[662] 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/28(Wed) 13:13
れんだいこさん、こんにちは
さて、宮顕さんの品性について芳しくない記事をたくさん読ませていただき、スパイでなくとも彼はあまり尊敬に値する人間ではないという強い印象を感じました。願わくば、強力な反論があらわれて、その印象を幾分でも中和するようになってほしいものです。
日本共産党は、ごく最近(といっても数年前に)、長年の指導者として尊敬をあつめていた野坂参三氏をスパイとして切り捨てたばかりです。この容疑について、私は詳しく知りませんが、宮顕のスパイ容疑が特高に代表される日本の権力のスパイであるという容疑であるのに対し、野坂参三氏の容疑は、コミンテルンのスパイということになるのでしょうか。変ないいかたですね。コミンテルンに密告して、同士を殺害させたというような容疑というような記憶しています。これは、しかし宮顕のスパイ容疑とはかみ合わないものですね。戦後の日本共産党は理念なき、品性の劣った人々によって牛耳られてきたのでしょうか。
さて、前回までの対話で、どうしてもしっくりいかなかった議論としての戦後日本における民主主義の評価の食い違いがあります。私は、立場性の問題を理由にこの問題を深く掘り下げることを避けようとしました。この事情について、私の考え方をもう一度確認します。この問題は結局のところ、いかなる問題を語るにしても重要なキーポイントであり、避けて通ることができないと考え直したからです。
第一に、私は、日本の戦後民主主義が擬似民主主義であると考えています。その理由についてはすでに説明しているように、「住民の個々の階級のあいだには政治的権利の形式的不平等が存在しない」という要件がクリアされていないことにあります。戦後民主主義において合法的に除外された階層というのは、在日朝鮮人および在日中国人であることは論を待ちません。
この点について議論する場合に、さらに詳細な検討が必要になるものと思いますが、私の基本的な観点については、賛同するかどうかは別にして、理解していただけると思います。
ここで、二種類の反論が予想されます。第一は、大阪の人さんが述べていた、国家主権の方向からの反論であり、第二は在日朝鮮人・在日中国人の人口比が少ないことを根拠にして、この例外事例が全体の性質に影響を与えないものであるとする主張です。そのそれぞれについて、わたしは誤った主張であると考えていますが、この場で私の論拠を立証することは不可能であるので、今後の議論の進行の中でそれを進めたいと考えます。
ひとつだけ確認しておきたいことは、私のこの議論は日本の社会、制度などに対する純粋な評価のための議論であり、私個人あるいは在日外国人一般の地位の向上等を要求するなんらかの運動などを指向するものではないという点です。
以上、私の問題提起ですが、これはれんだいこさんと私の間で意見の不一致がある、西欧民主主義の評価にもかかわる問題であると考えます。
[666] Re: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/08/28(Wed) 18:35
> 日本共産党は、ごく最近(といっても数年前に)、長年の指導者として尊敬をあつめていた野坂参三氏をスパイとして切り捨てたばかりです。この容疑について、私は詳しく知りませんが、宮顕のスパイ容疑が特高に代表される日本の権力のスパイであるという容疑であるのに対し、野坂参三氏の容疑は、コミンテルンのスパイということになるのでしょうか。変ないいかたですね。コミンテルンに密告して、同士を殺害させたというような容疑というような記憶しています。これは、しかし宮顕のスパイ容疑とはかみ合わないものですね。戦後の日本共産党は理念なき、品性の劣った人々によって牛耳られてきたのでしょうか。
野坂参三は山本懸三を「密告」することによって間接的に死においやっていたこと、またその事実を隠蔽していたことが明らかになったわけです。そのことは本人も認めたことで「容疑」ではありません。
また宮顕指導部の除名理由には、野坂が戦後も「ソ連の内通者」であったことがありますが、これは奇妙です。野坂問題以後、代々木はモスクワに調査団を派遺して資料を集め、都合のいい部分だけで『日本共産党にたいする干渉と内通の記録』上下(新日本出版社、1993年)なる本を作成しました。その中で、野坂だけでなく袴田里見とか吉田嘉清とか多くの人々が「内通者」とされていますが、この概念は宮顕独特のものと思います。そもそも日本共産党とソ連共産党は「国際共産主義運動の兄弟党」なのですから、ソ連共産党と関係を持って議論することは別にとがめられることではないはず。いわば、日本共産党東京都委員会の人間が埼玉県委員会の人間と「内通」しているといって非難されるようなものです。日本共産党の「民主集中制」ではそれすら処分の対象となるようですが、普通の用語では「内通」とはいわないでしょう。
『日本共産党にたいする干渉と内通の記録』によると、志賀義雄が1964年の党中央委員会の会議の内容をソ連側に「密告」しています。その会議では、袴田が「反ソ演説」をして雰囲気は反ソ大会であったと述べられてますが、興味深いことに「外国の同志と会う場合には党中央委員会を通すこと」が通達されたとあります。つまりそれまではそんな規則は無かったわけで、外国の「兄弟党」の同志と会うことは何ら禁止されていなかったということでしょう。この禁止例は要するに、宮顕が、党内反対派が「兄弟党」の支援を受けているのではないかと考え、それを封じるためのものであったでしょう。しかもそんな規則は公表されていないわけです。公表もされない、宮顕の一方的な規則を破ったからといって「内通者」とか非難されるのは不当でしょう。吉田嘉清などは中央委員ですらないわけで、「どうしてソ連共産党の同志と会って話してはいけないのか」と開き直ることもできたはずです。
野坂参三の場合は、そういう宮顕用語の「内通者」ではなく、もっと深い意味での「ソ連のスパイ」であったわけで、その点が解明されなければならないわけです。
> 第一に、私は、日本の戦後民主主義が擬似民主主義であると考えています。その理由についてはすでに説明しているように、「住民の個々の階級のあいだには政治的権利の形式的不平等が存在しない」という要件がクリアされていないことにあります。戦後民主主義において合法的に除外された階層というのは、在日朝鮮人および在日中国人であることは論を待ちません。
民主主義から除外された層には、国内の被抑圧者だけでなく、国外の日帝に抑圧された幾億の民衆も含むべきでしょう。彼らも日本の政治に利害関係を持っていますが、発言権はないわけです。「大阪の人」および代々木一派によると、日帝に抑圧された幾億の民が日帝を告発しこれと闘うことは「内政干渉」なのでしょうが。
[669] Re^2: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/28(Wed) 23:42
コスモポリタンさんちわぁ。少し気になるので付け加えます。野坂のスパイ容疑についてですが、日共不破は、コスモポリタンさんがおっしゃるように訳の分からないコミンテルン内通性にすり替えておりますね。しかも、山本懸三他ソ連滞在党員の密告問題は早くより指摘されていたのに握りつぶしてきた。それがソ連崩壊後の機密情報漏洩により党外から動かぬ証拠を突きつけられ、弁解の余地無く野坂を斬った。これが経過だと思いますが、ならばその間党の最高指導部に鎮座させていた党の責任はどうなるのか。その間六全協以来コンビを組んできた宮顕というのはどういう節穴の革命家なんだ、これについては不破も右同じではないかという疑惑が生まれるのが普通ですよね。その直前まで「風雪物語」かなんか知らんが赤旗で連載し、その製本が党の指定文献にまでなっていたのと違いますか。
それがそうならない。民主集中制というのが臭いものに蓋をするのに按配よい理論であることが分かります。民主集中制と云えば、今度は21世紀の初頭に民主連合政府、それも民族及び国家の独立運動を目指すのであって社会主義運動なんてその先の遠い話だ、目下は資本主義の利潤分配をめぐってもうちょっと労働側に分け前増やすように議会専一運動していくのだ、なんて云う党になじょして民主集中制が居るのでせうね。云うほうにはメリットはあっても、従う方には何も無いでせうにね。子羊党員に頭が下がるというより馬鹿にしたくなりますね。
> 野坂参三の場合は、そういう宮顕用語の「内通者」ではなく、もっと深い意味での「ソ連のスパイ」であったわけで、その点が解明されなければならないわけです。
これですが、野坂の胡散臭さは、「ソ共のスパイ」はもとより「中共のスパイ」であり米国特務機関とも繋がっていたことが今日では判明しております。「もっと深い意味でのスパイであり、その点が解明されなければならないわけです」よね。
ところで、宮顕と米国特務機関の関係が分からないのですが、変なことに戦後の釈放時の接点さえ消されております。当時、得球、志賀を筆頭にほぼこれという人物は総なめで人物審査されております。止むを得なかったことだからして何も隠す必要は無い。ところが、宮顕にはこの痕跡が消されているように見えます。資料があれば教えてください。
> > 第一に、私は、日本の戦後民主主義が擬似民主主義であると考えています。その理由についてはすでに説明しているように、「住民の個々の階級のあいだには政治的権利の形式的不平等が存在しない」という要件がクリアされていないことにあります。戦後民主主義において合法的に除外された階層というのは、在日朝鮮人および在日中国人であることは論を待ちません。
>
> 民主主義から除外された層には、国内の被抑圧者だけでなく、国外の日帝に抑圧された幾億の民衆も含むべきでしょう。彼らも日本の政治に利害関係を持っていますが、発言権はないわけです。「大阪の人」および代々木一派によると、日帝に抑圧された幾億の民が日帝を告発しこれと闘うことは「内政干渉」なのでしょうが。
「大阪の人」はんは何をしているんかいなぁ。別に他意はないのにね。それはともかく代々木一派の内政干渉論で行けば、アメリカのアフガン、イラク攻撃なぞ典型的な内政干渉でせうに、国連へ何やら文書送って胸を張る程度で済ませられるようですね。つまり、連中にとって常に理論はご都合主義という訳ですか。
[663] Re: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/28(Wed) 14:06
猛獣文士さんちわぁ。どこから書き始めればよいのか分からないのですが、日頃思っていることをまず書いてみようと思います。例の出入国管理令ですが、法文も読んでいないのですが、身近で思うことに外国人滞在期間のちまちました規定があるようで、我が国のお上らしいやと思っております。
一体日本へ来て滞在するのに、それが旅行であれ労働であれ週間単位で区切る必要がどこにあるのでせう。最低一年間は勝手でせうし、労働なら仮に三年間当然延長更新あり、学業ならその在学期間、卒業後の任意期間は認められてしかるべきではないでせうか。時々不法滞在とかで検挙されておりますが、聞いて見たら(仮に)旅行目的で(仮に)一ヶ月しか認められていないのに、就労しており期間も過ぎていたという理由付けが為されております。れんだいこはナンセンスと思う訳です。
こういう場合、それこそ欧米流の対処法が参考にされるべしと考えます。ドイツではイギリスではフランスではアメリカではどうなっているのかという比較検討からせめてそれに近い待遇をする必要があると思います。こういう比較法は消費税導入の時にはしっかり聞かせてくれましたが、外国人の出入国管理令については不問にされている気がします。そういう悪法状態で、係員が横暴な小権力を行使していることは充分に考えられます。大義名分の無いお上権力の振り回しには、この問題に限らず閉口させられておりますが、これも象徴的ケースだと思っております。
れんだいこの読みでは、日本はもうじき逆に移民していかなければならない事態に陥ると思います。今なら外地へ行っても管理職が普通でせうが、これからは底辺労働に従事していくようになると思います。そうなれば、過ぎし日の傲慢な行政の記録が悪作用することになるでせう。
翻って、日本のあまりにも細かすぎる規定、規則の由来はどこから来ているのでせうね。役人根性と云えばそれまでですが、思想的理論的裏づけの無い接木条文でどんどん梯子状態にされつつあり、どの分野でもアマチュアではちょっとやそっとでは理解しにくくされております。れんだいこから見れば、もっとすっきりさせられるはずのところをわざわざ小難しくされ続けております。
これは西欧民主主義論とは関係有りませんが、どうもこの役人性癖が外来から輸入された戦後民主主義を蚕食し、今日では不快なものにされているように思えます。こういうこともあらかじめ云っておきたくなりましたので書いてみました。
西欧民主主義をどう見るのか、日本の戦後民主主義をどう見るのか、形骸化されつつある理由をどう見るのか、我々は何と闘い打倒すべきか、どういう制度が望ましいのか等々議論が楽しみです。みんなで考えて見るスレッドにしたいと思います。ツリーの様子を見て適宜に部屋替えをお願いします。
[664] Re^2: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/28(Wed) 16:32
れんだいこさん、ちわ
問題点を整理させてください。
終戦後、日本には200万人以上の朝鮮人が居住していましたが、朝鮮半島に生活の根拠が残っていた人々は帰国し、朝鮮半島との関係が希薄になり、また日本に生活の根拠があった60万人ほどが在日朝鮮人として残りました。
戦前には、彼らは、日本国の臣民としての地位を強制され、日本風の名前に改名させられていました。
戦後、彼らは国籍選択の機会を与えられないまま、日本国籍を剥奪され、それにともないさまざまな権利を失ったわけです。
戦前に同じように植民地を持っていたフランスのアルジェリアに対する例や、ドイツのオーストリア人に対する例を見ても、このような一方的な国籍の剥奪というやりかたではなかったようですが、詳細は後の調査にゆだねたいと思います。
国籍を喪失することにより彼らが失ったのは、選挙権にとどまらず、国民年金、健康保険、軍人恩給などの福祉を受領する権利や公務員、弁護士というような特定の職業を選択する職業選択の自由など、多方面にわたっています。この中には、戦前において、大日本帝国の「臣民」として曲がりなりにも認められていた(本国の日本人との間に差別があったとはいえ)諸権利が含まれています。
このようにして、日本の戦後民主主義は、市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした。
この非市民層の人数は、約60万人あまりで、戦後の日本の人口が7000万人ほどであったとも思われるので、人口比では1パーセント弱になると思います。この人数を多民族国家である中国の人口に照らし合わせると、どの程度の割合になるのでしょうか。1970年の古い統計ですが、中国の民族構成は、漢民族が6億1千8百万人に対し、最大の少数民族であるチワン族が778万人、以下、回族393万人、ウィグル族390万人、イ族326万人、チベット族277万人とつづいています。当時の中国の人口は7億人といわれていたので、その1パーセントは700万人となり、日本の総人口の1パーセント弱を占めていた在日朝鮮人は、人口比において中国の代表的な少数民族であるチベット族、満州族、蒙古族よりもはるかに大きな割合を占め、最大の少数民族であるチワン族に匹敵するものであったといえます。
このように、日本の戦後民主主義が、一方的かつ合法的に住民の中の相当割合の非市民階層を作っていたということは、その民主主義の性質を評価する上で強く考慮しなければならない点であるといえます。
[668] Re^3: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/28(Wed) 23:08
猛獣文士さんちわぁ。
> 国籍を喪失することにより彼らが失ったのは、選挙権にとどまらず、国民年金、健康保険、軍人恩給などの福祉を受領する権利や公務員、弁護士というような特定の職業を選択する職業選択の自由など、多方面にわたっています。この中には、戦前において、大日本帝国の「臣民」として曲がりなりにも認められていた(本国の日本人との間に差別があったとはいえ)諸権利が含まれています。
> このようにして、日本の戦後民主主義は、市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした。
この指摘は御意です。問題は、まだしも戦後民主主義が機能していた時代の45年から70年代までなら、これらの問題を廻って戦闘的に闘うべきだったと思われます。恐らく、相当部分意見が通り分かりやすく云えば勝てたでせう。なぜそういう闘いを組織しなかったのか。戦後民主主義の理論的な読み取りに間違いがあったのではないかと惜しみます。
> このように、日本の戦後民主主義が、一方的かつ合法的に住民の中の相当割合の非市民階層を作っていたということは、その民主主義の性質を評価する上で強く考慮しなければならない点であるといえます。
この認識に異存ありません。付け加えるならば、戦時中の徴用結果の在日朝鮮人、中国人問題は戦争の後遺症であり、政府が本来歴史的に解決せねばならないことだと考えます。その後二世三世となるにつれ同化しますが、「国民年金、健康保険、軍人恩給などの福祉を受領する権利や公務員、弁護士というような特定の職業を選択する職業選択の自由」など検討を要するでせうね。税金だけ取られて参政権無いというのでは酷でせうね。
本来政治家とか官僚は、この辺りに心を砕くのが仕事だろうと思いますが、めっきり前例踏襲主義で済ませ(つまり何も仕事していない)、利権稼ぎのポスト狙いに一目散のようです。
[670] Re^4: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/29(Thu) 06:03
れんだいこさん、おはようございます
> > 国籍を喪失することにより彼らが失ったのは、選挙権にとどまらず、国民年金、健康保険、軍人恩給などの福祉を受領する権利や公務員、弁護士というような特定の職業を選択する職業選択の自由など、多方面にわたっています。この中には、戦前において、大日本帝国の「臣民」として曲がりなりにも認められていた(本国の日本人との間に差別があったとはいえ)諸権利が含まれています。
> > このようにして、日本の戦後民主主義は、市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした。
> > この指摘は御意です。問題は、まだしも戦後民主主義が機能していた時代の45年から70年代までなら、これらの問題を廻って戦闘的に闘うべきだったと思われます。恐らく、相当部分意見が通り分かりやすく云えば勝てたでせう。なぜそういう闘いを組織しなかったのか。戦後民主主義の理論的な読み取りに間違いがあったのではないかと惜しみます。
ううん、れんだいこさんは私の文章をちゃんと読んでくれているのでしょうか。私は、戦後民主主義を評価するための重要な材料として、重要な除外例がそこにあったということをのべているのです。これは、だれそれの地位を向上させようとか、権利を得ようとか言う運動とはまったく別の、純粋な評価の問題です。
上に述べた事実により、日本の戦後民主主義には形式的な民主主義制度としても致命的な欠陥があったというのが私の指摘であり、そのような制度が機能したところで、その奥に内在する欠陥は克服できないものです。
在日朝鮮人は、そのようにして通常の市民権を与えられなかった階層であり、その存在に戦後民主主義に致命的な欠陥を見ることができるとはいえ、戦後民主主義の致命的な欠陥の原因を在日朝鮮人側の運動の誤りに帰するなどということはできません。まったくの筋違いな反論ではありませんか。
> > このように、日本の戦後民主主義が、一方的かつ合法的に住民の中の相当割合の非市民階層を作っていたということは、その民主主義の性質を評価する上で強く考慮しなければならない点であるといえます。
> > この認識に異存ありません。付け加えるならば、戦時中の徴用結果の在日朝鮮人、中国人問題は戦争の後遺症であり、政府が本来歴史的に解決せねばならないことだと考えます。その後二世三世となるにつれ同化しますが、「国民年金、健康保険、軍人恩給などの福祉を受領する権利や公務員、弁護士というような特定の職業を選択する職業選択の自由」など検討を要するでせうね。税金だけ取られて参政権無いというのでは酷でせうね。
この中のいくつかの権利、たとえば福祉サービスを受ける権利、公務員や弁護士になる権利などは、現在ではかなりの部分在日外国人にも認められています。しかし、これは日本政府が外圧に抗しきれずに1979年及び1982年「国際人権規約」と「難民条約」を批准した結果であるということですので、この点を見ても日本の戦後民主主義で実現した基本的の水準が国際的な基準をクリアしていないものであったことが明らかでしょう。
> 本来政治家とか官僚は、この辺りに心を砕くのが仕事だろうと思いますが、めっきり前例踏襲主義で済ませ(つまり何も仕事していない)、利権稼ぎのポスト狙いに一目散のようです。
役人や官僚の資質の問題でなく、日本の民主主義の中枢部の病理であると思います。
[671] Re^5: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/29(Thu) 09:40
猛獣文士さん、おはようございます
> ううん、れんだいこさんは私の文章をちゃんと読んでくれているのでしょうか。私は、戦後民主主義を評価するための重要な材料として、重要な除外例がそこにあったということをのべているのです。これは、だれそれの地位を向上させようとか、権利を得ようとか言う運動とはまったく別の、純粋な評価の問題です。
「重要な除外例がそこにあったということをのべているのです」ということを踏まえているつもりですが、伝わらないのかな。敢えて言えば、戦後民主主義の特殊例あるいは影の部分という認識をしております。
> この中には、戦前において、大日本帝国の「臣民」として曲がりなりにも認められていた(本国の日本人との間に差別があったとはいえ)諸権利が含まれています。
これをちゃんと読めば、戦後民主主義は、戦前の天皇制支配体制より劣っている面があるということですか。そういう認識はしておりませんので面食らいます。
> このようにして、日本の戦後民主主義は、市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした。
日本の戦後民主主義は、「市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした」として、その合理的な根拠が分かりません。そういう風には捉えていないので、負の部分に対しては個別的に闘えば良かったのにと申しましたが、言われてみれば認識が違うようですね。
>こうしたた事実により、日本の戦後民主主義には形式的な民主主義制度としても致命的な欠陥があったというのが私の指摘であり、そのような制度が機能したところで、その奥に内在する欠陥は克服できないものです。
戦後民主主義といっても、絵に描いた餅のようなものとは考えておりませんので、そこに欠陥があったとしても、「そのような制度が機能したところで、その奥に内在する欠陥は克服できないものです」とは考えませんね。民主主義の本質は闘い取るものであり、「欠陥は克服できないものです」というのはいただけません。
>
> 在日朝鮮人は、そのようにして通常の市民権を与えられなかった階層であり、その存在に戦後民主主義に致命的な欠陥を見ることができるとはいえ、戦後民主主義の致命的な欠陥の原因を在日朝鮮人側の運動の誤りに帰するなどということはできません。まったくの筋違いな反論ではありませんか。
いつも同じようなところですれ違いますね。「戦後民主主義の致命的な欠陥の原因を在日朝鮮人側の運動の誤りに帰する」という風に受け取られると閉口します。闘う必要を述べておりますが、責任はお前たちにあるなどと述べたつもりはありません。何でこうなるのでせう。
> この中のいくつかの権利、たとえば福祉サービスを受ける権利、公務員や弁護士になる権利などは、現在ではかなりの部分在日外国人にも認められています。しかし、これは日本政府が外圧に抗しきれずに1979年及び1982年「国際人権規約」と「難民条約」を批准した結果であるということですので、この点を見ても日本の戦後民主主義で実現した基本的の水準が国際的な基準をクリアしていないものであったことが明らかでしょう。
少し疑問をば。「日本政府が外圧に抗しきれずに」という表現自体変ですよね。ならば、国内的な闘争を強めればなおさら早期に可能であったということになるのではありませんか。「この点を見ても日本の戦後民主主義で実現した基本的の水準が国際的な基準をクリアしていないものであったことが明らかでしょう」となるのかどうか疑問です。
> 役人や官僚の資質の問題でなく、日本の民主主義の中枢部の病理であると思います。
この認識のところで、どうも違うようですね。猛獣文士さんは戦後民主主義を出来上がりのものと考えておられるような気がします。戦後民主主義を戦前の統治システムよりなお悪い面があるという認識もしておられるようです。これでは最大限これを評価するれんだいこ観点と齟齬するのも当然かも知れません。
仮に、戦後民主主義を在日朝鮮人の面から捉えて見て、戦前と較べてどうなのか、というのは指摘されてはじめて考察されるに値すると思いました。しかし、猛獣文士さん的まとめになるのかどうか疑問があります。
[672] Re^6: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/29(Thu) 16:51
れんだいこさん、ちわっす
> 「重要な除外例がそこにあったということをのべているのです」ということを踏まえているつもりですが、伝わらないのかな。敢えて言えば、戦後民主主義の特殊例あるいは影の部分という認識をしております。
この影の部分というのは、誰かの闘いのの不足によって積み残された部分なのでしょうか。あるいは、戦後民主主義を構成している本質的な部分なのでしょうか。私自身も、別に答えを知っているわけではありませんから、気軽にお答えください。
> > この中には、戦前において、大日本帝国の「臣民」として曲がりなりにも認められていた(本国の日本人との間に差別があったとはいえ)諸権利が含まれています。
> > これをちゃんと読めば、戦後民主主義は、戦前の天皇制支配体制より劣っている面があるということですか。そういう認識はしておりませんので面食らいます。
これは、事実を述べただけです。戦前の日本の体制は、植民地朝鮮や被侵略国の中国から見れば、大変、悪逆なものであったと思います。そのような体制を擁護するつもりはありません。しかし、上に書いてあることは事実であり、戦前戦後の社会の比較の図式を守るために事実が抹消されてよいものではありません。この事実をどう評価するかは、別の問題です。
ただ、戦前に行った日本の行為が戦後民主主義ではあいまいにされ、正しく清算されていないということは明らかであると思います。戦後民主主義はこの点を解決していません。
> > このようにして、日本の戦後民主主義は、市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした。
> > 日本の戦後民主主義は、「市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした」として、その合理的な根拠が分かりません。そういう風には捉えていないので、負の部分に対しては個別的に闘えば良かったのにと申しましたが、言われてみれば認識が違うようですね。
問題になっている部分は、「意図的に」というフレーズでしょうか。田中宏著「在日外国人」(岩波新書)によれば、在日朝鮮人に対するこのような措置は吉田茂などの戦後の日本の指導者の自由裁量の範囲で決定されたというようなことがかいてあった記憶がありますが、現在はその本が手元にありません。その状況については、もう少し詳しく調べる必要があるかも知れません。
しかし、れんだいこさんとは、多分、重要な除外例があったということは、認識上一致できるようです。しかし、当時、ほとんどの人々は、これが日本の民主主義の重要な欠陥であると考えている人は皆無に近かったのではないでしょうか。現在でも、この問題が日本の民主主義の鼎の軽重を問う決定的な問題であると気づいている人は少数派ではないでしょうか。共産党の支持者と見られる大阪の人さんも、そのような認識を露ほども持っていないようです。
あるいは、れんだいこさんも、この問題は重要ではあるが戦後民主主義の本質にかかわるものではなとおかんがえでしょうか。
> 戦後民主主義といっても、絵に描いた餅のようなものとは考えておりませんので、そこに欠陥があったとしても、「そのような制度が機能したところで、その奥に内在する欠陥は克服できないものです」とは考えませんね。民主主義の本質は闘い取るものであり、「欠陥は克服できないものです」というのはいただけません。
私は、れんだいこさんが「戦後民主主義が機能していた」と評価する1940年代から1970年代までの期間には、日本人の間に(多分在日朝鮮人や中国人の多くを含め)そのような認識が基本的に欠落していたと思います。問題を正しく認識していない状況では、その問題を解決する方向性は生まれてこないでしょう。
仮にこの問題が解決できるとすれば、そのような問題が問題として認識された(として)、2000年代以降になるのではありませんか。
> いつも同じようなところですれ違いますね。「戦後民主主義の致命的な欠陥の原因を在日朝鮮人側の運動の誤りに帰する」という風に受け取られると閉口します。闘う必要を述べておりますが、責任はお前たちにあるなどと述べたつもりはありません。何でこうなるのでせう。
誰がどのように闘う必要があるのでしょうか。もう少し、具体的に答えてください。闘えば、解決する。これではあまりにもあいまいです。
> 少し疑問をば。「日本政府が外圧に抗しきれずに」という表現自体変ですよね。ならば、国内的な闘争を強めればなおさら早期に可能であったということになるのではありませんか。「この点を見ても日本の戦後民主主義で実現した基本的の水準が国際的な基準をクリアしていないものであったことが明らかでしょう」となるのかどうか疑問です。
これも、事実を述べています。国際的な基準をクリアしていなかったから、条約をむすんだときに国内の行政のありかたを変えなければならなかったのです。
なお、多くの在日朝鮮人も、華僑も、それなりに闘ってきたと思うし、言いようによっては現在も闘い続けていると思いますが、なにか、闘い方に間違いがあったのでしょうか。あるいは、闘いに間違いがあったのは日本人の左派でしょうか。
> この認識のところで、どうも違うようですね。猛獣文士さんは戦後民主主義を出来上がりのものと考えておられるような気がします。戦後民主主義を戦前の統治システムよりなお悪い面があるという認識もしておられるようです。これでは最大限これを評価するれんだいこ観点と齟齬するのも当然かも知れません。
何かすばらしい未来に向かって、無限に成長していく過程として、ある対象を観察し、すべての問題点はそれが実現できるまでの過渡的な未完成部分でしかないという言い方をすれば、そのようなものは評価の対象とはなりえません。
「戦後民主主義を戦前の統治システムよりなお悪い面がある」というように、比較をしたわけでもありません。相手の言葉を自分なりに解釈する場合には、もう少し慎重な態度を守ってくれるよう、望みます。
> 仮に、戦後民主主義を在日朝鮮人の面から捉えて見て、戦前と較べてどうなのか、というのは指摘されてはじめて考察されるに値すると思いました。しかし、猛獣文士さん的まとめになるのかどうか疑問があります。
在日朝鮮人から見て、日本の戦後がどのようなものであったのかを検討することは意味があるかもしれません。しかし、戦前と比べる必要はあるのでしょうか。
[673] Re^7: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/29(Thu) 20:01 <URL>
猛獣文士さんちわぁ。話が混み入って参りました。
> この影の部分というのは、誰かの闘いのの不足によって積み残された部分なのでしょうか。あるいは、戦後民主主義を構成している本質的な部分なのでしょうか。私自身も、別に答えを知っているわけではありませんから、気軽にお答えください。
恐らく、戦前は大東亜共栄圏思想があり、その限りで民族共和思想に則り日本人と対朝鮮人・中国人・台湾人の間に形式的な平等が尊重され、有能人士の登用制度も講ぜられていたのかも知れませんね。この辺り指摘されて始めて気づきました。
戦後は、大東亜共栄圏思想を棄てたことにより日本人国籍者のみを前提として戦後民主主義体制の枠組みを創った。こうなると却って、在日外国人には不利益な社会となった面が発生することとなった、ということでせうか。「戦後民主主義を構成している本質的な部分」の欠陥というより、包摂できなかった一種の矛盾のようなものであり、それだけに戦後民主主義の面子にかけて対策を講ずる必要があったという風に思います。
> ただ、戦前に行った日本の行為が戦後民主主義ではあいまいにされ、正しく清算されていないということは明らかであると思います。戦後民主主義はこの点を解決していません。
なるほど。但し、「正しい清算」の仕方が実際には難しかったのではないかと思います。こういう場合やはり、不利益を受けている側が、部落開放運動のように行政的な対策を国に迫るということをしていくのが普通だと思います。なぜしなかったのでせう、れんだいことしてはやはりそこに問題を感じますね。
> 問題になっている部分は、「意図的に」というフレーズでしょうか。田中宏著「在日外国人」(岩波新書)によれば、在日朝鮮人に対するこのような措置は吉田茂などの戦後の日本の指導者の自由裁量の範囲で決定されたというようなことがかいてあった記憶がありますが、現在はその本が手元にありません。その状況については、もう少し詳しく調べる必要があるかも知れません。
吉田茂を弁護するつもりでは有りませんが、新生日本国の出直しとしては一国主義に回帰した以上在日外国人の棄民化はやむを得なかった。後は歴史の歩みに任せるというスタンスだったのではないでせうか。やはり、これにより不利益を受けた側が抗議運動すべきであり、その闘争の中から双方に知恵が生まれ応分の解決が為されていったのではないか、そういうのが歴史の歩みというのではないかなと思いますね。
> あるいは、れんだいこさんも、この問題は重要ではあるが戦後民主主義の本質にかかわるものではないとおかんがえでしょうか。
ううん本質とまでは考えていないですね。難しい話ですここは。
> 私は、れんだいこさんが「戦後民主主義が機能していた」と評価する1940年代から1970年代までの期間には、日本人の間に(多分在日朝鮮人や中国人の多くを含め)そのような認識が基本的に欠落していたと思います。問題を正しく認識していない状況では、その問題を解決する方向性は生まれてこないでしょう。
そう理解するよりも、不利益側がもっと社会的に訴え、世論化するべきであったように思います。なぜなら正義があるのですから、周知化すればするほどそれはそうだなという事になって圧力を形成していったのではないかと思います。れんだいこが云いたいのは、戦後民主主義の価値を正確に認識していなかった故に、世の中替えれば全てが解決するとして体制変革運動一本槍へ収斂させていったのではなかろうか、という気がする訳です。これは仮説ですけど。
> 仮にこの問題が解決できるとすれば、そのような問題が問題として認識された(として)、2000年代以降になるのではありませんか。
どうでせうね。今の政府では逆に臭いものに蓋で逃げ回るのではないでせうか。いずれにせよ思想的にどう理解し、理論化するのかということが問われているように思います。
> > いつも同じようなところですれ違いますね。「戦後民主主義の致命的な欠陥の原因を在日朝鮮人側の運動の誤りに帰する」という風に受け取られると閉口します。闘う必要を述べておりますが、責任はお前たちにあるなどと述べたつもりはありません。何でこうなるのでせう。
>
> 誰がどのように闘う必要があるのでしょうか。もう少し、具体的に答えてください。闘えば、解決する。これではあまりにもあいまいです。
具体的に述べればきりがないように思いますので、意見をしてみます。戦後から70年代までは割合と社共が強かった。社会党の強い時代は、自民党と議席を拮抗させるほどでした。この間に、反戦平和を掲げ、戦前の侵略戦争の反省をしている党派に対して、ならば俺達の問題を解決してくれ、云うだけではあかんと強い働き掛けをすれば良かった、と思います。例えば、原爆被爆者は国の補償を求めて働きかけて何がしかの対策を引き出しております。同じようにすれば良かったのにと思う訳です。具体的にどういう困難があったのか知らないままに述べていますが、そう思う訳です。
> これも、事実を述べています。国際的な基準をクリアしていなかったから、条約をむすんだときに国内の行政のありかたを変えなければならなかったのです。
これはこれで異論ありません。それで良かったと思いますが、「戦後民主主義」の鼎の軽重が問われているような欠陥というようなものであったのかどうかについて、そういう風には認識してはおりませんということです。
> なお、多くの在日朝鮮人も、華僑も、それなりに闘ってきたと思うし、言いようによっては現在も闘い続けていると思いますが、なにか、闘い方に間違いがあったのでしょうか。あるいは、闘いに間違いがあったのは日本人の左派でしょうか。
れんだいこはそういう風に見ております。ややイデオロギー過剰な闘争にエネルギーを費やし、具体的な諸制度の変更に向けて戦ったのはその何割かのエネルギーを向けたに過ぎない。そういう闘い方は間違いだったと思います。戦前の闘いならそれで良かったかも、戦後の場合は戦後民主主義の内実化を目指して保守勢力ととことん闘うべきであった、当然議会活動も含めてと思っております。惜しい負の歴史と見ております。
> > この認識のところで、どうも違うようですね。猛獣文士さんは戦後民主主義を出来上がりのものと考えておられるような気がします。戦後民主主義を戦前の統治システムよりなお悪い面があるという認識もしておられるようです。これでは最大限これを評価するれんだいこ観点と齟齬するのも当然かも知れません。
>
> 何かすばらしい未来に向かって、無限に成長していく過程として、ある対象を観察し、すべての問題点はそれが実現できるまでの過渡的な未完成部分でしかないという言い方をすれば、そのようなものは評価の対象とはなりえません。
なぜ猛獣文士さんがさように受け取られるのか分かりません。そうではなくて、れんだいこは格別に戦後民主主義の価値を称揚している訳です。「何かすばらしい未来に向かって、無限に成長していく過程」として見ていなくて、逆にあれほどこれほど素晴らしい戦後民主主義の価値が貶められ形骸化され、次第に戦前型秩序並に戻りつつあることを嘆いているというスタンスです。
> 「戦後民主主義を戦前の統治システムよりなお悪い面がある」というように、比較をしたわけでもありません。相手の言葉を自分なりに解釈する場合には、もう少し慎重な態度を守ってくれるよう、望みます。
そういう風な主張に読めたわけですが、もう少し慎重に解読しようと思います。
> 在日朝鮮人から見て、日本の戦後がどのようなものであったのかを検討することは意味があるかもしれません。しかし、戦前と比べる必要はあるのでしょうか。
それは有ります。なぜなら、それこそ「どこにも存在したことの無いあるべき理念」と比較してもあまり意味がないと考えるから。やはり歴史的な経過で追うのが間違いが無いと思います。もっともそれを解読するのに思想とか観点がいるとは思います。
[708] Re^8: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:どん底 投稿日:02/11/12(Tue) 12:08
みなさん、はじめまして。
どん底と申します。金国雄さんの掲示板に貼られたリンクからまいりました。
夏ごろのスレですが興味をひかれたので一言。
(猛獣文士さん)
> 私は、れんだいこさんが「戦後民主主義が機能していた」と評価する1940年代から1970年代までの期間には、日本人の間に(多分在日朝鮮人や中国人の多くを含め)そのような認識[戦後民主主義に欠陥有りとの認識−どん底註]が基本的に欠落していたと思います。問題を正しく認識していない状況では、その問題を解決する方向性は生まれてこないでしょう。
(れんだいこさん)
> そう理解するよりも、不利益側がもっと社会的に訴え、世論化するべきであったように思います。なぜなら正義があるのですから、周知化すればするほどそれはそうだなという事になって圧力を形成していったのではないかと思います。れんだいこが云いたいのは、戦後民主主義の価値を正確に認識していなかった故に、世の中替えれば全てが解決するとして体制変革運動一本槍へ収斂させていったのではなかろうか、という気がする訳です。これは仮説ですけど。
猛獣文士さんは戦後民主主義に安住した日本人の自己認識を問うておられます。それは、先頭発言No.662において
>私は、立場性の問題を理由にこの問題を深く掘り下げることを避けようとしました。
と記しておられることからも想像されるところです。しかし、れんだいこさんはそのような「立場性」にはまるで拘っておりません。抑圧民族か被抑圧民族かの違いを超えた普遍的立場(!)に身を置いて、
>不利益側がもっと社会的に訴え、世論化するべきであったように思います。なぜなら正義があるのですから
と、お答えです。ここが日本であるからこそ自己の「立場性」に拘らざるを得ない猛獣文士さん。他方において、ここが日本であるからこそ自己の「立場性」を空気のごとく視野外に置き去りにしているれんだいこさん。上に引いたれんだいこさんの論が「立場を超えた正論」であればあるほど猛獣文士さんには暴力的なものと感じられるのではないでしょうか? また、それは当然のことであると思われます。
なお、れんだいこさんの議論には「世の中替えれば全てが解決するとした体制変革運動一本槍」と同質のものを感じますね。実際、被抑圧者にそれを求めているのですから。
[675] Re^8: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/08/29(Thu) 22:46
> 恐らく、戦前は大東亜共栄圏思想があり、その限りで民族共和思想に則り日本人と対朝鮮人・中国人・台湾人の間に形式的な平等が尊重され、有能人士の登用制度も講ぜられていたのかも知れませんね。この辺り指摘されて始めて気づきました。
植民地支配において「有能人士の登用」を行なうのは当たり前のことです。日帝の総督府もそれなりにやっていました。
そのことではなく、普通の一般大衆の権利のことを言っています。もちろん朝鮮台湾においては選挙は行なわれませんでしたが、「内地」(日本)に居住する場合はある時点から選挙権が認められていました。(実際はさまざまな制限で行使できない場合が多かった。)
この当たりは面倒なので文献を当たって下さい。選挙権については次の文献が参考になります。
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/sanseiken1.html
> なるほど。但し、「正しい清算」の仕方が実際には難しかったのではないかと思います。こういう場合やはり、不利益を受けている側が、部落開放運動のように行政的な対策を国に迫るということをしていくのが普通だと思います。なぜしなかったのでせう、れんだいことしてはやはりそこに問題を感じますね。
> 吉田茂を弁護するつもりでは有りませんが、新生日本国の出直しとしては一国主義に回帰した以上在日外国人の棄民化はやむを得なかった。後は歴史の歩みに任せるというスタンスだったのではないでせうか。やはり、これにより不利益を受けた側が抗議運動すべきであり、その闘争の中から双方に知恵が生まれ応分の解決が為されていったのではないか、そういうのが歴史の歩みというのではないかなと思いますね。
言うまでもなく入管抑圧体制にたいするたたかいは続けられてきましたし、その過程で権利はある程度かち取られてきました。60年代までは主に共産党、それ以後は主に社会党が議会や対行政で支援してくれました。60年代までは在日朝鮮人の祖国訪問すらできなかった(再入国許可の制限)ように聞いておりますので、その時代とは雲泥の差があるのではないでしょうか。
在日の側の問題点としては、朝鮮総聯の場合は、1955年に日本共産党から離れて朝鮮労働党の指導下で結成されたという経緯から「日本の内政への不干渉」(一国社会主義と平和共存からくるスターリン主義的原則)という制限を自己に課していたことが問題点としてあげられますが、それはこの問題とは別に論じる必要があります。
内政干渉というのは国家間の行為に関する概念であり、朝鮮総聯の行為は当然「内政干渉」にはなりえないはずですが、朝鮮と日本の国交がないため朝鮮総聯は朝鮮大使館の機能もあわせもつことになり、「朝鮮政府の代弁」と「在日の権利擁護」を分離できないことからこの問題が解決できなかったのかも知れません。朝鮮と日本の国交が正常化し、朝鮮大使館が開設されておれば、朝鮮総聯は「内政不干渉」などという原則を掲げる必要がなくなっていたでしょう。朝鮮総聯が右翼反動と一緒になって参政権に反対するという珍奇な事態は見るにしのびないものがあります。
[677] Re^9: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/29(Thu) 23:53 <URL>
コスモポリタンさんちわぁ。なるほどこういう書き方してくれると生産的です。もっと詳しく知りたいくらいです。猛獣文士さんとは論がレールに乗らないので弱っております。恐らく書けば書くほどいらだたせることになるでせう。しかしてそれはれんだいこの責任だろうか、と思っちゃいます。自分で自分は見られないからねぇ。
[674] Re^8: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/29(Thu) 22:40
れんだいこさん、おばんでやす
> > > この影の部分というのは、誰かの闘いのの不足によって積み残された部分なのでしょうか。あるいは、戦後民主主義を構成している本質的な部分なのでしょうか。私自身も、別に答えを知っているわけではありませんから、気軽にお答えください。
>
> 恐らく、戦前は大東亜共栄圏思想があり、その限りで民族共和思想に則り日本人と対朝鮮人・中国人・台湾人の間に形式的な平等が尊重され、有能人士の登用制度も講ぜられていたのかも知れませんね。この辺り指摘されて始めて気づきました。
れんだいこさんの認識は甘いですね。形式的な平等などなかったと思います。何を根拠にそのようなことをいうのでしょうか。
このような発言は、大阪の人さんの発言よりもはるかに私の神経を逆立てるものです。もう少し、慎重な発言を望みます。
> > 戦後は、大東亜共栄圏思想を棄てたことにより日本人国籍者のみを前提として戦後民主主義体制の枠組みを創った。こうなると却って、在日外国人には不利益な社会となった面が発生することとなった、ということでせうか。
日本国籍者というのは、日本にいた在日朝鮮人になぜ国籍選択の機会がなぜ与えられれなかったのかが、ひとつの問題であるといっているのですが、お忘れでしょうか。現在の日本国籍の制度は、そのときの措置に基づいて確定しているわけです。そのときの措置の当否が重要な論点であるのに、その結果を前提にされては、議論が壊れてしまいます。
>「戦後民主主義を構成している本質的な部分」の欠陥というより、包摂できなかった一種の矛盾のようなものであり、それだけに戦後民主主義の面子にかけて対策を講ずる必要があったという風に思います。
対策を講じることができてからいってほしいことです。
> > > ただ、戦前に行った日本の行為が戦後民主主義ではあいまいにされ、正しく清算されていないということは明らかであると思います。戦後民主主義はこの点を解決していません。
> > なるほど。但し、「正しい清算」の仕方が実際には難しかったのではないかと思います。
難しかったというのは、戦後民主主義に欠陥があることの反証とは思えません。
>こういう場合やはり、不利益を受けている側が、部落開放運動のように行政的な対策を国に迫るということをしていくのが普通だと思います。なぜしなかったのでせう、れんだいことしてはやはりそこに問題を感じますね。
それは、できる範囲で行っていたと思いますが、それが「日本国民」の目に入らなかったというのが現実と思います。れんだいこさんは、またしても問題の所在を被害者の側に押し返そうとしていますが、そうでないと発言しながらなぜ、同じことを繰り返すのでしょう。
> 吉田茂を弁護するつもりでは有りませんが、新生日本国の出直しとしては一国主義に回帰した以上在日外国人の棄民化はやむを得なかった。後は歴史の歩みに任せるというスタンスだったのではないでせうか。やはり、これにより不利益を受けた側が抗議運動すべきであり、その闘争の中から双方に知恵が生まれ応分の解決が為されていったのではないか、そういうのが歴史の歩みというのではないかなと思いますね。
これは、弁護でなくてなんでしょうか。仕方がなかったという話であれば、議論はすべて終わってしまいます。
> > > あるいは、れんだいこさんも、この問題は重要ではあるが戦後民主主義の本質にかかわるものではないとおかんがえでしょうか。
> > ううん本質とまでは考えていないですね。難しい話ですここは。
本質でないということは、社会の構成階層の一部に、参加を許されない部分があっても、民主主義の本質に変わりがないということですか。結局、れんだいこさんは、現在でも問題をそのように考えているようです。このように考えている日本人の多数派であるかぎり、この問題は解決し得ないでしょう。
> > > 私は、れんだいこさんが「戦後民主主義が機能していた」と評価する1940年代から1970年代までの期間には、日本人の間に(多分在日朝鮮人や中国人の多くを含め)そのような認識が基本的に欠落していたと思います。問題を正しく認識していない状況では、その問題を解決する方向性は生まれてこないでしょう。
> > そう理解するよりも、不利益側がもっと社会的に訴え、世論化するべきであったように思います。なぜなら正義があるのですから、周知化すればするほどそれはそうだなという事になって圧力を形成していったのではないかと思います。れんだいこが云いたいのは、戦後民主主義の価値を正確に認識していなかった故に、世の中替えれば全てが解決するとして体制変革運動一本槍へ収斂させていったのではなかろうか、という気がする訳です。これは仮説ですけど。
もう一度くり返しますが、なぜ、不利益側が何もしていなかったと断定するのでしょうか。その根拠を語ってください。
> > > 仮にこの問題が解決できるとすれば、そのような問題が問題として認識された(として)、2000年代以降になるのではありませんか。
> > どうでせうね。今の政府では逆に臭いものに蓋で逃げ回るのではないでせうか。いずれにせよ思想的にどう理解し、理論化するのかということが問われているように思います。
れんだいこさんがどうとらえるのかを先に聞きたいのですが、期待できないようです。
> 具体的に述べればきりがないように思いますので、意見をしてみます。戦後から70年代までは割合と社共が強かった。社会党の強い時代は、自民党と議席を拮抗させるほどでした。この間に、反戦平和を掲げ、戦前の侵略戦争の反省をしている党派に対して、ならば俺達の問題を解決してくれ、云うだけではあかんと強い働き掛けをすれば良かった、と思います。例えば、原爆被爆者は国の補償を求めて働きかけて何がしかの対策を引き出しております。同じようにすれば良かったのにと思う訳です。具体的にどういう困難があったのか知らないままに述べていますが、そう思う訳です。
よく知らないけれどもそう思うなどというのであれば、最初から闘いが必要だなどというべきではないと思います。
>
> > これも、事実を述べています。国際的な基準をクリアしていなかったから、条約をむすんだときに国内の行政のありかたを変えなければならなかったのです。
> > これはこれで異論ありません。それで良かったと思いますが、「戦後民主主義」の鼎の軽重が問われているような欠陥というようなものであったのかどうかについて、そういう風には認識してはおりませんということです。
小役人の答弁のような言い回しですね。では、どう認識しているのでしょうか。
> > > なお、多くの在日朝鮮人も、華僑も、それなりに闘ってきたと思うし、言いようによっては現在も闘い続けていると思いますが、なにか、闘い方に間違いがあったのでしょうか。あるいは、闘いに間違いがあったのは日本人の左派でしょうか。
> > れんだいこはそういう風に見ております。ややイデオロギー過剰な闘争にエネルギーを費やし、具体的な諸制度の変更に向けて戦ったのはその何割かのエネルギーを向けたに過ぎない。そういう闘い方は間違いだったと思います。戦前の闘いならそれで良かったかも、戦後の場合は戦後民主主義の内実化を目指して保守勢力ととことん闘うべきであった、当然議会活動も含めてと思っております。惜しい負の歴史と見ております。
そのようにというのは、華僑の運動に問題があったということでしょうか。具体的に、どの部分に問題があったのでしょうか。
> なぜ猛獣文士さんがさように受け取られるのか分かりません。そうではなくて、れんだいこは格別に戦後民主主義の価値を称揚している訳です。「何かすばらしい未来に向かって、無限に成長していく過程」として見ていなくて、逆にあれほどこれほど素晴らしい戦後民主主義の価値が貶められ形骸化され、次第に戦前型秩序並に戻りつつあることを嘆いているというスタンスです。
とにかく、戦後民主主義がよかったということですか。それについては、私は認識が違うといっているので、そのレベルで議論するのならば、そこで終わりになるでしょう。私の場合には、根拠を述べていますが、れんだいこさんはのべていないように思います。
> それは有ります。なぜなら、それこそ「どこにも存在したことの無いあるべき理念」と比較してもあまり意味がないと考えるから。やはり歴史的な経過で追うのが間違いが無いと思います。もっともそれを解読するのに思想とか観点がいるとは思います。
日本には民主主義があり、他のアジア諸国にはそれがないという俗説があります。私はその俗説にれんだいこさんがとらわれているのでないかと感じて、そこから議論に入っています。これは私の勘違いかもしれません。
勘違いでないとして、私は、日本にあるといわれている「民主主義」なるものは、擬似民主主義であるという異説を述べています。議論がこのようなものでなく、歴史の一般的な評価であれば、方向を変えなければならないかもしれません。
[676] Re^9: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/29(Thu) 23:37 <URL>
猛獣文士さんちわぁです。猛獣文士さんとの遣り取りはかなり難しいということが分かりました。この認識の上でレスつけます。
>> 恐らく、戦前は大東亜共栄圏思想があり、その限りで民族共和思想に則り日本人と対朝鮮人・中国人・台湾人の間に形式的な平等が尊重され、有能人士の登用制度も講ぜられていたのかも知れませんね。この辺り指摘されて始めて気づきました。
>
> れんだいこさんの認識は甘いですね。形式的な平等などなかったと思います。何を根拠にそのようなことをいうのでしょうか。
「何を根拠にそのようなことをいうのでしょうか」ですが、次の猛獣文士さんの文章から読み取ったのですが。
「国籍を喪失することにより彼らが失ったのは、選挙権にとどまらず、国民年金、健康保険、軍人恩給などの福祉を受領する権利や公務員、弁護士というような特定の職業を選択する職業選択の自由など、多方面にわたっています。この中には、戦前において、大日本帝国の「臣民」として曲がりなりにも認められていた(本国の日本人との間に差別があったとはいえ)諸権利が含まれています。このようにして、日本の戦後民主主義は、市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした」。
上記の文言からどう読み取れば、猛獣文士さんの意に叶うのですか。
> このような発言は、大阪の人さんの発言よりもはるかに私の神経を逆立てるものです。もう少し、慎重な発言を望みます。
しかし、なぜ私の読み取りばかりがかように叱責されるのでせうね。一般に理解は難しいものです。猛獣文士さんは、これまでの遣り取りでれんだいこの文意を正確に読み取っておられますか。「はるかに私の神経を逆立てるものです。もう少し、慎重な発言を望みます」とは、本来お互い様ですよ。これは我々二人に限らず。違いますか。
> 日本国籍者というのは、日本にいた在日朝鮮人になぜ国籍選択の機会がなぜ与えられれなかったのかが、ひとつの問題であるといっているのですが、お忘れでしょうか。現在の日本国籍の制度は、そのときの措置に基づいて確定しているわけです。そのときの措置の当否が重要な論点であるのに、その結果を前提にされては、議論が壊れてしまいます。
申し訳ないですが、どこの文章でそういうご指摘が有りましたか。失念しております。教えてくださいますか。
> >「戦後民主主義を構成している本質的な部分」の欠陥というより、包摂できなかった一種の矛盾のようなものであり、それだけに戦後民主主義の面子にかけて対策を講ずる必要があったという風に思います。
>
> 対策を講じることができてからいってほしいことです。
申し訳ないですが、そういう対策が立派に出来ている国を教えてください。
> > > > ただ、戦前に行った日本の行為が戦後民主主義ではあいまいにされ、正しく清算されていないということは明らかであると思います。戦後民主主義はこの点を解決していません。
> > > なるほど。但し、「正しい清算」の仕方が実際には難しかったのではないかと思います。
>
> 難しかったというのは、戦後民主主義に欠陥があることの反証とは思えません。
「戦後民主主義に欠陥がある」ことは、極力認めておると書いて参りましたが。猛獣文士さんは、鼎の軽重が問われるほどの欠陥と云われてきたのではないですか。単に欠陥という書き方では無かったと思います。
> それは、できる範囲で行っていたと思いますが、それが「日本国民」の目に入らなかったというのが現実と思います。れんだいこさんは、またしても問題の所在を被害者の側に押し返そうとしていますが、そうでないと発言しながらなぜ、同じことを繰り返すのでしょう。
ここも、いつもですが私の文意が伝わらず、「またしても問題の所在を被害者の側に押し返そうとしています」と云われる。結局、猛獣文士さん好みの返答でなければお気に召さないということですか。「できる範囲で行っていたと思いますが、それが日本国民の目に入らなかったというのが現実と思います」に対して、もう少しやりようもあったのではないかと申しております。これは何も、「またしても問題の所在を被害者の側に押し返そうとしています」と受け取らなくても良いのではないですか。
どうしても固執されるのなら、部落解放運動、被爆者救援運動の例を挙げている訳ですから、それ以上にかくかくしかじか取り組んでいたのに「日本国民の目に入らなかった」ということを逆に例証されれば説得力があると思います。「日本国民の目に入らないようにされた」ということは有り得ることと思いますので、そのように議論を展開されれば宜しいと思います。
> > 吉田茂を弁護するつもりでは有りませんが、新生日本国の出直しとしては一国主義に回帰した以上在日外国人の棄民化はやむを得なかった。後は歴史の歩みに任せるというスタンスだったのではないでせうか。やはり、これにより不利益を受けた側が抗議運動すべきであり、その闘争の中から双方に知恵が生まれ応分の解決が為されていったのではないか、そういうのが歴史の歩みというのではないかなと思いますね。
>
> これは、弁護でなくてなんでしょうか。仕方がなかったという話であれば、議論はすべて終わってしまいます。
ここもいつも食い違うところです。客観的な認識を先ずしてそれから対策を練るというのは普通の発想ですが、それが「弁護でなくてなんでしょうか。仕方がなかったという話である」としか受け取られ無いのなら、それこそ「議論はすべて終わってしまいます」。
> 本質でないということは、社会の構成階層の一部に、参加を許されない部分があっても、民主主義の本質に変わりがないということですか。結局、れんだいこさんは、現在でも問題をそのように考えているようです。このように考えている日本人の多数派であるかぎり、この問題は解決し得ないでしょう。
ここは承っておきます。
> もう一度くり返しますが、なぜ、不利益側が何もしていなかったと断定するのでしょうか。その根拠を語ってください。
なぜそういう風に受け取られるのでせうね。「不利益側が何もしていなかったと断定するのでしょうか」とありますが、どこにそういう風に断定しておりますか。「何を根拠にそのようなことをいうのでしょうか」は、猛獣文士さんがれんだいこに投げた言葉です。該当個所を示してください。もう何をどう書いても通じないことに失望しております。
> よく知らないけれどもそう思うなどというのであれば、最初から闘いが必要だなどというべきではないと思います。
これは暴論でせう。「よく知らないけれどもそう思うなどという」のがいけないこととすれば、「よく知らない者は黙れ」ということになります。これは議論を拒否する姿勢ですよね。「最初から闘いが必要だなどというべきではないと思います」は意味不明ですが、ではどういう風に云えば良いのですか。そうか黙って拝聴するのが相応しいということですか。
> 小役人の答弁のような言い回しですね。では、どう認識しているのでしょうか。
「では、どう認識しているのでしょうか」も、結構凄い表現ですよね。それなりに私の認識伝えて参りましたが、全く伝わっていないということがよく分かりました。
>なお、多くの在日朝鮮人も、華僑も、それなりに闘ってきたと思うし、言いようによっては現在も闘い続けていると思いますが、なにか、闘い方に間違いがあったのでしょうか。あるいは、闘いに間違いがあったのは日本人の左派でしょうか。
>>れんだいこはそういう風に見ております。ややイデオロギー過剰な闘争にエネルギーを費やし、具体的な諸制度の変更に向けて戦ったのはその何割かのエネルギーを向けたに過ぎない。そういう闘い方は間違いだったと思います。戦前の闘いならそれで良かったかも、戦後の場合は戦後民主主義の内実化を目指して保守勢力ととことん闘うべきであった、当然議会活動も含めてと思っております。惜しい負の歴史と見ております。
> そのようにというのは、華僑の運動に問題があったということでしょうか。具体的に、どの部分に問題があったのでしょうか。
これは逆に云えばよく分かります。華僑の運動にはどこも問題がなかったということでせうか。具体的に、いかに優れていたのか教えてくださいますか。一般に、欠点とか誤りを晒しだして検討するのがそんなにいけないことですか。
> とにかく、戦後民主主義がよかったということですか。それについては、私は認識が違うといっているので、そのレベルで議論するのならば、そこで終わりになるでしょう。私の場合には、根拠を述べていますが、れんだいこさんはのべていないように思います。
「私の場合には、根拠を述べていますが、れんだいこさんはのべていないように思います」なんて云われると、これまで書き上げてきたことも含めて全く議論が無駄ですね。
> 日本には民主主義があり、他のアジア諸国にはそれがないという俗説があります。私はその俗説にれんだいこさんがとらわれているのでないかと感じて、そこから議論に入っています。これは私の勘違いかもしれません。
> 勘違いでないとして、私は、日本にあるといわれている「民主主義」なるものは、擬似民主主義であるという異説を述べています。議論がこのようなものでなく、歴史の一般的な評価であれば、方向を変えなければならないかもしれません。
多少俗説的な認識しております。なぜならそれは事実だと思うから。「日本にあるといわれている民主主義なるものは、擬似民主主義であるという」認識は多少なりとも共有できます。しかし、捉え方が全く違うことが分かりました。ところで、議論にこの先に自信が持てません。疲れがどっと出始めております。
[678] Re^10: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/30(Fri) 00:49
れんだいこさん、おつかれのようですね
たかが掲示板での議論です。気軽に暴言で行きましょう
> 「国籍を喪失することにより彼らが失ったのは、選挙権にとどまらず、国民年金、健康保険、軍人恩給などの福祉を受領する権利や公務員、弁護士というような特定の職業を選択する職業選択の自由など、多方面にわたっています。この中には、戦前において、大日本帝国の「臣民」として曲がりなりにも認められていた(本国の日本人との間に差別があったとはいえ)諸権利が含まれています。このようにして、日本の戦後民主主義は、市民的な権利に対する合法的な除外例を意図的に作り上げることによって、形成されたものでした」。
> > 上記の文言からどう読み取れば、猛獣文士さんの意に叶うのですか。
これで、戦前に形式的な平等があったと読み取ったということですか。確かに、日本の朝鮮支配、台湾支配が後100年つづいていたら、形式的な平等が実現したかもしれませんね。しかし、事実として、形式的にも不平等だったという話を聞いていますので、私はそう思っています。
> > > このような発言は、大阪の人さんの発言よりもはるかに私の神経を逆立てるものです。もう少し、慎重な発言を望みます。
> > しかし、なぜ私の読み取りばかりがかように叱責されるのでせうね。一般に理解は難しいものです。猛獣文士さんは、これまでの遣り取りでれんだいこの文意を正確に読み取っておられますか。「はるかに私の神経を逆立てるものです。もう少し、慎重な発言を望みます」とは、本来お互い様ですよ。これは我々二人に限らず。違いますか。
私の理解でまちがっているところがあったら、指摘してください。
> > > 日本国籍者というのは、日本にいた在日朝鮮人になぜ国籍選択の機会がなぜ与えられれなかったのかが、ひとつの問題であるといっているのですが、お忘れでしょうか。現在の日本国籍の制度は、そのときの措置に基づいて確定しているわけです。そのときの措置の当否が重要な論点であるのに、その結果を前提にされては、議論が壊れてしまいます。
> > 申し訳ないですが、どこの文章でそういうご指摘が有りましたか。失念しております。教えてくださいますか。
No664で問題をまとめて提起したのですが、それをれんだいこさんはまったく踏まえずに、運動がどうのこうのいっているのですが。
|れんだいこさん、ちわ
|
|問題点を整理させてください。
|
|終戦後、日本には200万人以上の朝鮮人が居住していましたが、朝鮮半島に生活の根拠が残っていた人々は帰国
|し、朝鮮半島との関係が希薄になり、また日本に生活の根拠があった60万人ほどが在日朝鮮人として残りました。
|
|戦前には、彼らは、日本国の臣民としての地位を強制され、日本風の名前に改名させられていました。
|
|戦後、彼らは国籍選択の機会を与えられないまま、日本国籍を剥奪され、それにともないさまざまな権利を
|失ったわけです。
> > > >「戦後民主主義を構成している本質的な部分」の欠陥というより、包摂できなかった一種の矛盾のようなものであり、それだけに戦後民主主義の面子にかけて対策を講ずる必要があったという風に思います。
> > > > 対策を講じることができてからいってほしいことです。
> > 申し訳ないですが、そういう対策が立派に出来ている国を教えてください。
|戦前に同じように植民地を持っていたフランスのアルジェリアに対する例や、ドイツのオーストリア人に対する
|例を見ても、このような一方的な国籍の剥奪というやりかたではなかったようですが、詳細は後の調査にゆだね
|たいと思います。
> ここも、いつもですが私の文意が伝わらず、「またしても問題の所在を被害者の側に押し返そうとしています」と云われる。結局、猛獣文士さん好みの返答でなければお気に召さないということですか。「できる範囲で行っていたと思いますが、それが日本国民の目に入らなかったというのが現実と思います」に対して、もう少しやりようもあったのではないかと申しております。これは何も、「またしても問題の所在を被害者の側に押し返そうとしています」と受け取らなくても良いのではないですか。
文意が伝わりませんね。被害者の側に責任を転嫁しているとしか読み取れませんが、どう読んだら、れんだいこさんのお気に召すのでしょうか。
> どうしても固執されるのなら、部落解放運動、被爆者救援運動の例を挙げている訳ですから、それ以上にかくかくしかじか取り組んでいたのに「日本国民の目に入らなかった」ということを逆に例証されれば説得力があると思います。「日本国民の目に入らないようにされた」ということは有り得ることと思いますので、そのように議論を展開されれば宜しいと思います。
運動のような形にしないと、取り組みにはならないということでしょうか。
たとえば、就職差別を受けたときとか、国民年金を長年にわたって支払っていたのに、満了になったときに区役所から外国人には年金は給付できない通知され、訴訟したとか、指紋押捺を拒否したとか、具体的な不利益をこうむったときに、具体的に抗議しているわけです。
在日外国人に参政権を与えろなどという要求は、雲をつかむような話であるし、実現性も疑わしいし、法理論的にも、諸外国の例を見ても、理論的に主張するのも難しいので、そのような大上段に振りかぶった運動を行うことはできなかったのですが、それが努力不足というわけでしょうか。
もうひとつの問題は、戦後民主主義の枠組みの中で権利を要求することで、在日朝鮮人の問題が解決しうるのかどうかということです。むしろ、その枠組みを超えたところでなければ、問題の解決に到達しないというのが、私の考えです。
> ここもいつも食い違うところです。客観的な認識を先ずしてそれから対策を練るというのは普通の発想ですが、それが「弁護でなくてなんでしょうか。仕方がなかったという話である」としか受け取られ無いのなら、それこそ「議論はすべて終わってしまいます」。
No664で問題をまとめて提起したのですが、それについて、仕方がないという議論が帰ってきたと感じています。
> > よく知らないけれどもそう思うなどというのであれば、最初から闘いが必要だなどというべきではないと思います。
> > これは暴論でせう。「よく知らないけれどもそう思うなどという」のがいけないこととすれば、「よく知らない者は黙れ」ということになります。これは議論を拒否する姿勢ですよね。「最初から闘いが必要だなどというべきではないと思います」は意味不明ですが、ではどういう風に云えば良いのですか。そうか黙って拝聴するのが相応しいということですか。
在日外国人の側の闘いが必要だなどという議論は無用だと思います。闘いたければ闘うだろうし、闘いたくなければ闘わないのではないでしょうか。れんだいこさんが自分の問題について、闘うのは結構です。あるいは。他人の問題についてでも闘うのも結構です。しかし、だれそれに闘えなどというのは余計なお世話でしょうね。
それをいうのならば、先に自分がどう闘っているかを言うべきという話になります。
> > そのようにというのは、華僑の運動に問題があったということでしょうか。具体的に、どの部分に問題があったのでしょうか。
> > これは逆に云えばよく分かります。華僑の運動にはどこも問題がなかったということでせうか。具体的に、いかに優れていたのか教えてくださいますか。一般に、欠点とか誤りを晒しだして検討するのがそんなにいけないことですか。
戦後民主主義の性質についての検討をしたかったのですが、華僑の運動の欠点を検討することになってしまったわけですか。
戦後民主主義において、在日台湾人が一方的に排除された結果について、華僑の運動のやりようによってはちがったものになりえたかどうかという点が問題になると思います。華僑の運動が大きな誤りを犯して、そのためにそのような結果を招いたのだが、ある時点で別の運動を行っていれば、別の結果があったと考えられるのならば、その運動を検討するのもいいかもしれませんが、意思決定について華僑側はまったく参与できなかったのですから、そのような決定を実施する点について、華僑側の運動は影響を与えていないと思います。その意味で、被害者側の運動をいじくりまわしても、これといった原因をみつける可能性は少ないでしょう。
> > > とにかく、戦後民主主義がよかったということですか。それについては、私は認識が違うといっているので、そのレベルで議論するのならば、そこで終わりになるでしょう。私の場合には、根拠を述べていますが、れんだいこさんはのべていないように思います。
> > 「私の場合には、根拠を述べていますが、れんだいこさんはのべていないように思います」なんて云われると、これまで書き上げてきたことも含めて全く議論が無駄ですね。
No664で根拠を述べたつもりですが、答えをもらっていないと思います。
> 多少俗説的な認識しております。なぜならそれは事実だと思うから。「日本にあるといわれている民主主義なるものは、擬似民主主義であるという」認識は多少なりとも共有できます。しかし、捉え方が全く違うことが分かりました。ところで、議論にこの先に自信が持てません。疲れがどっと出始めております。
泣き言でしょうか。議論を強制しても仕方がありませんから、休養して元気になったらもう一戦ということでどうでしょうか。
[679] Re^11: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/30(Fri) 01:15
猛獣文士さんちわぁ。手短に参ります。
> No664で問題をまとめて提起したのですが、それをれんだいこさんはまったく踏まえずに、運動がどうのこうのいっているのですが。
>
> |れんだいこさん、ちわ
> |
> |問題点を整理させてください。
> |
> |終戦後、日本には200万人以上の朝鮮人が居住していましたが、朝鮮半島に生活の根拠が残っていた人々は帰国
> |し、朝鮮半島との関係が希薄になり、また日本に生活の根拠があった60万人ほどが在日朝鮮人として残りました。
> |
> |戦前には、彼らは、日本国の臣民としての地位を強制され、日本風の名前に改名させられていました。
> |
> |戦後、彼らは国籍選択の機会を与えられないまま、日本国籍を剥奪され、それにともないさまざまな権利を
> |失ったわけです。
ここ猛獣文士さんのかなり力点があったところのようですね。どう云うわけかここのくだり失念していました。
> 在日外国人の側の闘いが必要だなどという議論は無用だと思います。闘いたければ闘うだろうし、闘いたくなければ闘わないのではないでしょうか。れんだいこさんが自分の問題について、闘うのは結構です。あるいは。他人の問題についてでも闘うのも結構です。しかし、だれそれに闘えなどというのは余計なお世話でしょうね。
ううんこれではれんだいこと議論が深まるはずがないということがあらためて分かりました。
> > 多少俗説的な認識しております。なぜならそれは事実だと思うから。「日本にあるといわれている民主主義なるものは、擬似民主主義であるという」認識は多少なりとも共有できます。しかし、捉え方が全く違うことが分かりました。ところで、議論にこの先に自信が持てません。疲れがどっと出始めております。
>
> 泣き言でしょうか。議論を強制しても仕方がありませんから、休養して元気になったらもう一戦ということでどうでしょうか。
申し訳ないですが、泣き言と捉えるのはご自由ですがほんと真意が伝わらないですね。「もう一戦」という感覚も分からない。為にする議論をしている訳ではないのです。でもいいや、跡を濁さずという名言もありますので、暫く休養とさせていただきたく存じます。貴サイトを通じて文革論まで意欲を持つに至ったこと感謝しております。言葉を添えておきます。コスモポリタンさんにも一言有難うね。
[680] Re^12: 擬似民主主義としての日本の民主主義(再論) 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/30(Fri) 21:17
れんだいこさん
> 申し訳ないですが、泣き言と捉えるのはご自由ですがほんと真意が伝わらないですね。「もう一戦」という感覚も分からない。為にする議論をしている訳ではないのです。でもいいや、跡を濁さずという名言もありますので、暫く休養とさせていただきたく存じます。貴サイトを通じて文革論まで意欲を持つに至ったこと感謝しております。言葉を添えておきます。コスモポリタンさんにも一言有難うね。
どうも変な風になりましたが、私としてはうるところのの多い議論だったと思います。
ゆっくりと、争点になった点について、咀嚼してみることにします。
わざと、ひねくれたことなど言ったりしたところもあるので、そういう点は気にしないでください。
[683] もっともっと教えて貰いたい大阪の人さんへ 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/10/28(Mon) 21:30 <URL>
大阪の人さんが梁山泊掲示板でれんだいこの宮顕論に意見してくれております。
http://6413.teacup.com/1/bbsです。
本来、梁山泊掲示板にレスつければ良いのですが、れんだいこの馴染みのないところなのでとりあえずこちらをお借りします。
次のようなレスをしてみました。お読みいただきまして論議が深まれば良いと思います。「宮顕の『敗北の文学』論評」の欄です。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_2.htm
管理人さんどうぞこの掲示板を使わせてください。宜しければ、ご判定ください。吉野さん、レスを無断でお借りしておりますがご理解いただけますか。さざなみ通信さんにも然りです。よろしくお願い申し上げます。
[684] ファシスト「大阪の人」さん梁山泊で大暴れ? 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/10/29(Tue) 11:07
れんだいこさん、
お久しぶりです。この掲示板、最近どうも動きがおかしくなりました。1ページを超えると
全部過去ログに入ってしまう。
掲示板のCGIを勉強して、直したいのですが、どうも、他の勉強で手が回らないのと、
怠け者なのといろいろありまして、どうしようかなと思っています。
やっぱり、自分で作っていないソフトは信用できないですね。
かの大阪の人さんが、「梁山泊」などというところで、なにやらこの掲示板での論争の
続きを独りでやっているようです。こんなこともいっている。
> **会館の件のHPで、主催者の東京のお坊ちゃんの華僑ブルジョア氏を相手に、
> 当方が嫌というほど論破した折に、
他人のいないところで、好き勝手なことを並べるのは、好ましくないですが、この掲示板では、
みなでよってたかっていじめたので、トラウマになってしまったのかもしれません。そうだと
すると可哀想ですね。
大阪の人さんの実年齢は知らないけど、精神年齢はかなり幼いようなので、インタビューの内容
も「キムヘギョン」ちゃんのインタビューのような乱暴な話は避けるべきでしょう。
[686] Re: ファシスト「大阪の人」さん梁山泊で大暴れ? 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/10/29(Tue) 12:30 <URL>
猛獣文士さんちわぁ。詳細は分かりませんが、大阪の人さんが梁山泊掲示板で、
> > **会館の件のHPで、主催者の東京のお坊ちゃんの華僑ブルジョア氏を相手に、
> > 当方が嫌というほど論破した折に、
などと云っているのですか。その後が知りたいですがいずれにせよ、「当方が嫌というほど論破した」というのは当人の思い込みでせうね。それにしては「トラウマを負う」ようになっているとしたら「そうだとすると可哀想ですね」。
れんだいこはあの人の知識はいただきたいのです。いろいろれんだいこが知らないものを持っておりますので。ところが残念ながら、大阪の人さんはその知識を振り回した結果、結論がれんだいこと真反対のところへ向かうのですね。妙なことですがそこに興味を覚えておるのです。どこの回路でそうなるのか論理解剖してみたいのです、これマジです。場合によっては、れんだいこが間違っておりましたと云わねばならぬこともあるかと思いますが、議論が続かないとそれも叶えられないやね。
> 大阪の人さんの実年齢は知らないけど、精神年齢はかなり幼いようなので、インタビューの内容
> も「キムヘギョン」ちゃんのインタビューのような乱暴な話は避けるべきでしょう。
はい。この辺はしかと承知しました。
[687] Re^2: ファシスト「大阪の人」さん梁山泊で大暴れ? 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/10/29(Tue) 20:04
れんだいこさん、
こんちは
> などと云っているのですか。その後が知りたいですがいずれにせよ、「当方が嫌というほど論破した」というのは当人の思い込みでせうね。それにしては「トラウマを負う」ようになっているとしたら「そうだとすると可哀想ですね」。
これはですね。梁山泊掲示板に大阪の人さんはファシストだから発言を禁止しろなどという書き込みがあったので、それに対して、この書き込みをしたのはコスモポリタンさんかその仲間だろうと、大阪の人さんが推論した記事です。コスモポリタンさんを紹介するために私の掲示板を形容するとき、こともあろうに「お坊ちゃんの華僑ブルジョア」などというふざけたことを言っているのです。
ところで、コスモポリタンさんが、ファシスト大阪の人なんて書き込みをするでしょうか。???
