に居住する寮生が日本共産党側の日中友好協会に対して批判的な考え方をしているのは当然である。むしろ、そのような視点を持たないほうが不思議であるといってもよい。しかし、そのことが直ちに襲撃とか武力衝突に結びつくわけではない。暴力の予告というのならば、2月21日付け赤旗紙の「正当防衛論」のほうが明白な証拠といえる。

 次に、大阪の人さんの読み違えか、あるいは故意に無視しているのか、渋谷氏の「日本外交と中国」の基調で、当時の日中関係について、次のような分析をしている。戦後の日本の有力な政治的な潮流として、「対米協調派」、「対米自主派」および「対米独立派」の三つがあり、日本の政府は前二者の「対米協調派」と「対米自主派」によって運営されていた。対米協調派には、吉田茂から池田勇人というラインがあり、対米自主派には、岸信介、鳩山一郎及び佐藤栄作などがいた。対米協調派はアメリカの絶対的な力を与件と考え、その前提内で日本の国益を追求する考えであり、対米自主派はアメリカの力を認めながら、その制約下で日本の自主的な行動を少しでも追及しようとする考えである。それに対し、対米独立派は、アメリカの日本に対する支配を性急に拒否して、独立を求める考え方で、その目的は実質的に実現不可能であったのだが、国民の心情的な共感を得るものであった。

1950年代、60年代、日本の政府からみて、決定的なのは日米関係であり、中国との関係をそれに優先させることはありえなかったが、中国との関係を何らかの状態で維持するよう、非政府アクターが中国との関係を進めていくことを黙認していた。実際に、左翼に限らず、保守系の人士や財界でも、中国との関係改善を望む多くの人材が日本にいて、それぞれに努力をしていたようである。

日中貿易について言えば、日本政府の黙認の範囲内で、非政府アクターが形成する友好団体により、その業務が担われていたが、そこでは逆に中国側の主張を日本の貿易団体等が支持し、中国がそれを評価するというような関係で、貿易が行われていた。

「しかしながら、中国は日中貿易に対して一貫して政経不可分の原則を掲げており、日本の民間といえども日中貿易の政治性から自由ではなかった。」103ページ

したがって、中国が政治的な主張を掲げ、日本側の関係者がその主張に同調して、その上で貿易を行うという構図は、大阪の人さんの主張するように、文化大革命の時期の特殊な現象ではなく、日中国交回復以前の日中貿易を一貫して規定していた構図である。中日共産党の対立以前には、日本共産党はむしろそのような政治的な見解の徹底を日中貿易関係者に要求する立場にいたようでもある。

「。。。政治的には、日本国際貿易促進協会が、リベラルな国際政治観を背景とした親中国観を有していたのに対して、日中貿易促進会は政治的に日本共産党と近い立場にあった。
 こうした窓口組織の相違は、それらの会員企業との関係の在り方に影響を及ぼした。たとえば、日中貿易促進会が会員企業に対して政治闘争を要求したのに対して、日本国際貿易促進協会は、(文化大革命の影響を受けるまでは)反政府的運動からは距離を保とうとした。友好貿易再編時に日中貿易促進会から追放された岡本三郎によると、日中貿易促進会が会員企業を中国側に推薦する際には、政治三原則、貿易三原則、政経不可分の原則という三つの原則を遵守することに加えて、どの程度反安保闘争に参加し、日中関係打開、日中貿易再開、政府間協定の推進に努めたかを推薦基準として考慮したという」渋谷「日本外交と中国」133-134ページ

中国が日本の貿易関係企業に政治的な要求をした事をもって、日本に対する干渉と呼ぶとしたら、それは誤りである。アメリカと日本の関係、中国と日本の関係、さらに清算されずに長期間、うやむやにされていた侵略行為の問題などの歴史的状況から遊離して、そのような現象を個別的にとらえることはできない。

[478] (元正統)日中の新しいHP 投稿者:大阪の人 投稿日:02/04/02(Tue) 03:55
#454番の猛獣氏の書き込みで見つけました。

|中国が日本の貿易関係企業に政治的な要求をした事をもって、日本に
|対する干渉と呼ぶとしたら、それは誤りである。アメリカと日本の関
|係、中国と日本の関係、さらに清算されずに長期間、うやむやにされ
|ていた侵略行為の問題などの歴史的状況から遊離して、そのような現
|象を個別的にとらえることはできない。

政治的な要求をせざるを得なかった状況はある程度ありました。
しかし、相手は貿易業者、つまりブルジョアであります。この人士に
自国の党内の権力闘争の件を片方に肩持ちさせたり、日本共産党打倒
などという課題を課したり、およそ中国共産党の出先機関として暴力
をふるえと命じる(あるいはお先棒かつがせる)のは内政干渉なので
あります。【せめて文革以前のように、国交正常化、安保反対、台湾
への独自関係規制程度にとどめるべき】でありました。いやしくも
「ガラス一枚原料炭一万トン」などと揶揄される政策を公然と取った
のは以後、数十年を経ても、中国とはおかしな国だ、何をし始めるか
わからない国だ、と笑われる、その根拠を作ってしまったわけです。

また、貿易関係の窓口団体が複数ある、ということから、その片方に
もう片方を排除せよ、以後はこちらだけが唯一の友好関係だとお墨
つきを与えてコントロールするなどというのは、読むに堪えない。
今中国本国では「当時は文革用語を使いすぎた」とか言って、これを
臭いものにフタで隠ぺいせざるをえないものになっているそうです。

後、日本人として、この革命きちがいに踊った日本の”友好商社”を
許せないのは中国の核兵器を美化し、核実験を褒め称えているところ
であります。文革以前は、「やむなし」のような論調で、核兵器廃絶
のための国際条約の即時締結という主張を中国は掲げているから、今
の核兵器保有を殊更にいいたてて、敵視はしないで反核運動の仲間と
する、というような苦しいニュアンスですが「美化しない擁護発言」
にとどめていた日中友好協会であったのですが(友好協会以外の貿易
団体などは核問題など一切触れてない)文革で分裂して以後は核実験
成功を祝ったり、核兵器生産を中国の発展の尺度として褒め上げたり。
しかも(正統)日中がそれを声明で発するだけでなく、貿易関係の
団体までもが競っていいだすのであります。対中土下座外交、土下座
貿易の歴史とされるゆえんです。

それから「アメリカと日本の関係」をいうなら、とう小平時代には
「安保条約はビンの蓋」だとして、これを褒め上げ、日本はもっと
軍備を増やして、自衛隊を強くするべきだ等と国交正常化以後には
日本の再軍備を煽る発言をしてきた中国党政府をどうするのか。
そのために日本社会党には70年代にプレッシャーをかけ、1980年の
社公合意、社会党が”ルビコン川を渡った”とされた安保容認自衛隊
容認の右転換をしかけたのも中国の干渉でありました。

これらは、なんぼ歴史状況を踏まえようとも、現象を個別的にとらえ
ることはできないし、日本の自主的で平和な発展という観点からは
その責任を中国から免ずる事はできない問題です。中国との友好
というスローガンの下で自民党公明党社会党などの今のオール与党
体制が確立していったのでありました。昨日の横浜市長選挙の構図
も、一部民主党派の無所属候補が勝ちましたが、これは自民公明
社民(社会党の後継政党)自由などのオール与党前市長の後継者が
住民に飽きられてしまった結果であります。大型公共事業ばかり
する日本で今嫌われているオール与党体制とは、その接着剤として
中国党政府の70年代80年代の関与を抜きには語れない日本の反動の
強固な枠組みであります。中国の対日内政干渉はこのような結果を
まねいたものでありました。

蛇足:(元正統)[社団]日中の新しいHPができたようです。
歴史の記述で、1965年から1971年ぐらいまで、空白になっている(笑)。
||1960〜1969
||'60/5月 中国「貿易三原則」を提示・友好貿易はじまる
||'61/11月 「L・T」貿易発足
||'63/11月 中日友好協会設立
||'64/ 9月 日中双方の記者交換実施
||'65/ 8月 日中青年大交流
||
||1970〜1979
||'71/ 3月 第31回世界卓球選手権大会中国チーム参加・ピンポン外交
||'71/ 10月 国連における中華人民共和国の合法的地位を回復
||'72/ 9月 日中共同声明調印・日中国交正常化実現 (29日)
||'73/ 6月 神戸・天津友好都市締結第1号
||'78/ 8月 日中平和友好条約締結
||'79/ 5月 「中日友好の船」 600人来日
こんな具合であります。(http://www.j-cfa.com/m-intro.html部分)

小泉首相に新年の挨拶を賜り、外務省にリンクを貼るような団体に
なってしまったからには、猛獣氏の熱い青春の日々に”67年春の友”
だと共に闘った日本の最大の友人である(正統)日中のなれのはて
はこのような状態であります。誰が人民の海に溺れてしまったのか?

あと記者交換実施はあるが、記者退去命令の件はでてこないし、1回目
の青年大交流はあれど、民青同盟は自己都合ででなかったが友好協会
として参加を(分裂前に)決めていた第2回大交流さえ落ちていますな。
皆、都合が悪いのでしょうな。

[479] Re: (元正統)日中の新しいHP 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/04/03(Wed) 01:25
> 政治的な要求をせざるを得なかった状況はある程度ありました。
> しかし、相手は貿易業者、つまりブルジョアであります。この人士に
> 自国の党内の権力闘争の件を片方に肩持ちさせたり、日本共産党打倒
> などという課題を課したり、およそ中国共産党の出先機関として暴力
> をふるえと命じる(あるいはお先棒かつがせる)のは内政干渉なので
> あります。

「日本共産党打倒」などというスローガンは聞いたことないね。貿易から
排除しただけでしょ。これは、打倒などというものではない。

> 【せめて文革以前のように、国交正常化、安保反対、台湾
> への独自関係規制程度にとどめるべき】でありました。

文革前の中国共産党も、いろいろ誤りは犯しているはずです。中国は一貫して中国であり、
数十年の間にカメレオンのように、よくなったり、悪くなったりするものではありません。
数十年の間に何が変わったのか。変わったのは日本共産党との関係です。
友好的な文革前、敵対関係にあった文革時、そして関係修復した1997年以降。
つまり、大阪さんは日本共産党との関係がいいか悪いかにより、中国の評価を決めている
わけだ。

> いやしくも
> 「ガラス一枚原料炭一万トン」などと揶揄される政策を公然と取った
> のは以後、数十年を経ても、中国とはおかしな国だ、何をし始めるか
> わからない国だ、と笑われる、その根拠を作ってしまったわけです。

中国がおかしな何を始めるかわからない国だとは、思わないですよ。私は、中国通なのかな。
中国に疎い人には、中国はそのように見えるのかもしれない。

ところで、アメリカはおかしな、何を始めるかわからない国ですね。

日本も、そんなところないでしょうか。

>
> また、貿易関係の窓口団体が複数ある、ということから、その片方に
> もう片方を排除せよ、以後はこちらだけが唯一の友好関係だとお墨
> つきを与えてコントロールするなどというのは、読むに堪えない。

日本共産党が排除されたのは耐えられないと言い換えてください。

> 後、日本人として、この革命きちがいに踊った日本の”友好商社”を
> 許せないのは中国の核兵器を美化し、核実験を褒め称えているところ
> であります。

私は、中国の核実験を支持します。また日本は、アメリカの核の傘の中にいます。
日本人として許せないなどという言い方は、奇妙な印象を受けるものです。

> それから「アメリカと日本の関係」をいうなら、とう小平時代には
> 「安保条約はビンの蓋」だとして、これを褒め上げ、日本はもっと
> 軍備を増やして、自衛隊を強くするべきだ等と国交正常化以後には
> 日本の再軍備を煽る発言をしてきた中国党政府をどうするのか。

どうもしない。第一、再軍備をあおったとも思えないが。そのようなことを
中国がするはずはないんじゃないか。

> そのために日本社会党には70年代にプレッシャーをかけ、1980年の
> 社公合意、社会党が”ルビコン川を渡った”とされた安保容認自衛隊
> 容認の右転換をしかけたのも中国の干渉でありました。

中国がどのような政策を採用しようと、大阪さんにとやかく言われるものではない。
なぜ、社会党の政策転換の責任を中国の「干渉」に帰結させたがるのか、被害妄想?

風が吹けば桶屋が儲かる式の推論で、中国の「干渉」からいろいろ引き出しているようですね。

> 蛇足:(元正統)[社団]日中の新しいHPができたようです。
> 歴史の記述で、1965年から1971年ぐらいまで、空白になっている(笑)。
> ||1960〜1969
> ||'60/5月 中国「貿易三原則」を提示・友好貿易はじまる
> ||'61/11月 「L・T」貿易発足
> ||'63/11月 中日友好協会設立
> ||'64/ 9月 日中双方の記者交換実施
> ||'65/ 8月 日中青年大交流
> ||
> ||1970〜1979
> ||'71/ 3月 第31回世界卓球選手権大会中国チーム参加・ピンポン外交
> ||'71/ 10月 国連における中華人民共和国の合法的地位を回復
> ||'72/ 9月 日中共同声明調印・日中国交正常化実現 (29日)
> ||'73/ 6月 神戸・天津友好都市締結第1号
> ||'78/ 8月 日中平和友好条約締結
> ||'79/ 5月 「中日友好の船」 600人来日
> こんな具合であります。(http://www.j-cfa.com/m-intro.html部分)
>
> 小泉首相に新年の挨拶を賜り、外務省にリンクを貼るような団体に
> なってしまったからには、猛獣氏の熱い青春の日々に”67年春の友”
> だと共に闘った日本の最大の友人である(正統)日中のなれのはて
> はこのような状態であります。誰が人民の海に溺れてしまったのか?

小泉首相に新年の挨拶を賜り、外務省にリンクを貼るような団体、いいんじゃないですか。

> あと記者交換実施はあるが、記者退去命令の件はでてこないし、1回目
> の青年大交流はあれど、民青同盟は自己都合ででなかったが友好協会
> として参加を(分裂前に)決めていた第2回大交流さえ落ちていますな。
> 皆、都合が悪いのでしょうな。

他人のホームページを見て、いろいろ文句をつけるのに、この掲示板を使うのも、考え物だ。
ま、長い付き合い(?)の大阪さんだから、目をつぶりますが!!

[464] それでは第二弾 投稿者:大阪の人 投稿日:02/03/19(Tue) 20:08
|次に、大阪の人さんの読み違えか、あるいは故意に無視しているのか、
|渋谷氏の「日本外交と中国」の基調で

”故意に無視している”というのは心外な(笑)。寺尾氏の本を
故意にトリミングしていた猛獣氏が「思想家」「歴史家」だなりと
していた事に最低限の反論をした時に当方が用いた論法をオウム
のように言い返しして投げつけているわけでありますが、当方は
なにも渋谷氏を「歴史家」とか(歴史研究者というのと歴史家と
するのはだいぶニュアンスが違うのだが、おわかりになりますか)
いって褒め上げ、唯一の根拠として上げたわけではありません。
この話題の元は、猛獣氏があてずっぽうに日本共産党側が資金援助
を中国側から受けていたであろう、とした件に対して根拠を示す
ためだけに限定的に言及した証言であります。従い、この渋谷氏
の著書が全面的に覆ったとしても、「四つの敵」は覆らない(笑)
し、正しかったとしても、暴力闘争が華僑寮生とその支援のオール
スターズ側になかったということにはなりえません。おわかり?

|当時の日中関係について、次のような分析をしている。

この段はおっしゃるとおり。

|1950年代、60年代

この段もおっしゃるとおり。いい加減本文を引用した方がいいのと
違いますか、猛獣氏の紹介文をだすより。

|日中貿易について言えば(略)103ページ

この段も本にこの通り書いてある。

|したがって、中国が政治的な主張を掲げ、日本側の関係者がその主張に
|同調して、その上で貿易を行うという構図は、大阪の人さんの主張する
|ように、文化大革命の時期の特殊な現象ではなく、日中国交回復以前の
|日中貿易を一貫して規定していた構図である。中日共産党の対立以前に
|は、日本共産党はむしろそのような政治的な見解の徹底を日中貿易関係
|者に要求する立場にいたようでもある。

ここは半分そのとおり。そして本の添谷氏は猛獣氏の書いたとおりの
主張を述べています。

|「。。。政治的には(略)133-134ページ

そうそう、添谷氏の本にはそう書いてあります。

|中国が日本の貿易関係企業に政治的な要求をした事をもって、日本に対
|する干渉と呼ぶとしたら、それは誤りである。アメリカと日本の関係、
|中国と日本の関係、さらに清算されずに長期間、うやむやにされていた
|侵略行為の問題などの歴史的状況から遊離して、そのような現象を個別
|的にとらえることはできない。

あのね。添谷氏はこの本で、そうした新中国成立以後の日中関係日中貿易
全体を内政干渉の道具として中国政府に牛耳られたものであったとしてい
るということをおわかりにならないか。つまり当然66年以前も干渉の道具
以後も干渉の道具として、とりわけ覚書貿易や友好貿易の終焉までの期間
の全体を不正常な状態だとしている、そしてその中で日本共産党も中国党
政府のいいなりの干渉の道具であると添谷氏は言っているわけです。ある
意味で対中自主性を持ちえなかった日本共産党は、そう指摘されても仕方
ない弱点を持っていたとするべきでありますが、これは日本共産党がこの
弱点を克服した故に、それ以前どおりの対中土下座の外交と貿易を強要す
る中国側が攻撃をしかけてきた、ということであります。また、同書

P141
||文化大革命の急進的雰囲気を考えれば、こうした中国への迎合的姿勢
||を示さなければ日中貿易の担い手として留まることは不可能であった。

とあります。これは対中土下座貿易を果たした反共独占資本を、主に
対アメリカの関係で免罪し弁解してやっているわけであります。また

P143
||こうした友好貿易の再編は、中国における文化大革命の発動と重なり、
||中国の友好商社認定の基準も急進化した。

とありますよ。実際それまでは国交回復の要求というのは貿易業界の
ためにはあたりまえでありますし、安保反対というのも武装デモする
暴力学生はともかく、安保条約がない方が貿易は平和にゆくのだという
ブルジョア民主主義的にも筋の通った要求であります。しかし文革時
の急進化した要求というのは、日本共産党を敵とし、またソ連を敵と
して非妥協的に闘え、とするものであり、いくつか御紹介申し上げて
おりますが、中国共産党内部の権力闘争であった劉少奇氏を打倒する
だとかその黒い一味を一掃するだとかいう内部問題まで同調したり迎合
したりせねばならなくなっていっているのであります。こんな事は
日本の貿易業界のブルジョアには、どのように理屈をつけても道理は
ないし、利益につながらないし、そもそも共産主義者じゃないから企業
経営者なのでありまして、それが共産主義者内部の修正主義をたたき出せ
などと言う(実際は言わせる)のは恐るべき無原則、恐怖政治の踏み絵
と表現するべきでありまして。ナンボ弱点あった日本共産党であっても
そこまでのブルジョアとしての業者に立場を踏み越えた革命的言辞を
強要したりは一貫して、していませんでした。そこが「急進化した」と
いう添谷氏の記述のニュアンスであります。

P133では
||こうした窓口組織の性格の相違は、それらの会員企業との関係の在り方
||に影響を及ぼした、たとえば日中貿易促進会では、会員企業に対して政
||治闘争を要求したのに対して、日本国際貿易促進協会は(文化大革命の
||影響を受けるまでは)反政府運動からは距離を保とうとした。

とあります。最後のカッコでくるんだ強調は、意味深長であります。
無理やり急転換させたのであります。また日本共産党攻撃をするのは
シェア争いとして自社の獲得競争に有利であれば同調する、という
自民党流の保守的業者が、日米安保条約廃棄のような課題はタナ上げに
して「4つの敵」のそのまた実質的には最後の”下僕”日本共産党
攻撃をお墨付きを得たわけで、これはハデに運動がしやすいわけで
ありまして、「上に政策、下に対策」で妙な利害の一致が無原則中国
日和見主義者と日本独占資本との間にできあがったのでありました。

これが70年代、80年代の蜜月につながる伏線であります。日本が
国交正常化する際に侵略戦争の反省の言辞をなにも書き込まないでも
それを中国党政府は受け入れ、かわりに「反覇権条項」なんて無意味な
項目には無理にも拘ったりした中国党政府でありました。中曽根康弘
氏や岸昌氏らとの不気味なつながりが見え隠れし、「安保条約はビン
のフタ」「もっと日本も軍拡をせよ」とのコメントが中国側から漏れ
伝わってくるようになるのでありました。

ようく読んでくださいね。安保反対→「4つの敵」→日本米国と国交
→安保はビンのフタ→日本は軍拡しろ
「4つの敵」というのは後楽事件なんてチャチな陰謀のためではなくて
中国お得意の指桑罵槐のレトリックでありまして、安保賛成、日米との
国交樹立と対ソ包囲網ということで軍事同盟にまつろってゆくさまの
ターニングポイントであったという見方であります。そもそも中国党
政府は自国民が何百万人死のうと、”また生まれる”から怖くない、等
という恐るべき党でありました。

「極左日和見主義者の中傷と挑発」や「今日の毛沢東路線と国際共産主義運動」
を再度まともにお読みください。

[458] とりあえず第一弾 投稿者:大阪の人 投稿日:02/03/17(Sun) 23:07
猛獣さん、こんにちわ

|しかし、確かに渋谷氏の表現は間違いとはいえないかもしれないが、この文書は私が
|求めていた四つの敵と善隣学生会館事件との前後関係を立証するものではなかった。

渋谷氏は研究者でありまして、しかも公安情報に基づいて研究している
人でありまして、彼は猛獣氏のような立場の人に猛獣氏が満足するよう
な”答え”を用意するべき立場ではないのは当然であります。

|しかし、両文書は、善隣学生会館事件の前後で、論調が異なっている。2月27日
|の文書では、日本共産党を名指しせず、米帝、日本反動派、ソ修に対する段落とは
|別に、ひとにぎりの修正主義者を述べているのだが、3月17日の声明では、善隣
|学生会館事件を具体的に指摘して、日本共産党を名指しで非難している。日本共産
|党を他の三つの敵と同列に取り扱うにいたるのは、この後の声明等からであり、
|やはり、四つの敵という定義を確定させた原因が善隣学生会館事件であったという
|私の最初の着想が正しいようである。

ものはいいよう。今回は少しまともに議論をふっかけてこられたので、ここは少し
真面目にお答えせねばなりません。

|これは、中日共産党の対立がそれ以前になかったということでは、勿論ない。すで
|に、1966年10月に日中友好協会が分裂しており、中日共産党の対立が始まっ
|ていたことは、誰でも知っていた。そのような状況のなかで、善隣学生会館に居住
|する寮生が日本共産党側の日中友好協会に対して批判的な考え方をしているのは当
|然である。むしろ、そのような視点を持たないほうが不思議であるといってもよい。
|しかし、そのことが直ちに襲撃とか武力衝突に結びつくわけではない。暴力の予告
|というのならば、2月21日付け赤旗紙の「正当防衛論」のほうが明白な証拠とい
|える。

「対立」とは何でしょうか。猛獣氏は2002年になってさえ#423で述べています。
|||北京機関と、50年問題との関係がよく分かりません。
|||六全協とは、何年のことでしょうか。綱領確定の1961年よりも
|||大分前だと思いますが。
|||また、この論文に対して、宮本顕治氏は
|||どのような立場だったのでしょうか。
ようは、この「対立」に根拠薄弱に参加した猛獣氏はこの内容も御存知ない。
言われるままに中国党政府の受け売りで参加している事がかいま見れます。
そして「対立」は党と党の関係であることを猛獣氏も今みとめた。この「党」
が片方は政権党でありまして、この政権党が政府機関(廖承志事務所は事実上
政府機関の役割であり孫平化氏らは党中央のさしがねで直接指導を受けていた)
をも利用して、在外中国国民を扇動し、暴力主義的対決もさせたのでありました。
北京ではたしかイギリス大使館に紅衛兵が侵入して騒いだりしているはずです。
外国大使館が中国国内にあると、ここに侵入してあばれるということと、東京
在住の”愛国華僑”が東京であばれるのとは、何も変わるところがない。この
調子ではインドネシア(1965.9.15)もビルマもネパールも(#371で記事紹介)
みなこの愛国華僑があばれて引き起こしたといわれても仕方ありませんな。
1953年に廖承志氏が提出した意見にあるごとく、「祖国の旗は心に掲げておけば
よい」というような柔軟で華僑の生活と安全に配慮した中国政府党の態度は消え
てしまっているということも強調しておくことが必要であります。

「中日共産党の対立」とは、まさに毛沢東主義の持ち込み、毛沢東氏を中国の主席
とするだけでなく”天才”だと、”毛主席は現代のレーニン””(日共は)議会
狂、選挙きちがい”だと(1967/11/16人民日報)、”現在中国でおこなわれて
いる文化大革命は、社会主義建設途上における全く新しい境地をきりひらいて
いる努力といえる。それは人間に「物質的刺激」を与えてはげみをもたせ、物欲
で釣りながら動かすのではなく【<引用者注>任氏を始めとした友好商社は?】、
人の心を変え魂をきよめ、真底からふるいたたせ未来にむかって驀進させている
のである。この地上に、いままで見ることのできなかった全く新しい人間をつく
り出そうとしているのである。それは史上空前の快挙であり、前人未踏の大実験
である”と(『林彪の作戦』寺尾1966年)。『今日の毛沢東路線と日本共産党』
(日本共産党中央委員会出版局1968/5/5初版)に述べられている「資料 毛沢東
一派のわが党と日本の民主運動にたいする干渉と攻撃の事実」(「赤旗」1967/
8/23日付初出)で述べられている「第一の時期(1966年4〜6月)」の10件
の事例、「第二の時期(1966年7〜8月)」「第三の時期(1966年9〜12月)」
これらはどのように説明されるおつもりか。そもそも猛獣氏はこれらに全部責任
もって答える事ができるのか。解釈だけを自分につごうよくして口をぬぐって
詭弁を弄するだけではだめです。

上に掲げた「資料」で、P524にある「(4)労音代表にたいして」を例として
(1966/5/3)取り上げましょう。趙安博氏が述べています「みなさんについて
すこし心配なことがある。中国を訪問した人は帰国後、”親中派”として批判
をうける事でしょう。しかし”親中派”とは良いことか悪いことか、中国はマ
ルクス・レーニン主義を代表している。”親中派”がどこが悪いでしょう」
「事大主義というものがあります。アメリカ、イギリス、日本、ドイツ、ソ連
も大きい。以前であればそういうことができます。ソ連のマルクスレーニン主
義は現代修正主義に変化した。世界の情勢はどうあろうと、中国はどういって
いるか、日本人民はどういっているかみましょう。それは、アジア、アフリカ、
ラテンアメリカが一致団結してアメリカと現代修正主義と反動派にたいしてと
もにたたかうことです。これ以上の事大主義はありません」と発言しています。

文革と時を同じくして世の中を知り染めたという猛獣氏には何の事かもわから
ないでありましょうが、文革時期より前には、中国側はこのような発言は厳に
つつしんでいました。趙安博氏ごときがしゃしゃりでて、このように大手をふ
って「事大主義」を勧めているのであります。猛獣氏よ、このような発言に対
して責任もって弁明できるのか。解釈ばかり自説を珍妙にならべるだけなら
御自由に。しかしこうした発言、こうした行動はまったく中国のこれまでとら
なかったものであります。この「資料」の趙安博氏の発言をみなウェブに掲載
してみたら面白い。これが1964年の党大会に送られた人民日報の報道(#388)
や毛沢東氏の大会祝辞と比べてみて頂きたい。

日本共産党側の「対立」はというと、自分の党の事務所の壁にあった毛沢東氏
の個人崇拝を後押しするかのような肖像画を外したり、(別に焼き捨ててセレ
モニーをしたわけではなくて外しただけです)”硝煙の臭いのする交流でなけ
ればならない”と息巻いて紅衛兵たちがカンカンになってやっている2回目の
青年交流というイベントに「自己都合による不参加」と民青同盟が発表したと
いうことだけであります。映画の話はしましたね。中国で中国共産党が禁止し
たりすれば、軍も警察も皆動員して、戦車で押しつぶしてでも抑圧できるわけ
ですが、日本共産党が党内で禁止したとしてもそれは党内の事であります。
どれもこれも「文化大革命」と毛沢東個人崇拝の持ち込み、暴力闘争唯一論の
持ち込みへの受動的な対処というべきでありまして、そもそも事情は猛獣氏も
自分で見ていたわけではなくて、後楽の事件後に3月になってから猛獣氏さえ
「知った」事でありまして、「知った」のも知人の「話」と内輪のミニコミの
「報道」程度であります。これをどのように事実とするのか。寮生たちも北京
放送や北京周報などを鵜呑みにして、愛国精神にカッカときているだけでは
ないのか。こうした報道や孫平化氏らの画策、猛獣氏も認めた、中国公民の
寮生だからその中に中国共産党の工作員が当然いるだろうという言明(#101)。
これが笛吹いてたぶらかして、寮生たちをやらせて、激励し、褒めあげている
のであります。

今読み返して猛獣氏の(#101)で驚いた事がありました。

|||理不尽な話に抵抗する権利はあるという話です。日本に生活の基盤を
|||置く外国人は、日本での国政に大きく自分の生活を左右されるのだか
|||ら、それに対して切実な主張を持ち、従えない場合には、それなりの
|||運動もするということです。そのような権利を、国籍ゆえに否定する
|||としたら、日本における人権という概念は、どのようなものなので
|||しょうか。人権は国権の下にあるのかな。

寮生たちは、いつから人権を掲げたというのでありましょうか。66年秋
に「でていけ」が始まった時から、70年に民事和解によって退去する
まで、一貫して「反中国」「修正主義」「敵」「ニセ日中」ということ
でありまして、たとえば「3,4階にいる僕たちの生活を脅かさないで
ください」というような具体的かつ切実な要求は一つもありませんでした。
そして中日両共産党の対立につられて、(経過から見ると利用さえして)
党員でもない寮生華僑がカンカンにのぼせて暴れていくわけであります。

ついでに申せば、以後の人民日報や北京放送も、数ヶ月はこの寮生の件を
しきりに(当時選挙を闘っていたわけで、日本共産党にダメージを与える
作戦でしかない)取り上げたものの選挙が終わった頃にはそれはどこかに
消えてしまって、やはり修正主義がどうの、選挙きちがいがどうのという
話ばかりであります。せめて70年に退去するまで、一貫して第一に掲げて
「日本共産党の暴力」とするべきでありました。そんな言い方はしてない
のであります。

あと、今「日本と中国」縮刷版を再び読み返しているのでありますが70年
になり「一部の日本人学生」が「一部の華僑学生」とともに、善隣学生会館
の3階で暴力的なデモ行進をしたり、「挑発」したり「襲撃、不法占拠」し
ているのが報じられています(1970/8/3.10合併号 復刊第177号 2頁)。
友好協会や日本共産党は一度も34階に上がってトラブルを起こした事は
ない。すべて1階2階の彼らの借りている部屋の前やそこからトイレにいく
まで、正面出入り口にいくまでで発生しています。34階で発生したこの
「事件」はどうしたことでありましょうか。どうやら「4つの敵」以外にも
もっと「理不尽な話」があり、これに「断固抵抗自衛反撃する」必要がでて
きたようでありますな。

この「呉曙東氏 華僑問題で談話発表 内部問題不干渉を要望」(1970/5/10)
だとか同日同頁の「風」(コラム)「同じ手口の犯罪」だとか「愛国華僑の
正義の行動を支持する 不当介入の日本人学生が挑発 善隣学生会館7.22事件
おこる 愛国華僑怒りにもえ自衛の反撃」「東京華僑総会の声明(7/22)」
「善隣学生会館理事の自称”友好人士”を糾弾する 許しがたいH氏らの非
友好言動」などもできれば猛獣氏の手でウェブ化してもらいたいものであり
ます。

なんと、任氏と同じ本で登場する簡蘇梅氏なる人物は中国党政府関係者から
名指しで人格攻撃され、批判されていますが、この人士は何をしたのであり
ましょうか。簡氏が『横浜中華街的華僑伝』村上令一著 P88〜89で述べて
いる「反革命分子だといってガラスを割られたり。あの頃の人はみんな知って
いるよ」というのはどのような”ガラス割り”であったのでありましょうか。
普通の民間人の華僑の簡氏が家や店のガラスを割られる、ということはいか
にも「理不尽」な事であります。人権をかけて是非とも取り上げなければ
ならないのかも知れませんが、猛獣氏よ、この件で何か御存じの事はないか。
責任もって、この件を解明できる立場に猛獣氏はいるのか。

[459] Re: とりあえず第一弾 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/03/18(Mon) 00:39
大阪さん、こんばんわ

まともに返事をするならもっとかみ合った話をしてくれませんか。
大阪さんのワンパターンの「反論」には、コスモポリタンさんのいう
ように相手をする気にはなれません。


業務連絡のような話だけしておきます。

刑事告訴の裁判記録のことですが、裁判所でも検察庁でも記録は
見つかりませんでした。記録の保存期間を大幅に越えているという
ことです。

実際に告訴された人にインタビューして、いきさつを聞いてみたい
と思いますが、私の予想では多分起訴されていないのではないかと
思います。起訴されなければ、裁判所にはますます記録は残って
いないのでは。

簡蘇梅さんとは、大変、懐かしいお名前が出てきました。大変、
面倒見のいい方で、横浜の中華街で「金陵」という店を経営して
いましたが、みな只で食べさせてもらいにいっていました。ち
なみに、華青闘では、簡蘇梅さんを支持していたような記憶が
ありますが、どうでしょうか。日中関係の日本人にもよく面倒
を見ていたのではないでしょうか。

最近の消息は知りません。私は、変なところで「潔癖」だったの
で、ただ食いはしませんでしたが。

最近読んだ本ですが、家永三郎著「戦争責任」岩波現代文庫。
お勧めです。

ではまた。

[462] 【枝】簡蘇梅氏と呉曙東氏 投稿者:大阪の人 投稿日:02/03/19(Tue) 17:36
#459で猛獣氏は述べています。

|簡蘇梅さんとは、大変、懐かしいお名前が出てきました。

ご昵懇のようですな。

|大変、
|面倒見のいい方で、横浜の中華街で「金陵」という店を経営して
|いましたが、みな只で食べさせてもらいにいっていました。
|最近の消息は知りません。私は、変なところで「潔癖」だったの
|で、ただ食いはしませんでしたが。

他の仲間はタダ喰いしていたが猛獣氏はそれはせずにお金は置い
て帰ったけれど、食事も気軽に共にし、好感もっている仲間だと。

|ちなみに、華青闘では、簡蘇梅さんを支持していたような記憶が
|ありますが、どうでしょうか。日中関係の日本人にもよく面倒
|を見ていたのではないでしょうか。

つまり簡蘇梅氏というのは華青闘派だと。そして猛獣氏もこの
華青闘派に(「潔癖」に自腹で食事はしていたが)与していたと。

【簡蘇梅氏=華青闘=一部日本人学生-猛獣文士氏】の線と
#458で「日本と中国」紙より引用しました所によると
【呉曙東氏=東京華僑総会(指導部)=
 (正統)日中黒田会長派=(正統)日中宮崎理事長派】
(この当時(正統)日中は分裂していたのだが、東京華僑総会
に何か申し入れされて、それは両派そろってそのまま全文掲載
しています)の線との、なにかかなり非和解的な対立が発生している
という状況を当方はみてとったのでありますが。

華青闘派はこの華僑総会から”敵”扱いされ、呉曙東氏なる本土の
華僑担当の中国党政府の責任者は簡蘇梅氏を”悪人”と呼んでいる
という構図でありますな。呉曙東氏というのはあまり知らないので
すが、当方の推測どおり、本国政府党の人士と見てよいのか。

それから華青闘派は日本の学生ともども後楽寮のある3階でデモを
しかけたりして平穏な他の学生の寮生活を脅かしているわけですな。
1階に事務所があるだけの友好協会よりも、それは寮生活には脅威
でありましょうなあ。暴徒というか、平穏を乱す妖怪変化というか。
それとも既に平穏な学生生活なんて消し飛んでいて、どの派も寮生
たちというのは皆それぞれに革命党派とか軍事組織に属していた
ということで、デモぐらいしても破壊されるような勉学生活なんて
既に消滅していたから造反有理、革命無罪だということでありましょうか。

この日本人学生なる人士は、あとに出てくる「八派」でしょうか。
だとしたら、かなり頑強な相手だと思うけれど、これを自衛反撃して
たたき出すというのでありますれば、この自衛する側もまた、かなり
手慣れた実力行使のプロということになりましょうか。徒手空拳で
「でていけ!」と歌をうたい、毛沢東語録を唱和したら、敵たる
「日本人学生」と華青闘派は、声にひるんでたたきだされたと?

東京華僑総会指導部はこれを自衛反撃してたたき出し、その敵の
仲間である悪人簡蘇梅氏だと名指ししているわけですな。そして
簡蘇梅氏の家だかお店だかにガラス割りに襲撃したりしていると。
いくら「悪人」だとしても、そのお店だか家だかはそもそも平和に
暮らす権利があるはずであります。ここにガラス割りしにくる
という暴徒はやはり厳重に民主社会の敵としなければなりません。
これが東京華僑総会の主流派なり宮崎日中なり黒田日中なり、それ
とも国貿促の友好商社社員がしでかしたガラス割りでありましょうか。
いずれにせよけしからん人士でありますなあ。

いったい、この両者の間には暴力的な闘争があったのか、一切なかった
のか。平和的に暮らしていた学生、寮生というのはこうしてどのように
暮らしていたのか、その暮らしぶりをかいま見るわけであります。
大変興味があります。是非もっと詳しく教えてください。

[466] Re: 【枝】簡蘇梅氏と呉曙東氏 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/03/19(Tue) 21:17
> 他の仲間はタダ喰いしていたが猛獣氏はそれはせずにお金は置い
> て帰ったけれど、食事も気軽に共にし、好感もっている仲間だと。

あの店に食事に行ったのは一回だけだから気楽な仲間ともいえないでしょうね。
なお、私が、ただ食いを気にしていたのは、簡さんのお店が、気前よくご馳走
しすぎて左前になっているという話を聞いていたからです。間接的に。

別の話ですが、在日朝鮮人の店にいって、焼肉を無制限にただ食いさせても
らったことはあります。

> つまり簡蘇梅氏というのは華青闘派だと。そして猛獣氏もこの
> 華青闘派に(「潔癖」に自腹で食事はしていたが)与していたと。

華青闘派などという派閥はありませんな。今はどうか知らないが、当時、横浜
中華街というのは、在日中国人が集中して居住していて、相互互助など人間関係
が濃い場所だったと思う。そこが東京の華僑と横浜の華僑の差。そこで、たま
に他の人と意見が違う人がその意見につよくこだわったりすると、仲間はずれ
になったりすることがあったのではないか。これは、私の印象。
簡蘇梅さんは仲間はずれになっていたようですが、その主張が正論だったので、
東京の華僑で、支持する人もいた。華青闘にたむろしていた青年華僑にも、
支持する人が多かった。
私が知っているのは、この程度。

> この日本人学生なる人士は、あとに出てくる「八派」でしょうか。

日本人学生は、ノンセクトでしょう。

> だとしたら、かなり頑強な相手だと思うけれど、これを自衛反撃して
> たたき出すというのでありますれば、この自衛する側もまた、かなり
> 手慣れた実力行使のプロということになりましょうか。徒手空拳で
> 「でていけ!」と歌をうたい、毛沢東語録を唱和したら、敵たる
> 「日本人学生」と華青闘派は、声にひるんでたたきだされたと?

華青闘(これはあいまいな集団名だが)は、後期、アナ−キーになって、
滅茶苦茶をやる人も出てきたので、寮を追い出されたような事件があった
のは覚えている。それでよかったのではないか。

> 東京華僑総会指導部はこれを自衛反撃してたたき出し、その敵の
> 仲間である悪人簡蘇梅氏だと名指ししているわけですな。そして
> 簡蘇梅氏の家だかお店だかにガラス割りに襲撃したりしていると。
> いくら「悪人」だとしても、そのお店だか家だかはそもそも平和に

簡蘇梅さんは、滅茶苦茶やったわけではないので、注意。これは、
同時進行していた別個の事件で、簡さんと華青闘の華僑とが仲がよかった
ことがあったという話。

日本人青年とも仲がよかったとも言えるかもしれない。勿論、民青
などは除きます。

> 暮らす権利があるはずであります。ここにガラス割りしにくる
> という暴徒はやはり厳重に民主社会の敵としなければなりません。
> これが東京華僑総会の主流派なり宮崎日中なり黒田日中なり、それ
> とも国貿促の友好商社社員がしでかしたガラス割りでありましょうか。
> いずれにせよけしからん人士でありますなあ。

誰でしょうか。たしかにけしからんですな。民青ではないでしょう。

> いったい、この両者の間には暴力的な闘争があったのか、一切なかった
> のか。平和的に暮らしていた学生、寮生というのはこうしてどのように
> 暮らしていたのか、その暮らしぶりをかいま見るわけであります。

両者などと言うものはない。暴力的な闘争は、いくらかあったのでは。

> 大変興味があります。是非もっと詳しく教えてください。

考えておきます。

ところで、任さんの出てくる本は、菅原幸助「日本の華僑」のはずだったが、
「横浜華僑なんとか」などという本も買ったのですか。研究熱心なことですな。

[473] Re^2: 【枝】簡蘇梅氏と呉曙東氏 投稿者:大阪の人 投稿日:02/03/30(Sat) 23:49
re:466
あれからまた時間が経ちました。
猛獣氏は、もう、この67年春の事件も、68年の「1周年」の事件も
1970年までに至る後楽の善隣学生会館にまつわる一連の事件に関して
ほとんど新たな資料を持ちだしえていない状態と言える。

【上】
|勿論、民青などは除きます。
【下】
|民青ではないでしょう。

どう。この嫌らしい非友好的な書き方。当方はもはや中年でありまして
民青同盟に関して今どうこうという立場ではないのですが。この猛獣氏
はどうしてこのようにアプリオリに民青同盟の日本人青年を蛇蝎のように
毛嫌いし、排除する発言ばかり書くのでありましょうか。特に【上】の
段はその典型です。

|> 「日本人学生」と華青闘派は、声にひるんでたたきだされたと?
|華青闘(これはあいまいな集団名だが)は、後期、アナ−キーになって、

という、日本共産党や友好協会や民青同盟の側とは違う別のグループ
が日本人学生にあって、これはそもそも67年当時文革を擁護し、中国
党政府の指示を仰ぎ、毛沢東思想を信奉していると公言し、日本共産党
や友好協会の自主的な活動を中国の革命の輸出路線に基づいて妨害し
日本に暴力革命唯一論の立場から挑発活動をかけていた暴力集団の勢力
の勢力がいて、これが華僑の一部を取り込み、暴力主義をエスカレーション
していって、そもそも暴力主義に関して毛沢東思想を奉じて基本的には
肯定していた東京華僑総会(北京派)主流と対立しはじめた勢力が、彼ら
の内部に発生し、【うちわもめ】をしていた事実を突いた当方の指摘に
対して答えた際の猛獣氏の気のない答えの論調でありました。その中で

|滅茶苦茶をやる人も出てきたので、寮を追い出されたような事件があった
|のは覚えている。それでよかったのではないか。

猛獣氏が中国人寮生側の一つの代表としてこのウェブにも掲げた華青闘
なる集団こそがこの華僑内少数派であり、これとノンセクト日本人学生
との何かの共闘集団がいて、これが後楽寮の3階でデモ行進までして
”平穏な学生生活を妨害した”ということで、華僑総会(北京派内)主流派
からたたき出された件について、猛獣氏は「目茶苦茶をやる人がいて」と
認め、「寮を追い出された」「それでよかった」としぶしぶ答えている
わけであります。

こうした人士が、とにかく華僑内に居たわけです。また、それを”たたき出す”
断固たる処置というのは、よほど断固たる処置であったろうと思いますが
この暴力的な行動をするような人士も華僑内にも居たわけであります。
これを猛獣氏のお好きな用語で【ゲヴァルト部隊】と呼ぶのはそんなに
無理ない事ではないと思うが、皆さまいかがでありましょうか。そして
この”ゲヴァルト部隊”こそが、猛獣氏もよくしっている、”簡蘇梅さん
は、滅茶苦茶やったわけではないので、注意。”つまり意見が違うだけの
ごく普通の民間人華僑、簡氏のお宅かお店かにむけて「ガラス割り」行為
を働いた下手人かその仲間ではないか、という当方の考察であります。

しかし、この関係、「華青闘」側を仮に【華僑A】、東京華僑総会(北京派)
主流派を仮に【華僑B】としますと、双方無法ものであります。
Aは後楽寮で建物の中でデモまでする妨害者。Bは民間人の財産をガラス割り
しにくる邪魔者。A派もB派も暴力主義でありまして、しかも双方日本人の
暴力団体と一部結びついているわけでありまして、傑作な事はここは全く
日本共産党やら友好協会やら民青同盟などの陣営とは全く無関係な【身内】
の内ゲバであるということです。

ここを当方が指摘しているのは、【なぜアプリオリに日本共産党などを敵と
呼ぶのか?】ということであります。直接されている暴力行為について
つぶさに見ると、67年23月の事件よりも大掛かりな事件もありそうに
見えますが、ここでは「日本と中国」の紙面では「一部日本人が華僑内部に
介入」と相手を名指しもせず、日本共産党に対しては待ってましたとばかり
にレッテル張りしていた”反中国”だとか”修正主義の下僕”だとか”米帝
の手先”だとか”犬”という用語はなく、妙にお行儀がよい「人民内部の矛
盾」の扱いをしているということであります。

そうした当方の指摘に対して、まともな回答もできずに、当時のままに
民青同盟などを敵視して、【上】では「除きます」などと嫌ごとを述べて
います。このメンタルはそろそろ根本的に路線転換したほうがいいのでは
ないかな。2000年の友好協会の党間関係正常化以後初になる訪中の際には
民青同盟の代表団も、全労連(労働団体の一種)の代表団も同行していま
して、それぞれ中国政府党側の共青首脳や、官製労組首脳と交流し関係を
開始しているというのに。

【下】に関しては、それなりにこのA派もB派も民青同盟や日本共産党
には無関係で、つまりこの暴力ざたには無関係である旨を認めたコメント
であるのですが、そうした暴力ざたをしなかった、ということをもっと
積極的に評価してもよいはずであり、責められるべきはこの暴力ざたした
両派のゲヴァルト集団であるはずなのに、そこをまるで事の正否を逆さま
にしたかのような、認めたくない事を渋々認めるような書き振りで書いて
いるので、何が「民青ではないでしょう」なのかがわかりませんで【上】
の続きのごとく流して読めば読める記述であります。

|私が知っているのは、この程度。

当方は猛獣氏よりも華青闘なる団体集団の成り立ち、メンバー、趣旨には
もっと疎いわけでありまして、猛獣氏がここのウェブに殊更にこの集団の
コメントを採ってきて、収録している故に聞いているわけです。もっと
この集団の成り立ち、活動、その後どのように終焉したのか、まだ続いて
いるのかどうか、あきらかにするのは猛獣氏の責務なのではないかな。
「知っているのは、この程度」ではすまされますまい。

|華青闘(これはあいまいな集団名だが)

あいまいな集団だと。御自分が掲載された中国人寮生側の証人なのに。

|暴力的な闘争は、いくらかあったのでは。

寮生たちが笛吹きにたぶらかされて、次第に凶暴化してきて暴力的な
闘争をしたという猛獣氏の貴重な証言であります。私はこれが聞き
たかった。ついにコメントをとることができました。当方は「日本と
中国」やら「人民日報」やら「北京周報」「北京放送」などの声明や
記事を元にして、こうして1960年代後半の時期に開始された中国党
政府の対日干渉事件、その最も極端な現象であった後楽事件の真相
についてのこのウェブの趣旨に基づいた探査をしてきたわけであります。
かなり当方と猛獣氏との認識は接近してきたと言えるのではないでしょうか。
まだ猛獣氏は1967年23月頃に寮生たちが暴力主義的で暴力闘争と謀略を
主導したということに関しては一貫して「してない」という立場での
発言を続けているわけでありますが、「身に寸鉄もおびざる学生たちに
安んじて学問を」という1967年3月の「35氏声明」の内容の根本を担保
する【寮生が平和的に学問をする人士だったかどうか】に関しては
ここで、決着ついたということができますな。そして「身に寸鉄も帯びず」
に一切暴力的でなかった寮生が、一方的に日本共産党や友好協会や民青
同盟の人士に、その”ゲヴァルト部隊”に、非道な暴力を受けた事件
それは日中戦争のさ中の中国国内での日本軍の引き起こした虐殺事件や、
関東大震災時の、東京近辺での社会主義者や朝鮮人、あるいは朝鮮人と
疑われただけでも虐殺されたというポグロム状態と、まったく同等の
差別事件であり、排外主義の引き起こしたヘイトクライムであり、日本
共産党こそがこの排外主義と差別主義の震源地であり、これこそ現代
修正主義の下僕の証拠だ、なりとするこの当時の日本社会党や(正統)
日中、北京放送や北京紅衛兵などのプロパガンダがいかにデタラメで
あったかということの証拠の一端をなすものであります。

そういえば、早くから猛獣氏は、日本共産党が排外主義だという筋書
に対して、多少とも日本共産党の人士を個別に御存じのせいなのか?
#BBSの66番ですでに
|> ナチスのように民族差別排外主義の党であれば、もっといろいろ
|> 事件があったはずだろう?ということです。そういえば、この第二
|> の点であなたは事実を見るでなく、目をそむけたままでしたね。
|> どうしてこう言い逃ればかりするのか。
|>
|日本共産党はナチスのような民族排外主義の党ではない。あたりまえでしょ。
|ナチスのような党がいまごろ、あったら困るよ。

と述べています。ここも、正常な判断力があるなら当然この認識に
たつはずでありまして、これは猛獣氏が単なるデマゴーグではない
という評価すべき点で、当方は注目しておりました。それでもなお
何やら排外主義がどうのという言い立ては、延々と続いているわけ
であります。これは氏の矛盾であります。口が歪んでいるのか?

|「横浜華僑なんとか」などという本も買ったのですか。研究熱心な

図書館で見つけました。『横浜中華街的華僑伝』村上令一著。
これを見ますと任氏は大学卒業後に1962年から書店に勤務とあります。
とすると任氏は学生というのは(当時28才で年くいすぎ)なんちゃって
でありまして、経歴詐称なのかも知れません。二度入学したのか?

[477] Re^3: 【枝】簡蘇梅氏と呉曙東氏 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/04/01(Mon) 22:58
> 図書館で見つけました。『横浜中華街的華僑伝』村上令一著。
> これを見ますと任氏は大学卒業後に1962年から書店に勤務とあります。
> とすると任氏は学生というのは(当時28才で年くいすぎ)なんちゃって
> でありまして、経歴詐称なのかも知れません。二度入学したのか?

任さんが善隣学生会館での「日共暴力集団の襲撃事件」当時、学生だったといっているのかな。そのような話は、どこに記述されているのだろうか。任さんは当時「中華書店」の職員だったとされてるはずだが。

[453] 赤いブルジョア 投稿者:大阪の人 投稿日:02/03/13(Wed) 01:51
中日両国人民の友好貿易促進にかんする議定書
1967年2月27日

日本国際貿易促進協会、日本国際貿易促進協会関西本部、日本国際貿易促進協会石川県支部、日本国際貿易促進協会京都支局、日本国際貿易促進協会東海総局の代表は、中国国際貿易促進委員会の招きを受けて、全中国人民がプロレタリア文化大革命の決定的な勝利を熱烈に迎えているとき、1967年1月中華人民共和国を訪問し、中国の紅衛兵、革命造反派および革命的大衆と広く接触し、また陳毅副総理に会見した。
双方の代表は親密、友好な会談を行い、当面する国際情勢と中日関係の問題について意見の一致をみ、両国人民の友好貿易の促進について協議を行ない、満足すべき合意に達した。

1.日本側は、次のことを一致して認めた。偉大な毛沢東主席が自らおこし、指導されている中国プロレタリア文化大革命は、社会主義革命を新たな段階に推し進めた。毛沢東思想で武装されたプロレタリア革命派が連合して立ち上がり、いままさに党内の一握りの資本主義の道を歩む実権派の権力を奪取し、修正主義と資本主義復活の根を取り除き、社会主義の経済基礎にそぐわないすべての上部構造を改造している。中国各民族が毛主席の著作を活学活用し、精神の様相が全く新しく変わり、中国のプロレタリア独裁がさらに強まり、中国の社会主義建設事業をさらに推し進めた。
双方は次のことを指摘した。中国のプロレタリア大革命は各国人民の帝国主義の抑圧に反対し、民族解放をかちとり、世界平和を守るたたかいと意志と勝利への確信を大いに励まし、帝国主義、現代修正主義と各国反動派に手痛い打撃を与えた。敵は偉大な毛沢東思想と偉大な文化大革命運動に対し、恐れおののき、ありとあらゆる中傷とひぼうの限りをつくし、新たな神聖同盟を組織し、反中国大合唱を大々的に行っているが、これは彼らの弱さと反動の姿をいっそう暴露するだけである。
全世界のますます多くの人々は、日ましに認識を深めつつある。毛沢東思想は帝国主義と現代修正主義に打ち勝つ強大な武器であり、偉大な毛沢東思想の輝かしい光りは諸国人民の解放の道を照らしている。現在、全世界の被抑圧人民の帝国主義、現代修正主義に反対し、各国反動派に反対する闘争は素晴らしい情勢を作り出している。全世界規模で各種の政治勢力が大激動、大分化、大再編の局面をへている。諸国人民の力は日ましに大きくなっている。
双方は次のことをを指摘した。ベトナム人民の抗米救国の戦争は当面世界における最も偉大な民族解放闘争である。英雄的なベトナム人民は世界諸国人民の共同の敵米帝国主義を徹底的に打ち敗かし、出路をうしなわせている。ソ連現代修正主義は米帝国主義と結託し、和平交渉のペテンにやっきとなり、また米国の強盗と共謀しベトナム人民および全世界の被抑圧人民の帝国主義に反対するたたかいの烈火を消し止めようと企んでいる。ソ連現代修正主義はすでに米帝国主義の最大の共犯者となりさがっている。帝国主義に反対するには必ず現代修正主義に反対しなければならない。ベトナム人民は必ず勝利し、米帝国主義は必ず敗北する。

2.双方は、喜びをもって次のことを確認した。中日両国人民の共同の努力により、両国人民の友好往来と貿易関係は年毎に発展し大きな成果をかちとった。双方は日本の友好団体、友好商社、友好企業、および中日友好を心から望み、中日貿易の促進を願う日本各地、各界の広範な人士が中日両国人民の友好と貿易事業の発展のため大きな貢献をしたことを指摘した。双方はとりわけ1966年に北九州、名古屋で行われた中国経済貿易展覧会の参観者が370万余人にのぼり、非常に大きな成功を収めたことを指摘した。中国側は同展覧会に対する日本の友人と各界の広範な人々の支持に心からの感謝の意を表明した。
双方は今日までの中日友好と貿易の発展過程を回顧し、中日関係の政治三原則、貿易三原則と、政治・経済不可分の原則を必ず堅持し、米帝国主義、日本の反動派、ソ連現代修正主義およびそのさまざまの新旧追随者の陰謀と破壊活動に断固反対しなければならないという貴重な経験を得た。
中日友好と貿易往来がいつも一歩前進した場合は、上記の妨害勢力と不屈のたたかいを進めた結果である。双方は彼らがいかに横暴をきわめ、きかに陰謀を企みいかなる手口をもてあそぼうとも最後には必ず破滅するものであることを確信する。

3.中国の偉大な指導者毛主席は「日本で親米的な独占資本と軍国主義の軍閥を除く広はんな人民はみなわれわれの真の友人である」と述べている。毛主席のこの言葉は偉大な真理である。双方は次のことを確認した。中日友好と貿易往来の発展は両国人民の利益に合致するものであり、いかなる反動勢力もこれを破壊することは出来ない。中国のプロレタリア文化大革命の勝利、発展にともない、中国七億の人民は毛主席の「革命に力を入れ、生産を促す」という呼びかけにこたえており、いまだかつてなかったすばらしい展望が現われており、すでに工業、農業、科学技術などの各分野における新たな成果をあげ、社会主義経済はいっそう全面的に急速に発展しつつある。日本においては、広はんな人民の反米愛国闘争の高まりとともに、中日友好と貿易の発展を望む力はますます増大している。これらのことは、中日友好と貿易発展の前進がいよいよ明るく、洋々たるものであることを示している。
日本の産業・貿易界の絶対的多数を含む広はんな日本人民は日中友好貿易の促進を一致して求めている。従って日本側は書きの課題を提起した。
(1)引き続き日中関係の政治三原則、貿易三原則と政治経済不可分の原則を堅持し、日中国交の正常化を促進するために奔走する。
(2)日中友好と貿易に対する米帝国主義、日本反動派、ソ連現代修正主義の干渉、妨害、破壊などの陰謀活動に断固反対し、これとたゆみなくたたかいを進める。
(3)日中友好と貿易に対する新たなみにくい破壊者として現れた一握りの恥知らずな日本修正主義者に対し、われわれは限りない憤りに燃えている。彼らに対しては断固として闘争を行ない、日中貿易業界における彼らの悪影響を一掃しなければならない。
(4)真の日中友好は日中貿易発展の基礎である。日中友好協会(正統)本部を全力をあげて支持する。日中友好協会(正統)本部と中日友好協会が1966年10月に結んだ共同声明と1967年1月の会談紀要を全面的に支持し、日中友好をさらに拡大し深めるために努力する。
中国側は日本側の提起した上記の課題を心から支持し、日中友好をさらに拡大し深めるために努力する。

4.中国国際貿易促進委員会代表は、日本国際貿易促進協会、日本国際貿易促進協会関西本部、日本国際貿易促進協会石川県支局、日本国際貿易促進協会京都支局、日本国際貿易促進協会神戸支局、日本国際貿易促進協会東海総局が日中友好と貿易促進のため貴重な貢献をしたことを高く評価した。日本側は中国側の一貫した積極的支持と協力に対してあつく感謝の意を表した。
双方は中日友好貿易をさらに一歩促進するため密接な合作と連携を進め、下記の活動を積極的に展開する。
(1)相互に経済貿易代表団を派遣し、訪問を行ない、相互理解を深め友好を増進する。
(2)相互に相手国において総合展覧会と各種の船上展覧会を開催する。
(3)中国輸出商品交易会の発展とその成功に努力する。
(4)技術交流活動をさらに一歩促進する。
(5)決済、海運、保険、検査、仲裁などに関連ある業務について十分に合作する。
(6)日本の各地方と中国との友好貿易関係をひろめ、促進するため努力する。

付属文書(1)
1967年2月27日に調印した中日両国の友好貿易にかんする議定書に基づき、双方は1968年、1969年に相互で開催する展覧会について下記の通り取り決めた。(略)

付属文書(2)
1967年2月に調印した中日両国人民の友好貿易促進に関する議定書に基づき、双方の業務問題について下記の通り決めた。(略)

[463] それはそうと 投稿者:大阪の人 投稿日:02/03/19(Tue) 17:48
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-03-19/09_0204.html
をご覧ください。どうやら、また中国共産党中央の部局の人が訪日してきて
不破氏を訪問し、会談をしたそうですな。

ところで、(元正統)[社団]日中のホームページでありますが
何やら入れなくなっていて、今度4月から新規にURLを変えて出直し
するということだけ報じた一枚だけのウェブになっていました。
この(元正統)のBBS欄は、なにやら荒らされていましたし
長いこと「日本と中国」の記事のダイジェストも新年の賀詞で
会長の平山氏や首相の小泉氏、それから中国党政府首脳の挨拶などが
掲載されたままで3月ぐらいまでそのまま放置されていたのですが。

それから、日中愛好協会のURLも変わりました。サーバーが前より
よいところということで移ったのだそうです。
http://maoist.netfirms.com/
とのこと。

そういえば、友好協会のURLなども、教えて差し上げたというのに
その後訂正更新されていませんが、どうしたことでしょうか。
http://www.jcfa-net.gr.jp/home/
であります。この間にだいぶ補強されているようです。

[460] 68年3月刑事事件 投稿者:大阪の人 投稿日:02/03/19(Tue) 16:39
これは(正統)日中の「日本と中国」紙と、友好協会の「日中友好新聞」の
同じ事件に関する記事の比較であります。

どうやら、任氏らが刑事犯人として告訴されたのは、この事件のようで
ありますな。そして、「日本と中国」紙の方が「全部デタラメ」であると
している一般紙「読売」と「毎日」、それからNHKニュースでも取り上げ
られたようであります。67年春の頃には、新聞各社は北京に特派員をおく
ために中国政府党には土下座遠慮するという態度が非常に強く、また中国派
のテロ事件などもまだ表ざたになっていなくて、事情を知らなかった面も
あったのだと思いますが、一年経って、(特派員も国外退去などされて)
だんだんとまともな報道を(除く朝日)取り始めたという事でしょうか。

それにしても「みんなが笑った」というのは、どういう神経でありましょうか。
革命きちがいと当方が呼ぶのはこうした根拠の故でありまして、前々から
刑事事件の経過が知りたいと申して猛獣氏を督促しているのもこの事件の
真相を知りたいからであります。

猛獣氏よ、この24名の負傷者というのは、「実在した」のか
「演技、デマ、仮病」で誰も、一人も負傷しなかったというのか、
どちらだと思う?

