1998年中国共産党と日本共産党は関係を正常化しました。そのときの、両党の合意内容をまとめた文書と、それに対する日本共産党不破哲三氏の記者会見を電子文書化しました。実に、コメントする気にもなれない内容です。 |
2000年10月03日 猛獣文士 |
上記の関係正常化を伝える、中国側の資料を、当サイトに追加、掲載しました。 |
2001年5月15日 猛獣文士 |
両党関係正常化の合意について |
記者会見、六月十一日 |
五月の下旬に、中国共産党中央委員会から、関係正常化についての両党会談を北京で開きたい、という提案がありました。日程を調整して、六月八日〜十日に会談を開催することにし、八日から、日本側は、西口光国際部長が団長、中国側は戴東国中連部長が団長で会談が始まり、三日間にわたる協議の結果、十日に、両党関係の正常化についての合意が成立しました。
合意の内容は、次の通りです。
日本共産党と中国共産党との関係正常化についての合意
一、日本共産党の西口光書記局員・国際部長と中国共産党の戴東国中央委員・中央対外連絡部長は一九九八年六月八日から十日まで、北京で両党関係正常化のための会談をおこなった。日本共産党の山口富男幹部会委員・書記局員、平井潤一国際部嘱託ら、および中国共産党の李成仁中央対外連絡部副部長らが会談に出席した。
二、会談において双方は、両党関係の歴史を回顧し、日中友好の大局から出発し、過去を終わらせ未来を切り開く精神にしたがい、歴史の事実にもとづく誠実な態度をもって、両党関係正常化の問題について真剣に意見を交換し、共通の認識に達した。
三、中国側は、六〇年代の国際環境と中国の「文化大革命」などの影響を受け、両党関係において、党間関係の四原則、とくに内部問題相互不干渉の原則にあいいれないやり方をとったことについて真剣な総括と是正をおこなった。日本側は中国側の誠意ある態度を肯定的に評価した。
四、双方は今回の会談により、両党間に存在した歴史問題が基本的に解決されたことを確認し、日本共産党と中国共産党との関係の正常化を実現することに合意した。双方は、日本側が主張する自主独立、対等平等、内部問題の相互不干渉および中国側が主張する独立自主、完全平等、相互尊重、内部問題相互不干渉の基礎のうえに、両党間の友好交流を展開する。双方は、両党関係の発展が、日中両国国民の相互理解と友好の増進および日中両国の善隣友好関係の長期の、安定した、健全な発展の促進に積極的に貢献すると考える。
五、双方は、日本共産党中央委員会の不破哲三幹部会委員長が双方の都合のよい時期に訪中することについて協議し、合意した。
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この合意は、日本側と中国側が同時発表しようという話になり、日本側では、十一日の東京時間午後四時半(北京時間午後三時半)、私が記者会見で発表しました。その時の、記者会見の内容は、次の通りです。
重大な歴史的意義をもつ今回の合意
北京でおこなわれた日本共産党と中国共産党の両党会談について、お話しします。合意の内容はお配りしたとおりです。
この合意の冒頭に書いてあるように、会談は日本側は西口国際部長、中国側は中央対外連絡部の戴秉国部長との間でおこなわれました。会談そのものは八日、九日、十日の三日間つづきました。きょうは、現地時間三時十五分、日本時間四時十五分から胡錦濤政治局常務委員(国家副主席)との会見が始まって、今はその最中です。中国側が同時発表したいということで、若干時間を調整して、いまの発表になりよした。
三十二年の歴史をふりかえって感慨無量
今回の会談で、三十二年来の歴史問題――「文化大革命」当時をめぐる問題を解決し、断絶という状態に終止符をうち両党関係を正常化することができました。合意の文面は簡潔なものですが、それだけの重大な内容が含まれており、大きな歴史的意義をもつものとなりました。