[688] Re^3: ファシスト「大阪の人」さん梁山泊で大暴れ? 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/10/30(Wed) 19:44 <URL>
猛獣文士さんちわぁ。経過がまだよく分かりませんが、大阪の人さんはご性格が悪そうですね。知識があるだけに余計に始末におえないかもね。こういう手合いが党中央の御仁とウマが合うのでせうね。
くだんの掲示板で寺尾五郎氏を論じておりましたが、物事を真っ直ぐ見られない方ですね。味噌をクソと云い、クソを味噌と云う常習犯のような気がします。れんだいこと議論するとかなり矯正できるのですが、度の強いメガネを外さない限り無理でせうね。ことここに至るとやっぱこれは難しいですねぇ。
[705] 大阪の人さん、ここを指定しないですね 投稿者:わかもの社(国忠崇史) 投稿日:02/11/06(Wed) 23:54 <URL>
☆れんだいこさん、世間って狭いですね(^^;
お久しぶりです。その節は私の掲示板に色々と投稿いただき、なおかつ私の度量不足から
他の投稿者とのペースがうまく合わなくなり、結局体よく退出させる形となり、失礼いたしました。
振り返ってみれば何のことはない、協同組合論と党史論との板を、私が最初から分離しておればよかったわけでした。
さて、梁山泊掲示板で大阪の人さんと応酬しておったのは他ならぬ私でして、
応酬もだいぶ煮詰まってきたからヨソに移ろうと定義し、大阪の人さんの意向を伺ったのですが、
なかなか御意向を明らかにされない。
それでこちらを拝見したら、どうも彼の再登場が待たれているようなので
こちらにも誘導したく思いますが....どんなもんでしょうかね。
彼は知識も論理展開力もあるし、日本共産党を語る自分のコトバも持っておられるから
ヘボ党員の私なんかよりずっと実証的議論向きなんですが、方向の模索やコミュニケーションそれ自体にも
「良い・悪い」を持ち出すから困ったーというのが正直な感想です。
☆猛獣文士さん、初めまして。まだ貴サイト全体はよく読んでいませんが、貴重なサイトですね。
私は30代。2年前まで東京・池上線沿線にいて、いま北海道在住の共産党員です。
そういえば中島健蔵氏の名前で思いだしたのですが、中島氏が会長をしていた切手収集家の団体「日本郵趣協会」にも
高校まで所属していました(^^)
上記のようにれんだいこさんとはネット上の知己です。
また寄せていただきます。
(今回は実名も併記していますが、JCP-watchなどで使っている「わかもの社」を
ここでのハンドルとさせていただきます)
以後よろしくお願いします。
[707] Re: 大阪の人さん、ここを指定しないですね 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/11/07(Thu) 10:25
わかもの社さん、はじめまして。
> ☆猛獣文士さん、初めまして。まだ貴サイト全体はよく読んでいませんが、貴重なサイトですね。
ありがとうございます。
> 私は30代。2年前まで東京・池上線沿線にいて、いま北海道在住の共産党員です。
貴重ですね。
> そういえば中島健蔵氏の名前で思いだしたのですが、中島氏が会長をしていた切手収集家の団体「日本郵趣協会」にも
> 高校まで所属していました(^^)
1967年当時の「赤旗」の中島健蔵氏への論評は、背筋が寒くなるほどの迫力でした。
> > 上記のようにれんだいこさんとはネット上の知己です。
> また寄せていただきます。
> (今回は実名も併記していますが、JCP-watchなどで使っている「わかもの社」を
> ここでのハンドルとさせていただきます)
> 以後よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
大阪の人さんは、一時この掲示板のただ一人の利用者みたいになり、ほとんど1対1の対話形式、というよりも文通形式で議論を深めました。私の知らないいろいろな情報を提供してもらったので、このHPの内容が深まったことが事実です。
議論は、いささか水掛け論になり、疲れてしまったというような経過はあります。
私のHP創作活動は、いまでも活火山として進行しています。ゆっくりとですが、このHPはまだ更新され続けていますので、注目してください。わかもの社さんの意見とか、新しい資料、情報などをお聞かせくだされば、うれしいです。
なお、この掲示板は、情報量が増えた段階で、1ページを超えるとすべて過去ログになってしまう状態になりました。検索もうまく動きません。これを修理するのは大変なので、当分このままで行くしかないと思います。その点はご容赦ください。
[706] Re: 大阪の人さん、ここを指定しないですね 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/11/07(Thu) 07:36
わかもの社さんちわぁ。寝起きで少しねぼけまなこですがレスしときます。その節はお世話になりました。あの時かなり有益な遣り取りしていたと思いますが、なんだったっけなぁこれぐらいにしとこと思った記憶があります。議論というのは難しいもんです。ちなみにれんだいこの論は受け入れがたいのでせう、さざなみ通信でも同じような気持ちになりました。この板でも一度そうなりました。日常生活でも少しそういうところがあります。こうなるとれんだいこのキャラが関係しているのでせう。それは当人も認識しているところですが、れんだいこの作風は変わらないだろうし、このまま彷徨続けるのだと思います。最終的には自前の板もあるしね、これはと思うことを書き付けており、ネットの便利さを満喫しております。同時代の空気を吸える者同士はもっと時代を語り合わねばならないというのが持論ですので今後とも宜しくね。
>
> さて、梁山泊掲示板で大阪の人さんと応酬しておったのは他ならぬ私でして、
> 応酬もだいぶ煮詰まってきたからヨソに移ろうと定義し、大阪の人さんの意向を伺ったのですが、
> なかなか御意向を明らかにされない。
> それでこちらを拝見したら、どうも彼の再登場が待たれているようなので
> こちらにも誘導したく思いますが....どんなもんでしょうかね。
> 彼は知識も論理展開力もあるし、日本共産党を語る自分のコトバも持っておられるから
> ヘボ党員の私なんかよりずっと実証的議論向きなんですが、方向の模索やコミュニケーションそれ自体にも
> 「良い・悪い」を持ち出すから困ったーというのが正直な感想です。
大阪の人さんはここで猛獣文士さんとかなりな遣り取りなされております。れんだいこは自分の意思でやってきたかどうかは別にして興味を覚え、いろいろ議論して見たいと思って催促しておりますが、何やら逃亡中です。わかもの社さんとの遣り取りで、単なる一ファンであることが分かりましたが、一ファンでかくも現下党中央の軌跡を熟知しており且つ擁護するというのも変なものです。普通なら、ならば党員になれば良いのに、党員の方がいろいろ悩みを吐露しているのにそれを汲まずなだめすかそうとしております、滑稽ですよね。党中央の実態精査よりもダメージを気にする変なファンではありますね。知識量からして職業的ファンということになりますが、なぜそういう位置に居るのか党員にならないのか聞いて見たいですね。
果たしてジャジャジャーんと登場されることにあいなりませうか。
[689] つるはし 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/10/31(Thu) 13:31
れんだいこさん、
ご返事ありがとうございます。
> 猛獣文士さんちわぁ。経過がまだよく分かりませんが、大阪の人さんはご性格が悪そうですね。知識があるだけに余計に始末におえないかもね。こういう手合いが党中央の御仁とウマが合うのでせうね。
性格が悪い人間は、私は嫌いじゃないんです。私自身も性格悪そうですから。
> くだんの掲示板で寺尾五郎氏を論じておりましたが、物事を真っ直ぐ見られない方ですね。味噌をクソと云い、クソを味噌と云う常習犯のような気がします。れんだいこと議論するとかなり矯正できるのですが、度の強いメガネを外さない限り無理でせうね。ことここに至るとやっぱこれは難しいですねぇ。
ここでしていた議論の続きを、別のBBSで展開するのは、消耗なことだと思います。ここでは、水掛け論になるから、逃げたのでしょうか。
私の切り返しもかなりきつかったこともありましたが、大阪さんの突っ込みも、ときに無礼と思えるほど断定的で、強引な感じでした。とにかく意見の異なるもの同士で討論する場合に、必ず合意点に達することができると考えるのは、楽観的過ぎるでしょうね。
たとえば、日本とアメリカが「北朝鮮」を「フツー」の国にするよう圧力をかけるということで、合意しています。しかし、日本はアメリカの広島長崎への原爆の投下を、非人道的な行為だと思っているでしょうし、東京裁判は不合理な裁きだと思っている人がほとんどだと思います。高名な知識人のほとんどがそう思っているのでしょうから。官僚や政治家も当然同意見だと思います。
しかし、もし、この点について、アメリカと日本の政府を代表して議論したら、決して意見の一致は見られないだろうし、日本側が妥協することになるのではないでしょうか。
さて、宮本顕治論を見させていただきました。まず、つるはしの表現の解釈ですが、れんだいこさんの解釈に同意します。高い山に登るために奮闘するという意味にこの表現を解釈するのは、ちょっとこじつけのように感じます。
やはり、この表現はある対象を破壊するというようにとるべきと思います。
[690] Re: つるはし 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/10/31(Thu) 17:16 <URL>
猛獣文士さんちわぁ。
> ここでしていた議論の続きを、別のBBSで展開するのは、消耗なことだと思います。ここでは、水掛け論になるから、逃げたのでしょうか。
ですねぇ。どちらでもやるのなら分かるのですが、「ここでしていた議論の続きを、別のBBSで展開するのは」卑怯ですね。
> さて、宮本顕治論を見させていただきました。まず、つるはしの表現の解釈ですが、れんだいこさんの解釈に同意します。高い山に登るために奮闘するという意味にこの表現を解釈するのは、ちょっとこじつけのように感じます。やはり、この表現はある対象を破壊するというようにとるべきと思います。
意を強くしました。しかしそうなると、大阪の人さんに登場してもらい「いやそうではない」の弁明が聞きたくなります。ところが、梁山泊板でも亀の首になっているようで笑わせられます。史上の梁山泊というのはそういうイメージではないんだけどね。
[691] Re^2: つるはし 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/10/31(Thu) 23:05
れんだいこさん、こんにちは
> 意を強くしました。しかしそうなると、大阪の人さんに登場してもらい「いやそうではない」の弁明が聞きたくなります。ところが、梁山泊板でも亀の首になっているようで笑わせられます。史上の梁山泊というのはそういうイメージではないんだけどね。
亀の首ってどういう意味でしょうか。ボキャブラリー不足で他人を笑えないですね。
[692] Re^3: つるはし 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/10/31(Thu) 23:18 <URL>
猛獣文士さんちわぁ。
> > 意を強くしました。しかしそうなると、大阪の人さんに登場してもらい「いやそうではない」の弁明が聞きたくなります。ところが、梁山泊板でも亀の首になっているようで笑わせられます。史上の梁山泊というのはそういうイメージではないんだけどね。
>
> 亀の首ってどういう意味でしょうか。ボキャブラリー不足で他人を笑えないですね。
えええっっ深い意味は無いのですよ。亀は状況を見て、首を出して歩き始めます。危険があるとか具合が悪くなると首を引っ込めて様子見します。甲羅の中に首を隠します。その例えですよ。大阪はんがそういう風にしているかと思うと可笑しくて。
[693] 敗北の文学のかっこ 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/11/01(Fri) 15:32
れんだいこさん、
こんにちは
敗北の文学を読んでみようと思い、古本屋で検索してみました。
http://www.kosho.or.jp/servlet/bookselect.Kihon
すると、大変面白い結果が出ました。たしかに、新日本から出版されている
場合のタイトルは
「敗北」の文学
となっていて、敗北に括弧がついています(大阪の人さんが強調したような二重括弧『』ではない)。ところが、これと同じと思われる本で昭和21年版(岩崎書店)と昭和30年版(河出書房)があり、この本のタイトルは
敗北の文学
となっています。いったいいつ誰が、敗北に括弧をつけたのでしょうか。あるいは、原典では括弧がついていたのを、出版社がはずして、さらに新日本で復活したのでしょうか。
れんだいこさんはこの辺の事情は、ご存知ですか?
[694] Re: 敗北の文学のかっこ 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/11/01(Fri) 17:42 <URL>
猛獣文士ちんちわぁ。
> れんだいこさんはこの辺の事情は、ご存知ですか?。
くだんの宮顕の原本については不明なところがありますね。「敗北の文学」か「『敗北』の文学」のどちらか、の指摘は初めて聞かされました。他にも、「それ故にこそ一層、氏を再批判する必要があるだろう。いつの日にか、日本のパルナッスの山頂で、世紀末的な偶像に化しつつある氏の文学に向かって、ツルハシをうち下ろさねばならない」の「ツルハシ」が「バール」であったのか、「バール」カナが附せられていたのか。れんだいこが最初に読んだときは「バールを打ち下ろせ」的な文章であったような気がしております。そういう記憶があるのですが、どこの出版社のだったか分かりません。記憶違いかも知れません。
更には、「ここで少し疑義を述べれば、宮顕のこうした芥川論の観点が宮顕のオリジナルなものであったのか疑わしい説もあるようである。興味深いことであるが、当時の資料が隠蔽されているようで、私にも分からない。宮顕の芥川論に伏線となる基礎資料があり、観点の盗作であったということは十分に考えられる。この方面の考察は本筋から離れるので割愛することにする」と書き記しておりますが、知りたいところです。確か宮崎兄ぃでしたか、松高時代の文芸雑誌の該当個所が蔵書している図書館総なめで削り取られているとかの指摘をしておりましたね。誰が何の為にという疑念が押さえられません。
以上から知れるに、宮顕については常識離れの奇妙なことが多すぎます。党文献でも、「マルクス・レーニン主義」、「プロレタリア独裁」と書かれてあった原文を平気で科学的社会主義だのプロレタリアートの執権だの権力だのに手直ししていますが、今後は新記述で行くというのなら分かりますが、過去の文書にまで手を入れる党中央の魂胆はなへんにあるのでせう。
更にこういうこともあります。野呂栄太郎の研究本を読んでおりますと、監獄で生死をさまよう野呂が党の後事を宮顕に託す旨の伝言をしていたとか、新日本出版社系のものには必ず出てきます。しかし、それは「あり得ない」ことだと思っております。れんだいこの調査では、野呂はむしろテロられた小畑・大泉ラインであり、宮顕グループに対しては反目していた様子が判明しております。つまり、野呂が云いもしないことを平気で「云ったと捏造」している可能性が強い。
こういう偽造を何の為にするのでせうね。れんだいこは、異邦人であると指摘し続けておりますが、なかなか共鳴者が少ないです。れんだいこは何も奇をてらっているわけではないのですけどね。
補足すれば、野呂の逮捕の後、宮顕が和服の着流し下駄履きで野呂のアジトを訪れていることが判明しております。どこに書き付けたか分からなくなりましたが、心配してきたと言うより検察的な目で書類の物色をしていたことが伝えられております。それと野呂のアジトを知っていたというのも奇妙ですね。いろいろ不自然なことが多すぎるのですこの御仁には。
[695] Re^2: 敗北の文学のかっこ 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/11/01(Fri) 18:11
> くだんの宮顕の原本については不明なところがありますね。「敗北の文学」か「『敗北』の文学」のどちらか、の指摘は初めて聞かされました。他にも、「それ故にこそ一層、氏を再批判する必要があるだろう。いつの日にか、日本のパルナッスの山頂で、世紀末的な偶像に化しつつある氏の文学に向かって、ツルハシをうち下ろさねばならない」の「ツルハシ」が「バール」であったのか、「バール」カナが附せられていたのか。れんだいこが最初に読んだときは「バールを打ち下ろせ」的な文章であったような気がしております。そういう記憶があるのですが、どこの出版社のだったか分かりません。記憶違いかも知れません。
とりあえず、昭和31年の河出書房の版を注文しました。800円で一番安かったので。昭和22年の版もほしいのですが、古本屋ですぐに売れてしまうこともないと思われますので、注文した本が届いてから、考えたいと思います。
ところで、「宮本顕治、***の文学」で検索したところ、やはり昭和30年代の書物で「人民の文学」というのが検索されました。こちらのほうも何冊かの余裕があるのですが、敗北の文学よりも値段が高いようです。敗北の文学は1000円くらいですが、人民の文学は2000円から4000円くらいです。宮本顕治が、否定した敗北の文学に対する対案として、人民の文学というビジョンを示したものとも思われます。毛沢東の文芸講話のような芸術論を語っているのでしょうか。この本については、れんだいこさんは何かご存知でしょうか。
> 更には、「ここで少し疑義を述べれば、宮顕のこうした芥川論の観点が宮顕のオリジナルなものであったのか疑わしい説もあるようである。興味深いことであるが、当時の資料が隠蔽されているようで、私にも分からない。宮顕の芥川論に伏線となる基礎資料があり、観点の盗作であったということは十分に考えられる。この方面の考察は本筋から離れるので割愛することにする」と書き記しておりますが、知りたいところです。
私も知りたいところです。
> 確か宮崎兄ぃでしたか、松高時代の文芸雑誌の該当個所が蔵書している図書館総なめで削り取られているとかの指摘をしておりましたね。誰が何の為にという疑念が押さえられません。
もう少し証拠を固めないと「起訴」できないでしょうね。
> 以上から知れるに、宮顕については常識離れの奇妙なことが多すぎます。党文献でも、「マルクス・レーニン主義」、「プロレタリア独裁」と書かれてあった原文を平気で科学的社会主義だのプロレタリアートの執権だの権力だのに手直ししていますが、今後は新記述で行くというのなら分かりますが、過去の文書にまで手を入れる党中央の魂胆はなへんにあるのでせう。
ま、これはイデオロギーの話でしょうか。
> 更にこういうこともあります。野呂栄太郎の研究本を読んでおりますと、監獄で生死をさまよう野呂が党の後事を宮顕に託す旨の伝言をしていたとか、新日本出版社系のものには必ず出てきます。しかし、それは「あり得ない」ことだと思っております。れんだいこの調査では、野呂はむしろテロられた小畑・大泉ラインであり、宮顕グループに対しては反目していた様子が判明しております。つまり、野呂が云いもしないことを平気で「云ったと捏造」している可能性が強い。
どうもこれは、信憑性のある疑念ですね。生死をさまよっているときに、宮本顕治個人を後継者に指名していたなどというのは、まともには考えにくいことであり、そのようなことをわざわざ本に書くというのは子供じみた研究と思えます。まだ、「あなたがやれば安心だ」と毛沢東に言われて、権力を継承したといっていた華国鋒の話のほうがもっともらしく聞こえます。
> こういう偽造を何の為にするのでせうね。れんだいこは、異邦人であると指摘し続けておりますが、なかなか共鳴者が少ないです。れんだいこは何も奇をてらっているわけではないのですけどね。
ただ、「偽造」があったとしても、それが宮本顕治の指示なのか、あるいは宮本顕治のちょうちん持ちの御用学者の点数稼ぎなのかについては、検討する余地があると思います。
> 補足すれば、野呂の逮捕の後、宮顕が和服の着流し下駄履きで野呂のアジトを訪れていることが判明しております。どこに書き付けたか分からなくなりましたが、心配してきたと言うより検察的な目で書類の物色をしていたことが伝えられております。それと野呂のアジトを知っていたというのも奇妙ですね。いろいろ不自然なことが多すぎるのですこの御仁には。
これが本当だとすると、大変なことですが、証拠を固めないと「起訴」できないですよね。しかし、それを立証できれば、大変なことになると思います。
[696] Re^3: 敗北の文学のかっこ 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/11/01(Fri) 23:24 <URL>
猛獣文士さんちわぁ。
> とりあえず、昭和31年の河出書房の版を注文しました。
それは何より。できれば改造に載った原文と突き合わせしたいのですがねぇ、そしたらはっきりします。当地では手に入りません。
> ところで、「宮本顕治、***の文学」で検索したところ、やはり昭和30年代の書物で「人民の文学」というのが検索されました。この本については、れんだいこさんは何かご存知でしょうか。
れんだいこの党史論1950年のところに次のように書いております。
【「人民文学」創刊される】
11月反党中央派的であった「新日本文学」に対抗する為に、党中央派は「人民文学」を創刊している。江馬修を中心に除村吉太郎、藤森成吉、島田政雄、来栖継の5名が中心になり、創刊後は豊田正子が来栖と交替し、徳永直、岩上順一らも結集していた。高倉が巻頭論文「人民に仕える文学」を書いている。53.12月(37号)まで続いた。
問題は次のことにあります。当時、新日本文学系は反徳球系で、宮顕の息がかかっておりました。ところが、徳球系が自滅し、宮顕が指導部に居座り始めるや新日本文学系の左派精神が徹底的に弾圧され始めます。その経過は語るも涙なものがあります。次から次へとかっての宮顕派が順次ずり落ちて今日の『葦牙』まで至っております。
>
> > 確か宮崎兄ぃでしたか、松高時代の文芸雑誌の該当個所が蔵書している図書館総なめで削り取られているとかの指摘をしておりましたね。誰が何の為にという疑念が押さえられません。
>
> もう少し証拠を固めないと「起訴」できないでしょうね。
そうですね、調べる必要があります。
> > 更にこういうこともあります。野呂栄太郎の研究本を読んでおりますと、監獄で生死をさまよう野呂が党の後事を宮顕に託す旨の伝言をしていたとか、新日本出版社系のものには必ず出てきます。しかし、それは「あり得ない」ことだと思っております。れんだいこの調査では、野呂はむしろテロられた小畑・大泉ラインであり、宮顕グループに対しては反目していた様子が判明しております。つまり、野呂が云いもしないことを平気で「云ったと捏造」している可能性が強い。
>
> どうもこれは、信憑性のある疑念ですね。生死をさまよっているときに、宮本顕治個人を後継者に指名していたなどというのは、まともには考えにくいことであり、そのようなことをわざわざ本に書くというのは子供じみた研究と思えます。まだ、「あなたがやれば安心だ」と毛沢東に言われて、権力を継承したといっていた華国鋒の話のほうがもっともらしく聞こえます。
「宮本による史実偽造の箇所」http://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_hosoku13.htm
に次のように書いております。
1、野呂栄太郎の最後の言葉について
塩野富津子「野呂栄太郎の想い出」(新日本出版社、1976.4.30)によれば、「野呂委員長は、獄中での遺言で『いろいろお世話になってありがとう。いつか宮本なんかに会う機会があったらよろしく云ってください』と云って再び目を閉じた」(265P)とある。この証言は、佐藤さち子の「同志野呂栄太郎の想い出」(青山みどり、前衛15号、1947.4月)に拠っている。塩野富津子「野呂栄太郎の想い出」は、「党中央委員大泉、小畑リンチ査問、小畑致死事件」に対して、野呂委員長が「野呂はこの二人を決して信用していなかった云々」と書き連ね、小畑が死亡したにも関わらず専ら大泉の胡散臭さを述べながらリンチ事件の胡散臭さを免責するという論調になっている。まさに宮顕党中央の意図に従って野呂栄太郎論が為されていることが分かる。
ところで、史実はどうであったのだろう。『いろいろお世話になってありがとう。いつか宮本なんかに会う機会があったらよろしく云ってください』と本当に発していたのなら、何も問題は無い。『宮本なんかに』のところが、本当は『小畑、大泉らに』とあったのであれば、すり替えである。『小畑、大泉、宮本らに』とあつたのであれば、歪曲である。そのような伝言が為される間もなく死亡したのなら、完全なる捏造である。私は、すり替え、歪曲、捏造いずれかの線で為されていると推測している。
> > 補足すれば、野呂の逮捕の後、宮顕が和服の着流し下駄履きで野呂のアジトを訪れていることが判明しております。どこに書き付けたか分からなくなりましたが、心配してきたと言うより検察的な目で書類の物色をしていたことが伝えられております。それと野呂のアジトを知っていたというのも奇妙ですね。いろいろ不自然なことが多すぎるのですこの御仁には。
>
> これが本当だとすると、大変なことですが、証拠を固めないと「起訴」できないですよね。しかし、それを立証できれば、大変なことになると思います。
れんだいこはどこかに書き付けたはずですが見当りません。まっ原本が分かるからそのうち調べますけど。「それを立証できれば、大変なことになると思います」ですが、れんだいこの宮顕論は全編それを立証しているのですが、大変なことになってませんねぇ。
[697] Re^4: 敗北の文学のかっこ 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/11/02(Sat) 09:31
れんだいこさん、こんにちは
なんか面白くなってきましたね。
> それは何より。できれば改造に載った原文と突き合わせしたいのですがねぇ、そしたらはっきりします。当地では手に入りません。
「改造に載った原文」というのを調べてみたいのですが、どのような雑誌なのか詳しく教えてくれませんか。運がよければ、国会図書館にあるかもしれません。折を見て、調べに行って見ます。それから、削り取られた松高時代の文芸雑誌というものも探せるかもしれません。
> > ところで、「宮本顕治、***の文学」で検索したところ、やはり昭和30年代の書物で「人民の文学」というのが検索されました。この本については、れんだいこさんは何かご存知でしょうか。
>
> れんだいこの党史論1950年のところに次のように書いております。
> 【「人民文学」創刊される】
>
> 11月反党中央派的であった「新日本文学」に対抗する為に、党中央派は「人民文学」を創刊している。江馬修を中心に除村吉太郎、藤森成吉、島田政雄、来栖継の5名が中心になり、創刊後は豊田正子が来栖と交替し、徳永直、岩上順一らも結集していた。高倉が巻頭論文「人民に仕える文学」を書いている。53.12月(37号)まで続いた。
人民の文学も入手したほうがいいかもしれませんね。
> > > 補足すれば、野呂の逮捕の後、宮顕が和服の着流し下駄履きで野呂のアジトを訪れていることが判明しております。どこに書き付けたか分からなくなりましたが、心配してきたと言うより検察的な目で書類の物色をしていたことが伝えられております。それと野呂のアジトを知っていたというのも奇妙ですね。いろいろ不自然なことが多すぎるのですこの御仁には。
> > > > これが本当だとすると、大変なことですが、証拠を固めないと「起訴」できないですよね。しかし、それを立証できれば、大変なことになると思います。
>
> れんだいこはどこかに書き付けたはずですが見当りません。まっ原本が分かるからそのうち調べますけど。「それを立証できれば、大変なことになると思います」ですが、れんだいこの宮顕論は全編それを立証しているのですが、大変なことになってませんねぇ。
野呂は、宮本によって権力に売られて死んだということでしょうか。それが立証されれば、すごいことです。真偽を確かめるべきです。私にも納得できるような立証が必要と思います。
[698] Re^5: 敗北の文学のかっこ 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/11/02(Sat) 11:07 <URL>
猛獣文士さんちわぁ。
> 「改造に載った原文」というのを調べてみたいのですが、どのような雑誌なのか詳しく教えてくれませんか。運がよければ、国会図書館にあるかもしれません。折を見て、調べに行って見ます。それから、削り取られた松高時代の文芸雑誌というものも探せるかもしれません。
ぜひお願いします。雑誌「改造」の1929年(昭和4年)8月号だろうと思います。1930年かも知れません。
> 人民の文学も入手したほうがいいかもしれませんね。
そうですね。「人民の文学」派は明らかに徳球系のプロレタリア文学運動です。残念ながら潰されました。
> 野呂は、宮本によって権力に売られて死んだということでしょうか。それが立証されれば、すごいことです。真偽を確かめるべきです。私にも納得できるような立証が必要と思います。
「野呂は、宮本によって権力に売られた」とまでは云えませんが、野呂が逮捕されたことが逸早く宮顕に伝わり、直後にのそっとアジトへ出向いていっていることは史実です。ズバリで云えば小林多喜二の逮捕劇の方が臭います。あの時期、多喜二はよほど警戒していたわけであり、生半可な相手の呼び出しには応じません。同じ文芸仲間の要職にあるものとの打ち合わせなら出向いていった可能性があります。今日の党史のような「東京市委員長・三船留吉の手引きによる」なんてことは考えにくい。この辺りボンクラを騙すいろんな仕掛けで分けが分からなくされておりますので一つ一つ解きほぐしていかねばなりません。宮顕の逮捕時の様子なんかも知りたいところですね。どういうわけか明らかにされておりませんが時期的に見て極めてオカシイですね。
ついでに書くならば、多喜二は即日拷問死させられております。それに較べて宮顕の場合、「こいつには何を云っても無駄だ」とあきらめさせるような強さがあったと誇られております。そったら馬鹿な話があるでせうか。ましてや宮顕の云う話に乗れば、リンチ事件で致死した小畑はスパイであった。とするならそれを殺めた宮顕には倍加した拷問が待ち受けていてもおかしくないでせうに。
[685] ファシスト「大阪の人」さんの復帰は大歓迎ですけど 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/10/29(Tue) 11:33
ああ、上の書き込み、ちょっと皮肉のスパイスが効きすぎて、
当方の意思が通じなかったかもしれません。
この掲示板を使って、宮顕論など、論争するのは、主催者として
大歓迎です。
念のため。
[699] 改造昭和4年8月号「敗北」の文学 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/11/02(Sat) 17:31
れんだいこさん、
こんにちは
本日、早速、国会図書館に出向きました。雑誌改造は、マイクロフィルムになっていましたが、同図書館に残っていました。「敗北」の文学が掲載されたのは、昭和4年8月号でした。
さて、れんだいこさんの疑問箇所のつるはしの部分ですが、以下の通りになっています。
> いつの間にか、日本のパルナッスの山頂で、世紀末的な偶像に化しつゝある氏の文学に向かって、ツルバシを打ちおろさなければならない。
れんだいこさんの記憶していた「バール」という表現はみあたりません。ツルバシとカタカナで表記されていて、「はし」ではなく「ばし」と濁点が入っておりますが、これはなんなのでしょう。また、日本のパルナッスなどとおかしなカタカナ語が入っていますが、これはなんなのでしょう。
また、敗北につけられた括弧ですが、改造8月号の表題が「敗北」の文学と、かっこつきなので、その後のいくつかの出版社の出版物で、かっこが脱落し、新日本出版で復活したものとわかりました。
コピーをとってきましたので、必要ならば、再度複写して、れんだいこさんに郵送してもいいのですが、いかがでしょうか。そのときは、詳細をメールなどで話しましょう。
では、とりあえず、ご報告まで。
[700] Re: 改造昭和4年8月号「敗北」の文学 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/11/03(Sun) 10:45 <URL>
猛獣文士さんちわぁ、お手間取らせました。
> れんだいこさんの記憶していた「バール」という表現はみあたりません。ツルバシとカタカナで表記されていて、「はし」ではなく「ばし」と濁点が入っておりますが、これはなんなのでしょう。また、日本のパルナッスなどとおかしなカタカナ語が入っていますが、これはなんなのでしょう。
「バール」表現は無かったということ了解です。れんだいこの記憶がどこで生まれたのかは分かるのですが、何の本を読みどこでそういう受け取りしたのか定かでありません。「ツルバシ」の濁点の意味は分かりません。「パルナッス」の意味も分かりません。当時の文芸世界での憧れ的な意味を持つ隠語だったのではないでせうか。
> また、敗北につけられた括弧ですが、改造8月号の表題が「敗北」の文学と、かっこつきなので、その後のいくつかの出版社の出版物で、かっこが脱落し、新日本出版で復活したものとわかりました。
なるほど。これも了解です。
> コピーをとってきましたので、必要ならば、再度複写して、れんだいこさんに郵送してもいいのですが、いかがでしょうか。そのときは、詳細をメールなどで話しましょう。
そうですねぇ、行きがかり上原文知っておいた方が良いです。メールくださいますか。
> では、とりあえず、ご報告まで。
スピーディに済みません、助かりました。後は宮崎兄ぃの指摘の件ですが、謬言なのかも含めてはっきり知っておきたいですね。
[701] 細かい点ですが 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/11/04(Mon) 20:09
れんだいこさん、
こんにちは
原文が手に入ったので、それと対照させながら、れんだいこさんの敗北の文学論を再度読み直してみました。ひとつ、気になるのは、原文の
> いつの間にか、日本のパルナッソスの山頂で
が、れんだいこさんのHPでは
> いつの日にか、日本のパルナッソスの山頂で
となっているところですが、これはれんだいこさんの書き違いでしょうか。
ちなみに、パルナッソスとはギリシャの聖なる山のようです。
この記事で、れんだいこさんが引用している宮顕の文章の出典不明なのが多いのがいらいらします。とくに、最後の宮本顕治のご立派なゴリゴリ芸術論は、どこからの引用でしょうか。
ところで、宮崎兄いとは誰のことでしょう。
以上、いくつか不明点感じています。
[702] Re: 細かい点ですが 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/11/05(Tue) 09:41 <URL>
猛獣文士さんちわぁ。
> 原文が手に入ったので、それと対照させながら、れんだいこさんの敗北の文学論を再度読み直してみました。ひとつ、気になるのは、原文のいつの間にか、日本のパルナッソスの山頂でが、れんだいこさんのHPでは、いつの日にか、日本のパルナッソスの山頂でとなっているところですが、これはれんだいこさんの書き違いでしょうか。
そうですか。ここが書き違いとは思ってみませんでしたが、原文その他と比較して確認してみます。
> ちなみに、パルナッソスとはギリシャの聖なる山のようです。
了解です。
> この記事で、れんだいこさんが引用している宮顕の文章の出典不明なのが多いのがいらいらします。とくに、最後の宮本顕治のご立派なゴリゴリ芸術論は、どこからの引用でしょうか。
そうですね、引用先を明示した方が良いですね。恐らく、主たるテキストとして、5年初版の新日本文庫の「『敗北』の文学」に拠ったので、そこに挿入されていた「過渡時代の道標−片上伸論−」、 「敗北の文学を書いた頃」、同書末尾の水野明善氏の解説のどれかから引用したと思います。確認してみます。
> ところで、宮崎兄いとは誰のことでしょう。
いろいろ批判されているようですが、「突破者」の著者キツネ目の男宮崎氏を兄ぃと呼んでおります。
[703] Re^2: 細かい点ですが 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/11/06(Wed) 14:28
れんだいこさん
プロバイダーのサーバーが調子悪いようで、インターネットにも容易につながらなくなりました。
> > この記事で、れんだいこさんが引用している宮顕の文章の出典不明なのが多いのがいらいらします。とくに、最後の宮本顕治のご立派なゴリゴリ芸術論は、どこからの引用でしょうか。
>
> そうですね、引用先を明示した方が良いですね。恐らく、主たるテキストとして、5年初版の新日本文庫の「『敗北』の文学」に拠ったので、そこに挿入されていた「過渡時代の道標−片上伸論−」、 「敗北の文学を書いた頃」、同書末尾の水野明善氏の解説のどれかから引用したと思います。確認してみます。
わたしの感じでは、「敗北の文学を書いた頃」のように思います。「過渡時代の道標−片上伸論−」は、敗北の文学の本とともに入手しました。
思うに、後年、傲慢になり、頭脳も硬直した時点での図式的な解説ではないでしょうか。あるいは、れんだいこさんがいうように、若いころから図式的、形式的な発想しかできなかったのだが、懸賞論文では盗作じみたことで格調を底上げしていたのでしょうか。
↑大阪の人さんが見たら、泡を吹いて怒るかな。
> > ところで、宮崎兄いとは誰のことでしょう。
>
> いろいろ批判されているようですが、「突破者」の著者キツネ目の男宮崎氏を兄ぃと呼んでおります。
れんだいこさんは、宮崎学氏の弟分なのでしょうか。彼は善隣学生会館の民青部隊の副行動隊長だったいうことです。そのころの事情を聞いてみたいと思っているのですが、聞いてみるなんていうことはできませんか。
[704] Re^3: 細かい点ですが 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/11/06(Wed) 20:26
猛獣文士さんちわぁ。いろいろご指摘有難うね。
> プロバイダーのサーバーが調子悪いようで、インターネットにも容易につながらなくなりました。
当方の調子が悪いんだ。れんだいこは仕組みを人任せにしておりどうしもうない。利用するだけの身はつらいですね。
> > そうですね、引用先を明示した方が良いですね。恐らく、主たるテキストとして、5年初版の新日本文庫の「『敗北』の文学」に拠ったので、そこに挿入されていた「過渡時代の道標−片上伸論−」、 「敗北の文学を書いた頃」、同書末尾の水野明善氏の解説のどれかから引用したと思います。確認してみます。
>
> わたしの感じでは、「敗北の文学を書いた頃」のように思います。「過渡時代の道標−片上伸論−」は、敗北の文学の本とともに入手しました。
確認しましたら「いつの間にか」でしたね。なぜ「いつの日か」に読み間違いしたのでせう。直そうかそのままにしとこうか考えております。ご指摘有難う。最後の一文は、「過渡時代の道標−片上伸論−」から取り込んでいるようです。その辺りも書き加えておこうと思います。他にも直したいところがあり、さてどうしたものかと考えております。さざなみ通信投稿文はあれはあれで記念ものだからねぇ。
> 思うに、後年、傲慢になり、頭脳も硬直した時点での図式的な解説ではないでしょうか。あるいは、れんだいこさんがいうように、若いころから図式的、形式的な発想しかできなかったのだが、懸賞論文では盗作じみたことで格調を底上げしていたのでしょうか。
うーーん確認しておきたいところですね。
> ↑大阪の人さんが見たら、泡を吹いて怒るかな。
あの方は宮顕が右傾化させたところを評価し、れんだいこはそのさせ方と方向に異を唱えているという立場の違いがあり、このままでは話が通じないですね。妙なことに党員でなくファンだと云っておりますね。それでいていろいろ詳しいということはその筋の方だということでせうかねどうやら。そうするとれんだいこ観では辻褄が合います。
> れんだいこさんは、宮崎学氏の弟分なのでしょうか。彼は善隣学生会館の民青部隊の副行動隊長だったいうことです。そのころの事情を聞いてみたいと思っているのですが、聞いてみるなんていうことはできませんか。
あっこれはれんだいこが勝手に兄ぃと云っているだけで、兄ぃはれんだいこをちっとも知らないんですよ。ただ会って話すればいろいろ交じり合うところがありますね。「善隣学生会館の民青部隊の副行動隊長だったいうことです」なら、事件の実際とか経過について証言してもらわんとあかんですね。
[682] リンクの御礼をば 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/10/03(Thu) 22:15 <URL>
猛獣文士さんリンク有難うね、今気づきました。共々良いサイトづくりに向かってたすけあいしませう。議論が中断しておりますが、一人でどんどん書き付けて友達を呼び込むのも良いと思います。れんだいこサイトを見てください。精力的に書き付けております。今はうちわだいこさん、飯田橋学生さん、その他気の向くままにご登場いただいております。腹の足しになる議論を求めて更に歩を進めたいと思います。
[681] 「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」の早期成立を求める請願 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/09/13(Fri) 15:25
署名用紙が送られてきましたが、顔が広くない私で署名を集めるのが、難しいのでこの場を借りて紹介させていただきます。下記の請願の趣旨に賛同される方で、署名をしてもいいと思う人がいましたら、小生にメールで、氏名・住所をお知らせください。署名用紙に小生が記入して、署名集約先に送付します。詳細は、発信もとに問い合わせてください。
署名集約先:「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」の立法を求める連絡協議会
〒102-0072 千代田区飯田橋4-5-16-301 Tel.03-3262-6646 Fax.03-3237-0287
または
中国における日本軍の性的暴力の実態を明らかにし、賠償請求裁判を支援する会(略称:山西省・明らかにする会)
〒162-0825 新宿区市谷本村町3-26
清井礼司法律事務所気付
TEL:03-5261-2251 FAX:03-5261-2253
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「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」の早期成立を求める請願
参議院議長 倉田寛之 殿
昨年11月に参議院に提出され、継続審議になっています「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」が一日も早く充分な議論・検討を経て成立しますよう私たちは希望します。
1990年に日本の国会(参議院予算委員会)において「慰安婦」(戦時性的強制被害者)問題が初めて取り上げられてからすでに12年の歳月が経過し、いま第2次大戦の戦争被害者は各国で毎月1%ずつなくなっているといわれています。各地から毎月のように元「慰安婦」らの訃報が届きます。
「慰安婦」問題では国連やILOなどの国際的な専門機関からも繰り返し勧告・指摘を受け、98年4月には山口地裁下関支部ですみやかな立法を求める判決(現在最高裁で係争中)も出されています。韓国・台湾・フィリピン・インドネシア・米国の議員らも問題解決が長引いていることに懸念を表明し、この法案に関心を寄せ、早期の解決を求めています。
先の通常国会で初めて1日だけ審議が行われ、法案に対する質問と答弁が行われましたが、議論はまだ充分とはいえません。被害者や各国の専門家などを招いて直接被害の実態を聞き、歴史的、法的にきちんと審議することが必要と思います。
被害者が生きている内に、何とか問題の解決を図られるよう、国権の最高機関である国会、とりわけ良識の府である参議院議員の皆様に取り組みをお願いする次第です。上記の法案を提出された党派だけでなく、すべての議員が参加、協力されて、すみやかに上記法案が審議され、被害者や関係者の声に充分耳を傾け、早期に法案が成立しますようご努力を要請いたします。
[659] 宮顕の体制内化運動について 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/27(Tue) 15:36 <URL>
>> たとえば、日本の戦国時代に大変戦闘的であったといわれる一向一揆の元締めである浄土真宗は、江戸時代になって人畜無害な本願寺となり、現在もその系統を維持しています。これをもって本願寺の指導者のどこかに、スパイがいたという歴史家がいるでしょうか。
> > 本願寺の体制内化と宮顕による日共の体制内化を同じ土俵で述べることは出来ません。
> もっと具体的にのべてください。同じものではありませんが、似たような面もあるので、比較しているのです。
> > というか、猛獣文士さんの宮顕観の意外性に驚かされております。宮顕を左派指導者の変種としてみなす観点が披瀝され続けておりますが、これが本音なのかな。同じセンテンスで?小平路線を評価しているように思え、興味深いです。
> 左派とか右派とかいう分類は、あまり重要ではないと思います。どのように興味深いのか、私も興味深いです。
猛獣文士さん皆さんちわぁ。ここに新スレッドつくってみました。その他の新スレッドのテーマの組み立てについては猛獣文士さんにお任せいたします。
本願寺の体制内化についてですが、詳しくは分かりません。一時は総本山として一向一揆を指令していたのでせうから、当然時の世俗権力なにするものぞという意気軒昂なものがあったと思います。しかし時が流れ、江戸幕藩体制が樹立された際に寺社統制政策としての「本山・末寺制度」と檀家制度に組み入れられ、以来仏教界は生命力を失ったと理解しております。これを応法化とみなすことが出来るように思います。
宮顕の体制内化指導ですが、性質が根本的に違っていると認識しております。その変態ぶりについては、「宮顕論」http://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron.htm、その通史として「宮顕のはるかなる変態長征総史」http://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_hosoku_gaikatu.htm
の中で論じているつもりです。
今日の日共のていたらくぶりをそう見ずに、ますます発展過程にあると見なすならば、れんだいこの視点は全く通用しません。大阪の人さんは宮顕―不破指導の正義を得々と語ることが出来る奇特なお方ですが、無惨な事態に陥っていると見なすのが普通でせう。
宮顕のどこが良くないかというと、はっきりした始発は「戦前のリンチ事件」でせうね。あれを、スパイをテロったのでは無く、真性スパイ宮顕派が労農派のトップ小畑中央委員をテロった、と見なすのがれんだいこ観点です。まずここから認識の共有をしないと、どこまでいっても平行線問答になる気が致します。そういう意味では、「戦前のリンチ事件」の議論から始める必要があるように思います。
この事件は今も尾をひいていると考えるべきです。その理由一、小畑中央委員の冤罪を晴らさねばならないこと。その理由二、党内最高指導部での異様なリンチ致死事件であり、当時者は真相を明らかにすべきであること。その理由三、テロ派頭目の宮顕が、頭目でない、テロ致死ではない、蘇生に尽力した功労者である、死体遺棄には関知していないと全面否認し続けていること。これらの未総括は、日共の合法的活動の資格基盤を危くしております。致命的なアキレス腱となって喉仏に刺さっており、早かれ遅かれいずれにせよ自己切開せずんば済まされません。
とはいえ、真相は藪の中ではないかと云われる事も有り得ますので、次の問題に移ります。この場合、宮顕の個々の指導をその都度論議しても良いですし(「善隣学生会館事件」もその一つです)通史として宮顕の軌跡を確認していくことも出来ます。その場を上手く誤魔化しても炙り出されてくるものは、宮顕が如何に当局の狙い通りに画策しているかでせう。偶然と云うには重なりすぎております。
日本左派運動の権威である日共の最高指導者としての立場から、党内の穏和化、党員の愚民化、イエスマン化しない党員の排除、同じく党外大衆団体のそうした方向への誘導、党外の戦闘的党派、団体への徹底した迫害と敵対、ほぼこればかりに専念してきたことが浮き彫りになります。その他の例を挙げれば、政権与党内のハト派に打撃を与え、タカ派には通りいっぺんの声明で済ますという面もあります。これらを一言で云えば「大衆の子羊化運動への最大の功労者」と云えるかと思います。
これらの軌跡は、単なる体制内化運動ないし応法運動では済まされないと考えております。この説明ではまだ不十分でせうか。
[660] 日本共産党の仁義なき戦い 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/27(Tue) 22:44
れんだいこさん、こんにちは
宮本顕治がスパイであるという仮説ですが、私はなるべく(頼まれてないけど)弁護人の役割を果たしつつ、審理を続けていきたいと思います。よろしいでしょうか。
さて、今回は簡単にいきます。かつて「仁義なき戦い」というやくざ映画がありまして、やくざ社会でも、誠実ないいやつは早く死んでしまい、人間的に汚らしい卑劣なヤツほど後々まで生き残って幹部になったり、あるいは公営ギャンブルのボスとなって社会的にも高い地位に着いたりするというような筋でした。やくざ社会でも、対立する派閥をつぶすために、権力に売ったりするというようなこともあるという筋でした。
大体、世の中、いいやつほど早く死んでしまうというのは、よくあることです。
宮顕の場合も、そのようなもので、嫌なやつほど生き残るという程度の話ではないのでしょうか。これだと、スパイでなくとも成り立つ話です。
[661] Re: 日本共産党の仁義なき戦い 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/28(Wed) 10:06
猛獣文士さんちわぁ。
> 宮本顕治がスパイであるという仮説ですが、私はなるべく(頼まれてないけど)弁護人の役割を果たしつつ、審理を続けていきたいと思います。よろしいでしょうか。
そうですね。そういう構図でやっていくほうが却って良いかも知れませんね。ついでに、傍聴席からの傍聴人の発言が認められるという仕掛けがなお良いと思います。
> 宮顕の場合も、そのようなもので、嫌なやつほど生き残るという程度の話ではないのでしょうか。これだと、スパイでなくとも成り立つ話です。
そういう風に捉えるのが真相かも知れない。とにかく宮顕の権力欲性が当局に上手に利用され、互いに利用しあったという関係です。しかし、こういう場合普通スパイとみなして良い事になると思います。あるいは皮一枚の差でスパイ前かも知れません。
れんだいこも長年そのように考えてまいりました。しかし、この認識では腑に落ちないことが多いのです。逆に思い切って宮顕スパイ説に立つと不思議なほどその動きが見えてきて、すべての軌跡が繋がってくるのです。そういうところから宮顕スパイ説という仮説を立て、私なりに追跡調査し続けております。今や、猛獣文士さん的配慮を失ってしまい、確信をもって宮顕スパイ説を主張するようになりました。
しかし、この規定はまだ違和感で受け止められているようです。中には、れんだいこが売名行為で変わったことを主張している的に云われたこともあります。そうではないのです。売名の為なら、れんだいこはもっと別の動きをすることも出来ます。この規定には自信があるので、もっといろんなところに出張ることも出来ます。
そうではなくて、この認識が検討されることを期待しております。これは勘ぐりが過ぎるかも知れませんが、宮顕が先の日共大会で名誉議長職から外されましたね。その背景に、れんだいこの宮顕論、宮地さんのリンチ事件研究を検討した党中央が、こんな指摘が為された以上到底庇いきれないと判断し、事後事態に備えて手を打ったとみなすのは自惚れでせうか。
それはそうと、日共左派系のどこかの党派が、正式著作名が分かりませんが「宮顕はスパイである」本を出しているようです。その内容を知りたいのですが心当たり有りませんでせうか。確か山口県委員会辺りだったかな、何かの拍子でそういう本を出版していることを知り、非常に興味を覚えております。どなたかご調査していただければ有り難いです。
まずはこの辺りで前置きとしておきます。
[665] 戦後の宮顕はスパイ 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/08/28(Wed) 18:32
私は、戦後の宮顕はスパイの可能性が極めて高いと思いますが、小畑殺害の以前からスパイだったというれんだいこさんの想定にはかなり無理があると思います。小畑殺害の時期にすでにスパイであれば、宮顕が逮捕された理由が不明ですし、また大泉が査問された理由も不明です。また袴田が戦後に除名されていることも説明できません。宮顕と袴田がスパイスループであれば決して分裂することはなかったでしょう。宮顕だけがスパイで袴田がスパイでないとすると、スパイグループが党中央を簒奪するために小畑を殺したという想定には無理があることになります。
私は、宮顕は獄中で転向して権力と取り引きしたのだと思います。宮顕が公然と転向しなかった理由は、やはり百合子でしょう。百合子は夫(宮顕)が非転向の革命家であると信じていろいろと奉仕し、宮顕は家父夫長的で説教くさい手紙を書いて自尊心を満足させていたわけです。転向して百合子から見捨てられるのは、宮顕のちっぽけな自我が許さなかったのでしょう。そこらへんを権力は見透かし、宮顕と裏取り引きを合意したのだと思います。そのことにより、権力は宮顕を(法的には不可能であったにもかかわらず)釈放し、復権させたのだと思います。その後、権力と宮顕はあうんの呼吸で代々木を支配していったのでしょう。
[667] Re: 戦後の宮顕はスパイ 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/28(Wed) 22:50
コスモポリタンさんちわぁ。
> 私は、戦後の宮顕はスパイの可能性が極めて高いと思いますが、小畑殺害の以前からスパイだったというれんだいこさんの想定にはかなり無理があると思います。小畑殺害の時期にすでにスパイであれば、宮顕が逮捕された理由が不明ですし、また大泉が査問された理由も不明です。
そう考えるのが普通ですよね。れんだいこ見解は次の通りです。では、リンチ事件以前の宮顕の活動振りはどうかと云うとこれが結構あやしいのです。入党からアジ・プロ時代の動き、党中央へ潜入して以来の動きが不明ですが、それは当人が極力消しているからです。著作集からもこの時代の動きが消されております。変な理由付けしておりますが、愛党精神からすれば考えられないことです。
そういうわけで、どうしても消せない諸事実を繋ぎ合わせることになりますが、これを見ただけで結構胡散臭いのです。概略はhttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_3_2.htmに書いております。
日共内への宮顕の潜入後、その順調な滑り出しを見て「スパイM」が去っております。あたかも「スパイM」の時代が終わったかの観があります。この辺りは今後もヴェールに包まれるでせうが、充分詮索されるに値すると思います。
その宮顕が党中央に入り込む頃から、スパイ摘発名目での党内分裂化が発生し始めております。そもそも数少ない共産党員内であの当時に望まれていたのはむしろ団結であり、大衆団体への着床であった筈です。その逆の方向へ蛮勇を奮っているのが宮顕グループでした。これって宮顕の性癖で済まされることでせうか。
大泉の査問についてですが、査問情況を見ますと、刺身のツマのような位置になっており、リンチテロルの主眼が小畑にあったことが歴然としております。実際に小畑が殺され、大泉は不自然に救出されております。この経過についても、宮顕はなんとかぼかそうとして、大泉のほうから査問に入ったと法廷で何度も陳述しております。袴田、逸見調書では小畑の方から査問に入ったとしておりますが、これが事実でせう。では、宮顕はなぜそのように主張するのか。宮顕の不正陳述は、小畑致死事件の際の様子の食い違いだけでは無いのです。明らかに種々ウソをついております。では何のために。この疑問から論を起こさねば解けません。
宮顕逮捕の様子についても別章で考察しておりますが、非常に不自然です。「今日が最後だ」という言葉を残して次に査問を予定していた荻野に会いに行き、逮捕されております。「今日が最後だ」は意味不明なのですが、日共解体作業が基本的に終わり、後は雑魚ばかりという認識の下で当局入りしたと考えられます。獄中からの指令では袴田執行部をコントロールできる道筋ができていたのではないか、とさえ勘ぐり出来ます。ここでは書きませんがこの推定根拠がいくつかあります。
とはいえ、この宮顕逮捕により、当時のほぼ全ての党員が宮顕を疑うということ視点を失いました。ここから「獄中十二年唯一非転向タフガイ人士」神話が始まります。
>また袴田が戦後に除名されていることも説明できません。宮顕と袴田がスパイスループであれば決して分裂することはなかったでしょう。宮顕だけがスパイで袴田がスパイでないとすると、スパイグループが党中央を簒奪するために小畑を殺したという想定には無理があることになります。
ここも重要なところですね。袴田は故意か偶然か、非常に稀な本来の党中央が放った逆スパイの可能性があります(この詮索は話が飛びますのでまたの機会に致しませう)。それはともかくとして、袴田失脚理由は当時の情況から判断すれば不思議ではありません。立花氏の論及で当時のリンチ事件の様子が明らかにされ、袴田の詳細な陳述が党内から責任を問われ、その結果宮顕ー不破グループから用済みにされたというのが実際でせう。袴田陳述は、宮顕を弁護する立場から種々述べているものの、リンチ事件の詳細を明らかにすることによってそのこと自体が宮顕の弁明のウソをも透かし彫りにさせているのです。ここが党内で追求される訳ですが、クロをシロとする無駄な努力にそもそもの無理があるのでせうに。
まことにややこしい話ですが、「宮顕だけがスパイで袴田がスパイでない」という訳ではありません。宮顕はスパイグループの表棟梁であり、袴田は常にその腰巾着でしたから、当然平気の平左のスパイ性をあちこちで見せております。裏家業専門というところでせうか。ところが、この袴田は煮ても焼いても食えないところがあり、れんだいこに云わせれば非常に貴重な資料をもまたあちこちで残してくれております。
> 私は、宮顕は獄中で転向して権力と取り引きしたのだと思います。宮顕が公然と転向しなかった理由は、やはり百合子でしょう。百合子は夫(宮顕)が非転向の革命家であると信じていろいろと奉仕し、宮顕は家父夫長的で説教くさい手紙を書いて自尊心を満足させていたわけです。転向して百合子から見捨てられるのは、宮顕のちっぽけな自我が許さなかったのでしょう。そこらへんを権力は見透かし、宮顕と裏取り引きを合意したのだと思います。そのことにより、権力は宮顕を(法的には不可能であったにもかかわらず)釈放し、復権させたのだと思います。その後、権力と宮顕はあうんの呼吸で代々木を支配していったのでしょう。
コスモポリタンさん説の方が分かり易いけれども、そういうレベルでは無いというのがれんだいこ史観です。
[635] 日本共産党批判 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/19(Mon) 08:57
れんだいこさん、こんにちは
> 論破されたかどうか議論は入り口に達したところでが、日共の公式見解の陥穽箇所に彼が気づいたかどうか、そこが問題だろうと思います。日共のソフィスト達の盲従者でしかない己の姿を鏡に映せたかどうか、それでも得心する氏の姿は何者かそこが気がかりです。
たんなる、日本共産党好きのシンパではないでしょうか。政治的に熟達した党員ならば慎重に避けるはずの問題発言を平気でしています。耐え切れない発言もありますが、そこを突かれたりもしています。
> 宮顕は丁度巷では入院との噂です。新しいスレッド立てて下されば参加いたします。
宮顕ももうご高齢ですから、いずれ「ひとつの時代が終わる日」もやってくることになるのでしょうか。
> 宮顕は戦前も、愛国的民族主義的天皇制と親和的な党運動を目指しております。しかしこの理論そのものが当局の許容する範囲のマルクス主義であり、それを主張する宮顕は偶然にそういう観点に立っていたのかどうか、解明を要するところです。
「宮顕は戦前も、愛国的民族主義的天皇制と親和的な党運動を目指しております。」これは、どのような資料で確認したのでしょうか。このような主義を目指していたとすれば、とても日本共産党の構成員であることはできないのではないかとも思えます。転向しないかぎり。
> この観点は、失礼ながら猛獣文士さんの認識が正確でないと思います。問題は次のことにあります。「査問事件は、宮顕スパイ説議論とは別の次元の話にも思えます」とありますが、別次元の話ではないと考えます。査問事件は、宮顕一派が党中央簒奪を意図して、先輩格の中央委員しかもわずか4名しか残されていないうちの2名を、スパイ容疑で拉致監禁し、査問して行った過程で発生した致死事件です。
> この事件は、真性スパイグループが政敵をスパイ呼ばわりしてそれを大義名分にして査問して行ったという白色テロル性にあるのではなかろうか、という観点から解明されねばならないと考えております。事は決して当時の厳しい党活動発生した止むを得なかった事件ではない、その観点はこの事件の持つ重みを平板化させると思います。
宮本顕治が党内の主導権を確立するために、「対立する」指導者あるいは自分の思うままにできない指導者を「スパイ」の濡れ衣を着せて葬り去ったということでしょうか。
あるいは、宮本顕治が当局の意を受けて、日本共産党をつぶすために有能な指導者を葬ったということでしょうか。
> もし「止むを得なかった不幸な事件」とするなら、宮顕が通常の感性の持主であれば、そういう履歴を持った事を悔やみ党活動から遠慮するものでせう。実際には宮顕はどう動いたか、僅かばかり残されていた有能党員と戦闘的労組者にターゲットを絞って更なる査問を呼号し、指示しております。その他あり得てならない党員証の再提出取り付けに向かって行っております。以下書けばキリがありませんが、宮顕こそスパイでなければオカシイ動きを見せております。
日本共産党を当局の管理下に置くための措置でしょうか。
> この観点で見れば、戦後の動きもすべて変調です。戦後直後から5年間党運動を指導した徳球ー伊藤律派の運動に徹底的に逆らいます。この徳球ー伊藤律派の運動こそ本来の日共運動だったと考えられます。宮顕はその後、六全協で野坂と二人三脚することになりましたが、その野坂が多重スパイであったことが今日判明しておりますが、何十年もその野坂とタッグを組みえた宮顕とはそも何者か。通常はそう疑惑が向かうところでせう。この自然な論理の流れがなぜか遮断されてしまっております。
共産党の本来の運動が密殺され、その結果現在残っている日本共産党は一体何なのでしょうか。また、そのような現実の日本共産党を、どのように評価し、どのように取り扱えばいいのでしょうか。
あるいは、正しい日本共産党の運動を再生させる必要があるのでしょうか。これは、ソ連崩壊後の、マルクスレーニン主義や社会主義・共産主義に対する「幻滅」の影響をどのように受けているのでしょうか。
どうも、質問攻めにしてしまっているようですが、疑問点がどんどん出てくるので、勘弁してください。
[637] Re: 日本共産党批判 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/20(Tue) 19:56
猛獣文士さんちわぁ。
> 「宮顕は戦前も、愛国的民族主義的天皇制と親和的な党運動を目指しております。」これは、どのような資料で確認したのでしょうか。このような主義を目指していたとすれば、とても日本共産党の構成員であることはできないのではないかとも思えます。転向しないかぎり。
これですが宮顕公判記録
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_9.htm
の最終となった第15回公判での陳述が一つの根拠になると考えております。宮顕は末尾で次のように述べております。
「私は我々の思想を糾弾する人々に対し、現代社会の動向から眺めて、共産主義は頭から抑圧すべきものでない事をここに極力申しておきたい」、
「故に共産主義を合法的に認め、これを公論によって検討すべきものであって、徒に頭から抑えつけるべきものではないのである」
これに対して、れんだいこは次のように書き付けております。
(疑惑)ここの文意をどう読み取るべきか。この陳述観点は宮顕のマルクス主義の位置を自ずと吐露しているように見える。少なくとも、マルクス主義者が革命に向かわざるを得ない所以のものを説き明かす姿勢ではない。むしろ、当時の天皇制治下にあっても、マルクス主義が合法的に認められ「これを公論によって検討すべきもの」という穏和主義の弁明になっているように見える。これを、法廷と云う特殊情況下での止むを得ない奴隷の言葉と読むなら仕方ない面もある。しかし、案外とこの観点が宮顕の思想的立脚点なのではなかろうか。
他にも宮顕の当時の文芸評論を仔細に見て参りたいのですが、勉強不足です。戦後の宮顕については、特に六全協以降指導部にのし上がってより今日までやっていることを見れば、「愛国的民族主義的天皇制と親和的な党運動を目指しております」はズバリそうだと思います。
北方領土問題での全千島列島返せ論は、こういっては何ですが超過激で、過激なところがどんな右翼も顔負けというところが笑わせられます。
[638] Re^2: 日本共産党批判 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/22(Thu) 05:55
れんだいこさん、おはようございます。
> これですが宮顕公判記録
> http://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_9.htm
> の最終となった第15回公判での陳述が一つの根拠になると考えております。宮顕は末尾で次のように述べております。
> > 「私は我々の思想を糾弾する人々に対し、現代社会の動向から眺めて、共産主義は頭から抑圧すべきものでない事をここに極力申しておきたい」、
> 「故に共産主義を合法的に認め、これを公論によって検討すべきものであって、徒に頭から抑えつけるべきものではないのである」
> > これに対して、れんだいこは次のように書き付けております。
> (疑惑)ここの文意をどう読み取るべきか。この陳述観点は宮顕のマルクス主義の位置を自ずと吐露しているように見える。少なくとも、マルクス主義者が革命に向かわざるを得ない所以のものを説き明かす姿勢ではない。むしろ、当時の天皇制治下にあっても、マルクス主義が合法的に認められ「これを公論によって検討すべきもの」という穏和主義の弁明になっているように見える。これを、法廷と云う特殊情況下での止むを得ない奴隷の言葉と読むなら仕方ない面もある。しかし、案外とこの観点が宮顕の思想的立脚点なのではなかろうか。
確かに、この陳述は違和感がありますね。法廷記録は、どこで入手するのでしょうか。
> 他にも宮顕の当時の文芸評論を仔細に見て参りたいのですが、勉強不足です。戦後の宮顕については、特に六全協以降指導部にのし上がってより今日までやっていることを見れば、「愛国的民族主義的天皇制と親和的な党運動を目指しております」はズバリそうだと思います。
戦前の宮本顕治は、文芸評論のようなものしか書いていなかったのですか?戦後、共産党のボスになった後は、宮顕の個人的な著作、論文と宮本支配下の日本共産党の論文との区別が難しいと思います。もう少し、調べたいですね。
> 北方領土問題での全千島列島返せ論は、こういっては何ですが超過激で、過激なところがどんな右翼も顔負けというところが笑わせられます。
日本共産党の正式な見解として、このようなことを言っているのでしょうか。まあ、政権党でないから、無責任に何でも言える。しかし、ひとつの政党として全体を見た場合、日本共産党は理論的に破産していることは事実のようです。理論が破産して、内部批判を許さない組織だけが残っているこの政党、気持ち悪いですね。
[639] Re^3: 日本共産党批判 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/22(Thu) 12:48
猛獣文士さんちわぁ。
> 確かに、この陳述は違和感がありますね。法廷記録は、どこで入手するのでしょうか。
これですが、宮顕自身が「公判記録集」なるものを公刊しております。れんだいこさんの宮顕論の著作集の中に書き込むのを忘れておりました。この「公判記録集」にも疑惑が付きまとっております。その内容批判は我がサイトで行っていますが、そもどのようにして宮顕が手に入れたかというと、当時獄中時代に手元に保管していたとか(詳細は失念しました。この辺り正確にしておこうと思います)。裁判所に保管されていたものは空襲で焼けたけども、この手元に置いていたお陰で今日日の目を見ているとか。変な話です。
立花氏の共産党研究論文のリンチ事件考に対抗して、この「公判記録集」が出版されたようです。ところが、これを読んでさえ、透けて見えてくるのはひどいリンチの模様と、如何に宮顕が居直り弁明を逞しゅうしているか、それが当局の上げ膳据え膳の中で為されているかということです。ところがいけません。日共御用派には読解力が基本的に欠けているのでせう。宮顕のプロパガンダのところをのみ読んで納得しているようです。
しかし、この「公判記録集」は宮顕にとって危険なものになっております。その後、当事者の陳述調書が公開されましたが、各被告のそれと比較してみて、如何に宮顕一人がリンチが無かったか、調書さえ取られずに済んだ不思議さ、奇妙な単独公判の様子等々が炙り出されてしまっております。ところがいけません。日共御用派には読解力が基本的に欠けているのでせう。党中央のプロパガンダのところをのみ読んで納得しているようです。
> 戦前の宮本顕治は、文芸評論のようなものしか書いていなかったのですか?戦後、共産党のボスになった後は、宮顕の個人的な著作、論文と宮本支配下の日本共産党の論文との区別が難しいと思います。もう少し、調べたいですね。
ですね。宮顕の裏で動く姑息なやり方で、軌跡がはっきりしないようにされております。
> > 北方領土問題での全千島列島返せ論は、こういっては何ですが超過激で、過激なところがどんな右翼も顔負けというところが笑わせられます。
> 日本共産党の正式な見解として、このようなことを言っているのでしょうか。まあ、政権党でないから、無責任に何でも言える。しかし、ひとつの政党として全体を見た場合、日本共産党は理論的に破産していることは事実のようです。理論が破産して、内部批判を許さない組織だけが残っているこの政党、気持ち悪いですね。
本当にそうです。しかし、反代々木系がその論破に失敗している風があります。あるいは代わる党派運動を創出し得ていない。併せて情けないことだと思います。やはりれんだいこ的観点で宮顕論を確認しないツケが自家撞着していると思わざるを得ません。
[641] 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/23(Fri) 09:59
れんだいこさん、こんにちは
合法的な路線、議会制民主主義の選挙制度に参加するという路線についてですが、これをれんだいこさんはどう評価するのでしょうか。立花隆の解釈によれば、マルクスレーニン主義の立場にたつかぎり、暴力革命を放棄して、選挙によって革命を成就できると主張することは容認できない「修正主義」であるということになります。立花隆が引用している文献(共産党宣言やレーニンの著書)を合わせてみれば大変説得力のある指摘ですが、立花隆はマルクスレーニン主義の立場にたっていないので、彼自身はそう考えていないことは明らかであり、またこの図式化はマルクスレーニン主義が何でも暴力革命に固執するといった偏った印象を与える断定という側面もある単純化であると思います。
日本共産党は(革命のための)暴力について、現在、どのように考えていて、過去どのように考えていたのでしょうか。1968年の「日本革命の展望」には堂々と「敵の出方論」が記述してあります。また、民青の側から東大闘争などに関係した川上徹氏の「査問」や宮崎学の「突破者」などを読んでも、そのころの若手は一応「反権力」の側にいるという自覚があったように思えます。
今回、大阪の人さんとの対話で、日本共産党の支持者と見られる氏の「反」暴力、「反」国際主義、「親」議会制民主主義、「親」資本主義、「愛」国主義、排外主義、国民主義等の立場のすごさに驚いているのですが、あのような立場が現在の日本共産党の正式な見解であるとはとてもまともな思考方法では考えられないのですが、日本共産党はそのような団体になっているのでしょうか。
不破氏が最近レーニンを部分的に否定する発言などを行っているようですが、その程度のことで、理論的な矛盾を解決できているとは到底思えないのですが。
[642] Re: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/23(Fri) 11:46
猛獣文士さんちわぁ。
> 合法的な路線、議会制民主主義の選挙制度に参加するという路線についてですが、これをれんだいこさんはどう評価するのでしょうか。立花隆の解釈によれば、マルクスレーニン主義の立場にたつかぎり、暴力革命を放棄して、選挙によって革命を成就できると主張することは容認できない「修正主義」であるということになります。立花隆が引用している文献(共産党宣言やレーニンの著書)を合わせてみれば大変説得力のある指摘ですが、立花隆はマルクスレーニン主義の立場にたっていないので、彼自身はそう考えていないことは明らかであり、またこの図式化はマルクスレーニン主義が何でも暴力革命に固執するといった偏った印象を与える断定という側面もある単純化であると思います。
立花隆の解釈は別にして次のように云えるようには思います。マルクス主義が暴力革命に歴史的正義を見てこれを称揚したのは事実だと思います。それは歴代の支配階級が常に暴力を伴って支配を貫徹している以上、それを覆すのも暴力的にならざるを得ないではないか、という観点からであったのではないでせうか。議会を活用する場合も、この観点に拠って利用するのであり、議会で議会内多数派となるのをメルクマールにそれに応じて革命に着手するなぞという理論とは無縁でせう。
但し、西欧のブルジョア民主主義の背景に近世の曙光となったルネサンス精神が脈打っていたことに対して、マルクスが冷淡であることを見据えねばならないと考えております。マルクス主義の階級闘争理論の欠格個所だと思っております。マルクス主義内「修正主義」者達は、或る意味でルネサンス精神の継承を意図していたと思うのですが、これをどう理論的に表現しえたのか、事実は西欧民主主義という概念の中で語ることにより有耶無耶にしてしまった、と考えております。
ルネサンスとは、中世的神聖秩序に対する疑惑を始発として精神の自由を求め、人が自由に生きられる社会を夢見る運動であったように思います。没階級的な意識の下での憧憬ではありましたが、この精神は貴重なものではないでせうか。通常、民主化とか民主主義精神とか云われておりますが、歴史的にはルネサンス精神として捉えるのが正確ではないかと思っております。
日共的民主化論者のヌエ性は、口では民主主義を尊ぶと云いながらも、連中が愛好する民主集中制なるものがこのルネサンス精神の反対物に転化させた上でそれへの恭順を説いていることにあります。もっとも、マルクス主義とは、開祖マルクスにまで戻ってそのようなものであったのかも知れません。
しかし、イフですが、マルクスにもう少し寿命があれば、この辺りの考察へと向かっていたと思われます。あるいは、マルクスも時代の子として西欧精神の流れにあっては当然過ぎることとしてルネサンス精神を対自化できなかったのかも知れない。ところが、マルクスらが語らなかったルネサンス精神は語らなかった故に無視され、西欧僻地でルネサンスの洗礼を受け損ねていたロシアという風土の中から生まれたレーニン主義へと継承され、やがてスターリン主義へと流れ込みます。この点では毛沢東主義も同じ土俵でせう。かくてマルクス主義は時代が下がるに連れ、ルネサンス精神を絶望的に捨ててしまった、という風に理解しております。
再び日共に戻りますが、連中がこれをどう受け止め何を創造しようとしているか。理論的にはマルクス主義の取り柄である革命理論とその精神の方を換骨奪胎させ、宿あである民主集中制理論の方をキープしようとしております。しかしてそれは、最もマルクス主義から遠い道への誘ないであるるように見えます。なぜこういうことが起るのか。それは白い心の持主であるが故に、道に間違うと辿り着くのは必然的にマルクス主義の道とは反対方向ということになるのではないでせうか。
もはや理論がどうしようもなくもつれており解きほぐせません。これを称して自縄自縛と云います。さてこうなるとどう対策を打ち出すか。この数十年やっていることは一層の党内愚民化政策であり、理論軽視どころか無視の道であり、かくてツケ刃対応の日々にまでなりました。こうなると、どこまで厚顔無恥の上塗りが見えるのか、つまらない興味しか残されておりませんね。
[643] Re^2: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/23(Fri) 22:05
れんだいこさん、ちわ
> 立花隆の解釈は別にして次のように云えるようには思います。マルクス主義が暴力革命に歴史的正義を見てこれを称揚したのは事実だと思います。それは歴代の支配階級が常に暴力を伴って支配を貫徹している以上、それを覆すのも暴力的にならざるを得ないではないか、という観点からであったのではないでせうか。議会を活用する場合も、この観点に拠って利用するのであり、議会で議会内多数派となるのをメルクマールにそれに応じて革命に着手するなぞという理論とは無縁でせう。
問題は、マルクス主義が歴史的に革命を評価していることではなく、現実の政治勢力(政党)としての日本共産党が、合法的な政治活動に専念することの可否です。現実に、マルクスレーニン主義のある面の解釈に忠実たらんとした(と信じます)政治勢力が、日本でも暴力による性急な革命を目指した経験を、われわれの世代は生々しい経験として見ているのであり、その結果の苦さも知っています。現在の日本の状況で、革命派が暴力的に権力をにぎるという事態はほとんど可能性がないように見えます(私の認識が根本的にぶれていないならば)。マルクスレーニン主義者であるから暴力革命を準備しろなどという要求が仮にあったとすれば、それは政治的な自殺を強要していることにもなりかねません。
そこで、日本共産党が暴力革命路線を完全に放棄して、議会主義になったとします。もちろん、どのように議会主義を追求するかにもよるでしょうが、現在の日本では、とりあえず議会を通して政治的な力を行使していくしかないと考えの下でそれを選択した場合に、それ自体が非難の対象でありうるかどうかということが疑問の第一点です。
> 但し、西欧のブルジョア民主主義の背景に近世の曙光となったルネサンス精神が脈打っていたことに対して、マルクスが冷淡であることを見据えねばならないと考えております。マルクス主義の階級闘争理論の欠格個所だと思っております。マルクス主義内「修正主義」者達は、或る意味でルネサンス精神の継承を意図していたと思うのですが、これをどう理論的に表現しえたのか、事実は西欧民主主義という概念の中で語ることにより有耶無耶にしてしまった、と考えております。
西欧の民主主義について、私はれんだいこさんのように高く評価していません。近代・近世の歴史を通して、もっとも悪逆で残酷な暴力を行使し、人類に多大の傷を与えたのは、民主主義制度によって武装した西欧諸国であり、その状態はアメリカのアフガニスタンに対する野蛮な暴力やイスラエルのパレスチナに対する暴力という形態で現在も続行していると思います。これは以前、大阪さんとも議論したことですが、アヘン戦争などで、中国を苦しめたのは、陰鬱な帝国ではなく、革命によって議会を設立し民主主義を普及させたイギリスやフランスの軍隊であったという歴史的な事実を認識するべきだと思います。
> ルネサンスとは、中世的神聖秩序に対する疑惑を始発として精神の自由を求め、人が自由に生きられる社会を夢見る運動であったように思います。没階級的な意識の下での憧憬ではありましたが、この精神は貴重なものではないでせうか。通常、民主化とか民主主義精神とか云われておりますが、歴史的にはルネサンス精神として捉えるのが正確ではないかと思っております。
はっきりと応えることはできませんが、このような精神が西欧にしかなかったと考えるのは、一面的ではないでしょうか。
> 日共的民主化論者のヌエ性は、口では民主主義を尊ぶと云いながらも、連中が愛好する民主集中制なるものがこのルネサンス精神の反対物に転化させた上でそれへの恭順を説いていることにあります。もっとも、マルクス主義とは、開祖マルクスにまで戻ってそのようなものであったのかも知れません。
日本共産党の内部的な問題もあるでしょうが、合法化を認めるかどうかは大きな問題です。非合法な革命組織と合法的な政党では組織が本質的に異なります。
スパイや内通者といった存在が組織に致命的な打撃を与えることができるのは、戦前の日本共産党のような非合法の革命政党の場合です。合法政党であれば、たとえ、権力との緊張関係が非常に強いとしても、警察や当局とのアクセス経路をどこかに持たなければならなくなります。このような場合、スパイの存在の役割はかなり限定されたものになると思います。