それから67年3月以降はこの「闘争に参加した」という猛獣氏は
この68年春の「善隣闘争1周年」には参加されたのか。それとも
”軽従派”の猛獣氏はこのときばかりはたまたまお休みだったのか。
(なんだか失恋して、その方が氏には重大事件で、落ち込んで
引きこもっていたのかも知れませんな)

[461] 大型スパナ、大型ヤスリ 投稿者:大阪の人 投稿日:02/03/19(Tue) 16:40
【(正統)日中の報道】
------------------------------
1968年3月11日付「日本と中国」一面
日共宮本集団再び善隣会館で暴挙
また棍棒ヘルメット
抗議の華僑学生に襲いかかる

善隣学生会館の留日華僑学生を襲撃し棍棒をふるって華僑学生ら多数を負傷させた(重傷7人)日共宮本一派の反中国暴力集団は最初のテロ行為を行なった日から丁度1カ年の三月一日夜、善隣学生会館でふたたび素手の華僑青年たちに棍棒ヘルメットでおそいかかり、一年前の再現をはかった。

日中青年敢然と反撃

三月一日夜、善隣学生会館地下ホールで同会館後楽寮自治委員会主催の”日修宮本集団粉砕三・一抗議集会”がひらかれ、華僑学生をはじめ日中両国人民約2百五十人が参加した。(詳報次号)集会終了後午後八時二十分頃全参加者はニセ「日中」入り口前で声明文を読み上げ力づよい「ニセ『日中』でていけ!」「日共宮本集団断固粉砕!」「「日共反中国暴力集団出ていけ!」「米帝の手先宮本集団粉砕!」のシュプレヒコールを行なった。ニセ「日中」事務所にたむろする日共宮本派の反中国分子たちは午後八時三十分頃、とつぜん棍棒ヘルメット姿でおそいかかった。善隣事件を再現しようとすう狂気の行動である。しかし彼らはあわてふためき華僑学生達がこの一年での闘争の中で鍛えられ不屈不倒の精神を身につけていることに気が付かなかった。華僑学生たちは、暴力分子の凶器攻撃を一歩もひかずはねかえした。
日共宮本集団は、この敢然した反撃に色を失ない急いで室内に逃げ込むと鉄トビラを閉じた。彼らは棍棒ヘルメット姿に一年前の善隣事件を脳裏にありありとよみかえらせた参加者たちは激しい怒りをこめて「ニセ『日中』でていけ!」「われわれは最後まで闘う!」「米帝、ソ修、日本反動派の手先、日共修正主義集団粉砕!」のスローガンを叫び「決意を固め・・」「インターナショナル」を合唱した。

ふたたび地下ホールに集った華僑学生・日中正統会員は、総括討議をおこないニセ「日中」を善隣学生会館からたたき出すまで闘いぬくことを決議しあった。
午後九時半頃から、同会館周辺に日共宮本集団の手先があつまりはじめ、十一時ごろにはパトカーの官憲とともに約2百人が二箇所に集結し、その一部がニセ「日中事務所」に入りこんだ。
華僑学生たちは、日共宮本集団の再襲撃を断固粉砕する決意を固めて警備体制をひいた。このため午前二時すぎ、会館周辺の日共宮本一派の手先どもは、なすすべなくばらばらと去りはじめ、午前二時半にはふみとどまる者はいなくなってしまった。
この手口は一年前のときと同じであり、この一年間の反帝半修闘争を通じて、広はんな日本人民から孤立し、追いつめられた日共宮本集団が、ふたたび三月二日の白色テロを再現する可能性もあるため、華僑学生、日中正統会員は備えを固め、襲撃に対しては徹底的にこれを粉砕する意気込みをもやしている。

-------------------------------------
同紙、同日付コラム
110番とマスコミが頼り
再演されたニセ「日中」のボロ演技

まず110番。ご用医者を呼び、ご用弁護士がかけつけ、そして商業新聞をあつめて記者会見。最後にぐるぐる包帯をした”重傷者”をタンカでかつぎ出して、テレビのライトを受けて幕。
一年前と同じことをまたも「日共」宮本修正主義者集団は性こりもなくくりかえした。
三月二日朝、毎日新聞、読売新聞などがニセ「日中」の記者会見で書いた記事と、NHKのニュースは全部デタラメ。それもそのはず、すべてニセ「日中」側の発表をうのみにしているからだ。

ニセ「日中」が棍棒とヘルメットを持ち出したのも、ぶつかったのが「協会」事務所の中でなく廊下であったことも一年前とまったく同じ。ただ一つ違っているのは、華僑学生たちが、彼らが棍棒を後列から銭湯に順おくりしたのを見つけるが早いか、彼らにぴったり体をつけて押しまくったことだ。彼らはふり上げた棍棒が下ろせなくバンザイの形で事務所まで押し戻され、あわてて鉄のドアをぴったりとしめて、金輪際出て来れなかったことである。

彼らのご用医者が大きな包みをもってアタフタとやってきた。みんなが笑った「ありゃほうたいだろう、重傷者を作らんならんからね」そして、そのとおりになった。ブルジョア新聞やテレビで報道されたとおりに。
もし華僑学生が武装し、百五十人でニセ「日中」になだれこみ、相手の「三十人中二十三人に重軽傷」のかい滅的損害を与えていたとしたら、残る七人で百五十人が押し戻され、「事務室内」は損傷なく守られたことになる。誰が考えてもばかげたウソである。


【友好協会の報道】
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日中友好新聞3月1日付 第573号2面
華僑ら孤立に血迷い本部襲撃
緊急に本部支援を

大会が大成功のうちにおわって四日目の三月一日の夕方、華僑学生脱走分子らはぞくぞくと善隣学生会館に集結し、約2百人が会館地下の会場で集会をひらきました。ここには脱走した三好一や長谷川敏三なども参加し、ちょうど一年前の三月一日と同じような異常な状態でした。これはかれらが「善隣闘争1周年」と称して、わが協会が大会の成果を全国にひろげることを妨害するために計画したものです。

8時二十分ごろ「毛沢東語録」をふりかざし百数十名が「ニセ日中でていけ!」「殺してやるぞ」などと叫びながら協会本部に殺到しました。最初かれらは素手のように見せかけていましたが、不意に廊下の電気を消し、その瞬間に用意してきた角材、鉄棒、大型スパナ、肉包丁とぎ用のヤスリなどの凶器をふりかざし、ふたたび電気をつけると協会事務局員たちに狂気のように襲いかかりました。

この暴行によって、摺手(するで)事務局員は頭の負傷と足の骨折で重傷、染谷事務局員は角材で頭を割られて血まみれになって倒れました。他の事務局員、会員もほとんど頭を割られ専決が飛びちりました。この暴徒にたいしてき然とたたかった事務局員・会員はほとんど負傷し、重傷八名を含み二十四名が負傷しました。一人は眼底出血で失明のおそれがあります。

また、彼らは支援にかけつけた人びとにたいして会館三四階からビールびんを投げつけ、一人が頭から負傷しました。さらに、かれらは外から、歩道のコンクリート板を割って投げつけ、協会事務所の窓ガラスをこなごなに割ってしまいました。

この襲撃はきわめて計画的で、すでに二月二十七日には「反人民、反革命、反中国の日共宮本修正主義集団打倒」というビラを協会事務所の窓や付近の電柱にはりめぐらし、準備のうえでの「集会」をおこなったのです。さらに二日の夜十一時五十五分から一時間あまり、社学同ML派の学生約五十名が、そろいの赤ヘルメットと乱闘服に身をかため、角材を手にして事務所の外の道路上から協会攻撃のシュプレヒコールと投石をくり返しました。

大会方針が示しているように今度の事件はかれらが孤立するなかで、いっそう凶暴になり、計画的な襲撃をおこなったものです。全国組織が緊急に強力な本部支援体制をくむことが必要です。

[434] re:433 投稿者:大阪の人 投稿日:02/01/18(Fri) 14:36
re:433
猛獣文士氏の話には食い違いが大きいようにおもいます。

パターン1【私ごときの発言がどうして国際問題に?と逃げる】
|数十年前の歴史的な事実について、どうということもない論評を述べた
|ところ、国籍を盾にとってそのような発言をするのは「僭越だ」だと述
|べる大阪の人さん。

|私は国家や政治組織の責任者として、述べたわけではありません。

パターン2【相手を排外主義だと決めつける手法】
|> |> 「そのために排外主義的な主張」をというのはどういうことか。
|> |自分の胸に手を当てて、考えてください。
|あなたは排外主義とは無縁の民主的
|な人間ですか?胸に手を当てて、考えてください。

パターン3【妙に中国共産党の肩を持つのを当然とする態度】

|2.両党合意において、中国共産党が日本に如何なる意味においても侵略
|  しようとしたとか、侵略したとかいうような項目はありません。

パターン4【国籍は問題ではない、とする態度】
|国籍の問題を持ち出して、持ち出し方もひどく場違いに見え
|ますが、問題をはぐらかすような態度は、感心できません。

そもそも、この1967年春の事件当時、後楽の建物ではどうなっていたか?
「ここは中国の領土だ!、反中国の「ニセ日中」でていけ!」
という主張を公然と掲げ、挑発を続けていた寮生を先頭として、対中土下座
貿易を余儀なくされていた日本企業の”友好商社マン”やら、なうての暴力
反共組織社学同ML派やら、このあとすぐ身内間でも暴力ざたを引き起こし
て長く分裂さわぎを起こす(正統)日中などが加勢して、友好協会が正式に
借りていた部屋のある1階で暴力事件が発生したのです。寮生も友好協会も
同居する間借り人には違いありませんが4階の廊下ではなく1階の廊下や
外壁にでかでかと毛沢東の肖像画や友好協会を誹謗する非友好的な掲示物を
かかげ(しばしば仮処分で撤去されるが法執行に挑戦するかのごとくただち
に再掲示する事が確認されています)て対決姿勢を示していたのでありました。

どちらから先にということは重要です。まだ刑事事件の東京地裁の資料が
でてきていませんしそれを待つほかないのですが、その後暴力事件で刑事
告訴されているのは寮生の任氏らであります。民事明け渡し訴訟ではその
”和解”によって、地裁で確定しているのは、友好協会に対して”何者”
かが暴力行為を振るい、それに寮生の味方についていた中島健造氏らの
理事会が、とるべき安全策を取らなかったことに異例の”遺憾の意”を
しめし、当初は「ニセ日中」だとの趣旨で訴えていたものがすべて取り
下げて、なぜか多額の解決金を原告が被告に支払っているという事です。

「我々寮生は中国人民だ」「我々こそは日本で中国政府や中国人民のために
活動しているのだ」という当初の前提なしに「ここは中国の領土だ」等と
いう主張がでてくるはずはありません。この”闘い”参加した猛獣文士氏
が自覚として「自分は中国公民だ」との義務感で任務を執行したであろう
と見るのがどこがおかしいか。その後暴力闘争に加担した事実を法務省に
は隠ぺいし、帰化でもして日本人になりすましてでもいるのか?

”身に寸鉄もおびざる平和的に暮らす将来ある学生が暴力により脅かされ
ている、学業に専念できるように身の安全を”などと35氏声明はタワけた
でたらめをならべていますが、この学生が学業に専念していたのかどうか、
という事が問題であります。平和的に暮らしている中国人を脅かしたという
のであるなら、排外主義との誹りを受けて当然でありましょう。猛獣文士氏
自身がこれまでも”おあいこ”という発言も述べているごとくに寮生たちは
到底この平和的に暮らす学業に専念する学生ではありませんでした。

[436] Re: re:433 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/01/18(Fri) 21:43
> そもそも、この1967年春の事件当時、後楽の建物ではどうなっていたか?
> 「ここは中国の領土だ!、反中国の「ニセ日中」でていけ!」

嘘。中国の領土だなどと言ったという記録は、赤旗にもない。捏造です。逆に、ここは日本の
領土だと民青達が言ったという記述はあります。

寮生たちの主張は、日中友好センターとしての善隣学生会館内で、反中国活動をする「ニセ日中」は、
会館を退去するべきだというもの。

> という主張を公然と掲げ、挑発を続けていた寮生を先頭として、対中土下座
> 貿易を余儀なくされていた日本企業の”友好商社マン”やら、なうての暴力
> 反共組織社学同ML派やら、このあとすぐ身内間でも暴力ざたを引き起こし
> て長く分裂さわぎを起こす(正統)日中などが加勢して、友好協会が正式に
> 借りていた部屋のある1階で暴力事件が発生したのです。

ML派が参加したのは3月2日の後。

> 寮生も友好協会も
> 同居する間借り人には違いありませんが4階の廊下ではなく1階の廊下や
> 外壁にでかでかと毛沢東の肖像画や友好協会を誹謗する非友好的な掲示物を
> かかげ(しばしば仮処分で撤去されるが法執行に挑戦するかのごとくただち
> に再掲示する事が確認されています)て対決姿勢を示していたのでありました。

仮処分で撤去されたのは、建物の外側に張られた横断幕です。日本共産党は殺人者だとか、そのような
内容でしょう。華僑報の記事に詳しいが、Web化するかどうかは未定。毛沢東主席の肖像画や、壁新聞
や、毛主席語録などを会館内に張ったところ、日共の人間が剥がししたのは事実のようです。

>
> どちらから先にということは重要です。まだ刑事事件の東京地裁の資料が
> でてきていませんしそれを待つほかないのですが、その後暴力事件で刑事
> 告訴されているのは寮生の任氏らであります。

民青の暴力部隊は、襲撃後、逃げてしまったので、告訴はできなかった。

> 民事明け渡し訴訟ではその
> ”和解”によって、地裁で確定しているのは、友好協会に対して”何者”
> かが暴力行為を振るい、それに寮生の味方についていた中島健造氏らの
> 理事会が、とるべき安全策を取らなかったことに異例の”遺憾の意”を
> しめし、当初は「ニセ日中」だとの趣旨で訴えていたものがすべて取り
> 下げて、なぜか多額の解決金を原告が被告に支払っているという事です。

多額の解決金を要求するのが図々しい。

> 「我々寮生は中国人民だ」「我々こそは日本で中国政府や中国人民のために
> 活動しているのだ」という当初の前提なしに「ここは中国の領土だ」等と
> いう主張がでてくるはずはありません。

だから、そのような主張は出ていません。

> この”闘い”参加した猛獣文士氏
> が自覚として「自分は中国公民だ」との義務感で任務を執行したであろう
> と見るのがどこがおかしいか。その後暴力闘争に加担した事実を法務省に
> は隠ぺいし、帰化でもして日本人になりすましてでもいるのか?

民青の暴力集団が、私の友人・同胞を襲撃し、重傷を負わせたことに対する怒りからです。

> ”身に寸鉄もおびざる平和的に暮らす将来ある学生が暴力により脅かされ
> ている、学業に専念できるように身の安全を”などと35氏声明はタワけた
> でたらめをならべていますが、この学生が学業に専念していたのかどうか、
> という事が問題であります。平和的に暮らしている中国人を脅かしたという
> のであるなら、排外主義との誹りを受けて当然でありましょう。

平和に暮らしていたのです。

> 猛獣文士氏
> 自身がこれまでも”おあいこ”という発言も述べているごとくに寮生たちは
> 到底この平和的に暮らす学業に専念する学生ではありませんでした。

学生は、学業に精を出すとともに、社会の矛盾や政治に関心をもち、また恋愛に悩んだりするもの
です。なお、おあいこというのはなんのことでしょうか。

[438] Re^2: re:433 投稿者:大阪の人 投稿日:02/01/21(Mon) 17:48
re:436
|寮生たちの主張は、日中友好センターとしての善隣学生会館内で、
|反中国活動をする「ニセ日中」は、会館を退去するべきだというもの。

はっはっは。日中友好センターとして活動する事を妨害して
友好協会を”反中国”だと勝手に決めつけて暴力事件を起こした
事に関してその管理責任から遺憾の意を表明した民事和解でしたねえ。
反中国団体とするレッテルを貼り付けようとした意図が民事訴訟の
原告側の訴えには当初たしかにありました。ところが奇怪な経過を辿り
どうしたことかそれを否定する”和解”にこぎ着けていますな。
友好協会側が一切それを否定し、裁判所もその原告訴えを退けて
しまっているのに解決金まで支払わざるを得なくなった、ということに
猛獣氏は伺い知れない所での、裁判所の正義の認定があるわけです。
ここに法の裁きがありますし、法の裁きばかりでなく理事会の和解の
ハンコもあります。この原告側訴えの自己否定を受け入れてください。

|ML派が参加したのは3月2日の後。

ほう。日本共産党の声明では既に2日までに投入されているとして
いますが。それにしても、無関係なML派にしては機敏な路線転換
であります。それと暴力集団を入れた事は事実でありお里が知れて
しまいますな。

|仮処分で撤去されたのは、建物の外側に張られた横断幕です。日本
|共産党は殺人者だとか、そのような内容でしょう。華僑報の記事に
|詳しいが、Web化するかどうかは未定。毛沢東主席の肖像画や、
|壁新聞や、毛主席語録などを会館内に張ったところ、日共の人間が
|剥がししたのは事実のようです。

ほう。横断幕が仮処分(裁判所がいかにも現に不法行為が行われて
いると認定)で撤去されたということは認めるわけですな。その
横断幕には「日本共産党が殺人者」だとかデタラメが書かれていた。
これも認めるのですな。この非友好的な態度は猛獣氏は非友好的だ
とはお認めにならないままなのか。

はがした人がいてもおかしくありませんが、猛獣氏も見たわけではない
伝聞推定であり私は当然見てないわけでありまして、”はがした人が
いた”とまで私は断定できません。
会館内というのも共有的に借りているすべての個人団体にとり不愉快に
ならないよう私権の制限というものがある。あまりに壁中に張り巡らし
てまるで会館内の在住者全員が「革命きちがい派」と混同されるのを
よしとしない人がいてもおかしくありません。ここでは「張り出しする
側」の権利だけは絶対不可侵の当然の前提として、それをはがした人
の立場は”反中国行為”として後にでてくる”南京虐殺”とひっくる
めて言い立てる。マンションなんかでは自分の居室の中にでも、今日び
ポスター類を貼るのに画鋲を使っては後で文句言われたりするのが
日本の現状であります。「貼る側の絶対不可侵」の根拠は毛沢東思想
の個人崇拝(の持ち込みと押し付け)であります。不作法ですね。
掲示物はその性格上張り出した者の私物でありましてこれを言い立てる
のは私有財産の絶対的所有と言論の自由の無制限な一方的権利の主張で
しかなく、逆の立場を想定しない、上ずった子どもじみた主張であります。

|> どちらから先にということは重要です。まだ刑事事件の東京地裁の資料が
|> でてきていませんしそれを待つほかないのですが、その後暴力事件で刑事
|> 告訴されているのは寮生の任氏らであります。
|民青の暴力部隊は、襲撃後、逃げてしまったので、告訴はできなかった。

はっはっは。これは誰がそういっているのでしょうか? 氏名不詳
の数名、数十名という事でその気があれば告訴できる事です。そして
団体が日本民主青年同盟であると特定しているのであれば、名指しして
この団体の都連だとか中央事務所を家宅捜索させることも可能であった
と言えるでしょう。また、民事明け渡し訴訟にもあったごとく、今度は
逆転して被害者側に落ち度ありさえすれば被害者側が断罪されてしまって
いる可能性も想定できますし、任氏らが執行猶予ぐらいついて有罪となり
上告し上告棄却で敗訴している可能性も(想像)あります。ここはどの
ように法の裁きが下ったか是非とも刑事訴訟の経過を調べてここに掲示し
てください。肝心の”法の裁き”を抜かして、小田原評定していても仕方
がありません。私は友好協会の被害者側はもしも任氏らが無罪だと地裁
がしたら、控訴し、最高裁まで争ってそこで敗訴してもそれはそれなり
に声明を発して”不当判決”とか表明していると思います。従い結審の
日付が特定されれば、こちらは「日中友好新聞」の縮刷版だとか「赤旗」
の縮刷版によって、大阪にいながらに気長に調べる事で当面は満足する
しかないのですが、東京地裁刑事部にゆけばもっとナマナマしい事実が
見つかるでしょうね。

|多額の解決金を要求するのが図々しい。

不服があれば、和解せねばよかったとは思いませんか。そしてこうした
民事の解決金というのは、アメリカなんかとは違い、実際は日本の場合
”多額”であるという話より”涙金”でしかなかった、という話の方が
よく耳にします。この場合の涙金というのは象徴的にどちらが道理があり
どちらが道理ない無法を働いたかという認定だけの金額ということです。
金を支払う事で反省し暴力行為を行わない、理事会として黙認しない、と
表明するのが解決金でありまして、後から「図々しい」などと暴力行為の
実行者の仲間が言い立てるのはこの支払いの趣旨をねじ曲げ、法に恭順に
従った当時の理事会(原告側だが罪を認定された実質の被告)の態度を
うたがわせるものです。一口で申せば”無法者の放言”であります。

|> 「我々寮生は中国人民だ」「我々こそは日本で中国政府や中国人民のために
|> 活動しているのだ」という当初の前提なしに「ここは中国の領土だ」等と
|> いう主張がでてくるはずはありません。
|だから、そのような主張は出ていません。

主権を行使しているかのごとくに振る舞っているのはたしか。”中国の財産だ”
と言ったかな。いずれにせよ「我々寮生は中国人民だ」「我々こそは日本
で中国政府や中国人民のために活動しているのだ」という前提なしにこの
”反中国”という一方的認定とそれに基づく”でていけ”という排外主義
の実際行動はありえません。友好協会は押し入ってきたのではなくて、請
われる形で入居してきた経過であり、”でていけ”などという排外主義の
キャンペーンに追われる形で出ていかされる覚えはないはずであります。

|民青の暴力集団が、私の友人・同胞を襲撃し、重傷を負わせたことに対する
|怒りからです。

襲撃したのが猛獣氏の友人・同胞の側であった場合でも相手を”暴力集団”
としなければならない義理ある猛獣氏であるという表明と弁解でしょうか。
つまり俺はこのヤカラの仲間なんだ、と。だから何があっても彼らの肩を
持つし、”俺が肩を持たねば俺たちの仲間内の義理に背くのだ”と。
今でも当方は事実経過がどのようであっても、それは事実として見る余裕
があります。すでに大きなスパンでは文革対日干渉の非は確定しました。
事実関係にでてくるあまたの”組織”の真贋も時代の経過がメッキを剥がし
て今では冷静に見つめる事が可能です。南京事件にからめる所なんか傑作だ。
もはや道義的正統性は戦前に戻らないと言えない所まで追いつめられつつ
ある猛獣氏であります。

[439] Re^3: re:433 投稿者:大阪の人 投稿日:02/01/21(Mon) 17:49
re:436
|> ”身に寸鉄もおびざる平和的に暮らす将来ある学生が暴力により脅かされ
|> ている、学業に専念できるように身の安全を”などと35氏声明はタワけた
|> でたらめをならべていますが、この学生が学業に専念していたのかどうか、
|> という事が問題であります。平和的に暮らしている中国人を脅かしたという
|> のであるなら、排外主義との誹りを受けて当然でありましょう。
|平和に暮らしていたのです。

平和に暮らしていた寮生たちが、笛ふく奴にたぶらかされて一夜にして
「革命きちがい」にエスカレーションしてゆく、ということは”信じられ
ない”とするお気持ちはお察し申し上げますが事実は受け入れてください。

|> 猛獣文士氏
|> 自身がこれまでも”おあいこ”という発言も述べているごとくに寮生たちは
|> 到底この平和的に暮らす学業に専念する学生ではありませんでした。
|
|学生は、学業に精を出すとともに、社会の矛盾や政治に関心をもち、また恋愛
|に悩んだりするもの
|です。

社会の矛盾や政治に関心を持つのは一般的には当然の発達段階であり
ましょうが、そこにつけ込む大人の政府や党があって、誉めそやして
思い上がらせ、政府の後ろ盾をもって公然と外国の地にあって自国の
政府のいいなりに現地住民といさかいを起こすなどというのはどうで
しょうか。客観的にみて、寮生なんて象徴的な犠牲の羊でしかありま
せんで、これを潮にと無制限の暴力闘争をはじめた(正統)日中や
ML派であり、北京放送であり、人民日報でありました。ここでは
67年4月以降はもはや寮生の声や行動はどこかにかすんでしまっていて
(わずかに任氏らが68年春に暴力事件で刑事訴追された件だけが明らか
になっているだけ)猛獣氏の紹介の中でも、大きく時代が移って72年
にいつのまにか華青闘という学生暴力組織ができ(この間の経過が不明)
8派という日本に於てれっきとした暴力集団と共闘をしていた、という
ことで、その共闘が破綻した際の「さらば」という発言だけがここで
取り上げられるだけでありまして、猛獣氏が恥じて公表できないのか、
そもそも内容なく象徴的な犠牲の羊として利用されただけで終わった
運動なのかいずれにせよ”運動団体”の存在を抜きにして見ることは
できずその運動団体の行動が最初と最後だけに申し訳程度にでてくる
だけなのが訝しいわけです。

それから猛獣氏は前々から赤軍派や華青闘などの運動に自分の子息を
参加させるつもりなのか、と問うている質問には一切答えてなかった
わけですが、ここにこのような話の流れに「学生は、学業に精を出す
とともに、社会の矛盾や政治に関心をもち、また恋愛に悩んだりする
ものです。」と一般的な話題に粉飾しつつでてくるのは、どうした事
か。やはりできれば自らの子や孫も赤軍派のように育てあげ、学校に
行かず、通っても勉強せず、革命万歳、毛沢東万歳と忠字舞にあけくれ
銃砲店を襲い、交番を襲い、銀行郵便局強盗をし、うちゲバをしまく
る青春をおくらせようと思っているようですな。

|なお、おあいこというのはなんのことでしょうか。

御自分のBBS書き込み45番。
||暴力沙汰については、どんなに日共側にひいき目にみても、せいぜいの
||ところお互い様というところです

[440] Re^4: re:433 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/01/21(Mon) 22:51
> 平和に暮らしていた寮生たちが、笛ふく奴にたぶらかされて一夜にして
> 「革命きちがい」にエスカレーションしてゆく、ということは”信じられ
> ない”とするお気持ちはお察し申し上げますが事実は受け入れてください。

事実を知らない大阪さんに事実を受け入れてくれといわれても...。平和な後楽寮の暮らしに
ついては、自己紹介のページにも書きました。後楽寮の男声合唱団とか、あるいは、寮生の部屋に
あつまって、夜がふけるまで中国の話とか、した日々を思い出します。1966年頃は、まだ日本共産党
と対立していなかったので、例えば、その頃、京都知事は共産系の人で、府議会議員も共産党の人が
多かったので、京都は日本の中でも解放されているなどという奴もいました。北朝鮮はすでに共産主義
だとか、そんな会話もあり、私は容易に信じられなかったのですが、しかし、楽しい思い出にはかわり
はない。そういう寮生たちが、文化大革命の波を受けてきびしい経験をしていくことになりますが、
最初に彼らを裏切ったのは日本共産党です。
勿論、社会主義とか共産主義とか言うイデオロギーに裏切られた部分もあり、これは誰のせいでも
ありません。

> それから猛獣氏は前々から赤軍派や華青闘などの運動に自分の子息を
> 参加させるつもりなのか、と問うている質問には一切答えてなかった
> わけですが、ここにこのような話の流れに「学生は、学業に精を出す
> とともに、社会の矛盾や政治に関心をもち、また恋愛に悩んだりする
> ものです。」と一般的な話題に粉飾しつつでてくるのは、どうした事
> か。

私を一番打ちのめしたのは、革命や運動ではなく恋愛でしたが。

> やはりできれば自らの子や孫も赤軍派のように育てあげ、学校に
> 行かず、通っても勉強せず、革命万歳、毛沢東万歳と忠字舞にあけくれ
> 銃砲店を襲い、交番を襲い、銀行郵便局強盗をし、うちゲバをしまく
> る青春をおくらせようと思っているようですな。

子息がいないので答えようがない。しつこい人ですね。

>
> |なお、おあいこというのはなんのことでしょうか。
>
> 御自分のBBS書き込み45番。
> ||暴力沙汰については、どんなに日共側にひいき目にみても、せいぜいの
> ||ところお互い様というところです

これは、おあいこという意味ではありません。

[443] Re^5: re:433 投稿者:大阪の人 投稿日:02/01/23(Wed) 02:29
re:440
|> 平和に暮らしていた寮生たちが、笛ふく奴にたぶらかされて一夜にして
|> 「革命きちがい」にエスカレーションしてゆく、ということは”信じられ
|> ない”とするお気持ちはお察し申し上げますが事実は受け入れてください。
|
|事実を知らない大阪さんに事実を受け入れてくれといわれても...。
|平和な後楽寮の暮らしについては、自己紹介のページにも書きました。
|後楽寮の男声合唱団とか、あるいは、寮生の部屋にあつまって、夜がふ
|けるまで中国の話とか、した日々を思い出します。1966年頃は、まだ日
|本共産党と対立していなかったので、例えば、その頃、京都知事は共産
|系の人で、府議会議員も共産党の人が多かったので、京都は日本の中で
|も解放されているなどという奴もいました。北朝鮮はすでに共産主義だ
|とか、そんな会話もあり、私は容易に信じられなかったのですが、しか
|し、楽しい思い出にはかわりはない。そういう寮生たちが、文化大革命
|の波を受けてきびしい経験をしていくことになりますが、最初に彼らを
|裏切ったのは日本共産党です。

これを読んでいて、「最初に彼らを裏切ったのは日本共産党です。」
だけが異様に読み取れます。そもそも66年夏の中国展でどうとか、
日本人の青年に訪中交流させる会に民青同盟が不参加を決めただとか
を理由にして「反中国のニセ日中」などと寮生は一方的に、しかも
中国政府党のいいなりをオウムのように繰り返したわけでありまして
”最初に裏切ったのが日本共産党”ならば、どうして(本国側ビジネス
部局や日本商社にしか)関係ないはずの展覧会の話に固執したり、
日本人青年団体が訪中するかしないかは(華僑には無関係なのに)これ
を問題として「反中国」と勝手に論断したのでしょうか。また、友好
協会を脱走した者が分裂組織を結成して、(正統)日中になりました
がこれを”正統”としたのは中国本国の政府党(建前としては中日
友好協会)が認証したということを鵜呑みに(自分たちでたしかめも
せず、自分たちの利害関係とは超越した日本側の団体の内部事件なのに)
したのでしょうか? 猛獣氏自身が「相手のいない友好なんて」等と
当時の革命きちがい派の言を受け売りさえしているのに。

”文化大革命の波を受けてきびしい経験をしていくことになりますが”
これはどうしたことか。友好商社の朱印を賜り倍々ゲームの大儲けという
のは、それほど「きびしい役割」だったのでしょうか。猛獣氏の解明の
中ではこの寮生たちの文化大革命で受けたという”きびしい経験”つまり
本国政府党の対日干渉や日本在住中国公民への影響ということがまったく
描き出されていなくて、寮生たちは自主的で平和的で、創意工夫を皆で
持ちよって民主的に全員一致で”悪逆非道な日本修正主義の下僕”と
闘うことを余儀なくされたという風に美化されています。そうして正しく
活動し、平和的に暮らしていたのなら、どうして刑事訴追されてしまった
り、8派と共闘してみたり、「歪んだ青春」に突入し、「青春の墓標」に
ノスタルジーを見いだすだけというニヒルに陥るのでしょうか。

||勿論、社会主義とか共産主義とか言うイデオロギーに裏切られた部分も
||あり、これは誰のせいでもありません。

おりょりょ。共産主義イデオロギーに裏切られたと。唯物史観がどうした
というお話はどこへ消えたのでしょうか。毛沢東氏は悪くない。毛沢東氏
の言に躍らされ、非道を働いた革命きちがいたちは悪くない。無論自分
たちは絶対的に悪くない、(華僑側に非があるとすれば)それは一切合切
”共産主義イデオロギー”のせいであり、”誰のせいでも”ないと。
これが科学的な誠実な反省の言と言えるでしょうか。

||> それから猛獣氏は前々から赤軍派や華青闘などの運動に自分の子息を
||> 参加させるつもりなのか、と問うている質問には一切答えてなかった
||> わけですが、ここにこのような話の流れに「学生は、学業に精を出す
||> とともに、社会の矛盾や政治に関心をもち、また恋愛に悩んだりする
||> ものです。」と一般的な話題に粉飾しつつでてくるのは、どうした事
||> か。
||
||私を一番打ちのめしたのは、革命や運動ではなく恋愛でしたが。

これは、一見軟弱な発言に見えますが、ものすごい事を平気で言い抜け
て居られる。赤軍派などの毛沢東主義の害悪は日本に於ては大変な悪影響
でありました。平然とこれらは”二の次”だと。それより”一番(自分を)
うちのめしたのは恋愛”だと。人の死だとか、他人の人生を無茶苦茶に
するだとか、客観的に社会に害を与えておきながら、重大問題は自分の
内心の恋愛だと。革命きちがいは今度はニヒリズムに転落したか。

||子息がいないので答えようがない。しつこい人ですね。

こうして、社会にどのように害を与えても、それには無関心だと。
当面自分には子がないから、答えようがないし、答えようがなければ
次の世代にどのように両国関係を残すなどという課題、仮定は無意味
だと。こうして眼前にある現実世界は消滅して、猛獣”ニヒル”文士氏
の地平線は自己の性的要求だけに収斂してゆくと。

[441] 警告 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/01/22(Tue) 00:21
大阪の人さんの書き込みは、他人への中傷、特定の党派の宣伝の際限のない繰り返し、
主催者である私への挑発、極度に排外主義的な暴言など、極度にオープンなものを追求
している当掲示板の最低限のルールに著しく違反している傾向が続いています。
大変、遺憾なことですが、今後そのような傾向があらたまらないと思われる場合には、
書き込みを削除することになります。

[442] 未来の友好交流を呪う猛獣氏の特異な立場 投稿者:大阪の人 投稿日:02/01/22(Tue) 07:44
ウェブ管理者猛獣文士さん、こんにちわ

|大阪の人さんの書き込みは

お呼びになりましたか?

|他人への中傷

ほほう。寺尾氏の個人攻撃発言は裏も取らずに掲載するのに。
”男娼ごのみ””犬ころ、はってあるけ””「ニセ日中」”
”東京に手を伸ばして犬の頭を殴ってやる”だと?

|特定の党派の宣伝の際限のない繰り返し、

特定の党派への中傷と誹謗、事実に基づかない非難に対して
いくばくかの反論を試みているのでありまして、一般的に
ウェブサイトにおいて”特定党派の宣伝”が禁じられる場合も
あることは当然でありますが、この場合はむしろ【この力点以外
に何も話題がない】という特性に鑑みて、この非難は不当です。

|主催者である私への挑発

これはある意味で当然です。主催者としての当然とる
べき公平な運営を放棄しているとする、個別的具体的な批判を
意図しておりますが、挑発という受け止め方もありましょう。
でも、この主催者である私への挑発、という言辞には文革の当時
の紅衛兵の面影がどことなくありますねえ。

|極度に排外主義的な暴言など

主催者猛獣文士氏におかれましては、いかがでしょうか。
日中戦争を日本帝国主義の侵略とするのは当然としても
この侵略は民族的な属性とし、ここに日本共産党も属する故に
同じ罪を負うし、同じ性向を有する故の事件、というような
非科学的、民族差別的、非友好的言辞はなかったでしょうか?
(BBS書き込み#33番)
はたまた丸山事務局長氏から直接(笑)パンフの提供も受けつつ
「ニセ日中」なる用語を2002年になってまで、友好協会という
日本の自主的ボランティア団体に、未だに殊更に用いませんで
したか。あなたは丸山氏一人に対してさえ、あの記述を謝罪する
必要もないと(単に取り下げるだけで)居直るおつもりか。

|極度にオープンなものを追求している当掲示板の最低限のルールに

わっはっは。”極度にオープン”! 確かに店は開いているけれど。
どこかの政党の物品販売のお誘いまで含めて、当方以外の来客の
書き込みは30にも満たない大賑わいであります。共産趣味系の
皆さまだけが閲覧していると気軽にお考え(誤解)されていないか?

|ルールに著しく違反している傾向が続いています。大変、遺憾なこと
|ですが、今後そのような傾向があらたまらないと思われる場合には、
|書き込みを削除することになります。

当方はBBSしか反論の機会がない故ここに書いてるだけの事で
ありまして、BBS管理者でかつウェブ管理者である猛獣文士氏
はいちいちBBS内で何か答える必要もないのであり、わざわざ
伊藤律氏(67年当時は北京にいて当方以上に事情に疎い)やら
「日本共産党の研究」(戦前の日本共産党に関して特高資料等に
基づいて中傷している、同じく67年の後楽の事件に無関係)等まで
持ちだして、ご大層に反論せねばならなかったのは、第一に資料
が公平さを欠くからであり、第二に、(題名だおれの)「日中不
戦の思想」一冊によりかかる危うい論理構築のためであります。

「読売新聞」の件、「朝日新聞」の件、結局このウェブは宮森繁氏
の著書を教えて差し上げた当方と猛獣文士氏との対話というコップ
の中のさざなみでありました。いま、再度申し上げます。あなたが
当時信じた勢力というのは、平和的に日本に暮らす事を”捨てて”
革命の輸出に手を貸した勢力であります。捨てた、ということは
元は平和的に暮らしていただろう、ということを排除するものでは
ありませんが、寺尾五郎氏の著書、井上清氏の著書、宮崎世民氏の
著書、華青闘の声明、人民日報や北京放送の記録、寮生の加勢に
直接加わってその直後に訪中した青年の記録などを見るかぎり
この認識は動かせません。同じく、平和的に暮らしていた圧倒的多
数の他の華僑諸氏は無関係でありまして、排外主義だというのは
実態を伴った指摘ではありません。すべての根拠は毛沢東氏であり
すべてのこの一連の事件の震源地もまた毛沢東氏でありました。

党間関係の原則からの逸脱というのは、とりもなおさず革命の輸出
ということでありまして、これは「原則にあいいれない」事だと
中国共産党は、自ら震源地であった張本人が認め改めている事です。
猛獣氏の”頭越し”に、元寮生たちには何らの相談もなしに、汗の
出るごとく一方通行に”綸言”が上から本国で下ったのです。
思えば始まりも中国共産党の毛沢東氏の指示でありました。おし
まいも中国党政府の思惑と路線転換でありました。当方は今路線
転換で正常に立ち返った中国共産党の立場を評価するものですが
猛獣氏らにとりどちらも”頭越し”であった、青天のへきれきで
あったであろうとは想像つきます。ボタンの掛け違いはそもそも
党員でない者を党の路線に無闇に動員するという別の(両党合意
などでは議論になってない)中国の問題でありましょう。これは
猛獣氏なり中国公民の自国の問題であります。御自分たちで納得
いくように自主的に解決してください。(当方は猛獣氏のごとく
にここで外国政権党の党内事情や国情にからめて嫌みを追加する
事はするつもりは一切ありませんので、事実の指摘だけをします)

それからね。「あなたの子息に」という質問に答えないで、代わり
にあなたの恋愛の問題を持ちだされても困りますね。50歳代の
ひとかどに経営者として社会的に一定の信用もされているであろう
立場ならば、次の世代にどのような態度を示すのか、という問いに
対して、正々堂々と答えるべきなのは当然であります。現に子が
いない事などを理由に逃げたりせずに答えなさい。そもそもその
ように捉えることができないというのならば、それは大人として
議論する資格を自ら欠いているという表明でありまして、「子が
あるかどうか」とは何ら関係ない事柄です。それとも自ら子がない
ということを基点として、後は野となれ、我が亡き後に洪水よ来れ
と、今後も数百数千年と続いてゆかねばならない日中の交流に関し
て、命あるかぎりデタラメの限りを尽くして未来を呪う御所存か。

あらためて暴力主義をよしとする認識は狂っていると申し上げる。
御自分が一般的な認識といいつつ持ちだす暴力主義肯定の狂った
世界観にどっぷりと漬かり、自分の”同士たち”だけは不可侵の
存在だと暴力を言いたてるのはまさに滑稽です。暴力主義を捨て
て法による正義の実現という態度を崩さないならば、その人は法
的に守られなければなりませんが、自ら法に挑むように暴力主義
を唱えている非対称性。頭隠して尻かくさずであります。

オーディエンスの皆さま。皆さま方は、まだ子はない方も居られる
でしょうし、お若い方も、もしかしたらお子様を失われた方も居ら
れる事でしょう。当方のこの氏への「問い」はおかしい事でしょうか。
一人前の社会人らしからぬデラタメな発言をする猛獣文士氏に対し
「娘や妻にはどう説明するつもりか、子や孫にそのように育てと言う
つもりか」と問う(実際はたしなめている)のは個人攻撃でありま
しょうか。

蛇足:
最近買ってきて読んだ本
『日中再考』古森義久著2001年6月産経新聞社刊
『この厄介な国、中国』岡田英弘著2001年11月ワック株式会社刊
『在日韓国人の終焉』鄭大均著2001年4月文藝春秋社刊
『なぜ中国人は日本人を憎むのか』石平著2002年1月PHP研究所刊

[445] Re: 未来の友好交流を呪う猛獣氏の特異な立場 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/01/24(Thu) 00:14
1.大阪さん、とりあえず、この掲示板にも使用方法の欄があるので、読み返してください。

2.他人を誹謗する書き込みをここで行うことは、許されません。たとえ、誰かの書物に
  他人をあしざまに言う表現があったとしても、それゆえに、このBBSで他人を誹謗して
  よいということにはなりません。
  

3.排外主義的な発言とは、日本に住む外国人に対する発言です。もし、現行の法規以上に
  日本に住む外国人の権利を制限したいという考えを大阪の人さんが持っているのならば、
  たとえば、在日外国人は日本人に対して、発言を自由に行う権利がないなどと考えている
  のならば、そのような理論を全面的に展開してくれるのは、受け入れましょう。
  そうでない場合には、在日外国人の行為を恣意的に否定する発言は、排外主義であると
  みなします。

4.私が日本共産党を中傷したという発言も、逆に私に対する中傷であると考えています。
  どこで、どのように中傷したのか、必ず反論をして下さい。

5.外国公民が日本人に対して語ってよいことと、よくないことという質問にも、答えを
  もらっていません。次の書き込みをする前に、この質問に答えてください。

> 蛇足:
> 最近買ってきて読んだ本
> 『日中再考』古森義久著2001年6月産経新聞社刊
> 『この厄介な国、中国』岡田英弘著2001年11月ワック株式会社刊
> 『在日韓国人の終焉』鄭大均著2001年4月文藝春秋社刊

これは読んだ。

> 『なぜ中国人は日本人を憎むのか』石平著2002年1月PHP研究所刊

中国を攻撃するようなタイトルの本が好きなようですね。

[446] 刑事事件の公判記録はどこへいった? 投稿者:大阪の人 投稿日:02/01/28(Mon) 14:24
ウェブ主催者でBBS管理者の猛獣文士さん、こんにちわ

当方の題名”未来の友好交流を呪う猛獣氏の特異な立場”にそのままレスを
付けていながら、当方の質問にも問題提起にも何も答えてないままなのは
注目すべき点であります。猛獣氏は5点の要望と質問を(先の当方の話は
さえぎっておきながら)一方的にはじめています。
1.読み返しました。
2.猛獣氏が他人を誹謗することを前提としてウェブを構成しているのです。
  自己は絶対に悪くない、毛沢東氏は悪くない、オレたちは身内だから
  たとえ客観的に悪いのが寮生やオールスターズの側であってもオレの口
  からは口がさけても悪いとは言えない、とする立場なまま、両者のどちら
  が悪いのでしょう?と一見公平そうに開始されたHPでありました。
  私はこれを読まずに言うのではなくて、全部読ませて貰った結果自分なりに
  結論として得ました。
2(続).”たとえ、誰かの書物に他人をあしざまに言う表現があったとしても、
  それゆえに、このBBSで他人を誹謗してよいということにはなりません”
  猛獣氏は御自分が”思想家”として自分で紹介していた寺尾五郎氏の著書
  から猛獣氏が意図的にトリミングして抜かした箇所を見つけ出して指摘した
  当方の書き込みに、文句を付けています。<たとえ、誰かの書物に>なんて
  他人事のようにうそぶくのはやめなさい。あなたが全面的に依拠し、思想家
  で歴史家だとした寺尾氏本人の言であります。あなたが正しい側とし、そう
  でない側を「ニセ日中」とした(正統)日中の「日本と中国」紙が報じた在
  中国日本人紅衛兵の言であります。あなたの発言の中では必死に否定して
  いましたが、まぎれもなく中国紅衛兵の壁新聞に記されたあなたがたの側の
  発言であります。「ニセ日中」は最初は引用文でありましたが、最近あなた
  自身が殊更に当方が嫌だろうが、と言いつつ用いたあしざまな誹謗です。
  ”男娼ごのみ””犬ころ、はってあるけ””「ニセ日中」”
  ”東京に手を伸ばして犬の頭を殴ってやる”
  猛獣氏が依拠した側、猛獣氏が述べた発言、猛獣氏が客観的に属していた側
  の発言を当方が引用したのです。これの正しさ(引用の正確さや事実認定の
  確定)を調べて”誰が誹謗中傷したか”を検証するのは歴史の探索には必要
  な過程でありましょうし、ウェブ主催者がその趣旨からどのように逸脱して
  いるかを告発するのに必要な論戦であります。意見を封殺してしまうおつも
  りか。今でもこれらの発言を正しいとするか。このような発言をする人士が
  人権回復のために平和的に活動したといいおおせるのか。実際に「犬の頭を
  殴る」を実践したのが後楽の事件ではないのか。相手を人間扱いしない紅衛
  兵であり寺尾氏であり、寮生であり、猛獣氏でありました。
3.一方的に決めつける猛獣氏。「排外主義的な発言」だと。そもそも排外主義
  というのは忌むべき思想であります。当方はこうした考え方をいままで信奉
  したことはないし、今後も排外主義とは対立するつもりであります。ここで
  自分が排外主義であるかどうか、は無葛藤な猛獣氏に当方の百分の1でも胸
  に手を当てて中国流の排外主義に自ら毒されてないか、反省してみることを
  お勧めします。日本に住む外国人に対して何か文句をつける事は一切敵視し、
  聖域扱いせよというお積もりか。日本に住む外国人にもさまざまな立場があ
  りまして、立場ばかりか実際行動がありまして、その中で、猛獣氏や猛獣氏
  がここで取り上げている寮生らの主張と実際行動だけは、当方は受け入れら
  れない、日本の社会の平和に害するものであると改めて指摘します。日本赤
  軍も”勝ち組”も潜伏元日本兵もその地の秩序を乱した愚か者でありました。
  日本にも一部の不心得外国人が在住したのであり、これを絶対的に庇い聖域
  にする必要はどこにもありません。また小野田さんや横井さんのように改心
  して平和的に暮らす事に路線転換したのなら、それを表明するべきです。
3(続).そもそも当方は主として日本人の盲従分子、つまり日本の自主的運動
  を裏切った一連の革命きちがい人士を主たる問題にしています。この人士の
  神輿にかつがれた犠牲の羊であったと一部寮生を最初からしていました。自
  分たちが一方的被害者だといいつつ暴力闘争に自分たちは直後からのめり込
  んで行った寮生たちでありましたが、そもそもそんな運動は華僑の主力にも
  なりえなかったし自ら振るった暴力闘争の蛮行を口をぬぐって今は東京や横
  浜でブルジョアの暮らしをしているのは不思議で滑稽だとしているだけです。
4.これはそもそも猛獣氏が#441で根拠も示さず当方を”特定の党派の宣伝の際
  限のない繰り返し”だとした発言に反論#442している事に口先だけで返して
  いるのです。ここに反論したら、今度は御自分に対して”中傷”だと述べる。
  マッチポンプであります。そして切り口上で相手の発言を封殺して、議論
  から逃げたがっている気弱な猛獣氏の態度であると言えますな。それが
  証拠に話のツリーを示してないし、レスを返すのに元発言を具体的に示す
  努力も放棄しています。
5.片方で拒否しながら、片方でここは「次の書き込みをする前に」とハードル
  にして意見を封殺してしまうわけだ。あなたが答えなければならない、当方
  がここで展開していた主たる議論は1967年春の東京後楽の事件でありました。
  これとどこが関係あるのか。猛獣氏が「排外主義」とすれば、それは全部
  「排外主義」で「必ず」答えなければならない、と詰問する。
5(続).当方は規定がどうこうというつもりはありませんが、論理の筋の中で
  日本政治に口を挟むのはやはり間違いであり、寺尾氏の本を唯一の筋書きに
  して述べていると必然的にそのような誤りに踏み込むのだということです。
  外国人のままで居るのなら、日本の野党にはなりえません。野党ポーズがお
  好きのようですが、中国人なら中国で野党ポーズなり本物野党なりになって
  から頑張りなさい。

|これは読んだ。

こうした出版社の「反中国もの」を読む必要性を感じたのは最近になって
猛獣氏の論のデタラメさとネタ枯れにうんざりしてからの事です。ところで
「文化大革命簡史」なんかはお読みになりましたか。「在日韓国人の終焉」
をお読みになったのでしたら、上の5などの愚問はでてこないはずですが。

|中国を攻撃するようなタイトルの本が好きなようですね。

作用反作用ということがあります。客観的に猛獣氏のご努力は読者をして
「反中国」な本の普及の効果があったとみてよいでしょうな。これまた
未来の友好交流を呪うお立場からの”一貫したご努力の成果”でしょうか。
それから石平氏は北京大学卒というバリバリの中国人であります。姜克實氏
『現代中国をみる眼』も中国人でありました。これら人士の本を買う行動を
も一方的に排外主義ときめつけするのはあたらないと思いますが、いかがか。

また「在日韓国人の終焉」は韓国人が韓国人社会と日本人社会との関係に
ついて論じているものですが、以前紹介してもらった田中氏の「在日外国人」
の論と対をなす(田中氏の主張の弱点をうまく突いた)好著だと思います。
部落解放同盟の糾弾闘争理論が現実に直面して破綻しかかっている、と今も
タブーが覆う日本社会の暗部によく踏みこんだ視点もあり、日本の文化人に
は(とりわけ明石書店や岩波にばかり書いているような)なかなか見当たら
ない新鮮な文章でありました。

【本論】
それからこの箇所は「蛇足」として触れた部分でありまして、あまりオイラン
道中でこんな箇所ばかりツリーを重ねるのも非生産的だと思います。早く
刑事事件の方の「法の裁き」を読ませてください。何なら猛獣さんの駄レスを
封じるために当方はBBSでは新規書き込みを我慢しても構いませんよ。
期限は2月中。この月のうちに刑事事件の公判記録を地裁や高裁から探して
きて掲示してください。当方の当面の願いは事実の確認です。

[449] Re: 刑事事件の公判記録はどこへいった? 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/01/29(Tue) 23:29
1.裁判記録の閲覧には時間が掛かるので、期日の約束などできない。
  そんなことを約束させられるいわれもなし。

2.大阪さんは逝ってよし、だな。

3.日中貿易の資料、「日本外交と中国」を読んでいます。なかなか興味深い本です。大阪さんも
  たまにはよい本を推薦することもあるようです。

[435] re:432 投稿者:大阪の人 投稿日:02/01/18(Fri) 14:37
re:432
パターン5【平和的手段による革命や独立の手段がないとする態度】
|> 他所の国に従わされる国の国民はいずれは
|> 独立を勝ち取るでしょう。
|
|歴史というものはそのように直線的に動くものではありません。唯物史観
|を俗流化した「常識」を潜在意識化にもっている大阪さんの発想でしょうか。

パターン5に象徴的でありますが、”唯物史観”やら共産主義の本家は自分
たちだという思い上がり、その根拠はといと自ら奉じてきた自国の指導者へ
の個人崇拝であります。”世界革命の百科全書””不敗の毛沢東思想”だと
いうわけです。このフレーズでは”上の句”はでてこないのですが、猛獣氏
は外国の支配を打破して民族独立闘争をするには「暴力革命不可避」だと
いう前提で当方があっさり記述したフレーズを”俗流化”だと述べている訳
です。

こうして明瞭に見て取れるごとく、猛獣文士氏は今に至っても中国国粋主義
であり、中国人的な排外主義であり、非友好主義であり、世界革命の波及に
日本を巻き込もうという意図であり、それが中国公民の義務だという立場で
の発言であります。こうした(現下の中国政府がこれを承認するかは別)彼
の立場は覇権主義そのものであり、暴力主義肯定の奇怪な革命きちがい派で
あると言えると思います。【パターン1】に見られる自分の責任を回避する
発言と当時の寮生らの発言、また”唯物史観”をうんぬんする場違いさも
気がつかない身の程知らずな押しつけがましい態度。こられは奇妙に猛獣氏
の一身に同居しているわけです。

|なんに対する非友好的な態度ですかね。日本人ですか、日本共産党ですか。
|あるいは、日本共産党は日本人全体を代表しているのでしょうか。そのよう
|な態度は、せめて支持率が二桁になってから始めたらどうでしょうか。

これは外国公民が日本人に対して日本語で述べる言葉として適切でありましょうか。

|善隣学生会館事件が起きたのならば、民青の暴力というのも、理
|解できるというものだ。

ある意味でこれはこのとおりです。土下座して、跪いて、逃げていれば
それなりに平和的であったことと思います。日本共産党や友好協会の文献
では適切な正当防衛活動を行ったという記述はでてきますが”身に寸鉄も
おびざる”というようなタワけたプロパガンダはでてきません。私の解明
でも一度も寺尾氏の主張のごときデタラメな表現は用いていません。問題
は寮生を担ぎ上げたオールスターズの側が”一切暴力主義がないにも関わ
らず”専ら友好協会や日本共産党側から主導し暴力闘争が行われたのかどう
かということです。ここには非対照的な問題があります。そして猛獣氏の
自分の発言としては、”おあいこ”だというのがありますが、”おあいこ”
にしては矛盾がある。寺尾氏らの発言では”100対ゼロ”で寮生は無実で
あり「日本と中国」紙などでは「犬ころ、はってあるけ!」であります。
また、どうして自身が何も働いてない任氏であるならば、その功績なしに
は説明のつかない友好貿易の新星として突如躍り出て、毎年倍々ゲームで
(既存の他の非政治的一般華僑の事業家もさしおいて)大儲けできる”朱印”
を政府から賜わる事ができたのでありましょうか。

|中国共産党の革命第一世代は、それだけの仕事をしたから、それなりの特権
|をもっていたわけです。コミンテルンの国際民主集中制などというナンセン
|スな階級意識をもちだして、中国共産党の革命元勲と同じ待遇を日本共産党
|の幹部が受けていたとすれば、このようなものを援助というわけです。
|これが常識です。

これは猛獣氏が文脈を取り違えつつ、滑稽に中国党の特権層を擁護する発言
です。「中国共産党は野坂氏が延安に居たことを誇りにしているようです。
コミンテルンの国際民主集中制でいうならば毛沢東氏よりも位階の高い高官
であります。」という文章が飲み込めない猛獣文士氏。国際民主集中制を奉
じていたのがまさに当の中国共産党でもあったのですが、スターリンを頂点
とするコミンテルン支配のヒエラルキーに中国共産党が自ら関わっていた事
(宮本氏は毛沢東氏が”蛇にも頭がある”とソ連の権威の必要性を強調する
発言を国際会議できいたそうです)がすっぽりと選択的無意識のごとく抜け
落ちている。この人物が同時にトロツキー信奉者で、日本共産党には「その
ような態度は、せめて支持率が二桁になってから」と非共産党マルクス主義
を日本国内で主張し、”唯物史観の卑俗化”だと”国際共産主義者の理論的
援助の高説”を唱えるわけです。

頭隠して尻隠さず。
せめて暴力事件だというのなら、一切”マルクス主義”などの用語は用いず
に日本共産党の支持率がどうこうだとか、伊藤律氏がどうこうだとか、大名
旅行だとかのオイラン道中はせずに、暴力事件があったかなかったか、この
一点で議論を詰めるべきでありました。なんとしても寺尾氏の(表題だおれ
の)「日中不戦の思想」がタネ本でありますれば、プロレタリア文化大革命
の正統性を強調せねばならないわけで、中国は正しい、毛沢東は正しい、毛
沢東をはじめとした”特権階級”は正しい、暴力革命は正しい、と言葉をつ
いてでてしまう。その文脈の中での”日本共産党がソ連やアメリカの下僕へ
の路線転換”だという理屈であります。文革は暴力闘争でありました。日本
共産党は暴力路線に懲りて綱領を確定して、自主独立の路線が姿を現してき
た時期でありました。寺尾氏らの本は革命きちがいの興味深い妄言として以
外に21世紀の御代には価値は残っていません。これに固執する猛獣氏の言
も同じ運命であります。

私は猛獣氏の説明、猛獣氏の紹介された文書、猛獣氏が意図的に隠していた
彼の紹介した本の部分や同じ著者の別の本を探しだし、自分で読んでみて
寮生とそれに加勢したオールスターズの側が一貫してこの暴力対決をひきお
こし、友好協会側は正当防衛に徹していたであろうということを確信しまし
た。任氏らの刑事訴訟の記録が読むのが楽しみです。

[437] Re: re:432 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/01/18(Fri) 22:07
> パターン5に象徴的でありますが、”唯物史観”やら共産主義の本家は自分
> たちだという思い上がり、

そのような主張をしたこともない。これも大阪さんの妄想か、捏造か。ただし、大阪の人さんは
非常に勉強不足な人間であるとは、感じています。

> その根拠はといと自ら奉じてきた自国の指導者へ
> の個人崇拝であります。

?????

> ”世界革命の百科全書”

このような言い方は始めて聞きます。出典を明示してください。

> ”不敗の毛沢東思想”だと

これは知っています。

> いうわけです。このフレーズでは”上の句”はでてこないのですが、猛獣氏
> は外国の支配を打破して民族独立闘争をするには「暴力革命不可避」だと
> いう前提で当方があっさり記述したフレーズを”俗流化”だと述べている訳
> です。

外国の支配を受けている国をあげ、それがいつ解放されるか、具体的に述べてくれませんか。

> こうして明瞭に見て取れるごとく、猛獣文士氏は今に至っても中国国粋主義
> であり、中国人的な排外主義であり、非友好主義であり、世界革命の波及に
> 日本を巻き込もうという意図であり、それが中国公民の義務だという立場で
> の発言であります。

善隣学生会館で、日本共産党の武装部隊が行った暴行を、きちんととらえなおしてみたいという意図
での発言です。

> こうした(現下の中国政府がこれを承認するかは別)彼
> の立場は覇権主義そのものであり、暴力主義肯定の奇怪な革命きちがい派で
> あると言えると思います。【パターン1】に見られる自分の責任を回避する
> 発言と当時の寮生らの発言、また”唯物史観”をうんぬんする場違いさも
> 気がつかない身の程知らずな押しつけがましい態度。こられは奇妙に猛獣氏
> の一身に同居しているわけです。

??????

> |なんに対する非友好的な態度ですかね。日本人ですか、日本共産党ですか。
> |あるいは、日本共産党は日本人全体を代表しているのでしょうか。そのよう
> |な態度は、せめて支持率が二桁になってから始めたらどうでしょうか。
> > これは外国公民が日本人に対して日本語で述べる言葉として適切でありましょうか。

参考にしたいので、外国公民が日本人に対して日本語で述べる言葉として適切なものと
不適切なものを解説してください。例示でも結構です。

> |善隣学生会館事件が起きたのならば、民青の暴力というのも、理
> |解できるというものだ。
> > ある意味でこれはこのとおりです。土下座して、跪いて、逃げていれば
> それなりに平和的であったことと思います。日本共産党や友好協会の文献
> では適切な正当防衛活動を行ったという記述はでてきますが”身に寸鉄も
> おびざる”というようなタワけたプロパガンダはでてきません。私の解明
> でも一度も寺尾氏の主張のごときデタラメな表現は用いていません。

民青が暴力をふるったのは、結局、事実だったことを認めたわけですか。

> 問題
> は寮生を担ぎ上げたオールスターズの側が”一切暴力主義がないにも関わ
> らず”専ら友好協会や日本共産党側から主導し暴力闘争が行われたのかどう
> かということです。ここには非対照的な問題があります。

そのようなものはありません。

> そして猛獣氏の
> 自分の発言としては、”おあいこ”だというのがありますが、”おあいこ”
> にしては矛盾がある。

そのような発言は記憶にありません。出典を示してください。

> 寺尾氏らの発言では”100対ゼロ”で寮生は無実で
> あり「日本と中国」紙などでは「犬ころ、はってあるけ!」であります。

冷静に大阪さんと寺尾氏を比べても、寺尾氏のほうが説得力があります。

> また、どうして自身が何も働いてない任氏であるならば、その功績なしに
> は説明のつかない友好貿易の新星として突如躍り出て、毎年倍々ゲームで
> (既存の他の非政治的一般華僑の事業家もさしおいて)大儲けできる”朱印”
> を政府から賜わる事ができたのでありましょうか。

個人攻撃を執拗に繰り返しています。醜い。


> これは猛獣氏が文脈を取り違えつつ、滑稽に中国党の特権層を擁護する発言
> です。「中国共産党は野坂氏が延安に居たことを誇りにしているようです。
> コミンテルンの国際民主集中制でいうならば毛沢東氏よりも位階の高い高官
> であります。」という文章が飲み込めない猛獣文士氏。国際民主集中制を奉
> じていたのがまさに当の中国共産党でもあったのですが、スターリンを頂点
> とするコミンテルン支配のヒエラルキーに中国共産党が自ら関わっていた事
> (宮本氏は毛沢東氏が”蛇にも頭がある”とソ連の権威の必要性を強調する
> 発言を国際会議できいたそうです)がすっぽりと選択的無意識のごとく抜け
> 落ちている。この人物が同時にトロツキー信奉者で、日本共産党には「その
> ような態度は、せめて支持率が二桁になってから」と非共産党マルクス主義
> を日本国内で主張し、”唯物史観の卑俗化”だと”国際共産主義者の理論的
> 援助の高説”を唱えるわけです。

日本共産党の幹部を客分として国家の指導者として待遇したとすると、これは間違いなく
援助です。日本共産党と中国共産党の関係を冷静に考えれば分かりそうですが。

> 頭隠して尻隠さず。
> せめて暴力事件だというのなら、一切”マルクス主義”などの用語は用いず
> に日本共産党の支持率がどうこうだとか、

日本の政権につくには、二桁の支持率でも足りません。がんばってください。

> 伊藤律氏がどうこうだとか、大名
> 旅行だとかのオイラン道中はせずに、

オイラン道中はいいですね。時代劇でよくみますが。

> 暴力事件があったかなかったか、この
> 一点で議論を詰めるべきでありました。

暴力事件がなくて、重体になるでしょうか。残されている多数の写真。暴力事件がなかった
などという話は、南京大虐殺がデマだったと証明されない限り、ありえません。

> なんとしても寺尾氏の(表題だおれ
> の)「日中不戦の思想」がタネ本でありますれば、プロレタリア文化大革命
> の正統性を強調せねばならないわけで、中国は正しい、毛沢東は正しい、毛
> 沢東をはじめとした”特権階級”は正しい、暴力革命は正しい、と言葉をつ
> いてでてしまう。

正しいとはいっていない。

> その文脈の中での”日本共産党がソ連やアメリカの下僕へ
> の路線転換”だという理屈であります。文革は暴力闘争でありました。日本
> 共産党は暴力路線に懲りて綱領を確定して、自主独立の路線が姿を現してき
> た時期でありました。寺尾氏らの本は革命きちがいの興味深い妄言として以
> 外に21世紀の御代には価値は残っていません。これに固執する猛獣氏の言
> も同じ運命であります。

価値を決めるのは、歴史だとすれば、大阪さんが断定するのも不適切だ。

> 私は猛獣氏の説明、猛獣氏の紹介された文書、猛獣氏が意図的に隠していた
> 彼の紹介した本の部分や同じ著者の別の本を探しだし、自分で読んでみて
> 寮生とそれに加勢したオールスターズの側が一貫してこの暴力対決をひきお
> こし、友好協会側は正当防衛に徹していたであろうということを確信しまし
> た。任氏らの刑事訴訟の記録が読むのが楽しみです。

私も楽しみです。ああ、大阪さんにつきあって疲れた。今後は私の質問にも答えるように
して下さい。

[448] 逐条的にたまには答えてみましょうか 投稿者:大阪の人 投稿日:02/01/28(Mon) 22:46
re:437
あんまり悪意にあふれているので、再々ですがこの#437の駄レスを
子細に検討し、猛獣氏の品性を確認してみましょう。

|そのような主張をしたこともない。これも大阪さんの妄想か、捏造か。
|ただし、大阪の人さんは非常に勉強不足な人間であるとは、感じています。

ここは先に#447で解明しました。「主張」を聞いたこともないのは猛獣氏が
根拠薄弱に盲従していた証拠であります。98年合意を知らなかったのは
猛獣氏のお勉強のし過ぎのせいなのか?

|?????

引用された当方の文の方が長いね。こういう引用の仕方はそれだけで
失礼な話であります。「他人の褌で相撲を取る」と日本では申します。

|外国の支配を受けている国をあげ、それがいつ解放されるか、具体的に
|述べてくれませんか。

毛沢東氏なら予言とかしたのでしょうか。水晶玉や星座占いでしょうか。
「19xx年にはイギリスを追い越す、x年にはアメリカを追い越す」と決めて
しまって大躍進政策のごとき無茶をしてはいけませんね。

|善隣学生会館で、日本共産党の武装部隊が行った暴行を、きちんと
|とらえなおしてみたいという意図での発言です。

あらかじめ決められた虚構のゴールに向かっての空しい論理構築であり
ました。それは寺尾氏のご立派な品性や笛吹き男としての実態とともに
力なくどこかにいってしまいましたが。

|??????