私は、三十二年前に北京や上海で当時の中国の指導部との首脳会談に参加し、また、それ以後干渉や攻撃を受けた経過の全体にかかわってきた者として、こういう結論をえて、両党関係が正常化したことに、特別な感慨があります。
干渉の背景になったのは「文化大革命」ですが、「文化大革命」が七〇年代に終結し、中国の国内問題としては一応解決されたあとも、問題が解決されず、ほぼ二十年にわたって不正常な状態がつづいてきました。私たちは、一貫して、干渉をめぐる歴史問題にけじめをつける、歴史問題を解決することが関係正常化の前提になるということを、一貫して主張してきました。今回の会談でこういう結論になったことは、私たちのこの立場が、歴史的にも政治的にも道理があったということを裏付けたものだと思います。
中国側の政治的な誠実さと政治的決断を高く評価する
振り返ってみますと、中国側では、この間に、毛沢東、劉少奇、ケ小平、彭真、周恩釆、朱徳、康生、廖承志、劉寧一など北京と上海の会談に参加した中央の幹部や、会談には参加しなかったが広州で私たちと交流した陶鋳など、当時の主だった関係者すべてが、それぞれの経緯のなかで、故人になりました。
ですから現在の党指導部や対外関係の部門の人たちのなかでは、過去の干渉の問題に直接責任があるという人はいないし、逆に「文革」の当時には中央から追われて地方にいたとか、抑圧される側に立っていたとかという人も多いわけです。
そういうなかで、中国側が今回の会談に当たってしめした政治的な誠実さと政治的な決断を、私は高く評価したいと思います。
干渉の指導原裡となった「四つの敵」論にもふみこむ
会談の中身ですが、合意の第二項にあるように、会談では双方が歴史問題で真剣な検討をおこないました。
「会談において双方は、両党関係の歴史を回顧し、日中友好の大局から出発し、過去を終わらせ未来を切り開く精神にしたがい、歴史の事実にもとづく誠実な態度をもって、両党関係正常化の問題について真剣に意見を交換し、共通の認識に達した」
私たちの認識はすでにくりかえし発表していますから、ここでの「共通の認識に達した」ということは、非常に深い意味をもっています。
実際に会談のなかでも、関係断絶の原因が中国側の誤った態度にあったこと、それが干渉の性格をもったものであったこと、そういう認識で双方が一致しました。
とくに中国側は、その誤りのなかでも、“われをもって一線を画し、日本共産党を両国人民の敵と扱った”こと―“われをもって一線を画し”というのは、中国の言葉で、自分たちが勝手に敵味方の境界線を引いて、勝手に両国人民の敵にしたということです ここに、誤りの中心的な問題があったということを、くりかえして言明しました。
これは、歴史の総括としても、非常に重要なことでした。
当時の中国からの干渉では、「四つの敵」というのが最大の旗印でした。アメリカ帝国主義とソ連の修正主義、日本共産党、日本の反動派 この四つが「中日両国人民の共通の敵」だという立場で、干渉と攻撃のすべてを合理化したわけです。文化交流でも「四つの敵」、貿易の上でも「四つの敵」、日中の友好でも「四つの敵」、これを認めないと交流しないということを全分野でやったのです。
この「四つの敵」論は、毛沢東が六六年の七月にいい出したことです。それが、「文革」の対日版ともいうべき日本への干渉の指導原理になったのです。
今回、中国側もそうした歴史をよく調べて、その一番の核心のところをとりだし、誤りの中心的な内容として、この問題を繰り返しとりあげました。
認識だけでなく「真剣な総括と是正」を表明
―反党グループ問題の解決でも合意
そういう認識が第三項にはこういうかたちで表現されています。
「中国側は、六〇年代の国際環境と中国の『文化大革命』などの影響を受け、両党かんけいにおいて、党間関係の四原則、とくに内部問題相互不干渉の原則にあいいれないやり方をとったことについて真剣な総括と是正をおこなった。日本側は中国側の誠意ある態度を肯定的に評価した」
