戦後華僑・留学生運動史(150) |
善隣学生会館で日共反中国集団、華僑を襲撃(二) |
日共反中国暴力集団は善隣学生会館から出てゆけ!と怒りをこめて抗議する華僑青年学生たち |
日共、襲撃事件の真相隠しに躍起
この事件について、坂本修弁護士は四月二日付の「赤旗」に一頁に亘って「事実をつくり変えることはできないできない」云々の長文を載せ、青柳、松本と彼自身をはじめ日共幹部が三月二日の午前八時前に現場へ赴いたが、それは謀議したり、指揮したりするためではない。心配していったのだと強弁している。しかし、彼らの指揮する暴徒の完全武装による素手の華僑学生、日本友人への襲撃写真やそのファッショ的殺人的な暴力については一言も触れられていない。これは彼自身が書いている通り、彼らがいくら詭弁を弄しても遂に「事実をつくり変えることはできな」かったことを自ら暴露したわけである。
また、自由法曹団団長の岡崎一夫は、十四名の団員を引き連れて会館に現われ、現状調査と称して玄関ホールをうろつき廻ったが、日共暴徒の白色テロ写真を見せられて、這う這うの体で立ち去った。そして、三月二十六日付「赤旗」に談話なるものを発表し、「今までは自由法曹団員(弁護士)個々が泊り込みまでして日中友好協会を支援してきたが」云々と、この事件が日共中央の指揮による組織的、計画的テロ行為だったことを自ら暴露した。
東京華僑総会が抗議声明、華僑側闘争体制確立 |
三月三日、東京華僑総会は怒りをこめて抗議声明を発表し、同時に各地僑会、僑団に連絡して直ちに留日華僑抗暴擁権闘争委員会を組織し、善隣学生会館内に現地闘争本部をおき闘争体制を確立した。
同日、日中友好協会(正統)本部は、「善隣学生会館における反中国暴力団の狂暴テロ行為について」の声明を発表し、正統本部を中心に貿易界、文化界、青年・学生、婦人など各界各層、各地代表で構成する「善隣学生会館防衛闘争委員会」を結成し、正統本部常務会を中心に、@政治法律対策部A宣伝部B財政部C現地指揮部(正統本部の三好一を責任者、坂田輝昭を副責任者)を設置した。
同じく三月三日、日本の著名文化人三十五氏は「友好の願いを踏み躙る」という声明を発表し、日共を強く非難した。この中には水上勉、内田吐夢、瀧沢修、木村伊兵衛、千田是也、中川一政など各界の著名人が含まれていた。
善隣学生会館前で華僑学生襲撃の陣頭指揮をとる青柳盛雄、松本善明らの日共幹部たち |
日本側と共闘、各地で日共の罪行暴露 |
東京における華僑と日本側の両闘争委員会発足と同時に、大阪、神戸、京都、山口、横浜、九州など各地でも闘争委員会が成立し、各地での宣伝活動が繰り広げられ、また多くの人たちが善隣学生会館に駆けつけて現地での闘争に加わった。
両闘争委員会は共同して、日共武装暴徒による華僑青年学生、日本友人襲撃事件の写真新聞及び事件の真相を暴露したパンフレットを大量に印刷して関係方面へ発送するとともに、多数の宣伝対を編成、東京都内各地の家庭や通行人の多い地点に写真を張ったり、パンフを配布したりして事件の真相を訴え大いに日共暴力団の正体を暴露した。一般のマスコミ報道もあって、都内は勿論首都圏の広範囲に宣伝が行き届いた。また、全国各都市で報告会や抗議集会が開かれ、ここでも写真新聞及びパンフレットが大量に配布された。
こうして日共の反中国策謀と善隣学生会館における武装暴徒の華僑青年学生襲撃事件に対する日本国民の批判と非難の声は日本全国に広がっていった。
(華僑報1999年9月15日「戦後華僑・留学生運動史(150)」)