> もはや理論がどうしようもなくもつれており解きほぐせません。これを称して自縄自縛と云います。さてこうなるとどう対策を打ち出すか。この数十年やっていることは一層の党内愚民化政策であり、理論軽視どころか無視の道であり、かくてツケ刃対応の日々にまでなりました。こうなると、どこまで厚顔無恥の上塗りが見えるのか、つまらない興味しか残されておりませんね。
もう少し様子を見てみたら変わった事もあるかもしれません。期待しないで、楽しみにしてみたらどうでしょう。
[646] 民主主義とは何か 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/08/24(Sat) 21:49
>西欧の民主主義について、私はれんだいこさんのように高く評価していません。近代・近世の歴史を通して、もっとも悪逆で残酷な暴力を行使し、人類に多大の傷を与えたのは、民主主義制度によって武装した西欧諸国であり、その状態はアメリカのアフガニスタンに対する野蛮な暴力やイスラエルのパレスチナに対する暴力という形態で現在も続行していると思います。これは以前、大阪さんとも議論したことですが、アヘン戦争などで、中国を苦しめたのは、陰鬱な帝国ではなく、革命によって議会を設立し民主主義を普及させたイギリスやフランスの軍隊であったという歴史的な事実を認識するべきだと思います。
その通りです。上記の事実認識は当然として、その理論的原因を理解する必要があると思います。
マルクス主義者の間でも、第二インター以来、民主主義を高く評価することによってマルクス主義の本来の革命性を失わせる議論が横行してきたと思います。晩年のエンゲルスも、そのような立場に無批判だった点もあるのは否めないと思います。(この時期のエンゲルスの発言を、不破一派がうれしそうに引用しています。第一次世界大戦以前においては、民主主義はまだそれなりに進歩的であり、エンゲルスの一連の発言も責めることはできません。)
しかし本来はマルクス主義はバブーフ-ブランキの伝統から生まれた運動であり、民主主義には敵対的であったはずです。私は、マルクス主義の本来の革命性を回復するには、バブーフ-ブランキの伝統を重視する必要があると考えます。
マルクス主義者の議論では、「ブルジョア民主主義」の「虚偽」とか「限界」が指摘されますが、むしろ民主主義自体の反動性を問題にすべきではないかと思います。
民主主義というのは、結局のところ支配階級への抵抗の大きさと反比例するものだと思います。先進帝国主義国ほど民主主義的で、後進国は「非民主的」であるのは、先進帝国主義国では「国民」の多数を支配階級の利益に統合することができるからです。この点から考えれば、民主主義国であればあるほど侵略的であることは何ら不思議ではないと思います。
さらに、「イスラエル」のような国家の民主主義には別の理由もあります。言うまでもなく「イスラエル」は民族差別(もともと住んでいたパレスチナ人の追放と帰還拒否、「イスラエル」領土外のパレスチナに住むパレスチナ人の弾圧と閉じ込め、「イスラエル」国籍を持つパレスチナ人への差別)に立脚した国家であって、「国民」のうちユダヤ人はその民族差別の恩恵を受けています。ユダヤ人の大多数は自らの特権的地位を守るために団結しています。この理由から、いわゆる「民主主義」が生じるのです。
『國民の創生』(1915年)という黒人差別映画があるそうです。
http://www.ne.jp/asahi/zukidon/haruka/eiga/kokumin.html 私は見てないのですが、
>ラストは選挙権を得た黒人たち(見るからに下品で無知無教養、という描かれ方)が投票に行こうとしたら白装束の一団が銃をかまえて投票所の前にズラリ。黒人たちはあわててお家に逃げかえりましたとさ。(ハッピーエンド。らしい。)
だそうです。この「銃を持った白人たち」が、まさしく「イスラエル」の民主主義の本質だと思います。「共通の利益を守るために団結して武装する特権階級」--これは「イスラエル」だけでなく、中国台北や、アパルトヘイト体制にも言えることです。(アパルトヘイト体制は、白人にとっては極めて民主主義的な体制でした。)
また、より広い意味では、帝国主義的国民国家(米、日、欧州など)も、この「銃を持った白人たち」になぞらえることができます。米国や日本の民主主義は反動的なものであって打倒の対象である、という認識が大事です。
[649] Re: 民主主義とは何か 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/25(Sun) 12:31 <URL>
コスモポリタンさんちわぁ。
> しかし本来はマルクス主義はバブーフ-ブランキの伝統から生まれた運動であり、民主主義には敵対的であったはずです。私は、マルクス主義の本来の革命性を回復するには、バブーフ-ブランキの伝統を重視する必要があると考えます。
> マルクス主義者の議論では、「ブルジョア民主主義」の「虚偽」とか「限界」が指摘されますが、むしろ民主主義自体の反動性を問題にすべきではないかと思います。
これですが、革命論的見地で「ブルジョア民主主義」に誤魔化されること無く、バブーフ-ブランキ主義的伝統を継承せよという意味は分かるつもりです。問題は、それを推し進める運動体の中の運動論、組織論における「民主主義」の考察です。「民主主義」という表現ではややこしくなるので、仮に「反対派が社会生存的に許容されるルネサンス精神の擁護」と言い換えておきます。
れんだいこが思うのに、新時代を創るには、それを創ろうとする運動体の内部に萌芽的な「社会の青写真」を生み出しておくべきだと考えます。「目的が正しければ手段は癒される」というのではなく、「手段の中に目的が萌芽的に形成されておらねばならない」と考えます。
左派運動は、この見地から各種取り組むべきであった。当然この見地が党規約団体規約に明示されるべきである、と考えております。過去の修正主義者達の中のモチーフにかようなものがあったのではないか、という仮説を持っております。だから一概に否定するのではなく、真意をどう汲み取るか苦吟すべしと考えております。
> 民主主義というのは、結局のところ支配階級への抵抗の大きさと反比例するものだと思います。先進帝国主義国ほど民主主義的で、後進国は「非民主的」であるのは、先進帝国主義国では「国民」の多数を支配階級の利益に統合することができるからです。この点から考えれば、民主主義国であればあるほど侵略的であることは何ら不思議ではないと思います。
弱肉強食世界において、強食者の方が「ブルジョア民主主義」を発達させているというのであれば、同意できます。
>
> さらに、「イスラエル」のような国家の民主主義には別の理由もあります。言うまでもなく「イスラエル」は民族差別(もともと住んでいたパレスチナ人の追放と帰還拒否、「イスラエル」領土外のパレスチナに住むパレスチナ人の弾圧と閉じ込め、「イスラエル」国籍を持つパレスチナ人への差別)に立脚した国家であって、「国民」のうちユダヤ人はその民族差別の恩恵を受けています。ユダヤ人の大多数は自らの特権的地位を守るために団結しています。この理由から、いわゆる「民主主義」が生じるのです。
「パレスチナ」問題においてイスラエルを道義的批判するには材料が有りあまっております。新聞は中々書きませんが牛耳られているのでせう。問題は、アラブ諸国のこの問題に取り組む能力にあります。懸命な努力をしておるのでせうが、逆に分裂懐柔させられ、今日段階では同士討ちばかりさせられております。その背景には諸要因あるのでせうが、少なくとも王朝体制がうまく利用されているのだと思います。
してみれば、ここでも問題は国家統治機構の整備能力にあると云わざるを得ません。国際主義的には道義的批判で対応することしか出来ませんが、アラブ諸国はその間自力更生型の有能な国家及び社会建設に向かうべきです。そうはさせじとする勢力との拮抗関係の中で進めるのですから生易しいことではありませんが。
> また、より広い意味では、帝国主義的国民国家(米、日、欧州など)も、この「銃を持った白人たち」になぞらえることができます。米国や日本の民主主義は反動的なものであって打倒の対象である、という認識が大事です。
これについて異存はありませんが、歴史の教えるところ、打倒した側が以前よりひどい統治を行った事例の枚挙に事欠きません。大きく見ればソ連もその例だと見ることも出来ます。だから、運動する側に何が問われているのか、ここを確認しつつ取り組まない限り運動は進まないと考えております。
[645] Re^3: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/08/24(Sat) 21:48
> 現在の日本の状況で、革命派が暴力的に権力をにぎるという事態はほとんど可能性がないように見えます
「暴力的に」という意味を極めて狭く解釈しているのではないでしょうか。
暴力と言っても、民間人が武装して正規軍を打ち破るということだけを指しているのではありません。正規軍がないか、あるいは戦争で崩壊している(革命当時のロシヤのように)場合でないとそういうことは起こらないでしょう。
軍隊が戦わずに降伏するか、敵方に移るというのは、決定的な敗北と同じ役割を果たします。革命でも同じことだと思います。つまり兵士の大多数が革命の側に移行すれば革命はほぼ終了したも同然ということです。
[644] Re^3: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/24(Sat) 16:18 <URL>
猛獣文士さん、ちわぁ。
> 問題は、マルクス主義が歴史的に革命を評価していることではなく、現実の政治勢力(政党)としての日本共産党が、合法的な政治活動に専念することの可否です。
れんだいこは、戦後日本及び戦後冷戦世界の特殊論を構築しつつあります。これによれば、戦後日本は、稀代の善政体制を生み出しましたことになります。支配階級が法治主義に則り、憲法の指し示す文民による議会内閣政治を遵守している稀な時代だと云う認識をしております。それは戦前の痛苦な反省からもたらされていると考えております。
こうなると、戦後日本の左派運動はこの現実を正確に理解し、同じ土俵で闘いを挑むべきであった。つまり、合法的な政治活動に依拠し、場合に拠れば専念することが出来た時代だと読んでおります。
> 現実に、マルクスレーニン主義のある面の解釈に忠実たらんとした(と信じます)政治勢力が、日本でも暴力による性急な革命を目指した経験を、われわれの世代は生々しい経験として見ているのであり、その結果の苦さも知っています。現在の日本の状況で、革命派が暴力的に権力をにぎるという事態はほとんど可能性がないように見えます(私の認識が根本的にぶれていないならば)。マルクスレーニン主義者であるから暴力革命を準備しろなどという要求が仮にあったとすれば、それは政治的な自殺を強要していることにもなりかねません。
急進系左派は左派足らんとして、戦後日本の特殊善政時代の特質を無視して、やたら暴力革命論にシフトしていったように思います。その結果何も生み出さなかった。下手な勉強のし過ぎであったと云えば叱られるかな。
> そこで、日本共産党が暴力革命路線を完全に放棄して、議会主義になったとします。もちろん、どのように議会主義を追求するかにもよるでしょうが、現在の日本では、とりあえず議会を通して政治的な力を行使していくしかないと考えの下でそれを選択した場合に、それ自体が非難の対象でありうるかどうかということが疑問の第一点です。
問題は、宮顕―不破系党運動の議会主義のヌエ性に有ると思います。戦後直後の党運動を指導した徳球―伊藤律系も議会主義を重視し、1949年時点の衆議院選挙では35名の議員を誕生させております。この時議会主義ナンセンス論者も居りましたが、いやそうではないのだと懇々と説いております。
残念ながら、1950年朝鮮動乱の煽りの中で非合法化され、その後この系譜は封殺されることになりました。これに功あり名を挙げたのが宮顕派で、以降日共は今日までこの系譜が党中央を掌握しております。同じ議会主義でも、徳球―伊藤律系は大衆運動、労農学運動にも力入れております。あまり規制を加えませんでしたから、穏和派急進主義系その他雑多な運動が醸成されていたように思います。
系宮顕―不破系はこれをおざなりにさせ、その代わりに議会主義専一運動を進めて参りました。これを意図的にやっているから許せない、その罠を見抜かねばならないというのが、れんだいこ史観です。
> 西欧の民主主義について、私はれんだいこさんのように高く評価していません。近代・近世の歴史を通して、もっとも悪逆で残酷な暴力を行使し、人類に多大の傷を与えたのは、民主主義制度によって武装した西欧諸国であり、その状態はアメリカのアフガニスタンに対する野蛮な暴力やイスラエルのパレスチナに対する暴力という形態で現在も続行していると思います。これは以前、大阪さんとも議論したことですが、アヘン戦争などで、中国を苦しめたのは、陰鬱な帝国ではなく、革命によって議会を設立し民主主義を普及させたイギリスやフランスの軍隊であったという歴史的な事実を認識するべきだと思います。
ここは観点が違います。むしろ、民主主義制度によって武装した西欧諸国の国富的伸張が著しく、専制政治下のアジア、アフリカ、アラブ諸国が総やられしたと見ています。日本そういう意味では珍しい国であったと認識しております。西欧列強の侵略政策を道義的に批判してもせんないことだと考えております。アジア、アフリカ、アラブ諸国も又民主主義制度によって国力を増すべきであった。個人でも国家でも侮られればひどい目にあうというのは、肯定はしませんが止むを得ない面がある、人間とはそういう種族だと理解しております。
>
> > ルネサンスとは、中世的神聖秩序に対する疑惑を始発として精神の自由を求め、人が自由に生きられる社会を夢見る運動であったように思います。没階級的な意識の下での憧憬ではありましたが、この精神は貴重なものではないでせうか。通常、民主化とか民主主義精神とか云われておりますが、歴史的にはルネサンス精神として捉えるのが正確ではないかと思っております。
>
> はっきりと応えることはできませんが、このような精神が西欧にしかなかったと考えるのは、一面的ではないでしょうか。
いやそうではない。れんだいこ理解に拠れば、ルネサンスとは要するに体制に反逆する精神であり、この権利を「一定」認めようとする社会的合意の形成運動であったように考えております。残念ながら、西欧以外にこれが無かった。日本の戦前もこれが乏しかった。むしろ対極的な治安維持法下社会へと突き進んでしまった、と理解しております。戦後になって稀有なルネサンス社会が一時ですが誕生していたとみなしております。
>
> > 日共的民主化論者のヌエ性は、口では民主主義を尊ぶと云いながらも、連中が愛好する民主集中制なるものがこのルネサンス精神の反対物に転化させた上でそれへの恭順を説いていることにあります。もっとも、マルクス主義とは、開祖マルクスにまで戻ってそのようなものであったのかも知れません。
>
> 日本共産党の内部的な問題もあるでしょうが、合法化を認めるかどうかは大きな問題です。非合法な革命組織と合法的な政党では組織が本質的に異なります。
れんだいこが思うのに、政党そのものが合法部と非合法部の二本立てでいくのが宜しいのではないかと。支配階級が法秩序を遵守する限りにおいては合法部が担当し、支配階級の方からこれを無視する時代になれば非合法部が対抗するのは致し方ないと考えます。戦後から今日までは、合法部が担当しても良かったのではないでせうか。合法部の特徴は機関運営民主主義であり、非合法部の場合には特殊に軍隊化規律になるのは止むを得ないと考えます。
しかし如何なる場合にも指導部の専横的独断は良くないと考えております。反対派はつきものであるとして認められるべきであり、常に喧喧諤諤の方が丁度按配が良いのだとする組織論が必要だと思っております。その上で、党中央に自主的に創意工夫的精神を持ちつつ団結すべきではなかろうかとか。日共党中央は、これと反対の無茶苦茶なことばかりしでかしており、党員がまたこれを提灯するから始末におえません。
> スパイや内通者といった存在が組織に致命的な打撃を与えることができるのは、戦前の日本共産党のような非合法の革命政党の場合です。合法政党であれば、たとえ、権力との緊張関係が非常に強いとしても、警察や当局とのアクセス経路をどこかに持たなければならなくなります。このような場合、スパイの存在の役割はかなり限定されたものになると思います。
スパイ論は又別の機会に行いたいと思います。
> もう少し様子を見てみたら変わった事もあるかもしれません。期待しないで、楽しみにしてみたらどうでしょう。
日本が溶解させられてからああだったこうだったといっても仕方有りませんから、期待できるのなら早いうちの方が良いと思います。日共についてはほぼ絶望しておりますので、れんだいこのメガネに叶うその他党派の著しい伸張が見たいです。
[647] Re^4: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/25(Sun) 09:17
れんだいこさん、ちわぁ。
いろいろ挑発しても、大阪の人さんの再起は難しそうですね。
> れんだいこは、戦後日本及び戦後冷戦世界の特殊論を構築しつつあります。これによれば、戦後日本は、稀代の善政体制を生み出しましたことになります。支配階級が法治主義に則り、憲法の指し示す文民による議会内閣政治を遵守している稀な時代だと云う認識をしております。それは戦前の痛苦な反省からもたらされていると考えております。
ふうん。どうなんでしょう。これでいくと60年安保とか、三池とか砂川とか、何だったのかなという話にならないでしょうか。東大闘争、日大闘争、三里塚を持ち出す前に。
> こうなると、戦後日本の左派運動はこの現実を正確に理解し、同じ土俵で闘いを挑むべきであった。つまり、合法的な政治活動に依拠し、場合に拠れば専念することが出来た時代だと読んでおります。
つまり、合法的な政治活動に専念しようとしたことが、宮顕の問題ではない。分かりました。問題は、その政治活動の中身である。これは、路線対立というのとはちがうのでしょうか。
> 急進系左派は左派たらんとして、戦後日本の特殊善政時代の特質を無視して、やたら暴力革命論にシフトしていったように思います。その結果何も生み出さなかった。下手な勉強のし過ぎであったと云えば叱られるかな。
難しいところです。後知恵の結果論ともいえそうな断定に見えます。
> 問題は、宮顕―不破系党運動の議会主義のヌエ性に有ると思います。戦後直後の党運動を指導した徳球―伊藤律系も議会主義を重視し、1949年時点の衆議院選挙では35名の議員を誕生させております。この時議会主義ナンセンス論者も居りましたが、いやそうではないのだと懇々と説いております。
徳球−伊藤律の系譜の運動というのはあまり世間では知られていませんね。単に私が不勉強なのでしょうか。徳田球一というと、すぐに「家父長的な」運動という言葉を思い出します。北京で客死。宮顕派の宣伝戦が効果を挙げているのでしょうか。伊藤律といえば、ゾルゲ事件、スパイ疑惑、北京からの帰国の鮮烈な印象、それになかなかしっかりした回想録の記述。
これについては、宮顕「正史」とは異なる立場から、研究したら価値ある成果が得られるかもしれません。
> 残念ながら、1950年朝鮮動乱の煽りの中で非合法化され、その後この系譜は封殺されることになりました。これに功あり名を挙げたのが宮顕派で、以降日共は今日までこの系譜が党中央を掌握しております。同じ議会主義でも、徳球―伊藤律系は大衆運動、労農学運動にも力入れております。あまり規制を加えませんでしたから、穏和派急進主義系その他雑多な運動が醸成されていたように思います。
50年問題が頭に浮かびます。これについては、中国共産党にもなにやら責任があるようです。
> 系宮顕―不破系はこれをおざなりにさせ、その代わりに議会主義専一運動を進めて参りました。これを意図的にやっているから許せない、その罠を見抜かねばならないというのが、れんだいこ史観です。
宮顕を仮想的に歴史から抹消したときに、本来どのような成果が得られたのかを推論する必要があります。あるいは、どのような成果が失われるのか。あるいは、何の影響もなかったのか。
> ここは観点が違います。むしろ、民主主義制度によって武装した西欧諸国の国富的伸張が著しく、専制政治下のアジア、アフリカ、アラブ諸国が総やられしたと見ています。日本そういう意味では珍しい国であったと認識しております。西欧列強の侵略政策を道義的に批判してもせんないことだと考えております。
道義的な批判もありますが、それ以前に歴史認識の問題です。この点についての正しい歴史認識に欠ければ、「先進国」のグローバリズムイデオロギーに対抗できないことになります。「テロ国家」などという規定も批判できなくなります。
> アジア、アフリカ、アラブ諸国も又民主主義制度によって国力を増すべきであった。個人でも国家でも侮られればひどい目にあうというのは、肯定はしませんが止むを得ない面がある、人間とはそういう種族だと理解しております。
民主主義で武装している侵略者に対抗する手段が民主主義であるかどうかは、選択の問題だと思います。たとえば、経済の問題に置き換えて考えて見ます。経済的に優位な位置にいる国が自由貿易を、後進的な国に対して「普遍的な」価値観であるとして押し付けようとする場合、これに対抗する手段として保護貿易が採用されます。
国内の人民の幸福という点で考えて、それ以外の考慮する要因がない場合には、独裁よりも民主主義のほうが好ましいでしょうが、迅速で徹底した意思決定が強く求められる状況では、少人数の責任ある指導者による意思決定を行う制度が選ばれるでしょう。
> れんだいこが思うのに、政党そのものが合法部と非合法部の二本立てでいくのが宜しいのではないかと。支配階級が法秩序を遵守する限りにおいては合法部が担当し、支配階級の方からこれを無視する時代になれば非合法部が対抗するのは致し方ないと考えます。戦後から今日までは、合法部が担当しても良かったのではないでせうか。合法部の特徴は機関運営民主主義であり、非合法部の場合には特殊に軍隊化規律になるのは止むを得ないと考えます。
非合法組織とは、なんらかの軍事組織だと思いますが。議会制民主主義での選挙で勝つためには、非合法組織を持っていることはできないと思います。たとえば、日本共産党がそのような立場を公然と表明したら、その点を他の政党から攻撃され、選挙における得票数は大幅に減少するのではないでしょうか。世界恐慌とベルサイユ条約の過酷な条件下、国中に不満と革命の希望が渦巻いていた1920-30年代のドイツのような状況では話は別ですが。日本においては、やはり強力なアメリカの軍事力の制約の下にいるという条件を忘れるべきではないでしょう。
善隣学生会館事件のころ、日本共産党は軍事組織とはいえないものの専用の暴力部隊があったようです。武装共産党時代の尻尾のようなものだったのでしょうか。その暴力部隊が、善隣学生会館で投入され流血事件になったのでしょうか。しかし、このような私兵的な存在を保ったまま合法政党になることは、日本の制度上できないでしょう。そして、日本共産党(宮顕派)が選択した道は、非合法部分を切り捨てて革新政党に脱皮する道だったという仮説はどうでしょうか。
> しかし如何なる場合にも指導部の専横的独断は良くないと考えております。反対派はつきものであるとして認められるべきであり、常に喧喧諤諤の方が丁度按配が良いのだとする組織論が必要だと思っております。その上で、党中央に自主的に創意工夫的精神を持ちつつ団結すべきではなかろうかとか。日共党中央は、これと反対の無茶苦茶なことばかりしでかしており、党員がまたこれを提灯するから始末におえません。
ふたつの勢力が争ってるとき、一方の勢力に意思統一の不徹底があれば、それは不利な要因になります。戦いが終わるまで、批判を停止して、心をひとつにしなければならない時期があるというのはもっともな話です。ところが、いつまでも戦いが終わらず、戦うこと自体が目的化され、批判を許さない状態が恒常化されたりしたら、どうすればいいのでしょうか。
日本共産党についていえば、合法政党の道を選択した時点で、殺すか殺されるかの戦いは終わったと考え、軍隊式の組織体制を改めるべきだったのでしょう。でも、無理な注文かもしれません。日本共産党の幹部にとっては、このような組織体制が既得権を護る根拠になっているようですから。
脱線していいでしょうか。宗教を開祖すると数十人の信者が集まれば食うに困らなくなるというようなことを聞いたことがあります。数十万人の「信者」を擁した日本共産党の既得権益は、すごいものなのでしょうね。
[648] Re^5: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/25(Sun) 12:05 <URL>
猛獣文士さん、ちわぁ。
> いろいろ挑発しても、大阪の人さんの再起は難しそうですね。
理由は分かりかねますが、いろいろお尋ねしても返事が為されない。なんなんでせうね。左派精神としては大いに問題があると考えます。要するに代々木の指定文献の枠から一歩も出られないということかな。
> ふうん。どうなんでしょう。これでいくと60年安保とか、三池とか砂川とか、何だったのかなという話にならないでしょうか。東大闘争、日大闘争、三里塚を持ち出す前に。
60年安保とか三池とか砂川とか、ああいう反対運動が公然と合法的に出来たことが、有り難いと考えるべきではないでせうか。仮に、中国では反政府的な天安門事件がどのような目に合わされたのかを見れば比較しやすいと考えます。60年安保では、ブントの突出運動で情況がこじ開けられ労学が連日国会を包囲しました。自衛隊の出動がギリギリのところで押さえられたことが判明しておりますが、逆に云えばそこまでは認められたということです。これは、戦前型統治では有り得ない戦後型統治機構の特質だと思います。
> つまり、合法的な政治活動に専念しようとしたことが、宮顕の問題ではない。分かりました。問題は、その政治活動の中身である。これは、路線対立というのとはちがうのでしょうか。
路線対立であれば、れんだいこは宮顕をこうまで否定致しません。運動には万事穏健派と急進主義派、現実主義派と理念派、実践派と理論派等々の対立が付き物ですから。宮顕問題の深刻さは、当然右派系として登場してきておりますが、その心が赤くないむしろ異分子であり、当局の意を受けた内通派であることにあります。だから、左派運動の利益を考慮するのは建前で、実際には戦闘的団体、人士を潰すことを眼目とした運動を為してきた。それをよりによって、英邁な指導者として遇してきた愚昧さを反省すべきだと警鐘乱打しております。
> > 急進系左派は左派たらんとして、戦後日本の特殊善政時代の特質を無視して、やたら暴力革命論にシフトしていったように思います。その結果何も生み出さなかった。下手な勉強のし過ぎであったと云えば叱られるかな。
>
> 難しいところです。後知恵の結果論ともいえそうな断定に見えます。
「後知恵の結果論ともいえそうな断定」ですが、それが正しければ後知恵として確認されねばならないと思います。
> 徳球−伊藤律の系譜の運動というのはあまり世間では知られていませんね。単に私が不勉強なのでしょうか。徳田球一というと、すぐに「家父長的な」運動という言葉を思い出します。北京で客死。宮顕派の宣伝戦が効果を挙げているのでしょうか。伊藤律といえば、ゾルゲ事件、スパイ疑惑、北京からの帰国の鮮烈な印象、それになかなかしっかりした回想録の記述。
この観点は、代々木も反代々木も共有しております。ここに日本左派運動の立脚点が倒錯せしめられていると考えます。徳球−伊藤律の系譜の運動を美化する必要は有りませんが、至らないながらも至ろうとした紅い心の持主達であったことは、彼らの生涯の軌跡で証明されております。その連中を悪し様に罵倒した上で成り立っている現下の左派運動が実を結ばないのは理の当然かと思われます。
> 50年問題が頭に浮かびます。これについては、中国共産党にもなにやら責任があるようです。
これは難しいテーマです。中共がソ共と阿吽の呼吸にあった時点での同志的呼びかけは、スターリン論評に従うべしと云う立場で徳球−伊藤律系党中央に打撃を与えました。しかし、非合法化された徳球−伊藤律らを多数受け入れ、その活動を支援した経過を見れば、中共のスタンスが「50年問題」騒動経過を通じて、徳球−伊藤律指導部の方に正義ありとみなしていたことが分かります。
問題は、中共建国型の武装闘争路線を示唆し、これが破綻し、為に徳球−伊藤律系執行部の破綻に繋がりました。「中国共産党の責任」とは、この経過に対して為されていると読むのが素直で、日本革命に内政干渉したこと自体を詫びたとするのは宮顕式プロパガンダによるすり替えでしかないと思います。もっとも、毛沢東―宮顕会談で、毛沢東が徳球−伊藤律系執行部の破産を悔やむようなことを述べるなどということは有り得ませんので、「内政干渉に問題があった」式にお茶を濁したことは考えられます。しかし、宮顕がプロパガンダするような意味合いでは無いでせう。
> 宮顕を仮想的に歴史から抹消したときに、本来どのような成果が得られたのかを推論する必要があります。あるいは、どのような成果が失われるのか。あるいは、何の影響もなかったのか。
宮顕指導に成果があった個所があれば教えてください。これを論ずるのも興味深いところです。
> > ここは観点が違います。むしろ、民主主義制度によって武装した西欧諸国の国富的伸張が著しく、専制政治下のアジア、アフリカ、アラブ諸国が総やられしたと見ています。日本そういう意味では珍しい国であったと認識しております。西欧列強の侵略政策を道義的に批判してもせんないことだと考えております。
> 道義的な批判もありますが、それ以前に歴史認識の問題です。この点についての正しい歴史認識に欠ければ、「先進国」のグローバリズムイデオロギーに対抗できないことになります。「テロ国家」などという規定も批判できなくなります。
「歴史認識の問題」で西欧列強あるいは日帝の過去を批判するのは、結局道義的批判にしかならないのではないでせうか。「先進国のグローバリズムイデオロギー」に対しても「テロ国家などという規定」に対しても、やはりそれを批判するには批判する側に力が無ければ出来ません。国家も個人にも云えることです。連中は実践しているのであり、これに対抗するには実践以外に無い、道義的批判はすれば良いのですがその影響力はいつも弱いと思います。
> 民主主義で武装している侵略者に対抗する手段が民主主義であるかどうかは、選択の問題だと思います。たとえば、経済の問題に置き換えて考えて見ます。経済的に優位な位置に国が自由貿易を、後進的な国に対して「普遍的な」価値観であるとして押し付けようとする場合、これに対抗する手段として保護貿易が採用されます。
> 国内の人民の幸福という点で考えて、それ以外の考慮する要因がない場合には、独裁よりも民主主義のほうが好ましいでしょうが、迅速で徹底した意思決定が強く求められる状況では、少人数の責任ある指導者による意思決定を行う制度が選ばれるでしょう。
戦後世界はますますワンワールド的な方向へ歩みつつあります。この動きは不可避でそれだけに新しい時代の知恵が要求されつつあります。従って、各国の「保護貿易制の採用」は、食料という根本的な自給体制を別にすれば時限立法にすべきでせう。その限りで意味があるのだと思います。
「迅速で徹底した意思決定が強く求められる状況では、少人数の責任ある指導者による意思決定を行う制度が選ばれるでしょう」は、人民の側からそれを云えばお仕舞いでせう。何とかして民力、国力を増し、それが政策決定にフィードバックされるような社会作りを目指すべきで、絶対権力者を生み出すべきでは有りません。よしんば個人崇拝的な指導体制が生み出されても、当の本人も含めて時限立法的であることを確認しておくべきだと考えます。
長くなりましたので以下略と致します。
[650] Re^6: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/25(Sun) 14:54
れんだいこさん、
さっそくのお答え有難うございます。
> 60年安保とか三池とか砂川とか、ああいう反対運動が公然と合法的に出来たことが、有り難いと考えるべきではないでせうか。仮に、中国では反政府的な天安門事件がどのような目に合わされたのかを見れば比較しやすいと考えます。
中国の政治がすべてすばらしいとなどというつもりは毛頭ありませんが、やや的外れな例であると思います。当時天安門前で公然とキャンプを張って数ヶ月間、政府に民主化を要求しました。それに対し、政府の要人であった趙紫陽や胡燿邦が「学生」達の意見を直接聞いていたわけです。安保とか三池とか砂川とかを公然と戦えたことを感謝するのならば、中国の民主化要求をあれだけ公然と行えたことも感謝するべきではありませんか。
国会前や、皇居前や、ホワイトハウスの前でキャンプを張って政治要求をつづけたら、警察力による排除という結果をもたらすことになるのではありませんか。
また、60年安保とか三池とか砂川とか、ああいう反対運動は当局の掌の上で踊っていた運動だということですか。
> 60年安保では、ブントの突出運動で情況がこじ開けられ労学が連日国会を包囲しました。自衛隊の出動がギリギリのところで押さえられたことが判明しておりますが、逆に云えばそこまでは認められたということです。これは、戦前型統治では有り得ない戦後型統治機構の特質だと思います。
自衛隊を出動させると反発が大きいので、警察の機動隊の出番になったわけだと思います。警察のほうでも、鎮圧の過程でなるべく犠牲者をださないように努力はしたでしょう。そのようなことは評価するべきだとは思います。中国には機動隊のジュラルミンの縦とか催涙弾とかの経験がなかったようで、実弾を発射する軍隊が突然前面にでることになりました。
もっともイスラエルの治安維持は、その比ではないようですが。
> 路線対立であれば、れんだいこは宮顕をこうまで否定致しません。運動には万事穏健派と急進主義派、現実主義派と理念派、実践派と理論派等々の対立が付き物ですから。宮顕問題の深刻さは、当然右派系として登場してきておりますが、その心が赤くないむしろ異分子であり、当局の意を受けた内通派であることにあります。だから、左派運動の利益を考慮するのは建前で、実際には戦闘的団体、人士を潰すことを眼目とした運動を為してきた。それをよりによって、英邁な指導者として遇してきた愚昧さを反省すべきだと警鐘乱打しております。
私たちは、誰の心であろうと、取り出してきて色が赤いのか白いのか黒いのかを確かめることはできません。この表現は何かの喩えではありましょうが、心が赤くないからだめだなどという言い方である人格を否定できるとすることは大変危険な方向に行く可能性を含んでいます。感情的に好きでも嫌いでも、ある人物を批判するためには事実に即した論理的な主張をするべきだとわたしは思います。れんだいこさんがそのような努力をしてきていることを否定するものではありませんが。
> 「後知恵の結果論ともいえそうな断定」ですが、それが正しければ後知恵として確認されねばならないと思います。
単に失敗したことをあざけるだけでは不足で失敗から何を学ぶかが重要でしょうが、今のところ私には答えを出せません。
> この観点は、代々木も反代々木も共有しております。ここに日本左派運動の立脚点が倒錯せしめられていると考えます。徳球−伊藤律の系譜の運動を美化する必要は有りませんが、至らないながらも至ろうとした紅い心の持主達であったことは、彼らの生涯の軌跡で証明されております。その連中を悪し様に罵倒した上で成り立っている現下の左派運動が実を結ばないのは理の当然かと思われます。
反代々木がどのように徳田球一を評価しているかは、私は知りません。あしざまに罵倒してる党派もあるでしょうが、そうでない党派も有るのではありませんか?
> これは難しいテーマです。中共がソ共と阿吽の呼吸にあった時点での同志的呼びかけは、スターリン論評に従うべしと云う立場で徳球−伊藤律系党中央に打撃を与えました。しかし、非合法化された徳球−伊藤律らを多数受け入れ、その活動を支援した経過を見れば、中共のスタンスが「50年問題」騒動経過を通じて、徳球−伊藤律指導部の方に正義ありとみなしていたことが分かります。
50年問題等について、あまり詳しくないので、深い議論には入りきれませんがお許しを。
> > 宮顕を仮想的に歴史から抹消したときに、本来どのような成果が得られたのかを推論する必要があります。あるいは、どのような成果が失われるのか。あるいは、何の影響もなかったのか。
> > 宮顕指導に成果があった個所があれば教えてください。これを論ずるのも興味深いところです。
一応、日本共産党の指導者として数十年の間、君臨してきて、この政党を指導してきたのですから、この政党を全的に否定しないかぎり、何も成果がなかったとはいえないと思います。国会内の少数勢力として、進歩的な法案に賛成してきたのではないでしょうか。私には、この程度しか答えられません。代わって、引用をしておきたいと思います。
|一九六七年一○,一一月の羽田闘争で新しい運動の高揚が始まった直後の一二月、東京の品川公会堂で革共同
|中核派の政治集会が行われた。「これからどうするつもりだろうか」と思って私は聞きに行った。ロビーで
|委員長の本多延嘉さんに会って、少し話をした。これが私が本多さんに会った最後であった。この集会の演説
|の中で本多さんは、一九五二年春のメーデー事件など、当時日本共産党によって主導された"武装"街頭行動に
|ついて話した。そしてそれがこの年の七月、徳田球一のコミンフォルム機関紙上での批判によって停止された
|ことを、日和見主義であったと批判し、我われはそのようなことなく断固として闘うだろうと述べた。
| 私自身はこの徳球の批判は正しかったと思っていたし、その後の六全協(第六回全国協議会)決議による非合法
|路線から合法路線への転換もよかったと思っていたので、これはまずいなと感じた。私の友人の物理学者や教師
|達にも共産党員が何人かいて、私は彼らからマルクス主義の手ほどきを受けたのだが、彼らも当時の街頭デモ
|には参加していた。しかしその後大きな生活上の変化もなく、そのまま同じ職場で組合運動や教育・研究活動を
|続けられたのは、このような路線上の転換のおかげであったといってよいだろう。一方中核派の教師や公務員
|には、街頭闘争に参加して職を追われた人びとも多い。これは当人や家族の生活上の犠牲が大きかっただけで
|はなく、それぞれの職場での影響力を失ってしまうという点でも、マイナスが大きかったように思う。
|(渡辺正雄「新左翼、なにが問題だったのか」新左翼運動40年の光と影<新泉社>より)
> 「歴史認識の問題」で西欧列強あるいは日帝の過去を批判するのは、結局道義的批判にしかならないのではないでせうか。「先進国のグローバリズムイデオロギー」に対しても「テロ国家などという規定」に対しても、やはりそれを批判するには批判する側に力が無ければ出来ません。国家も個人にも云えることです。連中は実践しているのであり、これに対抗するには実践以外に無い、道義的批判はすれば良いのですがその影響力はいつも弱いと思います。
事実認識の問題と道義上の批判は別のことです。また、批判の影響力の大小は、ここでは考慮外です。
> 戦後世界はますますワンワールド的な方向へ歩みつつあります。この動きは不可避でそれだけに新しい時代の知恵が要求されつつあります。従って、各国の「保護貿易制の採用」は、食料という根本的な自給体制を別にすれば時限立法にすべきでせう。その限りで意味があるのだと思います。
どのような国でも、何らかの形で保護貿易政策を採用しているし、これからも採用し続けるでしょう。保護貿易政策は、政府が採用できるカードの一枚だと思います。これを最初から使用しないことにする必要はありません。
> 「迅速で徹底した意思決定が強く求められる状況では、少人数の責任ある指導者による意思決定を行う制度が選ばれるでしょう」は、人民の側からそれを云えばお仕舞いでせう。
これはどういう意味でしょうか。どのような組織でも管理を全員で行うことはできません。
> 何とかして民力、国力を増し、それが政策決定にフィードバックされるような社会作りを目指すべきで、絶対権力者を生み出すべきでは有りません。よしんば個人崇拝的な指導体制が生み出されても、当の本人も含めて時限立法的であることを確認しておくべきだと考えます。
絶対権力者を生み出すなどという話はしていませんので、誤解のないようにお願いします。
[651] Re^7: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/25(Sun) 17:16 <URL>
猛獣文士さんちわぁ。
> 中国の政治がすべてすばらしいとなどというつもりは毛頭ありませんが、やや的外れな例であると思います。当時天安門前で公然とキャンプを張って数ヶ月間、政府に民主化を要求しました。それに対し、政府の要人であった趙紫陽や胡燿邦が「学生」達の意見を直接聞いていたわけです。安保とか三池とか砂川とかを公然と戦えたことを感謝するのならば、中国の民主化要求をあれだけ公然と行えたことも感謝するべきではありませんか。
しかし、天安門と云えば建国革命以来パレードをここで行う聖地ですよね。趙紫陽や胡燿邦の背後に?小平が居り、彼は断固として迅速な弾圧措置を取った。これで思うのに、文革派の文革過程での非道な行為が論(あげつら)われておりますが、むしろ上回る非道さであったことを確認するのが普通だと思います。
この問題で肝要なことは、法律で反政府的な政治集会が認められているのかいないのか、どの程度まで認められているのかの法治主義性にあるだろうと思います。
> 国会前や、皇居前や、ホワイトハウスの前でキャンプを張って政治要求をつづけたら、警察力による排除という結果をもたらすことになるのではありませんか。
しかしこれも、次第に窮屈な方向に来ているという視点が必要なのではないでせうか。戦後直後からの警察官僚の変化という項になりますが、「民主」警察的な時代があって次第に自主独立路線で警備強化へと向かいつつあるように思えます。昔なら問題にされなかったことが、検挙理由になり出したと言う事と、万事届出許可制で事前規制のバイアスが強化されつつあるように思います。
> また、60年安保とか三池とか砂川とか、ああいう反対運動は当局の掌の上で踊っていた運動だということですか。
そうではなく、当局の方もそれを容認する度量があったという風に理解しております。付言すれば「ロッキード事件」での角栄訴追運動以来滅茶苦茶になり、度量人士が排撃されつつ法的整合性が失われた社会に突入し、その傷口がますます広がりつつある。それだけ当局者が恣意的に行政化しつつあると云う風に見ております。
> 私たちは、誰の心であろうと、取り出してきて色が赤いのか白いのか黒いのかを確かめることはできません。この表現は何かの喩えではありましょうが、心が赤くないからだめだなどという言い方である人格を否定できるとすることは大変危険な方向に行く可能性を含んでいます。感情的に好きでも嫌いでも、ある人物を批判するためには事実に即した論理的な主張をするべきだとわたしは思います。れんだいこさんがそのような努力をしてきていることを否定するものではありませんが。
人の心の紅さとか白さとかは当然喩えです。分かりやすく明確にするために宮顕白色テロリスト規定をしてみました。しかしこう言い切るだけの検証をしているつもりです。のべつくまなく気に入らない者に対してこう規定している訳では有りません。宮顕の場合、こう認識する必要があるという観点を協調したい訳です。この規定が間違っておれば相応の咎めを受けても仕方ないと腹を括っております。
> > 「後知恵の結果論ともいえそうな断定」ですが、それが正しければ後知恵として確認されねばならないと思います。
> > 単に失敗したことをあざけるだけでは不足で失敗から何を学ぶかが重要でしょうが、今のところ私には答えを出せません。
当然ですが嘲るというのではなく「失敗から何を学ぶか」を前提にしております。戦後の現実から始まったのではなく、闘争の為の闘争という式で推移したことが不毛ではなかったか、と指摘したいわけです。社共のような変調指導に対しては、その機関丸ごと奪取に向かえば勝てた筈なのに、なぜそういう風に向かわなかったのかという疑念を含めております。
> 反代々木がどのように徳田球一を評価しているかは、私は知りません。あしざまに罵倒してる党派もあるでしょうが、そうでない党派も有るのではありませんか?
れんだいこの知る限り、ノーコメントが大勢ですね。コメントつきの場合には、宮顕論理よりなお悪し様に云うケースが多い。というか、このテーマに対しては、あたかも代々木と反代々木に共同戦線が張られているかの如くです。
> 一応、日本共産党の指導者として数十年の間、君臨してきて、この政党を指導してきたのですから、この政党を全的に否定しないかぎり、何も成果がなかったとはいえないと思います。国会内の少数勢力として、進歩的な法案に賛成してきたのではないでしょうか。私には、この程度しか答えられません。代わって、引用をしておきたいと思います。
「進歩的な法案に賛成してきた」だけなら、さすがにそれさえ反対したら党是的に立ち行かないでせう。実際の運動の現場と理論面での功績を発見し合いませう。大阪の人さんならならこれもあるあれもあると教えてくれそうで、聞いてみたいですね。
> 一方中核派の教師や公務員|には、街頭闘争に参加して職を追われた人びとも多い。これは当人や家族の生活上の犠牲が大きかっただけで|はなく、それぞれの職場での影響力を失ってしまうという点でも、マイナスが大きかったように思う。(渡辺正雄「新左翼、なにが問題だったのか」新左翼運動40年の光と影<新泉社>より)
中国建国革命過程もそうですが、道中はいろんな路線を取るでせう。問題は、それを如何に生産的に教訓化してその経験を首尾よく生かすことが出来るのか、にあるのだろうと思います。極限状況なら致し方なく、そうでなければ跳ね上がり知れない。それならそれで情況論の考察へ向かうべきだと思います。運動史の中にそうした経験を持たないのが自慢になるとも思いません。
> 事実認識の問題と道義上の批判は別のことです。また、批判の影響力の大小は、ここでは考慮外です。
「歴史認識」はやはり相対的なものだと思います。近世以降の欧米列強による世界征服史は事実問題ではありますが、やられた側にも問題があるのではないのかというのがれんだいこの史観です。更に云えば、日本の明治維新活動はこれに立ち向かい成功した稀有な例であり、その新権力も又欧米列強の仲間入り方向に活路を見出していくことになりました。これも事実問題です。
これを「歴史認識」で自己批判することは必要ですが、だったらどういう政権というか政治体制を目指すのかという視点とのセットでなければ、オカシイのではないかとか思います。現下のお詫び姿勢は、肝心な展望を抜いたまま為している点で問題有りと思います。しないよりはした方が友好的に良策だという以上のものではないと思います。
> > 「迅速で徹底した意思決定が強く求められる状況では、少人数の責任ある指導者による意思決定を行う制度が選ばれるでしょう」は、人民の側からそれを云えばお仕舞いでせう。
> これはどういう意味でしょうか。どのような組織でも管理を全員で行うことはできません。
「少人数の責任ある指導者による意思決定を行う制度」が、議会とか全国委大会で検証されつつ進むという機能が担保されているのなら、その際反対派の見解発表とか活動の自由が保証されているのなら、それはそれで構わないと思います。
[652] Re^8: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/26(Mon) 18:07
れんだいこさん、ちわです
> しかし、天安門と云えば建国革命以来パレードをここで行う聖地ですよね。趙紫陽や胡燿邦の背後に?小平が居り、彼は断固として迅速な弾圧措置を取った。これで思うのに、文革派の文革過程での非道な行為が論(あげつら)われておりますが、むしろ上回る非道さであったことを確認するのが普通だと思います。
聖地というのは不正確ですが、国家の行事を行う大事な場所で、日本では国会前とか皇居前とかにあたる場所でしょう。そのような場所を長期間占拠したことに対して、強制的に排除するのは、およそ政府であれば当然のことです。ただ、当時、人民解放軍は人民の軍隊だから人民には銃を向けないという通念があり、それが崩壊したことがショックだったわけです。
> この問題で肝要なことは、法律で反政府的な政治集会が認められているのかいないのか、どの程度まで認められているのかの法治主義性にあるだろうと思います。
中国は人治の国だったことを承知の上そのようなことをいうのでしょうか。これでは、単なるお国自慢としか聞こえません。お国自慢を批判しても仕方がないのですが、そんなことを延々と述べられても答えようがありません。
> そうではなく、当局の方もそれを容認する度量があったという風に理解しております。付言すれば「ロッキード事件」での角栄訴追運動以来滅茶苦茶になり、度量人士が排撃されつつ法的整合性が失われた社会に突入し、その傷口がますます広がりつつある。それだけ当局者が恣意的に行政化しつつあると云う風に見ております。
在日中国人という立場で見て、れんだいこさんの議論にはついていけないところがありますね。
> 人の心の紅さとか白さとかは当然喩えです。分かりやすく明確にするために宮顕白色テロリスト規定をしてみました。しかしこう言い切るだけの検証をしているつもりです。のべつくまなく気に入らない者に対してこう規定している訳では有りません。宮顕の場合、こう認識する必要があるという観点を協調したい訳です。この規定が間違っておれば相応の咎めを受けても仕方ないと腹を括っております。
しかし、論証がどこのホームページに書いてあるというようなことでは、議論になりません。やはり、この掲示板で議論しているのですから、引用でも結構ですから、この掲示板で分かるようにその論拠を示してもらいたいものです。その大事な部分について、宮顕は心が白いなどという論法を持ち出すのは循環論法になると思います。宮顕は悪いから悪いとう言い方ですよね。
> 反代々木がどのように徳田球一を評価しているかは、私は知りません。あしざまに罵倒してる党派もあるでしょうが、そうでない党派も有るのではありませんか?
> > れんだいこの知る限り、ノーコメントが大勢ですね。コメントつきの場合には、宮顕論理よりなお悪し様に云うケースが多い。というか、このテーマに対しては、あたかも代々木と反代々木に共同戦線が張られているかの如くです。
日本共産党左派の人々などは、徳田球一を評価しているはずです。
> > 事実認識の問題と道義上の批判は別のことです。また、批判の影響力の大小は、ここでは考慮外です。
> > 「歴史認識」はやはり相対的なものだと思います。近世以降の欧米列強による世界征服史は事実問題ではありますが、やられた側にも問題があるのではないのかというのがれんだいこの史観です。更に云えば、日本の明治維新活動はこれに立ち向かい成功した稀有な例であり、その新権力も又欧米列強の仲間入り方向に活路を見出していくことになりました。これも事実問題です。
やられたほうに問題があるかどうかというのは、関係のない話ではないでしょうか。殺されたほうに問題があるとか、強姦されたほうに問題があるとかいうのと同等の話ですが、なぜ、被害者の問題をここであげつらう必要があるのか、不明です。
れんだいこさんは、結局のところ西欧諸国の非道な行為を合理化し、それに加わって同じ犯罪行為を犯した日本の行為をも正当化したいと思っているようです。私には、そのようにしか読めません。それならば、そのような相手として、議論したいと思います。
なお、現在の中国は、西欧諸国の侵略を自力で駆逐することに成功した国であり、いまだ被害者の立場にあるわけではありません。
> これを「歴史認識」で自己批判することは必要ですが、だったらどういう政権というか政治体制を目指すのかという視点とのセットでなければ、オカシイのではないかとか思います。現下のお詫び姿勢は、肝心な展望を抜いたまま為している点で問題有りと思います。しないよりはした方が友好的に良策だという以上のものではないと思います。
お詫びの話などしていません。西欧民主主義の評価について、れんだいこさんが高く評価するので、私が異論をのべただけです。
[653] Re^9: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/26(Mon) 19:01 <URL>
猛獣文士さん、ちわぁです。
> 聖地というのは不正確ですが、国家の行事を行う大事な場所で、日本では国会前とか皇居前とかにあたる場所でしょう。そのような場所を長期間占拠したことに対して、強制的に排除するのは、およそ政府であれば当然のことです。ただ、当時、人民解放軍は人民の軍隊だから人民には銃を向けないという通念があり、それが崩壊したことがショックだったわけです。
れんだいこが押さえたいポイントとして、文革派の非道さがプロパガンダされ続けておりますが、文革派の政敵追求としての自己批判運動の方が脇が甘くて(個々の例ではそうでない場合もあるとは思います)、反文革派の方が凄まじい。第二次天安門事件はまざまざとそれを証左していると思う訳です。人民に銃を向けない不文律を容易く放棄し「血の雨を降らせた」のはケ小平の方だったのではないのか、四人組の囚人化も然りで酷いということを確認したい訳です。
> 中国は人治のだったことを承知の上そのようなことをいうのでしょうか。これでは、単なるお国自慢としか聞こえません。お国自慢を批判しても仕方がないのですが、そんなことを延々と述べられても答えようがありません。
お国自慢と受け取られるほど日本を自慢も卑下もしていないつもりです。今後のためにも先行者となったソ連社会主義や中国社会主義の欠陥を確認したいという気持ちで行っているつもりです。「中国は人治のだったことを承知の上そのようなことをいうのでしょうか」と云われたれんだいこの方が面食らってしまいました。
> > そうではなく、当局の方もそれを容認する度量があったという風に理解しております。付言すれば「ロッキード事件」での角栄訴追運動以来滅茶苦茶になり、度量人士が排撃されつつ法的整合性が失われた社会に突入し、その傷口がますます広がりつつある。それだけ当局者が恣意的に行政化しつつあると云う風に見ております。
>
> 在日中国人という立場で見て、れんだいこさんの議論にはついていけないところがありますね。
参考までにどこがおかしいのでせうか。お聞かせ願えれば有り難いです。
> しかし、論証がどこのホームページに書いてあるというようなことでは、議論になりません。やはり、この掲示板で議論しているのですから、引用でも結構ですから、この掲示板で分かるようにその論拠を示してもらいたいものです。その大事な部分について、宮顕は心が白いなどという論法を持ち出すのは循環論法になると思います。宮顕は悪いから悪いとう言い方ですよね。
これについては、文意的にはその通りです。しかしこの指摘を生産的にする為には、そうではない宮顕はこう云う風に良き指導者であり業績を挙げているという指摘と共にした方が議論しやすいと思います。そういう意味では、たびたび教えてくださいとお願いしており、れんだいこの見解は自分のサイトで披瀝している訳ですから、それをここで繰り返すよりは反証期待の方が実践的だと思っております。
> 日本共産党左派の人々などは、徳田球一を評価しているはずです。
日本共産党左派の系譜も一度整理しておきたいと思っております。かなり分岐しておりますので、個々の党派の見解までは掴めておりません。人民戦線が徳球、渡政、市川を三賢人として評価していることは承知しております。その他の党派の見解は知りません。コメントしている該当文があれば教えてください。
「50年分裂」時の中国地方委員会、その拠点山口県委員会は、当時反徳球―伊藤律系譜の急先鋒でその限りでは宮顕派と誼を通じておりました。六全協で宮顕が指導部にのし上がり右派系指導を強めつつある折、毛沢東思想の影響を受け反宮顕・親中共派へと移行します。そういう経過がありますので、この系譜が徳球を評価するようになる為には、かなり深い理論的な総括をせねば無理でせう。
> やられたほうに問題があるかどうかというのは、関係のない話ではないでしょうか。殺されたほうに問題があるとか、強姦されたほうに問題があるとかいうのと同等の話ですが、なぜ、被害者の問題をここであげつらう必要があるのか、不明です。
>
> れんだいこさんは、結局のところ西欧諸国の非道な行為を合理化し、それに加わって同じ犯罪行為を犯した日本の行為をも正当化したいと思っているようです。私には、そのようにしか読めません。それならば、そのような相手として、議論したいと思います。
申し訳有りませんが、「西欧諸国の非道な行為を合理化し、それに加わって同じ犯罪行為を犯した日本の行為」を批判するのは言わずもがなという立場で立論しているつもりです。次の問題として、西欧列強はたまたこれに追随する諸国に二度と悲惨な目に合わされないためには何が必要なのか、何を為さねばならないのかそれを確認しようとしております。その意が伝わっていない気がします。しかしこうなると、みんなが賛同しそうなことしかいえなくなる気もしますね。
> なお、現在の中国は、西欧諸国の侵略を自力で駆逐することに成功した国であり、いまだ被害者の立場にあるわけではありません。
れんだいこは、それが素晴らしいと評価しております。日本の明治維新に遅れる事半世紀と四分の一ですが、中国人民は立派に建国革命に成功しました。それ故に大きな期待もかかっていたと思います。今日の情況は中国式社会主義のなだらかな進展なのか、走資派に乗っ取られて建国前に逆戻りしているのか興味あるところです。これを良い悪いではなく、歴史の事実として認識しようとしております。
> お詫びの話などしていません。西欧民主主義の評価について、れんだいこさんが高く評価するので、私が異論をのべただけです。
西欧民主主義の評価については興味あるテーマですので別にスレッド立てて頂ければ参加致します。
[654] Re^10: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/26(Mon) 22:29
れんだいこさん、こんばんわ
> れんだいこが押さえたいポイントとして、文革派の非道さがプロパガンダされ続けておりますが、文革派の政敵追求としての自己批判運動の方が脇が甘くて(個々の例ではそうでない場合もあるとは思います)、反文革派の方が凄まじい。第二次天安門事件はまざまざとそれを証左していると思う訳です。人民に銃を向けない不文律を容易く放棄し「血の雨を降らせた」のは?小平の方だったのではないのか、四人組の囚人化も然りで酷いということを確認したい訳です。
私はとう小平と毛沢東、周恩来を対立する勢力とは見ていません。れんだいこさんは、どうしてもそこに敵対矛盾を見出して、分裂状況を望みたいのでしょうか。
毛沢東も周恩来も大変尊敬された優秀で偉大な指導者でしたが、生身の人間ですから、寿命があるわけです。いつまでも、生きていてもらいたいのはやまやまですが。それが許されないのが現実です。
彼らが天界に去った後の指導者がとう小平で、その後が江沢民です。だんだんとスケールが小さくなってきましたが、戦国時代を生きた信長、秀吉、家康と、徳川家光や綱吉という風に、スケールが小さくなることは我慢しなければならないと思います。毛沢東などは、私などでは到底想像もできないような経験を経て、中国革命を指導したのですが、江沢民氏などの育ちは、あまり我われと変わらない程度のものではないかと思います。かれらは、選挙でなく、共産党大会?かなにかの指名で選ばれているようです。そのような方法は「民主的」でないというのは自由ですが、しかし、中国人民を代表する政権です。
> 中国は人治のだったことを承知の上そのようなことをいうのでしょうか。これでは、単なるお国自慢としか聞こえません。お国自慢を批判しても仕方がないのですが、そんなことを延々と述べられても答えようがありません。
> > お国自慢と受け取られるほど日本を自慢も卑下もしていないつもりです。今後のためにも先行者となったソ連社会主義や中国社会主義の欠陥を確認したいという気持ちで行っているつもりです。「中国は人治のだったことを承知の上そのようなことをいうのでしょうか」と云われたれんだいこの方が面食らってしまいました。
さて、いつか、中国でも政権を選挙で選出するときがくるかもしれません。来ないかもしれません。しかし、れんだいこさんが無意識的に前提としているように見える「形式的な民主主義制度を整えているから進んでいる」という価値観を私に押し付けられても、それに従う必要はないと考えています。もしも、形式上の議会民主主義制度を具備している社会がそうでない社会よりも進んでいるというドグマを強調したいのならば、具体例などを挙げて、論証してください。
> 参考までにどこがおかしいのでせうか。お聞かせ願えれば有り難いです。
れんだいこさんは、戦後日本の民主主義が「善政」であり、民主主義の原則が忠実に擁護されていたと考え、その中で政治に参加したさまざまな党派などについて、非常に細かい分析を述べられています。しかし、民主主義とは
|民主主義には無限に異なった意味があるでしょうが、それ自体はただ、住民の個々の階級のあいだには政治的
|権利の形式的不平等が存在しないということを意味するだけであります。
とマックスウェーバーが述べているような最低限の要件があると思います。さて、日本の戦後民主主義ですが、多くの「日本国民」にとって、この要件は満たされていたでしょうが、私のような在日中国人にとって、この要件は満たされていません。したがって、この民主主義は私が共有する民主主義ではありません。したがって、その中の諸党派の小さな相違などは、退屈で興味のない話題です。
また、戦後の日本の社会は、中国との国交が数十年もの間日本側の事情により締結されなかったことや、戦争責任に対する無責任な日本人の態度など、私の目から見ると嘔吐を感じるような、欺瞞的な社会であると思えます。そのような戦後日本の社会を「善政」であるなどと賛美するれんだいこさんの感覚には、どうしても同調できないものを感じざるを得ません。
> これについては、文意的にはその通りです。しかしこの指摘を生産的にする為には、そうではない宮顕はこう云う風に良き指導者であり業績を挙げているという指摘と共にした方が議論しやすいと思います。そういう意味では、たびたび教えてくださいとお願いしており、れんだいこの見解は自分のサイトで披瀝している訳ですから、それをここで繰り返すよりは反証期待の方が実践的だと思っております。
問題は、宮本顕治が当局の意を受けたスパイだったかどうかということです。スパイの究極目的は敵対する団体の破壊、消滅ですから、宮本顕治が指導権を掌握した段階で、日本共産党は消滅の道をたどらなければなりません。
そうならなかった点をみれば、路線的には気に食わないし、誤っているが、宮顕がスパイだったという説は説得力がないと考えるのが普通の考え方です。
スパイというのは、戦前の日本共産党がスパイに侵食され、あやつられた経験から、最大の憎悪を受けて当然の存在であり、日本共産党(やそれに影響を受けた左翼組織)で相手を罵倒する場合の最上位の単語だと思います。しかし、戦後の日本共産党は基本的には合法政党であるので、スパイの活躍する場は小さくなっており、この言葉はそれにつれて実質が失われ、憎悪の感情だけが残った言葉となっているのではないかという印象を受けます。だから、宮顕が路線対立の対象ですらなく、スパイだというような言い方は、感情的な否定の性質を多く含んでいるのではないかと思われるわけです。
> 日本共産党左派の系譜も一度整理しておきたいと思っております。かなり分岐しておりますので、個々の党派の見解までは掴めておりません。人民戦線が徳球、渡政、市川を三賢人として評価していることは承知しております。その他の党派の見解は知りません。コメントしている該当文があれば教えてください。
かつてのマル青同の機関紙で、徳田を評価している論文を読んだ記憶がありますが、そのような機関紙はもう手元には残っていません。今後、そのようなものが見つかりましたらお知らせします。
> 申し訳有りませんが、「西欧諸国の非道な行為を合理化し、それに加わって同じ犯罪行為を犯した日本の行為」を批判するのは言わずもがなという立場で立論しているつもりです。
> 次の問題として、西欧列強はたまたこれに追随する諸国に二度と悲惨な目に合わされないためには何が必要なのか、何を為さねばならないのかそれを確認しようとしております。その意が伝わっていない気がします。しかしこうなると、みんなが賛同しそうなことしかいえなくなる気もしますね。
どうもよく分からないのですが、西欧にはすぐれたルネサンスがあり、その他の地域にはその要素がなく、やられたほうには問題があり、西欧の行為を「道義的」に批判しても仕方がない。西欧民主主義を評価しなければならない。れんだいこさんは、これでもかこれでもかと、西欧民主主義の「普遍的な」価値をくり返してきたのですが、それが、西欧の行為を批判するのはいわずもがなということなのでしょうか。
私も言わせてもらえば、西欧社会が人類史において高い水準の文明と科学技術を創造し、社会科学的な面においても学ぶべき部分が多いということはいわずもがなであるという立場で立論しています。それを踏まえたうえで、実際的に日本が学んだような西欧の方法は少なくとも中国の問題を解決する手段にはなりえないといっているわけです。多分、アラブでも、アフリカでもそうだと思います。
> れんだいこは、それが素晴らしいと評価しております。日本の明治維新に遅れる事半世紀と四分の一ですが、中国人民は立派に建国革命に成功しました。それ故に大きな期待もかかっていたと思います。今日の情況は中国式社会主義のなだらかな進展なのか、走資派に乗っ取られて建国前に逆戻りしているのか興味あるところです。これを良い悪いではなく、歴史の事実として認識しようとしております。
建国前に逆戻りしているとは考えていません。これ以上は、言い様もありません。
> お詫びの話などしていません。西欧民主主義の評価について、れんだいこさんが高く評価するので、私が異論をのべただけです。
> > 西欧民主主義の評価については興味あるテーマですので別にスレッド立てて頂ければ参加致します。
体力の要る論争になりそうですが、研究してみたいですね。
[655] Re^11: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/27(Tue) 00:38
猛獣文士さんちわぁ。
> 私はとう小平と毛沢東、周恩来を対立する勢力とは見ていません。れんだいこさんは、どうしてもそこに敵対矛盾を見出して、分裂状況を望みたいのでしょうか。
ここはほんとまったく理解が違いますね。れんだいこは、とう小平路線が歴史的必然として生み出されたこと、その路線の評価が難しいことを弁えているつもりですので、軽々しく批判しようとは思いません。しかし、毛沢東ー林彪路線とは全く正反対の道へ舵を取っていると見ております。周恩来の場合はやはり両者の中間で国策を考えていたのかな、目線は高かったと評したいと思います。
そう理解するのではなくて、とう小平路線が毛沢東路線の現代的創造的適用だと云われると、さて文革騒動は何だったんだと首を傾げたくなります。ちなみに日共党中央もこの識別をしておりますね。尤もれんだいことは真反対にとう小平路線の方を支持している。従って、現在友好関係の再構築に成功したのもいわば必然でせう。れんだいこはそう見ております。
> さて、いつか、中国でも政権を選挙で選出するときがくるかもしれません。来ないかもしれません。しかし、れんだいこさんが無意識的に前提としているように見える「形式的な民主主義制度を整えているから進んでいる」という価値観を私に押し付けられても、それに従う必要はないと考えています。もしも、形式上の議会民主主義制度を具備している社会がそうでない社会よりも進んでいるというドグマを強調したいのならば、具体例などを挙げて、論証してください。
「形式的な民主主義制度を整えているから進んでいる」という観点では無いですね。日本に戦後憲法で保障された社会統治システムは、西欧のそれよりもソ連のそれよりもグッドなベリーナイスなものだったと思っております。問題は、戦後日本の再建手法とその能力を廻って右派左派が争った結果、GHQの背後権力の存在も有って残念ながら戦前の統治階級が再び権力を掌握することになった。この権力は、アメリカの言いなりになりながら他方で戦前の統治構造に戻そうとしており、戦後憲法秩序の形骸化へ踏み出すことになりました。今日まで次第にこの傾向が強められておるとみなしております。
この観点からすれば、「形式的な民主主義制度を整えているから進んでいる」というようなことを云うつもりはもうとう無いのです。付言すれば、この反動化過程に社共が素直に抵抗し、いわゆる新左翼は無感覚で経過してきた史実があるように思います。この辺り新左翼のどっかの党派が軌道修正されれば人心を掴むだろうと思います。
> しかし、民主主義とは
> |民主主義には無限に異なった意味があるでしょうが、それ自体はただ、住民の個々の階級のあいだには政治的
> |権利の形式的不平等が存在しないということを意味するだけであります。
> とマックスウェーバーが述べているような最低限の要件があると思います。
マックスウェーバーはなかなかの値打ちものにように思っておりますが、残念ながらただの一冊も読んでおりません。近々読もうとしております。それはともかく、マックスウェーバーのこの規定はいただけませんね。民主主義の大事な要件は、異端狩り、魔女狩り、反対派狩りに対する一定のブレーキをかけることに真の意味があると考えております。西欧社会の強さは、政府批判にしてもそうですが「一定」これを認めてきた「強さ」にあると思っております。もっとも、それだけ狡猾な支配システムになっていると云ったらそれだけのものですが。
それでもやはり有りがたいものです。例えば、江戸幕府がこの制度を確立していたら、幕末期の有能な志士の多くが(幕府方の者も含めて)あたら惜しくも命を取られずに済んだものを。さすれば、明治維新以降の歩みも違っていたのではないのか、ひょっとして海外あるいは大陸侵略もせずに済んだのではないか、と考える訳です。
> また、戦後の日本の社会は、中国との国交が数十年もの間日本側の事情により締結されなかったことや、戦争責任に対する無責任な日本人の態度など、私の目から見ると嘔吐を感じるような、欺瞞的な社会であると思えます。そのような戦後日本の社会を「善政」であるなどと賛美するれんだいこさんの感覚には、どうしても同調できないものを感じざるを得ません。
そういう風に論を持っていかれたらまともに議論することなぞできません。どこの国でも地域でもいろんなタイプの者が居るはずです。問題は、社会の上に立っている者がどういう心根で思想で指導するのか、これに対して下からの支えがいかほど強いのか弱いのかが問われているのではないでせうか。
日本の社会階層は大きく見て、ハト派とタカ派、守旧派と革新派、規制派と開放派、金権派と清貧派(が居たとして)等々が入り混じっており、次第にタカ派、守旧派、規制派の方が強くなりつつある。この連中はその度を強めるほど「戦争責任に対する無責任な日本人の態度など、私の目から見ると嘔吐を感じる」ようなものであろうと思います。
れんだいこの云う「善政」とは、ハト派、革新派、開放派が社会の上に立っていたと思われる一時期のことを指しております。「戦後日本の社会をなべて善政である」などと粗っぽく云うつもりはありません。この観点ユニークでせう?まだ市民権得ておりませんが。
> 問題は、宮本顕治が当局の意を受けたスパイだったかどうかということです。スパイの究極目的は敵対する団体の破壊、消滅ですから、宮本顕治が指導権を掌握した段階で、日本共産党は消滅の道をたどらなければなりません。
この理解は単純過ぎます。「スパイの究極目的は敵対する団体の破壊、消滅です」というのは非現実的です。人畜無害な団体に切り替えるのが究極の仕事ではないですか。
> スパイというのは、戦前の日本共産党がスパイに侵食され、あやつられた経験から、最大の憎悪を受けて当然の存在であり、日本共産党(やそれに影響を受けた左翼組織)で相手を罵倒する場合の最上位の単語だと思います。しかし、戦後の日本共産党は基本的には合法政党であるので、スパイの活躍する場は小さくなっており、この言葉はそれにつれて実質が失われ、憎悪の感情だけが残った言葉となっているのではないかという印象を受けます。だから、宮顕が路線対立の対象ですらなく、スパイだというような言い方は、感情的な否定の性質を多く含んでいるのではないかと思われるわけです。
云おうとしていることは分かるけど、例えば「戦後の日本共産党は基本的には合法政党であるので、スパイの活躍する場は小さくなっており」なんてことは無いでせう。宮顕に対して「感情的な否定の性質を多く含んでいるのではないか」と云われても、個人的に感情的なものは有りません。
> どうもよく分からないのですが、西欧にはすぐれたルネサンスがあり、その他の地域にはその要素がなく、やられたほうには問題があり、西欧の行為を「道義的」に批判しても仕方がない。西欧民主主義を評価しなければならない。れんだいこさんは、これでもかこれでもかと、西欧民主主義の「普遍的な」価値をくり返してきたのですが、それが、西欧の行為を批判するのはいわずもがなということなのでしょうか。
良いところは認めようというだけのことです。
> 私も言わせてもらえば、西欧社会が人類史において高い水準の文明と科学技術を創造し、社会科学的な面においても学ぶべき部分が多いということはいわずもがなであるという立場で立論しています。それを踏まえたうえで、実際的に日本が学んだような西欧の方法は少なくとも中国の問題を解決する手段にはなりえないといっているわけです。多分、アラブでも、アフリカでもそうだと思います。
当然、学ぶこと真似ること血肉にして行うこととは別で良いと思います。
> >西欧民主主義の評価については興味あるテーマですので別にスレッド立てて頂ければ参加致します。
> 体力の要る論争になりそうですが、研究してみたいですね。
ですね。歴史家でも上滑りなのが多いからあまり役に立ちません。れんだいこも未踏の分野です。
[656] Re^12: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/27(Tue) 10:39
れんだいこさん、こんちは
> ここはほんとまったく理解が違いますね。れんだいこは、とう小平路線が歴史的必然として生み出されたこと、その路線の評価が難しいことを弁えているつもりですので、軽々しく批判しようとは思いません。しかし、毛沢東ー林彪路線とは全く正反対の道へ舵を取っていると見ております。周恩来の場合はやはり両者の中間で国策を考えていたのかな、目線は高かったと評したいと思います。
れんだいこさんが、中国の指導者の個人的な評価をすることは、別にかまわないと思います。それがどの程度正しいかについては、お答えできません。
> 「形式的な民主主義制度を整えているから進んでいる」という観点では無いですね。日本に戦後憲法で保障された社会統治システムは、西欧のそれよりもソ連のそれよりもグッドなベリーナイスなものだったと思っております。問題は、戦後日本の再建手法とその能力を廻って右派左派が争った結果、GHQの背後権力の存在も有って残念ながら戦前の統治階級が再び権力を掌握することになった。この権力は、アメリカの言いなりになりながら他方で戦前の統治構造に戻そうとしており、戦後憲法秩序の形骸化へ踏み出すことになりました。今日まで次第にこの傾向が強められておるとみなしております。
日本国憲法の骨組みは、平和主義、主権在民(民主主義)といったところではありませんか。交戦権の放棄というのが、多くの国では採用されていませんが(これも前例がないわけではないようです)、それ以外の理念は、それほど目新しいものではありません。
> マックスウェーバーはなかなかの値打ちものにように思っておりますが、残念ながらただの一冊も読んでおりません。近々読もうとしております。それはともかく、マックスウェーバーのこの規定はいただけませんね。民主主義の大事な要件は、異端狩り、魔女狩り、反対派狩りに対する一定のブレーキをかけることに真の意味があると考えております。西欧社会の強さは、政府批判にしてもそうですが「一定」これを認めてきた「強さ」にあると思っております。もっとも、それだけ狡猾な支配システムになっていると云ったらそれだけのものですが。
マックスウェーバーをたくさん読んでいるわけではないのですが、たまたま「社会主義」(講談社学術文庫)にそのような一節がありました。彼が学者として大変冷徹な分析力を持っていることは、歴史的に認定されているので、彼の民主主義に対する形式的な定義は信頼できるものと考えます。
それに対するれんだいこさんの反論はいただけません。論旨があいまいで、どのようにも解釈できるので、その上に立って民主主義を評価することも、ある社会が民主主義の要件を備えているかどうかを判断する基準にもなりえないものです。
> それでもやはり有りがたいものです。例えば、江戸幕府がこの制度を確立していたら、幕末期の有能な志士の多くが(幕府方の者も含めて)あたら惜しくも命を取られずに済んだものを。さすれば、明治維新以降の歩みも違っていたのではないのか、ひょっとして海外あるいは大陸侵略もせずに済んだのではないか、と考える訳です。
どのような政府でも、批判をまったく受け入れないということはありません。たとえば、江戸時代の社会を研究する成果を見れば、この社会が身分制度によって硬直していた社会ではなく、それなりに柔軟な社会であったという評価を見ることができるはずです。
> そういう風に論を持っていかれたらまともに議論することなぞできません。
立場が違うので、れんだいこさんの議論にはついていけないといったはずです。
> どこの国でも地域でもいろんなタイプの者が居るはずです。問題は、社会の上に立っている者がどういう心根で思想で指導するのか、これに対して下からの支えがいかほど強いのか弱いのかが問われているのではないでせうか。
どのような意味でしょうか。「住民の個々の階級のあいだには政治的権利の形式的不平等が存在しないということ」を民主主義の要件とするならば、どのような社会にもいろいろなタイプの者がいるというのは、反論にはならないのではないでしょうか。日本の戦後民主主義には、すくなくとも在日朝鮮人・中国人という除外例があったと申し上げております。この除外例は無視できる程度のものであるとれんだいこさんが考えるとすれば、私は立場上、これ以上の議論には進めないといっています。ご理解いただけるでしょうか。
> れんだいこの云う「善政」とは、ハト派、革新派、開放派が社会の上に立っていたと思われる一時期のことを指しております。「戦後日本の社会をなべて善政である」などと粗っぽく云うつもりはありません。この観点ユニークでせう?まだ市民権得ておりませんが。
戦後の日本の政権は自由民主党などに代表される保守派によって担われてきたのではありませんか。片山内閣のようなごく穏健な社会民主主義政権でも、多分国際的な政治的な影響下で、許容できなかった。このあたりが、社会民主党などの「社会主義」政党がなんども政権を担った西欧諸国の民主主義とは異なっており、これは一般的には日本における民主主義制度の不徹底と解釈されるものと思われます。
> > 問題は、宮本顕治が当局の意を受けたスパイだったかどうかということです。スパイの究極目的は敵対する団体の破壊、消滅ですから、宮本顕治が指導権を掌握した段階で、日本共産党は消滅の道をたどらなければなりません。
> > この理解は単純過ぎます。「スパイの究極目的は敵対する団体の破壊、消滅です」というのは非現実的です。人畜無害な団体に切り替えるのが究極の仕事ではないですか。
このれんだいこさんの反論は、本来の正しい日本共産党の姿という前提が共有されていなければ成り立たないものです。現在の日本共産党はその本来の姿に反していて「人畜無害」な団体であるということですよね。本来の姿が不明瞭な者には、何のことやら理解できません。
たとえば、日本の戦国時代に大変戦闘的であったといわれる一向一揆の元締めである浄土真宗は、江戸時代になって人畜無害な本願寺となり、現在もその系統を維持しています。これをもって本願寺の指導者のどこかに、スパイがいたという歴史家がいるでしょうか。
> 云おうとしていることは分かるけど、例えば「戦後の日本共産党は基本的には合法政党であるので、スパイの活躍する場は小さくなっており」なんてことは無いでせう。
非合法政党と合法政党では、スパイの活躍できる場が違うと思いますが、この考えは誤りでしょうか。単に否定するだけでなく、もう少し詳しく論じてください。
> 宮顕に対して「感情的な否定の性質を多く含んでいるのではないか」と云われても、個人的に感情的なものは有りません。
個人的に感情的なものがないというのは、ひとつの条件でしょうが、宮本スパイ規定が感情的な否定の要素を含むという十分条件ではないと思います。
> 良いところは認めようというだけのことです。
どうも、よいところを認めるのではなく、悪いところを指摘することを抑止しているように感じます。
> 当然、学ぶこと真似ること血肉にして行うこととは別で良いと思います。
意味不明です。
[657] Re^13: 共産党の合法化、マルクス主義の解釈 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/27(Tue) 12:50 <URL>
猛獣文士さんちわぁ。
> 日本国憲法の骨組みは、ス和主義、主権在民(民主主義)といったところではありませんか。交戦権の放棄というのが、多くの国では採用されていませんが(これも前例がないわけではないようです)、それ以外の理念は、それほど目新しいものではありません。
戦後憲法の特質は、国際協調平和、象徴天皇制主権在民、軍事放棄、地方分権、文民主義、基本的人権の尊重等々あると思います。「それ以外の理念は、それほど目新しいものではありません」で云われているのは「基本的人権の諸規定」のことと思われますが、生存権、教育権、諸自由権、抵抗権の各内実において内容がしっかりしているように思います。この価値は目を洗って確認すべきことではないでせうか。
> マックスウェーバーをたくさん読んでいるわけではないのですが、たまたま「社会主義」(講談社学術文庫)にそのような一節がありました。彼が学者として大変冷徹な分析力を持っていることは、歴史的に認定されているので、彼の民主主義に対する形式的な定義は信頼できるものと考えます。
> それに対するれんだいこさんの反論はいただけません。論旨があいまいで、どのようにも解釈できるので、その上に立って民主主義を評価することも、ある社会が民主主義の要件を備えているかどうかを判断する基準にもなりえないものです。
れんだいこ見解が聞きなれないというなら分かりますが、「論旨があいまいで、どのようにも解釈でき、判断する基準にもなりえないものです」と云われると、少しムッとします。れんだいこは、民主主義の内実に権力暴力の抑制という意味合いがあり、それを踏まえない「ブルジョア民主主義=形式民主主義」論は一面的と指摘していますが、明解で多義的でなく判断基準になり得ると思います。