この文章にもう少し解説をくわえますと、ここで「相互不干渉の原則にあいいれないやり方」といっているのは、干渉だったということです。
そして、そういう誤りをおかしたという「認識」と同時に、中国側が「真剣な総括と是正をおこなった」と明記していることが重要な点です。
われわれは、前からのべているように、この、三十余年の間の世代交代や指導部の変化などを知っていますから、われわれは謝罪を求めるのではない。過去の干渉についての認識の一致がないと、これからの両党関係が安定しない、そういう点で認識を求めているのだという態度を表明してきました。今回の会談で中国側は、認識だけにとどめないで、「真剣な総括と是正」というより立ち入った態度を表明したわけです。干渉当時につくられた反日本共産党の組織、いわゆる反党グルーブと関係をもたないという問題でも、中国側はそれに同意し、そのことが「真剣な総括と是正」の中に含まれているということを、確認しました。
歴史問題をここまでふみこんだ総括は前例がない
これまで、中国側がヨーロッパの党などとの間で「文革」当時の断絶状態を清算して関係回復した例は、数多くあります。ただ、ここまで踏み込んで中国側が歴史的な反省 「総括と是正を明らかにしたという前例は、一つもないのです。たとえば、あるヨーロッパの党の指導者が、中国を訪問して関係改善したときの合言葉も、「お互いに過去を忘れよう」でした。過去に触れないで、過去を忘れて前に進もうといったんです。
しかし、私たちとの関係では、断絶にいたった歴史も違いますが、歴史の問題をお互いに真剣にふりかえり、そこから何が間違いだったか明らかにし、その総括に立って未来を開く、そういう態度を中国側もとったために認識の一致とあわせて今後の問題で一致ができました。
昨年から今回の会談にいたる双方のいろんな発言や接触があり、私自身もその過程で中国の対外連絡部の幹部と話し合った経過があります。今回の結論は双方のそういう努カが実ったものといえますが、とくに中国側が、今回の会談で、そこまで踏み込んだ政治的決断をおこなったことは、高く評価できることです。私が冒頭に中国側の政治的誠実さと決断を評価するといったのは、ここに中心があります。
そういう評価に立って、私たちは、この会談をもって両党間の歴史的な問題は基本的に解決されたことを確認し、両党関係を正常化することに合意しました。
中国の政権党と日本の革新野党との関係
次に、今後の関係の問題です。両党の関係は、イデオロギー的な共通性とか、路線的な共通性にたっての関係ではありません。中国の政権党と日本の革新野党との関係だとみてもらえばいちばん適切だと思います。
両者の間には、路線の問題、考え方の問題でいえば、意見や立場の違いは、当然いろいろあります。たとえば天安門事件の評価など、これを批判するわれわれの態度は明確ですが、中国の党は、今日でも、表現はいろいろ変わってきていますが、それを正当化する態度をとっています。
そういうなかで、両党間が正常な関係を確立する。この場合、この関係の基礎に何を置くかということに、なかなか大事な独自の問題があります。党と党の関係について、それぞれの党の方針があるからです。
中国が、過去の誤りを反省するのに「四原則」とあいいれないやり方という表現をしていることは、さきほど紹介しましたが、中国の党は、今、日本のいろんな政党とも、外国の政党とも、「四原則」を基礎にして、党間の関係を結ぶということを方針としています。
われわれは、日本共産党しとして、「自主独立、対等平等、内部問題相互不干渉」の方針を、政党間の関係の原則として一貫して主張しています。
この問題の大事なところは、どちらか一方の定式を採用することをしない、日本側は「三原則」を主張し、中国側は「四原則」を主張し、それぞれその原則を基礎にして両党関係を結ぶということを、いわば対等平等の形でうたいました。これは新しいことだし、大事なことです。