ははは。また一行で返して不作法を繰り返している。社会的に通用
しない手前勝手な人士らしい。

|参考にしたいので、外国公民が日本人に対して日本語で述べる言葉として
|適切なものと不適切なものを解説してください。例示でも結構です。

そうですな、北京で日本人が許される範囲と相似形ということでは
どうでしょうか。日本人とみたら「犬ころ、はってあるけ」なんて
中国では許されたという事なんて、ベトナムで許される範囲、フィリ
ピンで許される範囲、韓国で許される範囲としたほうがいいかな。

|民青が暴力をふるったのは、結局、事実だったことを認めたわけですか。

正当防衛と暴力というのは似ているが違いますね。レイプする男と
逃げる女性とを比較して、レイプ男側の【知人】が「彼も負傷した」と
いうのに猛獣氏の恥知らずさはこの場合どことなく似ている。

|そのようなものはありません。

ははは。この恥知らずの50過ぎの人士はまた逃げている。一行レス。

|そのような発言は記憶にありません。出典を示してください。

ちと飽きてきたのですが、探せば447の記事のように探して指摘できる
と思います。

|冷静に大阪さんと寺尾氏を比べても、寺尾氏のほうが説得力があります。

これは文意がつながっていません。レスするにはレスするなりの誠意とか
相手に伝えようとする意志が必要であります。猛獣氏には悪罵を叫ぶだけ
しか意図がないから、こうしてつながらないレスが発生します。どこで私
が私と寺尾氏とを比較せよと言ったか。デタラメ言葉濁しで本質を逸らす
猛獣氏の”遊撃戦”でありますが、人民大衆の支持がないもので丸裸であ
ります。

|個人攻撃を執拗に繰り返しています。醜い。

これは個人攻撃でしょうか。当方は”中国文革の英雄”だとしているのに。
よかったじゃないですか、大儲けできて。うはうはですよね。今度横浜に
行く機会があれば、一度写真でも撮ってこようと思います。これが”文革
御殿”かあ、とか、これが”ガラス一枚割って建てたビル”かあとか。
醜いのはこれら暴力闘争に明け暮れた人士の生きざまでありこれを美化し
て擁護する猛獣氏の見苦しい態度であります。

|日本共産党の幹部を客分として国家の指導者として待遇したとすると、
|これは間違いなく援助です。日本共産党と中国共産党の関係を冷静に
|考えれば分かりそうですが。

これも何か執拗に日本共産党を攻撃しようという話であります。しかし
元もとの議論は「宮本氏は宮本百合子氏ではない女性同伴で訪中した
だろう」という【猛獣氏の下司の勘ぐり】でありました。それを正しく
当方が指摘したもんで、それが悔しくてオイラン道中しつつ、どうにか
日本共産党攻撃に結びつけようと頑張る猛獣氏であります。下劣な男だ。

|日本の政権につくには、二桁の支持率でも足りません。がんばってください。

政権は重要な課題ですが政権奪取だけが政党の目的ではありませんね。
政権奪取だけ暴力革命でやり遂げて、いつのまにか社会主義政権樹立
だとして農民や都市勤労者、小地主や華僑の実家などを迫害し、国民党
も追い出してしまった中国共産党は今大変苦労しているようです。
文革当時はその政権党さえ、毛沢東氏個人の私党にすりかえるべく奪権
し法治を投げ捨て、おかげで国家機関がマヒしてしまったとか。
ここで猛獣氏は「暴力闘争で手っ取り早く政権につくべし」だと中国流
を暗に押し付けているわけですが、こうした押し付けに屈従するぐらい
でありますれば私や猛獣氏の寿命が尽き、孫や子の時代になる将来まで
革命しないでもいいとさえ思います。とにかく余計なお世話なので、こ
うした国政に関しては外国公民の方は立ち入らないで頂きたいものです。

|オイラン道中はいいですね。時代劇でよくみますが。

このように一行レスだけして、無意味におちょくっている。
猛獣文士と名乗る東京の華僑ブルジョアはこうして中身のない男だと。

|暴力事件がなくて、重体になるでしょうか。残されている多数の写真。
|暴力事件がなかったなどという話は、南京大虐殺がデマだったと証明され
|ない限り、ありえません。

強盗も負傷します。悪漢も返り討ちにされることがあります。
単に他人の部屋の窓ガラスを割っただけでも、相手に頭をぽかりと
仕返しをやられるぐらいは当然覚悟しておくべきであります。ここに
南京事件がでてくるのが、まあひとつの”情緒に訴える手法”という
事でしょうか。「日本と中国」紙でも1967年の事件の写真と戦中の
日本軍の蛮行だとされる写真と並べて扇動的謀略的に(正統)日中側
が暴力主義の復讐路線をしきりにキャンペーンしていました(写真記
録に関してだけをいいますと、非常にまゆつばな写真が多いためむし
ろ最近は「反中国派」に各論で反論されてしまって、南京事件に代表
される日本軍の蛮行を日本の未来に不戦の戒めにしようと主張するま
じめな日本人が苦労しているほどでありまして、これはむしろ写真に
頼る中国共産党流の大衆扇動路線の弱点を特徴的に示していますな)。

|正しいとはいっていない。

では何と。こうして「言っていない」とだけ書けば、何か返事を
返したことになるとでも思っているのか。「誤った事だ」と反省
しない無反省の猛獣氏。「原則にあいいれないやり方を(略)総括
し是正の措置をとった」と率直な中国共産党の今の江沢民指導部の
ツメのアカでも煎じて薬にしてはどうか?

|価値を決めるのは、歴史だとすれば、大阪さんが断定するのも不適切だ。

歴史が価値を決める、とは思いませんね。歴史の経過で真贋が明らかに
なるとは思います。既に当方でも断定できるほど決着がついたと述べて
いるわけでありまして、「歴史が価値を決める」というのはいささか
”唯物史観”というよりも”観念論”的なにおいがしますな。

|私も楽しみです。ああ、大阪さんにつきあって疲れた。今後は私の
|質問にも答えるようにして下さい。

この回の質問には皆悉く答えました。ここのBBSには当方の質問に
答えをまともにしないまま、一行レスばかり返している失礼な猛獣氏
の駄レスが百数十も山積みでありまして、駄レスでも返って来れば
まだましでありまして、当方の質問やまじめな回答に返答もせずに
済ませている猛獣氏の箇所の方がずっと多いのだけど、そこは口を
濁してフタをするばかりの猛獣氏であります。

[447] 世界革命の百科全書-お勉強競争にかえて 投稿者:大阪の人 投稿日:02/01/28(Mon) 20:46
re:437
||そのような主張をしたこともない。これも大阪さんの妄想か、捏造か。
||ただし、大阪の人さんは非常に勉強不足な人間であるとは、感じています。

ははは。面白い。勉強不足はあたっているかも。でも猛獣氏に言われる
筋合いのものではないな。五十歩百歩でありまして、このウェブとBBS
では幸い当方が常に猛獣氏をリードしております。「妄想」「捏造」は
のしを付けてお返し申し上げます。

||> その根拠はといと自ら奉じてきた自国の指導者へ
||> の個人崇拝であります。
||
||> ”世界革命の百科全書”
||このような言い方は始めて聞きます。出典を明示してください。

『中国共産党の対外路線の検証-「文革」以後20年の混迷と矛盾』
佐々木陸海著1989年1月刊 新日本出版のP22-

|「毛沢東思想は世界を照らす」
|こうした経過をへて「文革」がはじまったとき、国の内外で、ソ連
|「修正主義」との闘争がなによりも重視されたのは当然だが、国内
|での毛沢東絶対化とも関連して、国際的にも、「修正主義」批判と
|表裏をなすものとして、毛沢東と「毛沢東思想」、「毛沢東路線」
|の絶対化が推進された。たとえば、一九六六年六月一日付中国共産
|党中央委員会機関誌「人民日報」は、「全世界人民の毛主席にたい
|する熱愛と毛沢東思想にたいする高い評価を伝える報道、特別記事、
|声明など」をのせ、それにつけた「人民日報」の「編集者のことば」
|なる一文で次のようにのべている(『北京週報』一九六六年第23号)。
|
|「われわれの偉大な指導者毛主席は六億五千万中国人民の心の太
|陽であるとともに、全世界すべての革命的人民の心の太陽でもある」
|
|「毛沢東思想は中国革命の百科全書であるばかりでなく、世界革
|命の百科全書でもある。毛沢東思想は、現代のマルクス・レーニン
|主義の最高峰であり、もっとも高度でもっとも生きたマルクス・
|レーニン主義である」
|
|「世界のすべての被抑圧人民と被抑圧民族は、革命の真理を求め
|ようとするかぎり、ごく自然のこととして毛沢東思想をさがしあて、
|毛沢東思想をかれらの解放をかちとる指針とすることになる」
|
|「毛沢東思想の光は、いま全世界を照らしているのである」
|
|同年8月の中国共産党第八回党大会11回中央委員会総会(8期11
|中総)は、「プロレタリア文化大革命についての決定」を採択した。
|同中央委員会総会の「公報」は、「毛沢東思想は、帝国主義が全面的
|な崩壊にむかい、社会主義が全世界的な勝利に向かう時代のマルクス・
|レーニン主義である」と定式化した(『北京週報』一九六六年第34
|号)。その総会の直後、総会の意義を論じた中国共産党中央委員会理
|論誌『紅旗』同年第11号社説「毛沢東思想の道を勝利のうちに前進
|しよう」は、「われわれの時代においては、毛沢東思想から離れるこ
|とは、とりもなおさず、マルクス・レーニン主義に根本的にそむくこ
|とである」とまでのべた(『北京週報』一九六六年第35号)。
|
|以上の経過からもあきらかなように、「文革」はイデオロギー面につ
|いていえば、国際的な「修正主義批判」-対米協調を基本とする修正
|主義路線への機械的反発から極「左」的偏向、誤りにおちいった「修
|正主義」批判-をそのまま直接中国国内の政策、路線に持ち込んだも
|のである。その点で「文革」の内外路線はまったく同一線上にあり、
|それはいずれも「修正主義」を敵と同一視、ないしは同列視して、そ
|れに批判ではなく打撃をくわえ、打倒しようとするものだったのである。

この文献の構造は佐々木氏 → 北京週報 → 紅旗や人民日報
という孫引きでありますが、当時猛獣氏や寮生たちがあてにして
最大の根拠としていた人民日報や北京週報、北京放送などがこの
個人崇拝(世界革命の百科全書)を掲げていて、無批判にこれを
鵜呑みにし、まさに寮生たちが「偉大なかじ取り毛主席」なんて
歌を歌い、毛沢東個人に忠義だてるあかしに「忠字舞」を踊って
いたはずであります。

それとも猛獣氏はこうした根拠は薄弱に、ただひたすら周囲の人士が
踊ったり毛語録をふりかざし大声で読むのをちらと横目でみながら
当時はサル真似して「軽従」していただけだったということで、今は
口をぬぐっているのでしょうか。猛獣氏は他人を中傷するけれど、
その根拠は示す事がない。

【本題】
猛獣氏よ、こうしたつまらぬオイラン道中をいくら書かせるつもり
なのか。こちらは退屈です。刑事事件の経過を発掘してください。
また、丸山氏には先の「ニセ日中」呼ばわりをどう釈明するつもり
なのか、ちゃんと答えてください。それから、再々申し上げていま
すが、自分の妻や娘、息子や孫にはこれら革命きちがいの低劣な言辞
を受け継がせたいとお考えか。一人前の大人として責任を果たす気
がないならば、大人の社会にでてこないで、一人で暮らしていなさい。

[444] リトル・ペブルに与えられたメッセージ 投稿者:紅雀 投稿日:02/01/23(Wed) 11:23
●◆「日本における聖シャーベル修道会」
( ORDER OF SAINT CHARBEL in JAPAN )
http://homepage1.nifty.com/charbeljapan/index.htm
 はじめまして!皆様は聖母予言をご存知でしょうか。それは20世紀に終わり頃より、天罰によって世界中に火の粉が降り注ぐとした恐ろしいマリア様のメッセージです。今は21世紀、たまたま神様の御憐れみにより苦難は回避されたかのようにみえますが、本当のところは一時的に引き延ばされているに過ぎず、人間に現在がある限り回避することは不可能です。しかしながらメッセージには祈りによって滅亡の危機から救うことができるとも記されています。したがって、いかなる大きな犠牲を払ってでも子供たちの未来のため、世界の将来の為にも私達は神様によって与えられた霊的使命を果たさねばならない、そこで私達は具体的な御旨の実践として日本での「聖シャーベル修道会」共同体設立を目的として、「会則・会憲」「聖母マリアからのメッセージ」などを紹介しています。どうぞ、ただの一度で結構です、私達のホームページを覗いてみて下さい!!

◆有料メールマガジン「箱舟の聖母」5/31創刊号!

 皆様もマリア様を喜ばせましょう。マリア様はあなたの小さな奉仕にも大きな恵みで報いて下さいます。あなたが愛する人の救いのために「箱舟の聖母」を役立ててください。「箱舟の聖母」は宣教誌です。購読しコピーし身近な人にわたすなら、あとはマリア様ご自身が働いて下さいます。そしてあなたの購読料はマリア様の事業を支えます。あなたのマリア様に対する奉仕を神様は永遠に忘れません。
 
メッセージを読み、マリア様の指示に聞き従い、スカプラリオを肌身離さず首から下げ、毎日マリア様に対する愛を込めてうやうやしくロザリオを唱えるなら、あなたが救うのは自分一人ではありません。その愛と、多くの人々を救いたいという望みの強さに比例して、あなたは数え切れない霊魂を悪魔の手から救えるのです。全ての人が、この戦いに召されています。多くの人が応えて、このやさしいたった10分の実践を行なうなら、マリア様は日本を救うことができます。

 日本人の罪に対する神様の正義の罰を、のばし、やわらげ、あるものはとりやめてくださるようにと取り次いでいるマリア様に、さらに力を与えるのも、私達の祈りです。その罰とは、富士山の噴火による数百万人の死、中国の侵略による全人口の60%の死、いくつもの巨大地震、大津波、火山の噴火、凶作と伝染病、彗星による火の雨、放射能汚染と数え切れません。しかも最後には、日本列島そのものが海の中に沈んでしまいます。これらの出来事は目前にきています。

 自分の救いと日本の救いを望むならば、まずあなたがマリア様の戦士として戦い、あなたのまわりの人にも戦士として戦うよう宣べ伝えなければなりません。マリア様には日本を救うために、あなたの精神的・時間的・金銭的援護が必要なのです。 
 
 ・リトル・ペブルに与えられた聖母マリアのメッセージ
 ・大警告・大奇跡・大天罰
 ・今、死ぬ人の95%が地獄に墜ちている!
 ・ファチマ第3の預言はローマ法王庁に改竄されている
 ・ロシアの奉献 
 ・富士山の大噴火と中国の日本侵略、日本列島の海没!日本の行く末を危惧する
 ・紀宮様への聖母のご出現と皇室のカトリックへの回心
 ・間もなく起こる最後の教皇ペトロ二世(現リトル・ペブル氏)の即位
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  郵便振替:口座番号00840−3−132438
         「箱舟の聖母」社


◆共同体研修のご案内

 もし私達のホームページ内のメッセージの内容にご興味をお持ちの方で、なおかつ天国へのさらなる奉献を積み重ねたいかたがいらっしゃいましたらどうぞ私達にご連絡下さい。一日当たり3000円で研修プランをご用意しています。 また当直スタッフは常に二人のみしかおりませんのでできましたら、直接お越し頂くよりも、事前に電話等にてご一報くださいましたら幸いです。ご指定の駅までスタッフが車でお迎えにあがります。

  所在地:〒448−0846
        愛知県刈谷市寺横町2−82−3
       「箱舟の聖母」社  TEL/FAX 0566−29−2805

  交通手段:JR刈谷駅下車、県立刈谷北高校近く(詳しくはカトリック刈谷教会等にお尋ね下さい)

◆ローマカトリック教会への嘆願の依頼

残念なことですが、本修道会創立以来バチカン法王庁並びに日本司教協議会はリトル・ペブル氏のイエズス様と聖母マリアのメッセージを全く足蹴にしており耳を貸そうとも致しません。そればかりか、奇跡を売物にするとの不当な容疑により聖シャーベル祈りの家の活動に対して異端宣告・解散要求を突きつけようとさえしています。
そこで、皆様にお願いがあります。どうか、私達のページ中の彗星の到来を予告する「報道機関への公式声明」をはじめ幻視者のメッセージ中の緊急を要すると思われる部分を切り取って、日本中のカトリック教会にEメールで送信して下さい。
世の終わりは近く時期は迫っています。何卒皆様の御協力をお願い致します。

  http://www02.so-net.ne.jp/~catholic/Jpn.htm

※なお私達はあくまで真理を追求し霊魂を研鑚する正統的なカトリックの団体です。クリスマス期間中をはじめここ最近私達に成りすました一部の方による悪質な嫌がらせが続いていますが、万一不審な投稿、メールをご覧になられた場合は法的手段等を行使して全力を以って追跡・追及しますのでお手数ではありますが日時、内容、ソースを明記のうえ私達にご一報頂ければ幸いです。またこの投稿はマリア様のメッセージのお知らせであって宗教勧誘を目的としたものではありません。

<a href="http://homepage1.nifty.com/charbeljapan/index.htm"><img src="http://homepage1.nifty.com/charbeljapan/hakobune.gif">
</a>

[382] ”友好貿易”の変質と中国の容喙 投稿者:大阪の人 投稿日:01/11/21(Wed) 04:21
今回紹介するものは
・日中貿易促進会友好代表団と
  中国国際貿易促進委員会との共同声明(1966.1.22)
・日本国際貿易促進協会経済友好代表団と
  中日国際貿易促進委員会との会談要録(1966.9.18)
です。

この2つの団体は、所謂”日中友好貿易”を50年代、60年代と
担っていた団体です。日中貿易促進会の方は、中小企業中心で
安保反対などの政治課題も掲げる(暴力闘争は無論しない)団体
でありました。国際貿易促進協会の方は、財界と大企業が中心で
そもそもソ連中国との貿易一般を拓こうという事が「国際」と
いう名称にも現れていますように、中国一辺倒では無論なく、また
財界筋の影響力が強い団体で、安保反対などの政治課題はほとんど
掲げることはない、よくいえば非政治的、悪く言えば利益団体的な
傾向が元々あったとのことです。
いずれの団体にも、その事務局には日本共産党員が多く占めて
いました。

ところで、ちょうど文化大革命の時期に、なぜか日中貿易促進会
の方だけが、ここに見られますように、「反中国団体に転落した」
といういいがかりを一方的につけられて、貿易の相手方である
中国党政府に閉め出しをくらい、「非友好的人士を役員から排除
せよ」などと中国側に容喙され、あまりのご無体に追従不能で
解散させられてしまったのでした。そして、(元々財界筋の肝煎り
でその影響力がつよく、非政治的態度をとっていたはずの)国貿促
の方なんですが、文革に乗じて、いわばシェアを取り合いしていた
日中貿易促進会を排除し、加えて中国文革政府におぼえめでたく
取り入ろうという事で、動いてゆきます。

その中で、(これまで口にすることがなかった)政治スローガンが
どんどん中国いいなりにでてきまして、そもそも貿易促進という
ことは日本側としては大なり小なり皆業者、ブルジョアジーなわけ
ですが、日本最高の革命家とでもいわんばかりの勇ましく、政治
一辺倒のスローガンとプロパガンダになってしまいます。

この友好貿易のアクターの一方が、このHPの主題である、1967年
の後楽寮事件にも”オールスターズ”の一員として登場します。
これが、戦後の政治闘争の中でも無類の、”現世利益つき”の
暴力闘争の中国流の珍現象でありました。こんなにわかりやすい
話はありません。猛獣さんなんて自己の矜持のおつもりで”猛獣”
と称しておられるのでしょうが、彼ら業界人はむしろエコノミック
アニマルでありまして、儲けのためにはひとを殴るものを壊すも
平気というのが特徴でありました。

ちゃんとでてきて、友好協会(ニセ日中)や日本共産党
(日修)と闘わなければ、誰に密告されて、それが元で貿易取引の
シェアが奪われるかわからない、また怪我でもしようものならば
”勇敢な英雄”だとして、取引額がはねあがる。そのためには何と
しても暴力闘争をはでにしなければならない、というわけでした。
警察相手や米軍相手に本気で”闘争”しても「4つの敵」の一つ
ですから、中国との関係ではよかったはずですが、警察相手なんて
毛頭考えていませんし、「4つの敵」の中でも実質もっとも反発を
していたのが日本共産党であったので、暴力闘争を仕掛けるのには
”相手にとって不足はない”というわけで、日本共産党攻撃を
最大の闘争目標として一所懸命に”暴れた”のでした。

あまりの事に、既に1980年頃の中国側の貿易と国際関係の
歴史書などでも、「当時は「左」の傾向の強い表現を用いすぎた」
というような(反省と言えるような本質的反省ではなかったが)
一定の手直しをせざるをえない程であったことも付記します。

ちなみに、日中貿易促進会との会談内容の中で、北九州と名古屋
の貿易展覧会が計画され、互いの協力を約しているのにご注目。
これが、国貿促との会談では、似たような協力関係を2重に締結し
「すでに日中貿易促進会は反中国」といいはじめています。どこかで
たしか貿易展の【中】で反中国であったとの話にすりかわっている
のですが、貿易展を間近に控えた会談では「緊密に」相談して
日中貿易促進会を排除しちゃうという風に読めますし、#363など
貿易展の後では、この貿易展で「よくやった」「でかした」という
ニュアンスの「お言葉」を国貿促が中国文革政府に賜っています。

また、そもそも政治課題を掲げて活動もするといっても、日中貿促
の方はご覧のように、冗長さはなく、中国相手でも簡素で事務的に
会談しておりますが、文革開始以後、文革礼賛派のにわか政治主導
型の会談の中身はと申しますと、ひたすら文革礼賛、ひたすら中国
万歳なのが特徴で、くだくだしく、冗長でワンパターンです。

あと、注意して読めば、「友好と団結を強化し、アメリカ帝国主義、
日本反動派、ソ連現代修正主義指導グループおよびそのさまぎまな
新しい追従者と古い追従者に反対するためにともに奮闘しなければ
ならない」として、(まだ貿易展もしてないのに注目)名指しは避け
ていますが、「4つの敵」のお題目が滑り込ませてありますね。9月
でこれですから、やはり7月に毛沢東氏がこれを述べた、という事が
蓋然性が増すわけです。

[383] 66年1月 投稿者:大阪の人 投稿日:01/11/21(Wed) 04:22
日中貿易促進会友好代表団と
中国国際貿易促進委員会との共同声明
(1966.1.22)

日中貿易促進会友好代表団は、中国国際貿易促進委員会の招きにより、1月8日中華人民共和国を訪問した。代表団は北京滞在中、中国国際貿易促進委員会をはじめとする各関係部門の責任者と会見し、当面のアジア情勢、日中関係、友好貿易ならびに本年度の共通の業務等について、極めて友好的な雰囲気の中で、隔意のない意見の交換をおこなった。

ここ数年来、日中友好貿易は双方の努力により発展をつづけ、1965年の輸出入総額は前年よりも大幅に増加した。

中国側は、日本の友好商社をはじめとする日中貿易を望む広はんな業界が、永年にわたって、米日反動勢力の設けたさまざまな障害と闘いつつ、日中友好と貿易の発展のために営々として努力し、このような成果をあげたことにたいし、賞讃の意を表した。

代表団は、中国測が、日中友好貿易を志す日本の業界の困難な立場にたいして示した深い理解と並々ならぬ支持、協力に感謝した。

代表団は、中国の国民経済が「自力更生、奮発図強」のスロ一ガンのもとに、3年つづきの自然災害とソ連のフルシチョフをかしらとする指導グループの契約・協定の一方的破棄等によってうけた困難をのりこえ、工農業は全面的な高まりをみせ、外債は完全に返済され、物価は安定し、人民の生活がめざましい向上を示している状況をみて、日中貿易はいちだんと大規模な発展を遂げる可能性があると確信した。中国側は、もし中日両国の問に米日反動勢力が設けた人為的障害を取り除くことに成功すれば、中日貿易の前には、洋々たる発展の前途があると指摘した。

双方は、日中両国人民の共通の願いと発畏の客観的可能性からみるならば、今日の日中貿易の規模は決して満足すべきものでないことを指摘した。

双方は、アメリカ帝国主義がベトナム侵略戦争を拡大し、日本の佐藤政府がアメリカ帝国主支支義の戦争と侵略の政策に追随して「日韓条約」を強行採決し、中国敵視をいっそう強め、アジアの緊張を激化させたため、日中貿易は大きな障害に出あったと一致して認めた。

代表団は、日本の友好商社をはじめとする友好的な多数の業者が政治3原則、貿易3原則、政経不可分の原則に立って、あらゆる政治的障害をとりのぞき、日中友好貿易の発展のために努力する決意を披瀝した。

双方は、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争の拡大は、今日アジアと世界の平和にとって最大の脅或であることを一致して認め、これが印度支那地域ばかりか、中国と日本をも戦争に捲きこむ大きな危険があると指摘した。中国側はあくまでベトナム人民の側に立って、だんことしてアメリカ帝国主義と闘う決意を表明した。

代表団は、日中友好と貿易を守り、発展させるためには、当面、何よりもまずアメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争に反対し、これにたいする佐藤政府の積極的協力に反対し、「日韓条約」に反対することが最大の課題であることを強調し、そのために奮闘する決意を表明した。

双方は、日中貿易促進会が提案した若干の具体問題について話合いをおこなった。

(1)双方は、これまでの経験から展覧会の相互開催が両国人民の友好と貿易の増進にとって非常に役だっていることを認め、1962年の議定書に調印した日中双方の関係団体が出来るだけ早い機会に、引続き展覧会を相互に開催することについて話合いをおこない、その実現を促すことを提案した。代表団は、日中貿易促進会が他団体と共に、本年日本の二つの都市でおこなわれる予定の中国の展覧会を支持し、全力をあげてその成功のために協力することを約した。

(2)双方は、技術交流、輸出入商談、海運業務等のための人事往来が、両国人民の友好と相互理解および貿易の発展に役だつことを確認すると共に、代表団の提出したいくつかの具体的提案について話合いを行ない、その実現のために努力することにつき合意に達した。

(3)海運、運輸につき、双方は、友好の基礎の上に協力の可能性を研究し、その具体化をはかること、ならびに貨客船の就航は両国人民の友好の増進に寄与することを認め、互いに協力してその実現を促すことを申合せた。

1966年1月22日 北京にて
日中貿易促進会友好代表団

川瀬一貫、隅井正典、本庄正夫、伊藤正弥、石川 久、川上来三、森本清治、似田 博、中山由三、斉藤得七、斉藤秀和、皿屋文雄、柳瀬徹也、山本省三、香山 俊、増川治男、山口心作、望月貢一

中国国際貿易促進委員会

張化東、勇竜桂、王暁雲、張致遠、劉双恩、陳 氷、賀法嵐、岳 民、李永亭、徐 風、董 超、周 斉、孫 放、張伝茂、林連徳、鄭鴻業、黄坤益、王武昌
(『日中関係資料集』1967年刊)

[384] Re: 66年9月 投稿者:大阪の人 投稿日:01/11/21(Wed) 04:23
日本国際貿易促進協会経済友好代表団と
中日国際貿易促進委員会との会談要録
(1966.9.18)
日本国際貿易促進協会の経済友好代表団は、中国国際貿易促進委員会の招きを受け、1966年8月、中華人民共和国を訪問した。代表団は、北京滞在中に、中国国際貿易促進委員会をはじめ各関係部門の責任者と会談し、当面の国際情勢、日中友好と貿易関係ならびに双方の関心をよせている諸問題について、極めて友好的にはなしあいをおこなった。

代表団は次のようにのべた。各地の参観をつうじ、中国人民が建国17年来、さまざまな困難と障害をのりこえ、社会主義建設をすすめ、工業、農業の面で大きな成果をかちとり、中国の科学、技術の進歩がきわめて急速であり、国民生活も非常に安定していることを確認した。代表団は、訪問先のすべての都市、農村工場、鉱山、研究所で、プロレタリア文化大革命が大規模に深く展開されている実状を視察した。代表団は中国のすべての人びとが、毛沢東主席の著作を学び、毛沢東思想にみちびかれて、社会主義建設をめざし、奮起努力しているすがたをみて、この文化大革命運動が、生産、技術、文化その他すべての方面で、新たな発展の原動力となっていることを理解した。代表団は、プロレタリア文化大革命が中国の社会主義革命の新しい段階への発展であり、広大な国土と7億の人口をもつ中国の発展は、洋々たるものであることを確認した。

代表団は次のようにのべた。日中貿易は、「吉田書簡」「ココム」、人事往来の制限などさまざまな人為的障害にもかかわらず、日本の広はんな国民大衆の支持と、ますます増大する友好商社、産業界のえいえいたる努力と中国側の一貫した努力によってたえず発展してきた。日中両国民は再び戦わず、子々孫々まで友好でなければならず、日中両国の国交正常化と正常な貿易関係の樹立は、両国民の願望と利益に合致し、何者もはばむことのできない歴史の流れである。

代表団は、日中友好と貿易の発展を実現するためには、その障害をとりのぞかなければならないと強調し、団長が指摘した如く、今日平和を守り、日中友好と貿易を発展させるうえで、もっとも大きな妨げとなっているのは、アメリカ帝国主義の侵略と戦争の政策、とくにベトナム侵略の“エスカレーション”と中国封じ込め政策であり、またこれに協力する佐藤内閣の中国敵視政策にあるとのべた。

代表団は次のようにのべた。日本国際貿易促進協会とその代表団は、日中友好と貿易を守り発展させるため、広はんな日本人民とともに、あらゆる種類の妨害や破壊と断固たたかい、いかなる困難があろうとも、日中友好の旗をさらに高くかかげる決意である。民間の友好貿易を守り発展させるために、今日までの成果を基礎に、日中関係の政治3原則、貿易3原則および政経不可分の原則を固く守ることが必要であることを確信している。

中国側は次のようにのべた。代表団は極めて良い時期に中国を訪問した。今、中国人民に、毛沢東同志をはじめとする中国共産党の指導により、大いに意気ごみ、つねに高い目標をめざして、多く、早く、りっぱに、むだなく社会主義を建設するという総路線にみちびかれ、階級闘争、生産闘争、科学実験の3大革命運動をくりひろげ、偉大な勝利をおさめている。人民公社は一層強固になって発展している。全国いたるところわき立つような革命の情景が見られ、新たな全面的躍進の局面が現れつつある。今、中国人民は、史上未曾有のプロレタリア文化大革命をすすめ、四つの古いものをうち破り、四つの新しいものをうち立てており、中国の社会生産力の発展をおしすすめる強大な原動力になっている。プロレタリア文化大革命の高まりにつれて、わが国の工農業生産は一段と新しい面貌を現わし、より一層の新しい繁栄を見せている。労農兵大衆、革命的知識人および広はんな幹部は、毛主席の著作をあらゆる活動の指導方針にしている。毛主席の著作を実際に結びつけて学び運用するという大衆運動は、中国の政治、経済、軍事、思想、文化その他の分野で豊かな実りを見せている。中国人民はかたい信念をもって、毛沢東思想の偉大な赤旗を高くかかげ、社会主義革命を最後までおしすすめ、第3次5カ年計画を実現し、中国を強大な社会主義の国家に築きあげるために奮闘している。

中国側は次のようにのべた。中日両国人民の友好と正常な貿易関係を発展させ、アジアと世界の平和を守るため、われわれ両国人民の友好の途上にあるさまざまな人為的障害とまっこうからとりくみ、これをとりのぞかなければならない。中国側は次のように強調した。

アメリカ帝国主義は一貫して全世界で侵略政策と戦争政策をおしすすめ、目前、ベトナムの侵略戦争の拡大に拍車をかけている。中国人民は断固ベトナム人民の側に立ち、ベトナム人民の抗米救国の偉大な闘争を全力をあげて支援するものである。佐藤政府が成立していらい、ますます反動化し、アメリカ帝国主義と現代修正主義の画策によるアジアにおける反中国の新しい神聖同盟の一員になろうとやっきになり、軍国主義の復活を早め、中国敵視の政策をとっている。これは、中日友好と貿易関係の発展を妨害し破壊するのみならず、さらにアジアと世界の平和に重大な脅或をあたえている。これにたいし、われわれ両国人氏、両国経済貿易団体と関係者は、友好と団結を強化し、アメリカ帝国主義、日本反動派、ソ連現代修正主義指導グループおよびそのさまぎまな新しい追従者と古い追従者に反対するためにともに奮闘しなければならない。

中国側は、中日両国人民の友好と貿易関孫を発展させ、正常な経済と文化交流を増進させることは、中日両国人民の共通の願望であり、また、両国人民の根本的な利益に合致するものであり、中日両国人民の友好往来を妨害し破壊するいかなる勢力とその卑劣な陰謀も、みんな無駄骨であり、結局、石をもちあげて自分の足を打つのにほかならないと考える。

代表団は、今回の中国訪問期間中、中国側がはらった至れりつくせりのお世話と友情溢れる受け入れに厚く感謝の意を表明し、今回の訪問でえた成果と、中国人民の日本人民に対するあふれるような友情をたずさえて帰国し、中国の実情を広く国民と経済界に知らせ、日中友好と貿易を発展させるため、その途上にある障害をとりのぞく決意を表明した。

中国側は、日本国際貿易促進協会経済友好代表団の今回の訪問は成功であると考える。日本国際貿易促進協会は、広はんな日本の友好商社、経済業界の人たちといっしょに、長年らい、日中友好と貿易閃孫の発展のためたゆまぬ努力をはらった。中国側はこれにたいし賞賛の意を表明し、ひきつづき協力と支持をしてゆくことを表明した。

代表団は次の4項目提案を提出した。

1.1966年に日本の北九州と名古屋で開催する中華人民共和国経済貿易展覧会の準備は、ようやく軌道にのった。双方は、その成功のため、いっそう緊密に協力しあうとともに、展覧会が日本国民の広はんな支持と協力をえて、必ず成功することを確信する。

日本国際貿易促進協会は、1967年中国の天津において、日本科学機器展覧会を開催する。

双方は、日中友好と貿易促進の見地から、1967年以降に、ひきつづき相互に各種展覧会を開催することが有益であることを原則的に確認するとともに、その具体化については別途協議する。

2.双方は、これまでに実施してきた業種別および個別の技術交流が、日中間の友好を増進し、また貿易を促進するうえで、きわめて大きな成果のあったことを確認するとともに、今後ひきつづき技術交流を活発にすすめる。

3.双方は、日中両国民、経済貿易関係者間の友好と相互理解を深め、且つ相手国の経済、市場状況を理解し、貿易促進に貢献するという見地から、双方協力して、各種の代表団 視察団等を相互に派遣する。

4. 双方は、決済、海運、保険、検査、 仲裁、商品紹介その他日中貿易を発展させるうえで必要な一切の問題につい て、必要に応じ、随時協議し協力しあう。

中国側は、代表団が提出した諸提案は、双方の共通の願望に合致するものと同意し、これを大いに支持すると表明した。双方は、日本国際貿易促進協会と中国国際貿易促進委員会がこれまで良き協力関係を結んできたことをかえりみ、これに満足の意を示した。双方は、日中貿易促進会の一部の幹部に、友好を破壊する反中国の動きがますます露骨に表われており、今後かれらが日中経済交流でなんら積極的な役割を果たすことは期待できなくなったと一致して認めた。双方は、日本国際貿易促進協会が今後さらに重大な責任をになうものと考える。双方は、日中友好の旗をさらに高くかかげ、連帯を強め、協力を密接にしてあらゆる人為的障害を克服し日中両国人民の友好と貿易発展のより一層の発展のために、ともに奮闘することを表明した。
1966年9月18日 北京にて

日本国際貿易促進協会訪中経済友好代表団
団長国分勝範
中国国際貿易促進委員会
副主席勇竜桂
(『日中関係資料集』1967年刊)

[385] Re^2: 66年9月 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/11/23(Fri) 21:40
 まず、この文章ですが、このHPの時代背景の文章でも指摘した通り、1950年代から1960年代にかけての中国は、阿片戦争以来の外国勢力、特に1930年代からの日本の侵略行為に苦しんだ末に、外国勢力を駆逐して、新しい国家建設を社会主義の旗印の下ですすんでいた時期であるとともに、アメリカを頭とする帝国主義勢力の戦争の威嚇におびやかされた非常に危険な状態にあった時期でもあります。上記の文章は、そのような時期の中国の危機感と闘志をを反映していると思いますが、特別に不自然な内容とは思えません。

 また、中国は主権をもった国家であり(このような言い方はマルクスレーニン主義のインターナショナリズム的な観点からはたしかに不満をもたれるかもしれませんが)、その貿易政策についての決定権は絶対的に中国の側にあるのであり、例えそれを自国の外交的な目的に利用したとしても、日本共産党の人士にとやかく言われるものではありません。

 四つの敵論については、私も毛沢東思想万歳のさまざまな版を収集しましたが、原編者序文に、

>  編集印刷の過程において、われわれが毛沢東思想をよく学んでいなかったことや、資料の出所に限りがあり、
> 圧倒的多数の講話と文章が未だ正式に発表されたものではなく、中にはなんども転写したものもあるため、誤字
> や遺漏は免れがたい。内部の学習に供するだけなので、公然と引用してはならない。

とあるところから見ても、この文献の記述的な正確性は割引する必要があるでしょう。それ以外の意味での資料的な価値は大きいとはいえ。

 さて、大阪の人さんは、日本共産党は、この時期にまったく中国共産党に対して含むところがなく、冷静に対応しようとしていたところ、中国側からの突然の攻撃をうけたというような考え方を盛んに吹聴していますが、私が華僑組織の信頼できる人の話を聞いたところでは、同時期に日本共産党における親中国派に対する強い圧迫があり、一種の粛清のような形で、親中国派の人士を締め出そうという動きがあったということです。中国からの攻撃が一方的にあったのではなく、双方での対立がさまざまな事情からたかまっていたと見るのが正しいと思います。

 ところで、現在の中国では文化大革命をどのように評価しているのでしょうか。中国共産党の指導者も、一般の人々も、多数意見として、文化大革命を否定的に評価しているというのは、これまでなんども確認してきた事実ですが、その内容は大阪の人さんのイメージするものとは多分大きく異なるのではないかと思います。本年(2001年)11月21日付けの読売新聞の朝刊に、「グローバリゼーションフォーラム2001」というフォーラムの記事が乗っていて、中国を代表する「邱国洪」さんと言う人が、田原総一郎氏との間で次のような会話を交わしています。

> 田原 中国の文化大革命は失敗だったと思うが。
>
> 邱  中国共産党は、社会をよりよくするため努力してきている。その過程で過ちがあるのは事実だ。
> 文化大革命は非常に大きなマイナスだったが、教訓も得られた。だからこそ、改革開放が始まった。...

 邱氏は1957年生れということ、文革世代よりは少し後の世代といえます。多分、今後、当分の間、中国における文化大革命の評価は、このようなものになるでしょう。

 文化大革命の時期における日本共産党の中国共産党批判は、共産党としてのイデオロギー的な批判であり、私はその時代の中国が抱えていた問題を解決するような建設的なものであったとは考えません。後に文化大革命という過激な政策を中国自身が放棄したのも、日本共産党の批判を受け入れたからでもないし、またその批判の方向に沿って政策を転換したわけでもありません。繰り返しますが、日本共産党の中国共産党に対する批判が、中国の抱える多数の問題の克服に建設的に役立ったとは考えられません。

 さらに、日中友好運動について言うならば、日本共産党系の日中友好協会の努力を私は高く評価することはできません。彼らが守ってきたのは運動ではなく、組織であると考えます。

 善隣学生会館の事件についてですが、それ以前からの赤旗の論調、善隣学生会館内で日中友好協会(ニセ日中)が亜細亜通信などの「労組」の「争議」を支持し激励する集会をひらき、在日中国人の寮生を挑発したこと、また、この事件が発生した後の赤旗の論調などをみると、明らかに日本共産党側でも華僑学生などの側を一方的な敵とみていたことがうかがえます。

 日本共産党が一方的な被害者であるという大阪の人さんや不破さんなどの主張には、私は同意できません。今後、日本共産党が日中友好や中国自身の発展に貢献する可能性を否定するものではありませんが、すくなくともこれまでの日本共産党やその配下の日中友好協会が、そのような点で大きな貢献をしたということはありえないと思います。

[389] 「文革」以前と「文革」の区別 投稿者:大阪の人 投稿日:01/11/24(Sat) 21:35
猛獣さん、こんにちわ
少し語調が改まりましたね。

|  まず、この文章ですが、このHPの時代背景の文章でも指摘した通り、
| 1950年代から1960年代にかけての中国は、阿片戦争以来の外
| 国勢力、特に1930年代からの日本の侵略行為に苦しんだ末に、外
| 国勢力を駆逐して、新しい国家建設を社会主義の旗印の下ですすんで
| いた時期であるとともに、アメリカを頭とする帝国主義勢力の戦争の
| 威嚇におびやかされた非常に危険な状態にあった時期でもあります。
| 上記の文章は、そのような時期の中国の危機感と闘志をを反映してい
| ると思いますが、特別に不自然な内容とは思えません。

まさに50年代から60年代にかけての中国の従来の論調のスタイルや
発言でけして見られない論点がいくつも散見されます。
もっといくつでもあります。随時BBSに書き込みするつもりです。
文革以前と文革中との違いがおわかりにならないのか、意図的に混同
させている猛獣さん。

まずは日中貿易促進会との1月の内容と9月の国貿促との内容との差
だけでも比較にできるとあげました。また、貿易展の内容に関して
その準備の当初は日中貿促と結び、9月に結び直ししているやり方は
普通ではありません。それから、貿易に関して、どうして日中貿易促進会
をこのような規定で排除し、その排除を国際貿易促進協会との交渉の中で
発表したりするのでしょうか。貿易業界同士のシェア争いを利用して
糸を引いて操る中国の大国主義の内政干渉の姿として、その手先に国貿促
を選んだという明白な証拠と言えましょう。猛獣さんの説明ではこれら
どれ一つにも説明になっていません。

|  また、中国は主権をもった国家であり(このような言い方はマルクスレ
| ーニン主義のインターナショナリズム的な観点からはたしかに不満をもた
| れるかもしれませんが)、その貿易政策についての決定権は絶対的に中国
| の側にあるのであり、例えそれを自国の外交的な目的に利用したとしても、
| 日本共産党の人士にとやかく言われるものではありません。
|  四つの敵論については、私も毛沢東思想万歳のさまざまな版を収集しま
| したが、原編者
| 序文に、
(略)
| とあるところから見ても、この文献の記述的な正確性は割引する必要があ
| るでしょう。それ以外の意味での資料的な価値は大きいとはいえ。

「主権をもった国家」は結構ですが、主権をもった国家間だからこそ貿易
があるのであり、当然そこには守るべき準則などがすでに存在しているはず
でありますし、貿易の内容ではなくて、内政干渉、対日暴力革命工作なりに
これら業者を動員したという経過であります。「このような言い方はマルクス
レーニン主義のインターナショナリズム的な観点から不満」があるのは猛獣
さんなり、文革干渉者の側でありましょうが、「平和五原則」の一番肝心な
点はそのような外国に干渉しない、革命の輸出をしない、路線を押し付けない
という事でありました。日本の対中貿易業界への中国党政府の口出しはすでに
内政干渉という他ありません。

それから、「4つの敵」の件を、まだ未解決のようにるる述べ立てるのは
あまりに滑稽です。朱秘書長さんも黙って聞いていて、ここに反論をさしはさむ
事はなさいませんでした。外交エスタブリッシュメントの中では解決済みです。
中国党政府の中で「4つの敵」の一つが「日修」だとか「新しい修正主義」が
日本共産党だとか言われていた事は明々白々の事実であります。毛沢東が指示
した事でなかったなんて言えば、趙安博氏や周恩来氏、廖承志氏だって怒ると
思うな。それから、それじゃ「4つの敵」の由来は、最初に誰が指摘し、いつ
指摘し、どのような経過で中国党政府の対日チームの第一に掲げる課題となった
というのでしょうか。誰しも納得できうる猛獣説をお伺いしたい。日本語に初めて
書き込まれたのは、この66年9月の国貿促との文書であり、これが原型となり
それ以後のあらゆる文書や声明に登場するようになってゆくと思います。

|  さて、大阪の人さんは、日本共産党は、この時期にまったく中国共産党に
| 対して含むところがなく、冷静に対応しようとしていたところ、中国側から
| の突然の攻撃をうけたというような考え方を盛んに吹聴していますが、私が
| 華僑組織の信頼できる人の話を聞いたところでは、同時期に日本共産党にお
| ける親中国派に対する強い圧迫があり、一種の粛清のような形で、親中国派
| の人士を締め出そうという動きがあったということです。

親中国派と文革礼賛派とを混同なさいますな。親中国派がいなくなれば、もう
貿易のうま味もなければ何を好きこのんで日中友好協会が存続してきたので
しょうか(反語)。西村氏も華僑寮生とピンポン遊びをしたりするような性質
の人でありまして、敵対する人士が選抜されてでてきたとかいいだすとすると
それに見合った特別の報酬だとか、特殊な利権でも割り当てしなければならない
だろうし(ああ任政光氏はたしかに暴力闘争に特別見合った報酬がありましたね)
それにしても何年も続くことはありますまい。これが30数年つづいてきて中国
政府党が和解して訪中代表団を受け入れたというのも、別に人員をにわかに入れ
換えした友好協会ではなく、そのまま続いた組織が訪中代表団に受け入れられた
わけです。日本”華僑組織の信頼できる人の話”が信頼できないのは残念ですが
あなたも薄々感じておられるように、中国共産党中央委員会政治局常務委員級
や中央委員会中央対外連絡部級では通っているお話が、日本の、東京の親北京側
の華僑総会の一部、あるいは主流の人士の中でだけは通っていないという事が
ここに事実としてあると見なさざるを得ません。

| 中国からの攻撃が一方的にあったのではなく、双方での対立がさまざまな
| 事情からたかまっていたと見るのが正しいと思います。

当方がこの元ツリーであげましたのは、貿易展のいきさつでした。まだ
貿易展の中でどのような、という話は挙げていませんが、貿易展をそもそも
提案されたのは日中貿易促進会の訪中団との会合であり、ここでは親しく
がんばりましょうと約束されているわけであります。また、貿易展間近になり
日本国際貿易促進協会との会合において、もうすでに日中貿易促進会はだめ
だという話になっている。貿易展もまだなのに、どうやって貿易展で反中国の
「みにくい姿を暴露した」りできるのでしょうか。これから貿易展をするという
時に、片方と「もう相手方は担い手として不適切」なんて示し合わせて、緊密
に連携して頑張ろうというのは、両者で日中貿易促進会を排除しようというたく
らみであり、「とやかくいわれるものではない」どころか、この貿易展の中身
で反中国だとかその裏には日共日修がいるだとかと言い立てたそもそもの根拠
の件でありまして、「いわれるものではない」は「筋違いの主権論」です。

|  ところで、現在の中国では文化大革命をどのように評価しているのでしょうか。
| 中国共産党の指導者も、一般の人々も、多数意見として、文化大革命を否定的に
| 評価しているというのは、これまでなんども確認してきた事実ですが、

誰が、これまで何度も、どこで確認してきた事実でしょうか。当方は
かなりの部分指摘し、確認を求めてまいりましたが、猛獣さんの議論は
一度も真面目のこの件を取り上げてなく、文化大革命の議論ではこの
後で猛獣さんが引用された中国国内の声と大同小異の程度の発言をくり返し
ておられただけです。

こないだの「横浜華僑」の本を開いてご覧なさい。刀で切られかけた中国人
どうしの争いが70年代にあったそうですね。相手は国際勝共連合の人士と
共に対決したとありますから台湾側の政治勢力なのでしょうか。あるいは
学校の寮か何かの建築に意見を言ったら、それ以後政治的に排除されて
家やお店に中国人の暴力集団がやってきて、店を壊されたりしたという女性
がでてきます。これも文革当時の日本の横浜での事件だったそうです。この
人士は間違いなく華僑華人でありまして、文革の当時のでたらめな暴力闘争に
関しては、猛獣さんとは天と地ほども認識に開きがあるように読みましたが
どうでしょうか。

あるいは「鍼灸の世界」を著した呉鐸森氏はどうでしょうか。文革で迫害
されて、その後医師として頭角をあらわし、80年代に訪日して、日本国籍
を取得した華人で東京に治療院があるそうです。彼の「ワイルドスワン」
を姜克実氏は「現代中国を見る眼」の次の版に書き加える必要があるのでは
ないかと思います。

|  さらに、日中友好運動について言うならば、日本共産党系の日中友好協
| 会の努力を私は高く評価することはできません。彼らが守ってきたのは運
| 動ではなく、組織であると考えます。

あなたがUFOを信じようと、シオンの議定書を信じようと、あるいみで
自由です。生命が尽きて毛沢東氏の所にゆくまでそれを信奉している自由
があなたには残されています。ただし(正統)の人士が成田で殺し合いを
頑張った事や、新宿で騒乱したこと、東大の正門に毛沢東の肖像を掲げて学校
をぶちこわしたことを中国と日本との友好のためのエピソードだと強弁する
と中国というあなたの外部にある存在と、日本というあなたの脳の外にある
存在との関係でいろいろ問題が生起する危険がありますので、これを脳外
とりわけウェブに載せるにあたっては、きびしい現実との検証が必要で
ありましょうし、その検証を当方が多少なりともお手伝いしているのです。

また、「後悔はない」と見栄を切って頑張る任氏は、自分の息子や孫にも
また機会があれば、自分のように暴力闘争を働いて、それで一財産つくれ
と教えているのでしょうが、猛獣さんもこれにならって、ご自分の息子さん
やお孫さんに任氏らのように暴れろ、できうるものならば「もう一度」新宿
を騒乱に陥れ、空港建設を破壊し、東大正門に毛沢東の肖像画を掲げさせ
宮本氏や不破氏の憎々しげな似顔絵やら「でていけ」という張り紙やらを
どこでも張り出すようなお行儀に躾てみたいと思うのでしょうか。再び
「あさま山荘」事件を起こし、その前に仲間を毛沢東思想によって「ソウカ
ツ」しちゃう人士を育成したいと思っているのでしょうか。他人を「ソウカ
ツ」しても生き残っていればまだしも、ほんのささいな食い違いで本人が
「ソウカツ」されて、どこか雪の中で木にしばりつけられて虐待死する
などという目に猛獣さんは遭遇しても、「偉大な毛沢東思想に殉じたのだ
から我が子は名誉でございます」と見栄を切るのでしょうか。

|  善隣学生会館の事件についてですが、それ以前からの赤旗の論調、善隣
| 学生会館内で日中友好協会(ニセ日中)が亜細亜通信などの「労組」の「争
| 議」を支持し激励する集会をひらき、在日中国人の寮生を挑発したこと、
| また、この事件が発生した後の赤旗の論調などをみると、明らかに日本共
| 産党側でも華僑学生などの側を一方的な敵とみていたことがうかがえます。

あら。いつの間にか亜細亜通信労組が「労組」にカッコがつき、友好協会が
(ニセ日中)に戻ってしまいましたね。揺れるお心をお察し申し上げます。
寮生たちが赤旗をよんで、それに挑発されていった、という説は、赤旗以上
に人民日報やら北京放送やらが自由にやってくる日本においてはこれら中国
党政府の(文革に奪権された下での)プロパガンダ、一方的なウソ宣伝を
捨象した議論でありまして、中国党政府の責任が一番曖昧にされ、その次に
寮生の責任が相手方、つまり日本共産党なり友好協会なり、その事務員に
すりかわり、問題の原因を矮小化しつつすりかえてしまっています。党と
政府は責任はないのかどうか。

どこの党の側が「原則にあいいれないやり方をとった」と述べていますか。
その「あいいれないやり方」の具体的な戦術として廖承志東京事務所の
所長が激励に来たり、趙安博氏らが激励電報をくれたりしたのでしょう。
彼らは思いつきで、党や政府の訓令もなく、ふらっとヒューマニズムに
かられて後楽の寮にたまたまやってきたのでしょうか。そんなに暇な人?

それから、党内の文革礼賛派、北京政府のいいなり派を党内民主主義を通じて
一掃してゆきました過程は、日本共産党の値打ちでありまして、外国のヒモ
のついた派閥が自由に出入りして日本の主権を放棄し、日本を属国にと企てる
敵とは非妥協的に戦うというのは、当然です。この事と、華僑寮生なり
それ以外の華僑一般にむけての排外主義があったかどうかいうのは、もう
2000年のうちに決着がついた猛獣さんの論がまた蒸し返しででてきただけ
でありましてなぜそれがこの晩秋にでてくるかと奇妙に感じます。
何なら、西園寺公一や西沢隆二ら中国盲従派の除名の際の赤旗の広報を
参照してみてください。少なくともほうしん氏や陶鋳氏らの中国共産党
の除名の際の手続きと比して民主的に、厳正に行われていますよ。

西園寺公一の本の中で、共産党と宮本氏に対して憤懣を毒づきまくる西園寺
氏に対して、むしろ当時の戦友であった趙安博氏がとりなすように何か
書いていますね。(「過ぎ去りし、『昭和』」)

|  日本共産党が一方的な被害者であるという大阪の人さんや不破さんなどの
| 主張には、私は同意できません。

これはご自由に。猛獣さんの脳内でどのような像が結ばれ、どのような意識
に形象してゆくかは猛獣さんの精神の働きでありまして、現実の過程とは
独立してあると思います。これは人間みな同じラインでスタートするわけ
ですが、それをどのように現実と一致させるかで皆真面目に真理にむかい
過去を見つめたり未来を考えたりするわけです。その努力をするのをもう
放棄して、どうでもいいという事で、決めつけてしまったときに「時よ止まれ
おまえは美しい」とばかりに骸骨に踊らされてしまうのでしょうな。

| 今後、日本共産党が日中友好や中国自身の発展に貢献する可能性を否定す
| るものではありませんが、すくなくともこれまでの日本共産党やその配下
| の日中友好協会が、そのような点で大きな貢献をしたということはありえ
| ないと思います。

「日本共産党の配下の日中友好協会」は友好協会に対して、新たに失礼な
ものいいでありまして、改めてください。ちなみに当方は友好協会の会員に
なったことはありませんが、節度がないのは頂けません。
当方は「(正統)日中」だとか「(元正統)[社団]日中」だとかの
呼称で「脱走派日中」を呼んだことはありますが、「ニセ日中」という
ような呼称は投げておりません。ニセかどうかというのは、大きな判断で
ありまして、現実問題としてどのようにニセなのかの論述もなく、そのよう
にアプリオリに言われるのは、やはりまだ「根拠薄弱に盲従」されている
猛獣さんなのかなと思ってしまいますね。

それから「少なくともこれまでの」というのはいつ頃からいつごろまでの
事になりますか。新聞の縮刷版を見ていまして、「ベトナム反戦」の課題
や「餅つき」「餃子を食べる会」「花見」「日中不戦の碑建立運動」「灯籠
ながし運動」「きりえ運動」「中国映画上映運動」「太極拳講座」「語学校」
などなどは薬は弱くとも毒にはならない、普通の平和的な活動だと思い
ますが。何を指標にされるのか。やはり暴力主義を前面にだして、暴れて
ヘルメットをかぶることを求めているのでしょうか。それが足りないから
「反中国」だとか、「大きな貢献をしてない」というのでしょうか。
あるいは猛獣さんが、反中国だなりとまだ知らなで、信じ込んでいた
2000年頃には既に訪中して関係正常化していますが、この前後も含めて
そうおっしゃるのか。としますと、北京政府党の政策に弓をひく、
”大陸反攻の猛獣文士党”でも、結成せねばなりませんね。

そうそう逆に聞きたい事があります。
猛獣さんはそれでは(元正統)[社団]日中に何の功績があったと
考えていますか。どのような偉大な日中友好の功績を元にこの団体を
(正統)に日中だと称するのに同意するのでしょうか。
もしも「どちらも日中として功績がない」のであれば、ついに中国の政府
は日本に友好団体がない友人のない状態を招来した事になるかも知れません。
それもこれもひとえに日本人が悪いからだけでしょうか。
それとも、文革とそれ以後90年代まで続いた対日干渉の結果でしょうか。
こうして見てきますと、少なくとも友好協会は自主的なボランティア組織
でありまして、日本政府外務省の支援をうけた特殊法人ではないわけで
民間団体として、それなりに奮闘しているわけです。革命に役立つとか
中国党政府の現下の路線に都合がいいとか悪いとか、そのような価値
判断では、あまり”利用価値”がないかも知れませんが、これを反中国とか
昔は反中国だとか事実と歴史をねじまげてしまうのは、いかがなものか。

それから、昨年に猛獣さんに宿題を出していましたね。友好協会の事務所
にいって歌でも一節うたってくるとか、切り絵の一枚でも一緒に作ってくる
とか本を一冊買ってくるとか試してくるという宿題でした。もしかしたら、
あなたは怖がっているのか、よういかないでそのままなのではないでしょうか。
あなたの訪問記一つでも書き込みがあって、その上で、印象がよくなくて
「ここは駄目」とでもいうのであれば、まだしも。見もしない、言っても
いないで判断を下すのでは、広範な人々の胸に落ちる共感は得られません。

[390] 返事 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/11/25(Sun) 00:57
> まさに50年代から60年代にかけての中国の従来の論調のスタイルや
> 発言でけして見られない論点がいくつも散見されます。
> もっといくつでもあります。随時BBSに書き込みするつもりです。
> 文革以前と文革中との違いがおわかりにならないのか、意図的に混同
> させている猛獣さん。

文革前と文革中で、文章の表現形式が変わったということ。大阪の人さんがそういうのならば
多分そうなのでしょうね。だから、何だと言うのでしょうか。文革前の中国共産党は正しく、
文革中は突然変異的におかしくなったというわけですか。司馬遼太郎氏の「統帥権」批判のような
発想ですね。確かに、文革前は日本共産党をあからさまに非難することはなかったし、文革中
は敵になり、その後また関係修復したということからいえば、日本共産党としては、文革中の
中国のみ、隔離して否定したいのですか?

しかし、私から見れば、中国共産党はよい意味でも悪い意味でも一貫して中国共産党であり、
誤りを犯すこともあれば、現代中国史において大きな功績もあったということです。

> まずは日中貿易促進会との1月の内容と9月の国貿促との内容との差
> だけでも比較にできるとあげました。また、貿易展の内容に関して
> その準備の当初は日中貿促と結び、9月に結び直ししているやり方は
> 普通ではありません。それから、貿易に関して、どうして日中貿易促進会
> をこのような規定で排除し、その排除を国際貿易促進協会との交渉の中で
> 発表したりするのでしょうか。貿易業界同士のシェア争いを利用して
> 糸を引いて操る中国の大国主義の内政干渉の姿として、その手先に国貿促
> を選んだという明白な証拠と言えましょう。猛獣さんの説明ではこれら
> どれ一つにも説明になっていません。

日中貿易の団体におけるトラブルのことも、私自身は体験していないのではっきりとものを言うことはできません。華僑報1967年1月1日の記事を引用します。

> 五、中国経済貿易展覧会妨害破壊活動
>
>(1)日本共産党の展覧会に対する妨害・破壊の事実
>
> 昨年、七月二十九日、日中貿易促進会事務局の日共細胞総会で日共本部の某氏が出席し「中国展には積極的に協
> 力しない、大動員もしない、これは党の一般方針として全国的に指示している」と述べてる。
>
> 更に七月二十二日長野県松本で国際貿易促進議員連盟の総会が開かれたがその前夜共産党議員グループ会議で
> 日共本部の先の某氏が出席し党中央の方針として「今回は党機関は細胞に至るまで直接には協力しない。わが党
> が動員その他に協力しなければ、みじめな失敗に終るだろう。これが党の方針である」と指示している。
>
> 日共のいう「非協力」とは展覧会をみじめな失敗に終らせるようにすることであることは次の事実によって
> はっきり証明される。

ほら、やっぱり日共はひどいやつらしいな。

>(2)中国展全国協力会における日中貿易促進会の一部幹部の妨害活動
>
> 協力会副会長隅井正典(日中貿易促進会常務理事)同協力会事務局長長岡三郎(同促進会常務理事)らは北九州
> 会場の開幕を一ヵ月後に控えながら、九月末までに一枚のポスターもニュースも発行せず、大衆宣伝など一回も
> 行わなかった。即売問題についても金額、数量、種類等を決定することを引延ばし、中国側のたびたびの催促に
> 対しても日本側で自主的に決めることであって、中国側に相談する必要はない」と握りつぶす有様。
>
> また日中貿易促進会は事の重大さに数回会議を開いて彼らの責任を追及したが彼らは反省しようとしないので
> 彼ら一派を排除するため十月二十六日の臨時総会で解散を決議し、十一月十五日、日中貿易会設立準備会が発足
> した。
>
>(3)中国展北九州会場に対する妨害
>
> 西日本協力会に日中友好協会福岡県連から警備接待部長法小沢和秋(共産党福岡県議員)や事務局次長(候補)
> の小林金光や宣伝動員部員が出されていたが彼らは九月中旬になっても動員宣伝をやらず開幕を二週間後にひか
> えて警備計画も立てないので社会党員、地評が独自の警備計画を立ててもって行くと「警備部長の指示に従え」
> と要求する始末、その為会場は中国の代表団員と華僑も夜警せざるを得ない破目になった。
>
> そればかりではない。中国側で雇った労働者やアルバイト学生に対しさぼるように扇動したり解任されるや
> 記者会見をやったり、会場で反中国のビラをまいたりして「右翼」顔負けの妨害を行った。名古屋会場におい
> ても大橋満男(日中友好協会愛知県連事務局長)らは妨害の数々を尽くした。このような彼らの妨害・破壊
> 活動を終始一貫弁護し激励しているのは、日共の機関紙「赤旗」である。

こういうことばかりしているから、批判されるのではありませんか。それともこの記事は嘘八百ですか。わかりやすくお答えいただきたいですね。

> 「主権をもった国家」は結構ですが、主権をもった国家間だからこそ貿易
> があるのであり、当然そこには守るべき準則などがすでに存在しているはず
> でありますし、貿易の内容ではなくて、内政干渉、対日暴力革命工作なりに
> これら業者を動員したという経過であります。「このような言い方はマルクス
> レーニン主義のインターナショナリズム的な観点から不満」があるのは猛獣
> さんなり、文革干渉者の側でありましょうが、「平和五原則」の一番肝心な
> 点はそのような外国に干渉しない、革命の輸出をしない、路線を押し付けない
> という事でありました。日本の対中貿易業界への中国党政府の口出しはすでに
> 内政干渉という他ありません。

貿易を通して政府が行なえることはそれほど多くはありません。商品を売買し、代金を決済するという取引が貿易の本質であるのだから、その動き自体を変えることは誰にもできないでしょう。中国政府ができることといえば、貿易の窓口の業者を指定して、その業者が莫大なマージンを得られるようにすることだけでしょう。文革前は、このような利益は基本的には日本共産党系の「企業」に流れていたということです。しかし、文革中は日本共産党があれほどまでに中国共産党と対立していたのだから、その敵対勢力を中国が利することは普通に考えてもないでしょう。日本共産党は、かつて得ていたそのような利益を親中国派にさらわれたから、橋爪氏のようにいろいろ愚痴が出たのではありませんか。これをもって内政干渉とか、革命の輸出だとか言うのは、ちょっと通らない話ではありませんか。

> それから、「4つの敵」の件を、まだ未解決のようにるる述べ立てるのは
> あまりに滑稽です。朱秘書長さんも黙って聞いていて、ここに反論をさしはさむ
> 事はなさいませんでした。外交エスタブリッシュメントの中では解決済みです。
> 中国党政府の中で「4つの敵」の一つが「日修」だとか「新しい修正主義」が
> 日本共産党だとか言われていた事は明々白々の事実であります。毛沢東が指示
> した事でなかったなんて言えば、趙安博氏や周恩来氏、廖承志氏だって怒ると
> 思うな。それから、それじゃ「4つの敵」の由来は、最初に誰が指摘し、いつ
> 指摘し、どのような経過で中国党政府の対日チームの第一に掲げる課題となった
> というのでしょうか。誰しも納得できうる猛獣説をお伺いしたい。日本語に初めて
> 書き込まれたのは、この66年9月の国貿促との文書であり、これが原型となり
> それ以後のあらゆる文書や声明に登場するようになってゆくと思います。

 1966年の毛沢東主席の講話で四つの敵をならべたという説は、信頼できないと思います。それ以外で実際に何時の段階で四つの敵という言葉が採用されるようになったのか、いまのところ不明。ただ、ソ連修正主義とその新しい協力者というような表現がどこを指しているにしろ、そのようなあいまいな表現と、四つの敵というある意味非常に明快な定義とは同じではないと思います。

 私がこの言葉をはじめて聞いたのは、もちろん善隣学生会館事件の後でした。それ以前は、私は日本共産党について、敵とも味方とも考えていなかったものですから。私の印象ですが、善隣学生会館に日本共産党が武装部隊を動員し、華僑学生や日本人の支援者を襲撃し多大な被害が出た段階で、日本共産党に対する「敵」という定義がでてきたのではないでしょうか。北京で、赤旗の駐在員などが暴行されたのは、善隣学生会館事件よりもずっと後の1967年8月です。

 私、1960年代後半から1970年代にかけて、日本共産党はまさに四つの敵の一つであり、この定義に違和感はなかったですね。その心情的な根拠となっていたのは、善隣学生会館事件です。

> 親中国派と文革礼賛派とを混同なさいますな。親中国派がいなくなれば、もう
> 貿易のうま味もなければ何を好きこのんで日中友好協会が存続してきたので
> しょうか(反語)。

これでは、中国を愛して中国侵略に加担していった大陸浪人の心情とかわるところはありませんな。

> これが30数年つづいてきて中国
> 政府党が和解して訪中代表団を受け入れたというのも、別に人員をにわかに入れ
> 換えした友好協会ではなく、そのまま続いた組織が訪中代表団に受け入れられた
> わけです。日本”華僑組織の信頼できる人の話”が信頼できないのは残念ですが
> あなたも薄々感じておられるように、中国共産党中央委員会政治局常務委員級
> や中央委員会中央対外連絡部級では通っているお話が、日本の、東京の親北京側
> の華僑総会の一部、あるいは主流の人士の中でだけは通っていないという事が
> ここに事実としてあると見なさざるを得ません。

組織と看板を続けただけでしょう。

大阪の人さん、討論するときは、論点を整理してほしいですね。

敵対関係があるから敵でしょう。日本共産党は中国を実効支配する勢力と敵対していたのですか。敵対していなかったのですか。敵対していないのに、相手が敵といったのですか。どんな勢力でも、自分の主張などに敵対しない人や団体を、敵とは言いませんよ。

> そうそう逆に聞きたい事があります。
> 猛獣さんはそれでは(元正統)[社団]日中に何の功績があったと
> 考えていますか。どのような偉大な日中友好の功績を元にこの団体を
> (正統)に日中だと称するのに同意するのでしょうか。

そう思いますね。日中友好運動というものが、正確にどのように定義されるのかも難しい問題ですが、とにかく国交回復以前から今日までの日中友好運動を実質的に担ってきたのは、正統本部のほうだと思います。だから、自民党やら、公明党やら、さまざまな考え方の人びとが参加できたのではありませんか。

> それとも、文革とそれ以後90年代まで続いた対日干渉の結果でしょうか。

当方は、対日干渉などあったとは認識していません。

> それから、昨年に猛獣さんに宿題を出していましたね。友好協会の事務所
> にいって歌でも一節うたってくるとか、切り絵の一枚でも一緒に作ってくる
> とか本を一冊買ってくるとか試してくるという宿題でした。もしかしたら、
> あなたは怖がっているのか、よういかないでそのままなのではないでしょうか。
> あなたの訪問記一つでも書き込みがあって、その上で、印象がよくなくて
> 「ここは駄目」とでもいうのであれば、まだしも。見もしない、言っても
> いないで判断を下すのでは、広範な人々の胸に落ちる共感は得られません。

私も忙しい人間ですから。そんな約束はできません。

[391] 答弁もれがありますよ(上) 投稿者:大阪の人 投稿日:01/12/08(Sat) 11:54
>文革前と文革中で、文章の表現形式が変わったということ。大阪の人さんが
>そういうのならば多分そうなのでしょうね。だから、何だと言うのでしょうか。

猛獣さん、「多分そうなのでしょうね」とはおざなりに過ぎたものいいです。

>文革前の中国共産党は正しく、文革中は突然変異的におかしくなったと
>いうわけですか。司馬遼太郎氏の「統帥権」批判のような発想ですね。

司馬遼太郎は一つも読んだことがないので知らないのですが、話を飛躍
させないで、かいつまんで議論してもらいたいものです。どのように
中国党政府がおかしいかということは、今度新たに引用された猛獣さんの
「華僑報」ひとつとっても読解できる話でありまして、(後でします)
「批判」がどうとか、マクロな議論として「中国は日共に圧力をかけた」
という事については既に張香山氏が認め、わびる発言をしているにもかか
わらず、このように言う。「華僑報」は少なくとも華僑報以外の世界との
整合性を気にせずにこうした党政府のオウムになって垂れ流すだけの戦前
の日本のマスコミのような無反省な存在なのでしょうか。

>確かに、文革前は日本共産党をあからさまに非難することはなかったし、
>文革中は敵になり、その後また関係修復したということからいえば、
>日本共産党としては、文革中の中国のみ、隔離して否定したいのですか?