「権力暴力の抑制」が生み出される背景として、中世の異端狩り、魔女狩り、反対派狩り体制に抗したルネサンスの歴史があり、西欧諸国はこれを継承して各国はお国柄の政情に応じて取り入れてきた。この流れの民主主義はとても貴重で、アジアであろうがアフリカであろうがアラブであろうが学ぶべき血肉化すべきだという論旨を展開しております。
> どのような政府でも、批判をまったく受け入れないということはありません。たとえば、江戸時代の社会を研究する成果を見れば、この社会が身分制度によって硬直していた社会ではなく、それなりに柔軟な社会であったという評価を見ることができるはずです。
それは秩序内の人材登用、社会改良の面では意外にしなやかであったという考察であり、体制反対派に対しては蟻の子一匹見逃さない水も漏らさぬ統制秩序を敷いていたことまで否定するものでは無いでせう。尤も、学問的レベルならかなり許容されており、むしろ現下の我が日本の学問より自由であったかも知れません。一揆とか騒動とか反乱に対しては徹底的に首謀者の見せしめ処刑を断じて行いつづけて参りました。そのたびに有能な士が抹殺され、それは社会的国家的損失であったと思います。もっとも人民側も対抗し、地下戦線を形成して参りましたが、それは幕府が「それなりに柔軟な社会」づくりに配慮していたからでは無いでせう。
> > どこの国でも地域でもいろんなタイプの者が居るはずです。問題は、社会の上に立っている者がどういう心根で思想で指導するのか、これに対して下からの支えがいかほど強いのか弱いのかが問われているのではないでせうか。
> どのような意味でしょうか。「住民の個々の階級のあいだには政治的権利の形式的不平等が存在しないということ」を民主主義の要件とするならば、どのような社会にもいろいろなタイプの者がいるというのは、反論にはならないのではないでしょうか。
猛獣文士さんの戦前の植民地政策を肯定する勢力の存在の指摘に対して、そういう勢力は居るでしょうが日本人全員がそういう見解に立っている訳では無い。そういう意味で、「どのような社会にもいろいろなタイプの者がいると」と述べておりますが、どこかおかしいのでせうか。
> 日本の戦後民主主義には、すくなくとも在日朝鮮人・中国人という除外例があったと申し上げております。この除外例は無視できる程度のものであるとれんだいこさんが考えるとすれば、私は立場上、これ以上の議論には進めないといっています。ご理解いただけるでしょうか。
出入国管理令その他外国人の法的待遇は、戦後のGHQ革命の対象から漏れていたのかなと思います。そういう意味で恐らく戦前型の規制が今日まで続いているのでせう。問題は、他の諸国のそれと比較してどうなのかという観点と今後どうあるべきかという視点から早急に善処していくべきだと思っております。これだってやる気があれば指針作りできると思われますが、先例踏襲主義のお役所仕事では十年一日でせう。
> 戦後の日本の政権は自由民主党などに代表される保守派によって担われてきたのではありませんか。片山内閣のようなごく穏健な社会民主主義政権でも、多分国際的な政治的な影響下で、許容できなかった。このあたりが、社会民主党などの「社会主義」政党がなんども政権を担った西欧諸国の民主主義とは異なっており、これは一般的には日本における民主主義制度の不徹底と解釈されるものと思われます。
だから、右派と左派が抗争した結果、右派が政権を取り今日まで続いており、次第に戦後民主主義が形骸化され、こたびの小泉内閣の基で風前の灯化しているとの観点を披瀝しております。「日本における民主主義制度の不徹底」というより、左派及びハト派の能力と意思不足に原因があると理解しております。
> たとえば、日本の戦国時代に大変戦闘的であったといわれる一向一揆の元締めである浄土真宗は、江戸時代になって人畜無害な本願寺となり、現在もその系統を維持しています。これをもって本願寺の指導者のどこかに、スパイがいたという歴史家がいるでしょうか。
本願寺の体制内化と宮顕による日共の体制内化を同じ土俵で述べることは出来ません。というか、猛獣文士さんの宮顕観の意外性に驚かされております。宮顕を左派指導者の変種としてみなす観点が披瀝され続けておりますが、これが本音なのかな。同じセンテンスでケ小平路線を評価しているように思え、興味深いです。
> 非合法政党と合法政党では、スパイの活躍できる場が違うと思いますが、この考えは誤りでしょうか。単に否定するだけでなく、もう少し詳しく論じてください。
当局からすれば、非合法政党であろうが合法政党であろうが反体制運動に目を光らせるのが仕事でせう。私が詳しく論じるも何も普通に理解できることのように思います。
> > 宮顕に対して「感情的な否定の性質を多く含んでいるのではないか」と云われても、個人的に感情的なものは有りません。
>
> 個人的に感情的なものがないというのは、ひとつの条件でしょうが、宮本スパイ規定が感情的な否定の要素を含むという十分条件ではないと思います。
それは、左派運動を愛するという面で感情が入ることは免れません。それ以上の特殊宮顕に対する感情は無いという意味ですが、「宮本スパイ規定が感情的な否定の要素を含むという十分条件ではないと思います」と云われると、そんなにややこしく論ぜねばならぬことかいなと思ってしまいます。
> どうも、よいところを認めるのではなく、悪いところを指摘することを抑止しているように感じます。
これでは水掛け論ですね。
> > 当然、学ぶこと真似ること血肉にして行うこととは別で良いと思います。
>
> 意味不明です。
西欧民主主義を学び、血肉化してその国に相応しい適用を目指せばよい、という意味のことを述べているつもりですが、「意味不明」でせうか。中国の諸子百家時代の諸観点、ギリシャ哲学史、ドイツでのマルクス主義形成過程、ルネサンス以来の西欧民主主義の価値、明治維新等々は全人類的な財産とみなしておりますので、そうはみなさない猛獣文士さんと噛み合わないみたいですね。私も少し疲れてきたかも知れません。
[658] そろそろスレッドを変えましょうか 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/27(Tue) 14:00
れんだいこさん、ちわぁ。
> 戦後憲法の特質は、国際協調平和、象徴天皇制主権在民、軍事放棄、地方分権、文民主義、基本的人権の尊重等々あると思います。「それ以外の理念は、それほど目新しいものではありません」で云われているのは「基本的人権の諸規定」のことと思われますが、生存権、教育権、諸自由権、抵抗権の各内実において内容がしっかりしているように思います。この価値は目を洗って確認すべきことではないでせうか。
それ以外の理念といったのは交戦権の放棄以外の理念ということです。目新しくないからだめだといったわけでもありません。
> れんだいこ見解が聞きなれないというなら分かりますが、「論旨があいまいで、どのようにも解釈でき、判断する基準にもなりえないものです」と云われると、少しムッとします。れんだいこは、民主主義の内実に権力暴力の抑制という意味合いがあり、それを踏まえない「ブルジョア民主主義=形式民主主義」論は一面的と指摘していますが、明解で多義的でなく判断基準になり得ると思います。
制度としての民主主義を遵守することによって民主主義が実現できるという考え方が法治主義だと思います。そうでなく、柔軟な理念を掲げて、それに合致しているか否かを自由に判断できるとすれば、それは判断を下す人間の性質によって基本的な特徴が決定されるので、人治による政治ということになります。「権力暴力の抑制という意味合い」というのは、柔軟な理念で、多様な解釈を生むものであると思います。
> 「権力暴力の抑制」が生み出される背景として、中世の異端狩り、魔女狩り、反対派狩り体制に抗したルネサンスの歴史があり、西欧諸国はこれを継承して各国はお国柄の政情に応じて取り入れてきた。この流れの民主主義はとても貴重で、アジアであろうがアフリカであろうがアラブであろうが学ぶべき血肉化すべきだという論旨を展開しております。
歴史的なルネサンスと魔女狩りの時期は、前後関係から言っても逆になっているのではないでしょうか。ルネサンスの精神が魔女狩りに抗したという歴史的な事実があるのでしょうか。不勉強ですが、その点教えてくれませんか。
>> 日本の戦後民主主義には、すくなくとも在日朝鮮人・中国人という除外例があったと申し上げております。この除外例は無視できる程度のものであるとれんだいこさんが考えるとすれば、私は立場上、これ以上の議論には進めないといっています。ご理解いただけるでしょうか。
> 出入国管理令その他外国人の法的待遇は、戦後のGHQ革命の対象から漏れていたのかなと思います。そういう意味で恐らく戦前型の規制が今日まで続いているのでせう。問題は、他の諸国のそれと比較してどうなのかという観点と今後どうあるべきかという視点から早急に善処していくべきだと思っております。これだってやる気があれば指針作りできると思われますが、先例踏襲主義のお役所仕事では十年一日でせう。
どのような解釈をしてもかまいませんが、私にとってこの欠陥は決定的なものであり、それは民主主義の基本的な要件を備えていない擬似民主主義に過ぎないと評価できるようなものだと思います。立場が違うれんだいこさんとは評価も異なるかもしれませんが、そこで水掛け論をしても意味のないことです。
> > たとえば、日本の戦国時代に大変戦闘的であったといわれる一向一揆の元締めである浄土真宗は、江戸時代になって人畜無害な本願寺となり、現在もその系統を維持しています。これをもって本願寺の指導者のどこかに、スパイがいたという歴史家がいるでしょうか。
> > 本願寺の体制内化と宮顕による日共の体制内化を同じ土俵で述べることは出来ません。
もっと具体的にのべてください。同じものではありませんが、似たような面もあるので、比較しているのです。
> というか、猛獣文士さんの宮顕観の意外性に驚かされております。宮顕を左派指導者の変種としてみなす観点が披瀝され続けておりますが、これが本音なのかな。同じセンテンスで?小平路線を評価しているように思え、興味深いです。
左派とか右派とかいう分類は、あまり重要ではないと思います。どのように興味深いのか、私も興味深いです。
> 当局からすれば、非合法政党であろうが合法政党であろうが反体制運動に目を光らせるのが仕事でせう。私が詳しく論じるも何も普通に理解できることのように思います。
反体制運動は、合法的に存在しうるのでしょうか。
> それは、左派運動を愛するという面で感情が入ることは免れません。それ以上の特殊宮顕に対する感情は無いという意味ですが、「宮本スパイ規定が感情的な否定の要素を含むという十分条件ではないと思います」と云われると、そんなにややこしく論ぜねばならぬことかいなと思ってしまいます。
左派運動を愛するという言葉の意味をもう少し突き詰めてみたいところです。ここでいう左派運動とは、抽象的で理念的な運動なのか、あるいはれんだいこさんがこれまでの人間関係等で経験してきた特定の運動なのか。どうなんでしょう。私も、青年時代の付き合いの中での運動というのは、いまでも愛しています。
> > どうも、よいところを認めるのではなく、悪いところを指摘することを抑止しているように感じます。
> > これでは水掛け論ですね。
評価が異なるのか、表現が異なるのかどうなんでしょうか。
> 西欧民主主義を学び、血肉化してその国に相応しい適用を目指せばよい、という意味のことを述べているつもりですが、「意味不明」でせうか。中国の諸子百家時代の諸観点、ギリシャ哲学史、ドイツでのマルクス主義形成過程、ルネサンス以来の西欧民主主義の価値、明治維新等々は全人類的な財産とみなしておりますので、そうはみなさない猛獣文士さんと噛み合わないみたいですね。私も少し疲れてきたかも知れません。
人類の歴史の中のどのような思想をどのように支持するか、評価するかということでの具体的な話でしょう。突然、私が人類の文化遺産の破壊者のような結論に飛躍されるのは困ったものです。
[636] Re: 日本共産党批判 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/20(Tue) 13:12
猛獣文士さんちわぁ。
> 「宮顕は戦前も、愛国的民族主義的天皇制と親和的な党運動を目指しております。」これは、どのような資料で確認したのでしょうか。このような主義を目指していたとすれば、とても日本共産党の構成員であることはできないのではないかとも思えます。転向しないかぎり。
少し時間を要しますので読み直すまで今しばらくお待ちください。
> 宮本顕治が党内の主導権を確立するために、「対立する」指導者あるいは自分の思うままにできない指導者を「スパイ」の濡れ衣を着せて葬り去ったということでしょうか。あるいは、宮本顕治が当局の意を受けて、日本共産党をつぶすために有能な指導者を葬ったということでしょうか。
そうなります。
> 日本共産党を当局の管理下に置くための措置でしょうか。
そういうことになります。当時は日中戦争勃発前であり、当局からすれば一億一心体制を作り上げる必要から国内の共産党勢力を早急に退治する必要がありました。この意を受けて奮闘したという構図になるかと思われます。
> 共産党の本来の運動が密殺され、その結果現在残っている日本共産党は一体何なのでしょうか。また、そのような現実の日本共産党を、どのように評価し、どのように取り扱えばいいのでしょうか。
そういう怖い話になると思います。しかしこの現実から目を背けることは良くないでせう。
> あるいは、正しい日本共産党の運動を再生させる必要があるのでしょうか。これは、ソ連崩壊後の、マルクスレーニン主義や社会主義・共産主義に対する「幻滅」の影響をどのように受けているのでしょうか。
これは難しいテーマですね。まず日共の再生についてですが、日共であろうがどこの党派であろうが、日本に左派勢力が立ち上げられ、せめて大きな影響力を持つようにしないと政府与党の無能政治がどんどん続くことになると思われます。それは哀しいことです。
社会主義・共産主義に対する「幻滅」についてですが、マルクス主義を滋養強壮にしてその後の成果を取り入れて新しい左派運動を創造する必要がある、と考えております。れんだいこは、共生たすけあい主義なるものを理論化してみようと思っております。世の道徳的宗教的運動との違いは、マルクス主義の値打ちを認め且つその限界も対自化させて止揚させてみたいと思っているところにあります。しかしまだ緒についたばかりです。
宮顕―不破運動をなぜ嫌うかというと、空疎な有害理論且つ運動であるからです。それを意識的にやっているかも知れないと疑惑しております。だから、批判だけでは何の意味も無い。これが本筋の運動であり理論であると云うのを開拓し、対置させない限り詭弁に丸め込まれるでせう。なぜなら比較判断の為しようがないから。そういう意味で、れんだいこの姿勢は貴重と自負しております。
[582] Re:576 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/04(Sun) 19:28
大阪さん、れんだいこさんやコスモポリタンさんの質問には、ちゃんと答えてくれませんか。私も回答を待っているのです。
> 猛獣文士さんは、在日朝鮮人の間での寺尾五郎氏の評判がどうなっているか、ということは、どのぐらい感知されて居ましたか。
寺尾氏とは面識もなく読んだ本も「不戦の思想」だけですが、他のホームページなどでの人物紹介などを見て、人柄がなんとなく察せられます。情報源の豊富な大阪さんのほうで、在日朝鮮人の全部または一部または数人または約一名が彼を憎んでいたり嫌っているということを示す資料がありましたら、提示していただければ、それをみてから検討します。
>これは商契約でありまして資本主義の世の中では合法であります。ただしCMはCMとせねば商道徳に違反していると思います。
寺尾氏の著作がビジネスなのかどうか分かりません。ビジネスであるとしてもCMのような商契約とは異なるものであると思います。たとえるならば、調査報告とか、弁護士の弁護とか。
とりあえず、この断定が大阪さんの推量によるものか、何らかの裏を取ったものなのかが重要になるでしょう。
> 「精緻というより大変説得力のあるもの」には「いかにも精緻かついかにも説得力がある」と同意致します。ただし(しきりに猛獣さんは「無関係」とされていますが)民事明け渡し訴訟の原告側訴えは、まさに寺尾説の側にたたねば意味が通じない主張でありまして、これが実質地裁の法廷にて全否定され、和解になっています。和解は「有罪にされるよりはマシ」という政治的判断でなされるものでありますから当然、「何が暴力か」も文書に掲載しないルールでありましてここも猛獣さんのご指摘のごとく、いっけん「無関係」であります。しかし「日本と中国」紙だとか寺尾本だとかの議論が一切通用しなくて(これは友好協会側が一方的に認めないですまされる問題でなく地裁が一蹴しているのです)みごとに否定され、賠償金を逆に支払う形で「和解」しているのでありますから、うまく隠して手をうった(うたざるをえなかった)のは理事会、それを後押ししていた(正統)日中やら文革派華僑の主張が「(精緻でいかにも説得力があるが)でるところへ出て通用するものではない」とする当方の議論は一定の妥当性と根拠があると思いますが、いかが。
1.寺尾氏の主張と会館理事会の提訴は無関係ではありません。
2.裁判所は、和解について双方の善悪の評価にはコミットしてないと思います。
3.会館理事会の目的は、日中友好協会に出て行ってもらうことですから、その目的は達しています。
> 申し訳ないが再度【情報の格差が歴然である】と指摘させて頂きます。それとも猛獣さんは何ですか? (略)当方は秘匿された特ダネを持ってきているというより図書館の閉架式の奥でホコリをかぶっていた資料や普通に「しんぶん赤旗」販売所に行けば売っているパンフレットをネタにしただけでありました。
それはすばらしいことですね。豊富な情報源で貴重な資料が見つかったら教えてえてくれますか。たとえば、寮生が襲撃の計画を練っていたときの会議の議事録などがありましたら、紹介してくれますか。
> 当方は一貫して猛獣文士さんのご父君をはじめとした、圧倒的多数の日本華僑の皆さまを無実であるのに「あしざまにおとしめ」る所業をした覚えはありません。そういうカ所があれば謹聴して改めておわびさせて頂きます。
それは、殊勝なことです。
> しかしながらその所業が許せない嘘つきや暴力犯人に対しては仮借ない追及を今後もこのHPやBBSがある限り、当方がでてこれる限り、その罪に応じて白日にさらす所存であります。
大阪さんは重要なキャラクターですので、このBBSで(なるべく論争のルールを守って)ご活躍することを期待しています。
> 「物騒な事を言っていたよう」だと寺尾本に精緻に描き出されている、ということは同意致します。
寺尾氏だけがいっていたのではなく、機関紙の赤旗にそのままの論文が掲載されており、それについては、光岡玄氏も、華僑総会も、日中友好協会(正統)もみな触れています。
> それから猛獣文士さんが「過失であるとすることができない」というのは、たとえば第二次大戦中の日本国民の圧倒的部分だとか、まだ戦後すぐの外国人差別が苛烈であったころの圧倒的多数の日本人に関しても、同じ論法でほぼ全面無罪となるのではありませんか。つまり「抑圧民族」「差別者」とされた圧倒的多数の日本国民と同様の”罪”を文革対日干渉チームのそそのかしに乗った一部日本華僑は”罪”として負うが、それは「そのような認識にいたった事について彼らの過失であるとすることはできない」というわけですね。
認識や好悪の感情をもつことは何の罪にもなりません。その認識にもとづいて、なんらかの悪いことを行った場合には、それなりの責任が発生します。寮生たちは、その認識に基づき何をしたか。まず、日中友好協会はニセモノだから善隣学生会館を退去するべきと考え、その考えを壁新聞で明らかにし、その壁新聞が破棄されないよう警戒し、実際に破棄されたので抗議し、抗議したところ暴行する人がいたのでさらに抗議した。この行為はまったく正常な寮自治会の活動であり、どう転んでも大阪さんに何かを追及されるというようなものではありません。
> ”(仮定)ならば、これは名誉をそこなうものである”、と。わかりました。(仮定)を事実で埋める作業を今後もしんねり、ねっとりと続けましょう。ねっとりと事実をあぶりだして、困るのは誰でしょうか。当方は賠償金はいりませんよ。でも猛獣さんが後世に歴史を刻みつけてと言われるなら、どこまでも事実を追いたいと思います。
この点では一致できそうです。
> > 私には、純法律的にみても、会館理事会の立ち退き要求の理由は妥当で公平なものと思えます。
> > それは5つの争点でありましょうか。「一つをのぞいて」すべて地裁は却下していますね(おっと却下と「判決」が下ったわけではありませんが、そういう和解ですよね)。
大阪さんは和解という意味を誤解しているのではないでしょうか。
> > > 日本共産党が日本反動派の下僕であるかどうかなどという議論は、大阪さんが勝手に付け加えたものです。
> > 違います東京華僑総会の声明に書いてある。
東京華僑総会声明にはありませんでした。「宮本下僕集団」というのは、反動派ではなく、宮本顕治の下僕の集団という意味です。
> 資料がない、ということは暴力事象や対日干渉がなかった、ということではありません。これは南京事件と同様。
日本共産党の戦闘部隊のそれを含め、暴力があったかどうかは研究するに値すると思います。
対日干渉という話は、コスモポリタン氏が何度も言っていますが、マルクス主義の教義の問題にかかわりますので、事実関係のように単純に判定することはできないでしょう。
南京大虐殺は、資料が多数残されているので、違うものと思います。
> 毛沢東氏の片言隻句は永遠に紅い太陽で、これは理解して実行し、理解しないでも実行するけれど、それ以外のあらゆる事象。人間世界の取り決めや枠組みは「普通」無視する、とりわけ日帝の遺髪をついだ日本国の社会制度や法制度、習慣や秩序なんて、と。これはまさに無法者のいいぐさです。
これは大阪さんがかってに付け加えた話。
> 当方は「無条件に」などとどこにも書いておりません。不備は今後運動をも含めて人間社会の努力で(当然主権者たる日本国民の手によって)埋めてゆくのです。この根本において毛沢東氏以外の努力や中国共産党以外の知恵はなきも同然と平然と踏みにじるということでは困ります。
自分や家族を守らなければならない私たちは、制度の不備を日本国民が埋めてくれるまで、沈黙してそれに従うという気はありません。
> この「和解」さえ猛獣さんをはじめとした一部の華僑の中でそうした理解であったとしますと、これは重大な事であります。あなたには「内政干渉」という語の意味が根本的におわかりになってないのではありませんか。
あなたには、人権とか民主主義とか言う語の意味が本質的に分からないようです。
> 余計なおせわです。
大阪さんに余計なお世話をしているわけではありません。日本の裁判制度に欠陥があれば、その欠陥ゆえに損害をこうむる可能性があるのは、在日外国人も日本人も同じです。
> 米海兵隊やその指揮官がしばしば猛獣文士さんのような事をいいます。そして小学生を強姦したり女子高生を飲酒運転で轢殺したり母子をジェット機墜落で焼き殺しても逃げおおせると思っている。
アメリカ軍や基地の話を私にされても、お門違いでしょう。善隣学生会館事件のときにも、そのような的外れな要求を寮生に突きつけたそうです。これも、伝統でしょうか。
> ”日本の法や政治に対して鋭いメスを入れる外国人”というのを日本は比較的珍重するので、そのうち何が本来の内政干渉か不干渉か、それがどれほど大事な守るべき準則か、その無視かということが忘れられている。
メスは鋭くないし、珍重もされていません。
> (ちとうんざりしつつ)ご指摘のとおりであります。そして判決になるのを回避するために和解した。誰が和解を望んだかというと、通常「解決金」を支払った側の意志とするのが妥当ではないか。
双方が判決になるのを回避したから和解になったわけです。
> 乱発かどうかは、わかりません。不起訴になったのか、起訴されたのか、見せてください。何日に不起訴処分決定がでていますか。それから猛獣さんのここまでのご意見の認識手法を流用すれば、ここで「不起訴」があったということは日本の法制度の不備が原因で、罪ある者が裁きの場にも引き出されずにのうのうとシャバで暮らす事象ではないかということを日本国民として我が国の不備として受け止める事も必要かと思います。
とにかく、裁判結果だけではすべてを知ることはできないということには、同意いただけたのでしょうか。
> > もしその当時、日本が日本共産党の支配する国であれば、造反団ニュースの記事を根拠に、寮生が襲撃したと判断され、本当に冤罪が発生したのかもしれません。
> > そうですね。
あっさりと認めてくれるのには驚きました。
> 猛獣さんの事だけではありません。”朱印貿易”(オーディエンスの方々、私の特殊な文学的用語であります。詳しくはBBSで引用された「日本の華僑」などの本のご当人がたの自慢話をご覧ください)で財をなした文革ブルジョア華僑の事などであります。
アイリスチャンという人の書いた「レープオブナンキン」という本で、昨今の日本で南京大虐殺が抹殺されている状況を「セカンドレイプ」と呼んでいます。大阪さんが暴行事件の被害者に対してとっている態度は、まさにセカンドレイプです。
> > 正当防衛権の行使ですかね。
> > いささかへりくつ。
屁理屈は大阪さんも負けていないのでは。
[584] Re^2:576 投稿者:大阪の人 投稿日:02/08/05(Mon) 00:53
> 大阪さん、れんだいこさんやコスモポリタンさんの質問には、ちゃんと答えてくれませんか。私も回答を待っているのです。
ふふん。
れんだいこさんにしてもコスポリ氏にしても、この【実際】の件では議論にならない、猛獣さんもあてにしていた彼らが頼りにならないようですな。何度目かのこの議論で行き詰まりを見せたらこうした枝議論に持ち込んで何か言い返しが成立するかにいうのは、性懲りがない、と言わざるを得ません。
> 寺尾氏とは面識もなく読んだ本も「不戦の思想」だけです
このBBSの議論の中だけでも、「林彪の作戦」だとか「朝鮮南と北」だとか「朝鮮問題入門」だとか、数冊御紹介申し上げたはずでありますが、それらは【なかった事】にして、「だけです」と居直るわけですか。あきれた。
> が、他のホームページなどでの人物紹介などを見て、人柄がなんとなく察せられます。情報源の豊富な大阪さんのほうで、在日朝鮮人の全部または一部または数人または約一名が彼を憎んでいたり嫌っているということを示す資料がありましたら、提示していただければ、それをみてから検討します。
まずは『朝鮮総連と収容所共和国』李英和 小学館文庫。これまたBBS内で当方がお伝えしたはずだ。いいかえしばかり練るのに汲々として、こうした傍証は「見ない」で過ごすのが猛獣さんのお得意であります。友好協会の窓ガラスは文革派の投石でめちゃめちゃに破られ、仕方なく木製の板で防御されていたという実態も「見ないようにしていた」猛獣さんへ。
> 寺尾氏の著作が、調査報告とか、弁護士の弁護とか。
わっはっは。寺尾氏は猛獣さんと同様に日本の司法制度がどうのとしきりに軽視した発言をねちねちしていますね。あのメンタルではたしかに法廷闘争という理屈はでてこない。「でるところにでて取り上げられる話ではない」という事で、よほど後ぐらかったのでありましょうな。
> 1.寺尾氏の主張と会館理事会の提訴は無関係ではありません。
> 2.裁判所は、和解について双方の善悪の評価にはコミットしてないと思います。
> 3.会館理事会の目的は、日中友好協会に出て行ってもらうことですから、その目的は達しています。
1は(前はお認めでなかったが今回は)認めると。
2は「和解」ですから当然ですね。しかし猛獣さんも御指摘のように、いかにも通常の事件では考えられないような展開でありまして、猛獣さんが「見ないようにしていた」事実を地裁がみて、逆転させたと考えなければ推量がつかない「解決金」や「遺憾の意」の表明されかたであります。これが「異例」であるとは私同様猛獣さんも思うでしょう? なぜ異例なのか。猛獣説に則れば「これは日本司法が反動的であり、日共に司法が味方し、中国人の財産を盗み取った」ということになる。当方の認識は少し違っているわけです。
3は、やはり少し違いますね。「反中国」の「偽日中」という今では猛獣さんご自身が言えなくなりつつあるレッテルを張るために「でていけ」ということが66年秋からワンパターンに主張され続けていました。居場所の問題ではなくて中国人お得意の「メンツ」の問題であります。そしてメンツを潰して公衆の面前でいかに「反中国」な奴らはこうして敗北するのだと見せしめにするということではないかな。ところが「和解」の内容を子細に検討しますと、これは実を友好協会に取られて、以後(正統)日中の入居もままならない所まで追い込まれましたね。
> > 申し訳ないが再度【情報の格差が歴然である】と
>
> それはすばらしいことですね。
これは一体どういう事なのでしょうか、反論にも同意にもならない力ない受け答え。
> > 当方は一貫して猛獣文士さんのご父君をはじめとした、圧倒的多数の日本華僑の皆さまを無実であるのに「あしざまにおとしめ」る所業をした覚えはありません。そういうカ所があれば謹聴して改めておわびさせて頂きます。
>
> それは、殊勝なことです。
これはどういうことでありましょうか。あなたが「あしざまにおとしめる」と申されたので、そういうことはないということを率直に申し述べたのに対してこのように述べられる。「殊勝」とはいったいどういういいぐさか。
> 大阪さんは重要なキャラクターですので、このBBSで(なるべく論争のルールを守って)ご活躍することを期待しています。
だいぶ、飽きてきつつはあります。このごろ「余白」を埋めるようなきちっとした【実際】の議論は猛獣さんに期待できないという気もしてきました。キャラクターですか。たしかにれんだいこさんも「大阪の人さんに興味があります」とは言って頂きました。しかし原水爆禁止運動の問題だとか、戦前の「スパイ査問」問題だとか、あまりに偏り過ぎであります。コスポリ氏も同様。このれんだいこさんにコスポリ氏、なかなかウマがあうようですな。
それかられんだいこさんに(もう項を改めてレスをする気力も失せましたので失礼)一言。
既に何かで活動している部分や、一定の議論ができる部分をツマミグイでひっぱってきて何かの「運動」を、しかも国民の苦難の軽減や、悪政の追及や、平和の運動を【抜き】に、ただひたすら「宮本路線の再検討」などを考えるというのは1)他所の運動への寄生虫のような自主性のなさ2)おしゃべりサークルでしかない3)国民の現実の苦難に思いをよせないで運動を異質なものへ変質させようとする、という性質をその根本に内在していると思います。知天にしてそれですか。あなたがのうのうと「反共」をぶっている30数年の間に日本共産党は勢力を拡大しつづけました。あなたの歴史はそしたら「負け一辺倒」ということになりますな。
> 日本共産党の戦闘部隊のそれを含め、暴力があったかどうかは研究するに値すると思います。
あのね「一枚岩」の全国組織なので、助けを呼べば幾らでも人数は集まってくるのですよ。”多国籍軍”と違ってね。混成軍が首尾よく結成され、用意よく「一枚岩」の組織とまともに対置できるということが、そもそも「寮自治会の単独の認識に基づく独自の行動」とか「日本共産党が党をあげて襲いかかった」という構図を事実をもって崩すのです。
> 対日干渉という話は、コスモポリタン氏が何度も言っていますが、マルクス主義の教義の問題にかかわりますので、事実関係のように単純に判定することはできないでしょう。
いつからコスポリ氏は猛獣さんの多国籍軍に編入されたのでしょうか。
> > 毛沢東氏の片言隻句は永遠に紅い太陽で、これは理解して実行し、理解しないでも実行するけれど、それ以外のあらゆる事象。人間世界の取り決めや枠組みは「普通」無視する、とりわけ日帝の遺髪をついだ日本国の社会制度や法制度、習慣や秩序なんて、と。これはまさに無法者のいいぐさです。
>
> これは大阪さんがかってに付け加えた話。
当時のニュアンスをよく伝える表現方法だと思いましたが。他のいいまわしがあれば教えてください。
> 自分や家族を守らなければならない私たちは、制度の不備を日本国民が埋めてくれるまで、沈黙してそれに従うという気はありません。
猛獣さんの御父君は「家族を守るため」に何をなさいましたか。ご賢察であられた御父君は。それはそうと猛獣さんはプロレタリア文化大革命を子や孫たちに「再度」と伝えるおつもりか、と当方が問うた時に、言葉をすり替え、「私には子はない」とか「後楽寮で女の子にふられた」とかあらぬ方向に議論をもってゆかれた。子も家族もないのに「守らなければならない」というのは仮定の話であります。当時のあなたは16ぐらいの小僧。寮生たちも18、9のガキでありまして「守るべき家族」がせめてあればもっと賢明な対処ができたのではないか、という仮定も成り立ちます。毛沢東氏の片言隻句は永遠に紅い太陽で、これは理解して実行し、理解しないでも実行する、宮本顕治のばかものよ、毛沢東主席に反対するものは誰であろうと打倒する、東京に手を伸ばして、狗の頭を殴ってやる、などと家族にまた言わせるお積もりでありましょうか。そして雪中で頚をくくられ、逆エビ型にしばられ、「革命家として死にたかった」と迷文句を吐きつつ息絶えさせたい、あるいは北朝鮮に渡ってニセ札をまいたりヨーロッパで女性を誘拐するのに動員されるということでありましょうか。
> > この「和解」さえ猛獣さんをはじめとした一部の華僑の中でそうした理解であったとしますと、これは重大な事であります。あなたには「内政干渉」という語の意味が根本的におわかりになってないのではありませんか。
>
> あなたには、人権とか民主主義とか言う語の意味が本質的に分からないようです。
どのような人権とか民主主義でありましょうか。日本人民の主権を踏みにじる中国人の身勝手な人権と中国人の中国人による中国人のための民主主義でありましょうか。
> > 米海兵隊やその指揮官がしばしば猛獣文士さんのような事をいいます。そして小学生を強姦したり女子高生を飲酒運転で轢殺したり母子をジェット機墜落で焼き殺しても逃げおおせると思っている。
>
> アメリカ軍や基地の話を私にされても、お門違いでしょう。善隣学生会館事件のときにも、そのような的外れな要求を寮生に突きつけたそうです。これも、伝統でしょうか。
根本的には外国人が内政干渉するということでは、同等の性質をはらんでおります。お気をつけあそばせ。中国共産党の論文に中国には覇権主義の芽があるから、よほど心しないといけないというような記述があったのを見たことがあります(コスポリ氏がしきりに攻撃している『社会主義と民族自決権』のP260、「ふたたびプロレタリアートの執権の歴史的経験について」(中国共産党中央委員会政治局拡大会議の討論に基づいて『人民日報』編集部が1956年12月29日づけの同紙に発表、とあります)。
> 双方が判決になるのを回避したから和解になったわけです。
おや、双方が回避した、ということをやっとお認めになりました。このBBSの書き込みでは、これまであまりこの認識が見られず、しきりに「中国の財産をとりあげた」だとか、「友好協会は1つだけを認めた」とか言っていたが。
> とにかく、裁判結果だけではすべてを知ることはできないということには、同意いただけたのでしょうか。
判決も重要でありますし、98年合意も重要でありますし、連赤だとか、ML派だとかの消長も重要であります。北爆の最中にあれだけ反米反ソだとかいいながらニクソンを招いて握手したり、また中国共産党が一時日米安保条約を「ビンのふた」と称して美化し日本に軍事力を増強させるようにそそのかしたりしたことも絶対に忘れる事ができません。ポルポト派の野蛮な中国衛星国家の惨状も忘れることができません。
> あっさりと認めてくれるのには驚きました。
仮定の話であります。それからその核心は中国政府は自己の手先をそんなに人権や人命として擁護しない、ということに力点を置いた表現でありまして、歴史はまさにそのように推移しています。1960年代に日本共産党が政権にあったれば、という仮定で、その政権に抑圧される私、という猛獣さんのおそろしく非現実的な仮定の中の話ね。
> アイリスチャンという人の書いた(略)大阪さんが暴行事件の被害者に対してとっている態度は、まさにセカンドレイプです。
天につばする猛獣文士さんよ、一度和歌山の橋爪さんとか、東京の宮森さんに会いに言ってみたらどうですか。いつぞやは「きりえ同好会と名を変えろ」などとあしざまに言っていたが、その後歌を歌いにいったりしたか、きりえや灯籠流しをつきあいにいったか、「見ないようにしていた」猛獣さんよ。無茶は言わないから見に行ってお話を聞いてきてはどうかな。家族は危険にさらさないにしても自分が「見てくる」勇気ぐらいは欲しいね。
> 屁理屈は大阪さんも負けていないのでは。
当方はしんねり、ねっとり猛獣さんの議論に狙い撃ちでお話をしているのであります。屁というのはもっと軽い話の例えでは?
[598] Re^3:576 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/07(Wed) 08:48
> れんだいこさんにしてもコスポリ氏にしても、この【実際】の件では議論にならない、猛獣さんもあてにしていた彼らが頼りにならないようですな。何度目かのこの議論で行き詰まりを見せたらこうした枝議論に持ち込んで何か言い返しが成立するかにいうのは、性懲りがない、と言わざるを得ません。
うふん、私は大阪さんのように、最初から決まった結論をあいてかまわず押し付けようなどという気持ちはさらさらありませんから、れんだいこさんとかコスモポリタンさんが頼りになるとかならないとかそのような判断はしたこともありません。
どのような情報でも歓迎するし、どのような方向に話が進もうと、妥当と思えるのならばお付き合いする気はあります。
> このBBSの議論の中だけでも、「林彪の作戦」だとか「朝鮮南と北」だとか「朝鮮問題入門」だとか、数冊御紹介申し上げたはずでありますが、それらは【なかった事】にして、「だけです」と居直るわけですか。あきれた。
大阪さんの資料の収集の姿勢には大いに疑問を感じます。何らかの理由である人物の発言や分析を否定したいときに、その人物の経歴を調べ、その人物の欠点を鵜の目鷹の目で探し回って、何か見つかれば鬼の首を取ったように指摘するのは、品性下劣に思えます。寺尾氏は、幕末の志士に関する著作などもあるようですが、これらはお読みになったのでしょうか。実際のところ、大阪さんはここで上げている著書を自分で読んだのですか、それともまたぎきやまた読みで、寺尾氏の失敗例を探し出してきただけなのでしょうか。
> まずは『朝鮮総連と収容所共和国』李英和 小学館文庫。これまたBBS内で当方がお伝えしたはずだ。いいかえしばかり練るのに汲々として、こうした傍証は「見ない」で過ごすのが猛獣さんのお得意であります。友好協会の窓ガラスは文革派の投石でめちゃめちゃに破られ、仕方なく木製の板で防御されていたという実態も「見ないようにしていた」猛獣さんへ。
日本共産党はいつから韓国支持になったのか、あるいは韓国に傾倒しているのは個人としての大阪さんだけなのでしょうか。この本は一応読んでみるつもりですが、これも一種のトンデモ本のような印象を感じます。
> わっはっは。寺尾氏は猛獣さんと同様に日本の司法制度がどうのとしきりに軽視した発言をねちねちしていますね。あのメンタルではたしかに法廷闘争という理屈はでてこない。「でるところにでて取り上げられる話ではない」という事で、よほど後ぐらかったのでありましょうな。
わっはっは。善隣学生会館事件の華僑青年側の資料を読めば、彼らの認識が分かると思います。警察は日本共産党暴力部隊の暴行を目の前で見ながら、寮生たちの訴えに耳を貸さず、放置していたとなっています。逆に、負傷した寮生を長時間取り調べたり、すぐに日本共産党の暴力行為を取締る措置をするように要求すると、「ここは日本だからそういうわけには行かない、それが嫌なら中国に帰れ」などという暴言を吐いたりしています。
また、寮生側には気軽に依頼できる弁護士もいなかったでしょう。在日中国人はいくら法律に通じていても、弁護士になる資格はないわけですから。このような状況下では、日本共産党に比べ、寮生側は法廷闘争に通じていなかったのですが、それをもって寮生側のほうが不正だったとすることはできません。大阪さんの主張は、まさに日本人と在日外国人の地位的な差異から生ずる「特権」の上に胡坐をかいた、醜悪な態度です。
> 1は(前はお認めでなかったが今回は)認めると。
前に認めないとも言っていない。私は、会館理事会の訴状を根拠にしてその内容について解説しただけです。私の書き込みを理解できない大阪さんの知性を疑います。
> 猛獣説に則れば「これは日本司法が反動的であり、日共に司法が味方し、中国人の財産を盗み取った」ということになる。当方の認識は少し違っているわけです。
司法が味方したかどうかは知りませんが、日本共産党が法的な争いにおいて有利な立場にいたことは考えられます。また、実力で占拠している協会事務室を強制力で退去させる手段が理事会にはなかったので、その点でも不利はあったでしょう。
ここに、華僑総会や寮自治会と会館理事会の立場の差があると思いますが、会館理事会は在日中国人青年及び日本人支援部隊と日本共産党の動員部隊との暴力的な対峙には直接関与していなかったと思います。
> 3は、やはり少し違いますね。「反中国」の「偽日中」という今では猛獣さんご自身が言えなくなりつつあるレッテルを張るために「でていけ」ということが66年秋からワンパターンに主張され続けていました。居場所の問題ではなくて中国人お得意の「メンツ」の問題であります。そしてメンツを潰して公衆の面前でいかに「反中国」な奴らはこうして敗北するのだと見せしめにするということではないかな。ところが「和解」の内容を子細に検討しますと、これは実を友好協会に取られて、以後(正統)日中の入居もままならない所まで追い込まれましたね。
そのように日本共産党側で解釈して、立ち退きを受け入れたのでしょう。そのように日本共産党側で解釈することは日本共産党の勝手でしょうが、それは解釈の一例でしょう。
> だいぶ、飽きてきつつはあります。このごろ「余白」を埋めるようなきちっとした【実際】の議論は猛獣さんに期待できないという気もしてきました。
大阪さんとは、善隣学生会館事件を通して、じっくりと議論したいと思いますが、飽きてきて対話をしたくなくなったそれでも発言しなければならないというものではありません。ただし、その場合に、沈黙の意味を私や他のオーディエンスがどのように解釈するかについては、大阪さんの関与できないものになるでしょう。
> キャラクターですか。たしかにれんだいこさんも「大阪の人さんに興味があります」とは言って頂きました。しかし原水爆禁止運動の問題だとか、戦前の「スパイ査問」問題だとか、あまりに偏り過ぎであります。コスポリ氏も同様。このれんだいこさんにコスポリ氏、なかなかウマがあうようですな。
私にも好き嫌いがあり、右翼よりは左翼が好きで、左翼の中では代々木よりは反代々木が好きです。また、宗教的にはユダヤ教よりもイスラム教に、キリスト教よりも仏教に好感を感じます。しかし、そのような思想信条などによって討論者に差別を設けることは厳しく慎もうと思いますし、また、議論の対象がどのような方向に派生しようとも、それが本来のテーマの解明に役に立つという可能性が少しでもあれば、その方向の議論を論題ゆえに中断することはしたくないと思います。
このようなBBSにおける議論は、公式な影響力が大きいとも思えないのだから、その分、自由な議論ができるというものです。義務ではないのだから結論を急ぐ必要はありません。
> あなたがのうのうと「反共」をぶっている30数年の間に日本共産党は勢力を拡大しつづけました。あなたの歴史はそしたら「負け一辺倒」ということになりますな。
1970年代には確かに倍倍ゲームで拡大した時期もあったようですが、最近は停滞気味ではありませんか。
> あのね「一枚岩」の全国組織なので、助けを呼べば幾らでも人数は集まってくるのですよ。”多国籍軍”と違ってね。混成軍が首尾よく結成され、用意よく「一枚岩」の組織とまともに対置できるということが、そもそも「寮自治会の単独の認識に基づく独自の行動」とか「日本共産党が党をあげて襲いかかった」という構図を事実をもって崩すのです。
いくらでも集まってくる人数で、ヘルメットや棍棒を用意して、戦闘態勢に入ったのですか?常時暴力部隊の出動がready状態になっているのでは、暴力団といわれて当然ですね。
> いつからコスポリ氏は猛獣さんの多国籍軍に編入されたのでしょうか。
なぜ、大阪さんはマルクス主義の教義の議論をそのように恐れるのでしょうか。マルクス主義のもっとも基本的なテキストである「共産党宣言」には、
| 共産主義者は、これまでのすべての社会秩序を暴力的にくつがえしてのみ、自分たちの目的が達成できることを公然と宣言する。
とあります。毛沢東は1940年に書いた「新民主主義論」で「中国革命は世界革命の一部分である」と定義しています。暴力革命、世界革命といった考え方は、大阪さんがひどく恐怖しているように見える過激な赤軍派の発明品ではありません。ほんの数十年前までは、日本共産党自身の信条でもあったはずです。
暴力革命や世界革命を目指す運動の中で、悲しむべき事件がおきたことは事実ですが、これらの考え方を放棄して、なおかつ「共産党」を名のりつづけることは自己矛盾です。
> どのような人権とか民主主義でありましょうか。日本人民の主権を踏みにじる中国人の身勝手な人権と中国人の中国人による中国人のための民主主義でありましょうか。
人権や民主主義にもいろいろな種類があるということでしょうか。日本人のための人権や民主主義は、在日外国人のためのものではなく、在日外国人のための人権や民主主義は日本国民のためのものではないと。
人権や民主主義がこのように普遍的な意味を持たないのならば、立場のちがう人にそのような原理を強要する意味は皆無でしょう。
> > 双方が判決になるのを回避したから和解になったわけです。
> > おや、双方が回避した、ということをやっとお認めになりました。このBBSの書き込みでは、これまであまりこの認識が見られず、しきりに「中国の財産をとりあげた」だとか、「友好協会は1つだけを認めた」とか言っていたが。
5つの立ち退き請求理由のうちの最初のひとつだけを「友好協会」が認めたというのは、私の解釈です。別の解釈もあるかもしれません。「専ら自己の使用のために」という文言の意味が分かりにくいと思ったので、強めの解釈をかいたのですが、ちょっと厳密でなかったかもしれません。
> > あっさりと認めてくれるのには驚きました。
> > 仮定の話であります。それからその核心は中国政府は自己の手先をそんなに人権や人命として擁護しない、ということに力点を置いた表現でありまして、歴史はまさにそのように推移しています。1960年代に日本共産党が政権にあったれば、という仮定で、その政権に抑圧される私、という猛獣さんのおそろしく非現実的な仮定の中の話ね。
権力を取った日本共産党は個人を粗雑な裁判で、政策的に罪に陥れるようなことをするかもしれないという風に解釈できます。
[599] Re^4:576 投稿者:大阪の人 投稿日:02/08/07(Wed) 15:06
> うふん、私は大阪さんのように、最初から決まった結論をあいてかまわず押し付けようなどという気持ちはさらさらありませんから、れんだいこさんとかコスモポリタンさんが頼りになるとかならないとかそのような判断はしたこともありません。
> どのような情報でも歓迎するし、どのような方向に話が進もうと、妥当と思えるのならばお付き合いする気はあります。
「最初から決まった結論をあいてかまわず押し付け」ているのは猛獣さんであります。しかもそれを公然と掲げるのではなく寺尾氏仕込みのいかにも公平で客観的な記述ででもあるかのごとくに表現しているだけです。当方は「仕方ないな」と思いつつ一方的な議論に反論しているのです。HP主催者がこうした態度ではいけませんな。
> > このBBSの議論の中だけでも、「林彪の作戦」だとか「朝鮮南と北」だとか「朝鮮問題入門」だとか、数冊御紹介申し上げたはずでありますが、それらは【なかった事】にして、「だけです」と居直るわけですか。あきれた。
>
> 大阪さんの資料の収集の姿勢には大いに疑問を感じます。何らかの理由である人物の発言や分析を否定したいときに、その人物の経歴を調べ、その人物の欠点を鵜の目鷹の目で探し回って、何か見つかれば鬼の首を取ったように指摘するのは、品性下劣に思えます。寺尾氏は、幕末の志士に関する著作などもあるようですが、これらはお読みになったのでしょうか。実際のところ、大阪さんはここで上げている著書を自分で読んだのですか、それともまたぎきやまた読みで、寺尾氏の失敗例を探し出してきただけなのでしょうか。
猛獣さんの【疑問】は寺尾氏の擁護のためかと思います。しかし【力のない擁護論】だと指摘させて頂きます。その人物の経歴が伏せられているとしたらそれは公人ではありますまい。また【一冊しか読んでない】にもかかわらず「歴史家」「思想家」だとした【あやうい猛獣さんの態度】に当方としては【疑問】を感じてしまいますな。もしも擁護したければ寺尾氏がどのように朝鮮人帰国問題に関与したのを自己の認識の甘かった点として反省したのかというカ所を見つけてきて擁護論とすべきでありましょう(そんなのあったら見せてくれ)。当方は【甘い認識で帰国運動に関わっている日本共産党の当時の態度】の中で、中央の態度でまだ「生ぬるい」と突出して北賛美を煽り帰国運動を自分一人でリードしたと豪語している寺尾氏を「笛吹き男のチャンピオン」としているわけです。
> 日本共産党はいつから韓国支持になったのか、あるいは韓国に傾倒しているのは個人としての大阪さんだけなのでしょうか。この本は一応読んでみるつもりですが、これも一種のトンデモ本のような印象を感じます。
この人を「韓国支持」と表現するのは【見もしない本を評論する猛獣さんの危うい態度】の典型です。いいかえしすることしか考えてないのではないか。またこの著者と当方のスタンスの違いに関しても、同様にBBSで既に述べています。BBSに出てきて発言するためには、少なくとも自分が主催しているんだからBBSの過去ログを参照してから書いて貰いたいものだ。それとも猛獣文士さんには何人か影武者がいて、ここに今書いているのは何代目かの猛獣文士さんで、担当者が変わったからいちいち公務員の窓口のように最初から説明せねばならないのでありましょうか。
> また、寮生側には気軽に依頼できる弁護士もいなかったでしょう。在日中国人はいくら法律に通じていても、弁護士になる資格はないわけですから。このような状況下では、日本共産党に比べ、寮生側は法廷闘争に通じていなかったのですが、それをもって寮生側のほうが不正だったとすることはできません。大阪さんの主張は、まさに日本人と在日外国人の地位的な差異から生ずる「特権」の上に胡坐をかいた、醜悪な態度です。
「寮生側は差別されていて貧乏で弱者で法律に無知」だから法廷闘争という考え方がなかった、というのでしょうか。そして「差別され、無知であったが故に非合法闘争、とりわけ暴力事件を主導した」という擁護論でしょうかそれなら幾らかは有効な弁護になります。しかしその場合には、以下のような
> なぜ、大阪さんはマルクス主義の教義の議論をそのように恐れるのでしょうか。マルクス主義のもっとも基本的なテキストである「共産党宣言」には、
>
> | 共産主義者は、これまでのすべての社会秩序を暴力的にくつがえしてのみ、自分たちの目的が達成できることを公然と宣言する。
>
> とあります。毛沢東は1940年に書いた「新民主主義論」で「中国革命は世界革命の一部分である」と定義しています。暴力革命、世界革命といった考え方は、大阪さんがひどく恐怖しているように見える過激な赤軍派の発明品ではありません。ほんの数十年前までは、日本共産党自身の信条でもあったはずです。
>
> 暴力革命や世界革命を目指す運動の中で、悲しむべき事件がおきたことは事実ですが、これらの考え方を放棄して、なおかつ「共産党」を名のりつづけることは自己矛盾です。
などという内政干渉や革命の輸出路線を今(21世紀)になって蒸し返して日本に押し付けないで頂きたい、ということであります。無知なら無知だったとして少しは賢くなって下さいよ。(しかし寮生たちはバックに中国政権党が居たわけですから、資金なんて無尽蔵にあったと思います。金さえだせば弁護士ぐらいはいくらでも日本では調達できたと思いますな。とりわけ貿易業界と結んだ生臭い「隠花植物」の皆さんだ。それでも法廷でまともな議論ができなかった。やはり【でるところへでて通じる理屈がなかった】とみるのが妥当でしょう。
> 司法が味方したかどうかは知りませんが、日本共産党が法的な争いにおいて有利な立場にいたことは考えられます。また、実力で占拠している協会事務室を強制力で退去させる手段が理事会にはなかったので、その点でも不利はあったでしょう。
> ここに、華僑総会や寮自治会と会館理事会の立場の差があると思いますが、会館理事会は在日中国人青年及び日本人支援部隊と日本共産党の動員部隊との暴力的な対峙には直接関与していなかったと思います。
理事会の立場ですが、友好協会を脱走した文革派が居ます。中島けんぞう氏などはその典型。ただ嘘を突き通しシラをきり通し、法廷を維持するのが不可能になったか、あるいは(正統)日中自体が宮崎派と黒田派に分裂しているもとで(紅衛兵もどきの偏狭なセクト同士ですから大筋の合意というのが続かない)内訌で訴訟指揮が不能になった、あるいはそれに雇った弁護士側が嫌気がさした、という気もします。
> また、議論の対象がどのような方向に派生しようとも、それが本来のテーマの解明に役に立つという可能性が少しでもあれば、その方向の議論を論題ゆえに中断することはしたくないと思います。
> このようなBBSにおける議論は、公式な影響力が大きいとも思えないのだから、その分、自由な議論ができるというものです。義務ではないのだから結論を急ぐ必要はありません。
> 5つの立ち退き請求理由のうちの最初のひとつだけを「友好協会」が認めたというのは、私の解釈です。別の解釈もあるかもしれません。「専ら自己の使用のために」という文言の意味が分かりにくいと思ったので、強めの解釈をかいたのですが、ちょっと厳密でなかったかもしれません。
> 権力を取った日本共産党は個人を粗雑な裁判で、政策的に罪に陥れるようなことをするかもしれないという風に解釈できます。
可能性はあらゆる方面にあると思います。全的に未来にばら色を保証をするつもりはありません。しかしプロレタリア文化大革命のような三角帽子や首看板、ジェット機式腕ねじりあげ、つば吐き、赤い本を振りかざしてあらゆる仕事に差し障り発生、忠字舞、個人崇拝、奪権などは是非とも勘弁願いたいものであり、そのために路線を見直してきたのが日本共産党の30数年ではないかと思います。「永遠に変色しない赤い赤い暴力独裁共産主義」の猛獣さん。こうしたドグマを日本党が捨てるということは、とりもなおさず未来の日本を真剣に考えるからであります。あなたのご心配はやはりねじまがっている。前回は「自分は中国公民だ」という意識と「日本の法制度に口をだす態度」との間のねじれを指摘しましたが今回は「暴力独裁個人崇拝革命の輸出万歳の自称共産主義」という意識と「権力を握った日本共産党は何をするか怖い」などというブルジョア的な感覚とのねじれであります。私は前者をまだ「変色せず」に保ち続けつつ後者をいいたてる猛獣さんの【身勝手】な感覚がおかしいと思います。これは日本の保守層が中国を攻撃する際の手法とあなたとが合わせ鏡のように相似していることをご指摘もうしあげます。
[606] へらへらしてないよ 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/08(Thu) 20:52
大阪さん、
こんばんは
私はへらへらしてませんよ。失礼だな。
> 猛獣さんの【疑問】は寺尾氏の擁護のためかと思います。しかし【力のない擁護論】だと指摘させて頂きます。その人物の経歴が伏せられているとしたらそれは公人ではありますまい。また【一冊しか読んでない】にもかかわらず「歴史家」「思想家」だとした【あやうい猛獣さんの態度】に当方としては【疑問】を感じてしまいますな。もしも擁護したければ寺尾氏がどのように朝鮮人帰国問題に関与したのを自己の認識の甘かった点として反省したのかというカ所を見つけてきて擁護論とすべきでありましょう(そんなのあったら見せてくれ)。当方は【甘い認識で帰国運動に関わっている日本共産党の当時の態度】の中で、中央の態度でまだ「生ぬるい」と突出して北賛美を煽り帰国運動を自分一人でリードしたと豪語している寺尾氏を「笛吹き男のチャンピオン」としているわけです。
寺尾氏の経歴をしらべてあれこれいうということでの問題は、私が寺尾氏を擁護しているかどうかという問題ではありません。分かりにくいかもしれないので、二つの問題に整理します。
1.何を言ったのかでなく、だれが言ったかを問題にする体質
何が言ったかをみないで、あるいはそれをみて立派なことが書いてあったとしても、だれが言ったかによって
無視したりするのは、よくあることですが大変悪い習慣だと思います。進歩的なはずの共産党の人々が、この
ような態度をとることが多いのはなぜでしょう。ところで、このような態度は代々木の人だけでなく新左翼系の
人にも共通している場合があります。
2.大阪さんのような「日本国民」主義者が、在日朝鮮人を代弁することができるのかどうかという疑問
在日朝鮮人の境遇についておよそ理解をしていないと思える大阪の人さんが、なぜ在日朝鮮人の代弁をこの
ようなときにする気になったのでしょうか。これまでの大阪の人さんの「超国家主義的」なさまざまな発言、
在日朝鮮人や中国人の特殊性をのっぺりと忘れているような「日本国民主権論」、日本の戦争責任の現在的な
意味に対するあっけらかんとした否定などからみて、大阪さんが在日朝鮮人の代弁するというのは不自然です。
> この人を「韓国支持」と表現するのは【見もしない本を評論する猛獣さんの危うい態度】の典型です。いいかえしすることしか考えてないのではないか。またこの著者と当方のスタンスの違いに関しても、同様にBBSで既に述べています。BBSに出てきて発言するためには、少なくとも自分が主催しているんだからBBSの過去ログを参照してから書いて貰いたいものだ。それとも猛獣文士さんには何人か影武者がいて、ここに今書いているのは何代目かの猛獣文士さんで、担当者が変わったからいちいち公務員の窓口のように最初から説明せねばならないのでありましょうか。
この本は韓国支持ではないということですか。しかし、大阪の人さんはこれまで、朝鮮戦争について、韓国の主張にもとづいて毛沢東を悪人扱いしたり、金賢姫と韓国国民を例にだしてよく分からない対比をしたりで、韓国ファンであることは歴然としているように見えます。
この本をわざわざ探し出してきて推薦していることも、朝鮮民主主義共和国の否定的な面を探し出しては、鬼首でふれまわっているように見えるのですが。
> 「寮生側は差別されていて貧乏で弱者で法律に無知」だから法廷闘争という考え方がなかった、というのでしょうか。そして「差別され、無知であったが故に非合法闘争、とりわけ暴力事件を主導した」という擁護論でしょうかそれなら幾らかは有効な弁護になります。しかしその場合には、以下のような
【寮生は差別されていて】
確かに差別されていたし、いまでも差別はあると思います。
【貧乏で】
貧乏だったかどうかは、個人差がありますから一概には言えません。金持ちの華僑もいたでしょう。どの程度の人を金持ちというかにもよりますが。
【弱者で】
弱者ではあったでしょう。日本共産党と対比しても、弱者であったでしょう。
【法律に無知】
法律が自分たちの問題を解決しないことを知っているとすれば、それは法律に無知とはいえないでしょう。大阪の人さんも何度も発言していますが、日本におけるさまざまな権利は日本国民の権利であり、在日外国人の権利ではないという意識が、日本に蔓延しています。法律上でそのような意識が正当化されている部分も少なくありません。
> などという内政干渉や革命の輸出路線を今(21世紀)になって蒸し返して日本に押し付けないで頂きたい、ということであります。
共産党宣言の一文をあげると、内政干渉で21世紀では通用しないというわけでしょうか。数十年も前のことですが、アメリカで「アメリカ独立宣言」をビラに印刷して配ってみたら、「このアカめ」と脅かされたという記事を読んだことがありましたが、まさに同じ現象でしょうか。
> 無知なら無知だったとして少しは賢くなって下さいよ。
他人のことを理由を言わずに無知だとか言って、大事なお話をはぐらかしているのではないですか。
> (しかし寮生たちはバックに中国政権党が居たわけですから、資金なんて無尽蔵にあったと思います。金さえだせば弁護士ぐらいはいくらでも日本では調達できたと思いますな。とりわけ貿易業界と結んだ生臭い「隠花植物」の皆さんだ。それでも法廷でまともな議論ができなかった。やはり【でるところへでて通じる理屈がなかった】とみるのが妥当でしょう。
これは大阪さんのげすなかんぐりというものです。日本の裁判所がそんなにすばらしい制度を保証しているとノー天気に考えているのならば、どうしようもないですね。
> 理事会の立場ですが、友好協会を脱走した文革派が居ます。中島けんぞう氏などはその典型。
日本共産党は、自分の意に沿わない人にかってにレッテルを貼り付けて、反共だの何だのというので、この様な話は眉につばを付けないと聞けません。
> ただ嘘を突き通しシラをきり通し、法廷を維持するのが不可能になったか、あるいは(正統)日中自体が宮崎派と黒田派に分裂しているもとで(紅衛兵もどきの偏狭なセクト同士ですから大筋の合意というのが続かない)内訌で訴訟指揮が不能になった、あるいはそれに雇った弁護士側が嫌気がさした、という気もします。
裁判の主体が日中友好協会(正統)ならばの推論です。
> > 権力を取った日本共産党は個人を粗雑な裁判で、政策的に罪に陥れるようなことをするかもしれないという風に解釈できます。
> > 可能性はあらゆる方面にあると思います。全的に未来にばら色を保証をするつもりはありません。
どうもこの部分、いつもの大阪さんらしくない、なんとなく歯切れの悪いお答えです。大阪さんでも、日本共産党は民主主義のチャンピョンだなどと無邪気に信じているだけではないということなのでしょうか。
> これは日本の保守層が中国を攻撃する際の手法とあなたとが合わせ鏡のように相似していることをご指摘もうしあげます。
何も攻撃していませんよ。あのようなビラの記事ひとつで、大変、重要なことを立証したと宣言しても何の異論も出ないとしたら、冤罪などいくらでもでっち上げられるということは、反語としていっているのであり、当然、はるかにもっともらしい証拠をだしてくるか、襲撃計画の宣伝は引っ込めるかどちらかをしてくれるだろうと期待したまでです。
れんだいこさん、
ホームページ拝見しました。今度、リンク集を修正して、れんだいこさんのサイトを追加しておきます。
[608] Re: へらへらしてないよ 投稿者:大阪の人 投稿日:02/08/09(Fri) 09:29
猛獣さんこんにちわ
> 私はへらへらしてませんよ。失礼だな。
まだこんな事を書いている
> 寺尾氏の経歴をしらべてあれこれいうということでの問題は、私が寺尾氏を擁護しているかどうかという問題ではありません。分かりにくいかもしれないので、二つの問題に整理します。
へらへらしているとする典型がここにあります。まだ寺尾氏の他の本はお読みになってない。それでも「へらへら」というフレーズにだけ反応してこんなにダラダラ書いてよこす。
> 1.何を言ったのかでなく、だれが言ったかを問題にする体質
> 2.大阪さんのような「日本国民」主義者が、在日朝鮮人を代弁
在日朝鮮人の代弁するというのは不自然です。
もっと【読んでから】言い返しするのが適切かどうか考えるのに適当だったのではないかな。寺尾五郎氏こそが韓国朝鮮人の立場をさも代弁しているかに書いているのです。私はそういう立場を単に否定しているだけ。
> > この人を「韓国支持」と表現するのは【見もしない本を評論する猛獣さんの危うい態度】の典型です。
> この本は韓国支持ではないということですか。しかし、
> この本をわざわざ探し出してきて推薦していることも、朝鮮民主主義共和国の否定的な面を探し出しては、鬼首でふれまわっているように見えるのですが。
ほんにへらへらだな。猛獣さんよ。【見もせず】いいかえし。口先男猛獣さんよ。
> > 「寮生側は差別されていて貧乏で弱者で法律に無知」だから法廷闘争という考え方がなかった、というのでしょうか。そして「差別され、無知であったが故に非合法闘争、とりわけ暴力事件を主導した」という擁護論でしょうかそれなら幾らかは有効な弁護になります。しかしその場合には、以下のような
> > (しかし寮生たちはバックに中国政権党が居たわけですから、資金なんて無尽蔵にあったと思います。金さえだせば弁護士ぐらいはいくらでも日本では調達できたと思いますな。とりわけ貿易業界と結んだ生臭い「隠花植物」の皆さんだ。それでも法廷でまともな議論ができなかった。やはり【でるところへでて通じる理屈がなかった】とみるのが妥当でしょう。
> これは大阪さんのげすなかんぐりというものです。日本の裁判所がそんなにすばらしい制度を保証しているとノー天気に考えているのならば、どうしようもないですね。
裁判所や制度が「すばらしく」なくても裁判所制度はブルジョア制度だから金さえ掛ければ一定金欲しさにちゃんとした弁護士ぐらいはつくものです。言い返しだけをこととした無意味な発言はもううんざり。
> > > 権力を取った日本共産党は個人を粗雑な裁判で、政策的に罪に陥れるようなことをするかもしれないという風に解釈できます。
> > > 可能性はあらゆる方面にあると思います。全的に未来にばら色を保証をするつもりはありません。
>
> どうもこの部分、いつもの大阪さんらしくない、なんとなく歯切れの悪いお答えです。大阪さんでも、日本共産党は民主主義のチャンピョンだなどと無邪気に信じているだけではないということなのでしょうか。
内政干渉が止む事が肝心であります。1)政権党たる中国共産党はやめると言明しましたが、2)猛獣文士さんをはじめ東京華僑総会(北京派)の一定の指導部はこれに面従腹背的にローカルに抵抗していた。3)98年合意も周知せず、2000年の友好協会側の訪問も公表せず、4)一定は上(中央対外連絡部やアジア二局)の言うこと(公式訪問受け入れ)などは従うふりはするが5)「従った」という事実は下(機関誌の読者)には周知徹底しない態度だった。そして猛獣文士さんにこんなHPを作らせた。こうした態度(2〜5)をだんだん中国共産党中央の態度が簡単に覆りそうもないと見て路線修正して取り下げしつつある、ということではないかと当方は見ています。上に政策下に対策のお国柄でしょうから。
世の中未来を何もかもばら色に描くやつはまゆにつばつけて見ないとね。寺尾五郎氏なんかばら色笛吹き男だったし。
> 何も攻撃していませんよ。もっともらしい証拠をだしてくるか、襲撃計画の宣伝は引っ込めるかどちらかをしてくれるだろうと期待したまでです。
襲撃計画の宣伝は一部華僑をはじめとした反共オールスターズ(文革対日干渉チームの手先)がしたことでありそのプロパガンダに対する証拠を突きつけた批判です。
それにしても「本は」というから紹介してやったのに、読みもしないというのはバカにした態度ですな。
[615] ご推薦の「朝鮮総連と収容所共和国」は読んだよ 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/10(Sat) 14:15
大阪さん、こんにちは
れんだいこさんは、大阪さんが議論につまって逃亡するといっていますが、どうでしょうか
> もっと【読んでから】言い返しするのが適切かどうか考えるのに適当だったのではないかな。寺尾五郎氏こそが韓国朝鮮人の立場をさも代弁しているかに書いているのです。私はそういう立場を単に否定しているだけ。
ご推薦の本は読みましたよ。確かに、寺尾氏の名前が二箇所出てきました。
そこで、大阪さんのいいたいことが分からないのですが、この本のあの二箇所における寺尾氏の名前によって、寺尾氏の「日中不戦の思想」の分析を無効にしたいということでしょうか。
ご推薦の本は、善隣学生会館事件とは直接の関係のない本ですね。それとも、金日成の責任を華僑の寮生が負わなければならないということでしょうか。
> > 何も攻撃していませんよ。もっともらしい証拠をだしてくるか、襲撃計画の宣伝は引っ込めるかどちらかをしてくれるだろうと期待したまでです。
> > 襲撃計画の宣伝は一部華僑をはじめとした反共オールスターズ(文革対日干渉チームの手先)がしたことでありそのプロパガンダに対する証拠を突きつけた批判です。
| 一方、日中友好協会からの脱走分子のなかに、「紅衛兵」そのままの「造反団」と称する組織ができ、「造反
| 団ニュース」というのを発行しはじめました。そこでは、宮崎、三好ら日中友好協会脱走分子の幹部を「実権
| 派」だと非難し、その理由として「善隣学生会館内の日中友好協会本部を放棄した」ということをあげていま
| す。こうして三好らをつきあげ、すでに一ヶ月も前から「在日華僑青年は同会館をとりもどすために立ち上がっ
| ている。きみたちはなにをしているか。大胆に奪還闘争の先頭に立て」(「造反団ニュース」第一号)と、
| 事務所「奪還闘争」を扇動しています。
|
| これをみれば、ただ従来通り正常に仕事を続けたいという日中友好協会にたいして、在日華僑学生や脱走分子ら
| が早くから「たたきだせ」「奪還闘争」を準備してきたことは一目りょう然です。(3月7日赤旗)
| (1) 社会党指導部は、わが党が一連の「壁新聞」や文書の写真(写真@)をしめしてあぎらかにしてきた
| ように、在日華僑学生や日中友好協会の脱走分子が、事件のおこる何ヵ月も前から、日中友好協会本部を善隣
| 学生会館からおいだす「奪還闘争」を公然と呼号してきた事実を、事実としていったいみとめるのか、みとめ
| ないのか。これは、この事件が、華僑学生らによってあらかじめ計画され準備された襲撃事件であることを、
| 具体的に裏書きするものではないのか、どうか。(7月11日赤旗)
| こうした状況のもとにある善隣学生会館の華僑学生たちが1ヵ月半もまえから、つまり入試準備にもっとも
| 忙しかった1月半ばから計画的襲撃を準備していたなどと伝えるのは、善隣学生会館の華僑学生の実態につい
| ての全くの無知か作為によるものとしか思われない。『赤旗』紙のばあいは明らかに後者であろう。(光岡玄
| 「善隣学生会館流血事件の意味するもの」)
日本共産党側の資料で「1月半ばから計画的襲撃を準備していたなどと伝える」記事は、こんなものなのでしょうか。もう少し、検索しみましょう。
[600] Re大阪の人さんの左派的資質を疑う 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/07(Wed) 23:50 <URL>
大阪の人さんちわぁ。少しお付き合いを。
> などという内政干渉や革命の輸出路線を今(21世紀)になって蒸し返して日本に押し付けないで頂きたい、ということであります。
ここですが、れんだいこもくどいほど申しておりますように、宮顕の当局内通派としての正体を知れば、中共が修正主義だと規定したり、宮顕式日共理論に騙されてはいけないと警告するのは、そんなに悪いことのように思えませんがね。毛沢東は、建国後の経済建設指導に失敗したことや晩年カリスマ化したことにより評価を下げておりますが、建国過程での厳しい革命闘争を勝利的に指導した第一人者であることは疑いないでせう(道中問題が無い訳では有りませんが)。
そういう革命家である毛沢東や周恩来からすれば、宮顕がとてつもなく胡散臭く、共産党の指導者としては全く異筋の人物であると警告していたのであって、それは有り得てよいことのように思いますが、このれんだいこ見解如何でせうか。
> 可能性はあらゆる方面にあると思います。全的に未来にばら色を保証をするつもりはありません。しかしプロレタリア文化大革命のような三角帽子や首看板、ジェット機式腕ねじりあげ、つば吐き、赤い本を振りかざしてあらゆる仕事に差し障り発生、忠字舞、個人崇拝、奪権などは是非とも勘弁願いたいものであり、そのために路線を見直してきたのが日本共産党の30数年ではないかと思います。
ここも勝手な理屈ですね。なるほど文化大革命での遣り過ぎと混乱が今日知らされており、そういうことまで是認する必要はありませんが、「そのために路線を見直してきたのが日本共産党の30数年ではないかと思います」というのは美化し過ぎでせう。大阪の人さんの認識に拠れば、その後日共は着実に党勢を伸ばし、「70年代の遅くない時期に民主連合政府の樹立」はならなかったけれども、「21世紀の早いうちに民主連合政府の樹立」はできそうだとお考えですか。不破は、資本主義の利潤の分配式をもう少し労働側に廻るよう夢見てそう働きかけるのを余生の政治活動にしたいようですが、そういう路線が素晴らしいですか。どういう返答が為されるのか面白いから聞かせてください。
> これは日本の保守層が中国を攻撃する際の手法とあなたとが合わせ鏡のように相似していることをご指摘もうしあげます。
れんだいこは、日本の支配層が説教するお話とあなたのお説が何から何まで合わせ鏡のように相似していることをご指摘もうしあげます。マジどう見ても聞いても、大阪の人さんは日共の方でも無いような気が致します。通常の感性なら宮顕系の遣り口を許しがたいとするところ、そういうやり口だから宮顕系を支持するという何というか当局者の方であるような。観点がそれほどひどいという意味ですが、どういう経路によってか分かりませんが実際根っからマルクス主義を嫌悪しているのではありませんか。
[603] Re: Re大阪の人さんの左派的資質を疑う 投稿者:大阪の人 投稿日:02/08/08(Thu) 12:46
れんだいこさん。本格的な【実際】の議論に踏み込みもせずに、よくもいくつもここに書き込みができるものだと感心することしきりであります。
「左派的資質」ですか、そうした左派界という世界があるのでしょうか。略してサハコー(たしかポルポト派の強制兵営式”コミューン”の名だったはず)ではどうでしょうか。私はそのような狭い「おしゃべりサロン」で「名誉」を受けたくないし、左派的資質などよりも、ここの問題の本質に迫る肝心かなめの資質は1)内政不干渉の原則の承認であり、2)負傷者や犠牲者をなるべくでないように問題を対処する知恵を承認することであり、3)事実を直視する事であります。
あなたはもしかしたら先にお伝えした元天理高校野球部監督で奈良のどこかの市議をしている(たしか清水さんとか言ったかな)あの人の議論を見つけて、あるいは実際にあって、あなたの疑問をぶつけてみてはいかがでしょうか。少なくとも相手はあなたと宗教上の土台では共通であり、対話の相手として不足はなかろうと思いますし、猛獣さんのように(氏は自身は共産主義者ではない、という事を、あれだけ国際共産主義に関して当方に説教しつつではありますが、つねづね告白しています)外国人ではないので、未来の「れんだいこ党」の一票になるか、れんだいこさんが日本共産党の熱烈ファンになるか、いずれにせよその方が生産的ではないかと思う次第であります。
[604] Re^2: Re大阪の人さんの左派的資質を疑う 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/08(Thu) 13:52 <URL>
大阪の人さんちわぁ。
> れんだいこさん。本格的な【実際】の議論に踏み込みもせずに、よくもいくつもここに書き込みができるものだと感心することしきりであります。
大阪の人さんが云われる『本格的な【実際】の議論』の中身はどんなことでせうか。具体的に教えてくだされば参戦いたします。曖昧に云われると云い勝ちなんですよね。
> 私はそのような狭い「おしゃべりサロン」で「名誉」を受けたくないし、左派的資質などよりも、ここの問題の本質に迫る肝心かなめの資質は1)内政不干渉の原則の承認であり、2)負傷者や犠牲者をなるべくでないように問題を対処する知恵を承認することであり、3)事実を直視する事であります。
この「おしゃべりサロン」というもの云いで相手をやり込めるのも宮顕直伝の話法ですよね。大阪の人さんがこの汚染から抜け出せるようになるのはいつの日なのでせう、楽しみにしたりご心配申し上げております。
肝心かなめな事として1)内政不干渉の原則の承認であり、とされておりますが、今はもう叶えられませんが、各国の共産党がベトナム反戦とか国際的な運動を廻って、あるいは各国の党の政策のを廻って、俎上に乗せ検証しあうことはむしろ必要なことで、『内政不干渉』というのはむしろ邪道ではないでせうか。一体、国際主義という観点の中には、そういう議論を当然に為すべきだという意味が含まれているのではないでせうか。2)、3)は当たり前すぎて愚問でせう。
国際共産主義運動に一元的あるいは二元的指導部を作る必要はありません(史実はそのようになりましたが)。が、先行して革命に勝利した国の共産党から成功事例として教訓を学ぶことは、ごく自然に必要なことではないでせうか。そういう党からアドバイスを受けることも、例えば日共の政策を検討して貰う事も決して悪いことではないでせう。そういうのを『干渉』と云う必要がどこにありませう。当然逆に、いくら先輩格の党だからといっても、日共からソ共、中共の政策とか運動の進め方に意見を具申することも認められるべきでそう。
問題は、日本革命の展望に於いて、ソ共はソ共なりに中共は中共なりに西欧の諸党もそれなりにアドバイス的見解を出したとしても、それをいかに判断し実際にどう取り組むかは最終的には党大会で日共が自主独立的に為すことであって、強制指導される必要は無い。しかしこのことと、『内政不干渉』という美名で何らのコメントもさせない、というのとでは作法に雲泥の差があるでせう。
> あなたはもしかしたら先にお伝えした元天理高校野球部監督で奈良のどこかの市議をしている(たしか清水さんとか言ったかな)あの人の議論を見つけて、あるいは実際にあって、あなたの疑問をぶつけてみてはいかがでしょうか。少なくとも相手はあなたと宗教上の土台では共通であり、対話の相手として不足はなかろうと思います。
> れんだいこさんが日本共産党の熱烈ファンになるか、
どちらもピンぼけな設問です。それよりも、大阪の人さんにはいくつか質問させてもらっているのですが、なぜかお答えがいただけない。結構皆さんも興味深いところをお尋ねしているのですがねぇ、例えば直近では民主連合政府樹立の話はどうなりましたか、あれはまだ有効ですかとお尋ねしております。もったいぶらずに、私はこう考えておると自説をご開陳されれば宜しいですのに。
あっそれはそうと私のサイトの論文集に『善隣学生会館事件』をアップさせていただきました。ご確認のほどをお願い申し上げます。それともう一つ、この掲示板での遣り取りも私のサイトに収容することご了承お願い申し上げます。世のため人のため後世の為に何とぞ胸襟をお開き下さいますよう併せてお願い申し上げます。一応確認しておかないとね。
[607] 「内政干渉」の定義を明らかにして下さい 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/08/09(Fri) 08:25
> > れんだいこさん。本格的な【実際】の議論に踏み込みもせずに、よくもいくつもここに書き込みができるものだと感心することしきりであります。
> 大阪の人さんが云われる『本格的な【実際】の議論』の中身はどんなことでせうか。具体的に教えてくだされば参戦いたします。曖昧に云われると云い勝ちなんですよね。
要するに、自分が避けたい議論は『本格的な【実際】の議論』でなく『おしゃべりさろん』いということでしょう(嘲)
> 肝心かなめな事として1)内政不干渉の原則の承認であり、とされておりますが、今はもう叶えられませんが、各国の共産党がベトナム反戦とか国際的な運動を廻って、あるいは各国の党の政策のを廻って、俎上に乗せ検証しあうことはむしろ必要なことで、『内政不干渉』というのはむしろ邪道ではないでせうか。一体、国際主義という観点の中には、そういう議論を当然に為すべきだという意味が含まれているのではないでせうか。2)、3)は当たり前すぎて愚問でせう。
そもそも、日本共産党(日帝協賛党)は、いつ「内政不干渉の原則」なるものを承認したのでしょうか。
戦前の日本共産党は、「国際共産党日本支部日本共産党」と名乗っていた通り、国際政党の一支部であって、それ自体が「内政干渉の道具」でした。(私がそう主張しているというわけではなく、「大阪の人」の論理を適用するとそうなるというわけ)日本共産党は、「内政干渉の道具」であった戦前の歴史を反省することもなく、「戦前からの一貫した歴史」を誇り続けていますが、この点に関して「大阪の人」は回答不能に陥って逃げ回るばかりであります。わっはっは。
1960年代の日本共産党と中国共産党の対立にしても、日本共産党は「国際共産主義運動における内部問題不干渉の原則」を主張して、中国共産党のこれへの違反を非難していますが、国家関係の概念である「内政不干渉の原則」なるものには言及していません。内政不干渉の原則は国家間に属することであるから、中国共産党が日本共産党に何をしようと、「内政干渉」などになりようがないのです。
ここで、「大阪の人」は、珍しく自己解釈を披露しました。(代々木の主張をオウム返しにするしか能のない「大阪の人」が、代々木の言っていないことを自主的に考えて主張したのはこれが唯一でしょう。)
いわく「中国共産党は一党支配の政党であって中国国家と一体だから、中国共産党の日本共産党への干渉は日本人の主権を侵害した。」と。なるほど、これなら言っていることの意味はわかります。しかし、この主張は日本共産党の首を絞めることになります。
中国共産党はすなわち中国国家である、という現状は1967年以前、日本共産党と蜜月関係にあった時代でもそうでしょう。とすれば、「兄弟党」である中国共産党と「かたく団結し、お互いに支持しあって」(60年モスクワ宣言)いた日本共産党は、まさに中国共産党の対日干渉の手先ということになるではありませんか。日本共産党は、日本政府の承認していない国家と「かたく団結し、お互いに支持しあって」、兄弟の契りを結んでいたのです。これが対日内政干渉でなくて何でしょうか。
代々木機関紙は、中国共産党の「人民戦争の勝利万歳」などという、世界暴力革命を鼓舞した文献も翻訳して機関紙に載せているのですから、どう見ても「中国の手先」でしょう。
そもそも、「国際共産主義運動」という概念自体が、「内政干渉」にほかならないわけでしょう。異なる国の政党が、国家の枠組を越えて「共通の路線」のもとに団結するということ自体が、ブルジョア的な国家主権論とは相容れないものであって、「内政干渉」を否定するのなら国際共産主義運動を否定しなければならなくなるのです.
