Q6 | 中国の大国主義的干渉ということがいわれていますが,どういうことでしょうか。協会を含めて日本の民主団体の内部に起こった問題で、中国側からの直接の干渉はなかったのではありませんか?協会はどういう対応をしたのでしょうか。 |
中国の大国主義的干渉は中国の国内問題である「文革」への支持を他国の運動に押し付けることから始まりました。
「文革」は中国国内の指導者間の権力争いでした。それが対外政策の面では他国の政党や平和民主団体に対して「文革」支持、毛沢東崇拝、武装闘争の採用および「アメリカ帝国主義、ソ連修正主義、日本反動派、日本共産党の四つの敵」と闘うことなど中国独特の外交路線の支持を迫るようになりました。
日本の各分野につながりを持っていた中国の中日友好協会などの幹部は、中国の主張に迎合し支持する勢力を日本国内に広げるために協会をはじめ原水爆禁止運動、友好連帯運動、青年婦人運動や貿易、出版などあらゆる分野に同調者を求めて画策したのです。協会をはじめ各運動の組織のなかにこれに同調する人々が生まれ、ついには中国の指示に従って「日中友好協会(正統)本部」のような分裂組織を旗揚げしたのです。従って協会や民主団体の"内部抗争"などではなく中国側からの組織的かつ計画的な干渉によってひきおこされたものでした。干渉とのたたかいは、日本の民主運動の自主性を守るための闘いだったのです。協会は大国主義的干渉に屈せず「団結と統一の決議」[資料(2)参照]を発表し日中友好運動と協会組織を守るため全力をあげました。
例えば「文革」についてはその評価の違いで対立するのでなく、それぞれの意見を尊重し時間をかけて話しあって真理をつかむという対応をしました。また「四つの敵」論のような中国独特の路線を日本の国際友好運動に持ち込むことの誤りについて粘り強く話し合い―致点を見いだすよう努力しました。このような努力が日本国民の自主的な国際友好運動を守る道であり、また両国民の本当の友好連帯につながる闘いであったと考えています。
干渉の最中にも取り組まれた「日中国交回復要求」三千万人署名運動(1967年) |