よろしい。仮定として猛獣さんの議論を現実世界で演繹しましょう。
二つの異常な論調があります。

第一に、「華僑報」は在日本のあらゆる階層の華僑華人にむけたミニコミ
というような体裁でありましょう。見たことないけれども。そしてその
実態としては北京派の華僑のためだけに発行されていたわけですよね。
その中で貿易業を営んでいる華僑はどれだけいたのでしょうか。一割も
いなかったと思うんですがいかが。もしかしたら貿易業の比率は日本在住
の日本人だとか、日本在住の韓国人よりも多かったかもしれませんが
それにしても、貿易業界、あるいは貿易展を話題にし、これを防衛する
という課題がどうしてそんな民族団体のミニコミの中で話題にされる必要
があるのか。大幅に飛躍と偏りがあります。このバイアスをどう見るのか。

第二に、貿易関係で問題が生じれば、日本共産党がしたように、もっと
「話し合いを」とか、「日中貿易の大義にたって」というような議論が
論文の形ででてきてしかるべきではないか。「日本共産党重要論文集」
で見ますと66年5月11日「大会決定を全党的に学習し、アメリカ帝国主義
に反対する国際統一戦線の強化と国際共産主義運動の真の団結のために
奮闘しよう」8月8日「ふたたびアメリカ帝国主義に反対する国際統一行動
と統一戦線の強化について」8月20日「国際友好運動の正しい発展のため
に」9月13日東西貿易促進運動の正しい発展のために」10月24日「真の
国際友好とはなにか、だれがこれを阻害しているか」また、党員に対し
66年8月10日「志田一派の反党撹乱活動を粉砕するために」10月26日
「外国に在住する日本共産党員はわが党の路線を堅くまもり、党員とし
ての誇りと自覚を堅持しよう」などがあり、12月23日には、記念日だと
かこつけて多少改まった論調で「八一ケ国共産党・労働者党代表者会議
の声明の六周年を記念して」を出しています。

これら表題だけをとっても、ある程度どのような経過を踏んでまず党内
で、あるいは貿易業界で発生した異常事態に対処したかがわかります。
”中国が悪い、中国共産党が悪い”としていない事に注目。それゆえ
むしろ党内外で「誰の事を言っているのか」と疑問がでるほど、きちん
と党間関係に渡る”論争”にしないための努力を払っている足跡が見え
ます。事実は後からこのように時間経過をとって見れば歴然でありまし
て、中国側が一方的に日本共産党内に分派を育成し、そそのかし、内部
通牒させ、そのまことしやかな”情報”をさも大事件のように報じてい
る「華僑報」であります、異常とは思いませんか、今となって。(付加疑問)
”多分そうなのでしょうね。だから、何だと言うのでしょうか。”
なんて居直ってないで、もっと率直に、具体的に中身を検討してください。
大衆である華僑に対して「華僑報」がどれだけ異常な振る舞いをしているか。
とるべき手だて、「これまで友人であったのだがから、話し合いで」という
経過をすっとばして、いきなり貿易とは無関係な大衆に「あちらの党内では
これこれの議論がなされたそうな」等と根拠なくふれて回る品性。見事です。
私は猛獣さんからこのような資料を見せていただいて、ますますそのように
思います。

>日中貿易の団体におけるトラブルのことも、私自身は体験していないので
>はっきりとものを言うことはできません。

あらあら。貿易業界の事や、日中貿易促進会労組のトラブルの件を話題に
のせて、疑問といいだしたのは、その発端が猛獣さんであった事に鑑みて
この他人事そうな論調は不謹慎であると言わせてもらいます。そのくせ

>華僑報1967年1月1日の記事を引用します。
(引用があって)
>ほら、やっぱり日共はひどいやつらしいな。

だなどと検証もせずに垂れ流している。「某氏」って誰? それから
”これは党の一般方針として全国的に指示している」と述べてる。”
って赤旗の何月何日にそのような”方針”がでていますか。当時猛獣
さんは「アカハタ」を購読してなかったが、今「赤旗縮刷版」や論文
集を手にしてもそれを検証できる立場にあるわけで、もっと「これだ」
という話を傍証として加える、あるいは裏をとる事が必要ですね。
「そんなのない」と当方は思います、当然です。
論文集の上記諸論文をふまえて、その内容を批判してごらんなさい。党
員の会議の内容が漏れ伝わるなんて、そんな党組織であったならば、そ
もそも不当解雇撤回で労組を指導して、たたかい抜き最後は退職金を支
払わないなどと無茶を言っていた日中貿促にそれを支払わせる所まで
たたかい抜くことはできなかったでありましょう(もっともご自身が
経営者である猛獣さんは労働者が不当解雇に抗して組合で結束してたた
かう、という事自体を嫌悪されているようなニュアンスがありましたが
あなたがたは当時「プロレタリア独裁の継続革命」なんて言われていた
わけで、いくら立場がかわっても、相手も人間だという事ぐらいは理解
してもらいたいものであります)。

> 更に七月二十二日長野県松本で国際貿易促進議員連盟の総会が開かれたが
> その前夜共産党議員グループ会議で日共本部の先の某氏が出席し党中央の
>方針として「今回は党機関は細胞に至るまで直接には協力しない。わが党
> が動員その他に協力しなければ、みじめな失敗に終るだろう。これが党の
>方針である」と指示している。

”国際貿易推進議員連盟”というもの自体が当方は知らないのでまゆつば
で読んでいます。その中で、もしこれが存在するとして、総会という
ものは、何か重要な決議をあげる、また決議が国政を拘束するような
機関なのでしょうか。そんなもの憲法にも議会のシステムにもないわけ
でありまして、今風に言えば(たとえ存在しても)「勉強会」程度でしか
ないはずであります。そこに「総会を前にして」秘密党員集会を開いて
そこで”核心に触れる重大決定を”というのが解せない。そもそも国際
貿易促進というのは、国貿促などの成立のいきさつからいって、西側各国
との貿易の事は問題ではなく、専らソ連東欧と中国との貿易を促進する
という課題でありました。つまり当時の自民党政府の中で主流になりえ
ないマイナーな貿易だからとりたてて促進せねばならなかったわけで
そこに日本共産党がもし加入していたら、それは中国との貿易を促進する
ために加入していただろうし、議員の勉強会にそんな重要秘密方針が
おろされるようなものではないのです。

猛獣さんの発言で、根本的に許せないのは、「自分は知らない」という
くせに、こうした件で本当にまじめに日中貿易に献身した日本の人士も
いるというのに、こうしたデタラメを吹き続ける事です。
華僑の中で、猛獣さんがご存知なのは、任氏らの徒党、つまり67年2月末
からの暴行に加わっていった実力部隊だけでしょう。貿易展の話では
実際妨害者がいくらかでていますが、これを「日共の妨害」とする話は
80年代にはすっぽりと抜け、右翼の妨害があった、とだけ述べるように
なっています。柏書房「戦後中日関係史」林代昭 著(1997年邦訳)
P187
>>中国を敵視する右翼の妨害と破壊活動は、日中友好を望む広範な各界人士
>>の義憤を引き起こした。各界32氏の著名人は『国内外の危機に直面し、
>>日中友好促進のために再び国民に訴える』との声明を発表しこの種の反
>>中国行為を非難した。

これは「4つの敵」では説明していない日本右翼の事にすりかえられて
いるとは読めませんか。あえて当てはめると「日本反動派」でありましょう。
「日修宮本派」などという用語はあまりに嘘が明白で、これを言い出せば
つごうが悪いと、80年当時は自らを正当化しつつ歴史を改竄しているのですな。

同書のP190
>>中国貿易が曲折の中で発展したことは周総理が中日関係を重視し、自ら
>>この仕事を指導したことと切り離すことができない。六〇年代に中国で
>>発生した文化大革命は中国の対外関係に影響し、また、中日貿易にも影響
>>を与えた。文革中、双方の貿易促進団体が発表した共同声明等の文書は
>>”文革”用語を多く使いすぎ、”四つの敵”(米帝、ソ修、日修、日本
>>反動派)反対を提唱した。これに対し周総理は日本の友人との会見で
>>”四つの敵”を提起すべきではなく、1つの主な主要な闘争対象、例え
>>ばアメリカ帝国主義のみを提起すれば、より多くの人々を団結できる、
>>と指摘した。貿易関係を含む中日関係は妨害を受けながらも発展を遂げ、
>>国交正常化実現と正常化以後の経済貿易の発展のために基礎を固めたの
>>であった。

あらあら「四つの敵」は取り下げる。しかし妨害を受けながら発展した
とある。そしたら右翼からの妨害しかなかったのではないのか。ここで
「日修」と勝手に規定した件については、この林氏は85年の両党協議の
場合と同じく、”それ以上に誤りを認める権限がない”人なのでしょうな。
  また周恩来氏に関して、持ち上げようは不当であります。この周総理の
  「1つの敵」という論は、既に論破されておりまして、残念な事に周総理
  みずからこの「四つの敵」論を反党分子木村一三氏に述べたという談話へ
  の反論が「わが党に対する周恩来の漫ばについて」豊田四郎宣伝部長談話
  68/03/10『中国問題と日本共産党』1972/9/20刊にあります。
とう小兵氏が死去し、重しがとれて、江沢民指導部の下で戴部長が動いて
はじめてこの箇所が「党間関係の四原則、とりわけ内政相互不干渉の原則
にあいいれないやり方をとった事にかんして」是正の措置をとることが
権限をもって述べることが可能になったのでした(1998年)。華僑報は
98年合意を報じる事もなく、こうした林氏の著書を論じる事もなく、狭い
自分たちのテリトリーでしか通用しない報道をしていたわけですな。

[392] 答弁もれがありますよ(下) 投稿者:大阪の人 投稿日:01/12/08(Sat) 11:55

ご自分で確かめもしない猛獣さんが以下のようにいうのは不思議ですが

>こういうことばかりしているから、批判されるのではありませんか。それと
>もこの記事は嘘八百ですか。わかりやすくお答えいただきたいですね。

時系列を追って、今ある資料の中で見てみましょう。

>九月末までに一枚のポスターもニュースも発行せず

九月十八日の「日本国際貿易促進協会経済友好代表団と
中日国際貿易促進委員会との会談要録」で既に
>>双方は、日中貿易促進会の一部の幹部に、友好を破壊する反中国の動き
>>がますます露骨に表われており、今後かれらが日中経済交流でなんら
>>積極的な役割を果たすことは期待できなくなったと一致して認めた。
>>双方は、日本国際貿易促進協会が今後さらに重大な責任をになうものと
>>考える。

これは矛盾。9月末の時点でどうとかではなくて、18日の共同
声明で既に”破壊する反中国の動き”と規定してつまはじきにしている。
それから貿易展の一度や二度は、しっかり反中国な日本共産党ならば
反中国な愚挙をさせて、それを事実を公然と挙げるべきでありまして
準備の段階でああだこうだ、党内の会議でああだこうだ、これから実施
される中国展で既に友好協力関係にななりえない、だから君たちの側に
今後乗り換えるからね、とニンジンをぶら下げて相互に密約しているの
がこの会談要録です。これを林氏はつごうがわるいとしているのですな。
残念ながら、林氏も不正確ではありますし、「華僑報」はますます不正確
であり猛獣さんのおっしゃるとおり「嘘八百」と言わねばなりません。

>貿易を通して政府が行なえることはそれほど多くはありません。商品を
>売買し、代金を決済するという取引が貿易の本質であるのだから、その
>動き自体を変えることは誰にもできないでしょう。

それは自由貿易の両国関係が樹立している時だけです。何が”誰にもできない”
のでしょうか。猛獣さんはいつから北京党政府のスポークスマンになって
そうした事実と違う事を平然と言ってのける官僚になったのでしょうか。
当時の”友好貿易”とLT貿易と、どちらもごくごく狭義の意味で管理
貿易でありました。こないだ「東洋経済」誌の記事を挙げましたが、その
一方的に管理する中国側党政府をも奪権して、紅衛兵のガキが前面にでて
きて、しかも後ろには軍が控えているというような、物騒な情勢に60年代
後半はなってゆきます。うごき自体が誰にも左右されない自由なもので
あるのならば、どうして南漢震氏が自殺に追い込まれたりするのか。
これをつごうが悪いというので林氏は歴史を改竄しているし、「華僑報」
はそもそも事実を見ようせず、猛獣さんにいたっては、自身で調べがつか
ないくせに「ほら、やっぱり」等と口写しで述べるしまつ。

>中国政府ができることといえば、貿易の窓口の業者を指定して、その業者
>が莫大なマージンを得られるようにすることだけでしょう。文革前は、この
>ような利益は基本的には日本共産党系の「企業」に流れていたということ
>です。しかし、文革中は日本共産党があれほどまでに中国共産党と対立して
>いたのだから、その敵対勢力を中国が利することは普通に考えてもないで
>しょう。日本共産党は、かつて得ていたそのような利益を親中国派にさら
>われたから、橋爪氏のようにいろいろ愚痴が出たのではありませんか。
>これをもって内政干渉とか、革命の輸出だとか言うのは、ちょっと通らない
>話ではありませんか。

まず、外国に資金を依拠して、それで党財政を成り立たせているだとか
いうような事実は党綱領確定以後は一切ない、と述べておきます。この
貿易関係で「企業」というのは、「日本外交と中国1945-1972」添谷芳秀著
慶應通信刊などに日本共産党を弾圧する立場から日本の公安調査庁が発表し
た資料に依拠して述べられているのが代表的な記述だと思います。しかし
これは大きな矛盾がある。スポンサーが中国ならば、どうしてスポンサー
と敵対するのか。ソ連も中国も日本共産党のスポンサーではなかったから
こそ日本社会党のようなフラフラの論調にならずに対日干渉攻撃に対して
徹底的に反撃することができたのです。また、スポンサーであるとする
のであるならば、どうして1966年の3国訪問なんかする必要があるので
しょうか。あえて意見の違う中国にも、とりわけ60年代後半になって異常
な気配が伝わってくるというのに、説得にいっている。毛沢東にけんまく
でまくしたてられても、意見が違う点はどうどうと指摘している。これは
スポンサー説では説明つかない問題です。添谷氏は、公安調査庁の資料
などから保守層のために情報を組み立てているのですが、もう片方の事実
つまり自主独立の党ということがこれでは説明できないというジレンマに
陥るわけです。

”中国政府ができることといえば”いろいろありますよね。任氏らだとか
木村一三氏だとか、彼らブルジョアに「反修闘争」の意義を語らせたり。
あまりに露骨だったので、後に林氏らはこれを隠ぺいしているけれども
事実は事実であります。

”革命の輸出だとか言うのは、ちょっと通らない話ではありませんか。”

猛獣さんの脳内では通用する話であっても、国際的にはやはり革命の輸出
であり、通用しない話であります。そもそも日本共産党であれ、日本社会
党であれ、日本の公党に対して貿易の体裁で便宜供与をする、というよう
な事は、それだけで内政干渉でありまして、その内容が「世界の革命」だ
というのであれば、無論革命の輸出政策というほかなく、その路線が「銃
口から政権が生まれる」だとかいうのであれば、暴力革命の教唆、中国の
”第五列”ということになります。これを戒めたのが本来1954年のネルー
周「平和五原則」でありまして、「平和共存」というのは、社会体制の異
なる国間で内政には不干渉を貫くという事にほかなりません。ここに「あ
いいれないやり方をとったこと」に関して是正の措置を(専ら)中国側が
「とった」という事は是正されなければならない「不干渉の原則にあいい
れない」まさに【干渉行為があった】ということにほかなりません。これ
が世間の常識。

> 1966年の毛沢東主席の講話で四つの敵をならべたという説は、
>信頼できないと思います。それ以外で実際に何時の段階で四つの敵と
>いう言葉が採用されるようになったのか、いまのところ不明。

それではいつ述べたのか。猛獣さんは根拠薄弱。
66年9月18日には、既に

>>中日友好と貿易関係の発展を妨害し破壊するのみならず、さらにアジア
>>と世界の平和に重大な脅或をあたえている。これにたいし、われわれ両
>>国人氏、両国経済貿易団体と関係者は、友好と団結を強化し、アメリカ
>>帝国主義、日本反動派、ソ連現代修正主義指導グループおよびそのさま
>>ぎまな新しい追従者と古い追従者に反対するためにともに奮闘しなけれ
>>ばならない。

とあり67年2月10日には

>>現在、ひとにぎりのソ連現代修正主義に追随する日本修正主義分子は米
>>帝国主義分子は米帝国主義、ソ連現代修正主義、および各国反動派と呼
>>応して、あらゆる手段を使って、あくどい露骨な反中共活動を行ない、
>>日中両国人民の友好と日中両国人民間の文化交流の共同の事業を破壊し
>>ようとしている。われわれがはっきりと敵と味方を識別し、本当に日中
>>友好と日中文化交流のためにたたかう人びとといっそう高く結び、羊頭
>>をかかげ狗肉を売るにせものを容赦なくわれわれの隊列から追放してこ
>>そ、われわれの事業の輝かしい発展は保証されるであろう。

とあり67年3月には「人民日報」が

>> 米帝国主義、ソ連共産党修正主義指導集団および各国反動派が、わが
>>国のプロレタリア文化大革命に気ちがいじみた攻撃を加え、狂暴な反中
>>国キャンペーンを繰りひろげている折も折、とりわけ、ソ連修正主義指
>>導集団が再三にわたって反中国の暴挙を引き起こした直後に、日共修正
>>主義分子がおどり出してこのような茶番劇を演じたのである。

といいだすわけです。平仄がぴったりあっていますよね。この猛獣さん
は当時16歳ぐらいのおこさまでありまして、こうした一連の文書を
並べて検討する能力も見識もなくてあたりまえでありますが、今の猛獣
さんが齢50を越えて、ウェブを主催もすれば、東京地裁や国会図書館にも
出入りするというのに、これらを並べて検討する力がないのは一体どうした
事か。

>> それとも、文革とそれ以後90年代まで続いた対日干渉の結果でしょうか。
>当方は、対日干渉などあったとは認識していません。

猛獣さんは、故毛沢東氏が墓から蘇ってきて、猛獣さんに向かって
あれは内政干渉だったとでも言うまでは、頑としてそう思うわけです。
脳内でそのようにしか認識できない、ということに関しては、当方は
何とも論評しようがありませんな。昨夜ヒトラーの片腕としてナチス
の宣伝映画を作っていたレニという女性監督のドキュメンタリーの番組
をしていましたが、事実に直面することができない姿勢に関しては
すでに猛獣さんはこのレニ氏に域に達しているといわざるをえません。

>> それから、昨年に猛獣さんに宿題を出していましたね。友好協会の事務所
>> にいって歌でも一節うたってくるとか、切り絵の一枚でも一緒に作ってくる
>> とか本を一冊買ってくるとか試してくるという宿題でした。もしかしたら、
>> あなたは怖がっているのか、よういかないでそのままなのではないでしょうか。
>> あなたの訪問記一つでも書き込みがあって、その上で、印象がよくなくて
>> 「ここは駄目」とでもいうのであれば、まだしも。見もしない、言っても
>> いないで判断を下すのでは、広範な人々の胸に落ちる共感は得られません。
>
>私も忙しい人間ですから。そんな約束はできません。

ははは。お忙しいのにもかかわらず、当方のBBS記事だけは反論くださって
お世話さまであります。現実と直面する勇気のない猛獣さんへ。
ただし、猛獣さんのこのレスポンスで、まだ忘れられている部分があります。

あなたが高く評価される(元正統)[社団]日中の当時の人士は日本におい
て成田で殺し合いをしたり、自身が分裂して脅迫監禁事件を起こしたり、
赤軍派なんて銀行強盗や内ゲバ殺人を引き起こし、ハイジャックをし、東大
や新宿を騒乱に陥れております。こうした行為を日中友好だと強弁するお
つもりか。そしてご自身のご子息、おまごさんにも代を次いで継承させると
いうおつもりか。あなたの孫が「ソウカツ」されちゃっても名誉だと見栄を
きるおつもりなのか、という件です。

ここは評価できない、あるいは少なくとも身内にはさせない、というので
ありますれば、自分の周囲だけは安泰であれ、他人には無責任に暴力行為
を褒め称え、行けゆけとはやし立て、責任とらない立場だということに
なりはしないでしょうか。あなたはもうご家族があるでしょう。あなたが
あなたの御父君のしたように、それをあなたにさせるのを阻止するのか
「ゆけゆけ」とあおり立てるのか。自分の家族だけは別枠に置くのか。
ここだけはゆるがせにできない問題であります。お答えください。

[394] Re: 答弁もれがありますよ(下) 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/12/16(Sun) 11:05
大阪さん、
忙しかったので答弁が遅れました(傍観者初代さん風に)、ごめんなさい。


> これは矛盾。9月末の時点でどうとかではなくて、18日の共同
> 声明で既に”破壊する反中国の動き”と規定してつまはじきにしている。
> それから貿易展の一度や二度は、しっかり反中国な日本共産党ならば
> 反中国な愚挙をさせて、それを事実を公然と挙げるべきでありまして
> 準備の段階でああだこうだ、党内の会議でああだこうだ、これから実施
> される中国展で既に友好協力関係にななりえない、だから君たちの側に
> 今後乗り換えるからね、とニンジンをぶら下げて相互に密約しているの
> がこの会談要録です。

愚挙をさせて、それから相手を叩くか、それともすでにその段階で我慢が
できなくなっていて、あいつらとはもう一緒にできないというのか、それは
喧嘩の仕方の問題ですね。日本共産党のやりかたは、相手を泳がせて、しく
じったところを叩くというやりかたですか。なるほど、深遠なご教授感謝
します。

> これを林氏はつごうがわるいとしているのですな。
> 残念ながら、林氏も不正確ではありますし、「華僑報」はますます不正確
> であり猛獣さんのおっしゃるとおり「嘘八百」と言わねばなりません。

残念ですが、説得力のある論証とは思えません。また、こちらの要望した
「分かりやすい説明」ではありません。

> それは自由貿易の両国関係が樹立している時だけです。何が”誰にもできない”
> のでしょうか。猛獣さんはいつから北京党政府のスポークスマンになって
> そうした事実と違う事を平然と言ってのける官僚になったのでしょうか。

管理貿易でも、自由貿易でも、貿易の本質は同じだと思いますが。国家機関が強力
に管理または指導する貿易では、貿易の取引の業者に特定の団体を指定することが
できたという話でしょうが、それは日本共産党の権限ではなく、中国側の権限です。
有名なガラスと鉄鋼の話などでは、中国が鉄鋼を日本に発注したということにかか
わる話ですから、お金を出したのは中国でしょ。製品を納入したのは、新日本製鉄
のような製鉄会社でしょう。日本共産党がしのごのいう要素はどこにあるんですか?

日本共産党が「自主独立」などという路線を採用し、外国への依存なり、従属なりを
切り捨てたいのであれば、貿易から得られる利益のについて、日本共産党があれこれ
いうことは筋違いであるといっているのです。


> まず、外国に資金を依拠して、それで党財政を成り立たせているだとか
> いうような事実は党綱領確定以後は一切ない、と述べておきます。

党綱領確定といういいかたは、党外人の私には大変わかりにくい表現ですが、具体的に
何年のことでしょうか。

立花隆の「日本共産党の研究」によれば、戦前の日本共産党はあきらかにコミンテルンの
資金によって財政をまかなっていたということです。

誤解されると困るので付記しておきますが、だから、日本共産党は売国奴だとか、私はそんな
ことをいってるわけではありませんし、立花隆氏の著書もそのような意味でこのことを記して
いるわけではありません。

現在の日本共産党、というよりも数十年前から、日本共産党は新聞の販売代金や構成員(党員など?)
の奉仕などによって財政をまかなっており、日本における政党のなかで、もっとも多額の政治資金
を計上していることは知っています。

財政におけるこのような様変わりは、どのような過程を経て発生したものでしょうか。なんとなく
想像はつきますが、詳しく調べてみたい課題ではあります。

> この
> 貿易関係で「企業」というのは、「日本外交と中国1945-1972」添谷芳秀著
> 慶應通信刊などに日本共産党を弾圧する立場から日本の公安調査庁が発表し
> た資料に依拠して述べられているのが代表的な記述だと思います。しかし
> これは大きな矛盾がある。スポンサーが中国ならば、どうしてスポンサー
> と敵対するのか。

中国がスポンサーかどうかはしりませんが、かなりの援助を受けていたのは事実ではありませんか。
敵対したから、スポンサーでなくなったとか。なぜ敵対したのかは、路線上の対立ではないでしょうか。

> あえて意見の違う中国にも、とりわけ60年代後半になって異常
> な気配が伝わってくるというのに、説得にいっている。毛沢東にけんまく
> でまくしたてられても、意見が違う点はどうどうと指摘している。

毛沢東がけんまくでまくしたてたというのは、どのような資料をもとにして言っているのでしょうか。
けです。
> > ”中国政府ができることといえば”いろいろありますよね。任氏らだとか
> 木村一三氏だとか、彼らブルジョアに「反修闘争」の意義を語らせたり。
> あまりに露骨だったので、後に林氏らはこれを隠ぺいしているけれども
> 事実は事実であります。

貿易に関していっているのです。なお、任氏が何かを語った資料があるのならば、具体的に指摘して
ください。華僑の青年の寮内のおしゃべりで、在日中国人の青年がどのようなことを語ろうと、それ
は日本共産党にとやかく言われることでもありません。それとは次元の異なる、発言があったという
ことですよね。

それから、木村一三さんというのはどのような経歴の人でしょうか。ご紹介願えませんか。

> > > 1966年の毛沢東主席の講話で四つの敵をならべたという説は、
> >信頼できないと思います。それ以外で実際に何時の段階で四つの敵と
> >いう言葉が採用されるようになったのか、いまのところ不明。
> > それではいつ述べたのか。猛獣さんは根拠薄弱。
> 66年9月18日には、既に
> > >>中日友好と貿易関係の発展を妨害し破壊するのみならず、さらにアジア
> >>と世界の平和に重大な脅或をあたえている。これにたいし、われわれ両
> >>国人氏、両国経済貿易団体と関係者は、友好と団結を強化し、アメリカ
> >>帝国主義、日本反動派、ソ連現代修正主義指導グループおよびそのさま
> >>ぎまな新しい追従者と古い追従者に反対するためにともに奮闘しなけれ
> >>ばならない。
> > とあり67年2月10日には
> > >>現在、ひとにぎりのソ連現代修正主義に追随する日本修正主義分子は米
> >>帝国主義分子は米帝国主義、ソ連現代修正主義、および各国反動派と呼
> >>応して、あらゆる手段を使って、あくどい露骨な反中共活動を行ない、
> >>日中両国人民の友好と日中両国人民間の文化交流の共同の事業を破壊し
> >>ようとしている。われわれがはっきりと敵と味方を識別し、本当に日中
> >>友好と日中文化交流のためにたたかう人びとといっそう高く結び、羊頭
> >>をかかげ狗肉を売るにせものを容赦なくわれわれの隊列から追放してこ
> >>そ、われわれの事業の輝かしい発展は保証されるであろう。
> > とあり67年3月には「人民日報」が
> > >> 米帝国主義、ソ連共産党修正主義指導集団および各国反動派が、わが
> >>国のプロレタリア文化大革命に気ちがいじみた攻撃を加え、狂暴な反中
> >>国キャンペーンを繰りひろげている折も折、とりわけ、ソ連修正主義指
> >>導集団が再三にわたって反中国の暴挙を引き起こした直後に、日共修正
> >>主義分子がおどり出してこのような茶番劇を演じたのである。
> > といいだすわけです。平仄がぴったりあっていますよね。この猛獣さん
> は当時16歳ぐらいのおこさまでありまして、こうした一連の文書を
> 並べて検討する能力も見識もなくてあたりまえでありますが、今の猛獣
> さんが齢50を越えて、ウェブを主催もすれば、東京地裁や国会図書館にも
> 出入りするというのに、これらを並べて検討する力がないのは一体どうした
> 事か。

どのように解釈しても、毛主席の講話の内容と、日本共産党との対立とは
結びつきませんね。この講話の中に、日修という言葉があったのかないの
かも確認できないし、あったとしても、講話の内容は、日本共産党に対する
攻撃の開始を指令したものではありません。

日本共産党と中国共産党との関係が悪化していった時間的な経過につい
て、大阪さんに反論しているのではありません。その原因が、毛主席の
ある夏の日の講話の一言であるという歴史的な解釈に、同意できないと
いっているのです。


> 猛獣さんは、故毛沢東氏が墓から蘇ってきて、猛獣さんに向かって
> あれは内政干渉だったとでも言うまでは、頑としてそう思うわけです。

内政とは、日本の政治でしょうか。日本の政治に干渉するのであれば、政権党に
干渉するのではありませんか。しかし、その当時の日本の政権党は、アメリカの
内政干渉を全面的に受け入れている状態で、中国の内政干渉を受ける余地はなかっ
たと思いますが。

この下の愚問については、無視します。

[397] 少しは自分で本を読んでくださいね 投稿者:大阪の人 投稿日:01/12/18(Tue) 16:14
|> この
|> 貿易関係で「企業」というのは、「日本外交と中国1945-1972」添谷芳秀著
|> 慶應通信刊などに日本共産党を弾圧する立場から日本の公安調査庁が発表し
|> た資料に依拠して述べられている
|
|中国がスポンサーかどうかはしりませんが、かなりの援助を受けていたのは
|事実ではありませんか。
|敵対したから、スポンサーでなくなったとか。なぜ敵対したのかは、路線上
|の対立ではないでしょうか。

猛獣さんの発言のパターンがここに一つあります。
図星の時には、話をはぐらかしていることです。
公安調査庁の資料から添谷氏が本にした元ねたで、(本来的に
中国の公民として御自身の立場や中国政府がこれで窮地にたつ
ということがおわかりにならないのかな?)日本共産党を
また、とうめん当方との議論で相手をやっつけるためだけに
こうした議論を不用意に持ち出した浅はかな猛獣さんの態度です。

事実は「3つの企業が日本共産党の推薦で友好貿易の有力企業として
存在した」ということだけです。社会党の推薦の企業もあり自民党の
親中派個人の推薦もあり、そのなかでこの3企業がシェアで大き
かったという事は事実でしょう。「これがトンネル企業であろう」
「これを迂回して資金が流れていたであろう」というのが公安調査庁
の側の憶測であります。その資金は何万ドル何十万ドルにも及ぶ
と公安調査庁は憶測しています。私はそんなに金をもらっていた
のであるなら(仮定)、逆らいませんね。イエスマンになりますよ。
またそれだけの資金が還流していたとしたら、それが途絶えたと
して何十万ドル分の資金の大穴があきます。この突然の資金調達の
穴はどうするのか(仮定)。何百人も専従を解雇しなければならない
はずですね。それか、別の外国に援助交際を仰ぐか(仮定)。
60年代後半のこの筋書きで言えば「日共はソ連の下僕に」と
いうのは当然でしょうが、事実として「ソ連の下僕」では
ありえなかったわけで、自滅もせず、ソ連派にもならずに
逆に勢力を拡大しつづけえたわけです。外国に頼りがなければ
維持できない党なんて考え方で日本共産党を1色に塗りつぶして
見るのは無益です。公安調査庁は日本の権力の弾圧機関です。
猛獣さんは常々ポーズとして日本権力と自己との距離をとって
いるかに装っておられますが、この添谷氏であれ、立花隆氏で
あれ、公安筋の資料によって憶測しているだけでありまして
現実は、とりわけ何十年という歴史はこれを十分覆したといえま
せんかね。

|貿易に関していっているのです。なお、任氏が何かを語った資料がある
|のならば、具体的に指摘してください。

任氏の自慢話は例の「日本の華僑」と「横浜華僑」にでています。
彼も突然登場した友好貿易の最右翼のアクターでした。彼はなぜ
この友好貿易、つまり中国政府党が左右できる管理貿易において
突如デビューし、突然毎年毎年倍々ゲームで大もうけして一代で
輸出入の大立者になりえたのでしょうか? 彼が常人にはなしえない
無茶な中国党政府の命令に、勇敢にはせ参じ、蛮勇において並ぶ者
なく大活躍したから、朱印を賜ったのではないのか。彼の立身譚は
その全体がまさに「愛国華僑」を利用した中国党政府の内政干渉の
裏書であります。

|どのように解釈しても、毛主席の講話の内容と、日本共産党との
|対立とは結びつきませんね。この講話の中に、日修という言葉が
|あったのかないのかも確認できないし、あったとしても、講話の
|内容は、日本共産党に対する攻撃の開始を指令したものではありません。

毛沢東氏が「好(ハオ)」と一言言えば、それが方針になる
日常何気ない事でも、筆記者が控えていて、一言何か言えば
それを書き留める。そしてそれは法も慣例も常識も無視して
(まさに慣例や常識を”砲撃する”事を目的として)無条件
に実行されていった、というのが中国の当時の無原則の本質
でありまして、ここを読んでいる今の衆目にこの感覚が理解
できない人はそれは多数いるでしょうが、猛獣さんがこれを
とぼけて「指令したものでない」とか言うのはどうしたことか。

|内政とは、日本の政治でしょうか。日本の政治に干渉するので
|あれば、政権党に干渉するのではありませんか。しかし、その
|当時の日本の政権党は、アメリカの内政干渉を全面的に受け入
|れている状態で、中国の内政干渉を受ける余地はなかったと思
|いますが。

内政とは日本にもあります。中国にもあります。猛獣さんは
どの国の内政にも一度も参与しておられない、むしろ帰国も
帰化も頑なに拒否している華僑(かりずまいとか、でかせぎの
意味)でおられますから、感覚としてお分かりにならないの
かもしれませんが、野党であれ、与党であれ、公党へのこの
資金援助というのはゆるがせにできない内政干渉です。

日本共産党に干渉して乗っ取る事は失敗し、日本共産党に
”取って代わる日本の真の革命党”を仕込んで作るのにも
失敗し、日本社会党の取り込みには、日本共産党攻撃の課題
だけは成功したものの、ソ連ともツーツー中国ともツーツー
でありまして、これもうまくゆかず、動労の松村氏だとか
創価学会の池田会長だとかは辛くも取り込みに成功し、NHK
や朝日新聞には一定浸透した程度で、無原則に「安保条約は
ビンの蓋」だと迎合してみても、結局”真の友人”はできず
この干渉は長い歴史経過をたどって破綻しました。そうそう
「連合赤軍」や岸昌氏、中曽根氏らも”友好人士”でしたね。

[403] Re: 少しは自分で本を読んでくださいね 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/12/23(Sun) 22:47
> 猛獣さんの発言のパターンがここに一つあります。
> 図星の時には、話をはぐらかしていることです。

とりあえず、この書き込みにもお答えしておきます。図星だというのは大阪の人さんの
見込み違いです。

> 公安調査庁の資料から添谷氏が本にした元ねたで、(本来的に
> 中国の公民として御自身の立場や中国政府がこれで窮地にたつ
> ということがおわかりにならないのかな?)日本共産党を
> また、とうめん当方との議論で相手をやっつけるためだけに
> こうした議論を不用意に持ち出した浅はかな猛獣さんの態度です。

わたしは、そのような名前の本を聞いたことも読んだこともありません。日本共産党に中国から
いろいろな形で資金が提供されていたということの情報ソースは、全く別のもので、それについては、
明らかにすることはできません。半分は、類推で述べたものです。

> 事実は「3つの企業が日本共産党の推薦で友好貿易の有力企業として
> 存在した」ということだけです。

そのような事実があったかもしれませんが、それが事実のすべてかどうかはしりません。

> 社会党の推薦の企業もあり自民党の
> 親中派個人の推薦もあり、そのなかでこの3企業がシェアで大き
> かったという事は事実でしょう。「これがトンネル企業であろう」
> 「これを迂回して資金が流れていたであろう」というのが公安調査庁
> の側の憶測であります。

そのような詳しい情報を収集していたわけではありません。私の議論は、日本共産党が中国共産党と
対立して、援助を受けられなくなった後の話です。

> その資金は何万ドル何十万ドルにも及ぶ
> と公安調査庁は憶測しています。私はそんなに金をもらっていた
> のであるなら(仮定)、逆らいませんね。

何万ドルといっても、1ドル365円としても、1万ドルで365万円でしょ。百万ドルでも3億6千
5百万円。その程度の援助があったも不思議ではありません。

> イエスマンになりますよ。
> またそれだけの資金が還流していたとしたら、それが途絶えたと
> して何十万ドル分の資金の大穴があきます。この突然の資金調達の
> 穴はどうするのか(仮定)。何百人も専従を解雇しなければならない
> はずですね。

日本共産党は、そんなにお金に弱い人々の集団だったのですか。信じられませんが。

> それか、別の外国に援助交際を仰ぐか(仮定)。
> 60年代後半のこの筋書きで言えば「日共はソ連の下僕に」と
> いうのは当然でしょうが、事実として「ソ連の下僕」では
> ありえなかったわけで、自滅もせず、ソ連派にもならずに
> 逆に勢力を拡大しつづけえたわけです。

殆んど、論証になっていない、論理的には目茶目茶な展開です。大阪の人さんとの
議論は、空しいものがあります。

> 外国に頼りがなければ
> 維持できない党なんて考え方で日本共産党を1色に塗りつぶして
> 見るのは無益です。

そのようなことを誰がいったのでしょうか。大阪の人さんは、問いと答えの両方を自分で用意して、
自問自答しています。一人芝居は、別のBBSでやってほしいものです。

> 公安調査庁は日本の権力の弾圧機関です。
> 猛獣さんは常々ポーズとして日本権力と自己との距離をとって
> いるかに装っておられますが、この添谷氏であれ、立花隆氏で
> あれ、公安筋の資料によって憶測しているだけでありまして
> 現実は、とりわけ何十年という歴史はこれを十分覆したといえま
> せんかね。

添谷さんの本は、いつか読んでみたいと思います。立花隆の本への日本共産党の「狂気じみた」攻撃と
それに対する反論については、同書のなかで展開されており、説得力のあるものであると思います。
いつか、その一部を、本ホームページで紹介したいと思っています。

[408] ソースもだせないヨタ情報を嗤う 投稿者:大阪の人 投稿日:01/12/24(Mon) 17:26
|図星だというのは大阪の人さんの見込み違いです。
|わたしは、そのような名前の本を聞いたことも読んだこと
|もありません。日本共産党に中国からいろいろな形で資金が
|提供されていたということの情報ソースは、全く別のもので、
|それについては、明らかにすることはできません。半分は、
|類推で述べたものです。

「それについては、明らかにすることはできません」という
事に関して正直に告白された事だけは評価します。しかし
語るに落ちるとはこのことです。ソースもだせない情報と
「半分は類推」でありまして、公安調査庁の情報だと明示
している添谷氏より、ある意味でたちが悪いですな。

|そのような事実があったかもしれませんが、それが事実の
|すべてかどうかはしりません。

それではそのような自信のない情報をもとにヨタを飛ばす
のはやめなさい。

|そのような詳しい情報を収集していたわけではありません。
|私の議論は、日本共産党が中国共産党と
|対立して、援助を受けられなくなった後の話です。

「対立以後資金が得られなくなった」という情報が
そもそもソースが明かせない情報と「半分は類推」なのでしょう。
ヨタをとばす猛獣さん。

|その程度の援助があったも不思議ではありません。

「その程度の援助も拒否しても不思議ではありません」ね。
「半分は類推」でいいのなら、のれんに腕押しでありまして
あなたは日本国籍をもお持ちでない悠長な立場でありまして
気軽に放言しているわけですが、そうした言葉遊びだけに
終わらせたいのでしょうか。

|日本共産党は、そんなにお金に弱い人々の集団だったのですか。
|信じられませんが。

ほら、当方が反語を用いて皮肉にしているのを今度は逆手に
とっている。言葉の遊びでしかありません。

|> それか、別の外国に援助交際を仰ぐか(仮定)。
|> 60年代後半のこの筋書きで言えば「日共はソ連の下僕に」と
|> いうのは当然でしょうが、事実として「ソ連の下僕」では
|> ありえなかったわけで、自滅もせず、ソ連派にもならずに
|> 逆に勢力を拡大しつづけえたわけです。
|
|殆んど、論証になっていない、論理的には目茶目茶な展開です。
|大阪の人さんとの議論は、空しいものがあります。

この箇所は単に「目茶目茶な展開」とだけ評して終わりに
なっていまして、どこが目茶目茶なのか筋を追って解明して
問い詰めるというような気力はまるで失った猛獣さんで
ありますが、かといって何か「いいかえし」だけはしなければ
と口悪く返しているばかりであります。しかし「ソ連の下僕」
だとしたのは当時の寮生人士や中国政府党の公式な認識でも
ありまして、「それが事実ならば、たしかにこうも言えるだろうが」
という当方の説得的な推論を、その一部だけをとって揚げ足とりして
いる猛獣さんでありまして、もう少し議論するに甲斐ある
骨太な話にならないかと、注文つけたくなります。

|添谷さんの本は、いつか読んでみたいと思います。

林氏の本も、それから「文化大革命簡史」もね。

|立花隆の本への日本共産党の「狂気じみた」攻撃とそれに対する
|反論については、同書のなかで展開されており、説得力のあるも
|のであると思います。
|いつか、その一部を、本ホームページで紹介したいと思っています。

「同書」って何? それから、どうしてこのHPでそれを取り上げ
なければならないの? 立花隆氏が後楽の事件をどのようにコメント
しているのでしょうか。そうではなくて、他の件では、とりわけ
訴訟の経緯のような客観的な事実の公表では、形勢が不利とみて
このHPの趣旨をねじまげ、日本共産党攻撃だけを目的とした
ページにすりかえるおつもりか。

それから立花隆氏の著作について、元東大生だという人が本を
最近刊行していますね。

[414] Re: ソースもだせないヨタ情報を嗤う 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/12/24(Mon) 22:43
> |> それか、別の外国に援助交際を仰ぐか(仮定)。
> |> 60年代後半のこの筋書きで言えば「日共はソ連の下僕に」と
> |> いうのは当然でしょうが、事実として「ソ連の下僕」では
> |> ありえなかったわけで、自滅もせず、ソ連派にもならずに
> |> 逆に勢力を拡大しつづけえたわけです。
> |
> |殆んど、論証になっていない、論理的には目茶目茶な展開です。
> |大阪の人さんとの議論は、空しいものがあります。
>
> この箇所は単に「目茶目茶な展開」とだけ評して終わりに
> なっていまして、どこが目茶目茶なのか筋を追って解明して
> 問い詰めるというような気力はまるで失った猛獣さんで
> ありますが、かといって何か「いいかえし」だけはしなければ
> と口悪く返しているばかりであります。

目茶目茶な展開だという言う点について、論証します。大阪の人さんは、このようにいっています。

1.もし、ある時点で、中国が日本共産党に資金援助をかなりの額していたら、日本共産党はその資金
を大事にするために、中国に逆らわない。

2.現実に、現在の日本共産党は自主的な財政で運営されている。

3.したがって、過去の資金援助はなかった。

第一に、1.の命題(仮説)と2の命題の論理的な関係が不明確です。1が成立する場合、つまり過去に
おいて、ある団体がどこかから資金援助を受けていた場合に、その後、必ずその団体は資金援助を継続する
はずであるというのは、論理的な因果関係ではありません。したがって、2の命題から1の命題を否定する
という、対偶の因果関係もなりたちません。

2の命題は、私や立花隆もふくめ、多くの人が真であると認めています。2の命題がなりたてば、過去に
おいても資金援助をうけたことがなかった。これはなりたちません。

[420] Re: ソースもだせないヨタ情報を嗤う 投稿者:大阪の人 投稿日:01/12/29(Sat) 03:23
re:414
|目茶目茶な展開だという言う点について、論証します。大阪の人
|さんは、このようにいっています。
|1.もし、ある時点で、中国が日本共産党に資金援助をかなりの額
|していたら、日本共産党はその資金を大事にするために、中国に逆
|らわない。
|2.現実に、現在の日本共産党は自主的な財政で運営されている。
|3.したがって、過去の資金援助はなかった。

この推論はだいぶ眼が曇っていますね。

|第一に、1.の命題(仮説)と2の命題の論理的な関係が不明確です。
|1が成立する場合、つまり過去において、ある団体がどこかから資金
|援助を受けていた場合に、その後、必ずその団体は資金援助を継続する
|はずであるというのは、論理的な因果関係ではありません。したがって、
|2の命題から1の命題を否定するという、対偶の因果関係もなりたちません。
|2の命題は、私や立花隆もふくめ、多くの人が真であると認めています。
|2の命題がなりたてば、過去においても資金援助をうけたことがなかった。
|これはなりたちません。

最初の当方の議論を勝手にねじまげている猛獣さんが
その御自分の頭で作った議論に対して反論していましてレスの
つけようがないので苦笑してしまいます。

「ずっと援助をそれまで貰っていた日本共産党であろう」という
のが当初の猛獣さんの(ヨタ情報とテキトーな推論を総合した)
御意見でありました。

「貰っていたのであるなら自主的態度はとれなかったであろう」と
いうのが当方の見方でありました。ごく当たり前の推論。

百歩譲って当方の議論がどのようになりたたなかろうが(笑)これは
そもそも「ソースが明かせぬヨタ情報」を脳内でこねくりまわし
て勝手に推測し、「であろう」と放言していた猛獣さんの議論
への反論ででありまして、当方が反論したらムキになる。ははは。

|2.現実に、現在の日本共産党は自主的な財政で運営されている。
|2の命題は、私や立花隆もふくめ、多くの人が真であると認めています。

ここは認めると。日本共産党は「日本共産党(左派)」だとか「日本
労働党」だとかとは違い、自主独立の党で独自財源だとは認めると。

|第一に、1.の命題(仮説)と2の命題の論理的な関係が不明確です。
|1が成立する場合、つまり過去において、ある団体がどこかから資金
|援助を受けていた場合に、その後、必ずその団体は資金援助を継続する
|はずであるというのは、論理的な因果関係ではありません。したがって、
|2の命題から1の命題を否定するという、対偶の因果関係もなりたちません。
(略)
|2の命題がなりたてば、過去においても資金援助をうけたことがなかった。
|これはなりたちません。

でも、貰っていただろうと。そのように「明かせぬソース」からの
”重要情報”と猛獣さんの脳内の推論は結論づけたと。
話はどんどん猛獣さんの脳内のワンダーランドに突入してまいり
ました。どうしましょうか。私にはかような神秘思想は持ち合わせ
がありませんで、困ってしまいます。

[424] 背理法 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/01/03(Thu) 00:15
背理法

ある仮説Aが正しいと仮定した場合に、正しくないはずの別の仮説Bが正しいことになる
という論理的な因果関係が証明される場合、前の仮説Aは正しくないことが論証される。

もし日本共産党が、中国から資金援助を受けていたら、自主的な態度をとれない。
しかし、日本共産党は自主独立の路線を採用している。したがって、日本共産党
は、外国から資金援助を受けていない。

1.現在の日本共産党(綱領確定の頃から)は、自主独立といって、外国に対して
  排外主義的と思えるほど超自主的であるが、歴史的に見て日本共産党は、常に
  外国(ソ連や中国)に対して、自主的な態度をとっていたわけではない。

2.外国から資金援助を受けている国や団体が、常に自主的な態度を取れないわけ
  ではない。

やっぱり、論証になっていない。

[396] 全共闘世代の刻印 投稿者:大阪の人 投稿日:01/12/18(Tue) 16:12
猛獣さん、あといくつか書きます。

|大阪さん、
|忙しかったので答弁が遅れました(傍観者初代さん風に)、ごめんなさい。

こうしたおちょくりはやめなさい。全共闘世代の
もっとも鼻持ちならない、駄目な点がこうしたまじめさの欠落
であります。

|党綱領確定といういいかたは、党外人の私には大変わかりにくい
|表現ですが、具体的に何年のことでしょうか。

1961年の8回大会ですね。「反修闘争」を闘ったはずの猛獣さんが
こうした箇所で初歩的に事情に通じて居られないという件ひとつ
とっても、当方には不思議でしかたがありません。猛獣さんは今
このHPの趣旨などでは「マイノリティへの迫害」であったかの
ように描き出そうとしているわけでありますが、任氏の言でも
井上氏の言でも、寺尾氏の言でも、32氏の言でも、かたや
「現代修正主義の新追随者」だとか「フルシチョフの下僕」
だとか「修太郎」だとか「男娼ずき」だとか描き出しているのに、
猛獣さんはここに口をぬぐってもう一方の”擬態”である「身に
寸鉄を帯びぬ平和的に暮らし勉学に専念していた学生大衆に暴力
を振るった」などという35氏の物語に固執しているわけです。

それはそうと刑事事件で告訴された68年3月の件はどうなりました?
刑事被告人任氏らは、裁判でどのように主張し、どのような
判決がくだりましたか。

|立花隆の「日本共産党の研究」によれば、戦前の日本共産党はあきらかに
|コミンテルンの資金によって財政をまかなっていたということです。

コミンテルンの資金は中国共産党にも
中国国民党にも来ていたはずですよ。それどころか
日本では戦後になりますが、中国建国は1950年ですね。
ここまでの間の内戦でもコミンテルン解散後のソ連から
資金援助を中国共産党が貰っていたはずであります。
フルシチョフあたりから、援助がこなくなって、それで
対立していったのでしたね。

|誤解されると困るので付記しておきますが、だから、日本共産党は売国奴
|だとか、私はそんなことをいってるわけではありませんし、立花隆氏の著
|書もそのような意味でこのことを記しているわけではありません。

猛獣さんは挑発者の言をオウムのように口真似しているだけ
でありまして、「売国奴」かどうか猛獣さんに言われる筋合い
は何重にもないわけで、あなたに対してこれを警戒している
わけではありません。しかし客観的にこれは(戦中の日本の
帝国主義的野望を打ち砕くという大義はありましたが)外国の
資金がどうこう、という話自体が公党への誹謗中傷になり
政治的には生死をわける重大問題であります。社会党の件で
いくつかの指摘をしました所、「デマだ」と突然切り口上に
なられた傍観さんの態度はこの点ではある種正しい反応です。

猛獣さんは、外国の資金や口出しで、国政を預かる政党や
国政にも左右する大衆団体の運動が歪められるかどうかと
いう問題に対して、生まれてこのかた意識された御経験が
一切ないのではないでしょうか。善悪の判断で言うのでは
ありませんが、これこそコスモポリタンな立場の根本で
ありまして、国民国家の中で国家主権と国民主権を主張する
という近代市民の重要な与件を欠落させて、ひととびに
民主だ平等だ平和だというのは国際的には通りません。

中国政府自体がそもそも日本をはじめとした諸外国の侵略
や干渉から独立をなしとげたということが金看板でありまして
同じ中国人でも本国では猛獣さんのようなコスモポリタニズム
は一切通用しない、そればかりか郭沫若氏など、自分では
紅衛兵ばりの文革干渉者として頑張ったはずの方々が妻が
日本人であった事などを理由に、逆に紅衛兵に糾弾されたり
もしていますね。

|現在の日本共産党、というよりも数十年前から、日本共産党は新聞
|の販売代金や構成員(党員など?)の奉仕などによって財政をまか
|なっており、日本における政党のなかで、もっとも多額の政治資金
|を計上していることは知っています。
|財政におけるこのような様変わりは、どのような過程を経て発生し
|たものでしょうか。なんとなく想像はつきますが、詳しく調べてみ
|あたい課題ではります。

政治に金は一定かかるものですが、一番多いというよりも
一番正直に申告している、と見るほうが正しいでしょうね。
それから綱領確定以後に「様がわり」したのではなくて
もともと社会主義の運動が単なるソ連中国の応援団でない
根拠は自主的な資金であり自主的な方針であり、その国の
政治に根差した運動であるということです。日本天皇制の
野蛮な弾圧政治の下で、地下活動を余儀なくされていた中で
コミンテルン(ソ連)などに支援されていたわけですが
別に「援助交際」するために活動していた外国のスピーカー
ではないわけで、本来的には自主財源が当然であります。

幹部も弾圧政治の下で次々逮捕され、指導部を維持するのも
困難という所まで追いつめられた日本共産党ですが
それでも戦前でも暴力闘争という路線はもってないし
銀行ギャングしたりする腐敗分子は除名したりしています。
そうそう、党内での最大の処分は”除名”です。劉少奇氏
のように迫害されることはそもそもありません。スタ−リン
ソ連や中国で無茶苦茶な弾圧政治をしているのと混同され
ますが、実はそうではない。
非合法化ではありますが、基本は大衆の要求を組織して
民主主義日本と侵略戦争の停止をかかげていたわけです。

[402] Re: 全共闘世代の刻印 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/12/22(Sat) 17:16
> 1961年の8回大会ですね。

ご教授、ありがとうございます。

>「反修闘争」を闘ったはずの猛獣さんが
> こうした箇所で初歩的に事情に通じて居られないという件ひとつ
> とっても、当方には不思議でしかたがありません。猛獣さんは今
> このHPの趣旨などでは「マイノリティへの迫害」であったかの
> ように描き出そうとしているわけでありますが、任氏の言でも
> 井上氏の言でも、寺尾氏の言でも、32氏の言でも、かたや
> 「現代修正主義の新追随者」だとか「フルシチョフの下僕」
> だとか「修太郎」だとか「男娼ずき」だとか描き出しているのに、
> 猛獣さんはここに口をぬぐってもう一方の”擬態”である「身に
> 寸鉄を帯びぬ平和的に暮らし勉学に専念していた学生大衆に暴力
> を振るった」などという35氏の物語に固執しているわけです。

男娼好きというのは、なんの話でしょうか。面白い話につきませんね。


善隣学生会館事件については、収集できる限りの資料を収集しています。
一定の方向に情報を誘導していることはありません。

> それはそうと刑事事件で告訴された68年3月の件はどうなりました?
> 刑事被告人任氏らは、裁判でどのように主張し、どのような
> 判決がくだりましたか。

まだ、調べていません。私の印象では、なぜ被害者が告訴されるのか、不思議なところです。


> コミンテルンの資金は中国共産党にも
> 中国国民党にも来ていたはずですよ。それどころか
> 日本では戦後になりますが、中国建国は1950年ですね。
> ここまでの間の内戦でもコミンテルン解散後のソ連から
> 資金援助を中国共産党が貰っていたはずであります。
> フルシチョフあたりから、援助がこなくなって、それで
> 対立していったのでしたね。

援助の問題だけとは考えられません。国民党がコミンテルンから援助を受けていたのは、1927年
の蒋介石の「クーデター」まででしょうか。現在、そこまでは確認できません。立花隆の日本共産党の
研究には、そのような資料はありません。


> 猛獣さんは挑発者の言をオウムのように口真似しているだけ
> でありまして、「売国奴」かどうか猛獣さんに言われる筋合い
> は何重にもないわけで、あなたに対してこれを警戒している
> わけではありません。

売国奴というのは、最近、「悪魔祓いの戦後史」という本を読み直していたところ、日本社会党がソ連から
資金援助を受けていたとしたら「売国奴」だなどというくだりがあったので、書いたものです。私のほうでも、
日本のために誰かさんを売国奴だなどというようないわれは、幾重にもありません。


> しかし客観的にこれは(戦中の日本の
> 帝国主義的野望を打ち砕くという大義はありましたが)外国の
> 資金がどうこう、という話自体が公党への誹謗中傷になり
> 政治的には生死をわける重大問題であります。

この意見には同意できません。また、そのようなわずらわしい政治的な配慮を私に期待されても、無理と
いうものです。
外国から資金援助を受けることが一概に悪いことであるともいえません。また、自主的に資金を確保している
からといって、そのために排外主義的な主張をするようになり、過去の事実を正しく見ることができなくなっ
たのでは、ありがたみもないというものです。

> 社会党の件で
> いくつかの指摘をしました所、「デマだ」と突然切り口上に
> なられた傍観さんの態度はこの点ではある種正しい反応です。

傍観者(初代)さんが「デマだ」と切り口上になったという記憶はありません。

> > 猛獣さんは、外国の資金や口出しで、国政を預かる政党や
> 国政にも左右する大衆団体の運動が歪められるかどうかと
> いう問題に対して、生まれてこのかた意識された御経験が
> 一切ないのではないでしょうか。

外国の資金かどうかにかかわらず、資金にまつわるところで、問題が発生しやすいのは事実でしょう。

> 善悪の判断で言うのでは
> ありませんが、これこそコスモポリタンな立場の根本で
> ありまして、国民国家の中で国家主権と国民主権を主張する
> という近代市民の重要な与件を欠落させて、ひととびに
> 民主だ平等だ平和だというのは国際的には通りません。

共産主義とか、マルクス主義とか言う思想や運動は、インターナショナルなものです。大阪の人さんは、
インターナショナルという歌を歌ったことはないのでしょうか。ある国で、正しいと考えられている思想やら
運動やら、あるいは宗教でもかまいませんが、そのようなものを外国にも広めようという運動は、それ自体と
しては決して珍しいものでも、誤ったものでもありません。マルクス主義もマルクスレーニン主義も、あるいは
科学的社会主義も、そのような熱意を含んだ運動を通して、日本に渡来してきたものであり、それを日本人の
側で受け入れたものだと思います。

> 中国政府自体がそもそも日本をはじめとした諸外国の侵略
> や干渉から独立をなしとげたということが金看板でありまして
> 同じ中国人でも本国では猛獣さんのようなコスモポリタニズム
> は一切通用しない、そればかりか郭沫若氏など、自分では
> 紅衛兵ばりの文革干渉者として頑張ったはずの方々が妻が
> 日本人であった事などを理由に、逆に紅衛兵に糾弾されたり
> もしていますね。

大阪の人さんは、このようなときにだけは、文化大革命の迫害のような動きを肯定するのでしょうか。
不思議なものです。

> 政治に金は一定かかるものですが、一番多いというよりも
> 一番正直に申告している、と見るほうが正しいでしょうね。
> それから綱領確定以後に「様がわり」したのではなくて
> もともと社会主義の運動が単なるソ連中国の応援団でない
> 根拠は自主的な資金であり自主的な方針であり、その国の
> 政治に根差した運動であるということです。日本天皇制の
> 野蛮な弾圧政治の下で、地下活動を余儀なくされていた中で
> コミンテルン(ソ連)などに支援されていたわけですが
> 別に「援助交際」するために活動していた外国のスピーカー
> ではないわけで、本来的には自主財源が当然であります。

自主財源というのは、どうでしょうか。私にはそうあるべきという話と、そうだったと言う話を混同している
ように見えますが。

[404] 「修太郎」はどこに消えた? 投稿者:大阪の人 投稿日:01/12/24(Mon) 17:19
猛獣さんの最近のパターンは自分が解明せねばならない話を
「これはどういうことでしょうか、当方はそうは思いません」
と【自分が解明する努力をはぶき】つつ【最初に加えた日本
共産党非難攻撃への反論はイメージで否定】して帳消しにする
作戦だなあ、と感じます。これはいつぞや題名にもしました
が最近<やる気を失い>、すでに67年春からの後楽の会館の事件の
真相をという当初かかげていた問題意識がでたらめであったと
いうことを示しているように感じます。

|>「反修闘争」を闘ったはずの猛獣さんが
|(略)
|> だとか「修太郎」だとか「男娼ずき」だとか描き出しているのに、
|(略)
|男娼好きというのは、なんの話でしょうか。面白い話につきませんね。

ほら。「反修闘争」という当時のあなたがたのスローガンは脇に
棚上げされて、別の話に置き換えられています。私は猛獣さんと
相手にするのは理論的に解明して自分の勉強にもなる箇所ならば
まだしも骨折りするものですが、こうしたやる気のなさに出会い
ますと、うんざりしてしまいますね。ここ数十回の猛獣さんの
レスポンスはこの式で貫かれています。だいたい200番あたり以降
BBSの議論として猛獣さんはこうした日本共産党攻撃を無責任に
放言するばかりで、責任ある態度で真っ向から話をする事を回避し
ているように思えます。(私が「思えます」と書けば、またレス
で「そうではありません」だとか「思い込みです」とだけ返って
くるんだろうなあ、この誠意のなさよ)

ちなみに「男娼ずき」という語は寺尾氏の「日中不戦の思想」に
ある小見出しです。御自分の当時のバイブルだった本ですよ。
あなたが伏せていた部分が本を手にして明らかになりました。
(245/宮本・岡は男娼ごのみ)というのが「第三章 前衛の変質の
内容(1) ---世界認識の変質」「第四節 ソ連はだんだんよく
なったか」の下にあります。

猛獣さんは、こうしたフレーズを読んでどう思われますか。当時
の寮生の加勢に来た日本の怪しい”真の共産主義者”の言説は。
お上品だから是非、子や孫に受け継がせたい、当意即妙に”敵”に
向けて「男娼ごのみ野郎!」とか口をついて言える子になって貰い
たいとお考えでしょうか。

ちなみにこの項の寺尾氏はだいぶ有頂天になっているようで
もっとも「面白い話」がつきません。「未完成狂騒曲175」
「われ国会を骨まで愛す180」「イエローヤンキーの弁護192」
「ベトコンを裏切った宮本一派205」「宮本一派はお彼岸の墓石229」
表題はだいぶん中身とズレていまして、そもそも寺尾氏は本の
題名の「日中不戦」という課題にはほとんど解明をしてないという
致命的欠陥がありまして、そればかりかこの本と前後して出された
「林彪の思想」の方は口をつぐんでしまっている猛獣さんであり
ます。林彪のようなアジアの英雄の事を伝えないのは欧米崇拝の
間違った傾向であると寺尾氏は林彪氏を哲学者、戦略家、思想家
として高く評価しています。

猛獣さんは、寺尾氏の言を信用するのであるならば、是非ともこの
林彪氏の天才を努力を真似て生きてゆかなければなりません。そして
やはり子や孫に林彪氏や林立果氏のように生きろと教えるおつもり
なのかということが、是非ともお伺いしたい点です。

|善隣学生会館事件については、収集できる限りの資料を収集しています。
|一定の方向に情報を誘導していることはありません。

それでは再度お伺いしましょう。1「反修闘争」という語は用いられた
のかどうか。2寮生は自分が共産党員でもないのに共産党どうしの議論
に根拠薄弱に動員されていったのではないのか。

[413] Re: 「修太郎」はどこに消えた? 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/12/24(Mon) 22:23
> ちなみに「男娼ずき」という語は寺尾氏の「日中不戦の思想」に
> ある小見出しです。御自分の当時のバイブルだった本ですよ。
> あなたが伏せていた部分が本を手にして明らかになりました。
> (245/宮本・岡は男娼ごのみ)というのが「第三章 前衛の変質の
> 内容(1) ---世界認識の変質」「第四節 ソ連はだんだんよく
> なったか」の下にあります。

読み返しました。寺尾五郎さんは(もうなくなったそうです)、「男娼=オカマ」よりも女のほうが
好きなようですね。ソ連は敵性権力であり、いくら化粧をしても、男は女にはなれない。というよう
な議論でした。ソ連を擁護する宮本らは、男娼を女だというような人だといっています。下品な喩え
ではありますね。ま、このくらいは許容範囲です。

> 猛獣さんは、寺尾氏の言を信用するのであるならば、是非ともこの
> 林彪氏の天才を努力を真似て生きてゆかなければなりません。そして
> やはり子や孫に林彪氏や林立果氏のように生きろと教えるおつもり
> なのかということが、是非ともお伺いしたい点です。

反帝国主義戦争では、常に制空権は侵略者側が握っている。したがって、(ベトナム戦争において)ソ連の
戦闘機の援助などは、後方基地を持たなければ意味がない。という分析は、なかなかのものだと思いまし
たが。
善隣学生会館事件のレポートは、全面的にいいですね。それ以外は、精読していません。また、彼のそれ
以外の著書について、私にクレームを上げられても、対処しません。

> それでは再度お伺いしましょう。1「反修闘争」という語は用いられた
> のかどうか。2寮生は自分が共産党員でもないのに共産党どうしの議論
> に根拠薄弱に動員されていったのではないのか。

1.用いられたでしょうね。だからどうだというのですか。日本共産党の暴行が、消えるのですか。
  ちなみに、反修闘争とは、基本的にはソ連に対するものだったはずです。
2.寮生は、中国の財産であり、日中友好センターである善隣学生会館から、日中友好を妨害する団体は
  退去するべきだといったわけです。当然の要求と思います。

[419] Re: 「修太郎」はどこに消えた? 投稿者:大阪の人 投稿日:01/12/29(Sat) 03:22
re:413
|寺尾五郎さんは(もうなくなったそうです)

ほう。井上清氏は2001年に死去したとこないだ知りましたが
寺尾氏の件は初耳です(どちらも御家族には御愁傷様です)。
いつのことでしょうか。

|「男娼
|=オカマ」よりも女のほうが好きなようですね。ソ連は敵性権力であ
|り、いくら化粧をしても、男は女にはなれない。というような議論で
|した。ソ連を擁護する宮本らは、男娼を女だというような人だといって
|います。下品な喩えではありますね。ま、このくらいは許容範囲です。

いつぞや敬称をつけない、つけるだとか、事細かく指示されていた
わりにはあばたもえくぼで寺尾氏のニュアンスには寛容なんですな。
それで御子息やお孫さんにはこうした言を口をついて吐かせたいと?
「このぐらいは許容範囲」だから元気があってよろしいと?

|> 猛獣さんは、寺尾氏の言を信用するのであるならば、是非ともこの
(略)
|反帝国主義戦争では、常に制空権は侵略者側が握っている。したがっ
|て、(ベトナム戦争において)ソ連の戦闘機の援助などは、後方基地を
|持たなければ意味がない。という分析は、なかなかのものだと思いま
|したが。善隣学生会館事件のレポートは、全面的にいいですね。それ
|以外は、精読していません。また、彼のそれ以外の著書について、私
|にクレームを上げられても、対処しません。

寺尾氏が信用にたる著者、証言者かどうか、ということは非常に重要
なこのウェブの議題であります。彼は朝鮮を地上の楽園と描いて朝鮮
への帰国運動を扇動してまわった日本文化人のチャンピオンでありま
した。この件で、在日朝鮮人からは、だいぶん批判があるようですが
そうしたさまざまな寺尾氏の側面を捨てて、また林彪氏を思想家だと
かいうチョウチン発言をすっぽりと抜かしてこのウェブを構成して
ゆくのはいかにもトリッキーであります。猛獣さんの筋書きはほとんど
すべて寺尾&井上コンビのそのまんまでありまして、この当時の彼ら
あるいはこれ以前以後の彼らの政治的発言の変転はそれなりに追うに
価値あるものだと思いますが。