ところで、「大阪の人」が使っている図書館には「日本共産党国際問題重要論文集」がないのでしょうか。いつになったら宿題に回答してくれるのかなあ。
> 国際共産主義運動に一元的あるいは二元的指導部を作る必要はありません(史実はそのようになりましたが)。が、先行して革命に勝利した国の共産党から成功事例として教訓を学ぶことは、ごく自然に必要なことではないでせうか。そういう党からアドバイスを受けることも、例えば日共の政策を検討して貰う事も決して悪いことではないでせう。そういうのを『干渉』と云う必要がどこにありませう。当然逆に、いくら先輩格の党だからといっても、日共からソ共、中共の政策とか運動の進め方に意見を具申することも認められるべきでそう。
国際共産主義運動には単一の指導部が不可欠です。それぞれの国で勝手な行動が許されるのなら、第二インターのように各国の党が自主独立の立場の参戦を支持することになるでしょう。国際共産主義運動というからには、全世界的な単一組織でなければならないのです。これは1914年から1919年にかけての革命派の主張(たとえばレーニン)を見れば明らかでしょう。
[609] Re: 「内政干渉」の定義を明らかにして下さい 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/09(Fri) 09:35
> 国際共産主義運動には単一の指導部が不可欠です。それぞれの国で勝手な行動が許されるのなら、第二インターのように各国の党が自主独立の立場の参戦を支持することになるでしょう。国際共産主義運動というからには、全世界的な単一組織でなければならないのです。これは1914年から1919年にかけての革命派の主張(たとえばレーニン)を見れば明らかでしょう。
教義の問題もあるでしょうが、実際問題として、コミンテルンなどが一元指導した場合に、そのために各国の運動が失敗したという経験があることも事実と思います。たとえば、日本共産党の50年問題。あるいは、中国革命が成功したのは、毛沢東がコミンテルンの指導にさからって農村根拠地を作り、その毛沢東の指導的な地位か確立したからだという経過もあります。
立花隆の日本共産党の研究のどこだか忘れましたが、
情報量が少なくまた不正確で(コミンテルン指導部と日本共産党の情報伝達手段は、人間の飛脚便によっていたが、日本共産党側からの報告は人数の水増しなど不正確なものであった)、情報伝達がものすごく遅い状況で、中央が一元支配している状態では、日本共産党の失敗はほぼ保証されていたようなものだった
というようなことを書いています。
[620] Re^2: 「内政干渉」の定義を明らかにして下さい 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/08/11(Sun) 11:55
> 教義の問題もあるでしょうが、実際問題として、コミンテルンなどが一元指導した場合に、そのために各国の運動が失敗したという経験があることも事実と思います。たとえば、日本共産党の50年問題。あるいは、中国革命が成功したのは、毛沢東がコミンテルンの指導にさからって農村根拠地を作り、その毛沢東の指導的な地位か確立したからだという経過もあります。
「日本共産党の50年問題」ですが、おそらくコミンフォルムによる介入のことを言っているのでしょうが(コミンテルンは1943年に解散)、日本共産党はコミンフォルムに加盟していません。いわゆる「50年問題」における分裂そのものは、コミンフォルム批判とは直接関係ありません。国際組織の問題というより日本共産党(独立した組織)が外部からの批判をどう受け止めるかの問題、また日本共産党の党内体制の問題でありました。
中国革命におけるコミンテルンの指導の問題ですが、「国際組織による誤った路線」と「国際組織という存在そのもの」は別次元の問題です。たとえば、日本共産党の路線が誤っていれば、党大会を開いて路線転換を目指すべきで、「党の路線が間違っているから地方組織は独立して活動しよう」というのは筋違いというものです。
中国革命において、コミンテルンは有益な役割を果たしていませんが、これは「誤った路線」の問題であって、「国際組織だからいけない」というのは筋違いの議論です。
1921年の中国共産党第1回大会では、圧倒的多数が国民党への加盟を拒否しましたが、コミンテルンの誤った指導により国民党への加盟方針に転換させられました。コミンテルンの路線がソ連の外交に引き回されるのはこの時にはすでに始まっていたようです。(トルコでも、ソ連は共産党員を虐殺していたケマル政権と同盟し、トルコの共産党員を見捨てたと非難されたようなこともありました。現実政治の世界にあるソ連外交と、革命の世界組織であるコミンテルンの間でアツレキは避けられないものでしょう。)中国国民党への屈伏路線は深刻化し、1925年には同党をコミンテルンの友好組織とすることさえ行なわれました。(トロツキーは反対。)その後、トロツキーなどの反対派は中国に革命情勢が迫っていること、国民党を脱退して革命に備えなくてはならないことを訴えましたが、反対派弾圧の中で多数を得ることはできず、わずかにモスクワの留学生(孫逸仙大学)を獲得したにとどまりました。(陳独秀などの中国共産党指導者が反対派による批判を知るのは革命敗北後。)
> 立花隆の日本共産党の研究のどこだか忘れましたが、
> > 情報量が少なくまた不正確で(コミンテルン指導部と日本共産党の情報伝達手段は、人間の飛脚便によっていたが、日本共産党側からの報告は人数の水増しなど不正確なものであった)、情報伝達がものすごく遅い状況で、中央が一元支配している状態では、日本共産党の失敗はほぼ保証されていたようなものだった
> > というようなことを書いています。
これは具体的な組織運営の問題であって、組織原則にかかわることではないわけです。
仮に日本共産党某県委員会がある方針を決定したとしましょう。その後、某県の事情に疎い中央幹部がその路線を覆し、別の方針を押しつけました。中央の方針は誤りであり、もとの方針がただしかったことがわかりました。この場合、なぜ某県の事情に疎い幹部が、地元の意見をよく聞かないで路線を転換させたのか、またそういうことがなぜ党内で通ってしまったのか、ということが問題であって、「中央から独立して活動しよう」ということになならないでしょう。
一国社会主義論を否定し、世界革命を志向する限り、世界単一党の必要性は明らかです。統一した方針と組織がなくて、どうやって世界革命をやるのか。具体的な組織運営の問題はこれとは別です。
[611] Re^2: 「内政干渉」の定義を明らかにして下さい 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/09(Fri) 13:34 <URL>
コスモポリタンさんも猛獣文士さんにもちわぁ。
> > 国際共産主義運動には単一の指導部が不可欠です。それぞれの国で勝手な行動が許されるのなら、第二インターのように各国の党が自主独立の立場の参戦を支持することになるでしょう。国際共産主義運動というからには、全世界的な単一組織でなければならないのです。これは1914年から1919年にかけての革命派の主張(たとえばレーニン)を見れば明らかでしょう。
>
> 教義の問題もあるでしょうが、実際問題として、コミンテルンなどが一元指導した場合に、そのために各国の運動が失敗したという経験があることも事実と思います。たとえば、日本共産党の50年問題。あるいは、中国革命が成功したのは、毛沢東がコミンテルンの指導にさからって農村根拠地を作り、その毛沢東の指導的な地位か確立したからだという経過もあります。
問題は、「国際共産主義運動には単一の指導部が不可欠」論は、事がうまく行った時のお話です。史的経験としても逆目に作用した歴史がある以上、何らかの手立てを講ずることなしに「国際共産主義運動には単一の指導部が不可欠」論をそのまま説くのは無謀ではないでせうか。
理論として理念としてはそうだが、チェック機構が必要だ、ならばどう立ち上げるのが良いのかが問われていると思います。れんだいこ理論としては、少なくとも三年に一度はテーブルを設け喧喧諤諤すればよい、すべきだ、しかし決定はその国の組織が自主的主体的に方針を打ち立てるべきだで良いのではないかと思っております。この場合当然、党内反対派も分派も複数の共産党的党派も認められ、相互に切磋琢磨すべきだと考えております。そしてみんな参加して良いのです。こういう議論のテーブルが著しく欠けているところに世界も日本も左派運動がうまくいかなかった原因があるのではないでせうか。
それを宮顕的に、例えば日本の指導部は、何を方針としてどのように運動しようと、誰からも文句つけられる筋合いは無いというのは、居直りであり反動的王朝理論というべきではないでせうか。この場合もそうですが、うまくいかなかった時の安全装置が無い理論です。してみれば、「国際共産主義運動には単一の指導部が不可欠」論は教条主義で、宮顕式内政不干渉論は極右理論とでも云うべきではないでせうか。やはり組織論の中にルネサンス精神その他諸々がいるのではないかと思っております。
[621] Re^3: 「内政干渉」の定義を明らかにして下さい 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/08/11(Sun) 11:56
> 問題は、「国際共産主義運動には単一の指導部が不可欠」論は、事がうまく行った時のお話です。史的経験としても逆目に作用した歴史がある以上、何らかの手立てを講ずることなしに「国際共産主義運動には単一の指導部が不可欠」論をそのまま説くのは無謀ではないでせうか。
コミンテルンの堕落は、ソ連が国際プロレタリアートから自主独立し、コミンテルンを世界革命の組織からソ連外交の付属物に変えたことによって起こりました。コミンテルンの存在が問題であったのではなく、むしろ逆に、コミンテルンがソ連共産党を指導できなかったことに問題があると考えられます。(イタリア共産党のボルディーガなどは、「ソ連は国際プロレタリアートの財産であるから、ソ連共産党ではなくコミンテルンがソ連政府を指導すべきだ」と正論を主張していました。)
権力獲得後の中国共産党にしても、国家の外交と党の国際活動を峻別していませんでした。反動政権(ピノチェト政権など)を外交上の必要から美化するなどは文革期ですらやっています。中国共産党は一国社会主義論者であるから、反動政権と結託するのは仕方がないけれども、革命的国際主義に立脚する政権(初期のソ連)でさえ、現実政治と世界革命の間にアツレキは避けられないでしょう。革命の国際組織が、社会主義政府の外交機関に対して優位に立っていなければ、最終的には現実政治の必要性のために国際主義が放棄されることになると思います。このために、国際組織による指導がどうしても必要です。
> 理論として理念としてはそうだが、チェック機構が必要だ、ならばどう立ち上げるのが良いのかが問われていると思います。れんだいこ理論としては、少なくとも三年に一度はテーブルを設け喧喧諤諤すればよい、すべきだ、しかし決定はその国の組織が自主的主体的に方針を打ち立てるべきだで良いのではないかと思っております。この場合当然、党内反対派も分派も複数の共産党的党派も認められ、相互に切磋琢磨すべきだと考えております。そしてみんな参加して良いのです。こういう議論のテーブルが著しく欠けているところに世界も日本も左派運動がうまくいかなかった原因があるのではないでせうか。
初期のコミンテルンにおいては、激しい議論は行なわれていました。ドイツやオランダの「極左派」は、レーニン的な共産主義運動を否定し、労働者の自主性を重視する共産主義運動を唱えました。(反議会主義、労働者の自主的組織としての評議会など)
ドイツ共産党から分裂したドイツ共産主義労働者党(KAPD)も、コミンテルンからシンパ組織として認められています。私の考えとしては、初期のコミンテルンは組織拡大をあまりに重視しすぎ(革命が切迫していたわけですから当然とも言えますが)、その結果として官僚的・日和見的指導者を大量流入させてしまったのではないでしょうか。
[622] Re^4: 「内政干渉」の定義を明らかにして下さい 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/11(Sun) 14:39 <URL>
コスモポリタンさんちわぁ。
> > 問題は、「国際共産主義運動には単一の指導部が不可欠」論は、事がうまく行った時のお話です。史的経験としても逆目に作用した歴史がある以上、何らかの手立てを講ずることなしに「国際共産主義運動には単一の指導部が不可欠」論をそのまま説くのは無謀ではないでせうか。
>
> コミンテルンの堕落は、ソ連が国際プロレタリアートから自主独立し、コミンテルンを世界革命の組織からソ連外交の付属物に変えたことによって起こりました。コミンテルンの存在が問題であったのではなく、むしろ逆に、コミンテルンがソ連共産党を指導できなかったことに問題があると考えられます。(イタリア共産党のボルディーガなどは、「ソ連は国際プロレタリアートの財産であるから、ソ連共産党ではなくコミンテルンがソ連政府を指導すべきだ」と正論を主張していました。)
コスモポリタンさんが云おうとしていることは分かるし、理論的にはその通りかも知れません。しかし、れんだいこは、「コミンテルンがソ連政府を指導すべきだ」には当時においても現実性が無いと考えます。なんとならば、ものの見方は穏和主義と急進主義、改良主義と革命主義、楽観主義と悲観主義等々に分かれるのを常とします。指導部がそのどちらかを選択せねばならないにも関わらず、実際にはどちらが良策か不明という事柄が多いのではないかと思う訳です。結局断じて行う以外にありません。
但し、その断じ方は多様にあるべきで、そういう意味ではリスク分散で、各国が各国の主体において考え実践し、その経験の交流を忌憚無くした方が良好な結果が得られるのではないでせうか。
そういう延長上に国際主義というのがあるべきで、各国の実情、人民大衆の成長を慮ることなく公式的な指導というのは却ってうまくいかないと考えます。言語で考えれば、エスペラント運動がなぜ広がらなかったかの問題と同じではないかしら。
> 革命的国際主義に立脚する政権(初期のソ連)でさえ、現実政治と世界革命の間にアツレキは避けられないでしょう。革命の国際組織が、社会主義政府の外交機関に対して優位に立っていなければ、最終的には現実政治の必要性のために国際主義が放棄されることになると思います。このために、国際組織による指導がどうしても必要です。
「国際組織による指導」ではなく、国際組織はあるべきでその組織は国際主義の観点から不断に見解の擦り合わせを行うべしというのなら同意します。
> 初期のコミンテルンにおいては、激しい議論は行なわれていました。ドイツやオランダの「極左派」は、レーニン的な共産主義運動を否定し、労働者の自主性を重視する共産主義運動を唱えました。(反議会主義、労働者の自主的組織としての評議会など)
> ドイツ共産党から分裂したドイツ共産主義労働者党(KAPD)も、コミンテルンからシンパ組織として認められています。私の考えとしては、初期のコミンテルンは組織拡大をあまりに重視しすぎ(革命が切迫していたわけですから当然とも言えますが)、その結果として官僚的・日和見的指導者を大量流入させてしまったのではないでしょうか。
というか、れんだいこは、物事はカオス的ごった煮情況を良しとしてそこから出発させようとしております。レーニンは初期段階では一定これを認めておりましたが、情況の厳しさかに連れてかどうか統制主義的な専制手法を導入していくことになりました。この流れがスターリニズムに掠め取られ流し込まれていったのは周知のところです。
晩年のレーニンがどう思っていたのかあるいは悔やんでいたのか興味あるところのように思います。又別の観点でトロツキズム的指導もあります。問題は、反対派の粛清に繋がるような権力はダメだということではないでせうか。同じ理想なら、異論と党派抗争は大いに結構、これを常態とすべきだ。コミンテルンも党内も、常に不一致で抗争しつつ最終的に議案が採択され、そういう過程を通じて革命のエネルギーを高め続け、全体的に釣り合いが取れて目的を完遂しつつある、というのが望ましいとしたいと思います。
[605] 何が左派だ、バカにするな! 投稿者:大阪の人 投稿日:02/08/08(Thu) 15:35
こんにちわ
> 大阪の人さんちわぁ。
猛獣文士さんがへらへらしていたから何かと思ったら、次はれんだいこ氏が引き継ぐという事ですな。
これは第一に猛獣文士さんが、既に議論の土台がご自分にない、ということをよく認識され、いいかえしすら不能に追い込まれた、ということで、日本華僑の立場として論じる事に行き詰まった、と見なしてよろしいな。
> 大阪の人さんが云われる『本格的な【実際】の議論』の中身はどんなことでせうか。具体的に教えてくだされば参戦いたします。曖昧に云われると云い勝ちなんですよね。
ま、れんだいこさんが「痛くないこわくない」議論をそちらのHPでダラダラなさるのはご自由に。ただしざっと拝見しただけでも猛獣文士さんに比してもその事実経過や文献の整理に関して【デタラメと拙速】が目立ちます。クオリティが低いということ。原典にどれだけあたっているのか。れんだいこ氏は寺尾五郎の本は何か読んだのか。さすがに寄生虫ですなあ。
> この「おしゃべりサロン」というもの云いで相手をやり込めるのも宮顕直伝の話法ですよね。大阪の人さんがこの汚染から抜け出せるようになるのはいつの日なのでせう、楽しみにしたりご心配申し上げております。
「汚染」から出たはよいが、今度は別の汚染にどっぷり染まってやはりおしゃべりサロンになるのではダメです。
> 『内政不干渉』というのはむしろ邪道ではないでせうか。一体、国際主義という観点の中には、そういう議論を当然に為すべきだという意味が含まれているのではないでせうか。2)、3)は当たり前すぎて愚問でせう。
私に言われても困ってしまいますね。私はもっぱら内政不干渉で通した事を誇りに思うばかりであります。
> 問題は、日本革命の展望に於いて、ソ共はソ共なりに中共は中共なりに西欧の諸党もそれなりにアドバイス的見解を出したとしても、それをいかに判断し実際にどう取り組むかは最終的には党大会で日共が自主独立的に為すことであって、強制指導される必要は無い。しかしこのことと、『内政不干渉』という美名で何らのコメントもさせない、というのとでは作法に雲泥の差があるでせう。
現実の【実際】はもっと苛烈でありました。当時民青で「青春」を踊っていた猛獣さんへ。
> どちらもピンぼけな設問です。
ぴんぼけにしか見えないのはあなたの目が曇っているのです。平和的議論がなくて、より勇ましい議論がなければそれはすべてぴんぼけとしか見えないのは反共の論争にあけくれているばかりのれんだいこ氏には陥りがちな悪なれであります。
> それよりも、大阪の人さんにはいくつか質問させてもらっているのですが、なぜかお答えがいただけない。
ここのHPで必要な範囲はもう大方述べました。あなたの必要に答えても国民のためになるかどうかはわからない。国民のためにならない可能性の方が高いね。あんなデタラメHPではね。
> 私のサイトの論文集に『善隣学生会館事件』をアップさせていただきました。ご確認のほどをお願い申し上げます。
ま、日本華僑の手から日本在来の反共人士の手に渡ったということで、少なくとも内政干渉としてのこのHPの問題点だけは絶遠したということでありましょうか。これはカレー味の**と**味のカレーぐらいの差ではありますが一定の進歩ではあります。
> それともう一つ、この掲示板での遣り取りも私のサイトに収容することご了承お願い申し上げます。世のため人のため後世の為に何とぞ胸襟をお開き下さいますよう併せてお願い申し上げます。一応確認しておかないとね。
当方の書名になる本文は本文を変えずにそのまま全部転載ください。ただしそちらに参上してれんだいこ氏のHPをにぎわすつもりは全くないのであしからず。本文をねじまげて掲載されるのであれば法的に何か対処することも考慮せざるをえません。
[640] Re: 何が左派だ、バカにするな! 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/23(Fri) 09:15
大阪の人さんちわぁ。せっかく掛け合いできそうな御仁と出会えたのに、このところ久しくお顔を見せられませんね。少し寂しいだな。自覚されているのか無自覚か分かりませんが、大阪の人さんは今時珍しい「理論的に」日共党中央を擁護為される貴重なお方です。他の多くの者は長過ぎる拝跪型指導により自分の頭で考えることが出来なくなったみたいですが、その点大阪の人さんは偉い。自分の観点を持っており、なぜだか分かりませんが考えた結果、宮顕ー不破理論及び指導と波長が合うようです。これはかなり稀有な例だと興味を覚えております。そういう意味で、もう少し語らいしたかっただな。再登場あれかし、そして語れ。
それはそうと、丁度「暁の襲撃事件」に対する日共見解をお聞きしたところから逃亡が始まっております。これは日共が巧妙にノーコメントしている故に大阪の人さんにも答えられない箇所となっているという意味でせうか。答えられるけれども、れんだいこには答えてあげないという意味でせうか。少し気になっております。
[610] Re: 何が左派だ、バカにするな!おやおや 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/09(Fri) 13:18 <URL>
大阪の人さんちわぁ。大阪の人さんの取り柄は反面教師のところにあり、そういう意味で貴重人士ですね、これマジ。
> ま、れんだいこさんが「痛くないこわくない」議論をそちらのHPでダラダラなさるのはご自由に。ただしざっと拝見しただけでも猛獣文士さんに比してもその事実経過や文献の整理に関して【デタラメと拙速】が目立ちます。クオリティが低いということ。
大阪の人さんにとって「クオリティが高い」ものにどんなものがあるのでせうか。教えてくださいますか。いつもはぐらかされてるけど、れんだいこはこうやっていつも正面から問いかけしております。
> れんだいこ氏は寺尾五郎の本は何か読んだのか。さすがに寄生虫ですなあ。
確か、親鸞ものを読んだことがあります。なかなかいいせんで親鸞像を描いていたと記憶しております。他には雑文でいくつか読んでいる程度です。
> > この「おしゃべりサロン」というもの云いで相手をやり込めるのも宮顕直伝の話法ですよね。大阪の人さんがこの汚染から抜け出せるようになるのはいつの日なのでせう、楽しみにしたりご心配申し上げております。
>
> 「汚染」から出たはよいが、今度は別の汚染にどっぷり染まってやはりおしゃべりサロンになるのではダメです。
この文意によると、「汚染」されているという自覚はあるという意味ですか。同じ汚染なら宮顕汚染を意識的に選ぶんだという決意風に読み取れますね。なして宮顕汚染を好まれるのですか。
> > 『内政不干渉』というのはむしろ邪道ではないでせうか。一体、国際主義という観点の中には、そういう議論を当然に為すべきだという意味が含まれているのではないでせうか。2)、3)は当たり前すぎて愚問でせう。
>
> 私に言われても困ってしまいますね。私はもっぱら内政不干渉で通した事を誇りに思うばかりであります。
これについてはコスモポリタンさんが適宜注釈してくれておりますが、日共式内政不干渉排斥論は、論理構造がそっくりそのまま反政府運動排斥論とも重なりますね。要するに、大阪の人さんの何が何でも「私はもっぱら内政不干渉で通した事を誇りに思うばかりであります」論調は、強いものに巻かれろ、党内は「民主集中せよ」、国民は「一億一心せよ」、最終的には誰のお陰で飯が食えているんだ式の権力理論と裏表になるのではありませんか。
> > それよりも、大阪の人さんにはいくつか質問させてもらっているのですが、なぜかお答えがいただけない。
> ここのHPで必要な範囲はもう大方述べました。あなたの必要に答えても国民のためになるかどうかはわからない。国民のためにならない可能性の方が高いね。あんなデタラメHPではね。
大阪の人さんの「国民の為になるならない」の仕切りはどこに置かれているのですか。その基準は誰が判定するのですか。国民のためとかいう建前美辞麗句を使われておりますが、実践的には極めて権力的な物言いだということがお分かりになられないのですか。宮顕の常套句ではありますがね。よく「無辜の民」とか「無辜の党員大衆」とか言い回ししますがね。
それにしても、「国民のためになるかどうかはわからない」から応える必要は無い、とは、重宝なおくち回しですね。
[586] Re^3:576 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/05(Mon) 12:50 <URL>
大阪の人さんちわぁ。短く参ります。
> > 大阪さん、れんだいこさんやコスモポリタンさんの質問には、ちゃんと答えてくれませんか。私も回答を待っているのです。
>
> ふふん。れんだいこさんにしてもコスポリ氏にしても、この【実際】の件では議論にならない、猛獣さんもあてにしていた彼らが頼りにならないようですな。何度目かのこの議論で行き詰まりを見せたらこうした枝議論に持ち込んで何か言い返しが成立するかにいうのは、性懲りがない、と言わざるを得ません。
大阪さん、上記の物言いは、猛獣さんとの間では攻めたつもりの遣り取りかも知れない。しかし、刺身のツマで利用された方の気分は良くないですよ、根拠があるのならまだしも。「れんだいこさんにしてもコスポリ氏にしても、この【実際】の件では議論にならない、猛獣さんもあてにしていた彼らが頼りにならないようですな」と云われて、れんだいこにしてもコスポリ氏にしても穏やかでおられると思いますか。
議論の要領の性格が悪いというか、その場を上手に舌戦するためにそのたびに新たに問題を作っていく手法ですね。こういう論法に染まると次第に人格が悪くなりますよ。「【実際】の件では議論にならない、頼りにならない」と云うのであれば、少なくともその根拠を示さねばならない。れんだいことの遣り取りで、善隣会館事件の真相を廻っても、日共中央の素晴らしさ胡散臭さ論でも、何一つまともに議論されていないではないですか。ニモカカワラズ悪態つかれるのはいかがなものでせう。
事情を知らない者を上手に言い含める話法、天道説的な結論へ向けて口先を重宝に廻す。俺達が正義真実の唯一人士であると居直る。当局には軟派で恭順し猫なで声するが、逆に闘う側に対しては断固鉄槌派になる―これは宮顕・不破系の典型的な常套話法であり行動様式です。大阪の人さんが宮顕・不破系を支持するのは勝手です。しかし連中の要領までオウム写しにしなくても宜しいでせうに。
「何度目かのこの議論で行き詰まりを見せたらこうした枝議論に持ち込んで何か言い返しが成立するかのように云う」なんて、自分が指摘されそうなことを先回りして相手に投げつけるというのも、宮顕・不破系の典型的な常套話法です。よほど病膏肓に陥っていることが分かります。議論系では議論しあって論証していく作法を大事にしないとね。
> それかられんだいこさんに(もう項を改めてレスをする気力も失せましたので失礼)一言。
「もう項を改めてレスをする気力も失せました」なんて、それは無茶ですよ。実質的な話は何もしていないし、こちらがお尋ねしていることについてもまだレスがありませんしね。で、上述のようにくさしてくださる。ご都合が宜しすぎませう。ちなみに、れんだいこの「敗北の文学」評でひざを叩いて笑った、というのはどの部分でどうおかしかったのですか、ご説明願えますか。
> 既に何かで活動している部分や、一定の議論ができる部分をツマミグイでひっぱってきて何かの「運動」を、しかも国民の苦難の軽減や、悪政の追及や、平和の運動を【抜き】に、ただひたすら「宮本路線の再検討」などを考えるというのは1)他所の運動への寄生虫のような自主性のなさ2)おしゃべりサークルでしかない3)国民の現実の苦難に思いをよせないで運動を異質なものへ変質させようとする、という性質をその根本に内在していると思います。知天にしてそれですか。あなたがのうのうと「反共」をぶっている30数年の間に日本共産党は勢力を拡大しつづけました。あなたの歴史はそしたら「負け一辺倒」ということになりますな。
大阪の人さん、『あなたがのうのうと「反共」をぶっている30数年の間に日本共産党は勢力を拡大しつづけました』って、今現在の状況認識ですか。日共は発展し続けていると本当に信仰しておられるのですか。ご確認いたしたく存じますので、ご説明願えますか。
[588] 敗北の文学についてちょっと 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/06(Tue) 10:41
れんだいこさん、こんにちは
大阪の人さんのやや自分勝手な書き込み方には、れんだいこさんも失望しているでしょうか。話が面白くなりそうなところで、さっと引いてしまうようなのだが、引いてしまうだけならばまだしも、その前に暴言とも言える言辞を残したりするので、困り者だと思います。
確かに、「もう気力がなくなりました」といわれても、「もう」などという言葉はある程度の継続状態の後に出るべき言葉ですから、この掲示板の大阪の人さんとれんだいこさんのやりとりにおいては、およそ不適切な表現であると思います。しかし、大阪の人さんには自身の独自の経験があるのでしょうから、なにか「もう」といわしめるような体験を経てきたのか、あるいは現在もそのような体験が継続しているのかもしれません。
ともかく、このような仕儀にあいなったことについては、「管理者として遺憾の意を表明」したいと思います。
さて、大阪さんが「ワラッチャッタ」というれんだいこさんの「敗北の文学」の批評を通した宮本顕治論ですが、私も読ませてもらいました。興味深い点があるとともに、幾つかの疑問も感じましたので、れんだいこさんの御意見を聞かせてもらいたいと思いました。
宮本顕治(敬称略で行きます)が何か文学的な賞を受賞して賞金をもらったなどということを自分で言っていたのを読んだのは、かなり前のことです。多分、創共協定のときに出版された池田大作との対談の本ではないかと思います。そのころ、「毛沢東との最後の会談」という週刊朝日の記事を読んで、なかなかしっかりした文章を書く人物だと思いましたが、もちろんその懸賞論文の内容にまでは立ち入りませんでした。今回、れんだいこさんのサイトを訪れて、「敗北の文学」というものであり、かつ芥川龍之介の文学論であることを知りました。
芥川龍之介について私はあまりよく知りませんが、学校の教科書とはいえ、トロッコとか鼻とか、面白い作品を書く作家だという印象を持っていました。しかし、もっと印象的なのは、理由は不明だが自殺をした作家であるということでした。作家というものはなぜか自殺をするというようなおかしな印象の元祖のような作家でしょうか。また、彼には演劇家の比呂志と音楽家の也寸志という二人の有名な子息がいて、音楽家の也寸志は私の母校であるS小学校の校歌の作曲者であったことも印象に残っていました。
この芥川龍之介の自殺(=敗北?)について、かの悪名高い(?)宮本顕治が評論して、その意味するものを解明しているということでは、これは興味をそそるものです。宮本は、芥川のいだいていたぼんやりとした不安といわれているものについて、支配者のイデオロギーとの対決を正しいものと感じながらその立場に入ることができない苦悶ととらえ、芥川の自殺を敗北と結論付けて、みずからはプロレタリア文学にみられるような徹底した対決を貫徹することによって、芥川の敗北を乗り越えていこうという方向性を指し示したということでした。宮本のこの分析は、その他の芥川の批評にはない鋭い視点で彼の不安の真相に迫っている。れんだいこさんはこのように認識していると思います。また、このような評価が説得力のあるものであるからこそ、彼が懸賞をかちとれたのでしょう。
実は、プロレタリア文学的な方向性によって芸実至上主義的な立場を乗り越えていこうというのは、ロシア文学のツルゲーネフとか三島由紀夫などを面白がって読んでいた高校時代の私の選択でした。私がこのような方向を確信した理由といえば、毛沢東の「文芸講話(文学芸術は労働者農民兵士に奉仕するものでなければならないというような講話です)」の影響もあったのでしょうが、実際には私の多くの先輩たちが同様の選択を確信することで進路を切り開いた経験があり、私の選択はその切り開かれていた路を後追いするものであったというところだと思っています。その中には、私の直接の先輩の世代である60年ブント以降の人々もいたでしょうが、1929年に宮本がそのような方向性を見出していたとすれば、宮本もそのような先輩または祖先の一人であることになる思えます。
れんだいこさんの評論では、宮本顕治の分析が正しかった言うことを前提にしながらも、芥川の評価における彼の酷薄さ、一辺倒な理解に不満を感じ、そのような性格が後の日本共産党ににおける悪しき体質に継承されていったというような感想を述べておられたと思います。また、れんだいこさんは、このような見方に対する異論をも掲載していました。
私の問題意識は、宮本顕治が芥川龍之介の「敗北」を克服するものとして示した方向性がどのように評価できるのかというところです。単純に正しかったのか誤りだったのかいう設問は、多分、設定自身が満足できる解答の可能性を摘み取っているでしょう。そこで、私は、ごく単純化して、その方向性を必要条件と十分条件の二つの条件に照らして評価してみたらどうかと考えてみました。たとえば、この方向性は芥川龍之介に欠落していた、あるいは不十分だったものであると同時に、必要なものであったといえるとします。多分、これは正しいような気がします。ではこの方向性が芥川の苦悶を解決するための十分条件を満たしていたのかどうかと問いかけた場合、私にはそれを満たしていなかったのではないかと感じられるのです。
もう少し具体的な説明をしてみます。宮本の評論が芥川の抱えていた苦悶を解決するに十分なものであったとすれば、このような観点が芥川本人の問題を解決できるものでなければならないことになります。もっといえば、仮に芥川が生前に宮本の評論を読み、その分析を知ることが可能だった場合に、芥川龍之介の敗北、自殺がなかったというものでなければならないと思います。実際にその点を考察した場合、そのような解法として宮本の分析がありえたのか、疑問が大きいとわたしは思います。もちろん、これは仮定の話で検証しようもありません。ところで、作家の自殺ということでどうしても私には理解できなかったのは、川端康成の自殺です。60年代後半にノーベル文学賞を受賞し、抽象的に日本の美などという観点を語っていた川端は、当時の私にとってはどうしようもない嫌な存在でした。さらに、政治的な「反動派」の選挙を応援していた彼が、なぜか突然、自殺をした。一体何なのだろうというのが私の印象でした。もちろん自殺をするのは作家だけに限らないのであり、芥川の自殺と川端の自殺を作家の自殺として同列に論じることは無意味であるという考え方もあるかもしれませんが、わたしには両者の作家としての共通性がどうしても気になるところです。つまり、作家という同じような境遇にいて、同じようなものをみていた人間が、同質の原因によって死を選んだのではないかという側面が無視できないのではないかと思います。その場合、芥川の死について適切だった宮本の分析が川端の死についても適用できるのか、あるいは、芥川の死についての解法と考えた宮本の方向性が、川端の死に対する解法として論じることができるのかという問いが発生し、これはそのままでは適用が困難なものではないかという結論に至る気がします。このような点から、私は宮本の方向性に不十分という印象を感じます。
もうひとつの論拠としてあげたいのは、プロレタリア文学運動という文学的な立場が創造した成果の評価にかかわるものです。日本の文学界において、プロレタリア文学はある程度の成果を挙げましたが、文学者の共通の立場になることはありませんでした。日本では、プロレタリア文学運動が権力によって圧殺されたので、正常な発展を遂げられなかったという事情もあるでしょう。しかし、そのような立場の文学運動が権力者によって擁護されたソビエトや中国の例を見た場合にも、その成果がそれ以前の文学芸術を根底的に変えるものであったかというと、そうではないと思います。1960年代の文化大革命初期に、「欧陽海の歌」という長編小説が中国で発表され、中国の文学界で「ロマンローラン」に匹敵する価値の高い作品であると評価されました。私はこの作品を読んでいませんが、この作品が文学的に無価値なはずはないと考えています。しかし、当時の中国では、この作品が質の高いよい作品であることを認めることが問題だったのではなく、プロレタリアートの新しい文化の水準として、古い社会で生み出されていた文学作品の位置を基本的に置き換えるものであるということが望まれていたのであり、そのように評価された(あるいは要望された)のだ思います。結果から見て、そのような期待は実現しませんでした。宮本顕治と文化大革命における文学運動を同列に並べるこのような比較は、荒唐無稽に思えるかもしれませんが、私にはこれが宮本の芥川に対する分析が鋭く、一面的には真理であるとともに、不十分なものであったのではないかという論拠につながる気がします。
もうひとつ興味深いのは、このような分析の限界について、宮本自身はどのように認識していたのか、いるのかという点です。
長くなりますので、この辺で切りますが、私自身は、宮本顕治の当の論文を読んでおらず、これはれんだいこさんの解説の上に組み立てられた疑問であることを述べておきます。なんらかの大きな誤解や勘違いをしている可能性も大きいと思いますが、その点はご容赦ください。また、そのような誤解については、指摘していただければありがたいと思います。
[592] Re: 敗北の文学に纏わる宮顕論 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/06(Tue) 13:07 <URL>
猛獣文士さん、大阪の人さんちわぁ。確か正式の題名については「『敗北』の文学」であったと思います。『』付けの理由が特に観ぜられないので読みやすく「敗北の文学」表現で以下進めます。
れんだいこは宮顕論サイトで、芥川の自殺の要因分析での宮顕的観点を評価しました。但し気になることもあるのです。この観点にはどうも下敷きがあったのではないのか、宮顕のオリジナリなものではないのではないのかという疑問です。松山高校時代の文芸活動で同人誌が出されておりますが、その中で当時の仲間からこの観点が打ち出されているということのようです。
だがしかし、問題は次のことにあります。この観点が打ち出されているこの時の同人誌が現在散逸しているとのことです。蔵書されていた図書館でも該当部分がカッターナイフのようなもので切り取られているとか聞かされております。怪奇現象ですが、誰が何のためにという疑問を押さえる訳には参りません。決して偶然ではないでせう。
仮に、「当時の仲間からこの観点が打ち出されていた」ことが裏付けられると、「敗北の文学」の評価は格段に落ちることになります。可能性として、れんだいこが評価した宮顕の芥川論の秀逸性は、剽窃の疑いがあるということです。但し、この辺りは伝聞でして、そんなことはないちゃんと蔵書されているよということでしたら申し訳ないです。
該当の同人誌がれんだいこの目に触れられるならば、当然に「敗北の文学」の記述との比較を致します。宮顕の場合、唯一の名声である「敗北の文学」にしてそういう疑惑が付きまとっております。これに関しては、これ以上のことが分からず、どなたかにより解明されるのを期待しております。当時の該当文芸論を探し出してサイトアップしていただければこれは冥利につきます。
川端康成の自殺と芥川の自殺との比較につきましては、れんだいこはあまり関心がありません。その理由は、川端康成の自殺にあまり興味が無いからです。太宰治もそうですが、時に高名作家が自殺しております。しかし、芥川以外にはあまり関心がありませんので、内的関連まで掴もうという意欲が湧いておりません。従いましてコメントできません。
プロレタリア文学運動の文学史的成果は、あんまり芳しくない。それは世界共通とするなら、やはりイデオロギーを先行させ過ぎることに原因があるのかも知れません。1960年代の文化大革命初期に、「欧陽海の歌」という長編小説が中国で発表され、中国の文学界で「ロマンローラン」に匹敵する価値の高い作品であると評価されました、ということですが、ロマンロランの「ジャン・クリストフ」とかゲーテの「ファウスト」とかは、構図がとても気宇壮大で人生処世論に関する珠玉の言葉を連発しております。プロレタリア文学で対抗できるようなものを知りません。
「欧陽海の歌」を読んでおりませんが、「プロレタリアートの新しい文化の水準として、古い社会で生み出されていた文学作品の位置を基本的に置き換えるものであるということが望まれていたのであり、そのように評価された(あるいは要望された)」のは、そうあって欲しいあるいはそういう文学が出来て欲しいという願望がらみの評価なのではないでせうか。
ところで、宮顕は、「敗北の文学」一つの評価で、不思議なくらいにトントン拍子で党内出世街道を登りつめていきます。この過程を裏付けたいのですが、ここでも不思議なくらいに宮顕の痕跡は極力消されております。これってなんなんでせうね。
もう一つ。宮顕はプロレタリア文芸評論家としての名声をはくにして党内活動していきますが、その宮顕が指導したプロレタリア文学はどうなったか。蔵原惟人との二人三脚で手がけますが、無茶苦茶な指導で台無しにしておりますね。小林多喜二が気の毒で仕方が有りません。
それはそうと、小林多喜二の逮捕、即日拷問死にも疑問があります。多喜二の逮捕に宮顕が一役買っている可能性が考えられますね、ここは推理するしか出来ませんが。こういった諸々の意味で、宮顕論は通説を塗り替えるという意味があり、早急にもっと豊かに為されねばならないと考えております。世上にあるのは、ゼツ支持派とゼツ糾弾派の罵詈あいだけのような気がしております。そういうのはまさに趣味であり、生産的ではないと思っております。
[596] Re^2: 敗北の文学に纏わる宮顕論 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/06(Tue) 23:31
れんだいこさん、こんにちは
もう少し、宮本顕治論を読んで見ましたが、確かにその内容は「『敗北』の文学」でのヨイショ部分を除くと、私の予想をはるかに超えて厳しいものでした。
野坂参三と宮本顕治ですが、マルクスレーニン主義の教義に対する修正主義者であるという批判はよく聞きました。また、スターリン主義者であるという批判もよく聞きます。
ところがれんだいこさんは、宮本顕治が当初からの当局内通者であり、意識的に日本共産党の機能を停止させ、日本共産党の党機能の停止という結果をもたらしたといっています。宮本顕治は最初からマルクス主義者でなく、当局の意図にしたがって日本共産党を機能停止に追いやるためにスパイとして日本共産党で活躍し、ついに日本共産党の最高位について日本共産党をのっとったということになると、半端な仮説ではないですね。
もしこれが本当だとすると、日本共産党という政党は、最初から最後までスパイばかりが活動していて、まじめに共産主義の理想を信じて参加した純真な党員もいたのだけれども、そのような人々は弾圧によって殺されたり、ひどい目にあっていき、最後に共産主義の教義を骨抜きにして体制内の人畜無害な組織に去勢され、幹部は共産党の名声を利用して、自己をまかなう領地として数十万人の支持者を支配している。支配組織の原理は悪名高き民主集中制となります。
まことに、目の前が真っ暗になるような話です。状況証拠としては、結果的にそのような経過があった気もしますので、理解はできるのですが、実証はほとんど不可能であるようにも思えるほど困難だと思います。この辺、もう少しお話を聞きたいのですが、よろしいでしょうか。実際、にわかには信じがたい話です。れんだいこさんのホームページでの宮顕論はみました。
[597] Re^3: 敗北の文学に纏わる宮顕論 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/07(Wed) 00:46
猛獣文士さんちわぁ。れんだいこの宮顕論お読み進めていただいているようありがとうございます。かなりの分量ですので大変でせう。かくいう書いた本人が読み直しに辟易する量になっております。でも、どの章も意味ある内容ですので割愛することはできませんでした。
> ところがれんだいこさんは、宮本顕治が当初からの当局内通者であり、意識的に日本共産党の機能を停止させ、日本共産党の党機能の停止という結果をもたらしたといっています。宮本顕治は最初からマルクス主義者でなく、当局の意図にしたがって日本共産党を機能停止に追いやるためにスパイとして日本共産党で活躍し、ついに日本共産党の最高位について日本共産党をのっとったということになると、半端な仮説ではないですね。
そうですね。この仮説通りとすると、思想的に明晰な方ならばてんやわんやにならねばなりません。
> もしこれが本当だとすると、日本共産党という政党は、最初から最後までスパイばかりが活動していて、まじめに共産主義の理想を信じて参加した純真な党員もいたのだけれども、そのような人々は弾圧によって殺されたり、ひどい目にあっていき、最後に共産主義の教義を骨抜きにして体制内の人畜無害な組織に去勢され、幹部は共産党の名声を利用して、自己をまかなう領地として数十万人の支持者を支配している。支配組織の原理は悪名高き民主集中制となります。
毛沢東が、宮顕を評して修正主義だとか断じて革命家ではないと断定したことは慧眼であったと、いうことになります。
> まことに、目の前が真っ暗になるような話です。状況証拠としては、結果的にそのような経過があった気もしますので、理解はできるのですが、実証はほとんど不可能であるようにも思えるほど困難だと思います。この辺、もう少しお話を聞きたいのですが、よろしいでしょうか。実際、にわかには信じがたい話です。れんだいこさんのホームページでの宮顕論はみました。
いろいろお尋ねください。対話弁証法こそれんだいこの願うところのものです。付言すれば、善隣学生会館事件でも、日共批判の方たちがれんだいこ観点で理論武装しておけば、もっと違った有効な対応が出来たと考えます。日共を批判しつつ他方でその指導者宮顕を『獄中十二年非転向唯一タフガイ人士』として認める脇の甘さが、批判運動を系統的持続的なものに為しえない要因になったと考えております。
野坂とか宮顕は調べれば調べるほど臭いです。その事実を、こういってはなんだけど皆さん知らなさ過ぎる。従って、彼らが流した今も流している害悪に無自覚過ぎる、という思いを持っております。
[589] 【枝】敗北の文学についてちょっと 投稿者:大阪の人 投稿日:02/08/06(Tue) 11:35
猛獣さん、こんにちわ。
題名ぐらいは正確に記して欲しいものであります。
「『敗北』の文学」であります。新日本の文庫で今も売られています。
それから『宮本顕文芸評論選集』というのがありまして、この選集の「あとがき」だけをあつめた本が『わが文学運動論』というなまえで、いずれも新日本からでています。
> 大阪の人さんのやや自分勝手な書き込み方には、れんだいこさんも失望しているでしょうか。話が面白くなりそうなところで、さっと引いてしまうようなのだが、引いてしまうだけならばまだしも、その前に暴言とも言える言辞を残したりするので、困り者だと思います。
ほんに、いい加減な主催者ですなあ。一体誰が主催しているのか。それから私が「回答」しなければ話が進まないのか、当時の強盗殺人犯を客観的には擁護弁護している猛獣文士さんが解答を迫られているのか、ということです。私は問いました「心の余白を空けてあるからそれを埋める事実をみせてくれ」と。それに対しては気のないなま返事を返すばかりの猛獣さんであり、そもそもそれへのアプローチの手だてもないれんだいこさんであり、まったく手がかりもないくせにあさっての方向から日本共産党攻撃だけに収斂する議論をへ理屈で述べるだけのコスポリ氏でありました。昔はこういうのに向けて「自己批判せよ!」なんて言ったのでしょうが、私はそんな気力もわいてきません。ただただ猛獣さんの「自分勝手な」横道、わき道、本論の話からそれまくる【実際】の話で行き詰まりなのを感得するばかりです。一体このHPの題名は何?