というのは、表現がかなり似ているようでも、どちらか一方の定式を確認したりすると、それらの原則の「解釈」を一方がもって、解釈が変化すれば客観性がなくなるということにもなる。そういう点で、双方がそれぞれの関係の原則を、対等平等にうたうことにしました。
「相互不干渉」を――歴史の教訓をふまえた大原則
そこには、重要な共通点があります。一番の共通点は、自主独立と対等平等という原則と、内部問題相互不干渉という原則、とりわけ干渉の誤りを犯さない、繰り返さないということ、これが歴史の教訓を踏まえた大原則です。
中国側も、会談のなかで、「四原則のなかで、独立自主が基礎で、内部問題相互不干渉が核心だ」という表明をしました。三十数年来の歴史の教訓から、内部問題相互不干渉ということをはっきり踏まえて関係を結んだというのが、大事な点です。
われわれは両党関係を今後発展させますが、そのなかには、いろいろな形態での、またいろんな分野での交流もあります。また双方が一致する問題での協カもあります。これはこれからの展開の問題です。
なお、その場合、国際的に重大な意味をもつ事件・問題が起きて、それに中国の党がかかわっているという場合がありえます。相互不干渉の原則で関係を結ぶんだから、われわれは物をいわないのかというと、そうではありません。マスコミのみなさんに意見をきかれて、答えないというわけにはゆきませんから、こういう性格の問題については、独自の立場から意見をのべることは当然あるということを、会談のなかでも相手側にきちんと話してあります。中国側もそのことをきちんと了解しています。
両党関係確立の意味は、党だけの問題にとどまらない
この合意のなかで、両党関係の正常化の意義を、党だけの問題にとどめない形でのべていることも、お互いの確認として大事な意味があると思います。この「両党関係の発展が、日中両国国民の相互理解と友好の増進および日中両国の善隣友好協力関係の長期の、安定した、健全な発展の促進に積極的に貢献すると考える」書いてある点です。
私たちとしては、両党関係の正常化、関係の確立を、党だけの問題にとどめることなく、日本と中国の国民の間のし,かりした友好関係を安定した方向ですすめるための一つの力にしてゆくつもりです。
また、私たちは、昨年の第二十一回党大会で、アジアと世界の平和をめざす外交活動、とくにアジア外交を重視するどいう方針を決定しました。核兵器の廃絶という問題をはじめ、大会決定にそった外交活動を展開するうえでも、中国共産党との関係正常化を大きな意味を持つものにしたいと考えています。
不破委員長の訪中と両党首脳会談の時期について
最後に、両党の首脳会談の問題ですけど、九月の江沢民主席の訪日の前に、私が訪中して、北京で両党首脳会談をやるということは、双方で合意しています。
日程については、「双方の都合がよい時期」と書いてありますが、中国側が提起したのは、七月の後半から八月の前半にかけての範囲内で調整したいという提案でした。日本側からは、参院選後の国会の問題もあるので、七月後半がべターだという提起をしています。
中国側は、江沢民総書記が党の総書記と同時に国の主席を兼ねていて、かなり先々まで日程が決まっている状況だから、これから協議して提案し、いろんな決裁をへるという詰めにはちょっと時間がかかる、といっていました。われわれも、日程の問題が単純ではないことはわかっていますから、七月後半で調整できない場合には、八月前半もありうると考えています。この問題は、今後、弾カ的に折衝してゆくつもりです。
両党首脳会談で何を話すかという問題ですけど、だいたいそういう会談の場合には、「双方の関心のある諸問題」ということになるのが常道です。しかし、今度の首脳会談は三十二年ぶりということだけではなしに、現在のそれぞれの党指導部としては、初めての会談になるわけですから、両党関係と両国の関係、その現在と前途の問題、アジアと世界の問題など、広い問題について立ち入って話し合いをしたいと、考えています。
以上が、関係正常化の合意の内容です。
(「しんぶん赤旗」一九九八年六月十二日付)