それから当方は”クレームをあげ”たのではありません。完全に
真に受けて取るとするならば、こうした本の言はどうなのか? と
いうことを問うているのであります。当然問われてしまうでしょう。

「反修闘争」の用語の件
|1.用いられたでしょうね。だからどうだというのですか。日本共産党の
| 暴行が、消えるのですか。

共産党間の論争にかかわる特殊な用語であります。これが大衆(華僑は
全員非政治的に生活せよというのが廖承志氏の厳命であったはずです)
に流布され、中国党の手足として根拠薄弱に言われている。ここだけでも
中国党の無原則がかいま見ることができます。また日本人労組員なども
オウムのように口まねしてこれを「日本修正主義者」だとか言わせている。
”反修闘争とは、基本的にはソ連に対するものだったはずです。”と猛獣
さんは勘違いしておられますが、それは中国共産党の路線の特有の党活動
であったというのが正解でして、この党固有の活動を党にかわって、また
国の外にさえ向けてガキに代わってさせた悪らつな毛沢東氏でありました。
この無原則が、謀略をしでかすわけです。事態はどこで誰が原則をふみ
破っているかでみるとわかりやすい。

|2.寮生は、中国の財産であり、日中友好センターである善隣学生会館から、
| 日中友好を妨害する団体は
|  退去するべきだといったわけです。当然の要求と思います。

寮生というのは、いつから在日大使館の武官になったのでしょうか。
退去すべき、という主張が内部にでたときに、(そう考えるのは脳内
では御自由に)それを張り紙にする、キャンペーンとして国内学生運動
もどきにエスカレーションする、孫平化氏のごときは激励する、という
甘やかしようでありまして、ガキに先陣きらせるのは毛沢東氏のオハコ
でありました。

[421] 一応、お答えします 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/12/30(Sun) 21:51
大阪の人さんは、じつに義理堅く反論してくれるので、その点では安心して付き合えますね。
私も、大いなるマンネリで、いつものような反論を返せるというものです。

> re:413
> |寺尾五郎さんは(もうなくなったそうです)
>
> ほう。井上清氏は2001年に死去したとこないだ知りましたが
> 寺尾氏の件は初耳です(どちらも御家族には御愁傷様です)。
> いつのことでしょうか。

1999年9月頃なくなったようです。同年10月ごろ、氏を悼み、その業績を
しのぶという記事が、たくさん見受けられます。いまのところ、正確な命日は、
分かりません。

遅まきながら、氏のご冥福をお祈りします。

> 寺尾氏が信用にたる著者、証言者かどうか、ということは非常に重要
> なこのウェブの議題であります。彼は朝鮮を地上の楽園と描いて朝鮮
> への帰国運動を扇動してまわった日本文化人のチャンピオンでありま
> した。

証言者を人格的に否定することにより、証言自体を葬り去ろうという日本共産党の発想ですね。
なるほど。
日本共産党では、論理の組み立て能力や分析能力よりも罵倒能力を論争の上で重視しているという
もっともらしい噂がありますが、本当のようです。
論争する前に、論者の経歴を調べ、人格攻撃をして、証言の内容の検討自体をつぶしてしまおうと
いう論法(?)ならば、何よりも重要なのは罵倒能力になる。

> 共産党間の論争にかかわる特殊な用語であります。これが大衆(華僑は
> 全員非政治的に生活せよというのが廖承志氏の厳命であったはずです)
> に流布され、中国党の手足として根拠薄弱に言われている。

私は、「廖承志氏の厳命」のような命令を聞いたことはありません。非政治的な人間とはどのような人間
でしょうか。奴隷ですか。奴隷でも、多少は政治的でしょう。
華僑だから非政治的であれなどという驚くべき要求は、排外主義者の大阪さん以外から聞いたことはあり
ません。いつぞやも、当掲示板でそのような非常識な発言をして、多くの方々の顰蹙を買っていましたが、
まだ反省していないようですね。

> ここだけでも
> 中国党の無原則がかいま見ることができます。また日本人労組員なども
> オウムのように口まねしてこれを「日本修正主義者」だとか言わせている。

1950年代以前の共産主義の教義から言って、現在の日本共産党が修正主義であることは、ほぼ疑う余地
のないことでしょう。それをどう評価するかは、別の問題です。修正主義になったのは、宮本顕治氏が主導権
を確立して、路線を変更した時期ということになります。

ところで、私自身のスタンスでいいますと、日本共産党が修正主義になったから、反対したのではありません。
中国人の会館内で、あなたがたの武装部隊が、われわれの同胞を襲撃したから、闘ったのです。

> |2.寮生は、中国の財産であり、日中友好センターである善隣学生会館から、
> | 日中友好を妨害する団体は
> |  退去するべきだといったわけです。当然の要求と思います。
>
> 寮生というのは、いつから在日大使館の武官になったのでしょうか。

武官になったことはありません。寮生は寮生です。

> 退去すべき、という主張が内部にでたときに、(そう考えるのは脳内
> では御自由に)それを張り紙にする、キャンペーンとして国内学生運動
> もどきにエスカレーションする、孫平化氏のごときは激励する、という
> 甘やかしようでありまして、ガキに先陣きらせるのは毛沢東氏のオハコ
> でありました。

意味不明です。

[425] ヨタの親玉寺尾五郎の悪魔祓い 投稿者:大阪の人 投稿日:02/01/04(Fri) 16:32
猛獣さんの場合、”大いなるマンネリ”(自分に大いなると付けるか?)
ではありませんで根拠を示す”情報が尽きてきて、ネタ枯れ”と見なす
のが適切でありましょう。

|> 寺尾氏が信用にたる著者、証言者かどうか、ということは非常に重要
(略)
|証言者を人格的に否定することにより、証言自体を葬り去ろうという
|日本共産党の発想ですね。

それからマンネリというより”性懲りなし”だとか”無反省”とも評して
いいようにも思います。当方が書いているのは私個人の独創でありまして
それは猛獣さんの根拠を示せないヨタ記事とは若干異なりますが、個人が
思考できないかのように、これまた根拠もなくいい立てている点と、何が
何でも日本共産党攻撃にあてこすりたい猛獣さんの発想でありまして
毎度でありますが、これには抗議させて頂きます。下劣です。

|なるほど。

何がなるほどですか。寺尾五郎氏が信用に足る人物か、証言者として
(表題だおれの)「日中不戦の思想」の前半に書かれた事件の”真相”
に信用おけるのかどうかということは、ウェブとして検証するに足る
重要な箇所であります。逆に不破氏だとか宮本氏には”信用おけない”
とする情報でもあれば飛びついて掲載しようとする猛獣さんのくせに。
伊藤律氏の”証言”なるものを持ち出したのも、そもそもお下劣猛獣
さんの「妻百合子氏ではない女性同伴で豪遊」という(内心の願望を
表現した?)確かめもしない下司の勘ぐりの放言からでていたのでした。

あと、いつぞや傍観さんが、”どうもお二人とも重大なことを見落とし
ているように思います。”として”いわゆる中国派の人々の大部分はほ
んの数ヶ月前までは日本共産党員だったことです。”と指摘し”大阪の
人さんの言う「文革追従者たちの組織のやり方」は突然形成されたので
はなく、日共党員時代の作風を引き継いでいるとみるべきでしょう。”
と述べていますが、まさに寺尾五郎氏においてその嫌な体質は頂点に達
しているようでありまして、まさに(題名だおれの)『日中不戦の思想』
本には”証言者を人格的に否定する”記述がオンパレードであります。
(傍観さんの書き込みは#309)
たとえば、「宮本一派」という語が宮本顕治書記局長(当時)を指して
悪罵の限りに書かれていて、その「一派」の宮本忠人という人から批判
されたところ、正面から反批判する力もなかったのか、言い返しに、
「忠人」と名前呼び捨てにさえしている寺尾氏のお行儀であります。
むしろ昔の日本共産党の悪い所として世間で指摘されていた大半の部分の
ゴタクソはこうした中国分派の方々やソ連分派の方々がどっさり背負って
出ていったようで、「ああはなるまい」という反面教師として党内には
お行儀いい作風が普及したとさえ言えるのではないかと私は見ています。

さてさて、猛獣さんが「悪魔祓い」本をお持ちであるなら話が早い。
この稲垣武氏の著書の中で寺尾氏がどのように描かれているか、これは
寺尾氏が中国問題にかかわる以前の問題でありまして、客観的な傍証と
しては格好な物件であろうと思います。ウェブ上に掲載してください。
あなたに笛ふいて暮れた日本”文化人”のカリスマでありますれば稲垣
氏が何か厳しい批判を加えているのは猛獣さんには堪え難いものかと
お察し申し上げますが、在日外国人殺しのテクにかけては寺尾氏の右に
出るものはいない、最悪のチャンピオンでありまして、ちゃんと毒消し
悪魔祓いしておかないと、いろいろ腐った隠花植物がまたぞろでてきて
次の世代のアジア友好に害を与えかねませんからね。

当方は、今寺尾氏の本を借りてきて読んでいる最中です。『時代区分論
革命が歴史をつくる』たいまつ社1977年1月10日初版です。これはどうも
「批孔批林」(文革末期の4人組のまきかえしと言われている)の時代
にこれに調子を合わせて、とはいえさすがに『林彪の作戦』で林彪氏を
天才と持ち上げた手前”批林”部分はおくびにも出さず、さりとて自己
批判するでもなく、漫然と書き散らした1974年頃の雑誌「東風」の連載
の単行本化とあります。

この「時代区分論」の著者紹介では、”1921年北海道に生まれる。
早稲田大学卒業、戦後、党および友好平和運動等で活躍。近著に
『悪人・親鸞』『先駆・安藤昌益』『革命家・吉田松陰』の三部作。
他に中国問題・朝鮮問題ならびに軍事問題の著書あり。”とだけ
記されていて、朝鮮帰国運動のチョウチンもった件だとか、「林彪
の作戦」を褒め称えた事だとか、後楽の事件で頑張った事や、1969
年5月27日に”「福田一派」と「脱走派」の「寺尾五郎一派」が共同
で開いた東京・全逓会館での講演会への「ML派」「脱走派造反団」
のなぐりこみ”の件やらは書き込まれていないのですな。
(なぐりこみかけられた話は宮森繁氏の『実録中国「文革」礼賛者たち
の節操』P147にあり)

とにかく、今私の探しているのは、後日譚です。寺尾氏はあれほど
宮本顕治氏をメタメタに人格攻撃していたくせに、後に降旗某氏と
の対談の中で「宮本に一定の力量があることは事実だ」と降旗氏が
宮本人格攻撃を口走るのを制しながら発言しています。「宮本は清潔
というか、道徳上のびん乱、志田的道楽はないからね。しかしナ、
宮本には生活上のひどい”おごり”というものがある。」とも述べて
います。降旗氏が「しかしあれはイレブンPMはけしからんという
発言に見られるように、いかがわしい部分がなさすぎるんだよね。
(笑)人畜無害、完全殺菌みたいで面白くもおかしくもないでしょう
あの人は」と(迎合で方向転換しつつも別方面から再度人格攻撃を
再度促されて)寺尾氏は「ハハハハハ。だから面白くもおかしくも
ないってのはそのとおりだ」と受けています。

人格攻撃じゃなくて、本当に宮本氏が中国人に暴行する張本人だとか
自著で書いた通りを自分で信じているなら、このようなものいいは
やはりおかしいのではないかな。節操がない、というか。ずるずる
べったりで、無原則な感じを受けました。

[405] 「林彪の作戦」はどこに消えた? 投稿者:大阪の人 投稿日:01/12/24(Mon) 17:20
|> それはそうと刑事事件で告訴された68年3月の件はどうなりました?
|> 刑事被告人任氏らは、裁判でどのように主張し、どのような
|> 判決がくだりましたか。
|
|まだ、調べていません。私の印象では、なぜ被害者が告訴されるの
|か、不思議なところです。

たしかに猛獣さんの仮説ではそうなりますよね。けれどこないだ猛獣
さんが公開してくれた民事の明け渡し訴訟の結論は面白いじゃない
ですか。善隣学生会館理事会側が原告となって、被害者である華僑寮生
たちの「反中国のニセ日中でていけ」の意を受けて民事告訴しておきな
がら、1審の判決もまたずに和解に応じて、元々「金を出せ」という
訴訟なのに逆に200万円以上の「解決金」を原告側が支払い、暴力
行為に「遺憾の意」を原告側が表明し、家賃も免除して、今後目的と
する利用以外には用いないという旨の約束まで原告側がさせられて、
結局”ニセ日中にかわる真の日中”=(正統日中)の入居まで排除
する約束を進んで交わしているわけで。ふりあげたこぶしを収める時
に、もはや猛獣さんたちには見せられないのか、周知もしてないじゃない。

せめて「ニセ日中」の「暴力が目に余る」ので「でていけ」ならば
意にそわぬ判決がでても控訴し、立派に最高裁まで論証を尽くして
相手のニセさ、暴力性、寮生や加勢したオールスターズの正統性や
正当性を論述する場として誠心誠意努力すべきですよね。

なぜ1審で「和解」なのでしょうねえ。
なぜ「暴力行為に遺憾の意」なのでしょうねえ。
民事訴訟ってあまり判決までねばるものでなく、和解で解決する
のが多いのかもしれませんが、それにしても「暴力行為に遺憾の意」
というのは”暴力集団ニセ日中”に対して理事会が発するものと
しては、奇怪至極であります。どこかに他に真の暴力集団がいて
これが暴力行為を主としてしかけて、友好協会側がこれを被って
会館理事会側がこの暴力行為を未然に防ぐ適切な処置を取らない
でいてその不作為に関して「おわび」しているということが和解で
この民事訴訟上は確定していますよね。

誰なんでしょう、その真の暴力集団とは?
刑事訴訟の件の行方が気になります。是非お調べくださって
かならず公開してください。当方のBBS書き込みに対して
力も入ってないレスをダラダラと頂くよりも、こうした
客観的な資料をウェブに上げる努力をされる方がずっと
生産的でよろしいのではないかと思いますがいかが。

[411] Re: 「林彪の作戦」はどこに消えた? 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/12/24(Mon) 21:33
> なぜ「暴力行為に遺憾の意」なのでしょうねえ。

たちの悪い集団にいつかれたら、金を払ってでも出て行ってほしくなるということもあります。
オーム真理教の教会に出て行ってもらうために、立退き料を払った自治体もありました。だから、
オーム真理教が正しく、自治体が間違いだったのでしょうか。

[416] Re: 「林彪の作戦」はどこに消えた? 投稿者:大阪の人 投稿日:01/12/29(Sat) 03:17
re:411
|たちの悪い集団にいつかれたら、金を払ってでも出て行ってほしく
|なるということもあります。
|オーム真理教の教会に出て行ってもらうために、立退き料を払った
|自治体もありました。だから、
|オーム真理教が正しく、自治体が間違いだったのでしょうか。

私には上記猛獣さんの御意見は納得できない。これは訴訟している
裁判所に於ての事でありまして、”たちの悪い”ということが
立証できれば、相手をもっと追いつめることもできたはずであり
まして、そもそも原告側が「金だせ」という訴訟が維持できなく
なって「金しはらう」に逆転してしまっている。不思議ですねえ。

こうした民事の訴訟で、しかも和解ということである場合に、勝ち
負けということはお金をどちら側がどちら側に支払ったかでわかる
となにかで読んだことがあります。また訴訟維持の上でマズくて
敗訴ということもあるでしょうが、それにしても「暴力行為に遺憾」
というのは裁判所の調停で和解の条件にどうしても書き込まれる必要
があると認めらるには、それは相当する事情があると思いますが。
普通、第三者である裁判所が和解を勧める時にこの一冊を入れさせる
ということは事実認定としてこれは暴力行為が主として友好協会が
平和的に利用していた会館内で友好協会にむけて振るわれたと見る
のが合理的でありましょう。何が排外主義か。そうした感情的な
言葉を煙幕にせねば自体の白黒があまりに明白だからではないのかな。

もはや、全体像を構築する意欲の失せた猛獣さん。でもお願いします
刑事訴訟の資料だけはあたって全面的に公開してくださいね。

[422] 家賃を二年も払わないまま居直ることが非常識 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/12/30(Sun) 22:33
> 私には上記猛獣さんの御意見は納得できない。これは訴訟している
> 裁判所に於ての事でありまして、”たちの悪い”ということが
> 立証できれば、相手をもっと追いつめることもできたはずであり
> まして、そもそも原告側が「金だせ」という訴訟が維持できなく
> なって「金しはらう」に逆転してしまっている。不思議ですねえ。

善隣学生会館事件が発生した当初、日本共産党は、「日中友好協会」の事務所の大家さんは
華僑学生ではなく、善隣学生会館理事会であると主張し、通常の賃貸借であるのだから(家賃
も払っているのだからとかいう含意があります)、華僑学生にとやかくいわれる筋合いはない
というような主張をしていました。

<外部勢力による干渉と暴力は許せない>
| また華僑学生はこの会館の所有者ではなく、財団法人善隣学生会館が家主さんなのです。
| かれらは法律的に見ても、日本の常識から考えても協会に事務所を出てゆけという資格も権利もありま
| せん。道理がないからこそ暴力で追い出そうとしたのです。

<日中友好協会本部襲撃事件の真相(赤旗1967.3.7)
| 日中友好協会は同財団理事会と正規の契約を結んで昭和三十九年四月二十一日以来今日まで、現在本部事務所
| のある室を賃借し、それ以来今日まで同じ事務所で、同じ看板をかかげて、一貫して不変の方針のもとに日本
| 人民の自主、平等の立場にたって日中友好運動をすすめてきています。

ところが、同和解調書が取り交わされた1970年7月には、和解条件として、1967年3月から同年同月までの未払い
の家賃の支払いを免除するとしています。ということは、その期間、「日中友好協会」(紛らわしいので、今後は
大阪さんの気分を害することを承知の上で「ニセ日中」と書かせてもらいます)、家賃を支払っていなかったので
しょうか。この点が確認したい第一の点です。

普通、建物や土地の賃貸借契約がこじれて、貸主と借り手の間で紛争が起こった場合、貸主の側で借り手が支払
おうとする賃料の受領を拒否するような事態が起こります。その場合、借り手は放置しておくと「賃料不払い」
という理由で立ち退きを請求される根拠になるので、賃料を供託するという手続をとることになります。
ニセ日中と会館理事会との間にも、そのような事態が発生したのでしょうか。しかし、会館側が立退き請求を
提訴したのは1967年11月であり、その訴状に、立ち退きまでの間の賃料を月9万5百円の割合で支払うという
条件があるので、家賃は支払われていなかったと考えられるのではないでしょうか。

もし、ニセ日中が家賃を供託していたとしたら、普通は、賃料の支払いを免除するというような条件は提起され
ないと思われます。ニセ日中の方で、賃料の支払いをする意思があるというのが供託の意味ですから、供託金を
ニセ日中側に返還するというような手続は考えにくいですね。もちろん、正確な事実は不明です。

もし、ニセ日中が家賃の支払いを供託せずに、ずっと居座っていたのであった場合、賃料不払いの事由は、貸主
側から見て非常に強力な立ち退き請求理由になるのですが、そのような主張を会館側はしなかったのでしょうか。
あくまでも、同会館の性質の故の立ち退き要求であると会館としての立場を貫いたからでしょうか。それにしても
納得のいかない態度ですね。

ニセ日中側の態度を考えますに、二年もの間、立ち退きを要求されながら居座っていて、何故に家賃を支払わ
なかったのでしょうか。供託をしていなかったとすると、それはなぜでしょうか。
それにしても、ニセ日中は非常に図々しいですね。一般の賃貸借であれば、家賃を支払わないで何年も建物を使用
するなどということは、常識的にはないでしょう。さらに立退き料まで請求したとするならば、この団体は非常に
悪質な団体であると考えるのが、常識的な見方であるといえます。それ以上の特殊事情については、不詳です。

その辺りの事情を知りたいところですね。

[427] 非常識かどうかは裁判所が決める 投稿者:大阪の人 投稿日:02/01/09(Wed) 16:42
re:422
猛獣さん、この前も指摘しましたが

||その期間、「日中友好協会」(紛ら
||わしいので、今後は大阪さんの気分を害することを承知の上で「ニ
||セ日中」と書かせてもらいます)、家賃を支払っていなかったので
||しょうか。この点が確認したい第一の点です。

「大阪さんの気分を害する事」ばかりでなく、多くの日本人に
とってこの華僑猛獣文士さんの発言は穏当を欠く発言であります。
98年合意を当方に指摘されるまで御存知なかった猛獣さんの不勉強
でありますが、この合意に基づいてすでに中国党政府との公式関係
さえ樹立している友好協会(人民日報日本語ウェブにも住所と
名前がでていますね)を「ニセ」だなどと。
余裕がなくなってきたネタぎれ猛獣さんでありますれば、ウロきて
このようにはしたない言動に及ぶわけで、当時の寮生たちも道理
では勝てないから暴力行為に及んだのであろうと、その蓋然性を
増す傍証になりますな。

さて、猛獣さんは今回は地裁の和解にイチャモンをつけています。
地裁和解が原告側から被告側に金を支払うという珍妙な経過に
至ったということで、これが普通じゃないのは当方も、この場を
ご覧になっているオーディエンスの方々も同意されることであり
ましょう。その珍妙な和解という結果をどうにかして友好協会側
が”悪い”せいであろう、というあてこすりに利用できないか
と猛獣さんはお考えになったわけです。

こないだの形式論理学に関する駄弁でもだいぶん感心しました。
しかし今回の件では、悪質さにおいて比類がありませんな。

第一にこれは原告側も和解した和解であります。”不当判決”
なりとして上告したが認められなかった、などという件では
ありませんで、原告側はこれを認めない事で裁判官の心証を悪く
してしまう事を回避しているのであります。裁判官も法と正義
にのみ基づいて審理しているわけでありまして、この中でこれ
が(今読んでもたしかに珍妙ですわな)妥当だと3者で合意して
和解に至ったのでありました。これは、思うに、一種の誣告に
関して裁判所側が原告理事会側を罰しているのではないかな。

想像を逞しくすれば、そもそも理事会側は、あまり気がない。
闘ってたたかって、”人民の海に埋葬してやる”とは本気で
思ってなかったのが、”行け行け、怯むな!”と頭に血が
のぼった革命きちがいたちにせっつかれて、止むなく裁判に
持ち込んだと。そう見ますとはっきりしてきますね。本当は
友好協会側が一方的に1階で殴られけられ、ガラス割られ
ドア壊されているわけで、理事会の人士は「赤い赤い心の太陽」
なんて狂った者もいたでしょうが、普通の常識ある人も中に
はいて、一応寮生や華僑総会(のバックにいる文革党政府)の
顔をたてて訴訟にし、「訴えました」と「日本と中国」紙や
人民日報紙に載れば面目がたったと、以後の裁判闘争では
勝てるという気も最初からなくて、気のない法廷戦術でいて
それを裁判所側も見て取って、「もう和解にしなさい、それ
ともより厳しい判決で理事会側、その背後にある勢力を断罪し
てしまいましょうか」と言われて、ほうほうのていで和解、と
いうのはどうでしょう。

いずれにせよ、「不当判決」であれば、”疑問”として
猛獣”探偵”文士さんがでてきて、快刀乱麻のごとくにもつれた糸
を解くこともできるでしょうが、上告もせずにすごすごと
原告側が裁判所に対して、「これで結構でございます」として
和解にハンコを押したのです。ああせめて最高裁までもつれて
最終的に判決の中で寮生達の悪逆非道が非難されていればもっと
猛獣さんも楽になれたのに(仮定法過去)。

|普通、建物や土地の賃貸借契約がこじれて

私はこれまで普通の建物明け渡し訴訟等のケースも想定して議論を
なるべく客観的に叙述してまいりましたが、裁判所が、裁判官が
むしろこれは通常の建物明け渡し訴訟ではない、と、デタラメの
本質を見抜き、通常の明け渡し訴訟では考えられない珍妙な結果を
これこそが正義だと認定し和解にさせたのでしょう。

||ニセ日中と会館理事会との間にも、そのような事態が発生した
||のでしょうか。

何が「ニセ」ですか。表面上は書かれていないかも知れませんが
この普通では考えられない大どんでんがえしの和解には裁判官さん
の寮生たちへの怒りと友好協会被害者たちへの同情とが滲んでいる
と読むことができます。これこそ正義の実現であります。判例を
なぞるだけが裁判官の仕事ではありません。裁判官さんの正義と
常識の目に寮生たち、理事会側、当時の東京華僑総会側、背後の文革
党政府の側がデタラメの不正義だと映ったのであり、そう見られて
も致し方ないとこれを【追認した】のが原告理事会側の和解であります。

||普通、建物や土地の(以下略)
||ニセ日中と会館理事会との間にも(以下略)
||もし、ニセ日中が家賃を供託(以下略)
||もし、ニセ日中が家賃の支払いを供託せず(以下略)
||ニセ日中側の態度を考えますに、二年もの間(以下略)

わっはっは。猛獣さんの脳内ではどうにも辻褄が合わないでしょうが
現実にはこれは和解されて、公報にも記載され、確定していますな。
「有利、有理、有節」という言葉があるそうです。あまりこの件で
蒸し返せば、蒸し返すほどあなたがたの側に”利”がなく、あなたがた
の側に”理”がないせいでより苦境においやられ、あなたがたの側
に”節度”がないと衆目に軽べつされてしまいますね。

それとも”指桑罵槐”がお得意の中国流で、文革党政府の事を
猛獣さん御自分の言で批判することができないものだから、当方の
口を借りて批判させようとお考えなのかな?

日本人にもロクデナシもいれば偉人もいます。華僑にもロクデナシ
もいれば偉人もいることでしょう。猛獣さんはこの場合、どちらに
なるのでしょうか。

[429] 勘違いしている大阪さん 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/01/10(Thu) 23:07
大阪さんは、フォローしようもないほど、勘違いしています。
裁判所は、常識や正義を代行する場ではありません。
また、私は、善隣学生会館事件の当事者として、争っている
訳ではありません。

裁判の記録は、他のさまざまな資料と同列の、事件の真実を
探求するための材料として収集しているものです。裁判所で
行き着いた結果は、この事件の性格を決定付けるものではあり
ません。そこで得られた情報をいろいろに解釈して、事件の
真相を垣間見ようとする意欲がなければ、どんな資料を集め
ても、意味はありません。

大阪の人さんにとって、裁判所はお上であり、そこでの結果は
なにものにも変えられない神聖なもので、忠誠を誓うべきもの
なのでしょう。

日本共産党が天皇家に忠誠を誓う日も、そう遠くないかもしれ
ません。

[406] 「98年合意尊重」はどこに消えた? 投稿者:大阪の人 投稿日:01/12/24(Mon) 17:22
|援助の問題だけとは考えられません。国民党がコミンテルンから
|援助を受けていたのは、1927年の蒋介石の「クーデター」
|まででしょうか。現在、そこまでは確認できません。立花隆の日
|本共産党の研究には、そのような資料はありません。

猛獣さんは、ここで当初の御自分の言を維持できなくなりました。
当初「日本共産党にコミンテルンから資金が」というお話であり
まして、これが立花隆氏の本からの引用であるとのことで、どう
にかしてこのウェブの1967年春からの事件に立花隆氏の本をつなげ
て反共攻撃に援用したいという猛獣さんでありました。いい加減
うんざりしています。67年春の事件、「反修闘争」という当時の
御自分たちの言説を一切反省していない猛獣さんがここに形を
隠ぺいしつつ存在します。日本共産党攻撃のためであるならば
どのような立場のどのような議論もこのウェブに乗せるという
意図でしょうか。これに対し当方が一定まじめに応対して答えた
らばすぐに得意になって次々と”資金が”という話に持ち込む。
しかもコミンテルンは1943年ぐらいに戦時中に解散しています。
いったい、何を論証しようとしているのか。「外国の資金で日本
共産党は動いてる、中国からの援助が切れたらソ連から援助を
得たのであろう」という自主性のない党のイメージを吹聴する
という悪意しか見えません。しかも事実を指摘するのではなくて
イメージのなすりつけであります。

|売国奴というのは、最近、「悪魔祓いの戦後史」という本を読み
|直していたところ、日本社会党がソ連から資金援助を受けていた
|としたら「売国奴」だなどというくだりがあったので、書いたも
|のです。

「悪魔祓い」は最近読みました。ベトナム戦争あたりの記述は
それまでの博覧強記の強い筆致が消えて、よわよわしい強弁
だなと感じましたが参考になる箇所もある本ですね。また中越
戦争に関しては、当時の日本が中国とポルポトカンボジアの加勢
する側であった事に依拠してか、中国よりなのが気になります。
あと部落解放同盟に関するタブーを打ち破る事は回避しています。
これこそ私に言わせれば戦後最大のタブー事件でありまして八鹿
高校事件だとか、矢田事件だとか、暴力集団の妄動を警察も含め
て無法を放置したという汚点が権力側にもあるからなのかと邪推
してしまいます。

この「悪魔祓い」に関しては、日本共産党に関して言えば、自主
的に「悪魔つき」の状態を脱して、レガシーフリーになっていった
道標として、まだ稲垣氏の言では不十分ですが「日本共産党の70年」
などと併読する資料になりえると思います(少なくとも寺尾五郎氏
や井上清氏らの本よりはマシです)。

|> しかし客観的にこれは(戦中の日本の
|> 帝国主義的野望を打ち砕くという大義はありましたが)外国の
|> 資金がどうこう、という話自体が公党への誹謗中傷になり
|> 政治的には生死をわける重大問題であります。
|
|この意見には同意できません。また、そのようなわずらわしい
|政治的な配慮を私に期待されても、無理というものです。
|外国から資金援助を受けることが一概に悪いことであるともい
|えません。また、自主的に資金を確保しているからといって、
|そのために排外主義的な主張をするようになり、過去の事実を
|正しく見ることができなくなったのでは、ありがたみもないと
|いうものです。

「そのために排外主義的な主張」をというのはどういうことか。
自主的に資金をえなければ政治闘争に存在する事はできません。
それと「排外主義的な主張をするかどうか」はまた別です。
日本共産党の公式声明や資料は猛獣さんがアクセスできうる範囲
にもたくさんあるでしょう。その中で排外主義を謳った箇所と
いうのはどこでしょうか。このウェブ全体を通じてもこれは見あ
たらない重大な指摘です。架空の話をされても困ります。

それから「外国から資金援助を受けることが一概に悪いことであ
るともいえません」というのは猛獣さんの脳内に限って通用する
理屈でありまして、全世界的に、いずれの国でも、一切通用しま
せん。そんな国がどこにあるのか。そもそも中国で通用するのか。
このあいだは郭沫若氏の文革当時の挿話を書きましたが、文革当時
ばかりでなく、中国党政府は建国当時からこのたった今まで、1貫
して金看板が外国勢力排除した独立戦争の指導であります。

|傍観者(初代)さんが「デマだ」と切り口上になったという記憶はありません。

#319以来傍観さんは「デマ」よばわりを続けておられました。
| 旧社会党がソ連・中国の両方から金をもらって運営されていた、とい
|うのは初耳です。
|こういうデマを書くのは本当におやめになったほうがいいと思います。
(略)
|もっとも、上のようなデマを平気でとばしているようでは、なお道
|遠しの感が強いのですが。

他の箇所では、もっと説得的、内在的に批判なさっていた傍観さんで
ありますが、意表をつかれたようで、いきなり「デマ」と「初耳」で
あるにもかかわらず切り口上に不用意な発言をしておられます。事実
がどうであるか実証的に書いてゆくというのが傍観さんのポリシーで
あったのだろうと思いますが、資金の話はそれを一切覆してしまうほど
重要な問題でありました。

[412] Re: 「98年合意尊重」はどこに消えた? 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/12/24(Mon) 22:05
> 猛獣さんは、ここで当初の御自分の言を維持できなくなりました。
> 当初「日本共産党にコミンテルンから資金が」というお話であり
> まして、これが立花隆氏の本からの引用であるとのことで、どう
> にかしてこのウェブの1967年春からの事件に立花隆氏の本をつなげ
> て反共攻撃に援用したいという猛獣さんでありました。

立花隆の日本共産党の研究は、戦前の日本共産党に関する研究書です。戦後の日本共産党に関する
歴史的なは殆んどありません。
戦前の日本共産党は、コミンテルンによって作られ、財政もコミンテルンの援助によってまかなわれて
いたと、書かれています。まだ、中華人民共和国のなかった時期です。中国から、資金援助を受けること
はありません。

> いい加減
> うんざりしています。67年春の事件、「反修闘争」という当時の
> 御自分たちの言説を一切反省していない猛獣さんがここに形を
> 隠ぺいしつつ存在します。日本共産党攻撃のためであるならば
> どのような立場のどのような議論もこのウェブに乗せるという
> 意図でしょうか。

日本共産党攻撃のためならば、どのような立場の文書も載せるなどというのは、目茶目茶な言いがかりです。
立花隆の著作は、日本共産党の研究、中核と革マルと二冊を読みましたが、いずれもきちんと資料を調べ、
独自の視点から冷静に分析している書であると、以前から考えていました。日本共産党が、彼をどのように
評価しているかどうかということを、私に押し付けられても困ります。

> これに対し当方が一定まじめに応対して答えた
> らばすぐに得意になって次々と”資金が”という話に持ち込む。
> しかもコミンテルンは1943年ぐらいに戦時中に解散しています。
> いったい、何を論証しようとしているのか。「外国の資金で日本
> 共産党は動いてる、中国からの援助が切れたらソ連から援助を
> 得たのであろう」という自主性のない党のイメージを吹聴する
> という悪意しか見えません。しかも事実を指摘するのではなくて
> イメージのなすりつけであります。

日本共産党は、これまで外国の援助を一切うけたことがないといっているのか、あるいは、ある時点から
そのような援助を受けていないといっているのか、大阪の人さんの言っていることが分かりません。
その辺を、明らかにしてくれませんか。私の、ソースを明かせない情報では、少なくとも戦後、中国から
資金的な援助を受けていた時期があったはずですが。宮本さんの大名旅行のほかに。

> この「悪魔祓い」に関しては、日本共産党に関して言えば、自主
> 的に「悪魔つき」の状態を脱して、レガシーフリーになっていった
> 道標として、まだ稲垣氏の言では不十分ですが「日本共産党の70年」
> などと併読する資料になりえると思います(少なくとも寺尾五郎氏
> や井上清氏らの本よりはマシです)。

私は、悪魔払いの戦後史は、ひどい本だと思いました。そこで問題にされているのは、「進歩的文化人」で、
彼らが東側ブロックに同情的で、アメリカの政策に非常に批判的だった点を、ソ連崩壊などに典型的な
の社会主義「神話」の崩壊を根拠にして、論難しているものです。たとえば、日本がアメリカに占領された
ほうがよかったのか、ソ連に占領されたほうがよかったのかなどという空想的な対比をして、進歩的文化人
がソ連に占領される政策を採用したかのような言い方をしているのですが、この著者が一つ忘れている重要な
事実は、戦後日本は、アメリカに排他的に占領され、アメリカの政策を受容することによって、国としての
存立を許されてきたという事実です。そのような現実のなかで、アメリカの占領に迎合するような言論を
語ることで、日本の地位をどれだけ改善することができたと考えているのか、不思議な発想と思えます。
たとえば、中南米やフィリピンなどのアメリカの影響下にある「衛星国」が、アメリカの民主主義によって
どれだけ自由で豊かな国を建設できたのか。あるいは、進歩的文化人がソ連を擁護する言論を語ることで、
日本が東側陣営に加入するような事態が現実的に発生しえたのか。そのような歴史的な状況を全く無視して、
アメリカに占領されたから日本は幸福だったという話を延々と羅列しているようです。
日本共産党の支持者と思える大阪の人さんが、この本が「まし」だというのをきくと、日本人の奴隷根性も
つくづく根が深く定着しているものだと感じます。

> 「そのために排外主義的な主張」をというのはどういうことか。

自分の胸に手を当てて、考えてください。

> 日本共産党の公式声明や資料は猛獣さんがアクセスできうる範囲
> にもたくさんあるでしょう。その中で排外主義を謳った箇所と
> いうのはどこでしょうか。このウェブ全体を通じてもこれは見あ
> たらない重大な指摘です。架空の話をされても困ります。

自党の歴史を正しく語ることができない党派であると思います。

> それから「外国から資金援助を受けることが一概に悪いことであ
> るともいえません」というのは猛獣さんの脳内に限って通用する
> 理屈でありまして、全世界的に、いずれの国でも、一切通用しま
> せん。

外国からの資金援助で自国の財政をまかなっている国は、たくさんありますよ。

> そんな国がどこにあるのか。そもそも中国で通用するのか。
> このあいだは郭沫若氏の文革当時の挿話を書きましたが、文革当時
> ばかりでなく、中国党政府は建国当時からこのたった今まで、1貫
> して金看板が外国勢力排除した独立戦争の指導であります。

外国の侵略と、資金援助とは別の話でしょう。中国では、コミンテルンからの資金援助と、日本の
西原借款とを同列に扱っていないと思いますが。孫文も、革命成就のために、諸外国の資金援助を
要請して、各国を廻っています。

> |傍観者(初代)さんが「デマだ」と切り口上になったという記憶はありません。
>
> #319以来傍観さんは「デマ」よばわりを続けておられました。
> | 旧社会党がソ連・中国の両方から金をもらって運営されていた、とい
> |うのは初耳です。
> |こういうデマを書くのは本当におやめになったほうがいいと思います。
> (略)
> |もっとも、上のようなデマを平気でとばしているようでは、なお道
> |遠しの感が強いのですが。

これは、デマだからでしょ。切り口上というのは、どう評価するのかな。

[418] Re: 「98年合意尊重」はどこに消えた? 投稿者:大阪の人 投稿日:01/12/29(Sat) 03:20
re:412
|私は、悪魔払いの戦後史は、ひどい本だと思いました。そこで問題に
(略)
|いるのですが、この著者が一つ忘れている重要な事実は、戦後日本は、
|アメリカに排他的に占領され、アメリカの政策を受容することによっ
|て、国としての存立を許されてきたという事実です。そのような現実
|のなかで、アメリカの占領に迎合するような言論を語ることで、日本
|の地位をどれだけ改善することができたと考えているのか、不思議な
|発想と思えます。

だからね。余計なお世話なんですよ。相当に日本化してしまった華僑
の猛獣さん。いくらあなたが日本化して、考え方としてすっかり日本
の進歩的文化人を擁護したい、とお考えでも迷惑なの。

|たとえば、中南米やフィリピンなどのアメリカの影響下にある「衛星
|国」が、アメリカの民主主義によってどれだけ自由で豊かな国を建設
|できたのか。あるいは、進歩的文化人がソ連を擁護する言論を語るこ
|とで、日本が東側陣営に加入するような事態が現実的に発生しえたの
|か。そのような歴史的な状況を全く無視して、アメリカに占領された
|から日本は幸福だったという話を延々と羅列しているようです。
|日本共産党の支持者と思える大阪の人さんが、この本が「まし」だと
|いうのをきくと、日本人の奴隷根性もつくづく根が深く定着している
|ものだと感じます。

猛獣さんの御意見に「はいそうでございます」とうけたまわる方が
私にはずっと奴隷根性に思えます。私は日本共産党の公式コメント
を発しているのではないので他の人はまた何というかは知りません。

あとフィリピンは「衛星国」まで言ってはフィリピンの方に失礼で
あります。あそこは米軍基地を撤去してしまいまして、日本よりも
対米自主性では一部まさっていまして私は猛獣さんとは意見がこと
なります。ポルポトカンボジアは当時あらゆる意味で中国の属国
衛星国でありました。他所の国に従わされる国の国民はいずれは
独立を勝ち取るでしょう。猛獣さんはその国々の国民になりかわ
って大変僭越なことを述べておられる。これは中国の大国主義の
独特の現れでしょうか。あるいはコスモポリタニズムのなしうる
議論でしょうか。

|> 「そのために排外主義的な主張」をというのはどういうことか。
|自分の胸に手を当てて、考えてください。

ははは。寺尾氏の(表題だおれの)「日中不戦の思想」からそのまま
ダイレクトに私に向けて「排外主義」だなどと言われても困り
ますね。現実の98年合意も私に指摘されるまで御存知なかった
猛獣さん。ここに論証がないのが惜しい。

|自党の歴史を正しく語ることができない党派であると思います。

「日中青学共闘」だとか「華青闘」だとか「紅旗青年」だとかは
歴史を残す前に消えてしまいましたね。そればかりか、当時の
頼りにしておられた日本社会党まで3分4裂してしまって。
日本社会党が分裂してしまった遠因には中国党政府からの干渉に
乗ってしまったという事もあったと思います。なにしろ統一戦線
を壊し日米安保に対する態度を2転3転介入によって変更し最後
は革新の分水嶺であった安保条約を中国いいなりに認めてしまった
のであります。日本共産党が今まだ歴史を続けているのは中国党
政府のプロレタリア文化大革命押し付けを拒否し日本の自主性を
守ったからだと思います。

|> それから「外国から資金援助を受けることが一概に悪いことであ
|> るともいえません」というのは猛獣さんの脳内に限って通用する
|> 理屈でありまして、全世界的に、いずれの国でも、一切通用しま
|> せん。
|
|外国からの資金援助で自国の財政をまかなっている国は、たくさんあり
|ますよ。

たしかにたくさんあります。ただし平気でこれを当然のようにいう
猛獣さんの神経はおどろくべきものです。韓国は最近IMFからの
援助を受け入れざるを得なくなったという事を「国の恥」だとして
いました。こうした認識が当たり前なのでありまして、猛獣さんの
主張のように「たくさんありますよ」と平気な所はどこかという問い
でありました。

|外国の侵略と、資金援助とは別の話でしょう。中国では、コミンテルン
|からの資金援助と、日本の西原借款とを同列に扱っていないと思いま
|すが。孫文も、革命成就のために、諸外国の資金援助を要請して、各
|国を廻っています。

侵略的意図をもって内政干渉したということが4原則にあいいれない
ということで真剣な総括と是正の措置をとった、という中国共産党で
ありました。これを受け入れてください。

|これは、デマだからでしょ。切り口上というのは、どう評価するのかな。

ウェブ主催者とは思えない放言。気のない猛獣さんらしいいい加減発言
であります。

[433] Re^2: 「98年合意尊重」はどこに消えた? 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/01/14(Mon) 10:35
> だからね。余計なお世話なんですよ。相当に日本化してしまった華僑
> の猛獣さん。いくらあなたが日本化して、考え方としてすっかり日本
> の進歩的文化人を擁護したい、とお考えでも迷惑なの。

1.私が日本化しようとしまいと、大きなお世話です。
2.私の発言の内容について、大阪の人さんが迷惑だという立場にあるのでしょうか。
3.確かに、先の私の書き込みは、「悪魔払い..」について、反論するとすれば
 どのようになるのか、試論のようなものでした。責任ある発言ではありません。
 善隣学生会館事件で華僑学生を力づけてくれた(義理のある)井上清さんが亡く
 なったことにかかわり、氏のような「進歩的文化人」を無責任に(そう見えますが)
 論難する風潮に対して、どのように対抗することが可能かというのが、私の立脚点
 ではありました。

> 猛獣さんの御意見に「はいそうでございます」とうけたまわる方が
> 私にはずっと奴隷根性に思えます。私は日本共産党の公式コメント
> を発しているのではないので他の人はまた何というかは知りません。

問題提起をしているのですから、はいそうですかと承らなくて結構です。しかし、国籍
の問題を持ち出して、持ち出し方もひどく場違いに見えますが、問題をはぐらかすような
態度は、感心できません。

> ポルポトカンボジアは当時あらゆる意味で中国の属国
> 衛星国でありました。

これには同意しません。

> 他所の国に従わされる国の国民はいずれは
> 独立を勝ち取るでしょう。

歴史というものはそのように直線的に動くものではありません。唯物史観を俗流化した「常識」
を潜在意識化にもっている大阪さんの発想でしょうか。

> 猛獣さんはその国々の国民になりかわ
> って大変僭越なことを述べておられる。これは中国の大国主義の
> 独特の現れでしょうか。あるいはコスモポリタニズムのなしうる
> 議論でしょうか。

個人の見解について、政治的に重要な地位についているわけでもない私が、国籍のことを意識する
必要があるのでしょうか。

> |> 「そのために排外主義的な主張」をというのはどういうことか。
> |自分の胸に手を当てて、考えてください。
> > ははは。寺尾氏の(表題だおれの)「日中不戦の思想」からそのまま
> ダイレクトに私に向けて「排外主義」だなどと言われても困り
> ますね。現実の98年合意も私に指摘されるまで御存知なかった
> 猛獣さん。ここに論証がないのが惜しい。

数十年前の歴史的な事実について、どうということもない論評を述べたところ、国籍を盾にとって
そのような発言をするのは「僭越だ」だと述べる大阪の人さん。あなたは排外主義とは無縁の民主的
な人間ですか?胸に手を当てて、考えてください。

> |自党の歴史を正しく語ることができない党派であると思います。
> 日本共産党が今まだ歴史を続けているのは中国党
> 政府のプロレタリア文化大革命押し付けを拒否し日本の自主性を
> 守ったからだと思います。

日本共産党に歴史があることは認めます。他の組織に歴史がないという大阪の人さんの嫌味には、
同意しません。
それで、日本共産党が自党の歴史を正しく語ることができるかどうかについては、どうなんでしょ
うか。

> たしかにたくさんあります。ただし平気でこれを当然のようにいう
> 猛獣さんの神経はおどろくべきものです。韓国は最近IMFからの
> 援助を受け入れざるを得なくなったという事を「国の恥」だとして
> いました。こうした認識が当たり前なのでありまして、猛獣さんの
> 主張のように「たくさんありますよ」と平気な所はどこかという問い
> でありました。

私は国家や政治組織の責任者として、述べたわけではありません。韓国の政治家?がそのように
意識をもっていたとしても、不思議ではありませんが、それと資金援助を絶対悪であるとする
考え方は無関係です。

> 侵略的意図をもって内政干渉したということが4原則にあいいれない
> ということで真剣な総括と是正の措置をとった、という中国共産党で
> ありました。これを受け入れてください。

1.政党間の問題と、国家間の問題とは異なります。
2.両党合意において、中国共産党が日本に如何なる意味においても侵略しようとしたとか、侵略した
  とかいうような項目はありません。

両党合意については、そこに書かれているとおりに受け入れ(そのような事実があったことを)ますが、
内容の解釈については、別途検討することもあるかもしれません。

[417] Re: 「98年合意尊重」はどこに消えた? 投稿者:大阪の人 投稿日:01/12/29(Sat) 03:18
re:412
|立花隆の日本共産党の研究は、戦前の日本共産党に関する研究書です。
|戦後の日本共産党に関する歴史的なは殆んどありません。

そうです。そうです。ではなぜそれが戦前の問題であるこの件を
頑張って持ち出すのでしょうか。

|戦前の日本共産党は、コミンテルンによって作られ、財政もコミンテ
|ルンの援助によってまかなわれていたと、書かれています。まだ、
|中華人民共和国のなかった時期です。中国から、資金援助を受けること
|はありません。

そうです。そうです。コミンテルンの件はそうです。また中国から
戦前に援助されたことはありません。この段はこのとおり。だけど
この事がどうしてここでムキになって猛獣さんが話の主たる筋を
この戦前の話に向かって推し進めているか、という変な態度が解せない
だけです。

|日本共産党攻撃のためならば、どのような立場の文書も載せるなどと
|いうのは、目茶目茶な言いがかりです。立花隆の著作は、日本共産党
|の研究、中核と革マルと二冊を読みましたが、いずれもきちんと資料
|を調べ、独自の視点から冷静に分析している書であると、以前から考
|えていました。日本共産党が、彼をどのように評価しているかどうか
|ということを、私に押し付けられても困ります。

で、戦前の日本共産党に関して「研究」した立花氏の本を
67年春の事件や文革の話にどうつなげるおつもりか。
それから「日本共産党が、彼をどのように評価しているかどうか
ということを、私に押し付けられても困ります。」というのは
私が日本共産党の公式メッセージだけを述べるスポークスマン
であるかに勝手に仕立て上げている猛獣さんの【憶測】であります。

|日本共産党は、これまで外国の援助を一切うけたことがないといって
|いるのか、あるいは、ある時点からそのような援助を受けていないと
|いっているのか、大阪の人さんの言っていることが分かりません。
|その辺を、明らかにしてくれませんか。私の、ソースを明かせない情
|報では、少なくとも戦後、中国から資金的な援助を受けていた時期が
|あったはずですが。宮本さんの大名旅行のほかに。

戦前まで辿れば、あるでしょうね。ただし中国共産党も援助されて
いたし中国国民党もコミンテルンに援助されていた、そうした時代
の話であります。何人もの中央幹部が警察に殺されたりしていた
時代の事でありました。
50年問題の時期に徳田氏や野坂氏らを丸抱えしていた北京機関という
分派の組織が中国にありましたが、これはスターリンソ連が中国共産
党に命じて日本への干渉のために作ったものでありまして、日本の
国民の意志とは無関係な「援助」でありました。従いこの極左路線を
とった事で日本共産党は数十名の国会議員を全滅に失いました。
なんという「援助」でしょうか。
また1960年代に中国が中国の意図を実現するために日本の国民の意
思と無関係にプロレタリア文化大革命を日本に於て実現する真の革命
党なる団体をでっち上げた「援助」もありました。
しかしこれらの「援助」はちいとも日本国民のためになりませんでした。
だから
|日本共産党は、これまで外国の援助を一切うけたことがないといって
|いるのか、あるいは、ある時点からそのような援助を受けていないと
|いっているのか、大阪の人さんの言っていることが分かりません。
ということにお答えするとしますと
”一切ないわけではありません”と部分否定(一部肯定)せねばなり
ません。

ただし前回も書きましたが、「日本共産党(左派)」だとか「日本労働党」
のように援助交際する窓口機関として専らお金を貰うために外国の歓心を
かうためにだけ活動する団体ではない、お金を自主的に作れない外国
いいなりの組織ではない、ということです。これは中国共産党だって
ソ連いいなりで援助交際していた組織ではなかったから自国の革命が
可能であったわけで、コミンテルンが援助がどうこう、という件で
猛獣さんが言い立てているのが、不思議な点です。どこにつながるのかと。

[423] Re^2: 「98年合意尊重」はどこに消えた? 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/12/31(Mon) 03:37
> で、戦前の日本共産党に関して「研究」した立花氏の本を
> 67年春の事件や文革の話にどうつなげるおつもりか。

戦前の日本共産党と、戦後の日本共産党は、別の組織と考えてよいのでしょうか。
あるいは、現在の日本共産党は、戦後のある時期に宮本顕治氏がのっとって、全く
新しく作り上げた組織であり、それ以前の党の伝統を引き継ぐものではないという
人もいますが、大阪の人さんもその一人でしょうか。確かに戦前の日本共産党は、
現在の日本共産党とは比べるべくもないほどに、革命的、戦闘的、暴力的だった
ようですが。

> 戦前まで辿れば、あるでしょうね。ただし中国共産党も援助されて
> いたし中国国民党もコミンテルンに援助されていた、そうした時代
> の話であります。何人もの中央幹部が警察に殺されたりしていた
> 時代の事でありました。

とりあえず、中国のどの党がどこから資金援助を受けていたかという話は、関係ありません。
話が混乱します。また、正確に話すためには、資料を調べなければならなくなります。
この話はおいてください。

> 50年問題の時期に徳田氏や野坂氏らを丸抱えしていた北京機関という
> 分派の組織が中国にありましたが、これはスターリンソ連が中国共産
> 党に命じて日本への干渉のために作ったものでありまして、日本の
> 国民の意志とは無関係な「援助」でありました。

そのような一方的で、都合のよい「党史」で満足できるほど、私の頭は単純ではありません。
日本共産党に興味をもっている多くの人々もそうでしょう。

> 従いこの極左路線を
> とった事で日本共産党は数十名の国会議員を全滅に失いました。
> なんという「援助」でしょうか。

北京機関と、50年問題との関係がよく分かりません。一九五〇年一月六日コミンフォルム機関紙で、
「日本の情勢について」と題する論文が発表されたとき、徳田氏や野坂氏は北京にいたのですか?日本
にいたと思いますが。また、この論文に対して、宮本顕治氏はどのような立場だったのでしょうか。

> また1960年代に中国が中国の意図を実現するために日本の国民の意
> 思と無関係にプロレタリア文化大革命を日本に於て実現する真の革命
> 党なる団体をでっち上げた「援助」もありました。

1960年代といっても、文革以前と以後では日中共産党の関係は全く異なります。私が確認したいのは、
文化大革命以前は、中国の資金援助が日本共産党に流れていたのではないかということです。その後、
両党が敵対関係になったので、資金援助はなくなった。日本共産党の路線変更は、六全協くらいにまで
さかのぼるというような話が、昔のわれわれの「常識」だったのですが、実はそのあたり詳しくありません。
六全協とは、何年のことでしょうか。綱領確定の1961年よりも大分前だと思いますが。

> しかしこれらの「援助」はちいとも日本国民のためになりませんでした。

そのような価値判断には、同意も反論もしません。

> だから
> |日本共産党は、これまで外国の援助を一切うけたことがないといって
> |いるのか、あるいは、ある時点からそのような援助を受けていないと
> |いっているのか、大阪の人さんの言っていることが分かりません。
> ということにお答えするとしますと
> ”一切ないわけではありません”と部分否定(一部肯定)せねばなり
> ません。

戦後の日本共産党は、全く外国の援助なしで、自主財源だけで活動してきたのでしょうか。野坂参三は、
中国から帰ってきたのですが。伊藤律回想録などから推察すると、中国では日本共産党の幹部に、中国
共産党の幹部と同等の待遇を与えていたようです。つまり、特権階級として。だから、宮本顕治氏も
幹部の保養所で療養したり、大名旅行したりできたのでしょう。それで、援助が全くなかったとは、
考えにくいのですが、如何でしょうか。

> ただし前回も書きましたが、「日本共産党(左派)」だとか「日本労働党」
> のように援助交際する窓口機関として専らお金を貰うために外国の歓心を
> かうためにだけ活動する団体ではない、お金を自主的に作れない外国
> いいなりの組織ではない、ということです。

このようなどさくさにまぎれた他党派への誹謗中傷は、却下します。

> これは中国共産党だって
> ソ連いいなりで援助交際していた組織ではなかったから自国の革命が
> 可能であったわけで、コミンテルンが援助がどうこう、という件で
> 猛獣さんが言い立てているのが、不思議な点です。どこにつながるのかと。

議論の筋を忘れてしまったのでしょうか。日本共産党が「盲従分子」を罵倒するときの有名な「ガラス一枚一万トン」
というような話など、あるいは橋爪利次氏の清廉ぶった愚痴

|「橋爪さん、頭を屈して、操を売って金儲けをしたくないですね」 といつも言われていた。こうした反骨の
| 友好商社もたくさんいた。

といったような話は、中国との取引などで得られる利益の分配の話でしかないということです。中国の方針に
反対するのならば、利益は得られないでしょうし、金儲けもできないでしょう。大体、金儲けをしたい人は、別の
ところにいくべきですよね。

大阪さんはこれに加えて、任さんが金儲けしたとかしないとかいう話まで繰り返しています。そんなこと、
なんで日本共産党がとやかくいうのでしょうか。

金儲けの達人は、松下幸之助さんとか、本田技研の創業者とか、アート引越しセンターとか、ソフトバンクとか
色々、いるんじゃないですか。そちらにいって、指導を請うべきではないですか。私ならばそうします。

[431] Re^3: 「98年合意尊重」はどこに消えた? 投稿者:大阪の人 投稿日:02/01/12(Sat) 18:03
re:423
猛獣文士氏のタワ言は続きます。

|戦前の日本共産党と、戦後の日本共産党は、別の組織と考えてよい
|のでしょうか。あるいは、現在の日本共産党は、戦後のある時期に
|宮本顕治氏がのっとって、全く新しく作り上げた組織であり、それ
|以前の党の伝統を引き継ぐものではないという人もいますが、大阪
|の人さんもその一人でしょうか。確かに戦前の日本共産党は、現在の
|日本共産党とは比べるべくもないほどに、革命的、戦闘的、暴力的
|だったようですが。

戦前の日本共産党は暴力的だった、ということには当たりません。
そもそも暴力主義を猛獣さんが評価しているのか、非難しているのか
暴力主義だから善いと評価するのは狂っています。

|北京機関と、50年問題との関係がよく分かりません。
|六全協とは、何年のことでしょうか。綱領確定の1961年よりも
|大分前だと思いますが。

あらあら。猛獣文士氏は日本共産党が現代修正主義に陥っている
のであるから、反修闘争を闘ったのだと元来自称していた。
この反修闘争というのは、このような根拠薄弱な事でなりたつ
ものなのでしょうか。お手持ちで「日本共産党の70年」程度は
あるはずでありまして、当方に聞かれるより自ら読む努力して
今からでも日本共産党がどのように修正主義なのか、はたまた
”日本人民の最良の娘息子”なのかということに再考してみる
ということも有意義であります。

|一九五〇年一月六日コミンフォルム機関紙で、「日本の情勢について」
|と題する論文が発表されたとき、徳田氏や野坂氏は北京にいたのですか?
|日本にいたと思いますが。また、この論文に対して、宮本顕治氏は
|どのような立場だったのでしょうか。

こうした件に”見てきたように”とうとうと説明を始めるのが
猛獣文士氏の尊敬している故寺尾五郎氏でしたねえ。それも
擬古文調というか、講談ナニワブシ調で。ナニワブシで誰かに
語ってもらって、耳障りよいのに満足して、不勉強なままで
30数年ブルジョア暮らしをして居られた猛獣文士氏であります。

|> これは中国共産党だって
|> ソ連いいなりで援助交際していた組織ではなかったから自国の革命が
|> 可能であったわけで、コミンテルンが援助がどうこう、という件で
|> 猛獣さんが言い立てているのが、不思議な点です。
|
|どこにつながるのかと。議論の筋を忘れてしまったのでしょうか。日本
|共産党が「盲従分子」を罵倒するときの有名な「ガラス一枚一万トン」
|というような話など、あるいは橋爪利次氏の清廉ぶった愚痴
|
||「橋爪さん、頭を屈して、操を売って金儲けをしたくないですね」
|| といつも言われていた。こうした反骨の友好商社もたくさんいた。
|
|といったような話は、中国との取引などで得られる利益の分配の話でし
|かないということです。中国の方針に反対するのならば、利益は得られ
|ないでしょうし、金儲けもできないでしょう。大体、金儲けをしたい人
|は、別のところにいくべきですよね。大阪さんはこれに加えて、任さん
|が金儲けしたとかしないとかいう話まで繰り返しています。そんなこと、
|なんで日本共産党がとやかくいうのでしょうか。金儲けの達人は、松下
|幸之助さんとか、本田技研の創業者とか、アート引越しセンターとか、
|ソフトバンクとか色々、いるんじゃないですか。そちらにいって、指導
|を請うべきではないですか。私ならばそうします。

「ガラス一枚一万トン」の話は何も友好協会の人たちや日本共産党
の人たちが言い始めた事ではありません。週刊東洋経済誌の記事を
こないだご披露しましたが、貿易業界の中では常識として流布して
いた話であります。事実だから罵倒ではありますまい。宇都宮徳間
氏をして「隠花植物」と言わしめた貿易業界の毒草どもでありました。

橋爪氏が”清廉ぶった”というのは、あたりませんな。これは橋爪氏
が聞いた文革に膝を屈しなかった業者自身の発言でありまして、そも
そも”清廉ぶった”というのは不当であるばかりか、橋爪氏の事では
ないという意味で2重に的外れであります。

利益の分配というのもいろいろです。貿易の利益というのは両国の
ニーズの差異を取り持ちして両国の補い合っている経済を支える
役割をして儲ける事もあるでしょうし、政治商社にあらかじめ国
際価格より法外に安い価格で輸出させ、その利ざやをどこそこに
納める、などとヒモをつけて置くようなやり方も(不法行為ですが)
”利益の分配”と言えば言えます。この後者のヒモつきの貿易を
除いて、通常の貿易では猛獣文士氏の発言とは異なり、普通は
政府や政権党の”方針に従う”必要は一切なく、両国の国法や国
際取り決めから逸脱せねば、どの貿易会社も公平に貿易できるはず
であり正当な利益を得てもおかしくありません。これを自由貿易
といいます。中国はこれを許さなかった。1966年ごろから、文革の
対外政策に基づいて「四つの敵」との闘争を承認し実践しない者
は業者も許しませんでした。国際貿易促進協会なんてソ連東欧との
貿易が最初だったのに、この時期ソ連との貿易は「修正主義を利する」
だとか中国の横やりを受け入れて、対ソ貿易を関係断絶させられて
しまいますね。大国主義中国でありました。これも台湾関係だとか
国の成り立ちから一貫してどうしても譲れぬ1線だということ
なら(台湾を植民地にした事ある日本であるわけで、台湾関係では
中国の顔をたてる必要があるでしょうね)ある種話に付き合う事も
必要でしょうが、文革の対日干渉は「暴力革命の日本持ち込み」が
特徴でありまして、知れば知るほどひどいものであります。
この政治態度で”踏み絵”を踏まされるのに膝を屈しなかった業者
が居たということであります。なにが”清廉ぶった”か。

「大阪さんは(略)繰り返しています」がどうして「そんなこと
なんで日本共産党がとやかくいうのでしょう」になるのでしょうか。
論理不明瞭。当方は共産党で聞いたわけでなく、たまたま猛獣文士氏
のウェブや寺尾五郎氏の(題名だおれの)「日中不戦の思想」本
で実名として挙げられている任氏である事を知り、朝日新聞の
「日本の華僑」などで傍証を確かめただけであります。ちなみに
羨ましいエピソードと解して貰っては当方の意が伝わりませんで
”姑息で卑怯な暴力成り金野郎”の代表として皮肉で
”うらやましい話”だと思うだけです。お金持ち
としてはご指摘の通りもっと堂々と蓄財した人物も沢山います。
また日本華僑全体の名誉のために一言しておきますと任氏らの
ような政治に棹さして不正に蓄財した”文革愛国華僑の英雄”
ばかりでなく、「日本の華僑」にはもっと利発で実直で当人の
才覚と頑張りで一家をなした事業家の華僑のエピソードもあり
ます。そのなかには日本の政府や自治体に寄付したりブルジョア
として尊敬されている人士も大勢でてきます。文革でいじめられ
て日本に渡ってきた技術者や知識人のいることもこの間に
猛獣さんの発言ではわかりませんでしたが、自力で本で調べて
発見しました。

[430] 「98年合意尊重」はどこ吹く風の猛獣文士氏 投稿者:大阪の人 投稿日:02/01/12(Sat) 18:02
re:423
猛獣氏は、422番で、次のような日本中国友好協会への重大な侮辱
を発言しています。

||「日中友好協会」(紛らわしいので、今後は大阪さんの気分を害する
||ことを承知の上で「ニセ日中」と書かせてもらいます)

当方を直接は対話の相手としたものであり、当方が友好協会とは直接
関係ないということもご承知の上ではありますが、この当方に対して
も「気分を害する事を承知の上」にと、あえてこのように言挙げする。
これは98年合意やこの合意に基づく中国共産党と日本共産党との関係
あるいはこの両党関係修復に基づく2000年の日中友好協会の訪中と
東京華僑総会訪問から再開された関係に関する逆恨みの挑発であると
ともに、個人として、この私「大阪の人」と「猛獣文士」とのウェブ
やBBS運営に関する信頼も損なうものであると指摘しておきます。
この猛獣氏の態度のどこに”日中友好”があるというのでしょうか。
野蛮な挑発者、対日干渉工作の手のひらに乗って踊った小鬼小猿の類
の無責任な言がそのままに2002年に蘇ったのを見る思いであります。

さて、そのような猛獣氏が続く423番ではどのような駄レスをしているか?
面白いフレーズを見つけました。

||どさくさにまぎれた他党派への誹謗中傷は、却下します。

猛獣文士氏は自分では無制限に日本共産党を誹謗中傷するために今まさ
にBBSに書いているというのに。他党派どころか他国に干渉する猛獣氏。

|とりあえず、中国のどの党がどこから資金援助を受けていたかという話は、
|関係ありません。話が混乱します。また、正確に話すためには、資料を
|調べなければならなくなります。この話はおいてください。

これは「日本共産党はコミンテルンから資金援助を貰っていたか」という
話に率直に応じて答えた当方の発言に、自分が応じる資質も資格もない
という猛獣氏の弁解であります。コミンテルンから資金が来たかどうか
ということでありますれば、それは中国国民党も中国共産党も資金援助を
受けていたであろうということは常識であります。猛獣氏は日本の反共
のジャーナリストの書いた本をタネにして、1967年春の事件とはなんら
関係ない話を持ちだして、とにかく日本共産党を攻撃しようとやっきに
なっているだけでありまして、切り返して当方がこの件を持ちだせば
答える用意もないと逃げている。恐るべき中国国粋主義であり、ソ連や
コミンテルンとの関係に関してはまだまだ中国共産党やその影響下の
一部”革命きちがい派”華僑にはタブーなのだと改めて痛感します。