>
> 確かに、「もう気力がなくなりました」といわれても、「もう」などという言葉はある程度の継続状態の後に出るべき言葉ですから、この掲示板の大阪の人さんとれんだいこさんのやりとりにおいては、およそ不適切な表現であると思います。しかし、大阪の人さんには自身の独自の経験があるのでしょうから、なにか「もう」といわしめるような体験を経てきたのか、あるいは現在もそのような体験が継続しているのかもしれません。
「あるていどの継続状態」は少なくともこのBBSに関して終始私のリードによって継続されてきました。猛獣さんのHPの体裁が少しは見れるようになったのは、たとえば98年合意、朝日の張香山発言。地裁の明け渡し訴訟の和解の内容などを当方がその存在を特定し、掲載を督励し、この要望に猛獣さんが答えた結果であります。最初の方の体裁だって当方が教えて差し上げた宮森繁著『実録「文革」礼賛者たちの節操』があっての事でしょう。いわば私のたなごころの上で踊っただけであります。私をして驚かせる私をして考え込ませる新資料の発掘なんて猛獣さんの手では一つもなかったということが、少なくとも現時点での率直な批判であります。
>
> ともかく、このような仕儀にあいなったことについては、「管理者として遺憾の意を表明」したいと思います。
1にかかって猛獣文士さんが投げられたボールを受け止めてない、ということが問題であります。当方がボールを受けないとか、投げ返さないとかいうのは、このHPの課題【実際】に関しては一つもない、ということを強調します。
それから当方がれんだいこさんのHPで「膝をたたいて笑わせてもらった」のはれんだいこさんのながたらしい「評論」の方ではなく、それへの読者の反批判であります。芥川 > 宮本 > れんだいこ > 読者(名前失念)の最後の読者さんの目のゆきとどいたれんだいこさんへの批判(諌言)がなかなか見ごたえがあって「一本とった」というのが私の膝を叩かせたのであり、まあれんだいこさんがこれをそのまま掲載しているのが氏のふところの一定の深さなのかなと思ったので一行その旨を書いたのであります。つまり単純なばかにした意味ではない、ということだけは誤解なきように。
[593] Re: 【枝】敗北の文学についてちょっと 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/06(Tue) 13:37 <URL>
大阪の人さんちわぁ。
> 「『敗北』の文学」であります。新日本の文庫で今も売られています。
これですが、「『敗北』の文学」が掲載されている書物は新日本の文庫以外にはないのでせうか。れんだいこの該当サイトのところでも記述しましたが、「つるはしを打ち下ろせ」云々のところが確かバールとか別の表現であったような気がしてなりません。どなたか「『敗北』の文学」が書き換えられていないかどうか確かめてもらえたらありがたい。一番確実なのは、改造に載った原文章です。あれを手にしてみたいと思っております。大阪の人さんなら容易に手に入るでせうか。
> それから当方がれんだいこさんのHPで「膝をたたいて笑わせてもらった」のはれんだいこさんのながたらしい「評論」の方ではなく、それへの読者の反批判であります。芥川 > 宮本 > れんだいこ > 読者(名前失念)の最後の読者さんの目のゆきとどいたれんだいこさんへの批判(諌言)がなかなか見ごたえがあって「一本とった」というのが私の膝を叩かせたのであり、まあれんだいこさんがこれをそのまま掲載しているのが氏のふところの一定の深さなのかなと思ったので一行その旨を書いたのであります。つまり単純なばかにした意味ではない、ということだけは誤解なきように。
そうですか。それならそのように書いて下さらないと、あの書き方ではれんだいこの本文に手を叩いて笑ったと誰でも読むでせう。それは構わないのですが、どこがということを聞いてみたくなるのが自然です。こたびのレスで吉野さんの投稿文に「我が意を得たり」と手を叩いて笑ったということが分かりました。
吉野さんを巻き込むのは本意では有りませんが、吉野さんはその後のれんだいこ宮顕論に対してコメントされませんでした。しかしそれは問題が残されているのです。宮顕の逮捕時の様子とか獄中闘争ぶりについて、吉野さんは「獄中12年唯一非転向タフガイ人士」としての宮顕論観点から擁護しております。れんだいこは全く怪しいとして種々意欲的に資料を提示しつつ胡散臭い論を書き上げております。本来なら、反論があって然るべきところです。
というか、さざなみ通信まで巻き込むのは本意ではありませんが、同通信管理者もれんだいこの問題提起を受けて、相互論証していく舞台を作るべきなのです。こういう重要なところを曖昧にしたまま漫然と見解を述べつづけるというのは、少し作風に問題があります。リンチ事件も含めて、れんだいこ見解が間違いなら間違いと論証せずんば議論が生産的になりません。宮顕は何と言っても、現下日共の総路線を敷いた立役者なのです。その人物が当局のスパイではないかという問題提起を無視してよい訳がありません。れんだいこは資料に基づいて論を構成しているのですから、反証するのが通常のマナーです。
皆さんそういうところを避けている風があり、れんだいこも敢えて問題にして参りませんでしたが、やはりここは避けて通れないのです。こういう点、大阪の人さんはどのようにお考えになられていますか、お聞かせ願えますか。
[594] 【枝】敗北の御両人に 投稿者:大阪の人 投稿日:02/08/06(Tue) 15:10
> 吉野さんを巻き込むのは本意では有りませんが、吉野さんはその後のれんだいこ宮顕論に対してコメントされませんでした。しかしそれは問題が残されているのです。宮顕の逮捕時の様子とか獄中闘争ぶりについて、吉野さんは「獄中12年唯一非転向タフガイ人士」としての宮顕論観点から擁護しております。れんだいこは全く怪しいとして種々意欲的に資料を提示しつつ胡散臭い論を書き上げております。本来なら、反論があって然るべきところです。
その読者さんには読者さんの理由があっただろうし、それに対して「反論があって然るべき」というのはいかがなものかと思います。当方は「一本あり」と思ったのです。この人も蛇足はしたくなかったのでしょう。これを
>
> ともかく、このような仕儀にあいなったことについては、「管理者として遺憾の意を表明」したいと思います。
>
のように言うのは猛獣文士さんとれんだいこさんの少し共通するよくない癖です。ただし猛獣さんのような一見自己卑下してみせたようでいて、裏で当てこするイヤな所はまだれんだいこさんにはありませんのでこの区別はしておきます。
それから「『敗北』の文学」剽窃説ですが宮崎学氏がどこかで書いていますね。オリジナルは誰ですかね。たとえば剽窃であったとしたら、その悪い所もよい所も全的に否定されます。しかし悪い所は宮本氏のものに違いなかろうが良い所はオリジナル作者のもの、というような「分析」を見たことない元「『敗北』の文学」を基に議論するのは不毛であります。それは文庫本もでている「『敗北』の文学」を(それほど長くもないものです)【手にとりもしない】で、まるで見たかごとくに気軽に「評論」してしまえる猛獣文士さんの【危うさ】とも一脈通じるものと言えますし、あるいは剽窃以下(剽窃するなら少なくとも元作品の良さを認識して盗むのだ)ではないか、と思う次第であります。
[595] Re: 【枝】「『敗北』の文学」剽窃の意味について 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/06(Tue) 17:02 <URL>
大阪の人さんちわぁ。
> その読者さんには読者さんの理由があっただろうし、それに対して「反論があって然るべき」というのはいかがなものかと思います。当方は「一本あり」と思ったのです。この人も蛇足はしたくなかったのでしょう。
少しうろ覚えになりましたが、吉野さんは、宮顕の母が獄中見舞いに来て宮顕の顔が膨れているのを見て「可愛そうに」云ったという下りでのれんだいこ解釈に異議を唱え、れんだいこがその異議に再批判申し上げております。通常は、再々批判があるところです。議論というのはそういう風に進むものです。しかし、れんだいことの遣り取りが嫌になったから止める式の中途半端になっております。
「一本あり」についてですが、れんだいこには、審判が両手を水平に交叉させて無効としているように見えます。しかしまっ事が重大か過ぎてコメントできないということも考えられますので、そっとしておいております。
> それから「『敗北』の文学」剽窃説ですが宮崎学氏がどこかで書いていますね。オリジナルは誰ですかね。たとえば剽窃であったとしたら、その悪い所もよい所も全的に否定されます。しかし悪い所は宮本氏のものに違いなかろうが良い所はオリジナル作者のもの、というような「分析」を見たことない元「『敗北』の文学」を基に議論するのは不毛であります。
もし「『敗北』の文学」における芥川論の部分が剽窃ということになりますと、宮顕のオリジナルな部分は、「野蛮な情熱で」この半端野郎につるはし(バール)を振り下ろせということ以外は見当らなくなります。こうなると「『敗北』の文学」の面相が全く変わって参ります。
もう一つ付け加えるとすれば、マルクス主義の歴史法則的な公式主義観点に過度に依拠する宮顕論が見えてまいります。当時では戦闘的にみえたかも知れませんが、今日からするとナンセンスな態度になります。つまり、良いところというのがどこにもなくなる訳ですね。剽窃説には、そういう重大な意味が込められております。
[590] Re: 【枝】川端康成氏他 投稿者:大阪の人 投稿日:02/08/06(Tue) 11:53
これまた枝の議論でありますが、当方が受け止めねばならぬ真剣な議論がない中で余儀なくされた閑暇をいかして一言だけ述べさせて頂きます。
宮本氏は川端康成氏の死去に際して何かの弔辞を書いています。今手元にないのでうろおぼえですが『回想のひとびと』という本にあったと思います。私の印象では川端氏の文学に関しての言及として直接的なものは何もなかったのでありますが、川端氏のちょっとしたエッセイをとらえて、この猛獣氏などの所謂”自称左翼”の側の「反動」というレッテルの影に、案外気のいい、庶民に愛着をもつ川端氏の意外な姿を認めているのが特徴です。これは実は「『敗北』の文学」でハタチかそこらでちょっと肩をいからせて芥川を評論していた氏の、その肩の力が抜けた所での焼き直しのような所が感じられます。つまり猛獣さんが川端氏に対して宮本氏は? と問うたのは案外するどい直感が(少なくとも文芸評論などの活動に関しては)あったと思い驚く次第であります。
[591] 【枝】HP掲載ダブり 投稿者:大阪の人 投稿日:02/08/06(Tue) 12:48
これまた枝の議論でありますが、当方が受け止めねばならぬ真剣な議論がない中で余儀なくされた閑暇をいかして一言だけ述べさせて頂きます。
「統一と団結の決議」『中国研究』77年34月バックナンバーから、は掲載重複です。『「文化大革命」および干渉問題と日中友好運動Q&A』パンフの内容の一部で既出であります。年代順から申せば『中国研究』誌とも申せますが、それにしても中身を読まずにスキャナかけるだけの猛獣さんにはこうした重複が気にならないらしい。このやる気のなさ加減は、もはやどうしようもありませんな。
[585] Re^3:576 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/08/05(Mon) 09:05
> れんだいこさんにしてもコスポリ氏にしても、この【実際】の件では議論にならない、猛獣さんもあてにしていた彼らが頼りにならないようですな。何度目かのこの議論で行き詰まりを見せたらこうした枝議論に持ち込んで何か言い返しが成立するかにいうのは、性懲りがない、と言わざるを得ません。
私はこの「事件」(私が生まれるだいぶ前)そのものについては、さほど知識がありませんし当事者でもありません。私が関心があるのは、裁判所がやるような「事件そのものの解明」ではなく、その政治的背景であります。「事件そのものの解明」はそれに関心のある方におまかせします。
私の立場をもういちど書いておきます。(「大阪の人」は何度書いてもわからないようですので)
日本共産党と中国共産党は、ともにスターリン主義党であって打倒の対象である。
「プロレタリア文化大革命」は誤りであって、彭述之の文革批判は正しかった。
しかし、文革を支持して形成された諸党派は、スターリン主義の枠内にとどまりながらも、「フルシチョフ修正主義」「宮本修正主義」への闘争を行なったのであって、「フルシチョフ修正主義」「宮本修正主義」に対しては一定の進歩性を持つ。これらの党派は、スターリン主義の枠内に留まったため、結局のところ公式共産党(日本では宮修)への対抗勢力となるまでに至らなかった。
日本における在日華僑の運動は、文革指導部の誤った路線に基づいた混乱したものであったけれども、基本的には日帝入管体制とその従僕(宮修)をただしく告発した。華青闘の日本左翼への告発も歴史的意義がある。
> まずは『朝鮮総連と収容所共和国』李英和 小学館文庫。
李英和という人物は、あの萩原遼と同類の「日帝の手先」でありまして、中国の朝鮮族自治区でスパイ活動を行なっている人物です。彼の「RENK」という組織は、南京大虐殺否定の極右ファシストと共闘して反朝鮮活動にいそしんでいます。このような人物の著作は、もし必要なら図書館で探しましょう。(印税がスパイ活動に使われるので)
> わっはっは。寺尾氏は猛獣さんと同様に日本の司法制度がどうのとしきりに軽視した発言をねちねちしていますね。あのメンタルではたしかに法廷闘争という理屈はでてこない。「でるところにでて取り上げられる話ではない」という事で、よほど後ぐらかったのでありましょうな。
ところで、宮顕はなぜ再審請求をしないのでしょうか。やはり「でるところにでて取り上げられる話ではない」という事で、よほど後ぐらかったのでありましょうな。
> それかられんだいこさんに(もう項を改めてレスをする気力も失せましたので失礼)一言。
> 既に何かで活動している部分や、一定の議論ができる部分をツマミグイでひっぱってきて何かの「運動」を、しかも国民の苦難の軽減や、悪政の追及や、平和の運動を【抜き】に、ただひたすら「宮本路線の再検討」などを考えるというのは1)他所の運動への寄生虫のような自主性のなさ2)おしゃべりサークルでしかない3)国民の現実の苦難に思いをよせないで運動を異質なものへ変質させようとする、という性質をその根本に内在していると思います。知天にしてそれですか。あなたがのうのうと「反共」をぶっている30数年の間に日本共産党は勢力を拡大しつづけました。あなたの歴史はそしたら「負け一辺倒」ということになりますな。
宮顕や「大阪の人」がいつ「国民(在日華僑や朝僑や移住労働者は含まれないのでしょうね)の苦難」を軽減したのか。むしろ宮顕がいなければ、日本における階級闘争はもっと前進したはずであります。馬鹿もいい加減にしなさい。
狭い意味での「運動」にかかわることがなくても、社会進歩のために有用なことをなしうる人はたくさんいます。れんだいこさんのサイトもその一つです。代々木の正体を暴くことは社会進歩への大きな貢献です。代々木に騙される人が減れば減るほど、さまざまな運動に代々木がもたらす被害が小さくなるのですから。
また、日帝協賛党員らしく「国民」という用語を多用していますが、「国民の苦難」を軽減するために侵略戦争を行なったり外国人労働者を追放することを支持されているのでしょうか。オーストラリアの白豪主義は、「国民の苦難」を軽減するために労働党や労働組合の要求で始まったことですよね。「大阪の人」は白豪主義の支持者でしょうか。また、中国や朝鮮などからの戦後補償の要求は、「国民の苦難」を増加させるから反対なのでしょうか。やはり「ネチネチと」「禁じ手」で攻めることは「国民の苦難」を増大させるので駄目だと言うことでしょうね。日帝の被害にあった人々はおとなしく「日本国民」とために黙っていなさい、というわけであります。在日華僑も、「日本国民」の圧制の下で黙っていなさいというわけです。帝国主義本国国民の意識に追随することは、不可避的に自国帝国主義を正当化することになります。(「日本国民の苦難」を増大させる「ネチネチと攻める」中国や朝鮮は許さん!という意識は、代々木党員にすら浸透しているのです。)自主独立の本質がここに顕れています。自主独立とは、国際プロレタリアートから離れ、自国の遅れた「国民」に追随することなのです。まさに第二インターが辿った道です。いやそれでもほめすぎか。白豪主義の道と申しましょうか。「自国の国民」のために人種差別を支持する労働党--これが自主独立の行き着く先である、と言っておきましょう。
> > 対日干渉という話は、コスモポリタン氏が何度も言っていますが、マルクス主義の教義の問題にかかわりますので、事実関係のように単純に判定することはできないでしょう。
> > いつからコスポリ氏は猛獣さんの多国籍軍に編入されたのでしょうか。
マルクス主義の教義の次元では、代々木も「対日干渉」などという妄言は言えなかったことは明らかです。代々木自身が、「対日干渉」などという戯けたことを60年代には言っていないでしょう。当時の代々木の文献は、あくまで「国際共産主義運動の原則」への違反を論難しているだけで、「対日干渉」などというブルジョア的な主張はありません。
もし、国会で代々木の議員が外務大臣に「中共と在日華僑の対日干渉を排除せよ」とか要求してれば面白かった(笑)。今の不破なら本当にやりかねんが。
>寮生たちも18、9のガキでありまして「守るべき家族」がせめてあればもっと賢明な対処ができたのではないか、という仮定も成り立ちます。毛沢東氏の片言隻句は永遠に紅い太陽で、これは理解して実行し、理解しないでも実行する、宮本顕治のばかものよ、毛沢東主席に反対するものは誰であろうと打倒する、東京に手を伸ばして、狗の頭を殴ってやる、などと家族にまた言わせるお積もりでありましょうか。そして雪中で頚をくくられ、逆エビ型にしばられ、「革命家として死にたかった」と迷文句を吐きつつ息絶えさせたい、あるいは北朝鮮に渡ってニセ札をまいたりヨーロッパで女性を誘拐するのに動員されるということでありましょうか。
デマもいい加減にしたらどうでしょうかね。「北朝鮮のニセ札」はでっちあげであることがタイの裁判所でも認定されましたよ。よど号グループの田中被告は当然ながら完全無罪の判決を得ました。また「ヨーロッパで女性を誘拐」というのも、なにひとつ根拠のないヨタ話の類です。だいたい、20代の大人の女性をどうやって誘拐して朝鮮まで連れていくのでしょうか。
> > あなたには、人権とか民主主義とか言う語の意味が本質的に分からないようです。
> > どのような人権とか民主主義でありましょうか。日本人民の主権を踏みにじる中国人の身勝手な人権と中国人の中国人による中国人のための民主主義でありましょうか。
おや、ここでは「国民」をやめて「人民」にしましたね。一歩前進です。
ところで、「日本人民の主権」とは何を指すのでしょうか。1967年当時も、今日も日本はブルジョア国家であります。つまり、「日本人民の主権」なるものは存在せず、ただ「日本ブルジョアジーの主権」が存在するだけであります。どうして中国人が日本ブルジョアジーの主権を尊重しなければならないのでしょうか。被抑圧民族である中国人が抑圧民族である日本の「主権」を尊重しないのは当然であります。また共産主義者は、ブルジョアジーの「主権」などにこだわらず、プロレタリア国際主義に基づいて行動するだけであります。
> 根本的には外国人が内政干渉するということでは、同等の性質をはらんでおります。お気をつけあそばせ。中国共産党の論文に中国には覇権主義の芽があるから、よほど心しないといけないというような記述があったのを見たことがあります(コスポリ氏がしきりに攻撃している『社会主義と民族自決権』のP260、「ふたたびプロレタリアートの執権の歴史的経験について」(中国共産党中央委員会政治局拡大会議の討論に基づいて『人民日報』編集部が1956年12月29日づけの同紙に発表、とあります)。
おいおい、文献の題名すら改竄するのかい。「執権」というのは宮顕用語であって、中国共産党の原文では当然「独裁」となっているよ。不破の戯言を信仰するのは勝手だが、他人にまで押しつけるのはやめなよ。
また、「ふたたびプロレタリアートの独裁の歴史的経験について」で言及されているのは、ブルジョア的な「内政干渉」とかではなく、あくまで「覇権主義」ですよ。この違いもわからないのかい。当時の中国共産党は、ソ連のハンガリー介入を支持しながらもソ連を批判する必要があって、「覇権主義」という概念を発明したわけね。「覇権主義」というのは、あくまで「社会主義国間の関係」や「兄弟党の関係」に適用されている概念であって、ブルジョア国家との関係にはもちろん関係のない話だ。日本は帝国主義国家なのだから、日本に対して「覇権主義」を実行することなど、はなから問題にはならないのです。
> 判決も重要でありますし、98年合意も重要でありますし、連赤だとか、ML派だとかの消長も重要であります。北爆の最中にあれだけ反米反ソだとかいいながらニクソンを招いて握手したり、また中国共産党が一時日米安保条約を「ビンのふた」と称して美化し日本に軍事力を増強させるようにそそのかしたりしたことも絶対に忘れる事ができません。ポルポト派の野蛮な中国衛星国家の惨状も忘れることができません。
ところで、「ビンのふた」という認識は、中国共産党のみでなく中国人全般にあるものだと思いますがね。中国人は日本人の侵略の記憶はあっても米の直接侵略は経験していないわけです。日本人は歴史を清算しないばかりか、日帝の蛮行を「ネチネチと」追及することは「禁じ手」であると言って逃げるのですから、「米国より日本のほうが怖い」と思うのは中国人の感情として当然であります。私自身も、日本が安保を破棄して「真の独立国」になったら今よりもっと怖いと思います。そう認識されるのは日本人の身から出た錆びであって、中国人が非難される謂れはないと思いますよ。
[587] 理論活動はとても大事です 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/05(Mon) 13:17 <URL>
コスモポリタンさんちわぁ。
> 狭い意味での「運動」にかかわることがなくても、社会進歩のために有用なことをなしうる人はたくさんいます。れんだいこさんのサイトもその一つです。代々木の正体を暴くことは社会進歩への大きな貢献です。代々木に騙される人が減れば減るほど、さまざまな運動に代々木がもたらす被害が小さくなるのですから。
うんよう云うてくださった。れんだいこサイトの意義は恐らく死してのち輝くでせう。なぜなら、表見左派は狭量人士の巣窟でありまして、意図的に無視してくださりますからねぇ。こう云う場合、死したら認められるものです。そして提灯記事が何本も出るでせう。過去の歴史でそういう事例になっております。人間性つうものはそうは変わらないので、抵抗せずその波間に任せております。
一言添えれば、なぜ理論が大事かというと、人間という生き物がそういう生理構造になっているからだと考えております。他の動物は本能を研ぎ澄ましておりますが、人間という種族はその方面を減退させた代わりに頭で納得し、そうした過程を経て共同行動化させることにより特倍加する力を発揮するという特質があると思っております。
今左派戦線がへたっているのは、理論が現実を捉えていない現実の要請に応えていないからだと思っております。例えば、戦後という時代の認識でも、どうも理論が違うのではないか、それは日共も社会党も新左翼もみんな捉え損ねているという仮説を持っております。現下の小泉流構造改革路線に対しても、論としてきちんと対置できないから、為すがままに進行を許しているという認識をしています。左派の運動論、組織論、現状分析、政権論、革命論、諸外国友党との関係論、経済政策論等々どれをみても、一歩踏み込めば分からないところだらけではないでせうか。
おかしなもんで、そうだから逆に難しく語り、あるいは何を言っているのか分からないような玉虫色理論が流行したり、著作権で囲いあいコミュニケーションしにくくし合っている。それらに幻惑されて、さすがは先生なんておだてあげる上下関係構図ができておるように思います。こういう虚構を撃つというのも大事な作業ではないでせうか。
[630] あの文化大革命を語ろう 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/14(Wed) 15:26
皆さんちわぁ。れんだいこはまもなく文化大革命について考察し始める予定です。やはりこれを正面から論じないと今のままでは可哀そうというか、浮かばれますまい。史実考証と是非論の二視点からやってみたいです。本格的なのが無い様子ですが、中国でもタブーかも知れないね。かなり難しいテーマですが請うご期待とご支援をば。
[631] Re: あの文化大革命を語ろう 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/15(Thu) 07:37
> 皆さんちわぁ。れんだいこはまもなく文化大革命について考察し始める予定です。やはりこれを正面から論じないと今のままでは可哀そうというか、浮かばれますまい。史実考証と是非論の二視点からやってみたいです。本格的なのが無い様子ですが、中国でもタブーかも知れないね。かなり難しいテーマですが請うご期待とご支援をば。
れんだいこさん、こんにちは
れんだいこさんの自由闊達な発想には、感服します。しがらみがなければ、鋭い分析を振るえるのではないでしょうか。いいとおもいます。
[632] Re^2: あの文化大革命を語ろう 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/15(Thu) 22:47
猛獣文士さんちわぁ。
> れんだいこさんの自由闊達な発想には、感服します。しがらみがなければ、鋭い分析を振るえるのではないでしょうか。いいとおもいます。
有難うございます。練りあわせでいいものつくりませう。それはそうと大阪の人さんはお忙しいのか、ダンマリを決め込んだのか、逃亡なのか。いろいろ質問しているのですが答えてくれないですねぇ。日本人民のためにならないから答えないというところまでは判ったのですが、左派だったらそういう出し惜しみせずにやっぱオルグってくれないとね、残念ですね。
[633] Re^3: あの文化大革命を語ろう 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/17(Sat) 22:03
れんだいこさん、こんにちは
> 有難うございます。練りあわせでいいものつくりませう。それはそうと大阪の人さんはお忙しいのか、ダンマリを決め込んだのか、逃亡なのか。いろいろ質問しているのですが答えてくれないですねぇ。日本人民のためにならないから答えないというところまでは判ったのですが、左派だったらそういう出し惜しみせずにやっぱオルグってくれないとね、残念ですね。
大阪さんは、完全に論破されて沈黙したのでしょう。
さて、文化大革命を新しい独自な視点で分析することは、大変、野心的な試みだと思います。あまり、結論を急がずに、じっくりと攻めていきたいと思います。
ところで、私がもう一つ検討したいのは、れんだいこさんの宮本顕治論です。私は宮本顕治氏を擁護する地点から程遠い立場の人間ですが、宮本顕治氏が権力の内通者であると規定には、どうもしっくりしないものを感じます。したがって、このあたりについても、少し議論をしてみたいのですがいかがでしょうか。
宮本顕治氏が戦後の日本共産党を、非合法な反体制組織から、合法的な「革新」政党に変えたことをスパイと呼ぶか、修正主義と呼ぶかのキーポイントはどこにあるのでしょうか。スパイという言葉は、非常に卑劣な印象と憎悪を感じさせるものですが、単にそのような意味での呼称の変更は感情論とも受け取られかねません。
査問事件で無実の同士を死に至らしめたという点は(詳細は議論の多いところですが)大きな責任があるとはいえ、スパイという議論とは別の次元の話にも思えます。
この辺、れんだいこさんは決定的な論拠をもっているのでしょうか。
[634] Re^4: あの文化大革命を語ろう 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/18(Sun) 09:03
猛獣文士さんちわぁ。
> 大阪さんは、完全に論破されて沈黙したのでしょう。
論破されたかどうか議論は入り口に達したところでが、日共の公式見解の陥穽箇所に彼が気づいたかどうか、そこが問題だろうと思います。日共のソフィスト達の盲従者でしかない己の姿を鏡に映せたかどうか、それでも得心する氏の姿は何者かそこが気がかりです。
宮顕は丁度巷では入院との噂です。新しいスレッド立てて下されば参加いたします。
> 宮本顕治氏が戦後の日本共産党を、非合法な反体制組織から、合法的な「革新」政党に変えたことをスパイと呼ぶか、修正主義と呼ぶかのキーポイントはどこにあるのでしょうか。スパイという言葉は、非常に卑劣な印象と憎悪を感じさせるものですが、単にそのような意味での呼称の変更は感情論とも受け取られかねません。
宮顕は戦前も、愛国的民族主義的天皇制と親和的な党運動を目指しております。しかしこの理論そのものが当局の許容する範囲のマルクス主義であり、それを主張する宮顕は偶然にそういう観点に立っていたのかどうか、解明を要するところです。
> 査問事件で無実の同士を死に至らしめたという点は(詳細は議論の多いところですが)大きな責任があるとはいえ、スパイという議論とは別の次元の話にも思えます。この辺、れんだいこさんは決定的な論拠をもっているのでしょうか。
この観点は、失礼ながら猛獣文士さんの認識が正確でないと思います。問題は次のことにあります。「査問事件は、宮顕スパイ説議論とは別の次元の話にも思えます」とありますが、別次元の話ではないと考えます。査問事件は、宮顕一派が党中央簒奪を意図して、先輩格の中央委員しかもわずか4名しか残されていないうちの2名を、スパイ容疑で拉致監禁し、査問して行った過程で発生した致死事件です。
この事件の真の狙いは、唯一の労働者畑出身の中央委員として希少であった小畑をテロルことにあったと思われます。その意味で、一緒に査問された大泉は刺身のツマのようなものです。事実、大泉へのテロルはソフトで小畑へのそれはハードです。実際に殺されたのも小畑です。
この事件は、真性スパイグループが政敵をスパイ呼ばわりしてそれを大義名分にして査問して行ったという白色テロル性にあるのではなかろうか、という観点から解明されねばならないと考えております。事は決して当時の厳しい党活動発生した止むを得なかった事件ではない、その観点はこの事件の持つ重みを平板化させると思います。
もし「止むを得なかった不幸な事件」とするなら、宮顕が通常の感性の持主であれば、そういう履歴を持った事を悔やみ党活動から遠慮するものでせう。実際には宮顕はどう動いたか、僅かばかり残されていた有能党員と戦闘的労組者にターゲットを絞って更なる査問を呼号し、指示しております。その他あり得てならない党員証の再提出取り付けに向かって行っております。以下書けばキリがありませんが、宮顕こそスパイでなければオカシイ動きを見せております。
この観点で見れば、戦後の動きもすべて変調です。戦後直後から5年間党運動を指導した徳球ー伊藤律派の運動に徹底的に逆らいます。この徳球ー伊藤律派の運動こそ本来の日共運動だったと考えられます。宮顕はその後、六全協で野坂と二人三脚することになりましたが、その野坂が多重スパイであったことが今日判明しておりますが、何十年もその野坂とタッグを組みえた宮顕とはそも何者か。通常はそう疑惑が向かうところでせう。この自然な論理の流れがなぜか遮断されてしまっております。
長くなりましたので割愛しますが、「この辺、れんだいこさんは決定的な論拠をもっているのでしょうか」とありますが、この種の人士に限って「決定的な証拠」を入手できるとは思いません。それが無ければ推定できないというものでは無いと思います。れんだいこのこの観点に確固として立っておれば、善隣学生会館事件の際にもその他諸々の事件の際にももっと別な対応の知恵が湧いていたはずだと思っております。
そういう意味で宮顕論は避けて通れない一級課題だろうと思っております。ところがなぜか反日共系は、口では悪し様に云うがこの課題の考察に向かわない。変な話だと思っております。
[612] 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/09(Fri) 23:29
やっぱり『3.2日早朝襲撃事件』について白黒つけませう。この事件を日共系はどのように説明しているのか。中共系は、日共武装部隊によるテロ事件で華僑学生側に重傷者7名を含む多数の負傷者が出たとしております。これに対し、日共はどう答えているのでせう。「朝7時ごろ、かれらは再び協会事務所に襲いかかり、防衛にあたっていた会員たちになぐる、ける、水をかけるの暴行をはたらく。7時20分ごろ便所に行こうとした森下常任理事に襲いかかり、全治三週間の重傷を負わせる。こうして協会事務局は完全に監禁状態になる」と報じておりますが、「華僑学生側に重傷者7名を含む多数の負傷者が出た」ことは認めている上での反論なのでせうか。「華僑学生側に重傷者7名を含む多数の負傷者が出た」というこの事件自体を否定しているのでせうか。
大阪の人さんはどのように見ておられるのですか。1、事件自体が捏造、2、逆に華僑学生側からの襲撃事件であり被害者である。3、華僑学生側からの襲撃に反撃した正当防衛の結果、一定の負傷者を発生させた。この3観点が考えられますが、どのようにお考えですか。猛獣分子さんコスモポリタンさんとのやり取りではどのように答えておられますか、教えていただければ有難い。やはり、こういうところの認識を正確にしておかないと、議論が生産的にならないのではないでせうか。
れんだいこがなぜ拘るのかといいますと、どうやら「善隣学生会館事件」での弁明は、「宮顕のリンチ事件」でのそれと瓜二つの気がするのです。両事件とも、いろんな見方が出来るというような性格のものではなく、真実は一つなのです。それをおくちを上手に回せて、クロをシロと言いくるめて居直る。あろうことか、相手側を詐欺師呼ばわりさえする。こうなると完全に狂気の言論となります。
しかし、そういう物言い常習犯が日共指導部を占拠しており、且つ数十年も占拠し続けているということになります。このことは、過去において運動上の由々しき過ちがあり自己批判した程度では免責されないという史実を持つことよりも、より深刻なことではないでせうか。左派戦線に在り得てならない白色人士が居座っており、それを崇めさせられているという構図になる訳です。ろくな指導が出来ないのも当たり前ということになります。そういう意味で、『3.2日早朝襲撃事件』について白黒つけることはとても大事と考えます。
さてそれからです。それでも宮顕系のプロパガンダを信じるというか鵜呑みにする大阪の人さんの感性の分析に入りたいと思います。標本として格好な人物のように思えます。
[613] Re: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/10(Sat) 12:15
> やっぱり『3.2日早朝襲撃事件』について白黒つけませう。この事件を日共系はどのように説明しているのか。中共系は、日共武装部隊によるテロ事件で華僑学生側に重傷者7名を含む多数の負傷者が出たとしております。これに対し、日共はどう答えているのでせう。「朝7時ごろ、かれらは再び協会事務所に襲いかかり、防衛にあたっていた会員たちになぐる、ける、水をかけるの暴行をはたらく。7時20分ごろ便所に行こうとした森下常任理事に襲いかかり、全治三週間の重傷を負わせる。こうして協会事務局は完全に監禁状態になる」と報じておりますが、「華僑学生側に重傷者7名を含む多数の負傷者が出た」ことは認めている上での反論なのでせうか。「華僑学生側に重傷者7名を含む多数の負傷者が出た」というこの事件自体を否定しているのでせうか。
中共側の説明
朝六時半ごろ、突然約七十人の反中国暴力団が、会館守衛の制止にもかかわらず会館内に乱入し、玄関内で不寝番のあたっていた四人の中国人学生を袋だたきにし、急をきいてかけ下り、これを制止しようとした中国人学生にふたたび暴行を加え、そのため王俊英(19歳)王政明(18歳)の両君など数人が重軽傷をおった。中国人学生たちは少人数ながら水をかけて応戦、約十分間後に反中国暴力団はニセ「日中友好協会」本部事務所の中に入り、ふたたびドアを閉ざした。「赤旗」やマスコミが報じている負傷者森下幸雄(民青中央常任委員)は、水にぬれた廊下でみずからすべってころんだにすぎない。(日本と中国)
その後、スクラム合戦のような状態が続き、同日午後四時に、ヘルメットと棍棒で武装した民青部隊が協会の事務室から飛び出し、寮生側が築いていたバリケードを破壊し、寮生側に襲いかかり、大量の重軽傷者(7名)が出た。
となります。
[614] Re^2: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/10(Sat) 13:39
猛獣文士さんちわぁ。問題は、大阪の人さんが自分のくちで見解を語るだろうか、というところにあります。『善隣学生会館事件』全体ではなく、『3.2日早朝襲撃事件』という事件に限定し、判断をし易くさせて見ました。恐らく素敵な逃亡が始まるのではないかと推理しておりますが、見事この推理が外れますように。
補足すれば、『リンチ事件』でも、何やかや日共側の弁論を振り回していた者が、辻褄が合わなくなるや途端に貝になるということが珍しくありません。ルーマニア事件もそうですね。八鹿高校事件も右同じく再精査せねばなりませんね。しかしこうなると、日共指導部は一貫して弁論ペテン師の巣窟ではないかということになりますね。
話は変わりますが、真紀子が議員辞職しました。議員辞職したからといって免責しないぞと志位委員長がコメントしております。ところが、議員及び秘書手当てのピン撥ねは日共が元祖のようなもので、差額徴収もひどい。そのひどい者が平気で真紀子を論難して今後も追い詰めていくと云う。信じられますか、この厚顔狂気さを。
[616] Re^3: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/10(Sat) 14:20
> 八鹿高校事件も右同じく再精査せねばなりませんね。しかしこうなると、日共指導部は一貫して弁論ペテン師の巣窟ではないかということになりますね。
八鹿高校事件は、興味のある事件です。
[617] Re^4: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/10(Sat) 14:39
猛獣文士さんちわぁ。
> 八鹿高校事件は、興味のある事件です。
そこで今ふっと、ある街道筋に意識的に家を逆さに立てたレストランがあったことを思い出しました。家具から何から何まで逆向きにしてたそうです。れんだいこは評判だけ聞いて入らなかったのですが、最初は面白くてもやがてあきられました。
日共論理を家に例えれば、この逆さに特徴があり、よくぞまぁああいう家の中で生活できることよとあきれてしまいます。住人もよほど変わっていないと落ち着かないはずですが、よほど変わっているのでせう。もう何十年も暮らしております。
しかしよく考えたらこうなんですね。反共主義の砦としてわざわざつくった応接間であり、実態はずっぽり右翼反共主義の台所でワイガヤしているのですね。だからなんとも無い。時にまともに逆さ部屋に住み着いて体を悪くする者が出ますが、当たり前ですよね。その点で、大阪の人さんは理屈が分かっているからちゃんと使い分けできてるみたいです。
[618] Re^5: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/10(Sat) 23:58 <URL>
猛獣文士さん皆さんちわぁ。引き続き事件経過の資料を読み取りしているのですが、奇妙なことに『3.2日早朝襲撃事件』に関する日共系からの記述は皆無ですね。日共系は、事件不存在の捏造としているのでせうか。
宮顕のリンチ事件でも、『小畑、大泉に食事を提供したのかどうか』という質問のくだりになると、一様に口を閉ざし始めます。なぜなら、ああいえばこういう名うての詭弁プロたちも、『小畑、大泉に食事を提供したのかどうか』誰も答えていないから、答えられないのですね。傷なら、こちらが深いと云えば浅いと言い返します。しかし、食事の提供となるとイエスかノーかの二つに一つの返答しか出来ない。これは困るらしいです。
そのことを思い出しましたが、日共側のどの資料にも奇妙なほど『3.2日早朝襲撃事件』の記述が欠落していますね。大阪の人さんが答えられるかどうか、興味あるところへ話がやって参りました。恐らく遁走でせうかやっぱ。
[619] Re^6: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/11(Sun) 10:38
猛獣文士さん皆さんちわぁ。サイトの中の共産党側の資料の「毛沢東との最後の会談」を今読みました。なかなか貴重な資料ですね。かの時の会談の様子を語っているものに目を通したいと思っております。宮顕の文はどれもご都合主義で塗り固められておりますので、信用できません。参考にとどめるぐらいが賢明だと思います。お手数ですが、中国側の論評とかこの辺りの資料を充実していただければ有難いです。
さて、それにしても『3.2日早朝襲撃事件』につき、あたかも存在しないかのようにコメントしない日共側の態度というのは問題ありですね。彼らの記述通りだとすると、それまでの流れからして断固正当防衛戦に打って出た、
この過程で一定の負傷者が出たのは止むを得ないことであった、となぜ総括し声明しないのでせうね。ノーコメントは卑怯な態度です。
ふっと思うことは、これは宮顕のズル顕特有の手法なんですね。例のリンチ事件で小畑中央委員が咄嗟の逃亡過程で暴行死させられた。この時、普通なら予期せざる致死であるとして詫びれば良いのです。なぜなら小畑をスパイとしているのだから、その調査査問中に起こった不幸な事故として発表すれば、理解されるものです。
ところが、どう対応したか。まず蘇生に尽力したのが俺だと云う。死体を床下に埋めたのは、俺の指示ではなく他の者が勝手にやったから責任は無いという。小畑の死亡は当人の体質的な突然死ではないかという。検視結果からすれば梅毒模様の所見が記載されていると愚弄する。死体に残されていた損傷は、押入れの中で当人が暴れて蒙った自損傷であると云う。
つまり、『3.2日早朝襲撃事件』同様に『暴行不存在』で徹底的に居直るのですね。社会党声明に対しても、宮顕が直接乗り込んで行き、堂々とクロをシロと云い抜いてクロをクロと云う社会党を逆に恫喝しています。誰にも真似できない異常な狂気が宮顕には有りますね。
しかしなんだな、その異常なる狂気の部分を宮顕の革命家らしいところとして畏敬する者が出る。ここにも約一名居りますが、世の中似た者が寄りテンション高めあうということですかな。しかし社会党もだらしないですね、その後どのように対応したのでせうか。恐らく表にて出ていない話があると思われます。何かの弱みをちらつかされて、もろもろの意味合いを込めて恫喝されたのではないでせうか。宮顕がわざわざ社会党本部に乗り込んでいるところが胡散臭い。れんだいこはそう推理します。
[625] Re^7: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/11(Sun) 20:15
> 猛獣文士さん皆さんちわぁ。サイトの中の共産党側の資料の「毛沢東との最後の会談」を今読みました。なかなか貴重な資料ですね。かの時の会談の様子を語っているものに目を通したいと思っております。宮顕の文はどれもご都合主義で塗り固められておりますので、信用できません。参考にとどめるぐらいが賢明だと思います。お手数ですが、中国側の論評とかこの辺りの資料を充実していただければ有難いです。
1966年3月の毛沢東・宮本会談についてですが、私は宮本手記以外にはそれを詳しく記述した文献を知りません。立花隆の「日本共産党研究」の最後の参考文献リストに、「毛沢東との最後の会談(S52.6.24)」に対する参考文献(c.f)として
「毛沢東・宮本顕治会見記の虚妄をつく」亀山幸三《日中S52.8》
が紹介されているので、この文献も収録するべきなのかもしれません。この「日中」というのは、日中友好協会機関紙の「日本と中国」のことなのかどうか、不詳です。
この会談は秘密会談であったようで、宮本手記では毛沢東が「この会談はなかったことにしよう」といったとなっており、中国側からこの内容を公式な文書で評論するような文献は見つけにくいのではないでしょうか。
宮本手記やその後の共産党の文献でも、紅衛兵の壁新聞などでこの会談に関する言及があったことにわざわざ対応しています。当時の紅衛兵の壁新聞は、中国の国家意思を代表するほどに重要な発表だったのでしょうか?
中国側の対日本共産党攻撃・批判・非難がどのような経過で起きてきたかということを調べるには、どのような調査が必要になるのでしょうか。日本共産党では、このような調査を一定行っており、それなりの成果を持っているのかもしれません。しかし、どうしても一定の立場からの主張という形になるので、そこから客観的な事実だけを抽出するというのは超人の業が必要になりそうです。
また、共産党間の路線論争というのは、大変、抽象的な用語を駆使して、遠まわしな論争をしながら、それが非常に激烈な対立ないし敵対のサインであったりするので、追いかけるのが難しいと思います。
文化大革命においては、中国共産党の指導部が総崩れになり、紅衛兵運動によって中国全体がリードされていくというような時期が発生し、毛沢東も紅衛兵運動を指示したりした時期がありますので、中国共産党の正式な見解が形成されなかったことがあったというのも、この時期の中国側の評論を探し出すことの困難性の原因のひとつなのかもしれません。
たとえば、日本共産党では、4つの敵論の規定の最初の出現は、1966年7月に毛沢東が「各首長」に対して語った「講話」にあると主張しています。この講話が記録されているのはガリ版刷りやおそらくタブロイド版などの印刷でなどで紅衛兵の間で読まれていた非公式な文献であり、この講話のテキストについても多数のバージョンがあります。その中で、毛沢東が「文化大革命に反対するものは誰か、米帝、ソ修、日修そして反動派である」とのべたとする版があるのですが、異本ではその日修の部分が入っていません。この講話が掲載されている文献は、「毛沢東思想万歳(甲本、乙本、丙本、丁本がありこの講話は甲本と丁本に収録されている)」、「教育革命」という雑誌(未確認)、さらにガリ版りの「毛主席文選」という種類があることを確認しています。
ちなみに、私が確認できる三つの中国語版の講話での原文を比較すると、以下のようになります。
1.毛主席文選1967年(?)(小倉編集企画復刻版)44ページ
(対中央首長的講話)
講話日1966年
誰反対文化大革命?美帝、蘇修、反動派。
2.毛沢東思想万歳(1967年4月)(小倉編集企画復刻版、甲本)
(対中央首長的講話)
講話日1966年
誰反対文化大革命?美帝、蘇修、日修、反動派。
3.毛沢東思想万歳(原文(1969年)復刻版、現代評論社1974年丁本)648ページ
(対中央首長的講話)
講話日1966年7月
誰反対文化大革命?美帝、蘇修、日本反動派。
毛沢東思想万歳丁本は東京大学近代中国史研究会によって翻訳され、三一書房から出版されています(1975)。また、新島純良氏は「毛沢東最高指示」で、これらの文献の主要部分を訳出していますが、そのテキストは甲本のようです。
[627] Re^8: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/11(Sun) 20:29 <URL>
猛獣文士さんご丁寧に有難うね。ぼちぼちで構いませんから為になる資料が手に入りましたらお願いします。
[623] Re^7: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/11(Sun) 16:37
れんだいこさん、
こんにちは
2月28日から3月2日までの経過は、資料の記述が混乱していて、まとめるのが難しいのですが、一度、全部の言い分を一覧表にしてみたいと思います。
これまでの整理により、
2月28日の午後11時ごろに壁新聞が破られたために、寮生十数人(この人数は各資料でほぼ一致しています)が協会事務室に抗議に行ったところを事件の開始時点と考えることにしたいと思います。その前に、中国映画会でのトラブルなど、伏線となる事件がたくさん起きていました。
このときの事務室内の人数は、日本共産党側の資料で強調されていて、5人ということだったということです。このとき事務室内にいたと思われる顔ぶれとして考えられるのは、
1.橋爪利次事務局長
著書「日中裏面史」などで、当日事務室にいたと書いています。
2.小山慎平事務局員
寮生の抗議に対して直接対応し、謝罪文を書いています。
3.西村郁子さん
「これが人間のすることか」という手記で、28日午後11ごろ、
「玄関のところで小山さんが華僑の学生にとりかこまれて押し問答をしていましたが、役員の方がおられる
ので、とにかく事務所へはいりました。」
と証言しています。
4.村上糾さん
壁新聞が破られていることについて寮生と言い合いになり、寮生の一人(彭忠道)の顔面を殴打して協会事務室に逃げ込んだとされているので、このときも室内にいたはずです。
日本共産党側のいうとおり、当日の室内の人員が5名であるとすれば、もうひとりの協会職員がいたということになります。
ところで、協会事務室内の人数が5名であるという状態は、どの程度継続したのかをみると、せいぜいのところ数時間であるようです。事件の発生直後の3月2日付けの「赤旗」では、2月28日深夜に「連絡をうけた会員約六十人が本部防衛にかけつけ、中国人学生を圧倒し、本部事務所には手出しもさせませんでした。」となっており、この六十名の動員部隊が到着したあとは、協会事務室の人数は大幅に増加していたことが確認されます。
この動員部隊の到着がいつであったのかですが、日本共産党側の資料では意図的にでしょうが、この動員に関する記述があいまいになり、5人の事務局員を数十人で襲撃したという記述に変わっていきます。
この日の動員については、華僑学生側の資料でもたびたび触れられておりますが、具体的な時刻を記しているのは、以下の資料です。
| ところが事件発生1時間後の深夜12時ごろ日本共産党と民主青年同盟の宣伝カーに分乗した60−70人の
| 男たちがかけつけ華僑学生たちともみあいになった。華僑学生は女性を含みスクラムを組みこれを阻止した。
|(光岡玄「善隣学生会館流血事件の意味するもの(?の1)」)
これによれば、人数的に寮生が優勢だったのは1時間ほどの間だったといえます。
翌日の3月1日は、午前10時から11時ごろに
| 午前十時ごろから三回にわたって協会本部に、「おれは四階に住む中国人だが、反中国分子はいのちをかけて
| もこの会館から追いだしてやる」という電話がかかってきていました。(3月7日つけ赤旗)
というように、寮生が電話をかけたことが多くの日本共産党側の資料で記述されています。しかし、午後6時まではそれ以外に特別なことはおこらなかったようで、ほとんどの資料の次の記述は、3月1日の午後6時に善隣学生会館の玄関ホールで開催された寮自治会主催の抗議集会になっています。
この抗議集会に対して、さらに日本共産党側が動員しなおし、500名が善隣学生会館を包囲するという状態になり、この状態が継続したまま、3月2日の朝を迎えることになります。
[624] Re^8: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/11(Sun) 17:44
> 1.橋爪利次事務局長
> 著書「日中裏面史」などで、当日事務室にいたと書いています。
> 2.小山慎平事務局員
> 寮生の抗議に対して直接対応し、謝罪文を書いています。
> 3.西村郁子さん
> 「これが人間のすることか」という手記で、28日午後11ごろ、
> 「玄関のところで小山さんが華僑の学生にとりかこまれて押し問答をしていましたが、役員の方がおられる
> ので、とにかく事務所へはいりました。」
> と証言しています。
> 4.村上糾さん
> 壁新聞が破られていることについて寮生と言い合いになり、寮生の一人(彭忠道)の顔面を殴打して協会事務室に逃げ込んだとされているので、このときも室内にいたはずです。
>
> 日本共産党側のいうとおり、当日の室内の人員が5名であるとすれば、もうひとりの協会職員がいたということになります。
もうひとり、3月2日に便所に行こうとして転んで目に怪我をした森下幸雄常任理事の名前が挙がります。当日事務室にいた5名というのは、この五名を指しているのでしょうか。詳細は不明です。
[626] Re^9: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/11(Sun) 20:26 <URL>
猛獣文士さんちわぁです。こうやって事実関係を丹念に立証していくことが百万言の罵倒より有効でせうね。何せこの件では、宮顕が社会党本部まで抗議に出向いていることを知りました。こうなると、公党間の関係になります。もし、宮顕の写真まで添えた居直りが噴飯ものだったとすると、これは由々しき政治的道義的責任問題が発生してしかるべきです。今日においても日共は謝罪を要するでせう。そういう意味で史実を明らかにしておく必要があります。
それにしても、当時の反日共系の方々が、こう云う風に論を詰めていかなかったお粗末さも感じます。感情が先行して糾弾に忙しかったのでせうが、論には論で反証していく作法がやはり必要ではないでせうか。れんだいこは、宮顕党運動は一事万事こう云う風に逆さ見解を強引に推し進めてくる性癖を感じております。どこかで、大衆的にこのことを確認せねばならないと考えております。
[628] Re^10: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/11(Sun) 22:08
> 猛獣文士さんちわぁです。こうやって事実関係を丹念に立証していくことが百万言の罵倒より有効でせうね。何せこの件では、宮顕が社会党本部まで抗議に出向いていることを知りました。こうなると、公党間の関係になります。もし、宮顕の写真まで添えた居直りが噴飯ものだったとすると、これは由々しき政治的道義的責任問題が発生してしかるべきです。今日においても日共は謝罪を要するでせう。そういう意味で史実を明らかにしておく必要があります。
> > それにしても、当時の反日共系の方々が、こう云う風に論を詰めていかなかったお粗末さも感じます。感情が先行して糾弾に忙しかったのでせうが、論には論で反証していく作法がやはり必要ではないでせうか。れんだいこは、宮顕党運動は一事万事こう云う風に逆さ見解を強引に推し進めてくる性癖を感じております。どこかで、大衆的にこのことを確認せねばならないと考えております。
そうですね。私としては、日本共産党のかたがたに対して抱いていた積年の恨みのような感情は、このHPを製作していく過程で消滅していったというところでしょうか。しかし、事実関係のもっとも基本的なところで、日本共産党の資料には重大なごまかしがあるのではないかという印象は、むしろ増大しています。
日本共産党が党史のごく一部の部分である、「日中友好協会本部事務所襲撃事件」に関する評価を改定して、また華僑組織に対して簡単な謝罪(遺憾)の言葉を述べれば、多分、華僑組織との悪い関係は止揚されることになると思います。
しかし、現実にはそんなに簡単にはいかないようです。日本共産党のかたがたも大変プライドが高いようですが、それよりも、彼らの党史には、善隣学生会館事件における事実のごまかしのような部分がふんだんに含まれているので、善隣学生会館事件について少しだけ記述を訂正すると、そのことに端を発して党史全体を書き換えなければならないことになるようです。しかし、それを本当にやりきらなければ、日本共産党の本当の意味での発展もないのではないかなどと考えています。
多くの人々が日本共産党に期待して、結局、日本共産党は自らの限界を超えられずに多くの人々を裏切っているようです。これが彼らのぎりぎりの限界だとしたら、残念に思います。
[629] Re^11: 『3.2日早朝襲撃事件』の真相を確認しませう 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/11(Sun) 22:55 <URL>
猛獣文士さんちわぁ。
> しかし、現実にはそんなに簡単にはいかないようです。日本共産党のかたがたも大変プライドが高いようですが、それよりも、彼らの党史には、善隣学生会館事件における事実のごまかしのような部分がふんだんに含まれているので、善隣学生会館事件について少しだけ記述を訂正すると、そのことに端を発して党史全体を書き換えなければならないことになるようです。しかし、それを本当にやりきらなければ、日本共産党の本当の意味での発展もないのではないかなどと考えています。
>
> 多くの人々が日本共産党に期待して、結局、日本共産党は自らの限界を超えられずに多くの人々を裏切っているようです。これが彼らのぎりぎりの限界だとしたら、残念に思います。
本当に残念ですね。れんだいは若い頃、そういう変態性を知らされぬままこの党に人生を賭けようとしたことがあります。いろいろいきさつがあって信用するに足りないと見切り離れることになりましたが、今となっては大正解です。
この党は、より正確にいえば宮顕系日共は、嘘八百デタラメを傲慢に居直るところから始発させています。その端緒が「リンチ事件」でせう。あそこでついたクロシロ逆裁定論理が宿あのように纏いついて、次から次へとウソの上塗りをし続けております。この党が、従って善隣学生会館事件においての見直しなぞできるわけが有りませんね。「少しだけ記述を訂正すると、そのことに端を発して党史全体を書き換えなければならないことになるようです」は、全くその通りでせうね。
ソ共でも中共でも、道中では過去の政策で大失敗という例は多々あるでせう。しかしそれを正面から見据え次の教訓にして、建国革命に勝利したのだと思います。それ以降も同じく失敗の繰り返しでせうが、やはり教訓化しつづけておると思います。しかし、宮顕系日共にはこういう作風はありません。全て正しく、正しいように事実さえ平気で捻じ曲げます。こう云う党には未来も何も腐敗しかないでせう。一言でいえば心根の違う最悪人士の巣窟になっているということだと思います。連中は砂をかむような味気ない生き方をしている筈ですが、でもファンがいるからねぇ、こればかりは説明できかねます。
[601] 日本共産党国会議員「日中友好議連」に入会 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/08(Thu) 11:28
2002年8月5日付けの華僑報にこんな記事が出てました。
|日本共産党国会議員「日中友好議連」に入会 志位委員長、副会長に就任
|
| 日本共産党の国会議員二十人が七月二十五日、超党派議員でつくる「日中友好議員連盟」(林義郎会長)に
|入会することが決まった。同日、国会議事堂内で開かれた「日中友好議員連盟」の総会で承認されたもので、
|志位和夫同党委員長が副会長に就任した。
| また、二十五日の総会で決定した日中国交正常化三〇周年を記念した訪中団にも同党の穀田恵二・国会
|対策委員長らが参加することになった。
このような記事を華僑報がわざわざ載せているということは、何の意味があるのでしょうかね。ひょっとすると、華僑総会も日本共産党と手打ちしたのでしょうか。情報量の豊富な大阪さん、知っていることがありませんか。
[602] Re: 日本共産党国会議員「日中友好議連」に入会 投稿者:大阪の人 投稿日:02/08/08(Thu) 12:02
> 2002年8月5日付けの華僑報にこんな記事が出てました。
ほう、初見であります。情報ありがとうございます。
> このような記事を華僑報がわざわざ載せているということは、何の意味があるのでしょうかね。ひょっとすると、華僑総会も日本共産党と手打ちしたのでしょうか。情報量の豊富な大阪さん、知っていることがありませんか。
「情報量の豊富な」は自虐とも皮肉とも取れますが、あなたが「見もしない危うさ」に関して当方は事実を何点か論じただけですので現に「見た」ら以後は対等なのであります。ところで初見でありまして、この件はまったく存じ上げませんでした。無論『しんぶん赤旗』から議連への参加に関しては読んでおりましたが。どちらかというと『華僑報』側の内部の方針(転換?)とか、あるいは元からのスタンスとして議連を重視していたのに今回の事態が合致したからとか、そういうことではないでしょうか。いずれにせよ自虐も皮肉もあまり生産的ではありません。前向きに資料をあたって自ら進んで認識を深めて、改めるべき点は改めて頂きたいものです。
いずれにせよ早く日本華僑の中での反共偏見と文革後遺症が(華僑独自の努力で)克服され、日本社会の中での合法的な活躍のチャンスがより広がる事をご祈念するものであります。
そもそも猛獣文士さんがHPを始められた2000年夏には、すでに友好協会が東京華僑総会を訪問して、あいさつし、東京華僑総会側も普通に敬意もって接遇してあいさつを返しているはずでありますが、その方面の情報はこれまでに友好協会側の資料からしかなく、猛獣さんの注目も今回が初めてだったかと思います。もっとチェックして見つけられたらBBSにでもHP本体にでもアップしてください。大阪ではどうも「華僑報」の入手は難しい(買えば郵送するでしょうが図書館などには置いてないという意味)ので。
たしか2001年ぐらいに世界華僑会議とかいうのが東京で行われ(これがどんな規模と性格のものかは当方は一切存じ上げ奉らず)その「あいさつ」に緒方やすお日本共産党常任幹部会委員がメッセージを(当日国会活動都合との事でメッセージのみ)寄せたり(勝手に寄せるというより予めそういう会議があるからメッセージを暮れないかという打診が主催者側にあっての事と見るべきでしょうな)もしています。
[578] 「野坂―宮顕」運動の総点検をしませう。 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/03(Sat) 14:48 <URL>
れんだいこは冷やかしでなしに、大阪の人さんに関心があります。れんだいこの場合、1955年の六全協で日共は「野坂―宮顕」という二頭スパイグループに乗っ取られたという見方をしております。この見立ては今のところ非常に少なく、というよりれんだいこ独特の観点となっているのかも知れません。従いまして、れんだいこ観点のほうがマイナーでございますので、大阪の人さんが自説を披瀝するのに何の引け目も要りません。
問題は、大阪の人さんから見て、「野坂―宮顕」系列の運動でこれは日本人民運動の為に有益であったという観点を、史実に則して解き明かして貰いたいのです。既にれんだいこは述べていますが一つも見当らないのです。こんなことってあるだろうか、偶然にしても出来すぎてらぁという思いがしております。
その点で、どんな話題でも結構ですからこの場を借りて論議し合えれば本望です。但し、一つ条件があります。「野坂―宮顕」系列が批判を強めていった相手側の非を衝くだけでは不十分です。そういう遣り取りを通じて何ほどかの有益なものを生み出したかどうかをメルクマールにしたいです。極力この観点から議論を進めたいと思います。こういう議論が出来そうな人として大阪の人さんに期待しております。
その遣り取りの中から、れんだいこサイトの中身を正確にして豊かにしたいと思っております。ご協力いただけたらありがたいです。その意義は、れんだいこの余生を、この闇路に何か有益なものを残すことに費やしたいと思うところにあります。併せてご理解をばお願い申し上げます。
[579] 【枝】「野坂―宮顕」運動の総点検 投稿者:大阪の人 投稿日:02/08/04(Sun) 00:01
> れんだいこは冷やかしでなしに、大阪の人さんに関心があります。
非難中傷でなしに、本意から申して、れんだいこさんは自説を展開するのはここではやめた方がよろしかろうとおもいます。御自分のHPで存分になさって下さい。当方は多分行かないと思いますがこれまた非難ではありません。
そうそう中山みきさま、というと、天理教でありましょうか。
元天理高校野球部監督の人が奈良のどこかの市議さんで、現指導部の下に団結する現役日本共産党議員として立派にこの人の中では信仰と両立させて元気に御活躍のようであります。こないだ天理市の市長が不祥事で任期途中に辞職という事態で市長選挙があって、その応援演説をということで、何やら火のでるような熱弁をふるっておいででありました。
所謂非共産党の無党派革新といいますと、門真の戸田市議がいますね。この人のバックは関生連帯労組であるそうな。しかし議員としてまともに住民の利益を考え現場で場数をふんでみたら「なかよし4会派」vs「日本共産党と私」という構図にならざるを得ない、という現状のようで、何かと議会内では共闘しているようであります。この場合、戸田氏は根掘り葉掘り「日共現指導部の総点検」などという悠長で非実践的、かつ結社の自由の下に自身の組織をなしている公党の存在を否定するような課題を掲げたりはなさいません。
これが革新協同、統一戦線の最低限のルールというものであります。ちなみにれんだいこさんはいかにも革新派、左翼派のような姿勢でありますが、その内実を誰か、現に自民党政治に苦しめられている層の擁護や、現実の争点での課題別の共闘のような積み上げがあるのでしょうか。私は寡聞にして一切存じ上げません。従ってれんだいこさんを共闘の相手としてそちらの地元の共産党が認識するかどうかはわかりませんが、相手が無視したりつっけんどんだったとしてもそれはあなたが未だ何も実を上げていないからということをリアルに肝に銘じて仕切り直ししてください。あなたも戸田市議や田中元知事や中山千夏元議員や故亀田得治社会党大阪府連委員長のように革新統一の協力協同の現実の力になって頂く事を期待します。
[581] Re: 【枝】「野坂―宮顕」運動の総点検 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/08/04(Sun) 17:55
れんだいこさんには残念ながら、都合の悪いことは話をそらすだけのこの人物と討論するのは時間の無駄であるようです。しかし今日の不破一派(日帝協賛党)の党員というものがどれほど知的にも人格的にも劣っているかということを明らかにする上で一定の意義はあるかも知れません。
> 非難中傷でなしに、本意から申して、れんだいこさんは自説を展開するのはここではやめた方がよろしかろうとおもいます。御自分のHPで存分になさって下さい。当方は多分行かないと思いますがこれまた非難ではありません。
れんだいこさんは御自分のところで自説を展開してますが、リンクしてますので誰でも見れるでしょう。何の「本意」か分かりませんが、もし「この掲示板の趣旨から離れている」という意味であれば、「大阪の人」だってこの掲示板が取り扱う事件とは直接に関係のないことを議論しています。都合の悪いことには答えないけど。
都合の悪いこと一覧:
1)「自主独立=民族自決」論というのは、1980年代に代々木が勝手にでっちあげたもので、1960年代には存在しなかった。また、国際法学者で、中国共産党による日本共産党への「干渉」を、国家主権上の「内政干渉」とみなすものはいないでしょう。これは政党間の関係でしかないのだから。
2)宮本顕治の「復権」というものは政治的権利の復権に関することで、判決は取り消されていない。つまり宮本顕治の傷害致死の前科は生きている。
3)代々木は、ノルウェー共産党・デンマーク共産党・アイルランド共産党などに対して「不当な干渉」を行なっているのだから、中国共産党の「併党論」を非難する資格はない。
まだあるが面倒なのでやめます。
また、この「大阪の人」という人物は、
1)外国人は居住国の主権を尊重しなくてはならない。
2)日帝の侵略の問題は平和条約で解決されたから、それを「ネチネチと」追及するのは「禁じ手」である。
3)外国人が革命運動を支持すると、インドネシアのクーデタ事件のように代々木が壊滅される。
とまあ、産経新聞やコヴァと全く同じ思想の持ち主なのでありまして、このような人物が代々木党員であるということは、代々木の堕落の程度の激しさを物語っているのであります。つけくわえておきますと、1955年以前の日本共産党は、地域にもよりますが3割から4割は在日朝鮮人であったと思われ、反動派はこのことを「日本の国家主権を侵害する」とか言って攻撃していたのでありますが、今日の日帝協賛党がこれと全く同じことを言って自党の過去を否定しているのは歴史の皮肉であります。
> 所謂非共産党の無党派革新といいますと、門真の戸田市議がいますね。この人のバックは関生連帯労組であるそうな。しかし議員としてまともに住民の利益を考え現場で場数をふんでみたら「なかよし4会派」vs「日本共産党と私」という構図にならざるを得ない、という現状のようで、何かと議会内では共闘しているようであります。この場合、戸田氏は根掘り葉掘り「日共現指導部の総点検」などという悠長で非実践的、かつ結社の自由の下に自身の組織をなしている公党の存在を否定するような課題を掲げたりはなさいません。
私は戸田議員を高く評価しませんが、それはともかくとして、あなたは関生連帯労組の歴史についてご存知ですかな。関生連帯労組はそもそも運輸一般の関西地方本部であって、その指導部はすべて代々木党員だったのでありますが、代々木のあまりにもひどい右傾化路線と官僚統制に愛想をつかして党から分裂したわけです。不当労働行為を追及すると、「『統一戦線運動』の障害になる」といってそれをやめさせるような指導を当時の代々木大阪府委員会がやっているんですよ。(つまり中小企業経営者の票が逃げるから、不当労働行為を追及するなということ。)代々木は党組織を総動員して関生連帯労組を潰しにかかり、分裂組織をでっちあげました。当時を知っている人なら誰でも代々木を腹の底から嫌悪していますよ。
「議会内では共闘しているようであります」ということと、その後の文章の関連がよくわかりません。この半コヴァ協賛党員の妄想に付き合うのは苦労するというものであります。おそらく、「共闘するなら批判するな」ということでありましょうか。しかし、立場が違うから「共闘」するのであって(立場が同じなら「共闘」ではなく「組織統合」をするだろう)、「共闘」する人々の間での開かれた相互批判は当然なのであります。このことを理解できないで、川田悦子候補に「当選したら代々木を批判しない」ことを支援の条件として押しつけようとするような前近代的な感覚であるから、党外の人々から嫌われるのです。(なお、私は川田悦子代議士を支持するものではありません。もし自分の選挙区で投票できても、彼女に投票せず無効票を投じるでしょう。)
また、「日共現指導部の総点検」という課題は、現在の代々木が一定の政治勢力を持っている以上、極めて実践的な課題であります。一定の政治勢力を持つ「左翼」を名乗る組織があり、戦闘的運動の解体に血道をあげ、一部の党員は「終わったことをネチネチと言うな」と日帝の戦争責任を免罪し、しかもその指導部が極めて疑わしい存在であるとすれば、この党の指導部を総点検することはまさに緊急の課題です。
「結社の自由の下に自身の組織をなしている公党の存在を否定する」とは何のことか不明ですが、公党やその指導部が党外からも批判されるのは当然のことであります。代々木信者の脳内では、「結社の自由」とは、「外部からの批判を受け付けない」という意味なのでありましょうか。創価学会やカルト宗教と全く同じ論理です。そういえば、兵庫県南光町だったと思いますが、代々木党員の自治体首長を党員であるがゆえに批判するのは「憲法違反の攻撃」だとか、意味不明のことを主張していましたね。(言うまでもなく、党員首長が個人として代々木に属していることを批判しているのではなく、政治家として代々木党員が首長にふさわしいかを問題にしているのです。これは憲法違反でも何でもありません。これが憲法違反だというのなら、「創価学会はカルト集団だから、信者は大臣にふさわしくない」というのも憲法違反なのでありましょうか。)
> これが革新協同、統一戦線の最低限のルールというものであります。ちなみにれんだいこさんはいかにも革新派、左翼派のような姿勢でありますが、その内実を誰か、現に自民党政治に苦しめられている層の擁護や、現実の争点での課題別の共闘のような積み上げがあるのでしょうか。私は寡聞にして一切存じ上げません。従ってれんだいこさんを共闘の相手としてそちらの地元の共産党が認識するかどうかはわかりませんが、相手が無視したりつっけんどんだったとしてもそれはあなたが未だ何も実を上げていないからということをリアルに肝に銘じて仕切り直ししてください。あなたも戸田市議や田中元知事や中山千夏元議員や故亀田得治社会党大阪府連委員長のように革新統一の協力協同の現実の力になって頂く事を期待します。
これが代々木信徒の論点ずらしの筋であります。代々木の政治路線がただしく、指導部が立派であるならばそれを証しすればよいのであって、話をそらす必要はないのであります。答えられないから話をそらすのであります。
「現に自民党政治に苦しめられている層の擁護や、現実の争点での課題別の共闘のような積み上げ」とやらに話をそらしておりますが、このような程度のことであれば社会主義政党などは必要ないのであります。また一切の理論活動も必要ないでしょう。社会主義政党というのは、「現実の争点」にとどまることなく、労働者階級を社会主義的立場に獲得するために存在し、そのための綱領を持つはずであります。その綱領が間違っていれば、当然批判的検討にさらされるし、指導部が疑わしければ、まともな指導部に改めなくてはならないことは自明です。革命的理論なくして革命的実践はありえません。まともな指導部のない党はまともな役割を果たすことはないでしょう。それに、こんなことを言うのであれば、なんでこんな30年以上も前の事件を扱う「非実践的」な掲示板にやってくるのでしょうか。
歴史が教えているところによれば、代々木は常に階級闘争の妨害者であり、階級闘争の前進をかちとるためにはまず代々木排除から始めなくてはならないほどなのです。
蛇足ですが、「田中元知事」とは長野県の前知事のことでしょうか。彼はいつ革新統一の立場に立ったのでしょうか。彼は単なる「浪費と癒着に反対するブルジョア改革派」であって、左翼では全然ないと思いますが。(ついでに言うと高知県知事も同じカテゴリに分類されるでしょう。)
[583] Re^2: 【枝】「野坂―宮顕」運動の総点検 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/04(Sun) 19:57 <URL>
コスモポリタンさんちわぁです。何や面白うなって参りましたね。願うらくは、大阪の人さんから有益な反論のあれこれが為されんことを。何せ立場が違えば見えて来る世界が変わるということは良くあることです。そこで擦り合わせして、大過ない認識の違いであるかどうか検証しあうことが大事だと思います。
> れんだいこさんには残念ながら、都合の悪いことは話をそらすだけのこの人物と討論するのは時間の無駄であるようです。しかし今日の不破一派(日帝協賛党)の党員というものがどれほど知的にも人格的にも劣っているかということを明らかにする上で一定の意義はあるかも知れません。
ところで、大阪の人さんて日共党員なんでせうか。そうである場合でも、いかにも現下日共の有り姿に相応しく当局筋の方のように受け止めております。
> 都合の悪いこと一覧:(以下、略)
そうですねぇ、この一覧をもっと拾い出してリストアップすることは有益ですね。「自主独立=民族自決」論自体はまだしも(まだしもですよ)、過去の国際派としての立場の時の言説の自己批判抜きによく云うわという思いがしますね。宮顕の「出獄から復権」に纏わる経過の胡散臭さも案外知られておりませんね。逆に「獄中12年の非転向唯一人士」として本人が吹聴し、取り巻きも太鼓もちするものだから、事情を知らない者からはプロパガンダ通りにに崇められておりますね。
> 3)代々木は、ノルウェー共産党・デンマーク共産党・アイルランド共産党などに対して「不当な干渉」を行なっているのだから、中国共産党の「併党論」を非難する資格はない。
ここは参考までにもう少し詳しく教えてくだされば助かります。
>
> また、この「大阪の人」という人物は、(中略) とまあ、産経新聞やコヴァと全く同じ思想の持ち主なのでありまして、このような人物が代々木党員であるということは、代々木の堕落の程度の激しさを物語っているのであります。つけくわえておきますと、1955年以前の日本共産党は、地域にもよりますが3割から4割は在日朝鮮人であったと思われ、反動派はこのことを「日本の国家主権を侵害する」とか言って攻撃していたのでありますが、今日の日帝協賛党がこれと全く同じことを言って自党の過去を否定しているのは歴史の皮肉であります。
結局問題は次のことに帰着するように思います。宮顕―不破系運動は素性が素性だからして、口先と言葉では左翼用語を真似たのを使いますが、本音は常に当局側の意向に沿ったあるいは許諾内のところに誘導させようとして悪知恵を巧みに発揮しております。連中が執行部に居座ってから今日まで一貫してそうですね。最近は不破もボケつつあるようで、本音がかなり露骨に出始めました。もうブレーキが利かないのでせうね。
従って、産経新聞的見解や右翼顔負けの主張や警察が手を出せないところへの出張や、石原都知事との是々非々や、「もっと取り締まれ」の警備強化論や、最近のなし崩しの皇室との協調路線化や、排外主義的差別主義的イデオロギーの注入や等々「本来の共産党ならあり得べからざること」を次々と平然と為してきておりますね。
> 私は戸田議員を高く評価しませんが、それはともかくとして、あなたは関生連帯労組の歴史についてご存知ですかな。関生連帯労組はそもそも運輸一般の関西地方本部であって、その指導部はすべて代々木党員だったのでありますが、代々木のあまりにもひどい右傾化路線と官僚統制に愛想をつかして党から分裂したわけです。不当労働行為を追及すると、「『統一戦線運動』の障害になる」といってそれをやめさせるような指導を当時の代々木大阪府委員会がやっているんですよ。(つまり中小企業経営者の票が逃げるから、不当労働行為を追及するなということ。)代々木は党組織を総動員して関生連帯労組を潰しにかかり、分裂組織をでっちあげました。当時を知っている人なら誰でも代々木を腹の底から嫌悪していますよ。
労働運動においても沈静化論理のオンパレードでせうね。学生運動でもそうでした。笑い話のような話ですが、確か1958年頃に「ジグザグデモかお焼香デモか」が問われたことがあります。勿論日共は、ジグザグデモ相成らんと指導した訳ですが、この頃はゲバ棒もヘルメットも無い頃です。ジグザグデモってどこがおかしいのでせう。つまり、あらゆる戦線で戦闘的に運動することを極端に嫌うというか砂をかけ水をかける指導を一貫してやってきているということが分かります。
> また、「日共現指導部の総点検」という課題は、現在の代々木が一定の政治勢力を持っている以上、極めて実践的な課題であります。一定の政治勢力を持つ「左翼」を名乗る組織があり、戦闘的運動の解体に血道をあげ、一部の党員は「終わったことをネチネチと言うな」と日帝の戦争責任を免罪し、しかもその指導部が極めて疑わしい存在であるとすれば、この党の指導部を総点検することはまさに緊急の課題です。
同感です。
> 社会主義政党というのは、「現実の争点」にとどまることなく、労働者階級を社会主義的立場に獲得するために存在し、そのための綱領を持つはずであります。その綱領が間違っていれば、当然批判的検討にさらされるし、指導部が疑わしければ、まともな指導部に改めなくてはならないことは自明です。革命的理論なくして革命的実践はありえません。まともな指導部のない党はまともな役割を果たすことはないでしょう。それに、こんなことを言うのであれば、なんでこんな30年以上も前の事件を扱う「非実践的」な掲示板にやってくるのでしょうか。
そうですよね。
> 歴史が教えているところによれば、代々木は常に階級闘争の妨害者であり、階級闘争の前進をかちとるためにはまず代々木排除から始めなくてはならないほどなのです。
「代々木排除」というか、批判の徹底でせうね。そのためには我々の理論能力を高めなければなりません。しかし代々木もさるもの引っかくものです。意図的に党内とシンパ層の愚民化指導をん十年してきておりますね。最近は政府自民党も愚民化教育を強化しつつありますが、その先取りとも云える悪知恵で党内対策してきております。この損失を取り戻すのはかなり重傷事態ですが、それでも隗より始めよでれんだいこも意を決しております。
単純に云って知は力なりですし、正しき認識無ければ運動の発展も覚束ないでせう。戦後左派運動の貧困は、こうした理論面での顕著な立ち遅れが障害になっていると推理しております。もっとも、難しく云えば理論的であるという意味の理論なら足りておりますので、そうではなくもっと咀嚼して為になる知恵を生み出し、互いに分かりやすく伝え合い認識を交歓し合う作法が望まれていると思っております。
[580] Re: 【枝】「野坂―宮顕」運動の総点検 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/04(Sun) 11:37 <URL>
大阪の人さんちわぁ。やや肩透かしのレスをいただきましたが、一応これにも私見を述べておきます。
> 元天理高校野球部監督の人が奈良のどこかの市議さんで、現指導部の下に団結する現役日本共産党議員として立派にこの人の中では信仰と両立させて元気に御活躍のようであります。こないだ天理市の市長が不祥事で任期途中に辞職という事態で市長選挙があって、その応援演説をということで、何やら火のでるような熱弁をふるっておいででありました。
この件は興味深いことです。いわゆる宗教者が政治に関心を持ち始めどこかの党派に所属するようになる例はかなりあると思います。れんだいこに云わせれば、天理教の教義は元々人民大衆的ですので、教徒が左派政党のどこかに所属するようになることは充分考えられます。
問題は、現実の日共指導部のひどさを認識しないままに勝手に懸想して日共党員となり、次第に戦闘力を失っていくことにあるでせう。貴重人士がいつのまにか特有の当局論理に染まり、自覚の無いまま壊死していくことにあります。こう云う例を探せばかなりあると思います。
> これが革新協同、統一戦線の最低限のルールというものであります。ちなみにれんだいこさんはいかにも革新派、左翼派のような姿勢でありますが、その内実を誰か、現に自民党政治に苦しめられている層の擁護や、現実の争点での課題別の共闘のような積み上げがあるのでしょうか。私は寡聞にして一切存じ上げません。
れんだいこが「いかにも革新派、左翼派のような姿勢である」との云い方には少しトゲがありますね。れんだいこに云わせれば、「革新協同、統一戦線の最低限のルールを構築している側は革新派、左翼派である」との認識こそ胡散臭い。「革新協同、統一戦線の最低限のルールの構築」は非常に大事であるとは思いますが、それでさえ宮顕―不破系日共の遣り方はご都合主義が極まっております。舞台裏を見れば、いかに姑息に党利党略優先で御してきたのか、それが為に人民大衆運動の活性化が押さえられてきているのかその例を挙げるのに苦労しません。
口先だけは常に良いこと云います。例えば、ご先祖さまに感謝しよう、お父さんお母さんを大事にしよう的な誰も反対できないことを説いて廻ります。しかしやっていることを見れば、いかにそれらがお題目に過ぎないものであるかが歴然とします。一例を挙げれば、今年の原水禁運動も分裂開催ですね。一体、共同化の動きを封じたのは誰だったのですか。84年の原水協古参幹部追放事件の経過に、宮顕一派の悪質さを見て取ることはそう難しくありません。大阪の人さんはこういう史実をどう理解しておられるのですか。
> 従ってれんだいこさんを共闘の相手としてそちらの地元の共産党が認識するかどうかはわかりませんが、相手が無視したりつっけんどんだったとしてもそれはあなたが未だ何も実を上げていないからということをリアルに肝に銘じて仕切り直ししてください。あなたも戸田市議や田中元知事や中山千夏元議員や故亀田得治社会党大阪府連委員長のように革新統一の協力協同の現実の力になって頂く事を期待します。
これからはどうなるかは分かりませんが、れんだいこは学生運動の経験から、日共のような連中とは金輪際手を組まない、ひどい目にあわされるという認識を得、社会へ出て以降は意識的に政治運動への関与を避けて参りました。従いまして、「現実の力」になるような在り方は有り得なかった訳です。
当時のれんだいこの気分をご説明すれば、今日のような見解に二十代前半に辿り着いた訳ですが、れんだいこが若いから特殊な思い込みかも知れない。世間に揉まれながら確認してみようということでありました。しかし、その後の日共の推移を見やりながらの以来三十年を経て、逆にますます確信を持ち始めたのが二、三年前からです。目下言論活動しているところですが、歴史的に有意義と自信を持っております。
門真市議の戸田さんが日共と共闘しているとのことですが、その裏舞台ではどうなっているのでせう。戸田市議の再選に向けての動きの中で、日共のもう一つの役割がでてくるでせう。それはれんだいこの関知するところではありませんが、要するに実質的に捉えなければ表面現象だけでは真実は見えてこないと思います。
[534] 善隣学生会館事件の実際について 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/01(Mon) 14:26 <URL>
猛獣文士さん皆さんちわぁ。 善隣学生会館事件の真実をもう一度確認したく存じます。既に議論されているかとは思われますが、れんだいこなりに整理しておきたいと思っております。重複厭わずお願いできたら有り難い。中共派と日共派の言い分が違いすぎているように思います。
[535] Re: 善隣学生会館事件の実際について 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/07/06(Sat) 09:52
> 猛獣文士さん皆さんちわぁ。 善隣学生会館事件の真実をもう一度確認したく存じます。既に議論されているか
> とは思われますが、れんだいこなりに整理しておきたいと思っております。重複厭わずお願いできたら有り難い。
> 中共派と日共派の言い分が違いすぎているように思います。
れんだいこさん、こんにちは。
返事がなかなかできなくて、申し訳ありません。善隣学生会館の資料をそこそこ収集してきまして、次回、造反団
ニュースの創刊号から、日本共産党側で、「中共側」の「襲撃」が計画的なものであったことの根拠であると論じて
いる記事を公開しようと思っているのですが、なかなか手につきません。
これまで、大阪の人さんとの長い論争に明け暮れていましたが、大阪さんは初めから「日共」側の政治的な論拠を
前提として、その上で議論を進めると思える部分があり、新しい資料の発見などで進展を見た部分は認めるとして、
建設的な発展に今ひとつ物足りない部分がありました。事件の事実関係を見直しながら、いろいろな意味を探り
なおすのは、有意義かもしれません。
中国の今後に関するスレッドで、返事を書けなかった部分について、少し書いておきます。まず、これは私見です
が、抗日戦争(日中戦争)以降の日本と中国の関係を倫理的な正当性という観点で評価した場合に、ずっと中国に
正義があり、日本の中国に対する行為は不正義あるいは悪であったといえると思います。これは日本と中国との
関係について、対照的にみていえることであり、たとえば今日のパレスチナとイスラエルあるいはその後押しを
しているアメリカとの関係で言えば、パレスチナに正義があり、イスラエルは悪であるという対比が可能であり、
また、1960年代から70年代におけるベトナム戦争でのベトナムとアメリカを対比して、ベトナムに理があり、
アメリカには理がなかったということが明らかである(と思う)のと同等です。毛沢東は「持久戦論」でこの事実を
挙げて、弱国である中国が強国である日本に勝つことができることの根拠のひとつと分析しています。また、
戦前戦後の知識人が無意識的に持っていた中国に対する視点この事実が大きな影響を与えていたのではないかと思
います。しかし、対比的には正義があったということは中国には内部に不正やその他の問題が存在しないという
こととは別の問題です。日中戦争当時も現在も、中国には多くの問題があり、それらの問題はひとつの戦争に勝った
から根底的に払拭されるというようなものではないようです。人権問題にしろ、経済問題にしろ、解決してより
よい社会を建設していくには時間がかかるという事実を忘却することはできないでしょう。中国が社会主義を建国
の理念にしているとしても、上記の事実がそれによって決定的な変化を生ずるものではないとおもいます。したがっ
て、現在の中国に対して問題のない理想郷を要求することは過酷で根拠のない要求であると思います。
日本との関係で、中国に理があったという状態は、いつまで継続していたのか、あるいは現在もその状態が続いている
のかどうかですが、私の考えでは1972年の「日中国交回復」以降もその状態は継続していたのであり、現在、その状態
は、非常に緩やかな進行をもって、克服されつつあるものではないかと思います。れんだいこさんはこのような私の
発想をどのように批評するでしょうか。
[536] Re^2: 善隣学生会館事件の実際について 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/06(Sat) 21:15 <URL>
猛獣文士さん皆さんちわぁ。
> まず、これは私見ですが、抗日戦争(日中戦争)以降の日本と中国の関係を倫理的な正当性という観点で評価した場合に、ずっと中国に正義があり、日本の中国に対する行為は不正義あるいは悪であったといえると思います。
> 毛沢東は「持久戦論」でこの事実を挙げて、弱国である中国が強国である日本に勝つことができることの根拠のひとつと分析しています。
れんだいこの見方はいたって簡単明瞭です。日帝の大陸進出は世界史的な趨勢の中でのことであり、日本人民から見て他の選択肢があるとは思うが、他の帝国主義列強から批判される覚えは無いと考えられます。但し、当然のように中国内に革命運動が発生します。こうなると、民族独立は彼らの正義であり、日帝は支配の正当性を失います。問題は、中国の革命運動が国民の支持をどれだけ集め得るかに有りました。結果は、毛沢東・周恩来指導部の英邁な指導により、全国土を掌握することになりました。建国初期の中国共産党の意気揚揚さ、モラルの高さは歴史に深く刻まれていると考えております。その事例は枚挙に暇ないくらいです。
日帝の大陸進出をどう見るかは、国家主義の観点から見る場合と、いわゆる人民主義の観点から見る場合とで当然評価に違いが生ずると考えます。人民主義からは、大陸進出なぞすべきではなかった。アジアの同胞として他の選択肢はいくつもあった。ご都合主義的な侵略は結果的に高くつくし、事実その危惧通リになってしまった。等々と判断できるように思います。
> したがって、現在の中国に対して問題のない理想郷を要求することは過酷で根拠のない要求であると思います。
ここは同意できません。猛獣文士さんとの認識の違いですが、現在の中共指導部は、どちらが良いのかは別にして毛沢東・周恩来指導部とは反目の渓流だろうと認識しております。単純に云えば、中国が良ければそれで良い程度の国家主義者達ではなかろうか、それはそれで仕方ない面もあるのだけれども、という風に考えております。しかしいずれ、この間身に纏った共産主義と国家主義とのイデオロギー的な対立が必死になるだろうと予感しております。どちらがどうなるのか中国人民が決めることでせう。
> 日本との関係で、中国に理があったという状態は、いつまで継続していたのか、あるいは現在もその状態が続いている
> のかどうかですが、私の考えでは1972年の「日中国交回復」以降もその状態は継続していたのであり、現在、その状態
> は、非常に緩やかな進行をもって、克服されつつあるものではないかと思います。れんだいこさんはこのような私の
> 発想をどのように批評するでしょうか。
今や日中関係は純然たる国家関係ですよね。してみれば、正義もイーブンではないかと思います。但し、日帝の侵略という負の経過に関しては謝罪が要求され続けるでせう。しかし本来は、過去については「日中国交回復」で片付けられたはずなのだけれども、その時の『二度と不戦』という合意の精神を両国が共有する限りにおいてであり、その精神が踏みにじられるのなら、いつでも中国は抗議するということではないでせうか。
ところがケ小平政権以降、中国の大国主義化の動きも顕著です。こうなると、正義のカードが政治主義的に使われているということになります。日本から不満が出るのも根拠有りと思います。つまりとても難しいことになっておるように思います。しかしこれが政治の現実なんでせうね。従いまして、日中双方とも非常に有能な政治家が舵取りしないと危なっかしいということだろうと思います。
少し筆を滑らせれば、小泉的ぼんくらが対応できるようなことではありません。アメリカさんの袖をしっかり掴みながら靖国行っては面倒起こしておりますが、アメリカさんも腹の中では軽蔑しているでせう。靖国の意味も分かっていないようだからいいやと済ましてくれてる訳でせうから。
[537] Re^3: 善隣学生会館事件の実際について 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/07/08(Mon) 10:27
れんだいこさん今日は、
> れんだいこの見方はいたって簡単明瞭です。日帝の大陸進出は世界史的な趨勢の中でのことであり、日本
> 人民から見て他の選択肢があるとは思うが、他の帝国主義列強から批判される覚えは無いと考えられます。
れんだいこさんの言いたいことはなんとなく分かりますが、私は同意できません。
> 但し、当然のように中国内に革命運動が発生します。こうなると、民族独立は彼らの正義であり、日帝は
> 支配の正当性を失います。
民族独立はかれらだけの正義ではなく、人類の視点から見て正義であると思います。だから、日本と中国の
対比関係において、中国の戦争が正義の戦争で、日本の戦争が不正義の侵略戦争であるという評価を下せる
と思います。
> 問題は、中国の革命運動が国民の支持をどれだけ集め得るかに有りました。結果
> は、毛沢東・周恩来指導部の英邁な指導により、全国土を掌握することになりました。建国初期の中国共産
> 党の意気揚揚さ、モラルの高さは歴史に深く刻まれていると考えております。その事例は枚挙に暇ないくら
> いです。
1960年代後半の文化大革命で、そのモラルの高さは頂点に達したように思えます。わたしはその時期の中国の
意気軒昂に心酔した青春期をもっていて、今でも当時の中国を愛しています。
> 日帝の大陸進出をどう見るかは、国家主義の観点から見る場合と、いわゆる人民主義の観点から見る場合
> とで当然評価に違いが生ずると考えます。人民主義からは、大陸進出なぞすべきではなかった。アジアの
> 同胞として他の選択肢はいくつもあった。ご都合主義的な侵略は結果的に高くつくし、事実その危惧通リ
> になってしまった。等々と判断できるように思います。
国家運営の立場から見ても、日本が1930年代に侵略戦争にのめりこんでいったということは、時代感覚を欠いた
愚かな犯罪行為であったとする説得力のある立証が多数見られます。当時の日本の指導者の責任はあらゆる意味で
きわめて重大に問われなければならないはずですが、どうもそうなっていないようです。
> > したがって、現在の中国に対して問題のない理想郷を要求することは過酷で根拠のない要求であると思います。
> > ここは同意できません。猛獣文士さんとの認識の違いですが、現在の中共指導部は、どちらが良いのかは別
> にして毛沢東・周恩来指導部とは反目の渓流だろうと認識しております。
これはどうでしょうか。毛沢東には多くの優れた人物がもつ複雑な多面性があり、単純に評価すると大きな
誤りを犯します。たしかに、いわゆる四人組勢力も、優秀な中国の人材を結集し、毛沢東の一面を追及していた
と思います。しかし、?小平の最初の復活は毛沢東の生存していた時期であり、私はこれも毛沢東の一面である
と思います。後に?小平が毛沢東を否定しなかったことは、私にとって意外でしたが、決して、単に毛沢東の
カリスマを利用したというようなものではないと思います。
> 単純に云えば、中国が良ければそれで良い程度の国家主義者達ではなかろうか、それはそれで仕方ない面も
> あるのだけれども、という風に考えております。しかしいずれ、この間身に纏った共産主義と国家主義との
> イデオロギー的な対立が必死になるだろうと予感しております。どちらがどうなるのか中国人民が決める
> ことでせう。
革命の元勲の世代が没していき、次の世代になるにつれ、指導者のスケールが小さくなっていくのは、普通の
ことではないでしょうか。明治維新でも、ローマ帝国でも。あるいは、歴代の中国王朝でも。スケールの大きな
指導者がいる時代が、人民の幸福な時代と結びつくわけでもありません。
> 今や日中関係は純然たる国家関係ですよね。してみれば、正義もイーブンではないかと思います。
国家関係だからイーブンであるかどうかは決められません。しかし、イーブンな正義を双方が持てる時代が
幸福な時代であるとは思います。
> 但し、日帝の侵略という負の経過に関しては謝罪が要求され続けるでせう。しかし本来は、過去については
> 「日中国交回復」で片付けられたはずなのだけれども、その時の『二度と不戦』という合意の精神を両国が
> 共有する限りにおいてであり、その精神が踏みにじられるのなら、いつでも中国は抗議するということでは
> ないでせうか。
日中国交回復は、日本が一方的に交流を拒絶していた23年間の後、ようやく両国の扉が開かれたという
ことですから、入口でしかありません。中国側から見れば両国の状態は、それまでは戦争継続状態で
あったわけです。
> ところが?小平政権以降、中国の大国主義化の動きも顕著です。こうなると、正義のカードが政治主義的
> に使われているということになります。
歴史認識の問題が外交関係に影響を及ぼし、中国もそれについて何度も言及するという事態については、日本側
にも責任があります。これは、日本側に歴史認識に誤りがあるという正邪の対比もある程度あるでしょうが、
政治手法、外交手法のまずさもあると思います。
> 日本から不満が出るのも根拠有りと思います。つまりとても難しいことになっておるように思います。
> しかしこれが政治の現実なんでせうね。従いまして、日中双方とも非常に有能な政治家が舵取りしないと
> 危なっかしいということだろうと思います。
日本から不満が出るのも根拠ありでしょう。現在の生きた政治のことになると、難しいですね。後で評価する
のは根気があればなんとかなるのですが。
> 少し筆を滑らせれば、小泉的ぼんくらが対応できるようなことではありません。アメリカさんの袖を
> しっかり掴みながら靖国行っては面倒起こしておりますが、アメリカさんも腹の中では軽蔑しているで
> せう。靖国の意味も分かっていないようだからいいやと済ましてくれてる訳でせうから。
日本の政権党の政治家は難しいですよね。いろいろ制約が多くて、身動きが取れないんじゃないでしょうか。
私がそんな立場にいたら、ふてくされて、腐敗と享楽に身をやつしたくなります。なぜかそういうのは、
許される環境だったりして。困りますね。
[538] Re^4: 善隣学生会館事件の実際について 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/13(Sat) 22:10 <URL>
猛獣文士さんちわぁ。
> 民族独立はかれらだけの正義ではなく、人類の視点から見て正義であると思います。だから、日本と中国の
> 対比関係において、中国の戦争が正義の戦争で、日本の戦争が不正義の侵略戦争であるという評価を下せる
> と思います。
うーーんどういうか民族独立という観点は近代植民地主義との絡みで生み出されたものであると思います。とするならば、この観点からの主体が形成されないと正義そのものが見えてこないと思います。仮に大東亜共栄圏構想が真に善政であったら、抗日運動も弱々しいものになったと考えます。
>
> 1960年代後半の文化大革命で、そのモラルの高さは頂点に達したように思えます。わたしはその時期の中国の
> 意気軒昂に心酔した青春期をもっていて、今でも当時の中国を愛しています。
建国過程と建国後当初から60年代辺りまではモラル的に高いものがあったと思っております。
>
> 国家運営の立場から見ても、日本が1930年代に侵略戦争にのめりこんでいったということは、時代感覚を欠いた
> 愚かな犯罪行為であったとする説得力のある立証が多数見られます。当時の日本の指導者の責任はあらゆる意味で
> きわめて重大に問われなければならないはずですが、どうもそうなっていないようです。
そうですねぇ。れんだいこは、大正天皇の押し込め騒動を機に一挙的に植民地主義派が社会の上層部に巣くい始めたのではないのか、という仮説を持っております。
>
> これはどうでしょうか。毛沢東には多くの優れた人物がもつ複雑な多面性があり、単純に評価すると大きな
> 誤りを犯します。たしかに、いわゆる四人組勢力も、優秀な中国の人材を結集し、毛沢東の一面を追及していた
> と思います。しかし、?小平の最初の復活は毛沢東の生存していた時期であり、私はこれも毛沢東の一面である
> と思います。後に?小平が毛沢東を否定しなかったことは、私にとって意外でしたが、決して、単に毛沢東の
> カリスマを利用したというようなものではないと思います。
どうでせうかねぇ。ケ小平政権が樹立される背景には、毛沢東派の建国後の経済建設での失敗があり、次第に現実主義的な実権派が国政に関与し始めていた。文革はそれに対するイデオロギー派の抵抗であり、結局林彪失脚、四人組失脚、華国鋒失脚という経過を経てケ小平率いる実権派が権力を掌握した。毛沢東の権威は役立つ方法において利用されたし今もそうだと見ております。
> 革命の元勲の世代が没していき、次の世代になるにつれ、指導者のスケールが小さくなっていくのは、普通の
> ことではないでしょうか。明治維新でも、ローマ帝国でも。あるいは、歴代の中国王朝でも。スケールの大きな
> 指導者がいる時代が、人民の幸福な時代と結びつくわけでもありません。
それはそうだけど。
> 国家関係だからイーブンであるかどうかは決められません。しかし、イーブンな正義を双方が持てる時代が
> 幸福な時代であるとは思います。
そうですね。というか、社会主義イデオロギーの神通力が消えて以降、体制の違いを認め合い純然たる国家関係の構築が為され始めているのではないのかと思っております。
>
> 日本の政権党の政治家は難しいですよね。いろいろ制約が多くて、身動きが取れないんじゃないでしょうか。
> 私がそんな立場にいたら、ふてくされて、腐敗と享楽に身をやつしたくなります。なぜかそういうのは、
> 許される環境だったりして。困りますね。
中国は、用意周到に政権与党の権力の流れを見ているように思います。分かりやすい分類はタカ派とハト派でせう。タカ派の動きを警戒しております。もっとも森―小泉時代以降馬鹿にされ始めており、日本の国力の相対的低下と関係しているのかも知れません。そんな風に考えております。
[539] Re^5: 善隣学生会館事件の実際について 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/07/19(Fri) 12:48
れんだいこさん、こんにちわ
> > 民族独立はかれらだけの正義ではなく、人類の視点から見て正義であると思います。だから、日本と中国の
> > 対比関係において、中国の戦争が正義の戦争で、日本の戦争が不正義の侵略戦争であるという評価を下せる
> > と思います。
>
> うーーんどういうか民族独立という観点は近代植民地主義との絡みで生み出されたものであると思います。
> とするならば、この観点からの主体が形成されないと正義そのものが見えてこないと思います。仮に大東亜
> 共栄圏構想が真に善政であったら、抗日運動も弱々しいものになったと考えます。
第一に、すべての歴史的な行為の評価は、評価するものの価値観によってなされるというのは一般的な真理です。
スペインやポルトガルのアメリカ大陸の征服が偉大なる征服なのか非人道的な侵略であるのか、ふたつの立場がある
といえます。そこで、日本の中国に対する侵略戦争も歴史観を変えれば違った評価になりうるのかどうかですが、
これは日本の政府高官がこれまで頻繁に繰り返してきた「妄言」の類の歴史観、あるいはいわゆる自由主義史観など
の極端な見方を除き、その行為を評価する観点は少ないといえます。そのような少数派の歴史観に評価するものが
あるのかどうか、私は大変に否定的です。
第二に、大東亜共栄圏で頂点に達した日本のアジア諸国に対する政策が、善政でありうる可能性があったのかどう
かですが、日本の力量、当時の日本の指導者を支配していた民族排外主義的なイデオロギーなどを総合すれば、その
ような可能性はありえなかったと考えています。日本の指導者の帝国主義的な世界観に対抗する有効な世界観として、
共産主義があり、観念的には日本共産党は当時の日本の権力に本質的に対抗する勢力でしたが、立花隆「日本共産党
の研究」で明らかになっているように、実際の政治勢力としてはほとんど無力なものでした。
第三に、異国の支配者の支配が善政であれば、抵抗運動は弱いのかどうかですが、これはその逆を考えてみる必要が
あると思います。明らかに善政とはいえないスペインやポルトガルの中南米支配、イギリスのインドの統治などに
対して、抵抗運動は決して強いものではありませんでした。中国の抵抗運動が大きかったことは、日本の支配が善政
であったか悪政であったかを反映したものではありません。日本は戦争によって一時的に中国の領土の主要地域を
占領統治しましたが、その支配は善政・悪政を評価するまでに安定したものではなく、戦争の過程での一時的な占領
だったのではないでしょうか。
> > 国家運営の立場から見ても、日本が1930年代に侵略戦争にのめりこんでいったということは、時代感覚を欠いた
> > 愚かな犯罪行為であったとする説得力のある立証が多数見られます。当時の日本の指導者の責任はあらゆる意味で
> > きわめて重大に問われなければならないはずですが、どうもそうなっていないようです。
>
> そうですねぇ。れんだいこは、大正天皇の押し込め騒動を機に一挙的に植民地主義派が社会の上層部に巣くい
> 始めたのではないのか、という仮説を持っております。
大正天皇の押し込め騒動にはそのような裏側の事情があったのでしょうか。興味深いですね。
> どうでせうかねぇ。ケ小平政権が樹立される背景には、毛沢東派の建国後の経済建設での失敗があり、次第に
> 現実主義的な実権派が国政に関与し始めていた。文革はそれに対するイデオロギー派の抵抗であり、結局林彪
> 失脚、四人組失脚、華国鋒失脚という経過を経てケ小平率いる実権派が権力を掌握した。毛沢東の権威は役立つ
> 方法において利用されたし今もそうだと見ております。
建国後の経済建設は大変困難な状況下にあり、また政権の存続も安定していなかった状態で、堅実に建設すれば
いいという状況ではなかったのだから、経済建設で奇跡を起こせなかったとしても、毛沢東を責めるのは正当か
どうか、疑問があります。毛沢東が20年でイギリスを追い越すといった目標をかかげたことは、中国の能力に対する
過大評価であったのでしょうが、しかし、では中国の能力に対する正当な評価というものが当時存在していたので
しょうか。別の問題として、毛沢東の大躍進政策のような発展政策が失敗したことで、経済的な政策能力がない
という見方もありますが、毛沢東を日本の経済官僚のような堅実な人物に置き換えたときに、果たしてもっとよい
成果がありえたのか、面白い設定ではありますね。
今後、中国の体制に極端な崩壊がなければ、中国経済がイギリスを追い越す日はそれほど遠い日のことではないで
しょう。そのとき、毛沢東の目標よりも数十年遅れたが、達成できたと見るのか、毛沢東がいなければ、もっとずっと
前に達成できていたと見るのか、評価は単純ではないでしょう。
> そうですね。というか、社会主義イデオロギーの神通力が消えて以降、体制の違いを認め合い純然たる国家
> 関係の構築が為され始めているのではないのかと思っております。
19世紀の西欧社会を人格にたとえれば、社会主義はその人格における良心の部分であったことは紛れのない事実
と思います。社会主義をオールマイティーな解決策とする誤解が消滅した(このような誤解は社会主義のためにも
早く消滅すべきでした)後で、社会主義に対する極端な幻滅と誹謗が横行するようになるのは、自然の趨勢の
ようなものですが、これもいずれ克服されねばならない誤解であると思います。
> 中国は、用意周到に政権与党の権力の流れを見ているように思います。分かりやすい分類はタカ派とハト派
> でせう。タカ派の動きを警戒しております。もっとも森―小泉時代以降馬鹿にされ始めており、日本の国力の
> 相対的低下と関係しているのかも知れません。そんな風に考えております。
小泉首相はタカ派に属するということでしょうか。石原慎太郎は明らかにタカ派と思いますが。この辺、あまり
まともな回答ができません。いろいろ教えてもらうだけでしょうか。
[545] 【枝】逃げ口上の典型 投稿者:大阪の人 投稿日:02/07/28(Sun) 10:59
> 第一に、すべての歴史的な行為の評価は、評価するものの価値観によってなされるというのは一般的な真理です。
> スペインやポルトガルのアメリカ大陸の征服が偉大なる征服なのか非人道的な侵略であるのか、ふたつの立場がある
> といえます。そこで、日本の中国に対する侵略戦争も歴史観を変えれば違った評価になりうるのかどうかですが、
> これは日本の政府高官がこれまで頻繁に繰り返してきた「妄言」の類の歴史観、あるいはいわゆる自由主義史観など
> の極端な見方を除き、その行為を評価する観点は少ないといえます。そのような少数派の歴史観に評価するものが
> あるのかどうか、私は大変に否定的です。
いつの間にか【実際】が評価する者の価値観によってなされる、という主観的観念論の長談義に陥っているのではないか。猛獣氏は当然「新しい教科書」の記述には反対でありましょうが、残念な事に氏の議論はつくる会の議論とこの哲学的立脚点ではまことに近似している、という事を(ここだけ)同志的に指摘しておきます。
> 第二に、大東亜共栄圏で頂点に達した日本のアジア諸国に対する政策が、善政でありうる可能性があったのかどう
> かですが、日本の力量、当時の日本の指導者を支配していた民族排外主義的なイデオロギーなどを総合すれば、その
> ような可能性はありえなかったと考えています。日本の指導者の帝国主義的な世界観に対抗する有効な世界観として、
> 共産主義があり、観念的には日本共産党は当時の日本の権力に本質的に対抗する勢力でしたが、立花隆「日本共産党
> の研究」で明らかになっているように、実際の政治勢力としてはほとんど無力なものでした。
歴史修正主義。同じタームで申せば、中共だって蒋介石軍がアメリカの支援のもとに日本を追い出し独立を達成したのに、背中からアイクチでさすごとくに侵略者でない同胞を軍事力だけで大陸を追い落とし、その後大躍進文革と失政につぐ失政で日本支配以上に国民を虐殺してしまった、毛沢東こそ中国始まって以来の最悪の民族反逆者、などという言い方も可能であります。(当方はこんな風には思っていませんよ念のため)
> 第三に、異国の支配者の支配が善政であれば、抵抗運動は弱いのかどうかですが、これはその逆を考えてみる必要が
> あると思います。明らかに善政とはいえないスペインやポルトガルの中南米支配、イギリスのインドの統治などに
> 対して、抵抗運動は決して強いものではありませんでした。中国の抵抗運動が大きかったことは、日本の支配が善政
> であったか悪政であったかを反映したものではありません。日本は戦争によって一時的に中国の領土の主要地域を
> 占領統治しましたが、その支配は善政・悪政を評価するまでに安定したものではなく、戦争の過程での一時的な占領
> だったのではないでしょうか。
異国支配? 上記戦中戦前の話題に逃げて議論を韜晦していたのはここに持ち込むためのレトリックでした。猛獣氏にとっては【実際】つまり1960年代中葉の東京におかれた日本華僑の境遇というのは、「異国支配」された状態、つまり日本にやってきた孫文や周恩来、はたまた魯迅などに自ら擬しているのでありましょうか。ちなみに華僑はそうした中国に戻る革命家や進歩的愛国的知識人を厚遇してはいますけれど、1960年代中葉の【実際】の「紅旗青年」だとか「大地報」だとか「華僑報」のように、あるいは日中青学共闘や善隣会館学生寮自治会のように、野蛮な戦いを無辜の日本人市民に向けてしかけたりはしませんでした。 そしてポツダム宣言も受諾し、まったく交戦状態や中国植民地支配の実態がないのに「異国支配」などという。情勢認識が狂っているとしか言えません。なにが「善政かどうか」ですか。れんだいこさんの議論を前向きに延ばす方向ではなく、後ろ向きに、観念的に粉飾しつつ【実際】の話からはずしてしまう姑息なやりかたと申せましょう。
私の議論にあれこれまたうんざりする各論で答えるのでなく、【実際】について、もっと正面からどうどうと議論なさることで、つまり難じられた問題点に事実で答えることによって次の応酬をはじめてください。
[546] Re: 【枝】逃げ口上の典型 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/07/29(Mon) 10:32
大阪さん、こんにちは
復活は歓迎しますが、他人の話に割り込まないでほしいですね。
> いつの間にか【実際】が評価する者の価値観によってなされる、という主観的観念論の長談義に陥っているの
> ではないか。猛獣氏は当然「新しい教科書」の記述には反対でありましょうが、残念な事に氏の議論はつくる
> 会の議論とこの哲学的立脚点ではまことに近似している、という事を(ここだけ)同志的に指摘しておきます。
客観的な実際があるというのでしょうか。それは、誰がどのようにして知ることができるのでしょうか。神を
持ち出さずに、人間の価値観を超えた実際を認識する方法があったら教えてください。
> 歴史修正主義。同じタームで申せば、中共だって蒋介石軍がアメリカの支援のもとに日本を追い出し独立を
> 達成したのに、背中からアイクチでさすごとくに侵略者でない同胞を軍事力だけで大陸を追い落とし、その後
> 大躍進文革と失政につぐ失政で日本支配以上に国民を虐殺してしまった、毛沢東こそ中国始まって以来の最悪
> の民族反逆者、などという言い方も可能であります。(当方はこんな風には思っていませんよ念のため)
中国革命は、孫文に戻ってそこから評価するべきだと思います。第一次国共合作(1924)以降、中国共産党と
中国国民党はいずれも孫文を継承して中国革命を遂行しています。そのような意味で、中国国民党と中国
共産党は、孫文の二つの側面を表しているというのが私の考え方です。四人組と?小平の復活がいずれも
毛沢東の要素を表しているという論法と同じです。
> 異国支配?
日中戦争のころの話です。
> 上記戦中戦前の話題に逃げて議論を韜晦していたのはここに持ち込むためのレトリックでした。
他人の会話に口を挟んで、関係ないことを言わないでください。
> 猛獣氏にとっては【実際】つまり1960年代中葉の東京におかれた日本華僑の境遇というのは、「異国支配」
> された状態、つまり日本にやってきた孫文や周恩来、はたまた魯迅などに自ら擬しているのでありましょうか。
華僑と、政治的な亡命者、留学生は、それぞれ立場が違いますね。
> ちなみに華僑はそうした中国に戻る革命家や進歩的愛国的知識人を厚遇してはいますけれど、1960年代中葉の
> 【実際】の「紅旗青年」だとか「大地報」だとか「華僑報」のように、あるいは日中青学共闘や善隣会館学生
> 寮自治会のように、野蛮な戦いを無辜の日本人市民に向けてしかけたりはしませんでした。
結局、これが言いたいのでしょう。言いがかりだと答えるしかないでしょうね。
> そしてポツダム宣言も受諾し、まったく交戦状態や中国植民地支配の実態がないのに「異国支配」などと
> いう。情勢認識が狂っているとしか言えません。
戦後の日本の政治的な状況を美化しています。そんなに綺麗な状態だったのでしょうか。
[547] Re^2: 【枝】逃げ口上の典型 投稿者:大阪の人 投稿日:02/07/29(Mon) 14:36
> 大阪さん、こんにちは
今年の夏は暑いですね。ふうー。
申し訳ないのですが、【実際】の話に毛筋一本触れないで、上手に外しておられるということは猛獣さん御自身自分で書きながらよくよくご自覚なさっている事でありましょう。これじゃレスにもなってない。これまで私の方が大局の説を示してきたのですが、今度は猛獣文士さんの方こそ大局の認識をお示しになる段であるかと思います。
>わりこんできて
ここのHPの趣旨から、あるいはBBSの趣旨からそれた脱線の話題であるということはれんだいこさんも重々承知の上で議論なさってきたことで、いつまでもぺらぺら脱線ばかり猛獣さんが応じてくるのに、気がさしたかれんだいこさんの方から軌道修正して、話題を戻そうとされている、それを尚ねじまげて猛獣さんお得意の高尚な歴史の議題にまつりあげてしまう、というやり方であります。そこへ当方が少しチャチャを入れただけであります。ま、わりこみと言えば言えますね。「や、スマン!」とだけ御挨拶申し上げておきます。
[559] Re^3: 【枝】逃げ口上の典型 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/07/30(Tue) 15:46
大阪さん、こんにちは
各論かどうか知りませんが、簡単にまとめてみました。具体的な事実経過についての、私の評価です。
なお、客観的な評価を書きたいのですが、私はそのような立場にはいないので、そうできないと思います。
あしからず。
1.寮生の襲撃、監禁はあったのか
2月28日から3月2日までの経過に関する日本共産党側の文書の主張をまとめると
@ 一ヶ月前から計画している襲撃事件である。
A 監禁である(トイレにいけなかった)
B 正当防衛権を行使した
となっています。
@の一ヶ月前からの計画的な襲撃であるという主張は根拠となる事実が具体的に示されていません。
寮生側が襲撃したという経過については、
@ 壁新聞を破ったといって、午後11時に事務所に押しかけた。
A 小山事務局員と押し問答をした
という事実関係は双方が一致しています。日本共産党は2月28日深夜に動員をかけており、これについても
双方の文書で表現の相違はあるにしろ、確認することができます。寮生が事務所に押しかけた理由は置くと
して、寮生側の文書では、小山事務局員が一応謝罪したので、そのまま引き上げ、事態は収まるかに見えた
が、その後日共が動員した数十名が会館に押し入ろうとしたので、それを阻もうとしてもみ合いになり、
そのような事情があったために、寮生側も協会事務所を監視する徹夜の番を置いたということになっています。
日本共産党側の主張に従うのならば、寮生の「襲撃」は2月28日深夜に始まっているのだから、同夜に継続
して攻撃が行われたことになります。それだからこそ、深夜にもかかわらず動員がかけられ、数十名の人間が
事務所に駆け込んだわけです。しかし、日本共産党側の文書の記述を細かく調べても、寮生が2月28日に行っ
たことは、@複数の寮生が事務所に抗議にいったこと、A小山事務局員と言い争いになったこと(後のほうの
赤旗では、めがねを壊すなど、暴行したとなっています)B徹夜の見張りを置いたこと、だけであり、これを
もって野蛮な襲撃とするのは無理があります。また、事務室への出入りについてですが、最初に5名だったと
いっている事務所内の人数は、3月2日の流血時には数十名になっており、裏口が開いていたかどうかは別と
しても窓からヘルメットや棍棒などを運び込んだりしているようであり、日本共産党側の人々は相当自由に
出入りをしていたと思えます。
このように、寮生の物理的な襲撃があったとする日本共産党側の論拠は、信頼性に欠けるとおもいます。
2.善隣学生会館の性質
日本共産党側は、善隣学生会館は日本の財団法人が大家さんで、日中友好協会は契約にもとづいて賃貸借
契約をむすんでいるから、事務所を使用する権利があるといっています。しかし、寮生側は、善隣学生会館
は中国の財産であり、また、日中友好という目的に使用するという前提があるのだから、その基準を満たさ
ない団体等はこの会館を使用する資格がないと主張しています。
第一に、善隣学生会館は中国の財産であり、日中友好の目的のために使用されるべきであるという主張は
正しいものであり、単なる営利の貸しビルとは当然異なる性質を有するといえると思います。
そこで、日中友好協会が日中友好の目的に沿わない団体であれば、寮生の立ち退き要求は正しいもので
あるといえると思います。
では、同協会が日中友好の目的に沿った団体なのかどうかという問題ですが、同協会はその後独自の日中
友好運動を現在まで継続しており、一概に結論をだすことは難しいかもしれません。しかし、このような運動
を日中友好運動と主張し、それゆえに中国の財産である善隣学生会館の一室を事務所として使用し続ける権利
があるとする主張には、やはり無理があると思います。もっとも分かりやすいのは、友好の相手たるべき
中国の代表者との緊密な連絡や合意を形成できる基盤があってこその友好運動であり、そのような基盤を一切
もたない日本共産党系の日中友好協会のような組織が、仮に自らの信念に基づいて日中友好運動を継続した
にしても、これが日中友好運動の実態であると言う主張は、外部から見れば非常に難解なものでしょう。した
がって、真実はどうであるかは別にして、日中友好という実体にもっとも大きな関係を持つ在日中国人の寮生
が、日本共産党系の日中友好協会は日中友好運動とは無縁のものであると判断したのは合理的であり、彼らの
主張は筋が通っているものだと思います。この場合、仮に日本共産党系の日中友好協会の運動が正統本部の
運動よりも正しい日中友好運動であると主張するのならば、このことを説明し、理解を求める義務は、日中友好
協会側にあったと思います。そのような努力を怠り、外部の暴力部隊を導入して相手方を傷つけることによって
事務所に居続けようとした日本共産党側の日中友好協会の処置は、重大な誤りであったといえると思います。
[563] 未成年はなんでも美化されていいのか? 投稿者:大阪の人 投稿日:02/07/30(Tue) 22:02
猛獣さん、こんにちは
> @の一ヶ月前からの計画的な襲撃であるという主張は根拠となる事実が具体的に示されていません。
ご自身が上げられた造反団((正統)日中内の分派)ニュースは?
内部の突き上げがあったということであります。
> 寮生側が襲撃したという経過については、
森下さんが負傷していますね。在日朝鮮人殺しの笛吹きチャンピオン寺尾五郎氏は「すべって転んだ」と書いていますが。
> 2.善隣学生会館の性質
民事立ち退き訴訟の和解内容では、どうなっていましたか。
> にしても、これが日中友好運動の実態であると言う主張は、外部から見れば非常に難解なものでしょう。した
> がって、真実はどうであるかは別にして、日中友好という実体にもっとも大きな関係を持つ在日中国人の寮生
> が、日本共産党系の日中友好協会は日中友好運動とは無縁のものであると判断したのは合理的であり、彼らの
> 主張は筋が通っているものだと思います。この場合、仮に日本共産党系の日中友好協会の運動が正統本部の
> 運動よりも正しい日中友好運動であると主張するのならば、このことを説明し、理解を求める義務は、日中友好
> 協会側にあったと思います。そのような努力を怠り、外部の暴力部隊を導入して相手方を傷つけることによって
> 事務所に居続けようとした日本共産党側の日中友好協会の処置は、重大な誤りであったといえると思います。
主体が18,9の寮生にあるとする御意見でしょうか。それとも中国政府にあるとする御意見でしょうか。中国政府にあるとするならば、その意を体して寮生が実力行使やデモンストレーションをするというのは超国家主義に基ずく外国での内政干渉行為に他なりません。寮生がまったく政府と無関係独自にその主体だという御意見ならば(寺尾五郎氏の著書など見ますと寮生たちを褒め上げ、時代を作る主人公は若者だ、等としきりに書いています)日本の基準からみて狂っています。選挙権を有する日本国民でさえそれを行使するのは20歳になってからであります。
中国政府・政権党が主導し、寮生を担ぎ上げ、犠牲の羊としてセンセーショナルな事件とする、あわよくば事務所を奪還するという図式だったと私は思っています。まあ既に猛獣さんとはこの間議論はでつくしましたけれどもね。
[565] Re: 苦しい反論だな 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/07/31(Wed) 11:12
大阪さん、こんにちは
> > @の一ヶ月前からの計画的な襲撃であるという主張は根拠となる事実が具体的に示されていません。
> > ご自身が上げられた造反団((正統)日中内の分派)ニュースは?
> 内部の突き上げがあったということであります。
苦しい反論ですね。造反団ニュースの内容が、襲撃の計画の論拠になるというのならば、そのあたりの
理由付けを詳しくお聞かせ願いたいですね。
共産党が政権をとると、冤罪が増えるなどという誤解のないよう、明白な説明を期待します。
> > 寮生側が襲撃したという経過については、
> > 森下さんが負傷していますね。在日朝鮮人殺しの笛吹きチャンピオン寺尾五郎氏は「すべって転んだ」と書いていますが。
双方の文書を照合して、2月28日に寮生が行ったことを書いたのであり、上記のコメントはまったく反論でも
なんでもないものですね。路線の話しはできても、事実経過の話はできないということですかね。
> > 2.善隣学生会館の性質
> > 民事立ち退き訴訟の和解内容では、どうなっていましたか。
和解文書では、
1.理事会の立ち退き要求の理由のうち、協会がひとつをみとめ、他を認めなかったが、とにかく立ち退き
に同意した。
これは、理事会が他の理由を取り下げたということなのか不明だが、そうではないと考え
るべきでしょう。
2.立ち退きに際し、理事会が、会館内で発生した暴力事件について管理者として遺憾の意を表明した
もともと、理事会の訴状では、暴力事件の責任がどちらにあるかを問題にしていない。したがって、
これは管理者としての遺憾表明であり、理事会や裁判所が、寮生が襲撃したことを確認したとすることは
できない
3.協会が多額の立退き料を受け取った
これは、またしても日本人が中国の財産を掠め取ったという程度の感想しかもてない
善隣学生会館の性質についての合意は、ここにはありません。この会館が中国の財産であるという立場は、
その後善隣学生会館の理事会が改組され、建物が建て直された経緯を追えば、日本政府(一応日本国民を代表
すると考えるべきでしょう)が公的に認めたものと見ることができると思います。大阪さんが、その立場を
否定したいのならば、この会館の性質について、どのようにみるべきかきちんと反論する必要があります。
> 主体が18,9の寮生にあるとする御意見でしょうか。それとも中国政府にあるとする御意見でしょうか。中国政府にあるとするならば、その意を体して寮生が実力行使やデモンストレーションをするというのは超国家主義に基ずく外国での内政干渉行為に他なりません。寮生がまったく政府と無関係独自にその主体だという御意見ならば(寺尾五郎氏の著書など見ますと寮生たちを褒め上げ、時代を作る主人公は若者だ、等としきりに書いています)日本の基準からみて狂っています。選挙権を有する日本国民でさえそれを行使するのは20歳になってからであります。
何の主体か不明ですが、壁新聞を張った主体は寮自治会でしょう。光岡氏の論文で明らかのように、当時寮に残っ
ていたのは、高校を卒業したばかりの受験生が多かったということですが、寮自治会の指導者は、上限が30歳
くらいまでの青年であったはずです。青年運動というのは、そのようなものではありませんか。
> 中国政府・政権党が主導し、寮生を担ぎ上げ、犠牲の羊としてセンセーショナルな事件とする、あわよくば事務所を奪還するという図式だったと私は思っています。まあ既に猛獣さんとはこの間議論はでつくしましたけれどもね。
主張は主張ですが、論証が伴わなければ説得力がないですね。
[566] 路線がどうかということです。 投稿者:大阪の人 投稿日:02/07/31(Wed) 11:39
> 苦しい反論ですね。造反団ニュースの内容が、襲撃の計画の論拠になるというのならば、そのあたりの
> 理由付けを詳しくお聞かせ願いたいですね。
私は路線の解明に着眼の重きを置いていますので、猛獣さんの方が事実経過をおう話ではリードしているということは認めざるを得ません。しかし一向に苦しいとは思いません。なにしろ民事訴訟の和解のないようがあれですからね。せめて「遺憾の意」ぐらは逆にとって和解するのが普通じゃない? 寺尾氏の論のスジからいくと、つまり筋書きはいかにも精緻に書き固められているわけですが、でるところへでて証明することができない、という決定的な弱点をかかえた筋書きだということ。
>
> 共産党が政権をとると、冤罪が増えるなどという誤解のないよう、明白な説明を期待します。
共産党が政権をとる、ということは綱領の中では中国共産党などのようなコースにならない、ということを決めています、単独独裁政権として無制限な権力の乱用、冤罪の跋扈ということにならないように。でも猛獣文士さんの口からそう言われると、まったく苦笑してしまいます。自国の社会体制をもう少しマシにして「あの中国のようになるのでしょう」と言われるのを改めて貰いたいものです。国民として中国に責任ある猛獣文士さんへ。
>> 森下さんが負傷していますね。
>
> 上記のコメントはまったく反論でもなんでもないものですね。路線の話しはできても、事実経過の話はできないということですかね。
森下氏はまだ存命中のはずであります。私は猛獣文士さんのような手法を採ってないということです。だいたい森下氏にせよ橋爪氏にせよ「日中友好」が具体的に進む事を念願して自主性を守って活動してきたわけですから、あまり表立って「ここが中国の具体的な内政干渉でしたよ」という事を公表されているカ所が少ないと思います。こうしたあっさり感が「ものたりない」という人もいるでしょうが、大方の世間一般では「まだまだ左翼はくどくどしい、議論ばかり、理屈より実行しろ」と言われるのではないか。そして「他人を悪くいうのでなく自らを磨け」という事もごく一般の世間の声としてよく耳にします。また「内訌」という中国直輸入の単語もあります。私はこんな良くない言葉の内容を日本人が受容する必要はないと思います。
>
> > > 2.善隣学生会館の性質
> > > 民事立ち退き訴訟の和解内容では、どうなっていましたか。
>
> 和解文書では、
> 1.理事会の立ち退き要求の理由のうち、協会がひとつをみとめ、他を認めなかったが、とにかく立ち退き
> に同意した。
> これは、理事会が他の理由を取り下げたということなのか不明だが、そうではないと考え
> るべきでしょう。
> 2.立ち退きに際し、理事会が、会館内で発生した暴力事件について管理者として遺憾の意を表明した
> もともと、理事会の訴状では、暴力事件の責任がどちらにあるかを問題にしていない。したがって、
> これは管理者としての遺憾表明であり、理事会や裁判所が、寮生が襲撃したこと確認したとすることは
> できない
> 3.協会が多額の立退き料を受け取った
> これは、またしても日本人が中国の財産を掠め取ったという程度の感想しかもてない
>
> 善隣学生会館の性質についての合意は、ここにはありません。この会館が中国の財産であるという立場は、
> その後善隣学生会館の理事会が改組され、建物が建て直された経緯を追えば、日本政府(一応日本国民を代表
> すると考えるべきでしょう)が公的に認めたものと見ることができると思います。大阪さんが、その立場を
> 否定したいのならば、この会館の性質について、どのようにみるべきかきちんと反論する必要があります。
1)中国人のもの、かどうかは繰り返して申しましたが一向に争点ではないのですよ。将来に中国政府に引き渡されるべきという事が日本共産党側の論文にあります。なんとしても侵略者日本と描き出して、その代表が日本共産党だと描き出さねばこの筋書きが完結しない猛獣文士さんの構想であります。2)民事訴訟の争点は「協会が一つをみとめ」じゃないのです。友好協会が「非友好」だとか「反中国」だとかいう非難をやめるなら「本来の使い方」に関して立ち退きという話に同意した方向だということで、逃れようのない書き方をしていると思います。3)は苦笑してしまいますね。どうしてそれなら敗訴が最高裁で決定するまで争わないのか? (何度も書きました)
> > 主体が18,9の寮生にあるとする御意見でしょうか。それとも中国政府にあるとする御意見でしょうか。
> 何の主体か不明です
「友好協会が反中国だ」と認識する主体です。お上(結局毛沢東個人の発言)がそういうならおらたちもそう思うとなるのでしょうか。
> > 中国政府・政権党が主導し、寮生を担ぎ上げ、犠牲の羊としてセンセーショナルな事件とする、あわよくば事務所を奪還するという図式だったと私は思っています。まあ既に猛獣さんとはこの間議論はでつくしましたけれどもね。
>
> 主張は主張ですが、論証が伴わなければ説得力がないですね。
民事訴訟の和解の条文を見るだけで、私にはふふん、と納得ゆくのですけれども。あるいは98年合意を猛獣文士さんが手に取って、あきれたというあのキャプションを見まして、ますます得心がゆきました。
[567] Re: 路線がどうかということです。 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/01(Thu) 11:19
> 私は路線の解明に着眼の重きを置いていますので、猛獣さんの方が事実経過をおう話ではリードしているということは認めざるを得ません。
路線の問題について、大阪さんとここで正否の決着を付けようとは思いませんし、それは不可能であると思います。これは、思想信条の問題だからです。たとえば、大阪さんがこれまで、何度もくり返してきている、赤軍派に参加した人々がおちいった悲惨な状態とか、文化大革命での不幸な事件およびその被害者の悲惨さとかは事実でしょうが、それによって、私の思想信条をかえることはできないでしょう。また、私もその気になれば、日本共産党を信じたために不幸になった人々の事例を同程度に列挙することができるかもしれません。
ところで、事実経過を追う部分で、私は自分がさほどすすんでいるとも思いません。私が前に述べた事実関係の分析は、まったくといっていいほど、寺尾五郎氏の「日中不戦の思想」の分析から出ていません。そのような意味では、この事件の事実関係の論争では、決着は35年前についていたと言えるのではないかと感じています。
大阪さんとの論争を通して、日本共産党側の日中友好協会にも、誠実に日中友好運動を担おうとして、長期間にわたって努力を続けてきた人々がいるということは、あるのかもしれないと思うようにはなりました。しかし、この事件について日本共産党のとった措置が重大な誤りであったという嫌疑は、これによって晴れるものではありません。
仮に、寮生が2月28日に「襲撃」を行っていないとすれば、深夜に多数の戦闘員を動員して会館内に押し入ってという日本共産党側の措置は大変問題のある行為であり、衝突の原因を作った主要な責任を問われるものであったといえると思います。また、その後、寮生側が襲撃したので、「正当防衛」の権利を行使してかれらを撃退したなどと宣伝し続けていることは、寮生に対して物理的な損害を与えただけでとどまらず、その名誉をも継続して踏みにじっていると考えます。
> しかし一向に苦しいとは思いません。なにしろ民事訴訟の和解のないようがあれですからね。せめて「遺憾の意」ぐらは逆にとって和解するのが普通じゃない?
民事訴訟の主体は会館の理事会であり、当時の理事会にはたしかに穂積七郎さんのような中国に理解を示せる人物も入っていたでしょうが、中国の利害を直接に代表する機関ではありません。大阪さんはこの会館が中国の財産であることは争いがないというようなことを言いましたが、当時の状況では、中国の財産の処置に関する争いにおいて、中国の利害を直接に代表する機関が主体になれなかったわけです。私は、ここに戦後日本の中国(あるいはその他のアジア諸国)に対する不誠実な状況が象徴されていると思います。
また、日本共産党の武装集団が寮生や支援の日本人に暴行をくわえ重傷を負わせた事実については(仮にそのようなものがあったとして)、民事訴訟で争うような性質のものではなく、明らかに刑事訴訟の対象にするべきものです。しかし、寮生側から、この事件について刑事告訴を行った形跡はありません。この点をもって、大阪さんは日本共産党側には刑事責任がないと考えているのかもしれませんが、それは、日本国内法の秩序の範囲で法的な責任が問われなかった事実を後追いしているにすぎません。日本の警察機構や裁判制度が完璧に公平で、完璧に暴力事件の被害者の権利を守るようなものであれば、実際に刑事責任を問われなかったことと、刑事責任を問われるべき実体がなかったことがかなり近似しているといえるでしょうが、現実にはそれほど完璧な制度であるとはいえないでしょう。最近の報道をほんの少しでも検索すれば、日本の警察機構が弱者に対して、あるいは暴力事件の被害者に対していかに冷たく、その保護においていかに無力であるかを証明することができると思います。裁判制度についても同様です。
> 寺尾氏の論のスジからいくと、つまり筋書きはいかにも精緻に書き固められているわけですが、でるところへでて証明することができない、という決定的な弱点をかかえた筋書きだということ。
もう一度くり返しますが、民事訴訟での争点は寺尾五郎氏の分析した流血事件の責任ではありません。刑事訴訟は行われませんでしたが、これは在日中国人からみて日本の司法制度が信頼できるものではなかったという事実を示しているに過ぎないと思います。
> 共産党が政権をとる、ということは綱領の中では中国共産党などのようなコースにならない、ということを決めています、単独独裁政権として無制限な権力の乱用、冤罪の跋扈ということにならないように。
日本共産党がどのような政策を採用するかではなく、あのようなミニコミ誌の記事をもって、寮生が計画的な襲撃を行ったと断定し続けていることにみられる、証拠の判断における客観的な分析能力の欠如をいっています。
> でも猛獣文士さんの口からそう言われると、まったく苦笑してしまいます。自国の社会体制をもう少しマシにして「あの中国のようになるのでしょう」と言われるのを改めて貰いたいものです。国民として中国に責任ある猛獣文士さんへ。
中国には中国の事情があります。優れた点も遅れた点もあるでしょう。だから、日本共産党が勝手なことをしていいということではありません。
> 森下氏はまだ存命中のはずであります。私は猛獣文士さんのような手法を採ってないということです。だいたい森下氏にせよ橋爪氏にせよ「日中友好」が具体的に進む事を念願して自主性を守って活動してきたわけですから、あまり表立って「ここが中国の具体的な内政干渉でしたよ」という事を公表されているカ所が少ないと思います。
森下氏の著作は知りませんが、橋爪氏の著作を見る限る、発言が自制的であるとは思えません。
> こうしたあっさり感が「ものたりない」という人もいるでしょうが、大方の世間一般では「まだまだ左翼はくどくどしい、議論ばかり、理屈より実行しろ」と言われるのではないか。そして「他人を悪くいうのでなく自らを磨け」という事もごく一般の世間の声としてよく耳にします。また「内訌」という中国直輸入の単語もあります。私はこんな良くない言葉の内容を日本人が受容する必要はないと思います。
私は橋爪氏の著作があっさりしているとは思いません。執拗に、寮生や中国人を軽侮し、おとしめているものであると感じます。
しかし、現在の時点では、暴力行為の直接の実行者は別にして、現場の担当者の責任をどうこういうことはできないし、益がないことであるとは思います。しかし、大阪さんとの討論を通して形成された確信として、大きな影響力を保持し続けている政党としての日本共産党の責任については、忘れ去るような性質ものもではないと考えています。
> 「友好協会が反中国だ」と認識する主体です。お上(結局毛沢東個人の発言)がそういうならおらたちもそう思うとなるのでしょうか。
この場合の主体は寮自治会でしょう。そのような認識が形成されるまでの経過としては、いろいろなものがあったでしょうが、それが誤りであると確信する自由もあると思います。しかし、日中友好センターとしての会館のど真ん中に居座るためには、そのような確信を持っていることだけでは不十分ではありませんか。
寺尾氏も述べていますが、路線の論争が建物の争奪戦に結びついたという点からみれば、彼らの信念も信頼できるものではなかったのではないかと思います。(この感想が述べられている「日中不戦の思想第二章」は、いずれWeb化したいと思います)
[568] 路線は検討するに値する問題です。 投稿者:大阪の人 投稿日:02/08/01(Thu) 14:16
猛獣文士さん、こんにちわ
> 路線の問題について、大阪さんとここで正否の決着を付けようとは思いませんし、それは不可能であると思います。これは、思想信条の問題だからです。たとえば、大阪さんがこれまで、何度もくり返してきている、赤軍派に参加した人々がおちいった悲惨な状態とか、文化大革命での不幸な事件およびその被害者の悲惨さとかは事実でしょうが、それによって、私の思想信条をかえることはできないでしょう。また、私もその気になれば、日本共産党を信じたために不幸になった人々の事例を同程度に列挙することができるかもしれません。
猛獣さんと「路線闘争」をかまえようとは全然思っておりません。ここはコスモポリタン氏(氏は一体何国人なのか)とは違う所です。路線がどうか、ということは、それが暴力革命を肯定し、目的が手段を合理化するかどうかということと関係しての事であります。日本党にはれんだいこさんをはじめとして、この組織から本人の気持ちとしては許せない対応をされて、生涯のテーマとして反共を掲げる人がいる(汗)事は事実です。しかしこの【実際】の事件に関して言いますと、直輸入で現出した事態は中国プロレタリア文化大革命の路線の持ち込み以外に考えられません。ほうしん氏、劉少奇氏、陶鋳氏らの受けた1)個人テロや2)捏造された「罪状」をご覧なさい。彼らには逃げる所がなかったのでされるままでありましたが、日本においては日本党が独自の態度をとったので組織的に反撃されたのです。従って2)が日本国内では主となっておりまして、デマ宣伝、嘘宣伝によって日本共産党を攻撃する、という手法をとっていると見るのが妥当です。猛獣文士さんのような、ある意味でアクティブ、興味関心の高い層にしてHPを作成する段になって98年合意さえ伝わってなかった。あなたに衝撃が走った事は読んでいてわかります。BBSの書き方でも当初と変わってきていますし。私はさほど変化(進歩?)がない。それは新たに仕入れた事実はいろいろあったものの、基本的な路線として、プロレタリア文化大革命の路線を日本共産党が受け入れなかったということが全く正しかったということ、対処の仕方が(たとえば67年77盧溝橋事件記念日の「訴え」を見よ)説得的で条理を尽くしている事があらかじめわかっていたからです。たとえるならば猛獣さんはキムヒョンヒ。私は韓国の国民のような感じでしょうか。
> ところで、事実経過を追う部分で、私は自分がさほどすすんでいるとも思いません。私が前に述べた事実関係の分析は、まったくといっていいほど、寺尾五郎氏の「日中不戦の思想」の分析から出ていません。そのような意味では、この事件の事実関係の論争では、決着は35年前についていたと言えるのではないかと感じています。
前段はまったく率直なご意見と評価します。後段に関しては寺尾五郎氏の事跡をたどればたどるほど、1960年代には見えてこなかった側面が見えてきた気がいたします。寺尾氏自身がインタビュー等に答えて『日中不戦の思想』や『林彪の作戦』と異なった発言をしています。最後には6.4の第二天安門事件を弾劾したりして。ただし氏は最後まで自分の嘘宣伝の始末はつけないまま、卑怯にこの世を去りました。在日朝鮮人にも華僑にも一言も。
> 大阪さんとの論争を通して、日本共産党側の日中友好協会にも、誠実に日中友好運動を担おうとして、長期間にわたって努力を続けてきた人々がいるということは、あるのかもしれないと思うようにはなりました。しかし、この事件について日本共産党のとった措置が重大な誤りであったという嫌疑は、これによって晴れるものではありません。
【大阪さんとの論争を通じて】というカ所が重要であります。たかが私ごときの発言で面と向かって指摘されるまでこうした事実が華僑の小さいコミュニティーでは隠蔽されていたということです。民事立ち退き訴訟の件も、事実をお知りになったのは、ご自分で地裁に赴かれての事でありました。個人的な大変な努力を重ねられて、はじめて事実と直面された。私は『しんぶん赤旗』その他の予備知識から外にそんなに苦労はしておりませんよ。ここには情報の落差が厳然としてあるということです。
> 仮に、寮生が2月28日に「襲撃」を行っていないとすれば、深夜に多数の戦闘員を動員して会館内に押し入ってという日本共産党側の措置は大変問題のある行為であり、衝突の原因を作った主要な責任を問われるものであったといえると思います。また、その後、寮生側が襲撃したので、「正当防衛」の権利を行使してかれらを撃退したなどと宣伝し続けていることは、寮生に対して物理的な損害を与えただけでとどまらず、その名誉をも継続して踏みにじっていると考えます。
寮生たちの名誉? 名誉はもっと独立した組織として認められる組織や人物のものであります。猛獣文士さんは何度も友好協会を単なる日共の手先とされ、独立した組織としての存在を無視されるような発言を繰り返されていますが「日本共産党−日本中国友好協会」が単なる従属の一方的関係だとすれば(事実と違うので不満あり)「中国共産党(あるいは毛沢東個人、対日干渉チーム)−後楽寮自治会」はますます従属した一方的関係であります。
> 民事訴訟の主体は会館の理事会であり、当時の理事会にはたしかに穂積七郎さんのような中国に理解を示せる人物も入っていたでしょうが、中国の利害を直接に代表する機関ではありません。大阪さんはこの会館が中国の財産であることは争いがないというようなことを言いましたが、当時の状況では、中国の財産の処置に関する争いにおいて、中国の利害を直接に代表する機関が主体になれなかったわけです。私は、ここに戦後日本の中国(あるいはその他のアジア諸国)に対する不誠実な状況が象徴されていると思います。
この民事立ち退き訴訟は、(正統)日中だとか、日本国内の文革派は”オールスターズ”で皆で理事会側にたって応援していたはずであります。ここを別個のように言うのは後づけチョンボの反則です。「反中国」で「暴力」だから立ち退け、という訴えが、逆に「暴力行為に遺憾」と表明させられ、今後目的外には使用しない、とまで(これは(正統)日中の入居への釘でありましょう)言明させられ、民事上の争点であった「迷惑な入居者のために被害を被った故の賠償」というのが、逆転して解決金の支払いするとなっているのです。判決の後にこれば別個だというのは解せません。それより猛獣さん自身この民事訴訟の内容で、内容的にもっと実のある決着を期待したのではないのか。
それから「中国人の財産とりあげ」というのは「日本共産党は日本反動派の下僕・手先」ということの延長でしょうか。日本共産党や友好協会が解決金を受け取った事が日本反動派の手に中国の財産が渡るという事になるのでしょうか。日本の大方の方は、日本共産党や友好協会を手放しで信任したりしはしませんが、日本共産党が日本反動派の手先・下僕というのは、よほどレトリックとして用いる反共の人もいるでしょうが、そんな方にしても全的にそう信じている人はいないと思うが、いかが。
> また、日本共産党の武装集団が寮生や支援の日本人に暴行をくわえ重傷を負わせた事実については(仮にそのようなものがあったとして)、民事訴訟で争うような性質のものではなく、明らかに刑事訴訟の対象にするべきものです。しかし、寮生側から、この事件について刑事告訴を行った形跡はありません。
これはそのとおりです。なぜでしょうね。訴訟になれば、もっと重大な暴力事件が、寺尾氏らの作り上げた精緻な筋書きとは別に浮かび上がってくるからではないか、という疑念があります。まだ疑念ですけれども。
> 裁判制度についても同様です。
裁判制度を信用しないというのは驚きの発言ですが、としても、証言ぐらいは残ります。市川正一氏の日本のまだ暗黒の裁判の時でしたが治安維持法下の公判記録があります。デミトロフ氏の国会での演説も残っています。「この裁判が私たちに無実であるのに罪をきせようとも、真実は残るし、次の世代に引き継がれる」という態度で英雄的に議論をすべきです。それとも裁判記録さえ改竄偽造され、日本権力は日本共産党の肩もちするとでも? それと裁判を軽視するのならどうして裁判に持ち込み、訴えをするのでしょうか。「裁判にしました」という形式だけを打ち上げ、後にこそっと支援者の到底納得できない(でしょ?)和解をそそくさと決めて、内容を周知するどころか隠蔽しているのでありましょうか。
> もう一度くり返しますが、民事訴訟での争点は寺尾五郎氏の分析した流血事件の責任ではありません。刑事訴訟は行われませんでしたが、これは在日中国人からみて日本の司法制度が信頼できるものではなかったという事実を示しているに過ぎないと思います。
争点はあきらかに「反中国」で「暴力的」な迷惑な居住者「偽日中」を相手どり、これを反中国だから退去させるというそもそもの目的の訴状でありました。この訴状の内容の「実」がすべて覆って和解しています。単に無視されたというような単純な覆り方ではなく、「暴力行為に遺憾」を理事会側が逆にコメントする内容です。筋書き通りであるならばけしてこうはしてはいけない和解の仕方であります。
> 日本共産党がどのような政策を採用するかではなく、あのようなミニコミ誌の記事をもって、寮生が計画的な襲撃を行ったと断定し続けていることにみられる、証拠の判断における客観的な分析能力の欠如をいっています。
猛獣さんは「冤罪」と言われた。冤罪をなくすには法に基づく裁判制度を承認せねばならず「裁判がアテにならないから」とテキトーに切り上げて和解し、「これは日本の法制度、裁判制度が悪いから信用おけない」などと言ってはいけないのです。片方で「冤罪」といい、もう片方で「信用しない」という。これは日本の国法と裁判制度の愚弄であります。外国人だからといって日本の国法や制度をこのように愚弄していいということはありません。
> 中国には中国の事情があります。優れた点も遅れた点もあるでしょう。だから、日本共産党が勝手なことをしていいということではありません。
その「中国の事情」を国民としてなんとかする方の「努力」はせぬまま。日本の国法はバカにし、プロレタリア文化大革命の直輸入には国家主義に基づいて先陣争いして勇ましさを競う、これが独立した人格をもつ主権者としての中国国民のやり方ですか。
> 森下氏の著作は知りませんが、橋爪氏の著作を見る限る、発言が自制的であるとは思えません。
橋爪氏が負傷したこと、自律神経失調に寮生たちとの闘争のために陥った事は猛獣文士さんもご存知ですよね。そうした人物にしては、「根っからの中国ずき」らしい本だと思いましたが。ちなみに森下氏の本は知りません。この人は前年に民青同盟の中央委員として「第二回青年大交流」の参加辞退のコメントを談話として発表しているはずです。
> 執拗に、寮生や中国人を軽侮し、おとしめているものであると感じます。
逆の印象を当方が受けた、ということを改めてお伝えし、こうした読後感はさまざまだと感じたことも率直に述べさせて頂きます。
> しかし、現在の時点では、暴力行為の直接の実行者は別にして、現場の担当者の責任をどうこういうことはできないし、益がないことであるとは思います。しかし、大阪さんとの討論を通して形成された確信として、大きな影響力を保持し続けている政党としての日本共産党の責任については、忘れ去るような性質ものもではないと考えています。
日本共産党の党中央の路線が誤っていたのか、正しかったのか、ということでありましょうか。当方は全くこの時点に関して日本共産党中央は用いる手段、手法、尽くすべき条理、忍耐、適法性、合理性などに鑑み、他の手段や路線を採った時よりずっと犠牲すくない、最善の手段を講じたと思います。残るは局所的な【実際】の現場指揮者の采配だけです。いつぞや傍観者(初代)さんと対話したときに「1割ぐらいの心の余白・のりしろ」は空けてあると申しましたが、依然そのまま余白だけは空けてあります。埋める議論を聞かせてください。
江沢民国家主席(閣下!)や朱秘処長さん、戴部長さん、あるいは張香山氏は余白を埋めるどころか、不破氏らの議論を上書きしてくれています。「間違った事をしたとは思っていない、それは今でも」と【いいのがれ】【居直り】するのは朱印貿易で財をなした横浜の彼だけであり、彼にしても説得されるどのような具体的内容も示しえていません。寺尾五郎氏にしてもあれだけ『日中不戦の思想』では精緻に解明してみせたというのに、後が続きません。だいたい自分が解明した独自の事実というのは、嬉しいものですから何度も同工異曲で繰り返し述べるものですが、寺尾氏はこの件に関してはそれがパタリとない。一度だけ顧客の要望に答えて本にしてみたが、時代が変わるとそれをいいたてるのが自己に不利とみて「まるでそれがなかったか」のようにダンマリを決め込む、とまで言えば言い過ぎか。日本共産党にはそのような態度は(少なくともこの対中国の件では)見受けられない、ということも、一つの傍証であります。
> > 「友好協会が反中国だ」と認識する主体です。
> この場合の主体は寮自治会でしょう。そのような認識が形成されるまでの経過としては、いろいろなものがあったでしょうが、それが誤りであると確信する自由もあると思います。しかし、日中友好センターとしての会館のど真ん中に居座るためには、そのような確信を持っていることだけでは不十分ではありませんか。
日中友好センターの中に居住するにふさわしいのは【強盗犯】どもでしょうか。【内ゲバ殺人犯】たる連赤たちでしょうか。この当時比較するに、友好協会こそがもっとも平和共存と善隣友好という課題に実を伴った主張と行動をとっていたと断言しえます。これを一方的に「反中国」と見なしたのは対日干渉チームの線であり、毛沢東なりそのチームなりが「友好の対象」と一言言えば、むしろ本物の暴力団で毎日負傷者がでても「耐えて祖国の礎に」という話になったのではありませんか(言葉じりをとって「殴りたかったのだろう」とか言わない事)。手のひらが返るように「反中国」の「偽日中」となるのは、寮生たちのあずかり知らない”線”からの差し金で66年秋からです。
> 寺尾氏も述べていますが、路線の論争が建物の争奪戦に結びついたという点からみれば、彼らの信念も信頼できるものではなかったのではないかと思います。(この感想が述べられている「日中不戦の思想第二章」は、いずれWeb化したいと思います)
そうそう。猛獣文士さんは、「高い」とか言ってお手にとることを拒否したままの「半世紀」本に、友好協会の本部事務所の移動の変転が記されています。橋爪氏の本にもありましたが、居場所に困って移ってきたなどという事ではなくむしろ「寮生が追い出されそうなので重しとして来てくれ」と招請されて2年ほど前に来たということです。ちなみに後楽入居当時の「日本と中国」紙を見てみたのですが、いきさつの記述はほとんどありません。「寮生たちが追い出されそうだ」というのは寮生たちにとり不名誉な事だから伏せているのでありましょうか。寺尾氏は心底悪意をもって友好協会にイヤゴトを述べているのでありまして、傍観者(初代)さんのご指摘の、日共のダメな部分の象徴的存在ともうせましょう。
[573] Re: 路線は検討するに値する問題です。 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/08/02(Fri) 09:16
大阪の人さん、こんにちは
話が拡散してしまうのは、私の文章能力の不足のせいでしょうか。
> 前段はまったく率直なご意見と評価します。後段に関しては寺尾五郎氏の事跡をたどればたどるほど、1960年代には見えてこなかった側面が見えてきた気がいたします。寺尾氏自身がインタビュー等に答えて『日中不戦の思想』や『林彪の作戦』と異なった発言をしています。最後には6.4の第二天安門事件を弾劾したりして。ただし氏は最後まで自分の嘘宣伝の始末はつけないまま、卑怯にこの世を去りました。在日朝鮮人にも華僑にも一言も。
寺尾氏に対する人格攻撃はやめてもらいたいのですが、大阪さんのことだから無理でしょう。寺尾氏の善隣学生会館事件の事実経過の分析は精緻というよりも、大変説得力のあるものです。大阪の人さんは、その後、寺尾氏が立場を変えたというような表現をしてますが、それは政治的な立場についてではないかと推察されます。たとえば、中国に対する評価とか、親中国派の政治党派との関係とかのことです。寺尾氏のような立場の人間が、天安門事件について、中国当局を弾劾するのは、意外なことではありません。しかし、寺尾氏が生前に、善隣学生会館で寮生が日中友好協会を「襲撃」したというように言葉を変えたというのならば、それを示す資料を教えてください。
> 【大阪さんとの論争を通じて】というカ所が重要であります。たかが私ごときの発言で面と向かって指摘されるまでこうした事実が華僑の小さいコミュニティーでは隠蔽されていたということです。
これは、最大限のリップサービスですので、あまりその点を強調しないでほしいですね。効果的な論争を保持するために、認められるところは認めようというものです。
> 民事立ち退き訴訟の件も、事実をお知りになったのは、ご自分で地裁に赴かれての事でありました。個人的な大変な努力を重ねられて、はじめて事実と直面された。私は『しんぶん赤旗』その他の予備知識から外にそんなに苦労はしておりませんよ。ここには情報の落差が厳然としてあるということです。
それについて、このように私が所属する人々をあしざまに誹謗したり、勝手な推測を重ねられたりすると、認めていいことでも認められなくなります。
当時の状況から見て、寮生たちが日本共産党系の日中友好協会はニセの友好組織であると判断した認識過程は合理的であり、そのような認識にいたったことについてを彼らの過失であるとすることはできないというのが私の考え方です。もちろん、いろいろな形の友好運動があってもよいという風にその時点で達観できていたら、もっとよかったかもしれないでしょうが、友好協会の担当者との頻繁な討論を通じないでそのような認識に到達することは不可能でしょう。そのような討論の場を提供する義務が、当時の協会にあったのに、その義務は遂行されていなかった。むしろ、あんなやつらは話し合ってもどうにもならないだめなやつらだから、正当防衛権を行使して一蹴せよなどと物騒なことをいっていたようです。
大阪さんも指摘しているように、中国共産党と日本共産党が鋭く対立するようになり、中国共産党を支持する部分が分かれる形で日中友好協会が分裂し、他の多くの中国関係の団体でもトラブルが発生していたのですから、何の接触もなければ寮生がそのように認識するのは、当然の流れです。
> 寮生たちの名誉? 名誉はもっと独立した組織として認められる組織や人物のものであります。猛獣文士さんは何度も友好協会を単なる日共の手先とされ、独立した組織としての存在を無視されるような発言を繰り返されていますが「日本共産党−日本中国友好協会」が単なる従属の一方的関係だとすれば(事実と違うので不満あり)「中国共産党(あるいは毛沢東個人、対日干渉チーム)−後楽寮自治会」はますます従属した一方的関係であります。
話をまぜっかえして、議論をおかしな方向に持っていってしまうのも、いつもの大阪さんの傾向です。名誉というのは、人間であればだれでもが保つもので、まもらなければならないものです。名誉毀損などという言葉がありますが、名誉毀損を主張するには何か資格が必要だということではないでしょう。常識に沿って議論していただきたいですね。
ここでいったのは、襲撃をしていないのに襲撃をしたと虚偽の宣伝をされ、暴行をくわえて損害を与えた因果関係を逆に宣伝され続けているとすれば、これは名誉を損なうものであるという意味です。
> この民事立ち退き訴訟は、(正統)日中だとか、日本国内の文革派は”オールスターズ”で皆で理事会側にたって応援していたはずであります。ここを別個のように言うのは後づけチョンボの反則です。「反中国」で「暴力」だから立ち退け、という訴えが、逆に「暴力行為に遺憾」と表明させられ、今後目的外には使用しない、とまで(これは(正統)日中の入居への釘でありましょう)言明させられ、民事上の争点であった「迷惑な入居者のために被害を被った故の賠償」というのが、逆転して解決金の支払いするとなっているのです。判決の後にこれば別個だというのは解せません。それより猛獣さん自身この民事訴訟の内容で、内容的にもっと実のある決着を期待したのではないのか。
私は、裁判所に保存してあった裁判の資料をもとに議論をしています。その要約を、このWebページで公開しましたので、私の論拠は明白だと思います。会館理事会の訴状をを見たかぎりでは、立ち退き要求の理由に、日本共産党側の日中友好協会が反中国であるなどという項目はありません。また、暴力的な衝突について、日本共産党側に責任があるというような主張もありません。会館理事会が立ち退きを要求したことで、日本共産党側は会館が「文革派」に味方したと攻撃したかもしれませんが、私には、純法律的にみても、会館理事会の立ち退き要求の理由は妥当で公平なものと思えます。
> それから「中国人の財産とりあげ」というのは「日本共産党は日本反動派の下僕・手先」ということの延長でしょうか。日本共産党や友好協会が解決金を受け取った事が日本反動派の手に中国の財産が渡るという事になるのでしょうか。日本の大方の方は、日本共産党や友好協会を手放しで信任したりしはしませんが、日本共産党が日本反動派の手先・下僕というのは、よほどレトリックとして用いる反共の人もいるでしょうが、そんな方にしても全的にそう信じている人はいないと思うが、いかが。
日本共産党が日本反動派の下僕であるかどうかなどという議論は、大阪さんが勝手に付け加えたものです。
財産を掠め取ったというのは、以下のようなことです。
@ 日中友好協会(面倒なので日本共産党系のという修飾子を省きます)は、賃貸借契約を根拠に、事務所等の使用権を主張していた。
A しかし、流血事件以降、日中友好協会は家賃を支払っていなかった(らしい)。