そもそもスターリン主義がどうこうという話を猛獣氏は自己の信条として
強く持っているようで、「今度の党大会でトロツキーの評価が変わるか」と
いうような議論もしていた人物でありました。これは笑い話であります。
そもそも中国共産党の方が今現在でもスターリンは偉人だとして、たしか
記念日を国民の休日か何かに今もすえているはずでありまして、日本共産党
がスターリン主義であろうとトロツキー主義であろうと、そんな”外国の”
事情よりも、もっと中華人民共和国の在外公民であると称する猛獣文士氏
であるならば、その祖国とその政権党の動向に目を向けるべきであります。
なぜ日本共産党がコミンテルンから資金を受けていたかどうかを問題にする
のか。反共攻撃の底の浅さがここに露呈するわけです。混乱しているのは
猛獣氏自身であると言わせて貰います。

|そのような一方的で、都合のよい「党史」で満足できるほど、私の頭は
|単純ではありません。
|日本共産党に興味をもっている多くの人々もそうでしょう。

わっはっは。<都合のよい歴史>に固執しているのは猛獣氏の方であります。
そればかりか中国共産党の公式声明さえワッチしていないし、トロツキー
などが中国党で評価されていないのに、ご自身のトロツキー信奉との齟齬は
ここでは神聖なモヤに包んで隠ぺいしている。98年合意もご存知ないし。
猛獣氏の脳内のどこにモヤがかかっていようと何の興味もありませんね。

|戦後の日本共産党は、全く外国の援助なしで、自主財源だけで活動して
|きたのでしょうか。

さあ。金庫番じゃないから存じ上げたてまつらず。それよりもご自分の
祖国の話がでてこないのはなぜなのか。A国の在外公民がB国内でB国人
に対してB国のある党が自主財源かどうか、等という話を平気で聞く、という
非友好的態度、これをウェブにしてB国語で流す無神経さ。猛獣氏はこれを
北朝鮮やらビルマやらベトナムでやってごらんなさい。これら諸国人民は
どのように反応するでしょうか。マレーシアやフィリピンでもいいですよ。
インドネシアでそんなことを始めたら、9.30事件なんてあったかの国であり
ますれば、多くの当地の華僑までも何か被害を被るかも知れませんね。
ほんに思慮の欠けた底浅い人物だ。廖承志氏の指摘する外交関係を確立した
国において祖国を苦境に立たせさえする極「左」傾向というのはこれか?

||野坂参三は、中国から帰ってきたのですが。伊藤律回想録などから推察する
||と、中国では日本共産党の幹部に、中国共産党の幹部と同等の待遇を与えて
||いたようです。つまり、特権階級として。だから、宮本顕治氏も幹部の保養
||所で療養したり、大名旅行したりできたのでしょう。それで、援助が全くな
||かったとは、考えにくいのですが、如何でしょうか。

別に伊藤律氏(正式に除名を確認された人物)の回想録を頼りにしなくても
野坂氏は中国から帰ってきました。中国共産党は野坂氏が延安に居たことを
誇りにしているようです。コミンテルンの国際民主集中制でいうならば毛沢
東氏よりも位階の高い高官であります。”特権階級”? これは中国共産党
の党中央の主流が特権階級であるならば、たしかに特権階級として遇され
たわけです。それとも永遠に変色することのない赤い赤いプロレタリア中国
の人民に奉仕する軍隊と党であるというのならば、相手の地位と功績に相当
な接遇をしただけであり、人民の税金で賄われる中国政府の支出はビタ一文
ハリ一本に至るまで無駄はない、ということになりますわな。なにか毛沢東
氏や林彪氏、周恩来氏やとう小平氏たちは”特権階級”ではなく、日本共産
党の当時の幹部だけは”大名”や”特権階級”の接遇を受けた、というよう
な事はありえないわけで、1)中国にノーメンクラツーラが居たとするなら
彼らの接遇で彼らと同等に扱われた2)中国共産党、第一にその責任者であ
る毛沢東自身が”人民に奉仕する”を実践していた、というのであるならば
”特権階級”扱いでも”大名扱い”でもなく、簡素に接遇されていた。

つまり中国共産党自身が特権階級である程度に照応している、という事で
あり日本共産党の幹部だけが、突出して特権階級として接遇されていた
などということはない、ということであります。橋爪氏は訪中したおりに
「躍進ばなし」を聞かされながら、杯を重ねて乾杯乾杯とやっていた頃の
中国人民の呻吟を後から知り自主的に反省したという文を記しています。

猛獣氏は今のうのうと日本にいて、東京で経営者として日本人から搾取も
しながらブルジョア暮らしをしているはずですが、国のために中国に向け
て寄付をするとかしているのでしょうか。私財をなげうって国に尽くす
という滅私奉公じゃなかった大公無私の気概はないのでしょうか。はたまた
日本にもたとえば身よりない子だとか障害者だとか困っている人はいますが
せめてブルジョアらしいチャリティ精神で喜捨したり奉仕したりする事は
あるのでしょうか。何が何でも自分のカネは自分のもの、とがっぽり儲け
て立派なマホガニーの棺桶を買い、寿命が尽きたらその金ごと埋めて
(日本では土葬できないから紙幣ごと焼却?)もらうおつもりでしょうか。
日本共産党が中国人民に世話になったかどうか、ということを恩着せて何か
発言しようとするときに、自分がどのように奉仕したか、自分がどのように
特権階級であるかは棚上げにして、一方的な空論をしている猛獣氏です。
中国国内の最下層からみたら猛獣氏は疑いなく特権階級でありましょう。

[432] ニセ日中はやめておきましょうか。 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/01/13(Sun) 02:55
> 当方を直接は対話の相手としたものであり、当方が友好協会とは直接
> 関係ないということもご承知の上ではありますが、この当方に対して
> も「気分を害する事を承知の上」にと、あえてこのように言挙げする。
> これは98年合意やこの合意に基づく中国共産党と日本共産党との関係
> あるいはこの両党関係修復に基づく2000年の日中友好協会の訪中と
> 東京華僑総会訪問から再開された関係に関する逆恨みの挑発であると
> ともに、個人として、この私「大阪の人」と「猛獣文士」とのウェブ
> やBBS運営に関する信頼も損なうものであると指摘しておきます。
> この猛獣氏の態度のどこに”日中友好”があるというのでしょうか。
> 野蛮な挑発者、対日干渉工作の手のひらに乗って踊った小鬼小猿の類
> の無責任な言がそのままに2002年に蘇ったのを見る思いであります。

呼称の問題ですが、相当気分を害しているようですね。他によい呼び名が(もう一つの
きょうかいと区別できて)思いつかないので、そのように書きましたが、大阪の人さん
には、耐えられないようなので、この呼称は使用しないようにしましょう。

> さて、そのような猛獣氏が続く423番ではどのような駄レスをしているか?
> 面白いフレーズを見つけました。
> > ||どさくさにまぎれた他党派への誹謗中傷は、却下します。
> > 猛獣文士氏は自分では無制限に日本共産党を誹謗中傷するために今まさ
> にBBSに書いているというのに。他党派どころか他国に干渉する猛獣氏。

これは、心外な話です。どこで、日本共産党を誹謗中傷したのでしょうか。
正確に、論証してください。

> これは「日本共産党はコミンテルンから資金援助を貰っていたか」という
> 話に率直に応じて答えた当方の発言に、自分が応じる資質も資格もない
> という猛獣氏の弁解であります。コミンテルンから資金が来たかどうか
> ということでありますれば、それは中国国民党も中国共産党も資金援助を
> 受けていたであろうということは常識であります。

常識でしょうが、中国でコミンテルンから資金援助を受けていたから、日本でも
受けていいとか、そのような大阪の人さんの反論は、場違いな反論です。私自身は
なんどもいっているように、ある国の政府とかあるいはその他の組織が他国の政府、
政党あるいはその他の団体に、資金的な援助を行うことを否定したことはありません。
日本共産党が資金的な援助を受けていたということを、同党を誹謗するために述べた
ことはありません。
大阪の人さんが、資金援助を受けていないなどとなんども強調するので、その点を
繰り返し確かめたまでです。私は、中国国民党や中国共産党が外国から資金援助を
うけたことがないなどと議論したこともありません。しかし、この議論は、善隣学生
会館事件に関するこのBBSでの議論としては、不適当なものです。

> 猛獣氏は日本の反共
> のジャーナリストの書いた本をタネにして、1967年春の事件とはなんら
> 関係ない話を持ちだして、とにかく日本共産党を攻撃しようとやっきに
> なっているだけでありまして、切り返して当方がこの件を持ちだせば
> 答える用意もないと逃げている。恐るべき中国国粋主義であり、ソ連や
> コミンテルンとの関係に関してはまだまだ中国共産党やその影響下の
> 一部”革命きちがい派”華僑にはタブーなのだと改めて痛感します。

反共ジャーナリストなどという言い方は、大変、見苦しいもので、正常な神経を持ち
合わせている人から見ると不快感を感じさせるものである点だけ、指摘しておきます。

> そもそもスターリン主義がどうこうという話を猛獣氏は自己の信条として
> 強く持っているようで、「今度の党大会でトロツキーの評価が変わるか」と
> いうような議論もしていた人物でありました。これは笑い話であります。
> そもそも中国共産党の方が今現在でもスターリンは偉人だとして、たしか
> 記念日を国民の休日か何かに今もすえているはずでありまして、日本共産党
> がスターリン主義であろうとトロツキー主義であろうと、そんな”外国の”
> 事情よりも、もっと中華人民共和国の在外公民であると称する猛獣文士氏
> であるならば、その祖国とその政権党の動向に目を向けるべきであります。
> なぜ日本共産党がコミンテルンから資金を受けていたかどうかを問題にする
> のか。

私は、日本においても中国においても、共産党員ではありません。前に明らかにした私の
立場を、再度、述べておきます。
中華人民共和国の在外公民と称したこともありません。

日本共産党がコミンテルンから資金を受けていたことを問題にしているわけではありませんが、
その事実自身を否定したり、政治的な配慮から、臭いものに蓋をしようとするのを見たら、
興味が湧いてきて、よく知りたくなるのが私の性格です。

> 反共攻撃の底の浅さがここに露呈するわけです。混乱しているのは
> 猛獣氏自身であると言わせて貰います。
> > |そのような一方的で、都合のよい「党史」で満足できるほど、私の頭は
> |単純ではありません。
> |日本共産党に興味をもっている多くの人々もそうでしょう。
> > わっはっは。<都合のよい歴史>に固執しているのは猛獣氏の方であります。
> そればかりか中国共産党の公式声明さえワッチしていないし、トロツキー
> などが中国党で評価されていないのに、ご自身のトロツキー信奉との齟齬は
> ここでは神聖なモヤに包んで隠ぺいしている。98年合意もご存知ないし。
> 猛獣氏の脳内のどこにモヤがかかっていようと何の興味もありませんね。

私の中国共産党に対する評価は、確かにまだ確定していません。今後、中国がどのようになり、
中国共産党がどのようになっていくか、分かりません。しかし、現代史において、中国共産党
にはかなりの功績があることは、認めたいと思っています。


> さあ。金庫番じゃないから存じ上げたてまつらず。

結局、ご存知ないわけですか。最初からそういってほしかったですが。

> それよりもご自分の
> 祖国の話がでてこないのはなぜなのか。A国の在外公民がB国内でB国人
> に対してB国のある党が自主財源かどうか、等という話を平気で聞く、という
> 非友好的態度、これをウェブにしてB国語で流す無神経さ。

なんに対する非友好的な態度ですかね。日本人ですか、日本共産党ですか。あるいは、日本共産党
は日本人全体を代表しているのでしょうか。そのような態度は、せめて支持率が二桁になってから
始めたらどうでしょうか。

> 猛獣氏はこれを
> 北朝鮮やらビルマやらベトナムでやってごらんなさい。これら諸国人民は
> どのように反応するでしょうか。

知りませんね。なぜそのようなことを考える必要があるのでしょうか。

> マレーシアやフィリピンでもいいですよ。
> インドネシアでそんなことを始めたら、9.30事件なんてあったかの国であり
> ますれば、多くの当地の華僑までも何か被害を被るかも知れませんね。

大阪の人さんの態度は、結局、ここに行き着くようです。けんかを売っているとしか思えない発言
ですが、自分でそのことが分からないですか。このようにして、善隣学生会館事件が起きたのならば、
民青の暴力というのも、理解できるというものだ。

> 別に伊藤律氏(正式に除名を確認された人物)の回想録を頼りにしなくても
> 野坂氏は中国から帰ってきました。中国共産党は野坂氏が延安に居たことを
> 誇りにしているようです。コミンテルンの国際民主集中制でいうならば毛沢
> 東氏よりも位階の高い高官であります。”特権階級”? これは中国共産党
> の党中央の主流が特権階級であるならば、たしかに特権階級として遇され
> たわけです。それとも永遠に変色することのない赤い赤いプロレタリア中国
> の人民に奉仕する軍隊と党であるというのならば、相手の地位と功績に相当
> な接遇をしただけであり、人民の税金で賄われる中国政府の支出はビタ一文
> ハリ一本に至るまで無駄はない、ということになりますわな。なにか毛沢東
> 氏や林彪氏、周恩来氏やとう小平氏たちは”特権階級”ではなく、日本共産
> 党の当時の幹部だけは”大名”や”特権階級”の接遇を受けた、というよう
> な事はありえないわけで、1)中国にノーメンクラツーラが居たとするなら
> 彼らの接遇で彼らと同等に扱われた2)中国共産党、第一にその責任者であ
> る毛沢東自身が”人民に奉仕する”を実践していた、というのであるならば
> ”特権階級”扱いでも”大名扱い”でもなく、簡素に接遇されていた。

中国共産党の革命第一世代は、それだけの仕事をしたから、それなりの特権をもっていたわけです。
コミンテルンの国際民主集中制などというナンセンスな階級意識をもちだして、中国共産党の革命元勲
と同じ待遇を日本共産党の幹部が受けていたとすれば、このようなものを援助というわけです。
これが常識です。

> 猛獣氏は今のうのうと日本にいて、東京で経営者として日本人から搾取も
> しながらブルジョア暮らしをしているはずですが、国のために中国に向け
> て寄付をするとかしているのでしょうか。私財をなげうって国に尽くす
> という滅私奉公じゃなかった大公無私の気概はないのでしょうか。はたまた
> 日本にもたとえば身よりない子だとか障害者だとか困っている人はいますが
> せめてブルジョアらしいチャリティ精神で喜捨したり奉仕したりする事は
> あるのでしょうか。何が何でも自分のカネは自分のもの、とがっぽり儲け
> て立派なマホガニーの棺桶を買い、寿命が尽きたらその金ごと埋めて
> (日本では土葬できないから紙幣ごと焼却?)もらうおつもりでしょうか。
> 日本共産党が中国人民に世話になったかどうか、ということを恩着せて何か
> 発言しようとするときに、自分がどのように奉仕したか、自分がどのように
> 特権階級であるかは棚上げにして、一方的な空論をしている猛獣氏です。
> 中国国内の最下層からみたら猛獣氏は疑いなく特権階級でありましょう。

私は貧乏な人間ですが、最近少し小金を溜め込んでいるかも知れません。人間、50歳にもなれば、若い頃より
も多少富んで来るものです。しかし、このようなことは大阪の人さんには、関係ありません。余計なお世話
です。

[407] Re: 「スパイ」はどこに消えた? 投稿者:大阪の人 投稿日:01/12/24(Mon) 17:23
|外国の資金かどうかにかかわらず、資金にまつわるところで、問題
|が発生しやすいのは事実でしょう。

たしかに一般論としてはそうです。しかし一般論がまさにそうである
以上に特殊に外国からの資金の話というのは重要な問題です。
中国は日本の内政に干渉しようと資金も人も惜しみなく投入しました。

|共産主義とか、マルクス主義とか言う思想や運動は、インターナ
|ショナルなものです。大阪の人さんは、インターナショナルとい
|う歌を歌ったことはないのでしょうか。ある国で、正しいと考え
|られている思想やら運動やら、あるいは宗教でもかまいませんが、
|そのようなものを外国にも広めようという運動は、それ自体とし
|ては決して珍しいものでも、誤ったものでもありません。マルク
|ス主義もマルクスレーニン主義も、あるいは科学的社会主義も、
|そのような熱意を含んだ運動を通して、日本に渡来してきたもの
|であり、それを日本人の側で受け入れたものだと思います。

日本の共産主義者を代弁して(?)の猛獣さんの発言であります
がこれはあなたがとやかく言うべき問題ではないのでありまして
僭越な内政干渉の居直りの繰り返しだと抗議させて頂きます。
他国に革命を輸出する事はしてはならないのです。ここの箇所で
猛獣さんが98年合意を「尊重する」という表明がどれほど表面的
な理解でしかないかがよくわかります。どうしてもこうした放言
がしたいのであるならば、日本に帰化でもしてからおっしゃい。

|大阪の人さんは、このようなときにだけは、文化大革命の迫害の
|ような動きを肯定するのでしょうか。
|不思議なものです。

ほほう。郭沫若氏の受けた”文闘”、”大民主”、”陽謀”について
は正しく迫害と認識されるのですね。彼は”教育”されたのではなく
て彼がスパイで中国に対して害を与えたのではなくて、彼への
紅衛兵たちの迫害であったと。彼はせっかく従来の自身の著作を
すべて捨てて、新たなプロレタリア文化革命に学び、新たな意欲
をもって江青女史を天女のように描き、日本への干渉の最前線に
たったというのに、それでも迫害されてしまった。この事を迫害
とするのは、彼が失脚せずにもっと対日干渉に力を発揮して日本
をポルポトカンボジアのような衛星国にするのに寄与するべきで
あったと彼の活躍のチャンスを惜しむ立場でしょうか。それと
彼のような文学者のおどろくべき変節をも美化するおつもりか。
彼は変節漢であり、対日干渉者であり、文革の犠牲者でもありました。
こうした人士が矢面にたって対日干渉もなされたのであります。
考えて見れば哀れなものです。少しでも対日干渉の功績が上がら
ないとむしろ「スパイ」とまで讒言されて迫害される。昔の中国
の武将が味方に対しても残忍であったというお話を想起させます。

|自主財源というのは、どうでしょうか。私にはそうあるべきと
|いう話と、そうだったと言う話を混同しているように見えますが。

さまざまにレスできるお話でありますが、第一に申し上げたいのは
猛獣さんは日本の国家主権と国民主権に対して尊重して頂きたいし
これを尊重するのであれば、口出しせぬようにして頂きたい、という
事であります。日本の国政は日本人がきめなければならないのです。
猛獣さんのご興味は、「反修闘争」の焼き直しでありまして反共的
な論難でしかありませんで、しかも今となっては日本共産党を「修正
主義に堕落した党」として、そうではない日本の真の革命党などという
策動が皆つぶれてしまって、日本共産党にケチをつける以外にその
代案を示すこともできない、当時とは違った状況であるということ
もあります。

[410] 餌なし釣り針糸でも、食いつく大阪さん 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/12/24(Mon) 21:25
すいません。表題どおりです。

[415] 中身が細って糸になる 投稿者:大阪の人 投稿日:01/12/29(Sat) 03:15
re:410
わざと内容ない駄レスを重ねるばかりで、だんだん
寺尾説にしがみつくのが頼りなくなってきた猛獣さんで
ありますれば、”餌”どころか、土台が崩れてきたという
事でありまして、売り物が尽きてきた、という反省的な言辞
でしょうか。しかし口が悪いですね。

猛獣さん。猛獣さんの論法で私が胸に落ちて納得できないのは
・日本共産党の論文にはほとんど反論ができない事
・当時の文革党政府の言を猛獣さんは避けている事
があります。

猛獣さんは(大衆なのに)「反修闘争」を闘ったのでしたね。
修正主義とは、ベトナムに支援しないとか、そういうことで
ありましたね。「前衛」の10大会特集を見ますと、ベトナム
党から錦旗を送られた写真がでてきます。ベトナム党は日本の
党の事を憎からず思っていたようです。これはどうなるのか。

そればかりか、ベトナムの敵ニクソンの訪中を演じて、ベトナム
北爆の張本人を平和の使徒として遇したりしていますね、中国は。
こうしたことに関しては、中国の無原則、それこそ「修正主義」
だと思いませんか。中国は中国であるかぎり、無限の正義であり
赤い赤い心の太陽毛沢東氏を戴いた共産主義の総本山でありこの
国の国民は全員が魂にふれる革命プロレタリア文化大革命を今
まさに勝利のうちに経過しているのであるのだから、この中国
の党政府の言うことは絶対に正しいのだ、とでも言われるのか。

また、日中友好協会はベトナム製の万年筆を物品販売していた
のが華僑や”友好商社の商社マン”やML派等に踏み込まれ
この万年筆を踏みにじられたと指摘しています。こうした行為は
ベトナムに友好する態度なのでしょうかね。

猛獣さんの論は寺尾氏のお話に固執するあまり硬直化してしまい
「絶対に日本共産党が悪い、また友好協会は「ニセ」だ」と
いうお話以外では決着がつかない事に陥っているのではないのかな。

そのくせ、#385”日本共産党が一方的な被害者であるという大阪の
人さんや不破さんなどの主張には、私は同意できません。今後、日
本共産党が日中友好や中国自身の発展に貢献する可能性を否定する
ものではありませんが、すくなくともこれまでの日本共産党やその
配下の日中友好協会が、そのような点で大きな貢献をしたというこ
とはありえないと思います。”とあるように、論拠をしめさずに
「おたがい悪かった」という方向に一方で落とそうとしている。
あとは気のないレスで消耗戦に持ち込むぐらいが猛獣さんの唯一
の戦法と見ました。

これは傍観さんにも申した事でありますが、「どっちもどっち」で
あるならば、日本共産党が一部反中国だというのを証明せねばなりません。
ところが寺尾氏井上氏の論であれば、絶対悪なのが日本共産党という
事になり妥協などできるものではありません。そうではない、一定
でも双方が歩み寄る部分などという情報がないとは思いませんか。
また、どこまで当時の中国側が悪いというのか。これまでの猛獣
さんの言ではそもそも無謬の中国共産党と政府の「反修闘争」であり
まして、「どっちもどっち」どころではありません。

赤旗報道などに関して、猛獣さんが必死で指摘していた(とは
いえ寺尾氏の口まねでしたが)”証拠”だとか”写真”だとか
いう食い違いはたしかに若干ありました。資料が粗雑なのかとは
思います。しかし主張の食い違いはまだ見つけられないし、そもそ
も”路線の急転換論”さえデタラメでありまして、日本共産党
は文革当時も含めて一度も反中国という排外主義にならなかった
だからこそこんどは98年合意の段になっても軌道修正することなく
江沢民氏らとも予想を上回って議論が弾んだのでした。

あなたはどうして98年合意を知らなかったのでしょうか?単なる
不勉強なだけなのでしょうか。華僑報なり、日本のマスコミなり
あなたの周囲で寺尾氏の本を届けてくれる御仁なりの中ではこれ
が周囲にタブーだったからではありませんか。

林代昭氏の「戦後中日関係史」はどうしてあんな見え透いた嘘を
記述しているのでしょうか。また嘘は嘘でも、66年当時67年当時
の記述とどうしてあんなに違うのでしょうか。

大状況として中国共産党は日本に内政干渉の誤りをおかし
その失敗と今後これを行わないということを合意で述べました。
猛獣さんにはなぜかこれが伏せられていた。ここは、圧勝です。

中状況としても、寺尾氏や井上氏らの言はとても今となっては
信用おける人物の証言として期待できかねます。「犬ころ
はってあるけ!」というのは、日本人紅衛兵の発言として「日本
と中国」紙に肯定的に報じられているわけで、確定的な事実で
すよね。こんな方々が人権を守って活動できるでしょうか。「若い
眼でみた文化大革命」に香港の中国人をばかにする訪中団員が
でてきますが、中国人であれば東京にいようが香港にいようが
はたまた中国本土にいようが平等なはずでありまして、こうした
妙な差別をする人士でありました。こうした方々が35氏声明を
奉じて「日共は中国人をチャンコロといいやがった」などと言い
たてて”人権を自力救済する手助け”をしているわけです(日本
共産党は一貫してこれを否定しています)。
あと中状況として、目もあてられないのが任政光氏です。
倍々ゲームで大もうけですって? あの本を見つけた時は
あきれてモノが言えませんでしたね。

残るは小状況です。民事訴訟の部屋明け渡しの件は、この問題
の核心にふれる重要な一端でありました。猛獣さんは”ごく、控え
めにみても、我々は少なくとも、犯罪を法に照らして処罰する能力、
歴史と神話を区別する能力を失うことになるでしょう。物事に対す
る正しい認識、理解を人間が得ることができるという確信は、人間
のその他の社会的、個人的行為の前提になるものであり、そのよう
な確信を少しでも信頼できるもっともらしいものとして獲得するこ
とは、人間が多くの労力と時間を割いてでも実現する価値のあるこ
とです。”
と書いています。まさに法と正義の前で、どうしてスゴスゴと原告
だったはずの者があのような和解に応じざるをえなかったのか。
あまりデタラメな言い繕いを繰り返しては、この趣旨を自らツバで
汚してしまうことになると思いますがいかが。

この小状況に関して、せめて寺尾&井上氏など中国の息の掛かった
人士の発言以外にもっと見せて貰いたいということです。
当面は刑事事件の裁判記録です。

また、寺尾氏は「日中不戦の思想」以外の本では、この後楽の事件
の事は全然触れている本に見当たりません。もっとオニの首とった
ようにずっと言い立ててもいいはずですが、この本で自分が見て
来たかのように書いている以外、自分で自信がないのか、それ以外
の本では書いてないのではないのか、と今考えつつ探している所です。

[395] 最近なげやりな猛獣さんへ 投稿者:大阪の人 投稿日:01/12/18(Tue) 01:49
猛獣さん、常々不思議なのがここであり、重要な点なので
猛獣さんの手元の資料であれば出して貰いたいのですが

|第二に、貿易関係で問題が生じれば、日本共産党がしたように、もっと
|「話し合いを」とか、「日中貿易の大義にたって」というような議論が
|論文の形ででてきてしかるべきではないか。「日本共産党重要論文集」
(略)
|の声明の六周年を記念して」を出しています。
|
|これら表題だけをとっても、ある程度どのような経過を踏んでまず党内
|で、あるいは貿易業界で発生した異常事態に対処したかがわかります。
|”中国が悪い、中国共産党が悪い”としていない事に注目。それゆえ
|むしろ党内外で「誰の事を言っているのか」と疑問がでるほど、きちん
|と党間関係に渡る”論争”にしないための努力を払っている足跡が見え
|ます。事実は後からこのように時間経過をとって見れば歴然でありまし
|て、中国側が一方的に日本共産党内に分派を育成し、そそのかし、内部
|通牒させ、そのまことしやかな”情報”をさも大事件のように報じてい
|る「華僑報」であります、異常とは思いませんか、今となって。(付加疑問)

当方のこの議論には答えておられません。そのかわりに

|> これは矛盾。9月末の時点でどうとかではなくて、18日の共同
(略)
|> 今後乗り換えるからね、とニンジンをぶら下げて相互に密約しているの
|> がこの会談要録です。
|
|愚挙をさせて、それから相手を叩くか、それともすでにその段階で我慢が
|できなくなっていて、あいつらとはもう一緒にできないというのか、それは
|喧嘩の仕方の問題ですね。日本共産党のやりかたは、相手を泳がせて、しく
|じったところを叩くというやりかたですか。なるほど、深遠なご教授感謝
|します。

ここだけレスポンスがある。前から見たかったのは華僑学生たち、あるいは
文革政府、その出先機関側の要望です。要望があって、これが「妨げられた」
あるいは約束があって、これが「背かれた」から”敵”だといのでしょう。
日本共産党の(猛獣さんはウェブ化を逃げておられる)諸論文では手に取る
ように日本共産党や日本の民主団体にどのような攻撃がかけられたか、つぶ
さにわかります。これに対する方針もよくわかります。ところが、猛獣さん
御自身がお認めになるごとく

|日本共産党と中国共産党との関係が悪化していった時間的な経過につい
|て、大阪さんに反論しているのではありません。その原因が、毛主席の
|ある夏の日の講話の一言であるという歴史的な解釈に、同意できないと
|いっているのです。

といわれる。これには苦笑してしまいましたね。あなたこそこの【理由】
を当方にお示しくださり、衆人にどう動機づけられていったのかをわかり
やすいように証拠に基づいて示すべきでしょう。

たとえば、66年9月18日には、既に

>>中日友好と貿易関係の発展を妨害し破壊するのみならず、さらにアジア
>>と世界の平和に重大な脅或をあたえている。これにたいし、われわれ両
>>国人氏、両国経済貿易団体と関係者は、友好と団結を強化し、アメリカ
>>帝国主義、日本反動派、ソ連現代修正主義指導グループおよびそのさま
>>ぎまな新しい追従者と古い追従者に反対するためにともに奮闘しなけれ
>>ばならない。

とあります。漠然としています。未だにあなたが前回示した
”七月二十二日長野県松本で国際貿易促進議員連盟の総会”なるもの
その存在や日本議会での位置づけ、などがさっぱりわかりません。
「それ以前の総会での日本共産党議員の発言」と「以後の発言」とを
比較して、どのように「反中国」かなどという分析がすっぽりと
抜けている。そんな分析があったのか? ということです。
”これは党の一般方針として全国的に指示している」と述べてる。”
この全党方針としての妨害というのが、いつ示されたどんな文脈なのか
わかりません。そしてその文脈がどのように「反中国」なのか、それが
「反中国である」として、どうして在日華僑団体(内実はさておき
思想信条の違いを越えて日本での居心地の改善が目的のはずですが)
がこれを主たる闘争課題として取り上げなければならないのかという
話がちいともわかりませんね。だからこそ、猛獣さんは必死でこのHP
の中で、「四つの敵」規定が67年2月28日以降の事であると主張する
のでしょう。日本共産党の路線として、どのように「現代修正主義の
下僕」に転落していったか、などという論証ができないでいるのでしょう。

そして出てくるのは寺尾氏や井上氏の本ばかり。こうした腐敗分子の
言だけをあてにしなければならない所がトリッキーな箇所です。彼らの
言だけからだと、64年の人民日報の日本党9大会の論評(#388)なんて
想像もできないコントラストであります。毛沢東氏の”ツルの一声”
にどれだけ大きな威力があったか、急転直下かということでしょうね。

ついでに申しますが、たとえ”敵”であっても、限度があります。
#368で上げましたが、「犬ころ、はってあるけ!」などと日本人紅衛兵
が北京空港で砂間氏紺野氏に暴行しつつ暴言を吐いています。
そしてこれを嬉々として(正統)日中「週刊日本と中国」紙復刊第87号
1967年8月21日は”日中友好の戦士”たちの壮挙とばかりに取り上げ
ています。こういうメンタルではあらゆる暴行あらゆる謀略あらゆる
狂気がタガが外れてしまっているのではありませんか。猛獣さんが
蛇蝎のように毛嫌いされている友好協会の「日中友好新聞」だとか
「赤旗」にはこのような”美しい言葉”に酔った方々はでてきません。

|それから、木村一三さんというのはどのような経歴の人でしょうか

まずは、豊田四郎氏の談話をお読みください。「日中友好18年」とか
いう本があったはず(まだ見てない)ですが、ニックネームは「老四」
と兄弟分扱いで肖向前氏だったか孫平化氏だったかの回顧録に登場
していますね。宮崎世民氏の回顧録にも名前があがっていたはずです。

|この下の愚問については、無視します。

どれが愚問ですか。御子息やお孫さんに対し、「犬ころ、はってあるけ」
なんて言わせたい、そう育つようにとお考えなのか、どうかです。
北崎かよ氏は自分の中国に残してきた二人の息子が紅衛兵に推薦された
ということを涙ながさんばかりに感激して本に書いていますが、猛獣
さんは御自身の孫を彼女のように手放しで紅衛兵にしたてあげ、”日中
友好の戦士”にさせるおつもりかという問いです。

[400] 本屋さんですか 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/12/19(Wed) 01:03
> ここだけレスポンスがある。前から見たかったのは華僑学生たち、あるいは
> 文革政府、その出先機関側の要望です。要望があって、これが「妨げられた」
> あるいは約束があって、これが「背かれた」から”敵”だといのでしょう。

論文があるからそれを読め、などという手口にはひっかからないですよ。高校生じゃないんだから。
華僑報や、日中不戦の思想で具体的に指摘されている事項に、具体的に分かりやすく反論しなければ
大阪さんの反論はまやかしだと考えざるを得ませんね。

> といわれる。これには苦笑してしまいましたね。あなたこそこの【理由】
> を当方にお示しくださり、衆人にどう動機づけられていったのかをわかり
> やすいように証拠に基づいて示すべきでしょう。

だから、日本共産党が路線を変更したためだといっているでしょ。

> |それから、木村一三さんというのはどのような経歴の人でしょうか
> > まずは、豊田四郎氏の談話をお読みください。「日中友好18年」とか
> いう本があったはず(まだ見てない)ですが、ニックネームは「老四」
> と兄弟分扱いで肖向前氏だったか孫平化氏だったかの回顧録に登場
> していますね。宮崎世民氏の回顧録にも名前があがっていたはずです。

入手困難な本を色々紹介してくれて、有り難いのですが、ご自分の言葉で、直接その人の
経歴を書いてくれたら、もっと有り難かったですね。

> どれが愚問ですか。御子息やお孫さんに対し、「犬ころ、はってあるけ」
> なんて言わせたい、そう育つようにとお考えなのか、どうかです。
> 北崎かよ氏は自分の中国に残してきた二人の息子が紅衛兵に推薦された
> ということを涙ながさんばかりに感激して本に書いていますが、猛獣
> さんは御自身の孫を彼女のように手放しで紅衛兵にしたてあげ、”日中
> 友好の戦士”にさせるおつもりかという問いです。

愚問に愚問をかさねてますね。

[401] 木村一三 投稿者:名無しさん 投稿日:01/12/22(Sat) 04:03
プロフィール

--------------------------------------------------------------------------------

日中経済貿易センター名誉会長
国際石油株式会社代表取締役社長
木村 一三(きむら いちぞう)先生

兵庫県出身。1954年に故高碕達之助(元満州重工業総裁で戦後は通産大臣、経済企画庁長官、外務省顧問等を歴任)の紹介で日中貿易に参画。日中交流の最古参で特に故周恩来首相との親交があり、日中国交正常化にも民間人として尽力し、ケ小平、江沢民、朱鎔基、胡錦涛氏らをはじめ現在も多くの中国側有力者と親密な友人関係を持っている。
現在、東京、大阪の大手商社、メーカーなど役300社で組織する日中経済貿易センター名誉会長のほか、1987年より故稲山嘉寛氏の跡を継いで国際石油株式会社の社長に就任、現在に至る。
http://www.sr-consultant.com/synergy/pro.html

[426] ホームページの趣旨を改めて読む 投稿者:大阪の人 投稿日:02/01/06(Sun) 16:40
猛獣さんの「趣旨」を読み直してみました。

|1967年2月28日から同年3月2日にかけて、東京都文京区後楽にある善
|隣学生会館(現日中友好会館)である事件が発生しました。このホー
|ムページの作成者かつ管理者である私(猛獣文士)は、この事件の
|発生した3月2日より少し遅れて、善隣学生会館の「闘い」に、一方
|の当事者の立場から参加したものです。

ほう、”実行行為者”として暴行に加わったようなニュアンスも
かいま見ることができますな。

|したがって、私はこの事件について一方の当事者から事情の説明を
|受け、事件の事実関係の認識はもちろんのこと、政策的な意味での
|理解についてもその当事者の側の見解を正しいものと思いました。

しかも、根拠薄弱にこのたたかいに参加したのだと。

|この理解は、それ以後、事件発生後30年以上を経過した今日まで、
|変っていません。

不勉強なままでも、通常の金もうけや社会生活はできたと。

|ところが最近、この事件のもう一方の当事者が、私の理解とは
|まったく正反対の見解を、理論的、政策的な意味でだけでなく、
|単純な事件の事実関係についても継続して主張し続けていること
|をしり、大変、興味を持ちました。

2000年夏の東京華僑総会への友好協会の訪問などという事態も知らず
98年合意も知らないまま、うかうかと生きてきたと。

|私がくみしていたほうの当事者は、元来、日本におけるマイノリティー
|であり、その主張を30年間にわたって広範に宣伝し続けてきてはいま
|せん。

”マイノリティ”の意味は少し違うと思います。マイノリティになる
事さえ拒否した”留日華僑”つまりトラベラーだというわけです。
日本社会で友好的に、少なくとも非暴力的に、かりそめにも外国政府
の手先として権力を国外で行使するかのような振る舞いだけはしては
ならないのがルールでありますが、これがわからないまま、保護され
なければならないマイノリティ意見だとか見当違いに述べている。
この外国(中国北京政府)の後ろ盾のもとに内政干渉をしかけてきた
ある種の証拠がここにあります。

|したがって、現在では、この事件について、片方の側の見解だけが継
|続してさまざまな出版物上で繰り返し主張されている状態になってい
|ます。

これは、どうやら違うようです。意見として”少数”なだけではなく
本国中国の政府が文化大革命を見直し、また劇的な破綻を迎えたわけ
でありまして、プロレタリア文化大革命の大義という奉じていた主張
の土台が崩れたせいか、対日干渉の資金が尽きてきたせいか、いずれ
かの理由によってデマのプロパガンダが底をついたのでした。この間
さまざまな人物を猛獣さんに教えて頂き、本など図書館の閉架式の奥
からひっぱりだして読んできて、自分の言葉として今この文革干渉の
でたらめさとその破綻の必然性を言い切ってしまえます。また相手で
あった日本共産党も日中友好協会もいわゆるマジョリティ、体制側の
庇護を受けた団体や意見ではありませんで、当時”彼らは早晩人民の
海に溺れ死ぬであろう”と人民日報が報じたりしていたわけですが、
それが持続している。むしろ(正統)日中と称して寮生たちの味方に
ついていた団体の方が外務省外郭の社団法人格として再生し、自民党
筋の会長を歴代頂き(今は平山郁夫氏)”人民の海で溺れ死ぬ”のを
日本権力に”救助延命”してもらった非マイノリティでありました。

|出版物のみでこの事件を知った後の世代の人たちは、その一方の主張
|を通してこの事件を理解するのであるから、それに近い認識をするこ
|とでしょう。

なかなか出版物でこの怪しい一連の中国文革礼賛派の人物の当時の狂
った発言を探すのは大変な作業でした。しかし読めば読むほど嫌悪を
催し、逆に当時の日本共産党の主張が一貫していて、今につながる路
線の大きな礎石になっているのだと、信頼を強くしました。

|私自身、30年以上も前に起きたこの小さな事件について、どちらが正
|しかったのかということをむきになって争う意欲はなくなっています。
|しかし、私がかつて信じていたことが、基本的に反証となる事実が発
|生しないまま、単に年月が経過した故に誤りになったというのは、ど
|うにも不合理極まりない話です。

基本的に反証となる事実として民事訴訟の和解がでてきました。これ
は法に基づく裁判所にて両者の和解として確定されていまして、猛獣
さんはさまざまに悪罵を投げていますが、和解であるのですからこれ
に異議を差し挟むとすれば、和解の相手ばかりでなく原告側にさえ品
悪く悪態つくことになります。あと、「98年合意」の件も2000年の
東京華僑総会訪問の件も御存知なかった猛獣さんは何をかいわんやで
ありますな。

|あるいは、単に反対側の当事者がその当時からの主張を継続して宣伝
|してきたことのゆえに、その主張が正しいものになったと考えること
|もできません。

これはこの限りではそのとおり。しかし”人民の海におぼれ死ぬ”と
の予言は覆り、むしろ江沢民国家主席と握手して合意を喜んでいたり
するわけです。この観点から見ますと、単に言い続けている、という
事態さえ”石の上にも3年”でありましてその主張が古びてないから
だとも言えます。

|そこで、私は現在利用できる資料等から、1967年に起こった善隣学生
|会館事件の真相をどれだけ正確に検証することができるのかを試して
|みたくなりました。そのためには、まず、自分自身の先入観を捨てる
|必要があります。私自身、事件の直後ともいえる時期に善隣学生会館
|に行っていましたが、実際に事件が起こったのを直接目撃したわけで
|はありません。いずれにしろ、ある事件の真相を調査するときに、は
|じめからある定められた結果を予測しているのでは、調査にはなりま
|せん。

”現在利用できる資料”を集めうる限り集めるという努力においてこの
ごろの主催者猛獣氏の怠慢は目に余ります。「試してみたい」とした
興味が、事実により御自身の予断と偏見を見事に裏切ってゆく過程
の中で恐れと「どうでもいい」とする怠けに変質したのでしょうか。

[428] 論理学の本なんど読んで、論争のルールを覚えてから、議論してください。 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/01/09(Wed) 21:22
怠慢とのお叱り、恐れ入りました。私も金儲けで忙しい(忙しい割には儲からない)ところですが、
HPの充実にはできる限り努力したいと思いますが、大阪の人さんも、論争のルールをよく勉強して
ほしいものです。

詭弁、循環論法、一方的な断定などの際限なき繰り返しはやめましょう。

[393] 歳暮に好適! 新社会党が梅干を販売中 投稿者:新社会党機関紙局 投稿日:01/12/11(Tue) 00:08 <URL>
耳より情報 フリーマーケット
 食卓に本場の手造り梅干をお届けします
完熟くずれ梅 塩分10%
550g 角タル入り  @ 890円 20個入り  送料共 17,000円
1 kg 角タル入り  @1,550円 12個入り   同   18,000円
2 kg 角タル入り  @3,000円 6個入り   同   17,400円

 その他、しそ漬け梅干、かつお味梅、贈答用などあります。
 くずれ梅は、ご家庭用に最適です。ご近所で共同購入を!
      製造・販売  南紀梅干販売(有)
      ご注文/お問い合せは
       新社会党機関紙局
       TEL 03(3551)3980 FAX 03(3551)6406
       honbu@sinsyakai.or.jp
http://www.sinsyakai.or.jp/html/SIZYOU/koukoku.html

[387] 参考:文革前 投稿者:大阪の人 投稿日:01/11/24(Sat) 18:09
ここに挙げましたのは、人民日報の社説です。文革前のものです。
北京周報が出典ですから中国党政府側での邦訳でしょう。

そして、中国共産党も、文革でブレない間は、意見が(内部的にそれ
こそ中央委員会やら政治局あたりでは)「違う」としていても、党員
むけにも、無論中国国民むけにも、そのような事はおくびにもださず
節度をもってあい対していたはずです。少なくともそうするのが民主
集中制で団結した党というものです。まさにそのような節度をもって
いた頃の中国共産党の中央機関紙の論評として、参考にあげるにいい
資料だと思い今回は取り上げてみました。

そういえば、「日中不戦の思想」の中で寺尾五郎氏は述べていました。
10大会を非難するために、しきりに9大会の意義を(寺尾氏の独特の
評価に基づいて)強調し、”ここからどれだけ転落したか”と。この
人民日報の社説なども、ある程度よんで寺尾がお勉強して、どうにか
「異常事態が日共に発生」と印象づけようと苦心している所であり
ます(とはいえ、別の箇所では既に61年綱領確定以後を全否定する
かのような発言をもしているのですから寺尾のお勉強もつけ焼き刃
で知れたものですが)。

とにかく、中国文革指導部の対日干渉には、自国中心の勢力圏思想
ぐらいしか説明できる動機はまだ見あたりません。日本共産党の大会
を祝して発表された社説を全面否定するのか、どうなのか、などと
整合性のある態度はまだどのような形でも見つけられませんでした。
つまり理論的な動機付けは後からやってきているのであり、暴力的
にでも何としても言うことを聞かせようという圧力が先にきている。
「中国側は日共に圧力をかけた」と97年の朝日新聞では張香山氏も
率直に語るとおりです。

それから、中国共産党らしく、最後は毛沢東氏の言葉を引用して
この社説も締めくくっていますが、この回の毛沢東氏の言葉は
よく言われる条件節の発言ではなくて、無条件な仲間としての
共同と連帯のアピールであることも注目する箇所です。「ちゃんと
毛沢東の言うことをきいて闘うならば、友人だ」とか、そのような
尊大な言葉は文革以前にはなかった、こうした特有の鼻持ちならなさ
は文革ならではの事であり、猛獣さんは、ちょうどその文革時期
にものごころついたせいで、それ以前の常識をおわかりにならない
せいで、このようなデタラメがデタラメかどうかの違いも判別できず
に居られたということを見ることもできるでしょう。

また、とう小兵指導部になっても、遙かに70年代、80年代とこの
無原則は対日関係だけでは続きました。世界で対日工作だけは日本の
側の文革礼賛者たちが都合のいい役割を政権与党やオール与党勢力
として権力ある立場からはたし続けていたせいもあり、これの是正が
30数年も遅れてきた経過があります。猛獣さんにしてみたら半生の
あいだ恨み、かつ恐れていた対象というのが、日本共産党であり民青
であったわけで、それはご愁傷様であります。単なる不勉強なだけと
個人的努力の欠如をいいたてるのも酷かなという気もするわけです。

ちなみに、日本共産党各大会決定や幹部会報告などは「大会特集」
の前衛(月刊誌)増刊に8大会以後、掲載されていまして、再度
その中身を検証されるのもいいかと思います。この大会特集
増刊は8大会以後のすべての号がいまだに再版され、通常の書店にて
発注して入手可能という状態であります。8大会が61年、9大会が64年
10大会が66年秋で、11大会が70年、12大会は72年で、13大会は臨時
大会ということで、「自由と民主主義の宣言」を発表しました。

[388] Re: 参考:文革前 投稿者:大阪の人 投稿日:01/11/24(Sat) 18:10
人民日報社説:
成功裏に幕をとじた日本共産党第9回大会を祝う        (1964.12.3)

大きな歴史的意義をもつ日本共産党第9回大会は、11月30日、勝利のうちに幕をとじた。

日本共産党のこのたびの大会は、第8回大会がさだめた正しい綱領と路線にもとづいて、日本人民の3年来のゆたかな闘争経験をまとめ、今後の闘争方針をさだめ、自己の隊伍をいっそう純潔にし、強固にした。これは、戦闘の大会であり、団結の大会であり、マルクス・レーニン主義の旗を高くかかげた大会であった。これは、日本共産党と日本人民の革命闘争史上における偉大なできごとであった。野坂参三同志ものべているように、このたびの大会は、日本の革命運動を一段とおしすすめる里程標となっている。中国共産党と中国人民は、日本共産党第9回大会の輝かしい成果に心からの祝意を表するものである。

日本共産党第9回大会は、アメリカ帝国主義と日本独占資本に反対して独立・民主・平和・中立・繁栄の新日本を実現するためにたたかう日本共産党と日本人民の戦闘的精神をあますところなく示した。大会で採択された宮本顕治同志の中央委員会報告は、はっきりと指摘している。日本共産党の当面する中心任務は、「アメリカ帝国主義と日本独占資本の戦争政策、民族的抑圧、軍国主義と帝国主義の復活、政治的反動、搾取と収奪に反対するすべての人民の要求と闘争を発展させ、そのたたかいのなかで、労働者階級と農民の同盟を基礎とし、広範な人民を続集した民族民主統一戦線をつくり発展させる」ことである、と。

英雄的な日本共産党は、一貰して、アメリカ帝国主義とその手さきにたいするたたかいの最前列に立ってきた。ここ数年らい、日本共産党の指導とはげましのもとに、日本人民の大衆闘争はぐんぐん発展し、大きな勝利をおさめた。日米「安保条約」に反対し、米軍基地の撤去と沖縄、小笠原の返還を要求し、「日韓会談」に反対し、アメリカ原子力潜水艦の「寄港」と水爆積載戦闘爆撃機の配備に反対し、核兵器の全面禁止と核戦争の阻止を要求するこの統一行動は、一波また一波と、たえまなくつづいている。100万をもってかぞえる日本の人民大衆がこの闘争に投入している。同時に、日本人民はまた、日本共産党の指導とはげましのもとで、日本の独占資本に反対し、軍国主義と帝国主義の復活に反対し、憲法の改悪に反対し、民主主義的権利をかちとり、人民の生活を改善するために、不屈の闘争をすすめてきた。アメリカ帝国主義とその手さきにきびしく支配される日本で、これほど大がかりな大衆的革命闘争が一再ならず爆発したということ−これは、アメリカ帝国主義の侵略政策と戦争政策にたいする痛烈な打撃であり、アジアと世界の平和の擁護にたいする大きな貢献でもある。

日本共産克第9回大会の政治報告は、アメリカを先頭とする帝国主義に反対する民族解放と平和の国際統一戦線の旗を高くかかげなければならない、と強調している。日本共産党は一貫して、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカの民族民主革命闘争をあくまでも支持し、世界各大陸人民の革命闘争をあくまでも支持してきた。日本共産先第9回大会がアメリカ・ベルギー・イギリス帝国主義に反対するコンゴ(レ)人民の英雄的なたたかいにたいして表明した同情と支持は、日本共産党のプロレタリア国際主義の精神をじつにはっきりと示している。

日本共産党がその闘争の実践によって立証しているように、この党は、日本のプロレタリアートと勤労人民の利益の忠実なまもり手であるばかりでなく、日本民族の利益の忠実なまもり手でもある。だからこそ、日本共産党は、日本人民のなかで高い威信と声望をもち、当面の日本の政治生活のなかでますます重要な役割をはたしつつある。

日本共産党第9回大会は、あくまでもマルクス・レーニン主義をまもって、国際共産主義運動のおもな危険である現代修正主義に反対するとともに、現代教条主義にも反対している。宮本顕治同志は、その報告のなかで、現代修正主義の国際的潮流を非難し、国際共産主義運動を分裂させたフルシチョフの犯罪活動に断固反対するとともに、現代修正主義が「創造的マルクス・レーニン主義」のかくれみののもとで兄弟党にたいしてとっている大国排外主義の悪どい態度を断固としてあばき出した。日本共産党は、こうした原則的な断固たる立場にたって、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづく国際共産主義運動の団結をまもるために、たゆまない闘争をすすめ、大きな貢献をした。

日本共産党は、こんどの大会をつうじて、マルクス・レーニン主義の旗のもとにいっそう堅く団結した、大会は、満場一致で裏切りもの志賀義雄、鈴木市蔵らの除名処分を承認し、志賀義雄、鈴木市蔵ら修正主義反党集団を徹底的に粉砕した。これは、日本共産党が思想上、組織上で自己の隊伍を純血にし強固にしたひとつの大きな勝利である。

志賀とその相棒は、ひそかに外国につうじて、日本共産党のなかで転覆破壊活動をすすめた。かれらは、党の規律と組織原則にそむいて、ブルジョアジーの議員とともに、世界人民を愚ろうする部分核停条約に賛成票を投じた。かれらは右翼社会民主主義者とぐるになって、日本の平和運動を破壊し、これを分裂させた。かれらは、外国勢力の支持にたよって、日本で修正主義と分裂主義を売りさばいた。いま、かれらの大旦那フルシチョフはすでに倒れてしまっている。もし、まだ誰かがひきつづき志賀らのような一群の政治的なクズをつかい、なにかに役だてようとしても、おなじような恥ずべき末路におわるだけである。

日本共産覚第9回大会は、強大な大衆的な日本プロレタリアートの前衛を建設するという任務を提起した。これは。日本の当面する革命情勢の発展の必要にまったく合致したものである。日本共産党は42年らい、はえある戦闘的な道を歩んできた。たたかいの烈火は、日本共産党をますます確固としたプロレタリアートの前衛にきたえあげた。日本共産党第9回大会の偉大な勝利は、日本共産党がマルクス・レーニン主義を創造的に運用し、日本の具体的な状況にもとづいて独自に自己の綱領と路線をさだめ、日本の革命事業をたえまなくおしすすめていることを物語っている。日本の革命情勢のいっそうの発展にともなって、日本共産党はかならずますます強大となり、かならず日本人民を最終的な勝利にみちびくであろう。

中国共産党と日本共産党は、長期にわたる反帝闘争のなかで、かたい戦闘的な友情を結んだ。かつて、日本共産党員は、中国共産覚員とともに、日本軍国主義の犯罪的な中国侵略戦争に反対して共同闘争をすすめ、中国人民にカづよい支持とはげましをあたえた。戦争がおわってからも。日本共産党は日本各界の人びとを結集して、中日両国人民の友情と団結を強めるためにたゆまない努力をつづけてきた。毛沢東主席は日本共産党第9回大会への祝電のなかで、「中国共産党と中国人民は、確固としてかわることなく、あなたがたの側に立ち、あなたがたの偉大な正義のたたかいを支持します。日本共産党と日本人民は、そのことを確信することができます」とのべた。中酉共産党員と日本共産党員は、世界平和、民族解放、人民民主主義、社会主義をかちとる共同の車業のなかで、永遠に支持しあい、腕をくんでたたかうであろう。
(『北京周報』1964年第49号)

[377] 陶鋳と「領収書」 投稿者:大阪の人 投稿日:01/11/19(Mon) 01:35
次に上げるのは、ちょうど1966年の会談の後の帰国までの様子です。
ここではっきりしたことがいくつかあります。

いつぞや猛獣さんが「大名旅行だ領収書をだせ」等といっていた件ですが
お礼に農村で使うスピーカーと民謡レコード、記念バッチ、タペストリ
などを贈ったようですな。バッチや民謡レコードなんかは日本という
エキゾチックな異国の風物でありまして、記念以外の意味はない。しかし
スピーカー機器は(中国にないわけではなかろうが)効率悪い国営の配給
制度の中では、もしかしたら値段以上に役に立ったかもしれない。
(もっともこの件の元は猛獣さんの猛獣さんらしい品性によって
「宮本百合子という妻以外の”女性同伴で”病気療養とはどういう事か」
というゲスの勘ぐりが発端であったのですが)

ところが、陶鋳氏らは、それを受け取った(党機関として代表がうけとる
のはあたりまえですが)事を「小ブル」の”罪”だとされて、それも一因
となって反革命の罪状ということで紅衛兵に逮捕され、60過ぎの老体で
残虐な扱いをうけて、病死したとのこと。

あと趙安博がでしゃばって、いろいろしている。ほんに小人物。
どこの国にでもこういう手合いはいるのでしょうが・・・。

宮本氏は64年ばかりでなく65年も療養に寄せて貰ったらしい。
宮本氏は「従化温泉」と言っていて、中国側で「海南島」となっていた
のは、両方ともいったからであったということ。こうして伊藤律に
何かしゃべらせて、イメージダウンを狙った中国側の、(すでに
文革は本国では終結していたというのに)品性のありかたをよく
示す、底意地悪い悪宣伝と、実際の事情との差がわかります。

さて、陶鋳の娘の手記は「人民日報」にでたものの転載だそうですが
猛獣さんはどうお読みになりましたか。人権抑圧はどこでなされた
でしょうか。たまたま訪問団の訪問行事のしめくくりに保養にきて
それを儀礼としてもてなししただけで暴力ふるわれ、家族と会えなく
さえされたという無慈悲な迫害。この国家権力が「日本にも手を伸ばし」
「修正主義者の犬の頭を殴ってやる」としたのではないでしょうか。
私にはすんなりとこのエピソードが対日干渉の謀略の意地の悪さと
つながって見える蓋然性があると思うのですが。

親分の毛沢東と会談が決裂した、としても、「おもてなし」はそれと
して職分をつくして真面目にするという中国人もいた事は中国共産党
の昔気質のよさを感じさせます。

[380] Re: 領収書はなかったようですね。 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/11/20(Tue) 21:48
大阪さん、
ま元気のようですね。

> 次に上げるのは、ちょうど1966年の会談の後の帰国までの様子です。
> ここではっきりしたことがいくつかあります。

はあそうですか。

> > いつぞや猛獣さんが「大名旅行だ領収書をだせ」等といっていた件ですが
> お礼に農村で使うスピーカーと民謡レコード、記念バッチ、タペストリ
> などを贈ったようですな。バッチや民謡レコードなんかは日本という
> エキゾチックな異国の風物でありまして、記念以外の意味はない。しかし
> スピーカー機器は(中国にないわけではなかろうが)効率悪い国営の配給
> 制度の中では、もしかしたら値段以上に役に立ったかもしれない。

またまた、お得意の反中国、あるいは侮中国の言辞ですか。聞き飽きたとはいえ、不愉快な
もののいいようですね。大阪さんは、戦前の支那を懲らしめようという感覚を今でも引き
継いでいる由緒正しい日本人でしょうか。

> (もっともこの件の元は猛獣さんの猛獣さんらしい品性によって
> 「宮本百合子という妻以外の”女性同伴で”病気療養とはどういう事か」
> というゲスの勘ぐりが発端であったのですが)

他人の発言を曲解するのも共産党流でしょうか。

> 宮本氏は64年ばかりでなく65年も療養に寄せて貰ったらしい。
> 宮本氏は「従化温泉」と言っていて、中国側で「海南島」となっていた
> のは、両方ともいったからであったということ。こうして伊藤律に
> 何かしゃべらせて、イメージダウンを狙った中国側の、(すでに
> 文革は本国では終結していたというのに)品性のありかたをよく
> 示す、底意地悪い悪宣伝と、実際の事情との差がわかります。

ミヤケンさんは二回も豪遊したわけですね。図図しいやつだ。
で、とにかく、領収書はないというわけですね。では、この件については、
決着がついたというものでしょう。安物のスピーカーで、豪遊のツケを払おう
なんて、虫のいい人たちで、真面目に議論する気にもなれません。

今後、大阪さんの発言は、無条件で削除します。

いや、これは冗談ですが。

では、とにかく大阪さんも、トロツキストやら、盲従分子やら、反共反党分子やらとの
熾烈な闘争、がんばってください。

[381] Re^2: 領収書はなかったようですね。 投稿者:大阪の人 投稿日:01/11/21(Wed) 04:20
陶鋳氏の身にふりかかったすべての迫害が、身をもって「領収書」をあらわして
いるとは思えませんか?