B その間、日中友好協会は外部からの暴力部隊を駐屯させて、2年間にわたり会館の事務所を占拠し、実際に事務所として使用した(と思える)。
C 日中友好協会事務所を引き払う時点で、それまでの未払いの家賃を(ずいぶんな金額になっていたはずです)を支払うどころか(常識のある市民であれば当然そうしたでしょう)、逆に多額の立退き料を受け取っている。
ということです。この事実は、日中友好協会が対価を負担せずに多額の利益を得たということです。その利益を負担したのは中国の財産であることに異論のない善隣学生会館の原資であると思われます。これはとりもなおさず、日本人である日中友好協会の構成員が中国の財産を犠牲にすることで利益を獲得したということになります。
何か、まちがっているでしょうか。
> これはそのとおりです。なぜでしょうね。訴訟になれば、もっと重大な暴力事件が、寺尾氏らの作り上げた精緻な筋書きとは別に浮かび上がってくるからではないか、という疑念があります。まだ疑念ですけれども。
現在のところ、そのような資料は見つかっていません。
> > > 裁判制度についても同様です。
> > 裁判制度を信用しないというのは驚きの発言ですが、としても、証言ぐらいは残ります。市川正一氏の日本のまだ暗黒の裁判の時でしたが治安維持法下の公判記録があります。デミトロフ氏の国会での演説も残っています。「この裁判が私たちに無実であるのに罪をきせようとも、真実は残るし、次の世代に引き継がれる」という態度で英雄的に議論をすべきです。それとも裁判記録さえ改竄偽造され、日本権力は日本共産党の肩もちするとでも? それと裁判を軽視するのならどうして裁判に持ち込み、訴えをするのでしょうか。「裁判にしました」という形式だけを打ち上げ、後にこそっと支援者の到底納得できない(でしょ?)和解をそそくさと決めて、内容を周知するどころか隠蔽しているのでありましょうか。
裁判制度を無条件に信用する理由がどこにあるのでしょうか。人間のつくった制度などというものは、いくつかの欠陥を抱えていると考えるのが普通です。
日本の具体的な裁判制度について言えば、二つの欠陥が考えられます。
第一に、警察官から検事、判事、あるいは弁護士を含め、この制度を実施する人員がが全体として偏った思考方法にとらわれていて、すべての関係者に対して公平な判断をする能力が欠如している可能性。
第二に、裁判が非効率なために、訴えを起こす人の利益を有効にまもれない可能性です。たとえば、10の利益をまもるために法的措置を講じたときに、100の犠牲を払わなければそれをうることができないとすれば、そのような制度は使い物になりません。
> 争点はあきらかに「反中国」で「暴力的」な迷惑な居住者「偽日中」を相手どり、これを反中国だから退去させるというそもそもの目的の訴状でありました。この訴状の内容の「実」がすべて覆って和解しています。
実際の法廷でどのような討論があったのかは、記録がないので分かりません。残っている訴状には、そのような記述はありません。
> 猛獣さんは「冤罪」と言われた。冤罪をなくすには法に基づく裁判制度を承認せねばならず「裁判がアテにならないから」とテキトーに切り上げて和解し、「これは日本の法制度、裁判制度が悪いから信用おけない」などと言ってはいけないのです。片方で「冤罪」といい、もう片方で「信用しない」という。これは日本の国法と裁判制度の愚弄であります。外国人だからといって日本の国法や制度をこのように愚弄していいということはありません。
善隣学生会館事件で誰かが冤罪を問われたわけではありません。日本共産党側からは寮生に対する刑事告訴が乱発されたようですが、いずれも不起訴になっているようです。
もしその当時、日本が日本共産党の支配する国であれば、造反団ニュースの記事を根拠に、寮生が襲撃したと判断され、本当に冤罪が発生したのかもしれません。
大阪さんが私に答えるためには、造反団ニュースの記事を読んで、寮生が一ヶ月前から襲撃を計画していたことを結論付ける妥当な推論過程を示すか、あるいはその推論を補足する別の確かな証拠を提示するかが必要です。そうでなければ、一ヶ月前から襲撃を計画していたなどという宣伝を取り下げるべきです。
> その「中国の事情」を国民としてなんとかする方の「努力」はせぬまま。日本の国法はバカにし、プロレタリア文化大革命の直輸入には国家主義に基づいて先陣争いして勇ましさを競う、これが独立した人格をもつ主権者としての中国国民のやり方ですか。
私がそんなことをしていると、何の根拠をもって言うのでしょうか。
> 逆の印象を当方が受けた、ということを改めてお伝えし、こうした読後感はさまざまだと感じたことも率直に述べさせて頂きます。
ま、印象はさまざまですよね。
> 日本共産党の党中央の路線が誤っていたのか、正しかったのか、ということでありましょうか。当方は全くこの時点に関して日本共産党中央は用いる手段、手法、尽くすべき条理、忍耐、適法性、合理性などに鑑み、他の手段や路線を採った時よりずっと犠牲すくない、最善の手段を講じたと思います。
正当防衛権の行使ですかね。このような大阪さんの評価を読むと、日本共産党のほうが早くから暴力的な衝突の準備をしていたという印象を受けます。
> 残るは局所的な【実際】の現場指揮者の采配だけです。いつぞや傍観者(初代)さんと対話したときに「1割ぐらいの心の余白・のりしろ」は空けてあると申しましたが、依然そのまま余白だけは空けてあります。埋める議論を聞かせてください。
抽象的で、何がほしいのか判断できませんが、埋める議論ができればいいかもしれません。
> 江沢民国家主席(閣下!)や朱秘処長さん、戴部長さん、あるいは張香山氏は余白を埋めるどころか、不破氏らの議論を上書きしてくれています。
具体的には、どのような状況でしょうか。
> 「間違った事をしたとは思っていない、それは今でも」と【いいのがれ】【居直り】するのは朱印貿易で財をなした横浜の彼だけであり、彼にしても説得されるどのような具体的内容も示しえていません。
これも、どのような過程でそのような発言がもたれたのでしょうか。もちろん、間違ったことをしていた筈もないと思いますが。
> 日中友好センターの中に居住するにふさわしいのは【強盗犯】どもでしょうか。【内ゲバ殺人犯】たる連赤たちでしょうか。この当時比較するに、友好協会こそがもっとも平和共存と善隣友好という課題に実を伴った主張と行動をとっていたと断言しえます。
日中友好センターとしての中国の財産の建物を事務所にする組織として、どのようなものがふさわしいかを決定する権利は、中国側にありました。その判断に抗議を申し立てる権利はあるでしょうが、自薦して相手の迷惑も顧みずに居座る権利はありません。中国の(当時の)政府と決裂しても「真の」日中友好を貫くという決意があるのならば、中国の財産を費消せずに自腹でそれを行うべきでした。後になって、その真意が理解されるというのは、そのようなけじめが遵守されている場合だけです。
暴力部隊を導入し、相手を傷つけて、なおかつそれが相手のためだなどという論法が通るのであれば、日本の侵略戦争だって非難できなくなります。華僑総会の声明で、日本共産党を日本軍の侵略になぞらえているというのは、そのような日本共産党側の態度を指摘していると思います。
なお、これらの議論は、寮生側の襲撃や監禁がなかったという判断を(とりあえず、資料を照合するとその可能性が高いと思います)前提にしてます。
[576] Re^2: 路線は検討するに値する問題です。 投稿者:大阪の人 投稿日:02/08/03(Sat) 13:46
> 話が拡散してしまうのは、私の文章能力の不足のせいでしょうか。
むしろ逆でしょう。猛獣文士さんの筆力と作戦がそうさせているのでは? うまくそらされると感心することしきり。
> 寺尾氏に対する人格攻撃はやめてもらいたいのですが、大阪さんのことだから無理でしょう。
猛獣文士さんは、在日朝鮮人の間での寺尾五郎氏の評判がどうなっているか、ということは、どのぐらい感知されて居ましたか。まさか当方ごときがご指摘申し上げるまで、見たことも聞いた事もなかったということはないとは思いますが。それから何冊氏の著書をお手に取って当方の議論をご検討されましたか。猛獣文士さんは氏を「歴史”家”」「思想”家”」と評価されていましたが。
> 寺尾氏の善隣学生会館事件の事実経過の分析は精緻というよりも、大変説得力のあるものです。大阪の人さんは、その後、寺尾氏が立場を変えたというような表現をしてますが、それは政治的な立場についてではないかと推察されます。
猛獣さんのおっしゃるとおりのカ所(後楽事件の寮生vs友好協会の認識を変えて書いたたカ所がない)と猛獣さんがうまく話をそらされた、元発言にあった当方の議論(以後話が続かないで、同工異曲でなんども同じ事件にふれるといった事がない事)とは裏腹の、一つコインの関係です。私はタレントがスポンサーと契約してCMに出演する、というビジネスのケースを想定しています。つまり寺尾氏は当時は中国文革政府とのある種スポンサー契約を持っていたからその”口紅”を塗りその”ワッペン”をヘルメットにつけていたのではないかと思っています。これは商契約でありまして資本主義の世の中では合法であります。ただしCMはCMとせねば商道徳に違反していると思います。
「精緻というより大変説得力のあるもの」には「いかにも精緻かついかにも説得力がある」と同意致します。ただし(しきりに猛獣さんは「無関係」とされていますが)民事明け渡し訴訟の原告側訴えは、まさに寺尾説の側にたたねば意味が通じない主張でありまして、これが実質地裁の法廷にて全否定され、和解になっています。和解は「有罪にされるよりはマシ」という政治的判断でなされるものでありますから当然、「何が暴力か」も文書に掲載しないルールでありましてここも猛獣さんのご指摘のごとく、いっけん「無関係」であります。しかし「日本と中国」紙だとか寺尾本だとかの議論が一切通用しなくて(これは友好協会側が一方的に認めないですまされる問題でなく地裁が一蹴しているのです)みごとに否定され、賠償金を逆に支払う形で「和解」しているのでありますから、うまく隠して手をうった(うたざるをえなかった)のは理事会、それを後押ししていた(正統)日中やら文革派華僑の主張が「(精緻でいかにも説得力があるが)でるところへ出て通用するものではない」とする当方の議論は一定の妥当性と根拠があると思いますが、いかが。
> これは、最大限のリップサービスですので、あまりその点を強調しないでほしいですね。効果的な論争を保持するために、認められるところは認めようというものです。
申し訳ないが再度【情報の格差が歴然である】と指摘させて頂きます。それとも猛獣さんは何ですか? 当方がご指摘申し上げた情報は実はハナから独自にご存知で、当方が知っている事、こんな事実もあると指摘する事で、【隠しおおせなくなった】と観念して認めざるを得ないカ所を当方の指摘によってしぶしぶ【カマトト】よろしく「あら」と「新発見してみせていた」、とでも言われるのか。当方は秘匿された特ダネを持ってきているというより図書館の閉架式の奥でホコリをかぶっていた資料や普通に「しんぶん赤旗」販売所に行けば売っているパンフレットをネタにしただけでありました。
> > 民事立ち退き訴訟の件も、事実をお知りになったのは、ご自分で地裁に赴かれての事でありました。個人的な大変な努力を重ねられて、はじめて事実と直面された。私は『しんぶん赤旗』その他の予備知識から外にそんなに苦労はしておりませんよ。ここには情報の落差が厳然としてあるということです。
> > それについて、このように私が所属する人々をあしざまに誹謗したり、勝手な推測を重ねられたりすると、認めていいことでも認められなくなります。
当方は一貫して猛獣文士さんのご父君をはじめとした、圧倒的多数の日本華僑の皆さまを無実であるのに「あしざまにおとしめ」る所業をした覚えはありません。そういうカ所があれば謹聴して改めておわびさせて頂きます。しかしながらその所業が許せない嘘つきや暴力犯人に対しては仮借ない追及を今後もこのHPやBBSがある限り、当方がでてこれる限り、その罪に応じて白日にさらす所存であります。
> 当時の状況から見て、寮生たちが日本共産党系の日中友好協会はニセの友好組織であると判断した認識過程は合理的であり、そのような認識にいたったことについてを彼らの過失であるとすることはできないというのが私の考え方です。(略)友好協会の担当者との頻繁な討論を通じないでそのような認識に到達することは不可能でしょう。そのような討論の場を提供する義務が、当時の協会にあったのに、その義務は遂行されていなかった。むしろ、あんなやつらは話し合ってもどうにもならないだめなやつらだから、正当防衛権を行使して一蹴せよなどと物騒なことをいっていたようです。
「物騒な事を言っていたよう」だと寺尾本に精緻に描き出されている、ということは同意致します。それから猛獣文士さんが「過失であるとすることができない」というのは、たとえば第二次大戦中の日本国民の圧倒的部分だとか、まだ戦後すぐの外国人差別が苛烈であったころの圧倒的多数の日本人に関しても、同じ論法でほぼ全面無罪となるのではありませんか。つまり「抑圧民族」「差別者」とされた圧倒的多数の日本国民と同様の”罪”を文革対日干渉チームのそそのかしに乗った一部日本華僑は”罪”として負うが、それは「そのような認識にいたった事について彼らの過失であるとすることはできない」というわけですね。しかし自覚的に立ち上がった”戦士”の皆さんをこのような立場から(個人の資格で)”名誉を中傷”してはいけないのではないでしょうか。(コスポリ氏が怒るのじゃない?) 文革派に乗ぜられた側面は確かにあるでしょうし、誰しも「時代の子」という制限もあると思いますが、それにしても”自覚的戦士”たちはそれなりの罪をその行動に応じて負うものだと私は考えます。
> 大阪さんも指摘しているように、中国共産党と日本共産党が鋭く対立するようになり、中国共産党を支持する部分が分かれる形で日中友好協会が分裂し、他の多くの中国関係の団体でもトラブルが発生していたのですから、何の接触もなければ寮生がそのように認識するのは、当然の流れです。
「分かれる形で分裂した」では自然現象のように一見みえますが、朝日のシンポジウムでの張香山氏の発言は「われわれが圧力をかけた」とあります。中国共産党中央委員会の中央対外連絡部の対日部門のエスタブリッシュメントの氏がそう言われるわけであります。「自然現象」であるかにいう猛獣文士さんのご意見はこの張氏のコメントを無視していないか。そして対日干渉チームの手足となった”自覚的戦士”たちの”名誉を中傷する”ことになりはしませんか。
> > 寮生たちの名誉? 後楽寮自治会はますます従属した一方的関係であります。
> > 話をまぜっかえして、議論をおかしな方向に持っていってしまうのも、いつもの大阪さんの傾向です。名誉というのは、人間であればだれでもが保つもので、まもらなければならないものです。名誉毀損などという言葉がありますが、名誉毀損を主張するには何か資格が必要だということではないでしょう。常識に沿って議論していただきたいですね。
> > ここでいったのは、襲撃をしていないのに襲撃をしたと虚偽の宣伝をされ、暴行をくわえて損害を与えた因果関係を逆に宣伝され続けているとすれば、これは名誉を損なうものであるという意味です。
”(仮定)ならば、これは名誉をそこなうものである”、と。わかりました。(仮定)を事実で埋める作業を今後もしんねり、ねっとりと続けましょう。ねっとりと事実をあぶりだして、困るのは誰でしょうか。当方は賠償金はいりませんよ。でも猛獣さんが後世に歴史を刻みつけてと言われるなら、どこまでも事実を追いたいと思います。
> 私には、純法律的にみても、会館理事会の立ち退き要求の理由は妥当で公平なものと思えます。
それは5つの争点でありましょうか。「一つをのぞいて」すべて地裁は却下していますね(おっと却下と「判決」が下ったわけではありませんが、そういう和解ですよね)。
> 日本共産党が日本反動派の下僕であるかどうかなどという議論は、大阪さんが勝手に付け加えたものです。
違います東京華僑総会の声明に書いてある。
> @ 日中友好協会(面倒なので日本共産党系のという修飾子を省きます)は、賃貸借契約を根拠に、事務所等の使用権を主張していた。
> A しかし、流血事件以降、日中友好協会は家賃を支払っていなかった(らしい)。
> B その間、日中友好協会は外部からの暴力部隊を駐屯させて、2年間にわたり会館の事務所を占拠し、実際に事務所として使用した(と思える)。
> C 日中友好協会事務所を引き払う時点で、それまでの未払いの家賃を(ずいぶんな金額になっていたはずです)を支払うどころか(常識のある市民であれば当然そうしたでしょう)、逆に多額の立退き料を受け取っている。
> > ということです。この事実は、日中友好協会が対価を負担せずに多額の利益を得たということです。その利益を負担したのは中国の財産であることに異論のない善隣学生会館の原資であると思われます。これはとりもなおさず、日本人である日中友好協会の構成員が中国の財産を犠牲にすることで利益を獲得したということになります。
> > 何か、まちがっているでしょうか。
このAを地裁は当然だとしたわけでありまして、これは猛獣さんからみていかにも許せない事でありましょうしたしかに奇妙な話でありますが、ここに記されていない事実が圧倒的にあって、この事実に鑑みるならば、もっと理事会側、ひいては対日干渉チーム側に(おそらく暴力事象や張り紙そのたの威力業務妨害など)ペナルティを課すような「判決」さえでる可能性があった故に、それが確定判決に書き込まれる事を回避した理事会側の判断が働いたのではないでしょうか。
> > これはそのとおりです。なぜでしょうね。訴訟になれば、もっと重大な暴力事件が、寺尾氏らの作り上げた精緻な筋書きとは別に浮かび上がってくるからではないか、という疑念があります。まだ疑念ですけれども。
> 現在のところ、そのような資料は見つかっていません。
資料がない、ということは暴力事象や対日干渉がなかった、ということではありません。これは南京事件と同様。
> 裁判制度を無条件に信用する理由がどこにあるのでしょうか。人間のつくった制度などというものは、いくつかの欠陥を抱えていると考えるのが普通です。
毛沢東氏の片言隻句は永遠に紅い太陽で、これは理解して実行し、理解しないでも実行するけれど、それ以外のあらゆる事象。人間世界の取り決めや枠組みは「普通」無視する、とりわけ日帝の遺髪をついだ日本国の社会制度や法制度、習慣や秩序なんて、と。これはまさに無法者のいいぐさです。当方は「無条件に」などとどこにも書いておりません。不備は今後運動をも含めて人間社会の努力で(当然主権者たる日本国民の手によって)埋めてゆくのです。この根本において毛沢東氏以外の努力や中国共産党以外の知恵はなきも同然と平然と踏みにじるということでは困ります。この「和解」さえ猛獣さんをはじめとした一部の華僑の中でそうした理解であったとしますと、これは重大な事であります。あなたには「内政干渉」という語の意味が根本的におわかりになってないのではありませんか。
> 日本の具体的な裁判制度について言えば、二つの欠陥が考えられます。
余計なおせわです。米海兵隊やその指揮官がしばしば猛獣文士さんのような事をいいます。そして小学生を強姦したり女子高生を飲酒運転で轢殺したり母子をジェット機墜落で焼き殺しても逃げおおせると思っている。猛獣さんはその知識をもっと祖国の法制度の向上や整備のために用いてはどうでしょうか。問題意識がその出発点である「自己の中国公民であるという意識」と「日本の法制度には問題があるという意識」との間でねじまがっているように私は感じます。”日本の法や政治に対して鋭いメスを入れる外国人”というのを日本は比較的珍重するので、そのうち何が本来の内政干渉か不干渉か、それがどれほど大事な守るべき準則か、その無視かということが忘れられている。
> 実際の法廷でどのような討論があったのかは、記録がないので分かりません。残っている訴状には、そのような記述はありません。
(ちとうんざりしつつ)ご指摘のとおりであります。そして判決になるのを回避するために和解した。誰が和解を望んだかというと、通常「解決金」を支払った側の意志とするのが妥当ではないか。
> 善隣学生会館事件で誰かが冤罪を問われたわけではありません。日本共産党側からは寮生に対する刑事告訴が乱発されたようですが、いずれも不起訴になっているようです。
乱発かどうかは、わかりません。不起訴になったのか、起訴されたのか、見せてください。何日に不起訴処分決定がでていますか。それから猛獣さんのここまでのご意見の認識手法を流用すれば、ここで「不起訴」があったということは日本の法制度の不備が原因で、罪ある者が裁きの場にも引き出されずにのうのうとシャバで暮らす事象ではないかということを日本国民として我が国の不備として受け止める事も必要かと思います。
> もしその当時、日本が日本共産党の支配する国であれば、造反団ニュースの記事を根拠に、寮生が襲撃したと判断され、本当に冤罪が発生したのかもしれません。
そうですね。でも、その場合には98年合意のような一方的な詫び(この仮定だと日本側が詫びを入れるスジだ)にはならないで、両共産党は「過去を水にながして」という文言でうやむやに関係修復しているはずであります。ソ連側にたって文革派を弾圧した東欧などは皆このやり方で関係改善しておりまして、もしかしたらでているかも知れない文革派の被害者に両国両党の和解合意の文言は触れられる事は一切なかった、つまり中国側はすべての場合にこの文革時の”中国派”を捨て駒としているようです。ま、すべて仮定の話でありますが、ね。猛獣さんはもっと祖国の事をお考えになるのがよろしかろう。
> 造反団ニュースの記事を読んで
66年秋以来、一貫して「偽日中」「でていけ」という威力業務妨害をはたらいていた事は客観的事実。「造反団」のニュースは今の段になって「ミニコミ」と言われるが、この秋以来の自主的とは到底思えないワンパターンの対応の一つの傍証であります。
> > その「中国の事情」を国民としてなんとかする方の「努力」はせぬまま。日本の国法はバカにし、プロレタリア文化大革命の直輸入には国家主義に基づいて先陣争いして勇ましさを競う、これが独立した人格をもつ主権者としての中国国民のやり方ですか。
> > 私がそんなことをしていると、何の根拠をもって言うのでしょうか。
猛獣さんの事だけではありません。”朱印貿易”(オーディエンスの方々、私の特殊な文学的用語であります。詳しくはBBSで引用された「日本の華僑」などの本のご当人がたの自慢話をご覧ください)で財をなした文革ブルジョア華僑の事などであります。
> 正当防衛権の行使ですかね。
いささかへりくつ。
> > 日中友好センターの中に居住するにふさわしいのは【強盗犯】どもでしょうか。【内ゲバ殺人犯】たる連赤たちでしょうか。この当時比較するに、友好協会こそがもっとも平和共存と善隣友好という課題に実を伴った主張と行動をとっていたと断言しえます。
> > 日中友好センターとしての中国の財産の建物を事務所にする組織として、どのようなものがふさわしいかを決定する権利は、中国側にありました。
おっと。この”中国側”が文革によって奪権した紅衛兵どもであった場合、それに屈し、迎合し、土下座してまわらねばならないのでありましょうか。日中が友好せねばならないという事に、たとえば関東軍が中国にいて中国の国内を荒らし回っている時に、この関東軍を日本人民の代表として敬意をもって遇する責任は中国人民にないということと同等に、対日干渉チームの手先となった側、「ある種の社会的戦争」の当事者の側を「代表」などと認めるわけにはゆきません。だいたい18,9のガキでありまして、そうした係争はもっと大人どうしで平和裏にすることであります。アプリオリに”敵”としてワンパターンに攻撃を始めた一戦線が後楽自治会のガキどもでありました。
> その判断に抗議を申し立てる権利はあるでしょうが、自薦して相手の迷惑も顧みずに居座る権利はありません。中国の(当時の)政府と決裂しても「真の」日中友好を貫くという決意があるのならば、中国の財産を費消せずに自腹でそれを行うべきでした。後になって、その真意が理解されるというのは、そのようなけじめが遵守されている場合だけです。
友好的態度に関しては、江沢民国家主席はかわらぬ態度であると日本共産党を評価したようです。「変わらぬ」ということは元からそうであり、文革時もそうであり、以後98年合意締結までもそうであるという認識です。18、9のガキが十数人ローカルに「反中国」と独自の認識をしたことをもって全中国の意見を代表とするのは僭越です。そうしたければ江沢民総書記の党、6500万人居るという中国共産党政府を覆してからそう主張してください。
> 暴力部隊を導入し、相手を傷つけて、なおかつそれが相手のためだなどという論法が通るのであれば、日本の侵略戦争だって非難できなくなります。華僑総会の声明で、日本共産党を日本軍の侵略になぞらえているというのは、そのような日本共産党側の態度を指摘していると思います。
暴力部隊は、おそらく反共オールスターズの側の方も動員していると思います。しかも用意のいいことに28日から2日という事件発生の3日間ほどのうちに即座にML派などの党派まで合流している。文革土下座の「友好商社」も動員できています。これら「多国籍軍」が「一枚岩」の日本共産党や友好協会よりも合意や手続きには本来時間やいきさつがもっと必要なはず。「被害者」ならば余計。それなのに動員できている。どちらが用意がよいのか、専門の暴力部隊を事件のために用意していたのか私はオールスターズの側だと思います。
[571] Re: 路線は検討するに値する問題です。 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/08/02(Fri) 05:26
> ここはコスモポリタン氏(氏は一体何国人なのか)
祖国をもたない国際共産主義者です。
> 路線がどうか、ということは、それが暴力革命を肯定し、目的が手段を合理化するかどうかということと関係しての事であります。
目的が手段を合理化する、ということは、ブルジョア政党を含めてほとんどすべての政治潮流が承認する原理だと思います。社会主義政権打倒のための武装闘争を支援するブルジョア政党は決して少なくなかったでしょう。日本の自民党だって、ニカラグアのコントラなどを支持する立場だったはずです。
「暴力を否定する」という立場は、「暴力は一般に悪である」という立場に立つか、「現在の政治の枠組内部で自己の政策を実現できるから暴力は必要ない」という立場に立つ人のみのものでしょう。代々木(日帝協賛党)の場合は、まさか前者ではないでしょうから(代々木は自衛隊を認めているのだから、暴力一般を否認はしないでしょう)、後者でしょう。つまり代々木は議会主義の立場に立ち、革命を否定する立場ということです。それはそれで結構です。共産主義者は、議会制度を支持することはなく、ブルジョア国家は暴力的に破壊されなくてはならない、という歴史が証明した真理にあくまで忠実にとどまります。
>しかしこの【実際】の事件に関して言いますと、直輸入で現出した事態は中国プロレタリア文化大革命の路線の持ち込み以外に考えられません。ほうしん氏、劉少奇氏、陶鋳氏らの受けた1)個人テロや2)捏造された「罪状」をご覧なさい。彼らには逃げる所がなかったのでされるままでありましたが、日本においては日本党が独自の態度をとったので組織的に反撃されたのです。従って2)が日本国内では主となっておりまして、デマ宣伝、嘘宣伝によって日本共産党を攻撃する、という手法をとっていると見るのが妥当です。猛獣文士さんのような、ある意味でアクティブ、興味関心の高い層にしてHPを作成する段になって98年合意さえ伝わってなかった。あなたに衝撃が走った事は読んでいてわかります。BBSの書き方でも当初と変わってきて「ますし。私はさほど変化(進歩?)がない。それは新たに仕入れた事実はいろいろあったものの、基本的な路線として、プロレタリア文化大革命の路線を日本共産党が受け入れなかったということが全く正しかったということ、対処の仕方が(たとえば67年77盧溝橋事件記念日の「訴え」を見よ)説得的で条理を尽くしている事があらかじめわかっていたからです。
これは虚構の前提に立って結論を導く詭弁論法にほかなりません。
そもそも、プロレタリア文化大革命の路線を「直輸入」するか、代々木のように対応するかという二つの選択肢しかないわけではありません。現に、そのどちらも行なわなかった共産党がほとんどです。ルーマニア共産党や朝鮮労働党など、当時の代々木と友好関係にあった党は、文革を批判もせず輸入もしませんでした。また、文革を非難した共産党でも、日本共産党のように公然たる実力衝突にまで至った例はわずかでしょう。イタリア共産党などは、毛派勢力との全面対決は避けて、大衆運動の場では共存しています。
(イタリア共産党などは、代々木よりもはるかにひらかれた姿勢を取っていて、党集会で毛派やトロツキストなど他派が機関紙を販売しても排除しない方針を取っていましたね。代々木ならば即排除ですが。)
文革を全面的に「直輸入」した党はニュージーランド共産党ですが、この党でも「個人テロや捏造された罪状」などはありませんでした。親ソ派(社会主義統一党)との武力衝突もありませんでした。また、日本共産党(左派)などの日本の毛派でも、リンチ殺人などはありませんでした。そのようなことを行なったのは連合赤軍だけでしょう。党内体制にしても、私が知る限り代々木よりもましではないでしょうか。日本共産党(左派)も、やはりスターリニスト党で官僚的な面はありますが、代々木ほどは酷くないのが実態です。日本労働党(この党は「文革派」ではありませんが)は、代々木よりもはるかにましです。
>たとえるならば猛獣さんはキムヒョンヒ。私は韓国の国民のような感じでしょうか。
この例えの意味はよく理解できませんが、「キムヒョンヒ」というのは、おそらく1987年の大韓航空機失踪事件「犯人」とされた人物のことでしょうが、そもそもこの事件は韓国の自作自演であることはほぼ明らかになっていますよ。
『金賢姫の闇』(毎日新聞社)は、「金賢姫」(キムヒョンヒよりもキムヒョニが適切だろう)を中国の朝鮮族と推定しています。
『破壊工作 大韓航空機「爆破」事件』宝島社文庫
『謀略は暴かれた KAL機失踪と「真由美」の謎』エンタプライズ
この二冊は、「金賢姫」の証言がでたらめであり、韓国の捏造であることを証明しています。
そういえば、宮顕は、何の証拠もないのに、事件を「朝鮮のテロ」とデマ宣伝しましたね。あの件で代々木支持者だった某有名刑事法学者は代々木と絶縁したそうです。
> それから「中国人の財産とりあげ」というのは「日本共産党は日本反動派の下僕・手先」ということの延長でしょうか。日本共産党や友好協会が解決金を受け取った事が日本反動派の手に中国の財産が渡るという事になるのでしょうか。日本の大方の方は、日本共産党や友好協会を手放しで信任したりしはしませんが、日本共産党が日本反動派の手先・下僕というのは、よほどレトリックとして用いる反共の人もいるでしょうが、そんな方にしても全的にそう信じている人はいないと思うが、いかが。
代々木が日帝の手先であることは、多くの人々が認識していることです。特に部落解放運動に関わったことのある人ならば、代々木こそ自民党を上回る最悪の部落差別勢力であることを知っています。
> > 裁判制度についても同様です。
> > 裁判制度を信用しないというのは驚きの発言ですが、としても、証言ぐらいは残ります。市川正一氏の日本のまだ暗黒の裁判の時でしたが治安維持法下の公判記録があります。デミトロフ氏の国会での演説も残っています。「この裁判が私たちに無実であるのに罪をきせようとも、真実は残るし、次の世代に引き継がれる」という態度で英雄的に議論をすべきです。それとも裁判記録さえ改竄偽造され、日本権力は日本共産党の肩もちするとでも? それと裁判を軽視するのならどうして裁判に持ち込み、訴えをするのでしょうか。「裁判にしました」という形式だけを打ち上げ、後にこそっと支援者の到底納得できない(でしょ?)和解をそそくさと決めて、内容を周知するどころか隠蔽しているのでありましょうか。
へえ、代々木は裁判制度を全面的に信用しているのでしょうか。なら、どうして宮顕は小畑リンチ致死事件で再審請求しないのでしょうね。やはり、小畑を殺したのは事実だから再審請求できないのですね。また、代々木機関紙は、石川県で「強制ワイセツ」のぬれぎぬを着せられた党員を擁護していますが、最高裁の判決を受け入れないのは法廷侮辱(笑)ではないでしょうか。(金沢の「強制ワイセツ事件」については、私は冤罪であると考えます。)
共産主義者であれば、ブルジョア裁判を信用しないのは自明です。
> 猛獣さんは「冤罪」と言われた。冤罪をなくすには法に基づく裁判制度を承認せねばならず「裁判がアテにならないから」とテキトーに切り上げて和解し、「これは日本の法制度、裁判制度が悪いから信用おけない」などと言ってはいけないのです。片方で「冤罪」といい、もう片方で「信用しない」という。これは日本の国法と裁判制度の愚弄であります。外国人だからといって日本の国法や制度をこのように愚弄していいということはありません。
そうですか。石川一雄氏はやはり強姦殺人犯なのですね。代々木はそう考えていると。有罪判決が確定した以上、石川は強姦殺人者であると。恥知らずで名高い代々木機関紙ウソハタですら明言できなかったことをここで明言して頂いてありがとうございます。
> 日中友好センターの中に居住するにふさわしいのは【強盗犯】どもでしょうか。【内ゲバ殺人犯】たる連赤たちでしょうか。この当時比較するに、友好協会こそがもっとも平和共存と善隣友好という課題に実を伴った主張と行動をとっていたと断言しえます。これを一方的に「反中国」と見なしたのは対日干渉チームの線であり、毛沢東なりそのチームなりが「友好の対象」と一言言えば、むしろ本物の暴力団で毎日負傷者がでても「耐えて祖国の礎に」という話になったのではありませんか(言葉じりをとって「殴りたかったのだろう」とか言わない事)。手のひらが返るように「反中国」の「偽日中」となるのは、寮生たちのあずかり知らない”線”からの差し金で66年秋からです。
ところで、連赤って当時存在しましたっけ?それに、善隣会館の問題には、連赤は何の関係もしていないと思いますが。時空を越えた妄想はいい加減にしてほしいですね。
ところで、私の出した宿題(笑)はどうなったのでしょうか。せめて「日本共産党国際問題重要論文集」は読めますよね。図書館にあるはずだから。それを見て、代々木が、「国際共産主義運動における自主独立」の論理を「自主独立=民族自決」へと飛躍させたのがいつなのか教えてほしいのですが。私自身も興味あるし。
[569] Re: 路線は検討するに値する問題です。 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/01(Thu) 18:56 <URL>
大阪の人さん猛獣文士さん、ちわぁ。何だか風邪が抜けず今日はとってもつらい。それはそれとして以下レスします。
>日本党にはれんだいこさんをはじめとして、この組織から本人の気持ちとしては許せない対応をされて、生涯のテーマとして反共を掲げる人がいる(汗)事は事実です。
これはどういう意味でせう。れんだいこは党員であったことも無いので、日共に許せない対応をされたこともありません。そういうトラウマを背負って「生涯のテーマとして反共を掲げるに至った人」を想定し、れんだいこをその一員に挙げるのは安易に過ぎます。日共を批判したら反共という図式も無茶苦茶です。第一、日共こそ正真正銘の反共なのではありませんか。
れんだいこの一貫したテーマは、現下の宮顕―不破系指導部が共産党には似つかぬ異邦人であることの解明と、そういう意味で生涯のテーマは宮顕―不破系の日共指導部からの追放又は新日共運動の創造となっております。れんだいこのこの姿勢を、「生涯のテーマとして反共を掲げる人がいる」と括るのは不適切です。これも宮顕話法の特質ですが違いませうと云いたくなります。
大阪の人さんが、れんだいこをそのように見ておられることは分かりました。今度は、れんだいこが大阪の人さんをどう見ているかお伝えします。宮顕―不破運動の変調さを見抜くのに大して難しくありません。れんだいこに云わせれば、宮顕―不破が日本の左派運動に何か有益なことをしたという事例があれば教えて欲しい、れんだいこにはただの一つも見当らない。にも関わらず、ここにその是認者がいる。それは貴重な人士であると云えます。どういう風にしたらそういう観点に成り得るのか、興味深い訳です。従って、大阪の人さんの観点をもっと知りたいのです。
当然のことながら、大阪の人さんのスタンスでは、「戦前小畑中央委員リンチ致死事件」も、小畑の持病によるポックリ死であるとされているのでせうね。蘇生に努力したのが宮顕であるからして、宮顕を刑事犯扱いするのは冤罪なんでせうね。法廷でのとうとうたる弁明もさすが宮顕という風に受け取るのでせうね。
ある意味で諸悪の根源はこの事件にあります。宮顕の原型が全て網羅されている訳です。そういう意味で話を振りましたが、私のサイトの諸論点で、ここが違うよというのがありましたらご教示願いたいです。
善隣学生会館事件も、新日本文学事件も、原水禁運動も、部落解放運動も、労働運動も、学生運動も、その他諸々戦闘的団体のぶち壊しに一役買っているのが宮顕―不破系指導部であり、これに云いようにやられておりますので「どっちもどっち」なのですが、そろそろどこかの党派が突き抜けてくれば面白いとか考えております。そういう意味で、長すぎましたが反面教師的役割があったのかも知れません。
[570] 貴公は路線を検討するに残り時間が欠如してないか 投稿者:大阪の人 投稿日:02/08/02(Fri) 00:37
> これはどういう意味でせう。れんだいこは党員であったことも無いので、日共に許せない対応をされたこともありません。そういうトラウマを背負って「生涯のテーマとして反共を掲げるに至った人」を想定し、れんだいこをその一員に挙げるのは安易に過ぎます。日共を批判したら反共という図式も無茶苦茶です。第一、日共こそ正真正銘の反共なのではありませんか。
ふーん。許せない対応をされたという個人的体験もなく、あらゆる運動に対して日本共産党こそ共産党の名をけがす存在で運動の破壊者だと。当方の粗雑な認識を許してくださいね。こんなタイプの方は初めてで(本当)。それではある意味どんな立場からの批判もできうるわけですね。”善隣学生会館事件も、新日本文学事件も、原水禁運動も、部落解放運動も、労働運動も、学生運動も、その他諸々戦闘的団体のぶち壊し”だと。これは便利な視点だ。・・・
> 生涯のテーマは宮顕―不破系の日共指導部からの追放又は新日共運動の創造
その基礎をどこにおいて、どこの国民を相手にこの運動をなさるおつもりか。少なくとも猛獣文士さんは日本国民ではありません。日本に基礎を置いて日本の国民の合意と納得を得られる多数派の形成という観点はもとより、中国革命という観点から見ても、猛獣文士さんをその仲間として議論を展開しようというのは内政干渉、革命の輸出の誹りを免れないと思います。こうした運動の「国際主義」に禁欲的であるのが日本共産党の現下の方針の良いところと私は考えております。自前の党を結成なさい。それはこんなinternetで議論することからはじめるのでなく、もっと人と会いなさい。その人たちの苦労を知りなさい。日本国民の苦難の軽減と公理の実現には何から始めるべきかを検討なさい。少なくとも猛獣文士さんのウェブでこのような議論をすることからはじめるのは間違っています(きっぱり)。
> どう見ているかお伝えします。宮顕―不破運動の変調さを見抜くのに大して難しくありません。れんだいこに云わせれば、宮顕―不破が日本の左派運動に何か有益なことをしたという事例があれば教えて欲しい、れんだいこにはただの一つも見当らない。にも関わらず、ここにその是認者がいる。それは貴重な人士であると云えます。どういう風にしたらそういう観点に成り得るのか、興味深い訳です。従って、大阪の人さんの観点をもっと知りたいのです。
残念ながらこのHPの議題ではありません。あなたの途方もない融通無碍な反共の議論は聞いててあきれてしまいました。それから、その基礎がない、ということは私に意欲を失わせました。せめて人権というスタンスを持ってください。人権とそれから民主主義。
> 当然のことながら、大阪の人さんのスタンスでは、「戦前小畑中央委員リンチ致死事件」も、小畑の持病によるポックリ死であるとされているのでせうね。蘇生に努力したのが宮顕であるからして、宮顕を刑事犯扱いするのは冤罪なんでせうね。法廷でのとうとうたる弁明もさすが宮顕という風に受け取るのでせうね。
それがあなたに何の関係があるのでしょうか。
> ある意味で諸悪の根源はこの事件にあります。宮顕の原型が全て網羅されている訳です。そういう意味で話を振りましたが、私のサイトの諸論点で、ここが違うよというのがありましたらご教示願いたいです。
あまりそちらのHPは隈無く見ているわけではありません。ただし「れんだいこ」さんを「れんだいこ」さんと認識する以前に、少し「「敗北」の文学」で検索して膝を叩いて笑わせて頂きました。先日御自分のHPだとURLを書いておられて、そこを参照したついでにトップへいって、「あら!」と再開した次第。
> 諸々戦闘的団体のぶち壊しに一役買っているのが宮顕―不破系指導部であり、これに云いようにやられておりますので「どっちもどっち」なのですが、そろそろどこかの党派が突き抜けてくれば面白いとか考えております。そういう意味で、長すぎましたが反面教師的役割があったのかも知れません。
「そろそろどこかの党派が」といういかにも傍観者然としたその態度がいかなる組織を育てる事もできない、ということに御自身の観点が行かれる事をご祈念いたします。人生天命の時期にさしかかり、そろそろ寿命との引き算でものごとを考えるようにされるほうがよろしかろう。その点で、やはりこの猛獣文士さんの問題意識には遠い方ではないか、御自身にもあまり益のない、いわば「時間の無駄」ではないかと訝るものであります。長文失礼。
[572] Re: 貴公は路線を検討するに残り時間が欠如してないか 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/02(Fri) 08:49
大阪の人さんちわぁ。
> 残念ながらこのHPの議題ではありません。あなたの途方もない融通無碍な反共の議論は聞いててあきれてしまいました。それから、その基礎がない、ということは私に意欲を失わせました。せめて人権というスタンスを持ってください。人権とそれから民主主義。
これですが、『人権とそれから民主主義』に対して日共系が一定踏まえているというのは重要な指摘で、そのことは肯定しておきます。願うらくは、反代々木系がもっと実質的に『人権とそれから民主主義』を擁護して欲しかったんだけれども、どこで回路が捻じれたかあらぬ方向へ行ってしまいました。
れんだいこの考察に拠れば、60年安保を領導したブント運動にはそういう素養があった。もっともそれを壊すような素養もあった。歴史は、後者の方を引き継いでいったと思っております。この間違いに気づいたのが、日本の地を離れて外から日本を考察することになった勢力で、よど号事件の赤軍派田宮氏らとアラブに向かった赤軍派重信氏らであった。両派ともトータルな総括を為しえていませんが、日本の戦後民主主義秩序と相身互いの扶助精神を高く評価するようになっております。
今頃になって赤軍を騒ぐのであれば、赤軍のこういう内面的変化を語り合い考察すれば良いのに、肝心のところへは向かいませんね。結論。大阪の人さんが『人権とそれから民主主義』を指摘されることについては何の異存もありません。
> > 当然のことながら、大阪の人さんのスタンスでは、「戦前小畑中央委員リンチ致死事件」も、小畑の持病によるポックリ死であるとされているのでせうね。蘇生に努力したのが宮顕であるからして、宮顕を刑事犯扱いするのは冤罪なんでせうね。法廷でのとうとうたる弁明もさすが宮顕という風に受け取るのでせうね。
>
> それがあなたに何の関係があるのでしょうか。
こういう風に云われましたら話は出来ません。少なくとも公党のトップの行状を知るのに『それがあなたに何の関係があるのでしょうか』とはなりません。
> あまりそちらのHPは隈無く見ているわけではありません。ただし「れんだいこ」さんを「れんだいこ」さんと認識する以前に、少し「「敗北」の文学」で検索して膝を叩いて笑わせて頂きました。先日御自分のHPだとURLを書いておられて、そこを参照したついでにトップへいって、「あら!」と再開した次第。
「「敗北」の文学」で検索して膝を叩いて笑わせて頂きました、ということですが、感心される覚えはあっても笑われるとは心外ですね。どこが可笑しかったのかもう少し説明願います。
[540] Re^6: 善隣学生会館事件の実際について 投稿者:大阪の人 投稿日:02/07/25(Thu) 11:57
長談義はするけど、結局どうなの? 【実際】は??
せっかくれんだいこ氏が話題を戻してくれているってのに。
私が書かなければ、もっと議論は核心に向かって深まるのかと思ったが・・。
[542] Re^7: 善隣学生会館事件の実際について 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/26(Fri) 22:13
大阪の人さん、傍観者初代さんちわぁ。どうぞ議論進めてください。れんだいこは精神的に多忙でして、気ままに議論に入りたい。議論の内容はきつくなってもご容赦を。はっきりさせないと互いに得るものがないだろうと思うからです。さいわいここまで猛獣文士さんと話を進めることができました。どうしても互いの観点の差が出て参ります。それはそれで良いだろうと思っております。そういう違いを遣り取りするほうが楽しいし、何か新案がひらめくしね。というようなことで今日はこれにて。
[544] Re^8: 善隣学生会館事件の実際について 投稿者:大阪の人 投稿日:02/07/27(Sat) 10:46
> 大阪の人さん、傍観者初代さんちわぁ。どうぞ議論進めてください。れんだいこは精神的に多忙でして、気ままに議論に入りたい。議論の内容はきつくなってもご容赦を。はっきりさせないと互いに得るものがないだろうと思うからです。
れんだいこさん。こんにちわ。れんだいこさんの議論ってまだ全体をお伺いしたことないですよね。【実際】に関してある程度れんだいこ説を定立なさる事から議論に参入されるのはいかがでしょうか。そうそうコスモポリタン氏は結局噛み合わない議論に私がへきえきして離脱したのですが、一度も全体像を自分なりに示すことがなかった。これが噛みあわなさの根源ではなかったかと思っています。
ちなみに、傍観者(初代)さんはご自分なりのご意見を【実際】について、私からしたら【思弁的】な範囲に留まっていたようにも思いますが、ちゃんと展開されました。
>さいわいここまで猛獣文士さんと話を進めることができました。どうしても互いの観点の差が出て参ります。それはそれで良いだろうと思っております。そういう違いを遣り取りするほうが楽しいし、何か新案がひらめくしね。というようなことで今日はこれにて。
残念な事に、拝見する限り、猛獣さんは脱線の議論にはいくらでもぺらぺらと語り始めますが、肝心な【実際】になると一切議論できてないのではありませんか。もちろんれんだいこさんも貴重な資料を提示はされるのですが、それではどうか、ということには、残念ながら食い込み足らず、突っ込みの不足と私には感じられました。
[548] Re^9: 善隣学生会館事件の実際について 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/29(Mon) 16:12
大阪の人さん皆さんちわぁ。今日ぐらいから体が軽くなってきました。長い夏風邪というかエアコン病にかかって頭が重かったのです。猛獣文士さんとの遣り取りも結構込み入ったところに差し掛かっており、精神の集中が出来なくて一服させてしまいました。そろそろ大丈夫かな。でも夕方になると熱を出す傾向があり、今日晩越してみないとなんともいえません。
それはそうと、善隣学生会館事件については見解というかれんだいこなりの筋書きはつくっております。但し、もう少し精密にしたい、どこが対立点で、どういう経過が真相だったのか、それを我々はどう総括すべきなのか等々くっきりさせてみたいと思います。この板でそういう遣り取りされていると思いますが、丹念には読んでおりません。どこら辺りが必須学習になっているのでせう。教えていただければ目を通しておきたいと思います。
[550] Re^10: 善隣学生会館事件の実際について 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/29(Mon) 21:51
一応、善隣学生会館事件の実際についての基本認識を書き上げました。ご意見、訂正個所、批評等お願いいたします。
「善隣学生会館事件考」
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_hosoku28.htm
[555] Re^11: 善隣学生会館事件の実際について 投稿者:大阪の人 投稿日:02/07/30(Tue) 10:45
> 「善隣学生会館事件考」
> http://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_hosoku28.htm
拝見しました。猛獣文士さんのあげてこられた貴重な資料、明け渡し民事訴訟の和解内容がここには反映していないのが大変惜しい所であります。また98年合意、つまり日本共産党と中国共産党との関係修復の際の項目に内政不干渉の原則に「あいいれないやりかたをとった事に」と中国側だけの総括と是正がなされております。これも押さえないといけません。
それから「反中国」というのが、出発点でありますが、結局「10年の災害」であったプロレタリア文化大革命を美化して日本に持ち込まなかったのは日本の自主的運動の「友好のあかし」として功績に数え上げられる事こそあれ、非難されるべきものではなかったし、「反中国」とされた最大の眼目が「プロレタリア文化大革命の偉大な事跡を伝えなかった」件であった事(要するに映画や雑誌、青年訪中団参加)は明確です。
[557] Re^12: 善隣学生会館事件の実際について 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/30(Tue) 11:33
大阪の人さんちわぁ。
> 拝見しました。猛獣文士さんのあげてこられた貴重な資料、明け渡し民事訴訟の和解内容がここには反映していないのが大変惜しい所であります。また98年合意、つまり日本共産党と中国共産党との関係修復の際の項目に内政不干渉の原則に「あいいれないやりかたをとった事に」と中国側だけの総括と是正がなされております。これも押さえないといけません。
ですね。ちかじか読み取りして取り入れようと思います。問題は、善隣学生会館事件の実際についてはそれはそれで事実を解明することだと思います。次に、「内政不干渉の原則」考ですが、これはかなり難しいというか最先端の未解明課題だと考えております。
「内政不干渉の原則」は、普通には近代主権国家間の原則ですよね。それを国際共産主義運動の中に適用する場合、ストレートには参りません。「干渉」という言葉を用いるからややこしい訳で、「革命の輸出」まで行かなくても普通には「兄弟党の率直な意見交換ないしは影響の及ぼしあい」でせう。これはあって良いし、無くしてはならない、むしろ定期的に交流すべきだし促進すべきだと考えております。
この辺の原則からして崩れているので、中共、日共のどちらの言い分が正しいなんてことを言い合いしても消耗するばかりです。そもそも国際左派運動内に一元指導部を持ち込んで各国共産党をイエスマン化させることも、各国共産党が自主独立路線という名目で国際的友党関係の破綻化を促進することも、どちらも変調でせう。
やはり、どうあるべきか論を構築し、一足飛びには無理でも近づける努力はいるのではないでせうか。しかし今となってはむなしい。それと、過去の言説に頬かむりしたまま「ソ連邦崩壊して良かった論」唱えるような党中央なぞ有り得て良い訳が無いと思います。れんだいこが強調しておきたいことは、どうも日共指導部は単なる権力亡者というだけではなく例の無い異邦人が棲みついていると認識しております。かく認識すれば良く見えるし、かく認識しなければ解けない事象が多すぎるからです。
現下の低迷する日共運動に際して、党を愛すれば、普通の感性なら執行部は責任を感じ取るべきでせう。それがそうならない。あたかも自系列以外に党中央を渡さないという私物化を晒し続けております。こう云う手合いが世間に向けて民主主義を護れなぞというから信用されない。当たり前だろうと思います。これらの点、大阪の人さんはどのように考えておられるのですか。
[558] Re^13: 善隣学生会館事件の実際について 投稿者:大阪の人 投稿日:02/07/30(Tue) 13:08
> ですね。ちかじか読み取りして取り入れようと思います。問題は、善隣学生会館事件の実際についてはそれはそれで事実を解明することだと思います。次に、「内政不干渉の原則」考ですが、これはかなり難しいというか最先端の未解明課題だと考えております。
>
> 「内政不干渉の原則」は、普通には近代主権国家間の原則ですよね。
ちと、違うと思います。98年合意は、「合意」でありまして、両者の合意、つまり中共も日共も【納得】して締結しているということです。この中で「(内政不干渉の)党原則にあいいれないやり方」をとった事を中国側は率直に非と認めているのです。自党の原則として五十年代から一貫して口先だけでは主張し続けていた原則を、この合意により中国共産党は口先だけのもの=絵に書いた餅から、そうではないものへと転換させたい、という意志を示したという受け止め方を当方はしています。
ここを前向きに評価してやらねばコスモポリタン氏のような混迷に陥る。片方で日本への野蛮な干渉行為を働く毛派の策動を美化聖化してほめあげながら、もう片方で民族自決権に日本共産党はダメだと難じ、江沢民指導部が内政不干渉の原則を現実に踏みだしたのを評価できなくなっているわけです。中国を日本党より偉いというつもりが中国が一路ダメな党に落ちてゆくという一路衰退史観になっているのは、日本共産党憎しに凝り固まった「国際主義者」の理論的帰結の皮肉な表れでありました。
そうそう、れんだいこさんは、どちらかというと、猛獣文士さんの立場というよりも、556で上げた彼の議論の方が立場としては近いのではありませんか。静かに歴史のイフとして考えてみてください。善隣学生会館ばかりでなく66年から開始された対日干渉の中国側のムーブメント。これに同調したり(同調していれば事件は後楽では発生しなかった)、自身が加わらなかったとしても「紹介」したり「美化」したりしていたら、れんだいこさんはこれを今(仮定された過去に続く仮定の今の時制)ここぞとばかりに日本共産党の野蛮さ、暴力主義、「自主独立」のいいかげんさ、自国の国民の人権と人命を省みない非人間的なスターリニズムの証明と、もっともっと書き立ているのではありませんか。
それから、うちゲバの凄惨さでありますが、日中(正統)のビルに、先ごろ猛獣文士さんがコンタクトに成功したという光岡玄氏をはじめとした強盗が押し入ったという事件がありました(猛獣文士さんは現実の「反中国」強盗犯を暴力事件の証言者として信用しているのであります)。また日中青学共闘なる党派が後楽寮(34階の部分)でデモをし、これを”愛国華僑の勢力”が実力で排除したといいます(「日本と中国」紙参照)。突き放した歴史のイフとしましては、もし日共が全体として中共になだれをうって共鳴し、華僑学生に合流していた場合、こうした内ゲバが発生しなかったか、というと、私はそうではなかろうと思います。つまり67年に発生しなくても、「文革」を認めても、やがては華僑学生や日本人の党派は内ゲバを繰り返す、この内ゲバの中で、仮定の選択ですが、やはり流血の自体に陥ったのではないか、その方が【革命暴力を肯定】する立場からの参入ですから、もっと徹底的に参入していた可能性がある、という事は言えないでしょうか。つまりプロレタリア文化大革命の日本への持ち込み、内政干渉への対決という路線がもっとも一部華僑対民主勢力の衝突としては規模を小さく、華僑の被害を軽減した人道に則った路線だったということです。BBSの議論のまだ100番にも行かないうちに猛獣さんと「これが全国で発生したらどうなると思うか」と説明致しました。路線が統一しておりますから、日本側は全国で同じ行動を取りうるわけです。結局「一部華僑」は一部に留まりましたが日共の路線はこの自主独立の路線が一貫して主流でありまして、華僑全体は平穏だったということが何よりの事実*の証明であります。(*「反中国」といういいがかりが文革流のデマであり、客観的には徹頭徹尾「親中」であったということ)
[560] Re^14: 善隣学生会館事件の実際について 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/30(Tue) 16:31
> > 「内政不干渉の原則」は、普通には近代主権国家間の原則ですよね。
> ちと、違うと思います。98年合意は、「合意」でありまして、両者の合意、つまり中共も日共も【納得】して締結しているということです。この中で「(内政不干渉の)党原則にあいいれないやり方」をとった事を中国側は率直に非と認めているのです。自党の原則として五十年代から一貫して口先だけでは主張し続けていた原則を、この合意により中国共産党は口先だけのもの=絵に書いた餅から、そうではないものへと転換させたい、という意志を示したという受け止め方を当方はしています。
98年合意の真意の解釈は未だヴェールに包まれていると受け止めております。両党が真に合意するならば、国際共産主義運動の在り方を廻って理論的総括せずには生産的でないと考えております。日中共産党の合意の背景には、一つには双方が国家規模的な日中友好という観点から得策と判断したこと、二つ目は両党とも現下指導部が国家主義的見地に立っており合意しやすかったこと、三つ目は双方の指導部が互いに党中央としての正当性を認め合う利害関係において一致したこと等々の理由に拠っていると考えます。
従って、98年合意で、日共の従来の指導及び見解の正しさが認められたなどとは思いません。ある意味で、中共は、云っても分からない日共指導部を逆に認めて利用していくのが得策と判断しただけで、現実主義的判断をしたということではないでせうか。98年合意をどう受け止めるかは自由でせうが、日中両共産党の思惑をこそ見るべきで、日共的それ見たことか見解は我田引水でせう。
> ここを前向きに評価してやらねばコスモポリタン氏のような混迷に陥る。片方で日本への野蛮な干渉行為を働く毛派の策動を美化聖化してほめあげながら、もう片方で民族自決権に日本共産党はダメだと難じ、江沢民指導部が内政不干渉の原則を現実に踏みだしたのを評価できなくなっているわけです。中国を日本党より偉いというつもりが中国が一路ダメな党に落ちてゆくという一路衰退史観になっているのは、日本共産党憎しに凝り固まった「国際主義者」の理論的帰結の皮肉な表れでありました。
既に猛獣文士さんとの遣り取りで明らかにしていますように、れんだいこは、現下中共の?小平―江沢民指導部の正当性を疑惑しております。どちらかというと親米ないしは国際資本勢力と親和性の強い執行部でせう。毛沢東―周恩来時代の面影はありません。が、国内の経済的発展の要望を踏まえるとき仕方なかったという現実主義から生み出されており、その限りで歴史的合理性があるとも見なしております。
> そうそう、れんだいこさんは、どちらかというと、猛獣文士さんの立場というよりも、556で上げた彼の議論の方が立場としては近いのではありませんか。静かに歴史のイフとして考えてみてください。善隣学生会館ばかりでなく66年から開始された対日干渉の中国側のムーブメント。これに同調したり(同調していれば事件は後楽では発生しなかった)、自身が加わらなかったとしても「紹介」したり「美化」したりしていたら、れんだいこさんはこれを今(仮定された過去に続く仮定の今の時制)ここぞとばかりに日本共産党の野蛮さ、暴力主義、「自主独立」のいいかげんさ、自国の国民の人権と人命を省みない非人間的なスターリニズムの証明と、もっともっと書き立ているのではありませんか。
少し意味が通じませんが、「50年分裂」時も、文革時も実在した歴史のムーブメントであり、やるときには徹底してやってみるのも一方法です。各派が喧騒しながら運動の盛り上げに向かえばよいものを、対権力闘争では根限り右派主義で、対左派間闘争では断固鉄槌主義で行くという手法が理解できません。目の付け所が異筋であるという認識をしております。
> > それから、うちゲバの凄惨さでありますが、日中(正統)のビルに、先ごろ猛獣文士さんがコンタクトに成功したという光岡玄氏をはじめとした強盗が押し入ったという事件がありました(猛獣文士さんは現実の「反中国」強盗犯を暴力事件の証言者として信用しているのであります)。また日中青学共闘なる党派が後楽寮(34階の部分)でデモをし、これを”愛国華僑の勢力”が実力で排除したといいます(「日本と中国」紙参照)。
その辺り取り込みして、より精緻にしたいと思います。
> 突き放した歴史のイフとしましては、もし日共が全体として中共になだれをうって共鳴し、華僑学生に合流していた場合、こうした内ゲバが発生しなかったか、というと、私はそうではなかろうと思います。つまり67年に発生しなくても、「文革」を認めても、やがては華僑学生や日本人の党派は内ゲバを繰り返す、この内ゲバの中で、仮定の選択ですが、やはり流血の自体に陥ったのではないか、その方が【革命暴力を肯定】する立場からの参入ですから、もっと徹底的に参入していた可能性がある、という事は言えないでしょうか。つまりプロレタリア文化大革命の日本への持ち込み、内政干渉への対決という路線がもっとも一部華僑対民主勢力の衝突としては規模を小さく、華僑の被害を軽減した人道に則った路線だったということです。
後段のくだりは見事な「双葉の芽を摘む」論ですね。これは権力理論というか警察理論そのものですよ。こういう論に拠っているということは、大阪の人さんの立場もそのようなお方だろうかなと訝ります。人民運動的には、双葉の芽はどんどん伸ばして覇を競わせていけば良いのです。その切磋琢磨から本物が生まれやがて奔流になる、これが歴史弁証法だと思います。これを左派側から阻止しようとする鉈理論は邪道でせう。
[564] Re^15: 善隣学生会館事件の実際について 投稿者:大阪の人 投稿日:02/07/30(Tue) 22:32
> 98年合意の真意の解釈は未だヴェールに包まれていると受け止めております。両党が真に合意するならば、国際共産主義運動の在り方を廻って理論的総括せずには生産的でないと考えております。
理論的総括をしないでも合意はできるのですよ。ヴェールに包まれているとする必要はありません。そもそもソ連は崩壊してなくなっています。あの1960年代中葉、どちらが「ソ連の手先」かという議論、あるいは「アメリカに乗ぜられている」という議論でありましたが、根源にはソ連共産党の覇権主義をどう見るかというややこしい前提がありました。この巨悪が崩壊して重しが取れた、また不破氏は繰り返し中国指導部には今は文革当時の指導者は底払いしているということを挙げています。
日中共産党の合意の背景には、一つには双方が国家規模的な日中友好という観点から得策と判断したこと、二つ目は両党とも現下指導部が国家主義的見地に立っており合意しやすかったこと、三つ目は双方の指導部が互いに党中央としての正当性を認め合う利害関係において一致したこと等々の理由に拠っていると考えます。
第一の観点は非常に重要です。少なくとも合意したいとする意志が双方にあったればこその合意であります。2と3は私には何ともいいようがありません。
> 従って、98年合意で、日共の従来の指導及び見解の正しさが認められたなどとは思いません。ある意味で、中共は、云っても分からない日共指導部を逆に認めて利用していくのが得策と判断しただけで、現実主義的判断をしたということではないでせうか。98年合意をどう受け止めるかは自由でせうが、日中両共産党の思惑をこそ見るべきで、日共的それ見たことか見解は我田引水でせう。
理論的可能性として否定はしないでおきます。ただ言葉というのは軽いものではありません。中国党が発したこれまでの他国の党との関係修復の際の言い回しは日本党も検討していると思います。
> 既に猛獣文士さんとの遣り取りで明らかにしていますように、れんだいこは、現下中共の?小平―江沢民指導部の正当性を疑惑しております。どちらかというと親米ないしは国際資本勢力と親和性の強い執行部でせう。毛沢東―周恩来時代の面影はありません。が、国内の経済的発展の要望を踏まえるとき仕方なかったという現実主義から生み出されており、その限りで歴史的合理性があるとも見なしております。
拝見させて頂きました。当方は日米安保条約を「ビンのふた」だなどと言い放ったとう小平指導部の内政干渉の第二ラウンドも鮮明に記憶しております。猛獣文士さんには「ビンのふた」という日米安保条約美化発言や、日本に軍事力増強を勧める発言をした80年代当時の人民解放軍幹部の発言、また大阪府知事になった元内務官僚にして海軍主計将校、東大朱光会メンバーたる正真正銘の右翼、岸昌氏を賛美し友好を謳った当時の中国の姿があまりおわかりにならないようです。また、あれだけ流血の惨事になって暴力的に固守して三里塚の空港闘争は参加した((正統)日中は年次大会の路線として正式参加)のに岸府知事が関空のレールを敷いたのにはもろ手を挙げて美化したのも御理解できない御様子で反応が帰ってきませんでした。
> 少し意味が通じませんが、「50年分裂」時も、文革時も実在した歴史のムーブメントであり、やるときには徹底してやってみるのも一方法です。各派が喧騒しながら運動の盛り上げに向かえばよいものを、対権力闘争では根限り右派主義で、対左派間闘争では断固鉄槌主義で行くという手法が理解できません。目の付け所が異筋であるという認識をしております。
> 後段のくだりは見事な「双葉の芽を摘む」論ですね。これは権力理論というか警察理論そのものですよ。こういう論に拠っているということは、大阪の人さんの立場もそのようなお方だろうかなと訝ります。人民運動的には、双葉の芽はどんどん伸ばして覇を競わせていけば良いのです。その切磋琢磨から本物が生まれやがて奔流になる、これが歴史弁証法だと思います。これを左派側から阻止しようとする鉈理論は邪道でせう。
猛獣文士さんは、まだお若い頃の血が騒ぐのか、こうしたれんだいこさんの御意見の側に共鳴する所もあるようですが、単純に「夢よもう一度」とは言えないようです。『存在の耐えられない軽さ』を見て複雑な心境になったという元祖紅衛兵の彼(名前失念、岩波新書『紅衛兵の時代』の筆者)のような所も少しは持っているようなニュアンスが読めたのですが(かいかぶりだったかな)。
それかられんだいこさんは元民青同盟員なのだとHPの自己紹介で拝見したのですが、「青春」のボックスのステップを踏みながら踊るのと「忠字舞」を踊り、北京の方角に朝に夕に礼拝させられるのと、どちらがましとお考えでしょうか。あるいはハイジャックして北朝鮮に飛びたかったですか? 雪山の中で頚をくくられて「ソウカツ」され、「革命家として死にたかった」と迷文句を残して息絶えたかったですか? 1970年当時中共の文革路線に同調したかしなかったか、ということは非常に重要です。それから「やるときには徹底してやってみる」を当時の日共が【実践しなかった事を猛獣さんは一定評価している】ということもお伝えしておきます。
[577] 「98年合意」再論 投稿者:コスモポリタン 投稿日:02/08/03(Sat) 14:01
さてさて、懲りもせず「98年合意」とやらを持ち出していますが、これが善隣会館事件の文脈で無意味であるという私の指摘には全く答えずに逃げ回っているようですね。
もう一度繰り返しましょう。日本共産党(協賛)と中国共産党との関係回復は、実のところは「関係回復」というよりは、「全く新しい関係の樹立」というべきものなわけです。
1967年当時、日本共産党と中国共産党は「国際共産主義運動」の「兄弟党」の関係でありました。「独立・平等・内部事務不干渉」というのは、この「国際共産主義運動」の内部規律であって、国家間の関係を律する「内政不干渉」とは全く次元の異なる話です。
分かり易くいうと、「国際共産主義運動」の「兄弟党」というのは、いわば国家間の同盟条約のようなものでしょうか。共通の戦略的利益を持つ二国が同盟を結ぶ場合、双方の内政には干渉しないことは前提ですが、一方が敵対国から攻撃を受けた場合には共同で対処することになります。日本共産党と中国共産党は、「国際共産主義運動」という一つの世界的同盟の一員として、その枠内で「固く団結し、お互いを支持しあう」「独立・平等・内部事務不干渉」の関係を持っていたのであります。つまり、それぞれの国家に属することを前提としての関係ではなく、国家を越えた国際的運動の内部での関係なのです。「国際共産主義運動」は国家主権を超越する存在であるから、「内政干渉」というような概念はそもそも存在しえないわけです。
しかし98年合意で結ばれた関係はそれとは全く違います。98年合意文書はそもそも「国際共産主義運動」に全く言及していません。不破自身が、「兄弟党の関係ではなく、日本の野党と中国の政権党との関係」であると言っています。つまり、67年の分裂とは全く土俵が違うのです。67年には、日本共産党と中国共産党は「国際共産主義運動」の内部で対立し、分裂に至った。しかし今日では、両者ともブルジョア国家主権を越えた「国際共産主義運動」など志向していない。だから、67年当時の分裂は水に流して、新たな関係を結ぶということです。日本共産党へのリップサービスとして、中国共産党がかつて「原則に相容れないやりかたをとった」という文がありますが、この「原則」というのは「国際共産主義運動」の原則ではなく、それ以後の外交主義の原則に過ぎません。国家主権を前提とした外交においては、「国際共産主義運動」などという概念自体が「原則と相容れない」でしょうから、国家主権を崇拝し「国際共産主義運動」を否定する今日の中国共産党が反省するのは当たり前と言えます。つまり、「国際共産主義運動」の原則上の総括は何らなされていない--当事者がどちらも「国際共産主義運動」にもはや関心を持っていない--のです。これをあたかも67年時点での日本共産党の「国際共産主義運動」の時点での正当性を立証するものであるかのように利用するのは全くの歴史偽造と言うほかはありません。
また、言うまでもありませんが、中国共産党員ではない猛獣文士さんは、この「98年合意」に何ら拘束されるものではありません。
[556] Re^12: 善隣学生会館事件の実際について 投稿者:大阪の人 投稿日:02/07/30(Tue) 10:59
ちなみにこうしたプロレタリア文化大革命を「伝えなかった」という件でありますが、もしも歴史にイフという事が許されるとして、「美化して伝えた」としたらば
http://www.ne.jp/asahi/makoto/kurosaka/index.htm
なんかで、コテンパンに「日本共産党はこれを自己批判しろ!」 と言われていたでしょうな。
[575] 南龍鐸という人御存知? 投稿者:大阪の人 投稿日:02/08/03(Sat) 00:49
コスポリ氏よ、まだワッチしていたの。あんまり気乗りしないのでツリーでレスは止めておきます。
こないだからいろんなBBSみてて、題名の南龍鐸なる人物を見つけたんだけど、知りあいですか?
あなたの”宿題”ですが、つけつけと高飛車に言われたので「落ち度でも?」と調べてみたのですが、がっくりしました。いう事がおかしいもの。「一般刑事事件」の無署名論文も、エンゲルスの件の丸山某先生の本も見直してみました。ピンと来ません。完全に当方のセンサーがイカれているのか、そちらに特殊な電波感知のセンサーがあって常人に理解不能の”波動”をも解読できるのか、わからない。ま、そんな感想ですよ。
キムヒョンヒが捏造ですか。へえー。でもそこは【枝】なんで、突っ込みはやめてね。”七生報国”という言葉がありますが、コスポリ氏は7回ぐらい何かに転生したら、一度じっくりお会いしてお話をしたいものであります。当面御容赦ということで。さよなら。
[549] 「84原水禁運動弾圧事件」について 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/29(Mon) 21:08
善隣学生会館事件と類似した事件に「84原水禁運動弾圧事件」があります。これを参考にしながら、善隣学生会館事件をも考察してみたいと考えております。管理人さん宜しいでせうか。
一応れんだいこの試論「原水禁運動に対するデタラメ指導について」を提供しておきます。(http://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_hosoku31.htm)
今日手直ししたばかりで、こちらでの遣り取りでより正確を期したいと考えております。
[551] Re: 「84原水禁運動弾圧事件」について 投稿者:猛獣文士 投稿日:02/07/29(Mon) 22:38
れんだいこさん、
こんにちは。原水禁の記事を見ました。日本共産党の運動史の中で、善隣学生会館事件を
考察するというのも、大変有効な切り口だと思います。
議論を自由に進めて言って、何が出てくるか見てみたいと思いますので、よろしくお願いします。
[553] またしても【実際】から目を背ける猛獣氏 投稿者:大阪の人 投稿日:02/07/30(Tue) 10:07
> こんにちは。原水禁の記事を見ました。日本共産党の運動史の中で、善隣学生会館事件を
> 考察するというのも、大変有効な切り口だと思います。
>
> 議論を自由に進めて言って、何が出てくるか見てみたいと思いますので、よろしくお願いします。
こうしたツリー、つまり善隣学生会館事件以外の話題には燃える猛獣文士さんであります。
84年ごろの事は、いくらでも言いたい事がありますが、それはこのHPには書くつもりはありませんな。ただし吉田義清氏がソ連の内通者であったということは、後の野坂調査の旧ソ連資料探査チームが証拠をあげたと不破氏の「内通と干渉の記録」で述べていまして、一度ご参照頂きたいものであります。
[552] Re^2: 「84原水禁運動弾圧事件」について 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/30(Tue) 09:27
猛獣文士さん皆さんちわぁ。原水禁運動ですが、社会党系の『禁』の方がまだしもで運動の歩みを載せております。『協』の方はさっぱりです。もし出ているサイトがあれば教えてください。リンクフリーも『禁』の方で、『協』の方は小難しい。
日共運動は、党史もこうした関連団体の歩みも極力叙述したがらないという癖があります。こういう精神って運動を愛する者からはまったく不自然ですよね。この辺りを今も日共を支持している方からご説明いただければ有難い。
[554] Re^3: 「84原水禁運動弾圧事件」について 投稿者:大阪の人 投稿日:02/07/30(Tue) 10:27
> 猛獣文士さん皆さんちわぁ。原水禁運動ですが、社会党系の『禁』の方がまだしもで運動の歩みを載せております。『協』の方はさっぱりです。もし出ているサイトがあれば教えてください。リンクフリーも『禁』の方で、『協』の方は小難しい。
これは、(元正統)[社団]日中が友好協会に比してその出自を語れないということの、何かいいわけになるのでありましょうか。
>
> 日共運動は、党史もこうした関連団体の歩みも極力叙述したがらないという癖があります。こういう精神って運動を愛する者からはまったく不自然ですよね。この辺りを今も日共を支持している方からご説明いただければ有難い。
叙述したがらないのか、叙述するほどウェブの使い方や重要性がわかってないのか、さまざまのようです。でも原水爆禁止日本協議会のウェブって民主団体のHPの中ではトップページがずば抜けて美しい気がします。
http://www.twics.com/~antiatom/
[561] Re^4: 「84原水禁運動弾圧事件」について 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/07/30(Tue) 16:53
大阪の人さんちわぁ。
> これは、(元正統)[社団]日中が友好協会に比してその出自を語れないということの、何かいいわけになるのでありましょうか。
少し意味不明です。
> >
> > 日共運動は、党史もこうした関連団体の歩みも極力叙述したがらないという癖があります。こういう精神って運動を愛する者からはまったく不自然ですよね。この辺りを今も日共を支持している方からご説明いただければ有難い。
>
> 叙述したがらないのか、叙述するほどウェブの使い方や重要性がわかってないのか、さまざまのようです。でも原水爆禁止日本協議会のウェブって民主団体のHPの中ではトップページがずば抜けて美しい気がします。
> http://www.twics.com/~antiatom/
原水協サイトのトップページが美しいのは分かりましたが、なぜ歩みを正確に語り継ごうとしないのでせうね。日共系の共通した手法ですが、歴史を学ばせてはいけないとでも合意しているみたいですね。そう理解しないと不自然過ぎます。それと何やら著作権を振り回すのもこの系譜です。どういう意図なんでせうね。
[562] Re^5: 「84原水禁運動弾圧事件」について 投稿者:大阪の人 投稿日:02/07/30(Tue) 21:45
れんだいこさん、こんにちわ
> これは、(元正統)[社団]日中が友好協会に比してその出自を語れないということの、何かいいわけになるのでありましょうか。
> 少し意味不明です。
http://www.jcfa-net.gr.jp/home/
と
http://www.j-cfa.com/
とを見比べてください。
どちらが歴史を語らないHPでしょうか。あるいは猛獣文士さんがここのHPに掲載した2000年刊の(元正統)[社団]日中の『50年史』の民事立ち退き訴訟の結果に関する記述、その他およそ1965年から1972年までの欠落の事を指しているのです。友好協会の方は、年表をくだくだしく掲載はしていませんが、きっぱりと文革干渉とそれを解決したことを記しています。そうそう、猛獣文士さんは「高い」と言って結局買わなかったのですが、友好協会の『日中友好運動の半世紀 そのあゆみと写真』けやき出版 2000年刊も自腹でお手にとってご覧ください(図書館にないだろうな)。連合赤軍の資料なんかも勿論(元正統)日中の皆さんは自己の歴史として誇るなり反省するなりして叙述するべきであります。
> 日共運動は、党史もこうした関連団体の歩みも極力叙述したがらないという癖があります。こういう精神って運動を愛する者からはまったく不自然ですよね。この辺りを今も日共を支持している方からご説明いただければ有難い。
運動をワッチして愛好する趣味の方々には御不満が多い・・・。
> 原水協サイトのトップページが美しいのは分かりましたが、なぜ歩みを正確に語り継ごうとしないのでせうね。
ウェブで真剣に学ぶ人もいるかも知れません。本で学ぶ人も居るかもしれません。否定はしません。個々の団体の指導者の判断でありましょう。
[574] Re^6: 「84原水禁運動弾圧事件」について 投稿者:れんだいこ 投稿日:02/08/02(Fri) 12:51 <URL>
大阪の人さんちわぁ。
> http://www.jcfa-net.gr.jp/home/とhttp://www.j-cfa.com/とを見比べてください。どちらが歴史を語らないHPでしょうか。
どちらも、歴史を語りませんねぇ。なぜなんでせうね。『連合赤軍の資料なんかも勿論(元正統)日中の皆さんは自己の歴史として誇るなり反省するなりして叙述するべきであります』は、当然そうです。自己批判無き綴りは役に立ちません。総括できなければ、いろんな見方を提示して、鋭意検討中としておけばよいのにね。
> > 日共運動は、党史もこうした関連団体の歩みも極力叙述したがらないという癖があります。こういう精神って運動を愛する者からはまったく不自然ですよね。この辺りを今も日共を支持している方からご説明いただければ有難い。
>
> 運動をワッチして愛好する趣味の方々には御不満が多い・・・。
『趣味の方々には御不満が多い』という言い方はいけませんね。趣味の方であろうが現役であろうがプロであろうがアマであろうが、歴史は必ず精通すべきでせう。
>
> > 原水協サイトのトップページが美しいのは分かりましたが、なぜ歩みを正確に語り継ごうとしないのでせうね。
>
> ウェブで真剣に学ぶ人もいるかも知れません。本で学ぶ人も居るかもしれません。否定はしません。個々の団体の指導者の判断でありましょう。
しかしねぇ、インターネット上で日共の党史なんか見ますとほんの付け足しで、しかも意図的に分かりにくくズタズタにされておりますね。なぜかようにするのでせうね。偶然では説明しにくい。公明党の方がまだしも歩みを正確に伝えております。本のほうでも、かなり歴史偽造しております。というか宮顕―不破系の私家本にしておりますね。
一例を挙げますと、戦後の党運動の歩みが、獄中から解放された徳球、志賀らの『人民に訴う』から始まるのは踏まえねばならない史実ですのに、隠蔽しております。『50年問題』で徳球系運動を否定総括しようが、こういう史実まで消してはいけません。しかし、逆に云えばそういうのを平気で為す感性というのが不自然過ぎます。まさか、『運動をワッチして愛好する趣味の方々には御不満が多い』では済まされないでせう。