もっと自国の犠牲者に経験な心情をもちましょう。

[386] Re^3: 領収書はなかったようですね。 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/11/24(Sat) 00:48
> 陶鋳氏の身にふりかかったすべての迫害が、身をもって「領収書」をあらわして
> いるとは思えませんか?
> > もっと自国の犠牲者に経験な心情をもちましょう。

けいけんの字を変換ミスしてることは、どうでもいいでしょう。この切り返しは、完全な議論のすりかえです。むきになって反論するのも、気が乗りませんが、反論するのはこちら側の権利なので、反論しておきます。領収書の議論は、次のような話だったのではありませんか。

> re:184
> 猛獣文士さんが指摘された件は、完全に説明できます。

> |  宮本が病気静養のため、中共の招待で広東省の有名な温泉
> |従化(ツォンホワ)に長期滞在したことがある「人民日報」に
> |写真入で出た。この従化温泉は最高級の保養地で、プールつき
> |の別荘がある。しかも宮本は妻子を同伴し、さらに侍医、看護
> |婦、護衛、秘書・上田耕一郎など総勢10人近い人数を連れて
> |いった。まさに大名旅行である。

> 何か、悪い事でしょうか。大名旅行しても、外貨が中国に入る
> ならば中国としては悪くないはずです。ノドから手がでるほど
> 外貨が欲しいでしょうし、それを封鎖されていたのが当時(63
> 年)頃の世界情勢でした。そして、たしか中国政府みずからが
> これを招待したはずです。「中国党へ、ミヤモトがいくから
> よろしく大名旅行させよ」なんて”通達”して、それにかいがい
> しく”盲従する”必要は一切ないはず。おそらく日本で静養する
> よりか安上がりだった(円と元の格差)のでしょう。

大阪の人さんのこの書き込みは、1ドルが365円で、まだ経済大国になっていなかった時期の日本と中国の関係と、現在のそれとを完全に混同しているものです。しかし、それはともかく、このようにいったので、宮本さん一行が中国で大名旅行をしたときに(二回もしたんだって??)、代金を中国に支払って、外貨を落としたものかどうか、確かめようという話をしたのでした。領収書とは、そのときに宮本一行が支払った代金の領収書のことですよ。

文化大革命のときに、さまざまな人びとがさまざまな理由で迫害されたことを述べるのは結構ですが、これを領収書だというのは、とんでもない議論の飛躍でしょう。

[378] Re: 陶鋳と「領収書」 投稿者:大阪の人 投稿日:01/11/19(Mon) 01:36
『日中両党会談始末記 増補版 共同コミュニケはどうして破棄されたか』
小島優 編
P214-219
広州へ。陶鋳のことなど

毛沢東との会談が終わった三月二十九日の午後、代表団一行は帰国の途につくため、上港から空路広州へむかった。 午後七時に到着した広州の白雲空港は小雨が降りつづいていた。林李明(広東省委員会書記)、曾生(広州市長)ら広東省と広州市の党幹部が出迎えていた。

一行は、空港から宿舎である招待所へむかったが、広東省の幹部たちは上海での毛沢東との会談の内容についてまだ知らされていなかったようで、招待所の広い部屋に多くの人びとが集まって一行を歓迎し、歓送会や観劇、見学などの行事について話しあわれた。ところが、一行がそれぞれの部屋で旅装をといてひきかえしたときには、これらの人たちは姿を消していた。同行してきた趙安博が、上海での毛沢東との会談について説明したのだろう。予定されていた歓送会をはじめ公式行事のことは、その後いっさい提起されず、事実上すべてとりやめになった。「赤旗」でも、三月二十九日付で「代表団一行、中国南方各地へ出発」と報じたあと、四月一再の岡副団長らの最初の帰国まで、代表団の動静は報道されなかった。

一行は、三月三十一日から帰国まで、広州市郊外の従化温泉へ行った。最初の広州訪問のさいから、「三カ国訪問」の長い旅の疲れをとるため、従温泉で休養する予定がたてられていた。ここで一行は、休息とともに、二カ月にわたる「三カ国訪問」のまとめの作業をおこなった。

広州到着以来、中国側の態度には困惑した様子がみられ、重苦しい雰囲気があったが、そのなかでも、折目正しく、細かい配慮をみせて代表団に接してくれた陶鋳のことを忘れることはできない。

当時、広州は中国を訪問するさい必ず通過するところであり、それまで中国を訪れた日本共産党の幹部も、広東省委員会の責任者であった陶鋳とは旧知のあいだがらであった。六四年、六五年と病気療養のため広州や海南島に滞在した宮本書記長とも親しい仲だった。

中南局第一書記、副首相であった陶鋳には、毛沢東との会談の内容は当然知らされていたのだろうが、代表団一行が従化温泉へ出発する三月三十一日には代表団の宿舎を訪問して宮本書記長と話しあい、従化温泉にもわざわざ足を運んで、代表団のために送別の宴をひらいてくれた。「きょうは政治の話はやめましょう」といって一行をなごやかに送別してくれた陶鋳のことが、いまも印象にのこっている。

陶鋳はこの年の七月、政治局常務委員中央宣伝部長になるのだが、翌年一月には、劉少奇・とう小平路線につながる反革命修正主義分子の烙印をおされて失脚する。「紅衛兵」らの陶鋳攻撃のなかには、宮本書記長らから贈り物(みやげもの)をうけとったことが小ブル的だということもあげられていた。

日本共産党は、外国の党を訪問するさい、当然の儀礼として、日本の民芸品とか、レコードとか、党がつくった記念バッジなどを持参し、その党の幹部におくっている。宮本書記長が、広州で病気療養をしたとき、陶鋳におくったものは、日本の民話のレコードとカベかけであり、広東省委員会にも農作業で連絡や放送するのに役立つマイクの設備一式をおくった。それは、お世話になるお礼もふくめた日本共産党中央委員会からの公式の贈っ物であり、どの党の関係でも当然やっていることであった。

陶鋳は、一九七八年十二月に名誉回復が公表されるが、すでに軟禁中の六九年十一月にスイ臓ガンのため六十一歳で死去していた。

七八年十二月十〜十一日付の「人民日報」は、陶鋳の娘で、医者をしている陶斯亮の手記を発表した。「ついに出された一通の手紙−わが父陶鋳へ」と題されたこの「手記」は、亡き父を思う愛情をこめて、陶鋳の悲惨な結末をリアルに描きだしている。「手記」によると、陶鋳は、軟禁中の一九六八年の十月に身体の不調を訴えていたが、医者にかかるのも制限され、翌年四月には全身に黄だんがあらわれて、はじめて病院で治療することが許された。しかしそのときはすでに手おくれであった。スイ臓ガンだった。

「手記」はつぎのように書いている。

「(一九六九年)十月中旬、あなたはもうほとんど死に瀕した人になってしまいましたが、このとき、あなたを地方へいかせるという命令が上部からきました。特別事件係官はお母さんに『陶鋳はただちに北京を離れて安徽の合肥にいかねばならない。われわれはあなたのために考えたのだが、広東にいって生産隊にはいるのがいちばんいいだろう。もしあなたが陶鋳といっしよにいきたいというのなら、合肥についてからは娘との往き来をいっさい断たなければならなくなる。陶鋳の住所は人に知られてはならないのだから、もし合肥にいかないとしたら、そのときは陶鋳とのつながりを断たなければならない』といいました。

父と母がわかれ、陶鋳が一人で地方へおくられる日、特別事件係官は、あなたにまだいいたいことがあるかとたずねました。あなたはしばらく考えてから、一字一句をくぎるようにいいました。『私はすでに燃えつきた残り火であり、かれらは私について意のままに結論を出せるだろう。しかし、私は共産党員であり、自分の意見を保留する権利をもっている。私は歴史がすべてを証明すると信している』。お父さん、あなたはこのように権力にも暴力にもめげず、死ぬまで、江青や陳伯達らに膝を屈することはありませんでした」

「一九六九年十二月のある日、林彪一味が牛耳っていた広州軍区から突然人がお母さんのところに訪ねてきて、あなたが合肥にいってから四十三日日に亡くなった、時間は十一月三十日午前十一時であると通知してきました。……私たちは合肥にいってあなたの後姑未をしたいと強く要求したのですが、拒否され、いまだに私たちにはあなたの遺骨がどこにあるのかもわかりません」

「党のために、人民の革命事業のために四十数年もたたかってきた古参の共産党員が、このようにして林彪、『四人組』から残酷に迫害され、命を奪われたのです。あのころ、あなたのような古参の革命家で、かれらによって、一家離散に追いこまれた人がどれほどいたかわかりません。血と涙でつづられたこれらの事実…」

夫婦の仲をさいて、瀕死の重病人を一片の命令で地方へ移し、死後、遺骨さえわからない−こういう残虐な迫害が「文化大革命」の名で強行されたのである。「文化大革命」中の三年間に、殺された中国人は四十万人にのぼると伝えられている。迫害をうけた人は一億人になるといわれる。

陶斯亮の「手記」は、陰惨な「文化大革命」を痛烈に告発する文章でもある。この「手記」は、一九七八年十二月二十九日から、三日問、「陶鋳元副首相の娘の手紙」と題して、「赤旗」にもその要旨か掲載され、『世界政治資料』七九年一月下旬号に全文が紹介された。

[373] サボっている猛獣さんの代わりにアップ 投稿者:大阪の人 投稿日:01/11/01(Thu) 02:40
混乱する日中貿易商社の内幕
週刊東洋経済
1967(昭和42年)/09/23

毛沢東バッジを胸に「武闘」をし、毛語録を片手に商談する日中貿易商社マンがねらうものは,中国での商権拡張である。だが,「文化大革命」の余波で、すでに貿易は滅少しはじめた。LT貿易改定,広州交易会開催もあやぶまれる。同時に業界の内情もしだいに複雑化しようとしている。

商業ベースでは”毛林派”

わが国の日中貿易商社は、中国の「プロレタリア文化大革命」と称する権力闘争によって、混乱状態にあるといってよい。例年なら、秋の広州交易会を前にして、大いに気炎を上げている日中貿易易商社だが、ことしはまるで冴えない。

彼らには笑顔がなくなり、経営トップは中国のことを語るのをできるだけ避けようとするようになった。それも当然のことで、中国はどうなっているやら、中国人がなにを考えているやら、さっぱりわからない。ヘタなことをいったりすれば、ただちに密告され「反革命」「妨害者」のレッテルをはられる。

もっとも、日中貿易商社とってもピンからキリまである。中国が日本に「文化大革命」を輸出するために急造したとカゲ口をきかれる政治商社もあれば、戦後一貫して日中貿易を行なってきた専門商社もある。大手総合商社、またはそのダミー(身代わり商社)もある。

「友好商社」の数は三二〇社を越えているが、最近群小の政治商社が雨後のタケノコのように次から次へと生まれている。昨日までラーメン屋のおじさんだった華僑が、東京のデモや「武闘」にでかけていって名誉の負傷でもすれば、たちまち「友好商社」の社長にしたてられることさえあるという。

経済ベースでなら問題にもならず、貿易業務すらまったく行なえないこの群小政治商社が、日中貿易業界ではしだいに幅をきかす(少なくとも表では)ようになっている。

いずれにせよ、昨年の交易会以来、日中貿易商社であるかぎり、毛沢東を絶対者として仰ぎ、忠誠を告わなければならない。紅衛兵のように毛沢東語録をふりかざし、朗唱し、デモに出かけ、日本の警官や「修正主義者」を相手に「武闘」を演じなければならない。そして、その「武闘」においてできるだけ目立ったことをやり、中国側に「人民の英雄」として認められることが、商売成功のカギになりつつあるようだ。

ある大商社の幹部は皮肉たっぷりに「私は毛林派です。ただしコマーシャル・ベースにおいてですよ」と語った。日中貿易商社はいずれも、コマーシャル・ベースの毛林派である。三井物産、三菱商事の商社マンといえども、商売となれば毛沢東を「われらの心の紅い紅い太陽」と”賛美”し、「毛主席は世界人民の太陽」という歌を歌わなければならない。

広東での商談においても、必ず毛語録を片手に持ち、その毛沢東語録が手アカでよごれ、”学習”のあとがよくわかると商談に有利になる。商談中に毛語録をうまく引用して「革命商社員である」と紅衛兵に認められて商売がうまくいったというエピソードもある。

また、中国語のできない商社マンが、毛語録を紅衛兵と英語で”学習”し、紅衛兵の発音の誤りを正してやることによって商売を有利にしたという話もある。

一方ではこんな話もあるといわれる。中国側が要求する価格が、国際価格からみてケタはずれに高すぎたため、日本側が拒否しつづけた。すると中国側は毛語録を取り出して、この個所を読んで解釈せよといってきた。日本側がそれに応ずると「君は修正主義者だろう」とタタミかけてムリヤリ価格を納得させたという。咋年の秋の交易会以来、日中貿易の重要品目がこの方式で押しまくられるようになった。さらにある商社によると「最近ではその商談すら形式的なものとなり、”ブルジョア的な商談”には紅衛兵が立ち合うことが多い。価格を決めるのは紅衛兵である。その価格が非常識なものであっても不平はいえない。紅衛兵は罪のないあどけない少年少女であっても、その背後には解放軍がいる」という。

これについて、不満をいう商社やメーカーがあると、ただちに通報が同じ日本人によってなされるといわれている。

”政治行動”はなるべくハデに

政治と商売とがからんでくるとハッスルするのは群小政治商社である。これらの商社はみずから日本人の紅衛兵を組織しておりデモや「武闘」においては、大手商杜よりもうわてである。九月七日の「佐藤訪台阻止」のデモは、国際貿易促進会(ママ)事務局や日中友好協会正統本部を先頭にし、全国の友好商社から集めた商社マン七〇〇名と、それに別動隊として日中青年交流会の日本人紅衛兵たちが参加したといわれる。

こういうとき実力を示すのは群小政治商社であるが、大手といえども人を狩り出さないわけにはいかなかった。もし、参加を拒否して「佐藤訪台に賛成した」と通報されでもすれば、シェアを奪われてしまうからだ。

羽田空港入口の道路上に「紅衛兵」の腕章をつけてすわり込んだデモ隊に対し、飛行機の離陸時間に遅れそうになった乗客たちは「君らはそれでも日本人か」と叫んだ。ある商社マンは「そういわれたときの自分の衰れ(ママ)さに思わず涙が流れた」と話している。しかし、この”闘争”に広州の交易会に自分の会社が出席できるかどうかの社運がかっているのだ。

なかには、わざとハデなことをするように ”業務命令”を出したところもあるらしい。デモ隊のなかの「決死行動隊」は空港フィンガーに「訪台反対の大横断幕を広げ、シュプレヒコールを叫び、弾圧と戦って、戦いぬいた」(長谷広敏三呉山貿易社長=当日の副隊長『アジア貿易』九月八日号)。この一連の「英雄行動」(アジア貿易)のなかで三人が逮捕された。この「三英雄」はやがて新しい商社の社長となるかもしれない、と一部では取りザタされている。二日おいて九月九日には廖承志東京駐在連絡事務所の前で胸に毛沢東バッジをつけ、片手に毛沢東語録を持った約四〇人の友好商社員が、赤尾敏氏の反共アジア演説(ママ)をめぐって警官隊と衝突し、ついに機動隊一個中隊まで出動するという騒ぎが超きた。

結局、大手といえども「友好商社」であるかぎり営業政策上、中国側が喜ぶと思われる”政治行動”には参加せざるをえない。四月に起きたいわゆる善隣会館事件(日共派の日中友好協会と中共派の華僑学生との衝突事件)にも、大商社は中共側に応援隊を送ることは避けて、ガードマンか警察関係のアルバイトを雇うつもりだった。

ところが、群小政治商社が本物の社員を提供するので、いつのまにか大手もそれにペースを合わせなければならなかった。各社割り当てがきて社員を「武闘」に出陣させなければならないときには、各社ともその”戦士”のために生命保険をかけてやったというウワサもある。応援に出かけた商社マンは必ず出席届けの報告書を作戦本部に提出しなければならなかった。ここでもできるだけハデなことをやり、ケガでもすれば中国側の英雄となる。群小政治商社のいくつかはこの方法で大手のシェアを食って営業拡大を図った。

ヘゲモニーはやはり大手に

ところで、これまで日中貿易の大半を握ってきた大手は、貿易業務すら遂行する能力のない紅衛兵商社に押しまくられているのだろうか。決してそうではない。

関西系大手商社の社長は「毛沢東語録を読まされていることは、ソ連や米国のバイヤーに夜のサービスをして接待すると思えば実に安いものだ。毛語録読みは商売の規準と思えばよいのであって、語録を使って中国側を攻略する手段としている」と語っている。日本の大手商社といえども、単に強制によって、紅衛兵運動に参加しているのではなく、すっかり計算済みである。

別の大手友好商社社長は、九月七日の佐藤訪台反対デモへ大量の社員を動員したことについて

”国際貿促から大量のデモ動員指令が来たときには、会社として実際のところ悩まざるをえなかった。しかし、考えてみれば、デモに出かける人間はたいした数ではない。阻止する力にはどうせならない。しかも、みずから、紅衛兵になったつもりで動いている日中貿易関係の左翼の連中は、佐藤首相の大きらいな日共を実際上の第一の敵としている。ホー・チ・ミンや金日成と気脈を通じあっているいまの日共は、ジョンソンにも佐藤にもいちばんやっかいです。これを打倒しようという連中ですから、佐藤さんに都合のいい点もある。しかも、かれらは少数であるうえに、日本の左翼とは関係の切れている連中ですから根なし草です。訪台反対といったところで、たいしたことはない。むしろ反対があったにもかかわらず台湾にきたと蒋介石に説明できるから、佐藤さんの立場は逆に強くなる。そう思って動員に応じたのです”と理論づけていた。

大手商社の立場は複雑である。中国向けには、”政治活動”はハデにやったほうがいいし、米国向けには地味のほうがよい。だからハデにやる場合、自分ではあまりやらないで他人にやらせるにこしたことはない。その点からみると、デモ、「武闘」専門家でもある群小政治商社は大手の代行を勤めうる。

だから、今日でも日中貿易の大半は少数の大手が握っており今後、政治色が強くなっても、大手の実質的な支配には変化がないであろう。日中貿易は価格の面から見てもあまりウマ味のある商売ではなく、群小政治商社に対しても条件は同じであり、大手でないと営業はむずかしいのである。

こうなると、大手商社は間接的に日本人紅衛兵を養育しているということになる。この点につて、旧財閥系商社のある最高級幹部は「暴力革命を主唱する極左と手をとっているという批判が経済界の一部にはある。しかし日中貿易業界の左翼は左陣営の人間としても四流、五流の人物であり、日本人からはまったく相手にされていない連中だ。中国人だってこのことをよく知っており、政治資金を貿易にからませて大量に送り込むようなことをしていない。左翼と手をとることなく貿易のできない中共貿易の特殊性を理解してほしい。」と語っている。

ましてや、政府の保護も援助もないところで中国との貿易を往復六億ドルの水準にまで高めるには、日本の商社はあらゆる可能な手段を使わなければならなかったというわけだ。

広州交易会も望み薄

紅衛兵運動に参加することによってなんとか商売拡大をはかろうとする方法もどうやら限界にきたようだ。早い話が十月十五日から開かれるはずの広州交易会は、その開会があやぶまれている。広州における「武闘」の報道もふえている。

最近、中国から帰国した商社マンの話では、彼が春ごろ広州駅を出て香港へ何かおうとしたが汽車はストップ状態。真夜中の二時に至ってやっと毛林流の解放軍のトラックで、市内を迂回して深せんまで運ばれた。途中で銃声も聞こえ、市内は反毛派に押さえられているようだったという。

友好商社は、広州交易会への出場を目当てにデモをやったし警官と「武闘」もやった。ところが例年ならすでに来ているはずの招請状はいまだに来ていない。たとえ遅れてきたとしても、交易会にたいして期待はできないだろう。

今年一〜六月の日中輸出入実績(通関)は昨年同期を一三%も下回ったが、船積みの遅れはさらにひどい。中国の港においてしばしばの「武闘」のため、荷役は紅衛兵や解放軍によって行なわれている場合が多く、能率は低下しているという。三〇日前後の滞船は普通であり、なかには七五日という例もある。中国向けの配船は、多くなれば多くなるほど赤字がふえ、すでに日本側船会社の中国配船赤字総額は二億円をこえているといわれる。中国側の神経を刺激しないため、わが国の中国配船協議会(幹事会社・第一中央汽船、山下新日本汽船、新和海運、川崎汽船、富士汽船、東京船舶)では、中国配船の損害額の公表を避けているが、事態の進展によっては配船を断るところも出かねない。

中国側の経済混乱は疑いもなく深刻のようだが、一方、日本の関係業者としてはスエズ動乱で西欧が不利になっているいまこそ、中国市場に進出したいところである。八幡製鉄はじめ鉄鋼代表団が、中国からの招請状を待っているところだ。しかし、スポット契約はできるとしても、長期契約を話しあうような状況ではないだろうというのが、大手商社筋の見方である。

西欧とのプラント取り引きも不振で、西独のデマーグ社を中心に、進んでいた製鋼プラント(年産三〇〇万トン一億七五〇〇万ドル、西独、仏、ベルギー、オーストリア共同プロジェクト)の商談も不調に終わり西独の経済代表団は先日帰国した。佐藤内閻の姿勢が中国を刺激している面もあろうが、中国側も日本からのプラント輸入などをうんぬんできる状況にないようだ。

大手総合商社には、ノドから手のでるはどほしい中国市場だが、予想される日中貿易の一時の的な減少にどう対応するか、中国から輸入していた原料をどの市場に転換すべきかを検討しはじめたところもある。

LT貿易改定もメド立たず

今年度で五年目の期限が切れるLT貿易(日中総合貿易)も改定のメドが立っていない。LT貿易の日本側責任者である岡崎嘉平太氏は「中国側は望まなくても、貿易を拡大するよう中国側を説かなければ」とファイトを失ってはいない。けれども中国側の廖承志氏の消息がまるでわからない。中国国際貿易促進委員会の南漢宸氏も自殺したともいわれる。

友好貿易についても今後に問題はある。現在は国際貿易促進協会の友好商社部会が一応の窓口となっており、昨年秋には中国との間に議定書が結ばれたが、これとても同協会全体としてはっきり取りかわしたものではない。

事務局が独走するかたちで「アメリカ帝国主流、ソ連現代代修正主義、佐藤反動内閣、日共修正主義反対」の四つの敵を織り込んだ議定書を結んだが、これは国際貿促総裁の石橋湛山氏のまったく関知しないものだという。中国側も、当協会を半永久的な正式窓口としているかどうか疑問であり、さらに第三の道を考えているという話もある。

友好商社内にも一〇社近くに政治的対立にからむ首切り問題があり、第一通商北京事務所の紅衛兵による閉鎖事件がある。豊島商会が招へいた中国人技術者の中途引き上げ事件もある。なぜこのようなことをするのか中国側の真意は友好商社にも全くつかめない。早い話が、中国側と友好商社はこれまで、日共打倒で一致して全力をつくしてきたが、中国側はほんとうに日共を壊滅させるつもりなのか、それが可能だと見ているのか皆日わからないというのだ。

また、最近注目されているのは前の日中貿促理事長だった鈴木一雄氏の中国からの帰国である。鈴木氏は北京を追われてきたとも、北京から新任務を帯してきたともいわれるが、「病気療養中」と称して旧知さえ遠ざけているので、その真意はいぜんナゾにつつまれている。

とにかく、事態はいぜん流動的であるうえに、さらに流勤性を増そうとしているようにみえる。業界人たちは先をどう読むか真剣であり、すでに一部の人はそのための行動を起こそうとしているようだ。

日中貿易は今後どうすれば健全に発展するのか、このへんで一度根本的に考えを改めなければならないのではないか。

[374] お元気そうでなによりです 投稿者:傍観者(初代) 投稿日:01/11/04(Sun) 21:15
 仕事があいかわらず忙しくて暫くここを覗けなかったのですが、今日きてみると
大阪の人さんが書き込みを再開しているではありませんか。
 病気になったか交通事故にあったのではないかと心配していたのですが、お元気
そうでなによりです。

 私も、そろそろ宿題になっている大阪の人さんへのお答えをかきこまねばなりま
せんね。反論は歓迎しますが、反共ゴタクなどのレッテル張りはご遠慮ください。

[375] 認識論についての疑義とその他 投稿者:大阪の人 投稿日:01/11/09(Fri) 01:57
傍観者(初代)さんの当初からの姿勢に疑問があります。
まだ、ご自身の言葉で何も回答頂けてないので、不満です。

| という発言を読んで、いささかとまどいました。「どちらか一方
|が完全に正しくもう一方が完全に間違っている、という発想が猛獣
|文士さんにもしあるとすれば、結局真相はわからないか、あるいは
|猛獣文士さんには真相と思えるものが抽出できても、それは他の人
|の同意を得られるものにはならないのではないか」という前の書き
|込みは、ものごとの判断に対するごく一般的な基準を述べたにすぎ
|ないと私は思っているのですが。

これは#313番での猛獣さんへのレスポンスですね。
再度問います。認識論として、これはおかしいと思います。
猛獣さんは、当初、HPの趣旨として、どちらかが正しいのか
それとも、という割合中立的な立場にたってウェブを運営する
と称していたわけで、ここからの逸脱に関しては、傍観さんの
指摘もある程度あたっているなと思ったわけです。しかしながら
「真理なんてない」だとかいうのは論理矛盾であります。
あるいは物事を検証もせずに「どちらか一方が完全に間違っている」
という可能性もあらかじめ排除せねば物事が見えない、とする
ことの奇妙さです。「どちらか一方が完全に誤っている」という
時だっておうおうにあるからです。他の人の同意を得られるもの
にするには、予断と偏見を排して分析し、ちゃんと叙述せねば
なりませんが、他者との理解は可能であり、客観的な真理は存在
するのであり、それは時として「どちらか一方が正しい」ものでは
ない事もあり得ますが、「どちらか一方が正しい」事もあるのです。
「ものごとの判断にたいする一般的な認識」はこうです。「どちらか
一方が完全に正しいということはない」と決めてしまうのがおかしい
通常の「ものごとを判断にたいする一般的な基準」とはだいぶ異質な
ものを感じるわけです。

「日本共産党と中国共産党との新しい関係」はもうお手持ちで
ありましょうか。このパンフの中の、すでに猛獣さんがウェブ化
した部分もありますし、当方がBBSに載せた部分もありますが
これはどうお読みになりましたか。不破氏はこう述べています。

| 干渉の背景になったのは「文化大革命」ですが、「文化大革命」
|が七〇年代に終結し、中国の国内問題としては一応解決されたあと
|も、問題が解決されず、ほぼ二十年にわたって不正常な状態がつづ
|いてきました。私たちは、一貫して、干渉をめぐる歴史問題にけじ
|めをつける、歴史問題を解決することが関係正常化の前提になると
|いうことを、一貫して主張してきました。今回の会談でこういう結
|論になったことは、私たちのこの立場が、歴史的にも政治的にも道
|理があったということを裏付けたものだと思います。

確定的な事実として、こうして98年に両党の合意がなりました。
これはお認めになりますね >傍観さん。

だとして、この対日干渉行為は中国共産党の対外政策の原則に
反した「あいいれないやり方」であった旨の言明という事はこれは
内政干渉行為の事実とその路線の転換を宣言した事だとは思えません
でしょうか。対外関係の原則に「あいいれないやり方」という事は
中国が自国に対してこれをやられたら、許すことができない線の事を
自分がしてしまった、という中国自身の言明なのではないでしょうか。
そしてこれを是正の措置を講じて両党関係の回復となった、ということ
はこの場合日本共産党の側には、何も「是正の措置」は求めていない
わけで、関係修復の根本的な問題が中国側にあったということの事実
として見ることができないでしょうか。

そもそも当方は1割ぐらいの可能性で、それでも後楽の事件に関して
とりわけ67年2-3月の局面に関してだけとつまみだせば、もしかして
日本共産党側に落ち度や行き過ぎがあったのではないか? という
猛獣さんの想定には、未確定の部分として余白を残しています。つまり
直後数日でかけつけた猛獣さんにせよ、割られた窓ガラスさえ「目を
伏せて見ないようにしていた」わけでありまして、確認できない。
当方はその当時の事は、近所にもないわけで当然もっと暗いわけです。
事実は事実として見ましょうという立場です。

しかし、今後出す予定ですが、66年の中国政府党と日本の文革礼賛派
との公式声明のたぐいをみても、おかしな箇所が山積しています。
状況証拠としての論文、声明、その全体の政治路線からの演繹として
は限りなく中国文革の悪影響(よい影響なんてなかったですけれど)が
ここにあって、この最悪の現れが、デマの流布ではないかと思って
います。そして何ら日中の友好や平和運動によい影響を残さずに、貿易
の後ろ盾もあったはずの正統日中が、なぜか四分五裂がつづき、最後に
自民党の外交筋の手練が長に坐って外務省管轄の社団法人に収まった
ということはどうせつめいするのかということです。その他の(正統)
と名が付いたおかしな日本人の大衆団体は、何故雲散霧消したのか。
みなスポンサーの意向で作られた根のない支援受け容れ組織だったから
ではないのかということです。日本共産党は、そんなに大きく躍進した
わけではありませんが、幸い「人民の海におぼれ死ぬ」事なく活動を
続けています。そして98年の合意に至りました。中国共産党自体はと
いうと、文革全否定が国内では徹底していまして、この98年の合意では
国際的にも、もっとも厄介だった対外関係にもきっぱりとした軌道修正
を果たしたと見ることができます。

猛獣さんのご発言も、2000年ごろは「友好協会なんて、<きりえ同好会>
にでも名称をかえたらいい」だとか、好きな事を放言しておられましたが
2001年に入り、だいぶ軌道修正されています。

これを「どちらかが完全にあやまり」であったとみてどうしていけない
のでしょうか。

閑話休題:
前に西武の堤さんがと引用していた本の題名ですが
「ユートピアの消滅」辻井喬著、集英社新書 2000年11月22日です。
「戦後史のなかの日本社会党」はもうお読みになりましたか。それから
「日本共産党にたいする干渉と内通の記録-ソ連共産党秘密文書から」
上下 不破哲三著 新日本出版1993年9月を入手し、読む事ができました。
これも、社会党のソ連盲従派が、結構中国盲従文革礼賛派とつーつーで
ソ連大使館にいって好きな事を放言している事などがソ連大使館側の資料
として不破氏はあげています。お読みになることをお勧めします。これを
「社民党側が知らなかった」なんてのは、社民党さんに対して一種の
失礼にあたるのではないかな? 私の手元にあるもので既に6版でした。

日本社会党に関しては、原氏は興味深い事を書いています。日本共産党は
68年ごろに秘密に訪朝して、その時に盗聴器をしかけられたりして、その後
少しずつ北朝鮮と関係が冷えていくのですが、朝鮮戦争は、50年代から70年代
まで一貫して「南の先制攻撃で開始されたアメリカの侵略」説だったのです。
その後80年代に入ってやっとこですが「北の南進」との自主的認識に至ります。
ところがもともと50年代には日本社会党は朝鮮戦争について「北の南進が
原因」と日本共産党より正しい認識であったのが、70年代になると、日本
共産党と北朝鮮との関係が冷却してきたのをめざとくみつけて、しだいに
関係を(67年に北は”唯一思想体制”秘密クーデターをして硬直していった
時期と符合するのですが)親密にし、ついに従来の(正しかった)認識を
投げ捨てて、朝鮮戦争を「韓国とアメリカが原因の侵略戦争」との路線を
公式にとるようになったのだそうです。日本社会党の外交路線の破綻は
どうしようもないと私にはみえます。こういう手合が文革派であって
結局32氏声明だとか35氏声明だとかを打ち上げて、外国のいいなりに
なっていったということです。これは大状況、中状況ともに歴史の審判が
くだってしまいました。

あと、「赤旗縮刷版」を読んでいて1966年ごろの事なのですが、京都の
文化厚生会館という建物がありまして、この中に部落問題研究所という
団体が部屋を持っていたのですが、ここから部落解放同盟朝田派の暴力
で追い出されてしまう、という事件があったというのを見つけだしました。
なんとまあ、相似形で、こちらは部落解放同盟がデタラメ暴力事件ですか。

部落解放同盟というのは、当時日中友好協会会長であった松本治一郎氏
が兼任で長を務めていた大衆団体でありましたが、こちらはなぜかソ連
盲従の「現代修正主義者」として日本共産党を除名された志賀義雄氏ら
との関係を強めつつ日本共産党と袂をわかってゆきます。松本氏はかたや
部落解放同盟の中では、ソ連派との関係をつよめつつ暴力闘争が激しく
展開されてゆき、こなた日中友好協会では中国文革礼賛派が日本共産党
と敵対して組織を分裂させ、暴力対決にむけて進んでゆくという時に
何を考えていたのでしょうか。66.7年頃には、松本氏はじめ数人の日中
友好協会の古くからの活動家の大御所がばたばたと死去してしまいます。

[376] ご返事遅れました 投稿者:傍観者(初代) 投稿日:01/11/17(Sat) 14:06
 大阪の人さん、コメントありがとうございます。諸般の事情でご返事が
遅れました。


>「真理なんてない」だとかいうのは論理矛盾であります。

私は、「真理なんてない」とは言っておりません。どちらか一方が
完全に正しくもう一方が完全に間違っている、という思考方法では
真理に迫れないか、あるいは自分では真理と思っていても他の人の
同意を得られるものにはならない、といっているのです。

「日本共産党と中国共産党との新しい関係」はもっておりません
が、日中両共産党の九八年合意そのものは確定的な事実としても
ちろん認めますし、中国と友好関係にある日本の団体が一つ増える
のは、結構なことだと思っています。

 ただ、合意内容の解釈については、両共産党の間で相違があるよ
うですね。
 「干渉をめぐる歴史問題」については、中国共産党は党関係では
一定のけじめをつけました。「盲従派」系党で最後まで中国共産党
と党関係を持っていた日本労働党は、両共産党関係が復活した後、
関係を切られました。これは、日本労働党自身が自己の新聞やホー
ムページで公表したことです。これは、そうすることを日本共産党
と約束したからで、その点では中国共産党は約束を守ったわけです。

 しかし、大衆運動では、中国共産党や関係団体は、日中友好協会
(平山郁夫会長)や日中文化交流協会と依然として関係を持ち続け
ています。二つの友好協会があるという立場です。
 日本労働党関係の地方議員や党員も、その後一議員や個人の立場で中国
と交流している人はもちろんいるようです。

 私は、友好協会が二つあってもいっこうにかまわない、という立場
ですが、旧日中友協(正統)は分裂組織という立場にたつ人からは、
歴史問題は依然として解決していない、ということになるでしょう。
 しかし、これについては、日本共産党も黙認しているようです。

 六十年代後半の日中友好協会分裂などに、中国側が関与していたと
いうのは、中国共産党も認めていることです。大阪の人さんもご存じ
でしょうが、八十年代後半には、すでに両党会談が行なわれ、中国共産
党は干渉の事実を大筋で認めていました。にもかかわらず、両党関係が
回復しなかったのは、日本共産党側が「盲従分子」との関係断絶を中国
側に求め、そこで決裂したからです。

 干渉の事実があったことを認めさせることと、関係断絶は別のことだ
と思うのですが、当時の日本共産党はそこにこだわったようです。

>そもそも当方は1割ぐらいの可能性で、それでも後楽の事件に関して
>とりわけ67年2-3月の局面に関してだけとつまみだせば、もしかして
>日本共産党側に落ち度や行き過ぎがあったのではないか? という
>猛獣さんの想定には、未確定の部分として余白を残しています。

たいへん良い姿勢です。ぜひその姿勢を今後も保持してください。

 もう一つ、大阪の人さんに申し上げたいのは、中国共産党の国際交流
政策が、七十年代までとは根本的に変化していることです。
 確かなところから聞いたのですが、現在の国会に議席のある日本の政党
で中国共産党と公的関係がないのは保守党だけで、他の政党は自民党、自由党
なども含めてすべて関係を有しているとのことです。保守党とないのは、
この党が最近できたばかりだからにすぎないでしょう。
 日本共産党との関係にしても、かつての「兄弟党」「同志」ではもちろん
ありません。日本にいくつもある政党の一つとして遇しているに過ぎません。
 現在の中国共産党指導部は、日本の政治に一定の影響力のある日本共産党と
現実的な関係を持ちたいと考えたのでしょう。実際、中国共産党と日本共産党
が社会主義理論や国際共産主義運動再建などを巡って共同研究や意見交換をして
いるという話は聞きません。

 日本共産党の現在の綱領は、旧ソ連も含め、これまで世界で社会主義を志向し
た国はあっても、社会主義国は出現したことがなかった、というものです。これ
は、ソ連崩壊に関する日本共産党のそれなりの総括を踏まえたものです。
 ところが、中国共産党は党章程(規約)に、中国は社会主義国と明記していま
す。中国憲法にも同様の規定があります。
 
 両党合意の意義を高く評価するなら、日本共産党は中国の国家体制に関する自己
の見解を明らかにすべきです。中国は、いったい社会主義国なのか、そうでないの
か。しかし、この点についても、日本共産党は沈黙しています。

 九八年の両党合意は、このようにいくつかの重要問題については故意にあいまい
にしています。私は、それはそれでかまわないと考えますが、両党合意をもって過
去の問題にすべて決着がつき、日本共産党の正しさが照明されたとする大阪の人さ
んの意見には、組みすることはできません。

 社会党に関することは、時間の関係で、次の機会に譲ります。

[379] Re: 「情熱と冷静のあいだ」 投稿者:大阪の人 投稿日:01/11/20(Tue) 10:15
傍観さん、こんにちわ

いや、第一に述べさせて貰いたい感想は、「ご返事遅れました」
という殊勝なご挨拶の題名にもかかわらず「社会党に関すること
は、時間の関係で、次の機会に譲ります。」となっていること、
あるいは、本質をはぐらかした議論のままな事です。

| >「真理なんてない」だとかいうのは論理矛盾であります。
| 私は、「真理なんてない」とは言っておりません。どちらか一方が
| 完全に正しくもう一方が完全に間違っている、という思考方法では
| 真理に迫れないか、あるいは自分では真理と思っていても他の人の
| 同意を得られるものにはならない、といっているのです。

いい加減な事をいわれる。「他人の同意を得られれるものにならない」
かどうかは論証する際の論理の正しさによるのです。誰の目にも確か
な明々白々の事実の積み上げによっているのかどうかなのです。

あらかじめ「どちらか一方が完全に間違っているはずはなく」だいたい
中間あたりかな? とするのは、正しい態度のようで、【常に間違い】
を内包した、自己の努力を放棄した、なげやりな態度と申せましょう。

| 「日本共産党と中国共産党との新しい関係」はもっておりません
| が、日中両共産党の九八年合意そのものは確定的な事実としても
| ちろん認めますし、中国と友好関係にある日本の団体が一つ増える
| のは、結構なことだと思っています。
|  ただ、合意内容の解釈については、両共産党の間で相違があるよ
| うですね。

これまた、いい加減な事を言われる。「合意内容の解釈」で双方の
違いがある、だと? そもそも合意内容の解釈を他方に委ねない為
に双方の認識の違いを明記して合意文章を作成してある、と不破氏
は「日本共産党と中国共産党との新しい関係」で述べています。これ
の意味がおわかりになりますか? 他方には自陣とは異なった体系
の異なった価値観があるが、この異なった体系どうしの上で、同じ語
を用いながら内部的に別の説明をはじめる解釈の余地を残さない為
に双方の価値観の体系に則った上でこの合意を見た、と書き込まれて
いるわけで、日本共産党の認識と中国共産党の認識の間にそのような
傍観さんの言われる【溝】は、この一冊で【おこりえない】のです。

|  「干渉をめぐる歴史問題」については、中国共産党は党関係では
| 一定のけじめをつけました。

”中国側スポークスマン”傍観さん。当方の先の説明にはある程度
ご納得いかれたようですな。しかし「一定のけじめ」ではありません。
「一定のけじめ」というと、【余地を残したけじめ】らしい印象ですが。
党レベルと、政府レベルで決着がついたのです。

| 「盲従派」系党で最後まで中国共産党
| と党関係を持っていた日本労働党は、両共産党関係が復活した後、
| 関係を切られました。これは、日本労働党自身が自己の新聞やホー
| ムページで公表したことです。これは、そうすることを日本共産党
| と約束したからで、その点では中国共産党は約束を守ったわけです。
|  しかし、大衆運動では、中国共産党や関係団体は、日中友好協会
| (平山郁夫会長)や日中文化交流協会と依然として関係を持ち続け
| ています。二つの友好協会があるという立場です。
|  日本労働党関係の地方議員や党員も、その後一議員や個人の立場
| で中国と交流している人はもちろんいるようです。

(元正統)[社団]日中(平山郁夫)は、日本の民間団体です。最近は
社団法人ということで、民間というよりも官製の特殊法人という実態で
ありまして、いよいよ日本政府と民間との半官半民団体です。ここと
ある日突然、66.7年頃日中貿易促進会やらAA、新婦人などに対して行った
中国政府党側の一方的な「関係断絶」を再度おこなう事はできますまい。
もはや中国共産党の自由にならないわけです。

それと「日本労働党関係の地方議員や党員」って、おそらくそういう
事は個人ではあるでしょうが、日本のどこの地方議会に日本労働党
選出の議員がいるのでしょうか。日本共産党は4千数百ほどの地方議員
がいます。日本労働党の議員は何人、またどこの都市にいるのでしょうか。
あまり聴いたことないので、教えてください。そんな”公党”だなんて
認識はなかったもので。

”個人”で誰が訪中しようが、それは自由でしょう。ここでも中国党政府
が個人を締め出し、入国忌避する理由はない。テロリストの温床になったり
せねばよいのだし(昔(正統)の訪中団なんて人民解放軍に鉄砲の撃ち方を
教わったりしていましたね)軍資金を与え、天安門の楼上で、人民解放軍
の軍事パレードを閲兵する際に横に立たせ、「人民日報」に一面に日本の
手先党の”機関誌”の内容を報ずる事がなければね。60年代、70年代には
このような内政干渉が公然と行われました。驚くべき事に「日本共産党
(左派)」が自民党、社会党、公明党などとならび、その筆頭として扱われ
ていた時期がありました。これが繰り返されなければよいのです。

| 私は、友好協会が二つあってもいっこうにかまわない、という立場
| ですが、旧日中友協(正統)は分裂組織という立場にたつ人からは、
| 歴史問題は依然として解決していない、ということになるでしょう。

傍観さん、まず「旧日中友協(正統)は分裂組織という立場にたつ人」
とは誰の事を指していますか。(元正統)[社団]日中は、誰の目から
見ても分裂組織の残骸でありまして、分裂組織でさえないし、分裂組織
じゃないという認識の余地もありません。世界中で彼らの内部だけが
自分たちが日本中国友好協会の”正統”な後継者だと思っているだけです。
一応「民間団体」ではありますが、もはや大衆団体でさえない。いっとき
先鋭化したテロ集団になり、その後自民党の外交筋に主導権を譲りました。
自民党政府に対して距離を置くことすらできないものを大衆団体とは
言えないでしょう。

6.70年代、友好貿易だとか、結局中国と商談しようとすると政府へのコネ
が幅をきかせて、その口利きをする団体として、絶対的な中国党政府の
後ろ盾をもって”窓口一本化”していた彼らですが、窓口が開かれて
どんな団体にせよ受け入れるし、団体に加入せずとも受け入れると中国党
政府が言明しますと、そこから先は、どの窓口が好きか、というだけの
問題であります。いまさら友好協会が大企業までまとめて、絶対権限の
中国党政府の一本化した窓口を務めるわけにはゆかない事は当然だし
そもそも普通の国家間の関係とはそのようなものです。WTOだって
加入したのだし。

| 歴史問題は依然として解決していない、ということになるでしょう。
|  しかし、これについては、日本共産党も黙認しているようです。

ものはいいようですが、日本共産党が「黙認」だとの指摘は、まるで
”できればそのような窓口一本化して口利き料を独占したい”とでも
思っているかのような反共ゴタクのたぐいを内包した含意を感じます。
ものの言い方をもう少し工夫できませんか。民間団体、大衆団体として
の日本中国友好協会は残りました。「人民の海におぼれ死ぬ」のは一体
だれかということです。政府との友好ではない民間の友好というのは
これからもっと本格化するでしょう。

|  六十年代後半の日中友好協会分裂などに、中国側が関与していたと
| いうのは、中国共産党も認めていることです。大阪の人さんもご存じ
| でしょうが、八十年代後半には、すでに両党会談が行なわれ、中国共産
| 党は干渉の事実を大筋で認めていました。にもかかわらず、両党関係が
| 回復しなかったのは、日本共産党側が「盲従分子」との関係断絶を中国
| 側に求め、そこで決裂したからです。

「中国共産党も認めていること」ってのは、それは当事者ですからそもそも
内部的には当初から当然でしょう。対外的に認めるには時間がかかりました。
内政干渉、対日干渉工作の手の内をさらすことになるのですからね。
そうです。「でっちあげ」で中国党政府が「息のかかった人士」をあつめて
「中中友好」のために作った分裂行為の産物でありました。

| 八十年代後半には、すでに両党会談が行なわれ、中国共産
| 党は干渉の事実を大筋で認めていました。にもかかわらず、両党関係が
| 回復しなかったのは、日本共産党側が「盲従分子」との関係断絶を中国
| 側に求め、そこで決裂したからです。
|  干渉の事実があったことを認めさせることと、関係断絶は別のことだ
| と思うのですが、当時の日本共産党はそこにこだわったようです。

80年代の中国党政府のスポークスマンのコメントとしてはこれでよいので
しょうが、傍観さんともあろう方にしては、こんなものいいはどうしたことか。
「左派の党との関係をきらない」というのは、中国側の一方的な大国主義の
温存を”黙認”せよとの大変な問題でありました。中国国内ではそのような
他国の党の出先の「党」の黙認どころか、一党独裁を平気でうちだすくせに、
日本国内では併存させよと80年代には中国政府党は、結局思っていたわけです。
日本の国政に少しでも責任をもつ自負があるのであれば、到底これは
飲める話ではありません。もっとも友好商社を通じて企業献金させてソ連
からも中国からも金を貰っても内政干渉ではないと日本社会党を擁護する
傍観さんでありますれば、あまりこのような国際政治のセンスは持ち合わせ
がないのかも知れませんが、ね。

|  もう一つ、大阪の人さんに申し上げたいのは、中国共産党の国際交流
| 政策が、七十年代までとは根本的に変化していることです。

「日中両党会談始末記(増補版)共同コミュニケはどうして破棄されたか」
「社会主義と民族自決権」
「中国共産党の対外路線の検証「文革」以後20年の混迷と矛盾」
という3冊の新日本の文庫本を推薦いたします。どうかお読み下さい。
たしかに中国の国際交流政策は二転三転しました。それにつれて
「日本共産党(左派)」「日本労働者党」「日本労働党」と
中国党政府の対日干渉受け入れ窓口の「真の革命党」が移り変わり
致します。このあたりは「中国覇権主義のとのたたかい」ではp268
から279に詳しいですね。

|  日本共産党との関係にしても、かつての「兄弟党」「同志」ではもちろん
| ありません。日本にいくつもある政党の一つとして遇しているに過ぎません。
|  現在の中国共産党指導部は、日本の政治に一定の影響力のある日本共産党
| と現実的な関係を持ちたいと考えたのでしょう。実際、中国共産党と日本共
| 産党が社会主義理論や国際共産主義運動再建などを巡って共同研究や意見交
| 換をしているという話は聞きません。
|  日本共産党の現在の綱領は、旧ソ連も含め、これまで世界で社会主義を志
| 向した国はあっても、社会主義国は出現したことがなかった、というもので
| す。これは、ソ連崩壊に関する日本共産党のそれなりの総括を踏まえたもの
| です。
|  ところが、中国共産党は党章程(規約)に、中国は社会主義国と明記して
| います。中国憲法にも同様の規定があります。
|  
|  両党合意の意義を高く評価するなら、日本共産党は中国の国家体制に関す
| る自己の見解を明らかにすべきです。中国は、いったい社会主義国なのか、
| そうでないのか。しかし、この点についても、日本共産党は沈黙しています。
|  九八年の両党合意は、このようにいくつかの重要問題については故意にあ
| いまいにしています。私は、それはそれでかまわないと考えますが、両党合
| 意をもって過去の問題にすべて決着がつき、日本共産党の正しさが照明され
| たとする大阪の人さんの意見には、組みすることはできません。
|  社会党に関することは、時間の関係で、次の機会に譲ります。

「日本共産党の正しさが照明された」というのは、このHPの懸案である
後楽の事件をふくむ66年67年ごろからの一連の経過に関してでありまして
何もかもすべて無謬だとかそのような独善を主張しているもののような含意
を感じて、いい加減こうした対話の中での傍観さんの”反共ゴタク”が
鼻につくのですが、おおげさです。それより当時この中国党政府をバックに
つけて鼻息荒かった日本社会党はどうして党名を変更して、3分4裂して
しまったのでしょうね。大阪の谷畑たかし氏は自民党に鞍替えしていますし。

「兄弟党」ではありません。「兄弟」なんて沢山です(笑)。
しかし「実際、中国共産党と日本共産党が社会主義理論」を語り合って
いるのですよ。「日本共産党と中国共産党との新しい関係」の本では
国家主席兼総書記江沢民氏と不破氏の会談のくだりP110〜をご覧ください。

「国際共産主義運動再建などを巡って共同研究や意見交換」ははは(笑)。
今度は日本共産党が中国共産党の手先となって、もっと別の外国に覇権
主義をおしおよぼすのではないか、という自民党的な懸念でしょうか?
そんな相談はしないのです。

| 日本共産党の現在の綱領は、

今度は綱領攻撃でしょうか。ご自身は質問に何らまともに答えないままで
日本共産党綱領にいちゃもんつけですか。

|  両党合意の意義を高く評価するなら、日本共産党は中国の国家体制に
| 関する自己の見解を明らかにすべきです。中国は、いったい社会主義国
| なのか、そうでないのか。しかし、この点についても、日本共産党は沈
| 黙しています。

自分の知らない件は「日本共産党は沈黙」だとか「社民党は知らないはず」
だとかいうのは、おやめなさい。そのような「きめつけ」た詰問に
当方が答える義務は毛頭ありませんが、「お勉強競争」として参考に
「日本共産党綱領を読む」不破哲三著 新日本出版2001/4/20を挙げて
おきましょう。頁でいうとP166小見出しは「中国の場合」です。決めつけ
をする前に批判の対象を読みましょう。

傍観さんはしきりに「忙しい」といわれる。「忙しい」わりに日本共産党
に対して、自分にツバが返ってくる無責任な論難だけをして、ヒット
アンドアウェーで、尻ぬぐいもせずにまた次の論難を繰り返す。一体
当方との議論を真面目にする気があるのか。ないのか。そもそも後楽の
事件に対して「どっちもどっち」という根拠はどこなのか。まだ当方は
なっとくいく証拠を見せて貰っていません。いい加減にしてください。

[371] 外交より革命輸出 投稿者:大阪の人 投稿日:01/10/31(Wed) 00:01
後退続く中国外交
  ラングーン暴動の背景
消えた柔軟な姿勢
  文化革命達成へ友好関係も犠牲に

朝日新聞1967(昭和42年)6月30日
12版(3)

ラングーンで突発していた激しい反中国暴動によって、中国はまた一つ親密な友好国を失おうとしている。しかもビルマとの関係は、一九六〇年代の初め国境の平和的画定、相互不可侵条約の締結などで中国との平和共存のモデル・ケースとして高く評価されていただけに、中国がこれを失う損失はきわめて大きいといわねばなるまい。また今度のラングーン暴動では、毛沢東バッチの着用などが発端となっており、中国本土における文化大革命が在外中国人(華商)にまで”輸出”された点で注目される。中国の外交はいまや六〇年代初期ごろまでの特徴であった柔軟性は全く影をひそめ、国内の革命達成のためには周辺諸国との友好関係をも犠牲にするような硬直ささえ感じられるようだ。

有名無実の反帝枢軸

平壌-北京-ハノイ-プノンペン-ジャカルタの反帝枢軸の一角は六五年のインドネシア九・三〇事件でくずれたが、いまではこの枢軸そのものが有名無実のものとなりつつある。ソ連とこれら諸国との関係がからみ、今年の春いらい、北朝鮮、北ベトナム、カンボジアと中国との関係もぎこちないものとなったからである。

北京の紅衛兵の壁新聞が北朝鮮指導者を公然と批判していらい、北朝鮮と中国との関係は冷えきってしまった。北ベトナムと中国の対米抗戦という最大の目標に向っての協力は強化されているが、両国の党機関誌ニャンザンと人民日報の間で論文を交換するという緊密なイデオロギーの交流はもはやみられない。カンボジアもソ連への接近の強化、親中国系閣僚のしめ出しなどから中国との関係はひところのような親しさはなくなっている。

一方、北方では中ソ論争で早くからソ連側に立っていたモンゴルが、今では公然と中国を非難するようになったし、またヒマラヤを越えた南方のインドとの間は外交官を相互に追放するという”冷たい戦争”の状態である。

ほころぶ対印包囲

南アジアに対する中国の外交政策は、パキスタン、ビルマ、セイロンをもってインドを包囲することにあるといわれたものである。だが、この包囲網もほころびが目立ってきた。セイロンは六五年春の総選挙でバンダラナイケ内閣が倒れ、親西方に傾いたセナナヤケ内閣が成立したときに、最初に脱落した。つぎが今度のビルマの騒ぎである。

中国のの対ビルマ政策はもともと、経済・文化交流に重点を置き、内政には干渉しないというものであった。ビルマには、白旗、赤旗の両共産党が武装ゲリラを行なって、政府を悩ませているが、中国政府はこれに援助を与えていなかった。しかし、今回のラングーンでの反中国暴動に関する二十八日の北京放送は次のようにビルマ政府を非難し、左翼ゲリラ勢力をはっきり支持している。

”ネ・ウィン政府は成立してから一貫して反共、反人民の政策をとっている。その残酷な人民搾取、略奪の経済政策は国内経済の極端な困難を招いている。現在国内の階級矛盾は先鋭化し、人民の政府に対する不満は日ましに増大している。ビルマ共産党とその他一部の革命組織の組織するビルマ連帯戦線(UNF)の武力闘争はたえず発展しつつある。”

ゲリラ援助の恐れも

中国のこのはっきりした態度は左翼系解放勢力への支援を声明したものとして重大な意味を持つものといえよう。ビルマと中国の国境のサルウィン川には六五年十二月、中国の援助で鉄橋ができており、中国がやろうと思えば、共産ゲリラへの大規模な援助はすぐにも実行できるのである。

ビルマは六三年いらい、経済の全面的国有化を実施し、インド人、中国人の経済勢力を追出してきたが、経済発展は思うようにはいかず、この二、三年一人当りの国民所得は隣のタイの半分である。反政府武装ゲリラも各種の少数民族から共産系までといろいろあり、根強い活動を続けている。もし、これらのゲリラに中国が援助するようなことになれば、ビルマが”第二のベトナム”となる危険な事態が生ずる恐れもある。ビルマ情勢の成行き、単に中国との関係だけでなくアジアの平和にとっても大きな危険をはらんでいるといえよう。

南アジアにおける中国外交の重点は、ネパールとパキスタンに置かれているようだ。ネパールと中国領のチベットの間は、かつては徒歩旅行で三週間もかかったものだが、中国援助の道路が完成したので、いまでは自動車で一両日で行けるようになった。この国ではインド人がいちばんいばっており中国人は低姿勢である。しかしネパールでも最近、毛沢東バッチの問題が議会でとりあげられた。中国の影響力が強まるにつれ、ビルマのような事件が起こらないとも限らない。パキスタンは中国の友好国だが、国内では共産党は非合法だし、共産系書籍も禁止というきびしい反共国で、いまのところ毛沢東思想がはいりこむすきはほとんどないようだ。

マカオ・香港で活発

中国の反帝、反植民地闘争は、ポルトガル領マカオと英領香港で最も活発に進行している。香港暴動は、発生以来約二ヶ月を経過したが、中国人側と政庁の間で妥協の可能性はほとんどなく、中国人側のゼネスト準備は着々と進み、このまま行けば大暴動になるのではないかと見られている。

中国は昨年春、劉少奇国家主席がパキスタン、ビルマ、アフガニスタン、を訪問していらい、首脳の海外訪問を全く行っていない。これは文化大革命の中で劉少奇自身が、実権派として批判の対象となっているほか、陳毅外相に対する批判も強く、また周恩来首相は革命の推進役として国を留守にできないという事情があると思われる。過去一年間、中国が周辺諸国に対する訪問外交をやれなかったことは、多くの友好国を失う一つの原因であったろう。

水爆実験をバックに

しかし、もっと根本的には、毛沢東主義、反帝国主義、反修正主義など文化大革命へ筋を通そうという中国外交の基本的姿勢の問題があるようだ。国際社会からのけ者扱いにされ、米、ソ両大国はもちろん、東欧共産圏諸国からも冷たい扱いを受けている中国は、周辺諸国に対しても文化大革命の精神を貫く強い硬直した態度をとらざるを得なくなったのではないか。ベトナム戦争、中東危機をめぐって米国とソ連は核の衝突を回避し共存する道を選んだ。この「米帝国主義とソ連修正主義の握手」に対抗し、みずからを主張してゆくため、中国は水爆実験の成功を背景として、さらに強力なAA外交を推進しようとしているのではないだろうか。

だが、四月末インドネシアで、二人の中国外交官が国外退去となり、ついで六月中旬にはインドから、同じ中国外交官が国外退去、そしていままたラングーンでも反中国暴動とつづく一連の事件は、周辺諸国が中国の強い姿勢にどう反応するかをしめしている。中国がこの事態にどう対処するか、これからの大きな問題であろう。

[372] Re: 外交より革命輸出 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/10/31(Wed) 22:45
大阪の人さん、

長々と引用ばっかりしていないで、自分の言葉で話しなさい.

[366] 在北京日本人紅衛兵の壁新聞 投稿者:大阪の人 投稿日:01/10/30(Tue) 00:58
http://members.tripod.co.uk/jcia/bunsho-jpn/ajcp010.htm
日共修正主義集団を打倒しよう
日中両国の紅衛兵をあなどることはできない

1967年7月20日すぎ
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 われわれの偉大な領袖毛主席が、みずから起こし指導している歴史に前例のない中国プロレタリア文化大革命に、勝利の凱歌があがり、毛主席の革命路線が、決定的な勝利をおさめ、全世界の革命的人民の反帝反修の新しい革命の嵐が高まっているなかで、日修が、中国党内の最大のひとにぎりの資本主義の道をあゆむ実権派にたいして抱いた幻想は、すっかり破たんし、日修分子砂間、紺野は中国をおん出ていかなければならないハメになった。

 日修中央は、七月十八日、北京駐在の日修中央代表と、日修機関紙特派員を、北京から呼びもどすという、まごうことなき反中国の大陰謀を公表した。これは日修集団が、いっそう気違いじみた反中国をはじめる前ぶれである。

 われわれ日中両国の紅衛兵と、プロレタリア革命派は、かならずこの "水に落ちた犬 "をこっびどく叩きのめさなければならない。そして、日修分子、反中国の小悪党砂間、紺野を地べたに叩きつけ、もし片足でも起きあがろうとしたら、二度とふたたび立てないように、こらしめてやる!

 北京駐在日共代表の砂間一良は、正真正銘の反革命修正主義分子であり大裏切りものだ。

 かれは一貫して毛沢東思想に反対し、毛主席と中国共産党に反対し、プロレタリア文化大革命をひぼう攻撃し、英雄的紅衛兵をひぼう攻撃した。かれは日中両国人民にたいしてありとあらゆる罪をおかした。この馬鹿ものは、七月九日の『赤旗』紙上(日修機関紙)に抗日戦争三十周年にかんする文章のなかで、おおっぴらにプロレタリア文化大革命をひぼうして、「文化大革命のスローガンはたくさんあるが、抗日戦争三十周年のスローガンはひとつも見かけない」とか、偉大な中国共産党をひぼうして「日本帝国主義と真正面から鋭いたたかいをくりひろげたのは、ただ日本共産党だけだった」などといっている。かれはまた「今日、真の日中友好のためにたたかいつづけているのも日本共産党だ」などといっている。かれはまた七月七日の『人民日報』の社説「人民戦争は天下無敵である」を攻撃し、自分のこの大裏切りものの反革命のみにくい歴史におきかえている。

 いまこの古株の反革命はおん出てゆくが、われわれ日中両国の紅衛兵とプロレタリア革命派は、かならず革命的行動をもって、この反革命修正主義分子の砂間に、手痛い打撃を加えなければならない。

 われわれはここで、われわれの親密な中国紅衛兵と、プロレタリア革命派が、積極的に今回の反修闘争に参加されんことを、熱烈に歓迎する。

 同時にわれわれは、日中両国の紅衛兵と、プロレタリア革命派が、不敗の毛沢東思想の偉大な赤旗のもと、ともに戦闘することを望むものである。

 宮本修正主義集団を打倒しよう!

 日修を打倒しよう!

 いっさいの反中国分子は中国から出ていけ!

 砂間をやっつけろ!

 プロレタリア文化大革命万歳!

 百戦百勝の毛沢東思想万歳!

 世界人民の心のなかの、もっとも赤い、もっとも赤い紅太陽、毛主席万歳!万歳!万々歳!
在北京日本紅衛兵

一九六七年七月二十日
連絡場所 友誼賓館二二三五号
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[367] 北京空港での集団的暴行について 投稿者:大阪の人 投稿日:01/10/30(Tue) 01:00
砂間、紺野両同士にたいする北京空港での集団的暴行について

1967年8月5日
日本共産党中央委員会
『今日の毛沢東路線と日本共産党』P386

紺野、高杉両特派員からの通信によって、日本共産党中央委員会砂間一良幹部会員候補と紺野純一「赤旗」特派員が、中国からの帰国にさいして、八月三日、四日の両日、北京空港で、数千の狂信的な中国人暴徒と日本人反党分子による、言語に絶する集団テロと暴行をうけたことがあきらかとなった。

すなわち、砂間、紺野両同志が北京を出発して朝鮮民主主義人民共和国へむかうことが予定されていた八月三日、数千名に達する中国人暴徒と日本人反党分子は、関係機関の庇護のもとに北京空港を占拠し、両同志をとらえて、三日、四日の二日間にわたって暴行のかぎりをつくした。両同志は、この暴行に屈せず、日本共藤党員としてのき然とした態度を堅持し、四日、ようやく北京を出発して朝鮮民間航空の飛行機で午後二時、平壌に到着したが、二日間にわたる集団的テロのために、両同志とも、全身にわたってつよい打撲傷をおい、横になることも歩くことも困難な状態にある。

事態のすべての経過からみて、わが党代表にたいする北京空港でのこの集団的テロ事件が、中国共産党関係機関関の支持のもとに組織され、実行されたものであることは明白である。しかも、この重大な暴行がおこなわれていたあいだ中、北京駐在の商業新聞の日本人記者が北京空港へ立入ることができなかったことなども、この許すべからぎる集団暴行事件が、中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子によって、きわめて計画的に準備されたものであることをしめしている。

アメリカ帝国主義およぴその共犯者である日本独占資本の支配に反対して日本人民の先頭にたってたたかっている日本共産党の代表にたいして、こともあろうに数千の暴徒を扇動し、組織して集団テロをくわえるなどといったことは、マルクス・レーニン主義の科学的精神とは縁もゆかりもない狂気の沙汰であり、わが党を敵としてたえず暴力的な攻撃をこととしている右翼暴力団トロツキスト反革命分子のやり方をさらに大規模に実行したものである。とくに、外国にあって自国の党と人民からはなれ、なんら自衛の手段ももたない、たった二人の同志にたいして、権力と集団の「威力」をもって乱暴狼藉をはたらき、暴力をふるうなどということが、国際共産主義運の歴史のうえでもまったく前例をみない卑劣きわまるテロ行為であることは明白である。これは、自分たちに盲従しない外国の共産主義者にたいして、肉体的暴力によって打撃をくわえようとする大国的排外主義の凶暴でみにくい姿をさらけだすとともに、かれらが国際的にその礼賛をおしつけようとしている「毛沢東思想」の実践や「プロレタリア文化大革命」なるものが、現実にどんな実態のものであるかを、みずから証明したものである。

わが党は、日本共産党中央委員会代表砂間一良同志と「赤旗」特派員紺野純一同志にたいする北京空港での集団暴行事件にたいして、中国共産党の極左日和見主義、大国主義指導部にもっとも厳重に抗議し、その責任を糾弾するものである。同時にまた、わが党は、中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子に寄食し、その手兵となって、わが党代表に暴力とテロをくわえた日本人反党分子の軽べつすべき所行をも、ここでつよく糾弾するものである。党と革命の事業を裏切ってわが党から追放され、いまなお、一部外国勢力の日本共産党攻撃の道具としてその恥ずべき役割をはたしている対外盲従の事大主義的ごろつきたちの犯罪行為を、日本人民はけっして許さないであろう。



砂間一良同志は、中国共産党中央委員会の招待により、わが党中央委員会を代表して、中国に駐在していた同志であり、紺野純一同志は、「人民日報」編集部の招待により、「赤旗」特派員として、中国に駐在していた同志である。ところが、昨年来、この両同志にたいして、中国側関係機関の黙認と庇護のもとに、北京在住の日本人反党分子および一部中国人によって、さまざまな迫害がくわえられてきた。これらは、あきらかに、中国共産党の極左日和見主義大国主義分子の、わが党にたいする大国主義的攻撃の一翼をなすものであった。

昨年九月以来、反党分子や一部の中国人は、砂間同志の住居に侵入して日本共産党と砂間同志を罵倒する壁新聞をおいていったり、住居の壁などに「砂間は出ていけ」などと書いた壁新聞をはりめぐらすなど、一連の不法な攻撃をくりかえしてきた。砂間同志の住居は、中国側関係機関の厳重な管理と警備のもとで、当局の許可なしには外部の人間が勝手に出入りできない特別な地域にある。このことからみても、反党分子などのこれらの攻撃が、中国側関係機関の暗黙の支持か、あるいは長句説の指示のもとにおこなわれていることは、明瞭であった。

わが党は、日本共産党中央委員会の代表にたいするこのような迫害について、本年二月および三月に砂間同志をつうじて中国側関係機関に再三抗議した。しかし、わが党のたびかさなるこの厳重な抗議にもかかわらず、砂間同志にたいする中国側関係機関の迫害的態度はすこしも改善されず、かえって強化され、とくに、砂間同志が、朝鮮労働党中央委員会の招待による朝鮮訪問をおえて五月十八日に帰任して以後は、いっそう非常識なものとなった。すなわち、砂間同志が帰任してみると、それまで砂間同志につけられていた炊事員は住居から姿を消しており、それ以後は、毎日の食事さえ十分に保障しないなどの不当な処遇のもとにおかれるようになった。さらに、七月にはいってからは、砂間同志の住居の玄関、窓ガラス、壁などに、「砂間は出ていけ」「革命的行動をもって壊滅的打撃をあたえる」などと書いた壁新聞がふたたびすき間なくはりめぐらされ、連日、多数の暴徒が住居をとりかこんで、砂間同志を脅迫しはじめた。また同じ内容の壁新聞やスローガンが、北京市内各所に大々的にはりだされた。中国側関係機関は、こうした状態を放置をしただけでなく、この問、砂間同窓の指示によってその住居を訪問した紺野同志にたいし、入門を拒絶、砂間同志との面会を拒否するという暴挙に出るまでにいたった。

中国共産党の関係機関によるわが党の代表にたいする許すべからざる侮辱的なとりあつかいが公然とおこなわれ、不当な迫害によって砂間、紺野両同志の任務の遂行が不可能となるような事態までつくりだきれた以上、わが党が、中国共産党の極左日和見主義、大国主義的指導部に断固とし厳重に抗議すると同時に、両同志に、ただちに帰国することを指示したのは当然である。

ところが、中国共産党の関係機関は、砂間、紺野両同志が、この指示にもとづいて帰国の手続きをおこなおうとすると、さまざまなこどもだましの口実をもうけて十数日にわたって妨害しつづけた。これに呼応して発表された「在北京日本人反帝反修連絡会議」なるものの「声明」は、砂間、紺野両同志にたいし「スパイ活動」をおこなったなどのあらたな笑うべき中傷をくわえたうえ、両同士の帰国について、「われわれ北京在住のすべての革命的な日本人は、中国人民とともに、革命的な人民にもっともふさわしい方法で、砂間と紺野を盛大に”歓送”し、この二人を中国からたたきだすであろう」と、両同志にたいする襲撃を「予告」していた。

こうした帰国妨害のあげく、中国共産党の対外連絡部は、七月三十一日、不法にも、両同志にたいして「退去命令」なるものを通告するにいたった。両同志は断固とした態度で中国側の不当な扱いに抗議した。中国共産党の極左日和見主義分子は、不法きわまる迫害によって両同志が帰国せざるをえない状態をつくりあげておきながら、不当な迫害にたいするわが党の抗議を認めるわけにはいかないため、その帰国にさいして、両同志をなんの根拠もなく中国人民にたいする敵対分子であるかのようにとりあつかってその「退去」を命じるという暴挙に出たのである。これは、わが党にたいするあらたな許しがたい大国主義的攻撃であった。そしていっそう重大なことは、この「退去命令」なるものが、事実上、一部の狂信的暴徒を扇動して組織した両同志にたいする北京空港での襲撃や暴行を合理化する口実であったことである。

このように今回の北京空港での下劣な集団テロ事件は、中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子によって昨年来系統的にすすめられてきた、両同志にたいする不当な迫害と攻撃の策謀の頂点として、計画的に組織されたものである。



砂間、紺野両同志にたいして北京空港でくわえられた凶悪で卑劣な暴力行為は、昨年来、わが党にたいして不当な干渉と攻撃をおこなってきた中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子が、マルクス・レーニン主義の原則をもプロレタリア国際主義をもふみにじり、トロツキストなどとなんらえらぶところのない国際共産主義運動のかく乱者、破壊者としての恥ずべき道にますます深くおちこんでいきつつあることをしめすものである。かれらが、わが党の正義の主張にこたえるのに、卑劣な悪罵と中傷、テロと暴力にもっぱら訴えてきていることは、かれらの立場の理論的、思想的な低劣さ、無力さを、みずから告白したものにほかならない。

日本共産党中央委員会は、砂間、紺野両同志にたいする今回の集団テロ事件について、中国共産党の中国共産党の極左日和見主義、大国主義指導部の責任をかさねて厳重に糾弾するとともに、わが党にたいする中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子からのこれらいっさいの卑劣な攻撃にたいして、これを断固として粉砕するためにたたかうものである。

[368] 在北京造反団のいいわけ 投稿者:大阪の人 投稿日:01/10/30(Tue) 01:01
「週刊日本と中国」紙
復刊第87号
1967年8月21日

日共修正主義分子砂間、紺野の北京退去の真相

怒りのスローガンに震え上がる
 摘発されたスパイ行為の証拠品

【CNS=東京】在中国毛沢東思想日本人造反団政治部は6日、北京駐在の砂間一良日本共産党中央委「幹部会委員候補」と紺野純一「赤旗特派員」が四日に北京を「引揚げた」際の醜態ぶりを伝えるとともに、かくし持った在中国革命的日本人のブラックリスト、文化大革命の資料、未届けの日本円、中国人民券などが発見され、中国側に没収されたことなど不法行為を働いた事実を明らかにして次のように報じてきた。

八月三日、反革命修正主義分子砂間一良、紺野純一が朝鮮経由で日本に逃げかえることをきいた在北京の革命的日本人同士は、日本人民と世界人民を敵に売り渡した裏切り者、宮本一派に対する燃えるような怒りと憎しみをもって続々と北京飛行場につめかけた。飛行場のすべての階段とロビーは日本語と中国語の「宮本修正主義を打倒せよ」「毛沢東思想の勝利万歳」等のスローガン、プラカードでうずめられた。2年間にわたって宮本の忠実な犬として北京で反中国、反毛沢東思想、スパイ分裂活動、在北京日本人左派に対する迫害等、悪事の限りを働いてきてた砂間、紺野は、飛行場について自動車を降りるや否や、「裏切り者砂間、紺野は中国から出てゆけ」「無敵の毛沢東思想万歳」等の嵐のような大衆の叫びを前にして顔色を失い、震えおののいた。彼ら二人が税関を通り、中央ロビーにくると、日本人同志と居あわせた中国の人ひとの怒りと憎しみは爆発し、人びとはつぎつぎと立ちあがって、宮本、砂間、紺野の許しがたい裏切り、反革命、スパイ活動を暴露した。

ある人は、砂間がわれわれの偉大な指導者毛主席を侮辱して「『棺をおおって人定まる』ということわざがあるが、毛沢東はまだ死んでないから正しいかどうかわからぬ」とか「毛沢東思想の無謬性を信じたとたんにマルクス・レーニン主義でなくなる」とか言ったことを暴露した。またある人は砂間が毛主席の哲学思想を侮辱して「実践論、矛盾論は通俗的であるが、厳密ではない」とか「一つのものが二つになるというのは片面的である。中共は、この論理をつかって他国の党を分裂させている」とののしったことを暴露した。

また、他の人は、砂間が昨年北京で開かれたAA作家会議を混乱させ、分裂させるために様々な陰謀活動を働いたこと、偉大な中国のプロレタリア文化大革命をののしり、スパイしたこと、ベトナム人民の抗米救国闘争を「鉄砲や機関銃でアメリカのジェット機を落とすことはできない。ソ連のミサイルがなければ勝てない」と侮辱したことなど山のような罪悪を暴露した。また砂間自身が一九五三年に当時の日本反動派に「政治活動は一切やらない」と頭をさげて監獄を出た札つきの裏切り者であることを暴露した。

こうして、宮本の手先、砂間の反革命修正主義者としての恥ずべきみにくい姿は、白日の下にさらされ、大衆は宮本一派に対するにくしみを新たにし、「日共修正主義打倒」「砂間、紺野でていけ」などのスローガンの叫びと革命の歌声はロビーをゆるがし、飛行場にこだました。砂間と紺野は大衆の詰問に何一つ答えることができず、ただ恐れうろたえるばかりであった。なお、この間に砂間の上衣からひすいの指輪が三個ころがりでた。彼らが、偉大な世界革命の中心中国の首都をはなれるようにこのようなものを後生大事に買い込んで持ち帰ろうとするあさましいくさりはてたやつらであることが、はしなくも暴露された。二時にとびたつ予定の朝鮮機が、突然飛ばないといいだしたので、やむなく砂間と紺野を飛行場の外人接待所に移し、人びとは開放した。その時、紺野が就寝の時、ズボンの下にさらに半ズボンをはいており、そのポケットにあやしげなものが入っているのがわかり、ついていた日本人紅衛兵が、もしや凶器でもと思ってだして見せるよう要求した。でてきたものは中国の文化大革命を写したフイルム四枚、北京在住日本人で宮本修正主義に反対して闘った同志たちのブラックリスト、七月十七日、宮本から帰国を命ぜられて後の日記、日本円二万円、中国円百四十六円だった。これらのものはすべて中国の税関の目をくらまして持ち去ろうとしたものである。このニュースをきいた日本人同志は、紺野のこのような許すべからざる犯罪行為を追求(ママ)することなしに絶対に帰すことはできないので、彼に一つひとつ詰問した。

日本円二万円については、「日本をでる時に登記せずにもってきたから、帰る時にも登記せずに持ち帰ろうと思った」と抗弁したが、皆の追求(ママ)の前についに「中国の税金をたぶらかす違法行為である」ことを認めた。

ブラックリストについては、「宮本に報告するためだ」と公然といい、革命同士を敵に売り渡す憎むべき目的をもっていたことを自白した。

大字報を写したフィルム四枚については、中国の文化大革命の資料は国外にもちだせないことを知っているくせに、最初は「一月頃のものだからかまわないと思った」としらばくれ、誰といっしょに写したかということについては「その人の名はいえない」と回答を拒否して、人にはいえないぐらいスパイ活動をしていたことを自ら暴露した。今年の一月、二月に紺野は何をしていたか? 彼は毎日北京駐在のブル新記者とグルになって町にでかけて大字報を写し、紅衛兵の新聞を大量に買い込み、ある時には変装して中国人に化けてスパイ活動をやっていたのである。元砂間の秘書国谷同士が、彼の目の前でこれらの鉄の事実をつきつけると、紺野は大粒の油汗(ママ)を流してふるえおののいた。「買い込んだ新聞をどこにやったか」という追求(ママ)に対してはしどろもどろになり、「水洗便所に流した」などと全く答えることができなかった。なお、税関検査の時には、スパイ活動をやったフィルム十四本が発見され、没収された。

彼の日記には毎日の行動を書いていたが、その中には人民日報の当局者から退去を命ぜられた時に、彼はうろたえて「はい、はい」とそれを受けいれたくせに、日記には中国側にいろいろ抗議を行ったように書かれていた。このことは、かれが、自分を反中国の闘志にしたてあげて、宮本に売り込もうといかにきゅうきゅうとしているかを示すものであることが明らかになった。また、ソ連大使館、その他修正主義の諸国の大使館員、記者などと密接に接触していた材料を摘発された。

紺野を追求(ママ)した日本人同志は、最後に厳重な抗議と警告を発して彼を寝かせた。

翌四日朝、中国側税関当局は、前日の紺野の違法行為を追求(ママ)し、砂間の荷物も再検査するために接待所にきて、紺野の上記のものについては「没収」を宣告した。砂間の荷物の中からは、北京在住の革命的日本人同志全員の詳細なぶ厚い経歴書がでてきて、これも没収された。

十時の出発を前にして、北京在住の革命的日本人同志は、男も女も、年よりも子供も、激しい怒りにもえて、飛行場に続々と集ってきた。接待所から砂間と紺野がでてくると、人びとは手に毛主席語録を高だかと掲げ、力いっぱいにスローガンを叫び、日本人同志のかたい団結と毛沢東思想の旗のもとに宮本一派と最後まで闘いぬく決意をしめした。

この大衆の革命行動の嵐の前にふるえあがった砂間、紺野は、日本人紅衛兵に「犬ころ、はってあるけ」といわれると飛行場のなかを四つんばいになってはい歩くという醜態をさらけだして、朝鮮の飛行機にたどりつき、首をうなだれてタラップを上っていった。彼らは「砂間、紺野でていけ!」の怒号のなかを平壌にむかって逃げ去っていった。

もともと、宮本、砂間、紺野のような革命を裏切り、人民に反抗する虫けらに対しては、彼らを地べたにたたきふせ、足でふみつけ体を八つ裂きにしてもあきたらない。これが革命の道理であり、革命人民の当然の権利である。日本人同志の今回の「歓送」はまだ寛大すぎるほどの寛大なものである。彼らは必ず米日反動と一緒に、日本人民の革命の嵐の中で本当に八つ裂きにされて粉砕されるだろう。

(本記事は中国通信社のCNSニュース掲載記事を原文のまま転載しました)

[369] 中国共産党文革分派のいいわけ 投稿者:大阪の人 投稿日:01/10/30(Tue) 01:03
「週刊日本と中国」
復刊87号
1967年8月21日

日共修正主義集団のデマに反バク
人民日報評論員の論評

【北京放送六日=CNS】
六日付けの「人民日報」は、日共の砂間一良、紺野純一が北京を去るにあたっての評論員論評をのせ日共修正主義集団の西沢富夫がまきちらした「中共の迫害」なるものに反ばくして、つぎのようにのべた。

恥ずべきデマ流す

日本共産党宮本修正主義集団は最近、ブルジョア報道界の記者に談話を発表し、中国駐在の日本共産党代表砂間一良と「赤旗」の北京駐在記者紺野純一を呼び戻すことを宣言し、また、中国側がさまざまな手段をとって砂間と紺野に対し、「圧力を強化し」、「迫害」を行っていると恥しらずにもデマをとばしている。これは彼らが、米帝国主義、ソ連修正主義と佐藤反動政府に忠実に呼応して、計画的につくりだしたいま一つの反中国事件である。

反中国の本性暴露

われわれは宮本修正主義集団と一部の下心をもつ者が、砂間一良の中国駐在の問題で中国反対の挙にでることを早くから予想していた。彼らの反中国の醜悪な本性を十分にあばき出し彼らにこの問題で反中国の口実を与えないようにし、日本人民が宮本集団の反革命修正主義の姿をはっきりとみてとれるようにするため、われわれは砂間を追放する措置をとらなかった。砂間と紺野は中国で反中国の活動を行っていたが、われわれは相変わらず、彼らに中国に駐在する客としての待遇を与えてきた。

砂間が中国に駐在している問題で、下心のある一部の者は、いわゆる「左」の姿であらわれなぜ砂間を追い出さないのかとわが党を攻撃した。彼らは、われわれに挑発をかけ、これによって宮本集団の反中国の資本を作ろうと企んだ。われわれは彼らの下心を見破り、相手にしなかった。われわれは宮本集団に活躍させ、彼らが一体この問題でどんな悪だくみをするかみていた。

あわれな鼓笛手

いま、宮本集団は果たせるかな砂間と紺野を呼び返し、これを反中国の一枚の切りふだとして持ちだし、またもやすべての反中国の英雄たちと統一行動をとり、米帝国主義、ソ連修正主義および日本反動派のおほめにあずかろうとしている。

日共修正主義指導集団がこの中国反対の事件をつくりだしたのは決して偶然のことではない。彼らは長期にわたって米帝国主義、ソ連修正主義および各国反動派の反中国の大合唱のあわれむべき鼓笛手としての役割りを荷なってきた。日共修正主義の新聞、雑誌は相ついでやたらと多くの反中国の文章を発表している、宮本と野坂は自ら陣頭にたって中国反対の演説を大いにぶっている。彼らは中国共産党と中国人民をあくどく中傷し攻撃しており、中国人民の偉大な指導者毛主席を中傷、攻撃し、偉大な毛沢東思想を中傷、攻撃し中国のプロレタリア文化大革命を中傷、攻撃している。

帝国主義に反対するには必ず修正主義に反対しなければならない。中国に反対すれば必然的に米帝国主義に降伏することになる。これは現代の国際政治生活の中における数限りない事実によって実証された、くつがえすことのできない真理である。米帝国主義に反対しようとするならば、米帝国主義に奉仕するソ連修正主義集団に反対しないわけにはいかない。毛沢東思想の偉大な赤旗を高く掲げて世界を断固支持している(ママ)社会主義中国に反対する者は、必然的に米帝国主義とその共犯者であるソ連修正主義に降伏することになる。宮本集団のここ数年来の変化は、この真理を再び実証している。

口先だけの反米

宮本集団は口を開けば、米帝国主義に反対するなどといっているが、ではなぜ、君たちはソ連修正主義とぐるになって国際舞台と日本国内で革命的な人民の反米闘争を破壊しているのか。また、君たちはなぜ、米帝国主義の第一番の共犯者-ソ連修正主義指導集団を反米勢力などと極力まつりあげているのか。ひとことでいえば、君たちは米帝国主義を恐れ、ソ連修正主義を恐れ、戦争を恐れ、革命を恐れているのである。君たちのいう反米は偽りのものであり、実際はソ連修正主義が米帝国主義に幸福するのを擁護し、またこれによって、君たちが米帝国主義に降伏するのを擁護するためのものである。

偽りの「統一行動」

宮本集団は口を開けば、帝国主義に反対するベトナム人民を支持する「統一行動」なるものを進めなければならないといっているが、ではなぜ、君たちは米帝国主義に断固反対し、全力をあげてベトナム人民の抗米救国戦争を支持している社会主義中国を気違いのように攻撃するのか。米帝国主義が中国に反対しており、ソ連修正主義も中国に反対しており、佐藤政府も中国に反対しており、インドネシア、ビルマなどの反動派が中国に反対ししているが君たちの中国反対と彼らの中国反対とどこに違いがあるのか、何も違いはない。宮本集団と彼らは同じ穴のむじなにすぎない。宮本集団の鼓舞するいわゆる「統一行動」とは、国際上のすべての妖怪変化と連合しての反中国・反共・反人民・反革命の「統一行動」にほかならない。

彼らこそ事大主義

宮本集団は口を開けば、「自主独立」だとか、「事大主義」反対などといっている。それはなぜ君たちはソ連修正主義指導集団を大ぴらに支持し、彼らに調子をあわせているのか。なぜ君たちのとっている路線は、ソ連修正主義が押し進めている例の「平和移行」の「議会主義の道」と同じなのか。君たちが中国共産党を攻撃し、侮辱する時の言い草は、なぜソ連修正主義をそっくり同じのなのか(ママ)。これは一体何という「自主独立」であるのか。君たちこそまぎれもない事大主義者である。君たちが「事」としているのは、ソ連修正主義の「大」であり、君たちの本部は、ソ連修正主義の日本における分家にすぎないのである。

愚劣な「押しつけ」論

宮本集団は口を開けば、中国のいわゆる「大国主義」に反対するとか、中国共産党は自分の路線を人に押しつけようとしているなどといっている。これは全くのお笑い草である。君たちがどんな代物かということを一体われわれが知らないとでもいうのか。われわれがマルクス・レーニン主義を君たち修正主義者一味に押しつけるなどということが考えられるか。実際には君たちがあの手、この手を使ってこの修正主義の観点に同意することをわれわれに強要し、君たちと一緒にソ連修正主義といわゆる「統一行動」をとるようくり返しわれわれに要求したのである。われわれは、マルクス・レーニン主義の原則的な立場を堅持し、君たちのこうした一揃いの修正主義の代物に反対しているが、このことがなんで「押しつけ」などと言えるのかこのことが「大国主義」だなどといえるのか。自分の修正主義を人に押し付けようとしてこの目的で達せられない物(ママ)だけが、中国共産党のこうしたマルクス・レーニン主義の立場に対して「人に押し付ける」「大国主義」だなどと中傷する。

革命的伝統裏切る

宮本集団が口を開けば、日本共産党が日本帝国主義の中国侵略に反対した「伝統」を「受け継ぎ、発展させる」などといっている。

日本共産党は確かに、日本帝国主義の中国侵略に反対した輝かしい伝統も持っているし、また日本帝国主義の反中国の手助けはしなかったという伝統を持っている。しかし、いま、君たちは共産党の旗を「かちとって」佐藤政府の反中国の隊列に加わっているが、これこそ一つの新しい「創作」である。君たちは日本共産党の国際主義の革命的伝統を裏切り、日本軍国主義の反中国の伝統を受け継いでいる。

宮本集団が中国反対に狂奔していることは、まったく日本の広はんな人民の意志と願いにそむいている。彼らは米帝国主義ソ連修正主義、佐藤政府の反中国の兵卒を勤めるのに甘んじ、日本人民の革命事業を徹底的に裏切った。こうして彼らは、現代の新しい労働貴族の中の行列にころがりこんでいった。

いま、日本の真のマルクス、レーニン主義、毛沢東思想の革命勢力は、つねに宮本集団に対し大いに反逆をしはじめた。この革命勢力はいま急速に大きなものへと発展している。ここに日本民族の偉大な希望がかけられている。

われわれの偉大な指導者毛主席は次のようにいっている「中国人民は、日本人民がきっと米帝国主義を自分の国から追いだすことができるに違いない。独立、民主、平和、中立を求める日本人民の願いは、きっと実現することができると深く信じている」

中日両国人民の偉大な歴史の流れは、中日両国のマルクス・レーニン主義者間の革命的戦闘的友誼は、どのような力も破壊することはできない。中日両国人民は、帝国主義に反対し、現代修正主義に反対し、各国の反動派に反対する偉大な闘争の中で、いっそう固く団結し、勝利のうちに前進するであろう。

[370] 98年の会談の前の懇談にて 投稿者:大阪の人 投稿日:01/10/30(Tue) 01:04
二、朱達成中央対外連絡部秘書長との懇談の記録から

一月二十一日一九九八年一月、中国共産党中央対外連絡部から、同部の朱達成秘書長が一月中旬に日本を訪問するので、そのさい、日本共産党の国際部を表敬訪問したい、と申し入れてきました。日本側はそれを受け入れ、一月二十日、朱秘書長らの一行が日本共産党本部を訪問しました。その時、日本共産党の西口光国際部長と朱達成秘書長とのあいだで、党関係の正常化をめぐる最初の話し合いがおこなわれました。

私は、その話し合いの報告をうけて、この問題を解決するためには、三十二年前の両党首脳会談以来の当事者である私自身が、わが党の立場と考えをよりたちいった形で中国側に説明し、中国共産党の指導部に伝えてもらう必要があると思い、翌二十一日に、朱秘書長一行を夕食に招待し、その前に若干の話し合いの機会をもつことを提案することにしました。

相手側か、この提案をうけいれ、実現したのが、一月二十一日夕刻のこの懇談でした。この席で、私が話し、中国の党指導部に伝達することを求めたのは、次の内容です。

不破 あらためて歓迎のごあいさつをします。

朱 お忙しいなか、会見していただいて感謝します。

不破 考えてみると、あなたがたは中国共産党代表として日本共産党本部を歴史上初めて訪問された方々です。以前、両党が友好的な関係にあった当時は、大使館がなかったし、大衆団体の線で交流があっても、党の線では交流できませんでした。一九六四年の第九回党大会に招待しましたが、日本政府がそれを許可せず、空の招待になりました。だからどう考えても、あなたがたが日本共産党本部を訪問したのが最初で、きのうは記念すべき日でした。その記念すべき代表団を迎えながらお会いしないのはおかしいということで、急遽時間をとってもらったわけです。

朱 私たちにとっては光栄なことです。きのう西口部長にも申しましたように、今回の訪日で日本共産党本部を表敬訪問したいと考えていましたが、不破委員長までお会いくださって恐縮します。

毎年はじめ、中連部アジア二局は、とくに日本を担当している者がお国を訪問し、各党とこの一年の交流について意見交換します。こういうことでわが国と各政党との間で今年一年の、双方にとって有益な交流計画を立てます。

貴党とは昨年から非公式接触が始まっているというべきですが、昨年十一月、北京で日本共産党の東京都議の木村さんたちとお会いしました。また今年一月五日には、私たちは委員長の重要なあいさつを読みました。したがって今回、東京に来て、貴党の本部を訪問しないと失礼になると考えていました。だから、西口部長への表敬訪問をおこないました。

昨日は友好的な話し合いができたと思います。

きょうはお忙しいなかを、時間を割いて会見に応じてくださったことに感謝します。私たちの貴党にたいする友好的感情と委員長への敬意を表明したいと思います。両党関係について委員長のご意見をお聞きしたい。帰ってから中連部、党中央に伝えます。

不破 わかりました。

本題に入る前に、あなたがたの仕事のやり方に注文をつけるわけではありませんが、一月の日本訪問は具合がよくないかもしれません。政党の数が増える時期です(笑い)。三月には減るでしょう。一月十一日のNHKテレビ討論会の時点では十六党でした。放送局が、こんなにたくさん政党があるということを見せたかったので、国会開会前日に討論会を計画したということです。あと一月ぐらいたつと六つぐらいに固まるようです。ですから一月に計画を作っても、一年ももたないですよ(笑い)。これは本題ではありませんけれど。

いま朱達成さんが去年からのいろいろな動きを話されました。率直に言って、私たちの側も、あなたがたの側でどんなことが進んでいるかを注目してきました。

一つは、ありのまま言いますが、七月に都議選があり、その結果にかんする報道の仕方が変わりました。八月に「朝日新開」の取材を受けたのですが、そのさい、日中国交回復二十五周年の取材で北京に行った記者が張香山さんに会ったといって、彼がいろいろ両党関係について語っていたことを開きました。それから十一月に、木村都議と松村都議が都議会代表団の構成員として北京を訪問したとき、あなたがたが彼ら二人を招いてメッセージを託されました。その内容を私たちは二人が帰ってからすぐに聞きました。

こういうあなたがたのメッセージにどう対応するかを検討しました。私たちは中国に活動の足場がありませんから、「しんぶん赤旗」の支局開設を提起したのです。「赤旗」は新聞で、本業は報道ですが、こういう形でわが党の党員が北京に常駐していると、何かあれば話し合いが可能だし、接触の機会が広がるだろうと思って提起しました。

これを受け入れていただいたわけですが、そのあと「人民日報」で、あなたがたの戴けい国部長のインタビューを読みました。

まだ直接に話し合いをする機会はなかったので、あなたがたの考え方まではわかりませんでしたが、こうした流れの中であなたがたの気持ちはわかったので、一月五日、「党旗びらき」のあいさつで、あのような発言をしたのです。

われわれ両党は、一九八五年に一度会談をやりましたが、その時は事前にこうした事実上の会話、接触はありませんでした。それで双方の意図が十分伝わらなかったこともあったでしょう
し、また、いろいろな環境が整わなかったこともあったでしょう。

今回の場合は、あなたがたの側の流れに、私たちの考えにより通じるものがあったので、「党旗びらき」のあいさつでは、あなたがたの党が、わが党との関係の問題について、過去にかんしても、現在と将来にかんしても、問題をより真剣に、本質的にみているという印象をもっている、と語りました。

ご承知だとは思いますが、わが党は、旧ソ連共産党とも同じような問題があり、解決はしたのですが、最初の合意から最後の合意まで十二年かかりました。当時、ソ連共産党には最初から裏があるというか、外交的駆け引きがあって、その十二年間、気持ちの良い会談はやったことがありませんでした。

しかし、あなたがたの今回の態度にはそういうものは感じません。それとは質の違った真剣さがあると感じています。私自身が北京を最後に訪問してから、三十二年になります。

例の問題、劉少奇、とう小平から周恩来へ、さらに毛沢東へとつながった一連の会談のときです。当時は、会談に参加した人たちの中で私が一番若かった。きょう皆さんとお会いしているここでは、私がもっとも年上です。それだけ年月が経ったということです。

中国側の当事者の多くは亡〈なりました。日本の側でも亡〈なったっ、引退したりして、会談参加者のうちまだ現職で働いているのは、私を含めて三人だけです。

 朱 私たちの表現では、中国の指導部はすでに三世代変わったと言っています。現在は、江沢民さんを中心に指導部が構成されています。

不破 それだけに、両党関係の問題を解決することは、私にとって特別な責任があると感じています。

両党関係のありかたについては、対外的な原則の立て方、表現の仕方はいろいろありますが、具体的な表現の細かいところまで一致する必要はありません。認識が一致すればよいのです。ただ、過去の経験からいって、内部問題不干渉の原則は非常に大切であり、干渉の問題についてほ、きちんと解決する必要があります。この点がしっかりすれば、関係を改善し、一致する問題で力を合わせることもできるし、両国民の友好の重要なきずなの一つにもなりうるし、アジアの平和と安全にも貢献できます。そういう点でも大切だと思います。

そのためにも、あらためて私たちの考えをこの機会にのべ、また、あなたがたの理解を深めてもらえればと思い、以下、発言したい。

一九八五年に会談をやり、その後、手紙のやりとりもあったわけですが、きのう西口部長ものべたように、私たちは二つの問題を重視しています。それは、今後の両党関係をしっかりした安定的な基盤のうえに確立するために、不可欠です。問題は、内部問題不干渉の原則を言葉だけのことにするのか、それとも実際に真剣な原則にするのかと、いうことです。

なぜわが党はこれを重視し、そう位置づけているのかということにかんし、一九六六年以来のことをお話しさせていただきたい。

あなたも言われたように、わが党でも中国共産党でも世代が変わりました。今は、中国側では、当時の政治に関係がなかった人たちが、中心をになっています。あなた自身、一九六六年当時、若かったわけで、そういう人たちが活動していることは分かっています。このことは、良い面と足りない面があります。

良い面は、そういう世代だからこそ、過去の歴史の問題を客観的に見られるということです。足りない面は、自分が直接かかわってきたわけではないために、事実の問題の認識が異なりやすいということです。

これから話すことは、われわれが非難をむしかえすということではありません。双方が歴史の問題に真摯に正確に対処するために話すのです。

昨日のあなたの話の内容を聞きましたが、あなたがたは、中国側の誤りとして、中国の観点、方針を日本共産党に押し付けようとしたこと、その極端な話として、北京空港での事件をあげました。

しかし、率直に言って、当時の中心問題はそこにあったのではありません。たとえば、中国共産党とわが党の会談で、毛沢東が自分の観点を押し付けようとしたということは、それが間違っ

ていようと正しかろうと、二つの党の会談ではありうることです。北京空港事件も、それ自体は大変な事件でしたが、あれだけにとどまっていたら、それほど深刻な事態にはならなかったでしょう。

問題は、中国共産党が、あの大変異常な時期に、「日本共産党指導部を打倒する」という方針を出し、それを現実に実行したことです。その実行の舞台となったのが日本の社会であり、日本の党の内部だったことです。その時、政党の戦線、文化の戦線、貿易の戦線のすべてに、日本共産党打倒の方針が持ち込まれました。「四つの敵」論は、日本政府、アメリカ帝国主義、ソ連修正主義、日本共産党を指しますが、日本共産党以外の三つと中国とのあいだでは、その後閑係改善が進んだり、「敵」ではなくなったりして、わが党だけが残りました。中国と日本の国民の間には、戦後、とくに革命成功後、いろいろな分野で友好と交流の綱の目が双方の努力でつくられてきました。その友好と交流の網の目が、一夜にして日本共産党打倒の舞台に変えられたのです。

私たちが問題にしている日本共産党反対の分裂組織も、「日本共産党を打倒して自分たちが新しい党をつくれ」という中国側のシナリオと号令で、つくられました。これは、はっきり言って、一つの政治的、社会的戦争でした。わが党の党員で、当時、息子さんや娘さんが留学などで中国にいたりしたため、対立したまま家族が別れ別れになり、三十年間、親子の関係を断絶している同志も少なくありません。

 わが党は、ソ連からもひどい干渉を受けましたが、中国からの干渉は、それよりはるかに深刻でした。ソ連は日本にとっては遠い国で、それほど社会的に深い関係はありませんでしたが、中国は近い国で、国民のあいだでも深い友好と交流がありました。そのパイプが一夜のうちに敵対と攻撃の手段に変わったのですから、その深刻さはソ連の場合の比ではありませんでした。

私たちは、これを、わが党の死活にかかわる問題ととらえ、がんばり、陣地を守ることに成功しました。しかし、受けた傷も大きかった。あの事件が起こるまで、私たちに連帯していた人たちの中には、中国側の干渉できずなが切れ、いまだに日本の平和・民主運動の中で立場を失っている人びとが数多くいます。

おそらく世界の共産党の歴史でも、政権党から、資本主義国で活動している党に加えられた攻撃としては、空前絶後のことでした。ここに両党関係の不正常さの最大の原因があります。一九六六年の会談の決裂とか、一九六七年の北京空港事件もありましたが、それで終わったわけでなく、七〇年代までそういうことが大規模に繰り返されてきました。こういうことは、中国共産党と欧州諸国の共産党とのあいだでは、ありませんでした。

私たちは、この問題で非難をむしかえしているのではありませんし、あなたがたに謝罪してくれと言っているのでもありません。

われわれ両党は、これから、「相互内部問題不干渉」の原則にもとづいて党関係を持っていこうというのに、あれだけ明白な干渉があったにもかかわらず、それを干渉と認められないなら、「不干渉」というのは一体なんだとい、つことになります。私たちは、謝罪てはなく、その認識を求めているのです。

当時つくられた反日本共産党の分裂組織の問題も同じことで、日本労働党はその代表的なものです。これは小さな組織でしかありませんが、当時、「日本共産党を打倒せよ」という中国側の号令にもとづいて生まれた党です。あなたがたは、その不正常な時期を乗り越えた、方針は変わったといいますが、この組織の方は、当時この方針を頭に植え付けられ、三十年後のいまもそれにもとづいて活動し続けています。一九八五年の会談のときは、あなたがたの代表団が、こういう組織との関係を断たないと言ったので、これが最大の障害となりました。

昨日の話し合いで、あなたがたは、いま日本労働党と関係を持っていないし、今後も持たないと言われたことを、私はうれしく思います。これは国の次元の話ではありませんが、たとえて言えば中国と台湾との関係に似ています(ここで中国側出席者は苦笑)。あなたがたは、外国がどんな外交方針をもってもよいが、台湾と公式な関係を持つことには反対でしょう。私たちの方は、中国共産党が、自民党であれ他の政党であれ、どんな政党と公式な関係をもっても何も言いませんが、不干渉の原則を空文句に終わらせるような無原則的なことはやりたくありません。

ですから重ねて言いますが、過去におこなわれたことが内部問題不干渉の原則に反する干渉であったという事実について双方が一致した認識をもつこと、日本労働党のような、干渉の時期に生まれた日本共産党反対の組織と今後関係をもたないこと、私たちが関係正常化にあたって求めているのは、この二つだけです。

このことを言ったのは、後ろ向きではな〈、これから先、両党関係を前向きに安定的に発展させたいという希望からであり、ご理解いただきたいと思います。

問題を解決して両党関係を正常化することは、もう三十二年も経っているのですから、早ければ早いほどよい。最初にのべたように、昨年来のあなたがたの対応を見、また、昨日のあなたの発言を聞いて、それは可能だと思います。

そして解決できたら、その先の問題として、両党の首脳がいつどのような形で合って、前向きに現在と将来のことをどうするか、話し合うこともできます。

しかし、あのような経過があっただけに、あいまいな解決、決着は、将来に禍根を残すと思います。

三十二年前の訪問のときは、電話は通じないし、連絡をとるのは電報であり、しかも、数字を使っての暗号めいた電報しか、打てませんでした。ですから、わが党代表団は、本国とは二力月間、連絡がとれませんでした。今は、非公式ですが双方が電話で直接話もできます。また、「しんぶん赤旗」の北京支局ができれば、互いのやりとりに、必要ならこの支局も活用できます。

私たちの真意を理解していただき、こうした私たちの考えや立場を、帰国したら党の指導部にお伝え下さい。

私たちは、関係正常化のために問題を提起していますが、あなたがたが乗り越えやすいように敷居をうんと低くしているつもりです。これ以上低くすると地面にめり込んでしまいます(笑い)。私たちは、”頑固派”です。あなたがたが、どうしてもこの敷居を乗り越えられない、認められないというなら、当分私たちは、「しんぶん赤旗」の北京支局の活動だけでがまんし、北京からも中国共産党の動きをながめることにしましょう。しかし、もう流れがここまできているのに、そういうことだとあまり格好はよくないし、ほめられた話ではないと思います。

ですから予定外の私が飛び入りしてお話ししたわけで、私たちののべたことをぜひ検討してほしいと思います。時間がかかるなら、お待ちしましょう。

では、食欲を落とすような話はこれぐらいにして、席をうつしましょうか。

[362] 寺尾氏の変な本は全容公開を 投稿者:大阪の人 投稿日:01/10/24(Wed) 18:13
寺尾五郎作『日中不戦の思想』(亜東社)を入手しました。
ま、「トンデモ本」として、今ならさしずめ稀こう本コレクターには
格好の蒐集対象でありましょう。猛獣さんには、できれば全容を
そのまま公開されることを希望します。ついでに「林彪の作戦」もね。

また、本がどのように構成されているか、頁数も上げてみました。
猛獣さんの紹介は全体の俯瞰ができないのが不満なので、「序」と
目次を公開します。そのアンバランスな構成をとくとご覧ください。

それから寺尾氏がやっきになってとりあげた「4.29論文」なるものの
正式題名とそのかいつまんだ章題、現在入手しうる出典もあげました。
ちなみに、この「極左日和見主義者の中傷と挑発」はだいぶ中国党内でも
打撃だったようで(笑)”冗長で鼻持ちならないいわゆる<天長節論文>”
(「宮本修正主義グループはマ・レ主義の恥ずべき裏切者」1967年11月16日
人民日報 宏任達署名論文)というフレーズも探せばでてきました。

そうそう、この寺尾氏の本は、亜東社という今はない出版社からでています
が、「林彪の作戦」という姉妹作の本は、なんと徳間書店からでていました。
どちらも、表紙カバーが真っ赤っ赤と黒の2色写真で紅衛兵の様子、背表紙は
黒一色で白抜きの題字です。これは、人民日報の評論を載せた中国通信社から
でている本なんかも似た装丁なので、特に強調しておきます。本まで「赤」く
塗らなければ、文革政府の覚えめでたく当時はならなかったのか。OnePattern

それから、寺尾氏が宮本忠人氏の論のことも書いていますね。これは初出は
赤旗ですが、前衛275号にも出典があります。先頃(2001年夏)お亡くなりに
なりました小林栄三氏の「毛沢東きちがいの奇抜な妄想」という不朽の名論
文と同じ号です。小林氏は死の直前まで、戦前戦中の日本の教育が戦争賛美
一色で、いかに日本の古典文化をあやまり伝えたかという話を前衛に載せて
いました。

あと、キューバを裏切ったソ連、というのは、寺尾氏の「序」にありますが
そのキューバのカストロ氏は、中国と激しく当時対立していまして、その双方
の応酬が日本共産党中央委員会出版局刊の「世界政治資料」239号などに掲載
されています。つまり寺尾氏の言い方ならば、もっと毛沢東思想と文革になび
いてもいいはずのカストロ氏が、むしろ当時毛沢東文革指導部と対立していた、
という事であります。小国はこの場合カストロキューバでありまして、大国は
この場合中国でありまして、これを見殺しにした、あれこれ理由つけて援助を
引き上げた、という糾弾の内容でした。ソ連が中国にした援助引き上げは中国
も似たことをキューバーにして”キューバ封じ込めに手を貸した米帝の手先”
ということになりますわな。己の欲せざる事を人に施すことなかれ。ただし
カストロ氏は、毛沢東文革指導部のように、無茶な「反中国統一戦線」とかは
主張されてない、少なくとも文革中国よりキューバ党政府の方が理性的だなと
感じましたね。

【全体の構成】
002〜133 善隣学生会館事件の話 (ここだけ猛獣文士氏は取り上げている)
136〜376 日本共産党がなぜ?という話 (共産党への中傷ばかり)
378〜418 文化大革命の話 (文革をホメている)

【「4.27」論文とは】
評論員名でだされた、「極左日和見主義者の中傷と挑発--党綱領に対する対外盲従分子のデマを粉砕する」(1967年8月刊『日本共産党重要論文集5』掲載 日本共産党中央委員会出版局)

ちなみに、「4.27」論文は6章にわかれていて、章題をあげると
1自民党に呼応した、極左日和見主義分子の党綱領への攻撃
2マルクス・レーニン主義か極左日和見主義か
3国際共産主義運動の歴史的教訓
4日本共産党綱領と国会の問題
5マルクス・レーニン主義の国家論のわい曲
6トロツキストと野合した反革命挑発分子

執筆チームの実質的責任者は、後に98年日中両党合意を受けて訪中し、江沢民氏と握手した不破哲三氏だとされる。
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【『日中不戦の思想』(亜東社)序】
世の中には、信じられないようなことが、しばしば起こるものです。
医者が、病人をなおさずに、チフス菌をばらまいて歩くようなことさえ、実際にはおこるのです。
まさか、よもや、ということが、実際にはおこるのです。
共産党が、本来の闘いをせず、反革命の手助けをし、中国人を半殺しにするというようなことさえ、実際にはおこるのです。
信じられないことが、実際におこるのです。
かつて、スターリンが、かくも無惨に痛罵されると誰が予想したか、
かつて、中ソ論争がかくも激烈に展開されると誰が予想したか、
中国で、文化大革命がまきおこると誰が予想したか。
にもかかわらず、それは実際におこったのです。
それが激動の時代というものです。
激動の時代には、まやかしもの、贋ものがまた結構、横行します。特に「高度に発達した資本主義」の国では、天然レモンジュースと称して、色のついたクエン酸を飲まされたり、コーヒー牛乳と称しているものが、コーヒーでも牛乳でもなく、単なる着色砂糖水であったり、アイスクリームの実態は、人口の合成糊であったりします。革命的前衛の中央指導部が、単なるおしゃべりの徒党であったり、臆病な野心家集団であったりもするわけです。
世界最初の労働者の祖国ソ連の指導部が、かくも悪質な背教者の集団になりさがると誰が予想したか。レーニンの後継者たるべきものが、キューバにひきつづき、アラブ人民をも明白に裏切るとだけが予想したか。
また、世の中には、信じられないほど素晴らしいこともおこるものです。
アメリカ帝国主義の四六万の軍を迎えて、身に寸鉄も帯びざる「ベトコン」が、かく壮烈果敢に闘い、かくも変転自在に闘い、かくも堂々たる圧勝の威力を示すと誰が予想したか。まだいたいけなき十代の紅衛兵が、かくも世界を震撼させ、中国7億の民が、自らの主人公となり、世界革命の砦となる道を喜々としてきりひらくと誰が予想したか。
実際、世の中とは、意外なものであり、素晴らしいものです。
この本は、蒼惶の間に走り書きし、推敲のいとまもなく、世に送られるものです。筆者としては心中忸怩たるものがあります。願わくば読者、意のあるところを察せられよ。
著者
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【『日中不戦の思想』(亜東社)目次】

第一章
第一節 3月2日の事件
(1)
(2)早朝の七時5/午前中8/正午前後11/午後四時14/夜にかけて18
(3)赤旗の言い分22/ごまかしと捏造23
第2節 それに至る経過の真実
(1)
(2)善隣学生会館は誰のものか29/「中国人は入るべからず」のニセびら事件32
(3)壁新聞事件34/小型「中国封じ込め」はじまる37
(4)不法監禁問題41/バケツで用を足した事43
第3節 「赤旗」の言い分は三百代言
(1)乱闘が一階でなされたことは中国人が襲撃した証拠となるか48/「赤旗」の写真にある棍棒などは中国人学生が使った凶器か50/中国人学生は毛沢東思想をおしつけたか52/「出て行け」というのは不当か54/協会への「ニセ者」呼ばわりは不当か58/奪還闘争は襲撃の証拠となるか64/大衆闘争への本能的恐怖心66
(2)批判されただけでも「なぐりかえせ」と「主張」69/「権力のない連中」を「ひとひねり」せよとの青柳論73/刑法を知らない松本弁護士76

第2章 事件の意味するもの
第一節 なぜおきたか---日共中央の発想と姿勢
非政治的形式主義82/政治的排外主義95/計画的反中国100/原因と経過の要約110
第2節 事件の政治的本質
アメリカ帝国主義の「中国封じ込め」への加担111/日本軍国主義復活への加担114/日本の民主運動の歪曲と無力化117/日中関係の破壊123/前衛の変質と凋落126/新しい勢力の芽生え131

第三章 前衛の変質の内容(1) ---世界認識の変質
第一節 アメリカ帝国主義についての認識の変質
「封じ込め」論から「各個撃破」論への転換137/「各個撃破」論は米帝を美化し免罪する理論140/いつ頃変わったか143誰が変えたか145/なぜ変えたか147
第2節 日本軍国主義の復活を軽視
復活についての系統的曖昧さ164/非自立論による共犯者の弁護169/未完成狂騒曲175/われ国会を骨まで愛す180/大衆不在の理論186/イエローヤンキーの弁護192/ライシャワー近代主義200
第三節 民族解放闘争など他人の顔
ベトコンを裏切った宮本一派205/南朝鮮人民を裏切った宮本一派211/過去の侵略を無視する宮本一派214/宮本忠人の「民族関係」論216/宮本一派はお彼岸の墓石229
第四節 ソ連はだんだんよくなったか
二面性論の自己矛盾233/「革命的二面政策」の阿呆らしさ237/「権力」問題をぬいたソ連論241/口で反米行いで親米の口舌の徒243/ソ連の軍事援助なるものの正体245/宮本・岡は男娼ごのみ256/存在しなかった中ソ論争258

第四章 前衛の変質の内容(二) ---政治行動の変質
第一節 「闘わざる党」の道
安保闘争、大衆の昂揚ににおそれをなして逃げ回る264/日韓闘争、大衆の無関心に追随して闘争放棄269/ベトナム闘争、大衆の昂揚があるにもかかわらず闘争回避275/「闘わざる党」の仕上げ280
第2節 諸運動におけるその反映
大会ごとに悪化した大衆運動の総括281/沖縄を見殺し基地闘争の放棄283/宮本一派は原水協の「ヒモ」286/
日中国交回復を妨害287/「日中・日朝」友好の原則を骨抜き288/「青年」「婦人」運動では欲深婆さんと肥満児の育成282/4.17スト破りの自己批判をさらに改竄、責任転嫁295/「みんなの要求運動」とは大衆くすぐり戦術298
第三節 党建設におけるその反映
水ぶくれの拡大301/力量と威信--質の低下305/大衆をたちあがらせないための選挙第一主義307/骨の髄まで議会主義--4.29論文批判314/内容を一言で言えば314/内容の4重点とその馬鹿馬鹿しさ315/三つめの偽瞞318/現実から出発せず概念から出発するひま人の夢322/革命放棄の「前衛」変質宣言325/弁解と哀願の十万字327/合法主義の優等生330/すべてを統一戦線に解消する解党主義333/「引き回し」と大衆追随の相互補完336/思想のない「お勉強」の会339/代書屋と茶坊主と木っ葉役人の官僚主義342

第五章 修正主義の日本的性格とそれを打ち破る道
修正主義は「敵」か、それとも「誤れる友」か?350/「敗北の文学」長じて「敗北の理論」となる352/フルシチョフ以上のフルシチョフ主義357/ライシャワーなきライシャワー主義359/修正主義と排外主義の関係364/修正主義との闘いは敵対的矛盾368/「うち破る」ことで「うち建て」よう372

第六章 克服の道と毛沢東思想 ---日本人として文化大革命から何を学ぶか
人民大衆が主人公であり党はその道具である378/原則は徹底的に貫かれなければ原則でない384/文化大革命の評価は反修正主義の一つの基準389/政治的な「環」と思想的な「環」393

第七章 日中不戦の思想
東風、西風を圧する世界情勢398/逆まくつむじ風をはらむ日本情勢403/1970年問題と日中国交回復408

[365] Re: 寺尾氏の変な本は全容公開を 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/10/28(Sun) 22:48
大阪さん、また投稿していたのですね。最近、この掲示板もさびれているので、しばらく見ていなかったので
返事も遅くなりました。

寺尾五郎さんの「日中不戦の思想」を入手されたとのこと。なかなか勉強熱心で、感心します。読みながら、
ぶつくさ文句をいっている大阪さんの姿が思い浮かびます。私も、考え方の違う人の本を読んでいるときに
は、おもわず、「違うだろこのやろ」とか「笑っちゃうな」とかいうことがあります。

ではまた。

[364] 「文化交流」も必ず文革礼賛から 投稿者:大阪の人 投稿日:01/10/27(Sat) 02:45
日中両国人民間の文化交流に関する覚書

日本中国文化交流協会代表と中国人民対外文化友好協会代表は、日中両国人民間の文化交流をいっそう促進し、両国人民の相互理解をますます深め、友好と団結を強化する共同の事業を着実に発展させるため、きわめて親密な話しあいを重ね、次のように意見の一致をみた。

日中両国人民間の文化交流は年々地に足のついた前進をつづけているが、とくに、一九六六年七月七日、日本中国文化交流協会の中島健蔵理事長と中国人民対外文化友好協会の楚図南会長との間に署名され発表された「日中両国人民間の文化交流に関する共同声明」が両国人民がともに熱望している、お互いの利益となる文化交流を発展させる上に貴重な貢献をしたことを、双方は喜びあった。

偉大な毛沢東思想によって武装された中国人民は、毛沢東主席みずからの発動と指導の下に、史上空前のプロレタリア文化大革命を強烈に推進し、毛沢東思想の偉大な紅旗を高くかかげ、大いにプロレタリア世界観をうち立て、党内のひとにぎりの資本主義の道を歩む実権派の権力を奪いとり、修正主義と資本主義の毒芽を取り除き、次々に重要な勝利をおさめて、偉大な中華人民共和国が永久に変質せず、社会主義革命を徹底的におし進めることを保障し、世界革命に新しい典型をうち立てた。したがって、世界の革命的人民の反帝国主義、反修正主義のたたかい、およぴ世界の革命的進歩的文化を発展させる上にもはかりしれない影響をおよぼし、また日中両国人民間の文化交流にも新しい局面をきり開くであろう。であるからこそ、アメリカ帝国主義と各国の反動派、ソ連現代修正主義とそのもろもろの協力者、同調者は、恐れおののき、取しらずな悪口雑言をとばし、さらにファッショ的暴力行為を含むあらゆる手段にうったえて、毛沢東思想に反対し、中国プロレタリア文化大革命に反対し、中国プロレタリア文化大革命の世界人民と日本人民への大きな影響を破壊しようと必死になっているのである。しかし、かれらの、人類の歴史的潮流に逆行しようとする足掻きは失敗せざるを得ず、中国のプロレタリア文化大革命はかならずや最後の勝利をおさめ、世界人民と日本人民のますます力強い支持を得るであろう。日本中国文化交流協会は、中国人民のこの偉大な歴史的意義のある基命闘争を強く支持する。

日本人民の英雄的な反米愛国闘争は、真の独立と真の平和のためにたたかっている全世界の人民にたいする大きな鼓舞激励となっている。中国人民は、日本人民のこの正義のたたかいを断固支持する。アジア、アフリカ、ラテン・アメリカ人民の解放のたたかいは、アメリカ帝国主義およぴその共謀者の侵略政策、戦争政策に反対する世界人民のたたかいを強めるのに、ますます有利になりつつある。とくに、ベトナム人民の抗米救国のたたかいが必ず勝利するであろうことをわれわれは確信し、ベトナム人民をうらぎるいかなる陰謀活動にも断固反対し、かれらがアメリカ侵略者およぴその協力者の最後の一人をベトナム国土から追い出すまでたたかい抜く決意を断固支持する。このような世界情勢の中で、日中両国人民がますます理解を深め、友好を進め、団結を固めて、共同の敵アメリカ帝国主義およぴその協力者、推進者とたたかうことは、ひとり日中両国人民のためばかりではなく、アジアの真の平和と前進、世界の真の平和と前進に寄与するものであって、これはわれわれの光栄ある共同の事業である。

現在、ひとにぎりのソ連現代修正主義に追随する日本修正主義分子は、アメリカ帝国主義、ソ連現代修正主義および各国反動派と呼応して、あらゆる手段をつかって悪どい露骨な反中国活動をおこない、日中両国人民の友好と日中両国人民間の文化交流の共同の事業を破壊しようとしている。われわれが、はっさりと敵と味方を讃別し、ほんとうに日中友好と日中文化交流のためにたたかう人びとといっそう固く結び、羊頭をかかげて狗肉を売る贋者を容赦なくわれわれの隊列から追放してこそ、われわれの事業の輝かしい発展は保障されるであろう。
日本中国文化交流協会代表と中国人民対外文化友好協会代表は、一九六七年における日中両国人民問の文学、芸術、学術、科学、報道、体育、宗教その他文化全般にわたる交流を発展させるため、具体的な協議をおこない意見の一致をみた。日中両国人民間の文化交流の前途は洋々たるものであるとともに、われわれの任務のますます重いことをあらためて確認し、双方は今後協力をいっそう緊密にし、アメリカ帝国主義と日本反動派、ソ連現代修正主義とそのもろもろの追随者が設けたすべての障害をうちくだき、一九六七年の文化交流を以前よりさらに活発にし、日中両国人民の文化交流を新しい高まりにおし上げることを誓いあった。

一九六七年二月十日
日本中国文化交流協会代表
西園寺公一
白土 吾夫
中国人民対外文化友好協会代表
丁 西 林
王 暁 雲

[363] ”人民の海におぼれ死ぬ” 投稿者:大阪の人 投稿日:01/10/27(Sat) 02:43
 日本中国友好協会(正統)本部代表と中国日本友好協会代表との会談紀要
新しい年を迎えるにあたり日本中国友好協会(正統)本部代表は、日中両国人民の友好往来と文化・経済の交流を発展させるために北京を訪れ、中国日本友好協会およぴ各関係団体と兄弟のような親しみをもって会談をおこなった。双方の会談紀要は下記のとおりである。

双方は、まず一九六六年秋に日本各界著名士三十二氏、中国各界五十二氏がそれぞれ発表した声明と日本中国友好協会・中国日本友好協会が一九六六年十月十二日に発表した共同声明が完全に正しかったこと、そして新しい情勢のもとで、それはすでに日中友好運動を発展させる基礎となっていることを確認した。

日本中国友好協会(正統)本部代表は、中国人民がいま大いに毛主席の著作を実際と結びつけて学び運用しており、毛沢東思想はいよいよ深く人びとの心にはいっていることをみた。そして、偉大な指導者毛沢東主席がみずから発動し、その指導のもとに、紅衛兵を先鋒とし、労働者・農民・兵士、革命的インテリゲンチャ、革命的幹部を主力軍として、いま、いっそう広く、いっそう深く、いっそう徹底的におこなわれている先人未踏のプロレタリア文化大革命に、熱烈な支持を表明した。また、プロレタリア文化大革命が全国的な勝利をおさめているとき、中国が五回目の核実験に成功し、また工業・農業が全面的な躍進の局面を迎えていることにたいし、祝意を表した。

日本中国友好協会(正統)本部代表は中国のプロレタリア文化大革命の勝利は中国人民が社会主義革命を最後までやりとげる根本的な保証であり、また全世界人民の帝国主義に反対し現代修正主義に反対するたたかいにとって、きわめて大きな貢献であるとのべた。
アメリカ帝国主義、各国の反動派、ソ連現代修正主義およぴその新旧追随者はいま毛沢東思想およぴ中国人民が勝ちとった偉大な成果におそれおののき、彼らは互いに結託して中国反対、毛沢東思想反対、中国のプロレタリア文化大革命反対の大合唱をおこなっているが、毛沢東思想に武装された七億中国人民がいまおこなっている文化大革命はかならず最後の勝利をおきめ、彼らの陰謀はかならず失敗する、それは歴史が証明するであろうと双方は指摘した。

双方は、当面の国際情勢はわれわれにとって非常に有利であり、アメリカ帝国主義の侵略政策と戦争政策は、ますます世界人民の強い反対をうけ、ますます孤立化を深めつつある。そして、いま世界的な範囲でアメリカ帝国主義の侵略政策と戦争政策に断固たるたたかいをおこなうかどうかの問題をめぐって、さまざまな政治勢力が大激動、大分化、大再編の局面を現出しており、諸国人民の革命的な力は日ましに強大になっている。このような情勢は、諸国人民のアメリカ帝国主義、現代修正主義およぴ各国反動派に反対するたたかいにとって、きわめて有利であることを双方は認めた。

そして、双方は英雄的なベトナム人民の抗米救国のたたかいは必ず勝利すること、いかなる”平和会談”も、いわゆる”国際統一行動”論もそれはみなベトナム人民の勝利の果実を売り渡すペテンであると認めた。双方はベトナム人民のアメリカ侵略者の最後の一兵を追い出すまでたたかうという決意を断固として支持することを表明した。

双方はまた、最近ひとにぎりの者たちが口には友好をとなえながら、実際にはアメリカ帝国主義、ソ連現代修正主義およぴ日本の反動派と結託して、反中国の大合唱に大わらわとなり、日中友好運動を破壊しようとしていると指摘した。しかし、彼らのこのような卑劣な行動は、いささかも日中友好運動の発展をそこなうものではなく、まさにその反対に、日中友好の事業を裏切っている彼らのみにくい姿をよりいっそう暴露するものであること、そして、彼らはかならず八億の日中両国人民の友好と団結の大海原でおぼれ死ぬであろうと指摘した。

中国側は、日本中国友好協会(正統)本部を断固支持することを再び表明し、そして咋年十二月に開かれた日本中国友好協会(正統)本部常任理事、活動者合同会議が日中友好運動をよりいっそう発展させるために、かならず毛主席の著作を実際と結びつけて学び運用するよう提唱したことを賞賛した。中国側は、真に日中友好をねがう人びとが、いま日本各地で広く立ちあがっていることをよろこぴをもって見ている。これは日本中国友好協会(正統)本部が広範な日本人民のねがいを代表しており、広範な日本人民の支持を得ていることの証明であると述べた。また、中日両国人民の団結は歴史の流れであり、いかなる者もこれをはばむことはできない、と述べた。

双方は、日本の北九州と名古屋でひらかれた中国経済貿易展覧会が大成功をおさめたことを高く評価した。これは真に日中友好を望む日中両国人民が、あらゆる妨害と闘って勝ちとった偉大な勝利である。また、双方は日本中国友好協会(正統)本部が成立して以後の、日中両国人民の友好的な往来と文化・経済の交流が、いちだんと発展していることを喜びをもって指摘し、これは日本の真に日中友好を願う人びとの努力によって、新しい様相をもつ日中友好運動が生まれ、それが巨大な力をはらんでいることの証明であると述べた。

日本中国友好協会(正統)本部と中国日本友好協会は、一九六七年度の人事交流およぴあらゆる面の交流を責任をもって運営することを確認した。中国側は、昨年におとらず、ますます多くの日本の真の友人の中国訪問を心から歓迎すること、また日本側の熱烈な招請にもとづき、できるだけ多くの代表を日本に送ることを約束した。双方は、また一九六七年度の友好往来と文化・経済交流の各項目について合意に達した。双方は日中両国人民の戦闘的友誼をさらにまったく新しい段階におしすすめるためにともに奮闘することを表明した。

一九六七年一月十八日
日本中国友好協会(正統)本部代表
中国日本友好協会代表
一九六七年度交流計画【訪中代表団】
◇ 協会(正統)代表団
◇ 協会(正統)活動家代表団
◇ 協会(正統)九畑地万代表団
◇ 中国研究者代表団
◇ 帰国者代表団
◇ 協会(正統)青年代表団
◇ 協会(正統)婦人代表団
◇ 地方自治友好代表団
◇ 医師代表団
◇ 伝統医学代表団
◇ 地方直美代表団
◇ 『人民中国』活動家代表団
◇ 北京放送聴取者代表団
◇ 漁業労働者代表団
◇ 農・漁村青年代表団
◇ 農業技術代表団
◇ 青年農学者代表団
◇ 学術代表団
◇ 囲碁代表団【訪日代表団】
◇ 中日友好協会代表拭団
◇ 中罷●●地方代表団
◇ 中国婦人代表団
◇ 中国「人民中国」代表団
◇ 中国紅十字会代表団
◇ 中国アジア・アフリカ飼結委員会代表団
◇ 中国農業技術代表団
◇ 中国雑技団

[361] 新しい国家社会の建設を目指して 投稿者:創造開発戦略研究所 投稿日:01/10/02(Tue) 22:54
国家危急存亡の時に当たり、身命を賭して、広く国民各位に訴えるものである。
新しい国家社会の建設を目指し
て、広範多岐に亘る諸問題を総合的且つ多角的に検討し解決策を提示し、具体的には、世界最大の未利用資源の火山
灰を活用した新素材技術や新思想を元にして、外交問題、種々の法制度の整備、行政改革、立法府改革、司法改革、
憲法改正、民法改正、産業構造改革、景気対策、内需拡大、国土開発、省資源・省エネ対策、放射性・産業廃棄物処
理、コンクリート劣化対策、砂漠の緑化、自然と調和した環境造り、創造立国、創造教育、健全な家庭と生活、真の
男女共同参画社会の在り方、夫婦別姓問題、少子化対策、霊魂と神仏の正しい概念、真の宗教と信仰の在り方等を提
示し、文明史の大転換を図り、日本のみならず、全世界の窮状を救済していこうとするものである。
参考までに
某HPをご紹介します。
http://www4.ocn.ne.jp/~mukzke98

[357] 中村智男「決定的瞬間」 投稿者:傍観者(初代) 投稿日:01/08/23(Thu) 05:53
 ごぶさたしております。
 最近、書棚を整理したら『虹の断章ー“日中のかけ橋”三好一ふれあいの記』という本が出てきました。かつて“盲従派”の人とつきあっていた時買わされたか貰ったかしたものだと思います。編集・発行三好一ふれあいの記刊行委員会、発行日1984年7月26日、頒価3000円と奥付にあります。全部で380ページのものです。精装本のしっかりした装丁です。これは、日中友好協会事務局長などを務めた三好一氏の追悼文集で、実質的な編集は、島田政雄氏のようです。
 その中に善隣学生会館事件に関する文章が一、二編あります。資料価値があると思うのでその中から一編を選んでアップします。


決定的瞬間
中村智男
 毎年、三月二日になると、私は一九六七年に善隣学生会館で起きた事件と、それを報した『日本と中国』紙〈緊急特報〉の紙面を思い出す。そこには、決まって三好さんの顔が浮かび上がる。

 善隣学生会館事件が発生したのは、日中友好協会(正統)本部が設立されて半年後のことであり、私自身にとっては『日本と中国』紙の編集・取材の仕事をするため協会事務局の一員となり、三好事務局長の下で働くようになって一カ年後だった。

 当時、同会館内の旧協会事務所には、反中国に変質した日本共産党に忠誠を誓う旧事務局員らの党員グループが憶面もなく「日中友好協会」を名乗って居据わり、そこを反中国宣伝と友好妨害活動の拠点にしていた。これを怒った同会館に寄宿する華僑青年たちが抗議行動をはじめると、日共側は党組織を動員して力で退けようと企てたことに端を発し、連日連夜にわたり暴力事件を繰り広げるに至った。日共側は、何人もの負傷者を出しながらもなおひるまない華僑青年たちに業を煮やし、最初の事件から三日後の三月二日、ニセ「日中友好協会」事務所内に屈強な青年党員や民青団員を多数送り込む一方、大動員をかけて会館周辺を包囲し、遂に目を覆うような流血事件をひき起こした。

 そのとき、私は駆けつけた日中友協(正統)の会員だちとともに現場にいた。午後四時ごろだった。突然、ニセ「日中」事務所のドアが開き、なかから異様な一団が姿を現した。彼らは白ヘルメットをかぶり、手に手に角材や鉄パイプを握っていた。私が初めて見るゲバスタイルだった。彼らは、廊下に集まっていた華僑青年たちに襲いかかり、頭部めがけて角材や鉄パイプを力まかせに振り下した。全くの素面素小手の華僑青年たちは、この凶器攻撃を防ぎようもなかった。血しぶきをあげて次々に倒れていく華僑青年たちに、なおも容赦なく凶器を打ち振るう狂暴な集団を前にして、私は一瞬、身動きできないほどの戦慄を覚えた。恐怖よりは、信じがたい光景を目撃したことの衝撃が大きかった。ウソにもせよ「日中友好協会」を名乗る輩が、あろうことか身に寸鉄もおびない中国人に対して公然とテロ行動に出るとは、思ってもみなかった私だった。戦慄を怒りがかき消してくれた。

 三好さんは、善隣学生会館防衛闘争委員会の現地責任者として、会館に詰めきりで活動していた。その三好さんに私は呼ばれた。
「この事態を一刻も早く、全国に伝えなければならない。そこで 『日本と中国』の緊急特集号を出すことにした。内容は現場にいる君たちにまかせるから、ただちに作業をはじめてくれ」

 私は、編集部全員にこの三好さんの指示を伝え、すぐさま仕事にかかった。割付は私が担当した。第一面の上段を「日共反中国暴力団、善隣学生会館を襲撃」の白ヌキ文字で横に貫き、中央には血まみれの華僑青年の写真を大きく据えた。新聞の品位も格調も無視した割付だった。そうしなければ気持がおさまらなかった。

 試刷りができると、すぐに三好さんに見せた。三好さんは無言のまま紙面を見据えていた。その固い表情から察して手きびしい批判が返ってくることを覚悟しながら、私は返事を待った。やっと目を離すと三好さんは言った。
 「これを大量に印刷する。部数は状況の推移をにらんで決めるが、『日本と中国』発刊以来、例のない記録的な数になるだろう」

 私は戸惑うばかりだった。日共と訣別した日中友協(正統)本部はまだ全国組織の再編の途上であり、『日本と中国』は、それ以前の配布ルートを殆んど日其の手で押えられ、それに資金難と編集スタッフの減少が加わって発行部数は数千がやっとという実状であったから、三好さんの言葉が大風呂敷としか思えなかった。私の表情を見てとった三好さんは言った。

「いま、必要なものは、どちらが加害者で、どちらが被害者か誰がみてもわかる紙面だ。おそらく代々木(日共)も『赤旗』などを使い、白を黒と言って大宣伝するだろう。それにうち勝つためには説教はいらない。一目で判断できるものだよ。その答が、どちらが真の“友好”か、どちらがニセの“友好”かの判別につながる。この緊急特報は充分とはいえないまでもその条件にかなっていると思う」
「一体、どのくらい発行するのですか」
「すべては、この新聞を受け取った全国の会員活動家が、これを有効な武器になると判断するかどうかで決まるが、俺は『赤旗』に数の上でも負けないくらいの部数になると予測している」
 ということは百万近い部数になる。私は半信半疑の気持で結果を待つことにした。

 三好さんの言葉は、現実となった。全国各地の活動家から続々と連絡が入ってきた。「もっと大量に、早く送れ」。〈緊急特報〉はたちまち数十万部に達し、小さな印刷所の旧式輪転機ではフル回転しても追いつけないほどの要請が続いていた。

 そのころ、三好さんがさりげない口調で語りかけてきた。
「この紙面には、一つだけ大きな穴があるな。なんだかわかるかね」
 これだけ好評なのに、急になにを言い出すのか、と私は思った。だが、私自身もこの紙面にるものを内心気にしていたので、そのまま答にした。
「あの瞬間を撮った写真:・」
「そうだ。決定的瞬間だ。わかっているならすぐ捜し出すことだな」

 私たち編集部員もそれをおこたっていたわけではなく、あのとき、カメラを手にしていた日中関係の取材陣をあたってみたが見つからなかったのだ。三好さんは言葉を続けた。
「マスコミのカメラマンも入り込んでいただろう。プロならあの瞬間を逃さないんじゃないかな」

 私は忘れていた。あの光景は、冬の午後四時にもかかわらず、照明をあびた舞台上を見るように鮮明に私の目に映ったはずだ。あれは撮影のためのライトとフラッシュの光だった。しかも廊下の壁際には窓のへりを足場にして、シャッターを押しまくっていたカメラマンが何人もいた。

 問題の写真はあっけなく入手できた。共同通信のカメラマンの撮した一枚の写真は、私を戦慄させたあの決定的瞬間をはっきりとらえていた。

 〈緊急特報〉はただちにこの写真を中心に組み替えて、ふたたび刷り続けられた。この結果、〈緊急特報〉は百八万部という発行部数が記録され、続いて発行された〈第二報〉も百万の大台を記録した。

 これは、私が協会本部で過ごした数年間のなかで得た、いまなお密かに〈誇り〉としている貴重な体験である。その〈誇り〉の生みの親は、三好さんに他ならない。だから、私が三月二日のあの決定的瞬間を思い起こすとき、そこにはかならず三好さんの顔が浮かび上る。(元『日本と中国』編集部員)

[358] Re: 中村智男「決定的瞬間」 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/08/24(Fri) 23:15
傍観者(初代)どの、

貴重な資料のご提供有難う御座います。私の感性といたしましては、
このような書き方の資料に対しては、全面的な共感を覚えるほうです。

最近は、大阪の人さんも消えてしまったのか(?)、閑古鳥のなく
掲示板になりました。HPの更新もすっかりサボっています。

ところで、かつて、大阪の人さんは、なぜあれほどまでに傍観者(初代)
さんを口汚くののしったのか、どうも理解できません。面白いですね。

[359] コメントありがとうございます 投稿者:傍観者(初代) 投稿日:01/08/26(Sun) 23:05
猛獣文士さん、コメントありがとうございます。他出していてご返事が送れました。

「虹の断章」には、興味深い文章がまだいくつかあります。折りをみてアップします。

> ところで、かつて、大阪の人さんは、なぜあれほどまでに傍観者(初代)
> さんを口汚くののしったのか、どうも理解できません。面白いですね。

 大阪の人さんは、ほんとに消えてしまいましたね。参院選で忙しいのだろうと思って
いましたが、選挙が終わって一ヶ月近くたっても出てきませんね。病気になったか、交通
事故にあったのでしょうか。

 私としては、この人は最近の日本共産党の中で浮き上がっているのではないかとちょっと
心配している、という私の書き込みが案外図星だったのかもしれない、と密かに思っている
のですが、どうでしょうか。

 大阪の人さんがもしまだここを覗いているなら、自分と違う考えはすべて反共とみなす思考法
はそろそろ克服すべきではないか、と述べておきます。

[360] Re: コメントありがとうございます 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/08/30(Thu) 01:44
傍観者(初代)さん、


> 猛獣文士さん、コメントありがとうございます。他出していてご返事が送れました。
> > 「虹の断章」には、興味深い文章がまだいくつかあります。折りをみてアップします。

「虹の断章」のアップを楽しみにしています。古本屋で探そうと思っているのですが、
いつも利用している古本屋のホームページのアドレスを忘れてしまいました。


>  大阪の人さんは、ほんとに消えてしまいましたね。参院選で忙しいのだろうと思って
> いましたが、選挙が終わって一ヶ月近くたっても出てきませんね。病気になったか、交通
> 事故にあったのでしょうか。

どうしたのでしょうか。

> >  私としては、この人は最近の日本共産党の中で浮き上がっているのではないかとちょっと
> 心配している、という私の書き込みが案外図星だったのかもしれない、と密かに思っている
> のですが、どうでしょうか。

ただ、大阪の人さんは非常に熱心で、まじめな日本共産党の支持者であるということは感じます。
不真面目な日本共産党の支持者というのも少ないかもしれませんが。思想的には、かなり保守的な
人のようですね、

> >  大阪の人さんがもしまだここを覗いているなら、自分と違う考えはすべて反共とみなす思考法
> はそろそろ克服すべきではないか、と述べておきます。

立花隆の日本共産党の研究の序文にも、そのような記述がありました。日本共産党は、一度反共の
レッテルを貼ったひととは、一切、生産的な議論をせずに、ひたすら罵倒を繰り返す。大阪の人さん
がこのBBSでもなんども述べていましたが、当の立花隆氏も、みごと日本共産党に反共のレッテルを
はられたと言う事です。
なかなか、克服は簡単ではないでしょう。

[354] 早稲田大学新聞・宮崎君記事 投稿者:傍観者(初代) 投稿日:01/07/16(Mon) 21:53
 本日やっと国会図書館に行くことができ、懸案の早稲田大学新聞・宮崎君
の件を調べてきました。
 該当記事は、昭和42年(1967年)6月8日、1063号にありまし
た。二面に「第一回クラス委総会開く 一法学友会」という記事があり、そ
の中に次のような文面があります。

・・・これに対し、三派系「対案書」では民青の宮崎君が、善隣会館における暴力行為で
、副行動隊長をつとめたことをかかげ、民青路線の反トロキャンペーンに対応しているが
、・・・

 某新左翼観察掲示板でも書いたように、この「宮崎君」が宮崎学氏であるこ
とはほぼ間違いないでしょう。

[355] Re: 早稲田大学新聞・宮崎君記事 投稿者:猛獣文士 投稿日:01/07/18(Wed) 16:46
傍観者(初代)さん、

貴重な情報、大変感謝します。

大阪の人さんとの所でも、前に書きましたが、国会図書館で数時間探しましたが、目に入らなかった記事です。

>  本日やっと国会図書館に行くことができ、懸案の早稲田大学新聞・宮崎君
> の件を調べてきました。
>  該当記事は、昭和42年(1967年)6月8日、1063号にありまし
> た。二面に「第一回クラス委総会開く 一法学友会」という記事があり、そ
> の中に次のような文面があります。
> > ・・・これに対し、三派系「対案書」では民青の宮崎君が、善隣会館における暴力行為で
> 、副行動隊長をつとめたことをかかげ、民青路線の反トロキャンペーンに対応しているが
> 、・・・
> >  某新左翼観察掲示板でも書いたように、この「宮崎君」が宮崎学氏であるこ
> とはほぼ間違いないでしょう。

これで、宮崎学氏は、インタビュー対象者予定リストのトップのほうに入りました。といって、何時インタ
ビューできるか、見通しはありませんが。

川上徹氏とは、一度メールを交歓し、電話でも会話を交わしました。だが、インタビューの機運には、至って
いません。